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精神分析学 - Wikipedia

精神せいしん分析ぶんせきがく

学問がくもんひと
精神せいしん分析ぶんせきから転送てんそう

精神せいしん分析ぶんせきがく(せいしんぶんせきがく、えい: Psychoanalysis どく: Psychoanalyse)は、ジークムント・フロイトによって創始そうしされた人間にんげん心理しんり理論りろん治療ちりょう技法ぎほう体系たいけいす。広義こうぎには、フロイト以後いご分派ぶんぱふくめた理論りろん体系たいけい全体ぜんたいす。

精神せいしん分析ぶんせき療法りょうほう
治療ちりょうほう
ICD-9-CM 94.31
MeSH D011572
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精神せいしん分析ぶんせきは、現在げんざいえいべいけい精神せいしん医学いがく対立たいりつすることがある。

精神せいしん分析ぶんせきは、人間にんげんには無意識むいしき過程かてい存在そんざいし、ひと行動こうどう無意識むいしきによって左右さゆうされるという基本きほんてき仮説かせつもとづいている。フロイトは、ヒステリー現在げんざい解離かいりせい障害しょうがい身体しんたい表現ひょうげんせい障害しょうがい)の治療ちりょうたるなかで、ひと意識いしきすることが苦痛くつうであるような欲望よくぼう無意識むいしき抑圧よくあつすることがあり、それがかたち神経症しんけいしょう症状しょうじょうなどのかたち表出ひょうしゅつされるとかんがえた。そのため、無意識むいしき領域りょういき抑圧よくあつされた葛藤かっとうなどの内容ないよう自覚じかくし、表面ひょうめんさせて、本人ほんにん意識いしきすることによって、症状しょうじょう解消かいしょうしうるという治療ちりょう仮説かせつてた。

フロイトの晩年ばんねんにおいては、精神せいしん分析ぶんせきエス自我じがちょう自我じが葛藤かっとうによるしんてき構造こうぞうろんという心的しんてき理解りかいによって神経症しんけいしょうなおされるようになった。このしんてき構造こうぞう図式ずしきではうつびょう精神病せいしんびょうまで範囲はんいはいり、それらの理解りかい寄与きよすることになった。またフロイト自身じしん晩年ばんねん文化ぶんか歴史れきし宗教しゅうきょうたいしての心理しんりてき理解りかいふかめるようになる。こうして精神せいしん分析ぶんせき人間にんげんしん精神せいしん理解りかいする包括ほうかつてき心理しんりがくとして台頭たいとうし、様々さまざま近接きんせつ学問がくもん人文じんぶんがく思想しそう影響えいきょうあたえることになった。

シャルコーのヒステリー研究けんきゅう

編集へんしゅう

19世紀せいき後半こうはんのヨーロッパでは、ヒステリーをはじめとする神経症しんけいしょうは、精神せいしんではなく神経しんけい診断しんだん領域りょういきであった。ヒステリーの研究けんきゅう有名ゆうめいだった神経しんけい学者がくしゃであるジャン=マルタン・シャルコー(Charcot,Jean-Martin)は、パリでヒステリー患者かんじゃ催眠さいみんをかけ、ヒステリー症状しょうじょうあらわれたりえたりする様子ようす一般いっぱん公開こうかいしていた。

1885ねん、そのシャルコーのもとへ留学りゅうがくしてきたのが、のちに精神せいしん分析ぶんせき創始そうしすることになるジークムント・フロイトであった。当時とうじのフロイトは自然しぜん科学かがくしゃ神経しんけい学者がくしゃであり、おもにヤツメウナギの脊髄せきずい神経しんけい細胞さいぼう研究けんきゅうや、脳性のうせい麻痺まひおよび失語症しつごしょう臨床りんしょう研究けんきゅうおこなっていた。

当時とうじにおいてはヒステリーは原因げんいん不明ふめい病気びょうきであり、のうなん異常いじょうもない器質きしつせい病気びょうきではないことられていた。そのためこころいんせい病気びょうきだとかんがえられていたが、根本こんぽんてき治療ちりょうほうつけられていなかった。ただ催眠さいみん療法りょうほうもっと有効ゆうこう治療ちりょうほうとして確立かくりつしていたようである。フロイトはシャルコーのヒステリー講座こうざ感動かんどうして、精神せいしん転向てんこうしたようである。[よう出典しゅってん]

フロイトによる精神せいしん分析ぶんせき創始そうし

編集へんしゅう

1886ねん、フロイトはウィーンかえり、シャルコーのもとでまなんだ催眠さいみんもちいるヒステリーの治療ちりょうほう一般いっぱん開業医かいぎょういとして実践じっせんうつした。治療ちりょう経験けいけんかさねるうちに、治療ちりょう技法ぎほうにさまざまな改良かいりょうくわえ、最終さいしゅうてきにたどりついたのが自由じゆう連想れんそうほうであった。当時とうじ催眠さいみん状態じょうたいとき患者かんじゃ意識いしきしていない幼少ようしょう事柄ことがらしゃべると、ヒステリーの病状びょうじょう改善かいぜんしたことられている。フロイトは自由じゆう連想れんそうほうほどこすことによって患者かんじゃ症状しょうじょう改善かいぜんさせること出来できるとかんがえ、この治療ちりょうほうをフロイトはのち精神せいしん分析ぶんせきどく: Psychoanalyse)とづけた。

しんてき外傷がいしょう無意識むいしき

編集へんしゅう

1895ねん、フロイトは、ヒステリーの原因げんいん幼少ようしょうけた性的せいてき虐待ぎゃくたい結果けっかであるという病因びょういんろんならびに精神せいしん病理びょうり発表はっぴょうした。今日きょうしんてき外傷がいしょうPTSD概念がいねんつうじるものである。

これにもとづいてかれは、ヒステリー患者かんじゃ無意識むいしき封印ふういんした内容ないようを、身体しんたい症状しょうじょうとしてすのではなく、おもして言語げんごして表出ひょうしゅつすることができれば、症状しょうじょう消失しょうしつする(じょ反応はんのう どく: Abreaktion=カタルシス療法りょうほう)という治療ちりょうほうにたどりついた。

この治療ちりょうほうはな療法りょうほうばれた。たいへん原初げんしょてき素朴そぼく療法りょうほうであるが、この時代じだい精神せいしん分析ぶんせき主流しゅりゅうからはずれてしまった今日きょう精神せいしん医学いがくにおいても、ナラティブセラピーその方法ほうほう展開てんかいされているものである。

科学かがくとしての出発しゅっぱつてん

編集へんしゅう

フロイトは自然しぜん科学かがくしゃであり、あくまでも「科学かがく」としての精神療法せいしんりょうほう目指めざした。フロイトの理論りろん背景はいけいには、ヘルムホルツ代表だいひょうされる機械きかいろんてき生理学せいりがく唯物ゆいぶつろんてき科学かがくかん存在そんざいした。フロイトは、脳神経のうしんけい精神せいしんしん)のうごきがすべて解明かいめいされれば、人間にんげん無意識むいしき存在そんざいやそのはたらきについてもすべて実証じっしょうてき説明せつめい可能かのうになるとしんじていた。それゆえ、フロイトは宗教しゅうきょう宗教しゅうきょうてきなものにたいする峻厳しゅんげん拒否きょひ生涯しょうがいにわたってしめしつづけ、その結果けっかユングをはじめおおくの弟子でしたちとたもとかつことにもなる。

精神せいしん医学いがくかいによる排斥はいせき

編集へんしゅう

精神せいしん分析ぶんせき創始そうしされたころの精神せいしん医学いがくにおいては、「精神病せいしんびょう原因げんいんのうなんらかの器質きしつてき異常いじょうによるものであるが、その異常いじょうはいまだ解明かいめいされていない」という精神病せいしんびょう内因ないいんせつ優勢ゆうせいであった。また、のう科学かがくもその異常いじょう解明かいめいできそうなところまで発達はったつしていないので、フロイトとどう時代じだい精神せいしんたちは精神せいしん障害しょうがい原因げんいん究明きゅうめいには興味きょうみしめさず、むしろ症状しょうじょうくわしく分類ぶんるいすることにちからをそそいでいた。

このような精神せいしん医学いがくは、精神せいしん障害しょうがい根本こんぽんてきメカニズムを解明かいめいしようとする精神せいしん分析ぶんせきとは交流こうりゅうたず、しばしフロイトならびに精神せいしん分析ぶんせき排斥はいせき迫害はくがいする立場たちばまわった。そのため精神せいしん分析ぶんせきは、精神せいしん医学いがくかいからはなれたところで独自どくじ発展はってんげることになる。精神せいしん分析ぶんせき精神せいしん医学いがくふかむすびついていくのは、フロイトの死後しごかなりってから、それもだい世界せかい大戦たいせんアメリカにおいてである。

とはいえ、そうじてれば精神せいしん分析ぶんせきは、20世紀せいき初頭しょとうからなかばにかけて、心理しんりがく精神せいしん医学いがくはもとより、人文じんぶん社会しゃかいしょ科学かがく文化ぶんか芸術げいじゅつ多大ただい影響えいきょうおよぼした。

精神せいしん医学いがくとのむすびつき

編集へんしゅう

それまでの精神せいしん医学いがく治療ちりょうほうは、ある方法ほうほうもちいたら病気びょうきくなった、といった経験けいけんそくたよったものであった。そのため、病理びょうりがく病因びょういんろん治療ちりょう理論りろんといったものがなく、根治こんじてき治療ちりょうもできず、医学いがくほか領域りょういきくらべるといささか科学かがくせいけているようにられた。そこでだい大戦たいせん精神せいしんたちは、すでにそれなりの病理びょうりがく病因びょういんろん整備せいびしていた精神せいしん分析ぶんせきがく期待きたいをかけ、かねて排斥はいせきしていたものに接近せっきんしてきたのである。[よう検証けんしょう]

精神せいしん分析ぶんせきがく衰退すいたい

編集へんしゅう

20世紀せいき後半こうはんになると、科学かがく哲学てつがくしん行動こうどう主義しゅぎ心理しんりがく生物せいぶつがくてき精神せいしん医学いがくのう科学かがくなどから、精神せいしん分析ぶんせき科学かがくせい客観きゃっかんせい治療ちりょうほうとしての有効ゆうこうせい疑問ぎもんげかけられるようになる。こう精神病せいしんびょうやくとしてのクロルプロマジンさい発見はっけん以来いらい精神せいしん疾患しっかんへの薬物やくぶつ療法りょうほう発達はったつし、精神せいしん分析ぶんせき療法りょうほう改善かいぜんられない患者かんじゃ治療ちりょうできるようになると、精神せいしん医学いがく領域りょういきにおける精神せいしん分析ぶんせき影響えいきょうりょく徐々じょじょおとろえていく。

精神せいしん分析ぶんせき影響えいきょうおおきかったアメリカにおいても、1980ねんのDSM-III(精神せいしん疾患しっかん診断しんだん統計とうけい手引てび以降いこう神経症しんけいしょう概念がいねん解体かいたいされる方向ほうこうかい、患者かんじゃ希望きぼうした薬物やくぶつ治療ちりょう拒否きょひして精神せいしん分析ぶんせき専念せんねんした治療ちりょうしゃが、患者かんじゃとの裁判さいばん敗訴はいそした(参照さんしょう:過誤かご記憶きおく裁判さいばん)こともあって、精神せいしん分析ぶんせきかず減少げんしょうした。

21世紀せいきならびに近況きんきょう

編集へんしゅう

近年きんねん従来じゅうらい薬物やくぶつ療法りょうほうくわえ、認知にんち行動こうどう療法りょうほう有効ゆうこうせい確認かくにんされ、薬物やくぶつ療法りょうほう併用へいようする医師いし増加ぞうかしている。これにくわえ、医療いりょう経済けいざいじょうりたなくなっていることから、精神せいしん分析ぶんせき影響えいきょうはさらに減少げんしょうし、国内外こくないがいわず、精神せいしん臨床りんしょう精神せいしん分析ぶんせき療法りょうほうもちいる医師いしはほとんどいない。

アメリカでは、薬物やくぶつ療法りょうほう認知にんち行動こうどう療法りょうほう進歩しんぽ普及ふきゅうにより、精神せいしん分析ぶんせきエビデンス不十分ふじゅうぶん療法りょうほうとして支持しじうしなった。これには精神せいしん分析ぶんせきおよ精神せいしん分析ぶんせきてき精神療法せいしんりょうほうが、その構造こうぞうじょうエビデンスを提供ていきょうすることが大変たいへん困難こんなんであることも影響えいきょうしている[よう検証けんしょう][1]

ただし、精神療法せいしんりょうほう基本きほんてきかんがかた精神せいしん分析ぶんせき学派がくはしょ概念がいねんもと発展はってんしてきているのも事実じじつであり、精神せいしん臨床りんしょう心理しんりソーシャルワーカーなどが患者かんじゃ理解りかいのために精神せいしん分析ぶんせき概念がいねん援用えんようすることがある[よう検証けんしょう][1]口語こうごばん精神せいしん分析ぶんせきともばれる交流こうりゅう分析ぶんせき心療内科しんりょうないか看護かんご介護かいご領域りょういき活用かつようされている。

また一般いっぱん人々ひとびとが、抑圧よくあつコンプレックスといった精神せいしん分析ぶんせき由来ゆらい概念がいねん使用しよう(あるいは誤用ごよう)して、自分じぶん他人たにん行動こうどうしんうごきを説明せつめいすることも、日常にちじょう生活せいかつのなかでよく見聞みききする。

治療ちりょう技法ぎほう

編集へんしゅう

フロイトは、以下いかのような治療ちりょう技法ぎほうもちいた。

自由じゆう連想れんそうほう

編集へんしゅう

患者かんじゃ椅子いすなどによこたわり、リラックスした状態じょうたいで、何気なにげなくしんかんできたあらゆることを言語げんごしてかたるように要求ようきゅうされるという方法ほうほうこと。たとえば、まどそとくもからそら連想れんそうし、そらから水色みずいろかび、といった連想れんそうを、患者かんじゃ治療ちりょうしゃかたるもの。

このような方法ほうほうにより、過去かこ抑圧よくあつされた無意識むいしき関係かんけいする事柄ことがら連想れんそうされ、それを治療ちりょうしゃ解釈かいしゃくすることによって、患者かんじゃ無意識むいしき意識いしき統合とうごうし、現在げんざい症状しょうじょう解消かいしょうするというのが、フロイトのかんがかたである。フロイトは当初とうしょ無意識むいしき意識いしきする方法ほうほうとして、催眠さいみんれていたが、催眠さいみん効果こうかには個人こじんおおきく、またいったん症状しょうじょう消失しょうしつしても、のちふたたびもとの状態じょうたいもどってしまうことを経験けいけんしたので、フロイトは自由じゆう連想れんそうほう考案こうあんした。

現在げんざい精神せいしん分析ぶんせきでは、対面たいめんによる対話たいわにおいても自由じゆう連想れんそうほう類似るいじ効果こうかがあるとかんがえられるようになったため、椅子いすもちいた自由じゆう連想れんそうほう使つかわれることはすくなくなっている。

ゆめ分析ぶんせき

編集へんしゅう

ゆめ患者かんじゃ無意識むいしき抑圧よくあつされている内容ないよう反映はんえいしてあらわれる。そのためにゆめ分析ぶんせき患者かんじゃ治療ちりょうするための技法ぎほうとして有効ゆうこう使用しようされた。患者かんじゃゆめ分析ぶんせき分析ぶんせきすることによって、患者かんじゃ無意識むいしきにおける葛藤かっとう願望がんぼうかるとされる。またゆめ理解りかいつうじて患者かんじゃ患者かんじゃ無意識むいしきてき願望がんぼうげることによって、ヒステリーや不安ふあんしょうなおるとかんがえられている。

じょ反応はんのう

編集へんしゅう

クライアントにみずからをかたらせ、治療ちりょうしゃはただそれを誠実せいじつくことにてっする。これによって、それをおこなうまえにクライアントがっていた症状しょうじょうのぞかれていくことから、フロイトはじょ反応はんのう(Abreaktion)とんだ。自由じゆう連想れんそうほう発展はってんしたかたちとも理解りかいされ、はな療法りょうほうともんだ。フロイトとどう時代じだいでは、非常ひじょう方法ほうほうブロイアーJosef Breuer)がもちいてカタルシス療法りょうほうんでいる。

一見いっけんはなしいてやる」というのはきわめて原初げんしょてき施術しじゅつであり、それゆえに「あれは医療いりょうではない」と批判ひはんする専門せんもんおおい。しかし、近年きんねんPTSDASD治療ちりょうとして、新薬しんやく投与とうよなどよりも効果こうかがあるとしてさい評価ひょうかたかまっており、ナラティブセラピーとして体系たいけいされたりしている。

解釈かいしゃく

編集へんしゅう

解釈かいしゃく分析ぶんせき患者かんじゃ転移てんい分析ぶんせきして、それを患者かんじゃげることである。

患者かんじゃげる内容ないようふたつある。患者かんじゃ意識いしきしていない無意識むいしきてき葛藤かっとうとくエディプス葛藤かっとうである。もうひとつは患者かんじゃ自我じが防衛ぼうえい抵抗ていこう)をげることである。イド自我じが両方りょうほうとも無意識むいしきなので、ジークムント・フロイトはこの両方りょうほうふく患者かんじゃ無意識むいしきを、患者かんじゃ認識にんしきさせること目的もくてきとした。

また解釈かいしゃく治療ちりょう過程かていちゅうあらわれる転移てんい抵抗ていこうだけでなく、患者かんじゃ日常にちじょう生活せいかついてそれを治療ちりょうしゃわりにかんがえてあげたりすることふくまれる。

解釈かいしゃく成功せいこうして、患者かんじゃ無意識むいしきれるようになると、患者かんじゃいままで意識いしきされていなかった無意識むいしきてき葛藤かっとう自我じが統合とうごうして、これによって神経症しんけいしょうなおるとかんがえられた。

ワークスルー

編集へんしゅう

精神せいしん分析ぶんせきにおいては、抑圧よくあつされた葛藤かっとうたいする解釈かいしゃくおこな洞察どうさつられたのちにも、なお解釈かいしゃく対抗たいこうする抵抗ていこう反復はんぷくしてあらわれる。その抵抗ていこう克服こくふく完全かんぜん洞察どうさついたるために、解釈かいしゃく洞察どうさつ徹底的てっていてきかえして抵抗ていこうひとひと排除はいじょしていく過程かていのことをワークスルーという。ワークスルーの目標もくひょうは、洞察どうさつ一層いっそう効果こうかてきにすることであり、患者かんじゃ本能ほんのう衝動しょうどうかたち目標もくひょうえることによって、患者かんじゃにとっても意味いみふか永続えいぞくてき変化へんかをもたらすことである。ワークスルーは分析ぶんせき過程かていにおいてもっと重要じゅうよう部分ぶぶんひとつで、患者かんじゃ自身じしん自己じこ分析ぶんせき主体しゅたいとなる。

この概念がいねん転移てんいぎゃく転移てんい抵抗ていこう退行たいこうなど、分析ぶんせき過程かていしょうじる様々さまざま患者かんじゃ反応はんのう分析ぶんせき管理かんりし、それをえていくプロセスであるとこと出来できる。

また、以前いぜんは「徹底てってい操作そうさ」という訳語やくごてられていたが、この訳語やくごだと主体しゅたい分析ぶんせきになってしまう。しかし、本来ほんらい主体しゅたい患者かんじゃであるので、「徹底てってい操作そうさ」では適訳てきやくとはえない。そのため、最近さいきんではワークスルーとカタカナきすることがおおくなってきている。

治療ちりょう過程かていしょ現象げんしょう

編集へんしゅう

フロイトは治療ちりょうにおける患者かんじゃ治療ちりょうしゃあいだで、いくつかの特徴とくちょうてき現象げんしょう観察かんさつされるとしている。

フロイトは、面接めんせつ過程かていにおいて、患者かんじゃ過去かこ自分じぶんにとって重要じゅうようだった人物じんぶつおおくは両親りょうしん)にたいしてった感情かんじょうを、目前もくぜん治療ちりょうしゃたいしてけるようになるという現象げんしょういだした。これを転移てんい(Transference)という。

転移てんいは、患者かんじゃっている心理しんりてき問題もんだいふかむすびつきがあることが観察かんさつされたことから、その転移てんい出所しゅっしょ幼児ようじ性的せいてき生活せいかつ)を解釈かいしゃくすることで、治療ちりょうてき活用かつようできるとされた。転移てんい解釈かいしゃくは、精神せいしん分析ぶんせき治療ちりょう根幹こんかんとされている。

ぎゃく転移てんい

編集へんしゅう

フロイトは、治療ちりょうしゃがわ未解決みかいけつ心理しんりてき問題もんだいがあった場合ばあい治療ちりょう場面ばめんにおいて、治療ちりょうしゃ患者かんじゃたいして転移てんいこしてしまう場合ばあいがあることをいだした。これをぎゃく転移てんい(Counter Transference)という。

ぎゃく転移てんい治療ちりょう障害しょうがいになるため排除はいじょするべきものであり、治療ちりょうしゃ患者かんじゃ無意識むいしきなげうつされやすいように、白紙はくしのスクリーンにならなければならないとかんがえられた。しかし、そうした治療ちりょうしゃ中立ちゅうりつせいかんしては、弟子でしなかにも異議いぎとなえたものがおおかった(フェレンツィなど)。

現代げんだい精神せいしん分析ぶんせきでは、ぎゃく転移てんい定義ていぎはさらにひろげられ、面接めんせつちゅう治療ちりょうしゃいだ感情かんじょうすべてをふくむものになっている。そして、ぎゃく転移てんいなかには患者かんじゃがわ病理びょうりによって治療ちりょうしゃなかこされるぎゃく転移てんいもあり、そうしたぎゃく転移てんい治療ちりょうてき活用かつようできるとするかんがえが主流しゅりゅうめるようになっている。

抵抗ていこう

編集へんしゅう

心理しんりてき問題もんだい解決かいけつのために治療ちりょうしゃのもとをおとずれたにもかかわらず、患者かんじゃ治療ちりょう過程かていすすむことを無意識むいしきてきこばんでしまうことを抵抗ていこう(Resistance)もしくは治療ちりょう抵抗ていこうという。これは、無意識むいしきけることには苦痛くつうともなうため、自我じが自然しぜん無意識むいしき表出ひょうしゅつ防衛ぼうえいすることによってこるとかんがえられている。この抵抗ていこうえ、いかに無意識むいしき解明かいめいするかが、治療ちりょう過程かてい重要じゅうよう局面きょくめんとなる。

退行たいこう

編集へんしゅう

高度こうど発達はったつした精神せいしんが、以前いぜん経過けいかしてきた地点ちてん回帰かいきする現象げんしょう退行たいこう(Regression)という。

退行たいこう原因げんいんにはいろいろあるが、固着こちゃく(Fixation)とおおきな関係かんけいがあるとされている。固着こちゃくリビドー相当そうとうりょうがある発達はったつ段階だんかいのこされていること意味いみするので、固着こちゃくつよひとほど内的ないてき外的がいてき圧力あつりょく容易よういくっし、その時点じてん退行たいこうしやすくなり、それだけ自我じが脆弱ぜいじゃくだとえる。健康けんこう人間にんげんでも睡眠すいみん食事しょくじ排便はいべん入浴にゅうよくなどリラックスできるときにはかる退行たいこうきる。

健康けんこう退行たいこう病的びょうてき退行たいこうは、その固着こちゃくてんから正常せいじょう精神せいしん状態じょうたいかえこと出来できるかどうかでまる。また、面接めんせつ過程かていにおいて自然しぜん精神せいしん未熟みじゅく精神せいしん発達はったつ段階だんかい退行たいこうすることがわかっており、これを治療ちりょうてき退行たいこうび、精神せいしん分析ぶんせき治療ちりょうかせない要素ようそとなっている。治療ちりょうてき退行たいこうには患者かんじゃ平生へいぜいかんじることのない感情かんじょう衝動しょうどうられることおおい。また動物どうぶつにも退行たいこうしょうじることがられている。

基本きほん概念がいねん(フロイト定義さだよし

編集へんしゅう

理論りろん図式ずしき

編集へんしゅう
局所きょくしょろん
意識いしきぜん意識いしき無意識むいしき
構造こうぞうろん
自我じがちょう自我じがイド
心理しんり性的せいてき発達はったつ理論りろん
口唇こうしん肛門こうもん男根だんこんエディプス)、潜伏期せんぷくき性器せいき

自我じが・エス・ちょう自我じが

編集へんしゅう
 
部分ぶぶんとの関係かんけいせいふくめたしん仕組しくみを説明せつめいするさいには、氷山ひょうざん比喩ひゆがよくもちいられる

1923ねん、フロイトは『自我じがとエス』というしんてき構造こうぞうろん発表はっぴょうし、そのなかで、人間にんげん根源こんげんてきよくどう代表だいひょうするどく: Es(エス)と、よくどう満足まんぞくかんして内的ないてき規範きはんとしての機能きのうたすどく: Über-Ich和訳わやくちょう自我じが)、さらに上記じょうきふたつの葛藤かっとう調整ちょうせいし、外界がいかい現実げんじつ適応てきおうする機能きのうになドイツ: Ich和訳わやく自我じが)を定義ていぎした。

なお、これらはアメリカで1953ねんにジェイムズ・ストレイチーによりラテン語らてんご: idイド)、super-egoラテン語らてんご: egoやくされた。

フロイトはどく: Ich和訳わやく自我じが)という言葉ことばふたつの意味いみもちいた。ひとつは人格じんかく主体しゅたいとしてのどく: Ich(「わたし」)である。もうひとつは、どく: Esエス アメリカでラテン語らてんご: idとされた)・自我じがちょう自我じがというしんてき構造こうぞうろんのなかで、外的がいてき現実げんじつ適応てきおうするシステムという意味いみであり、こちらはラテン語らてんご: egoやくされる。

前者ぜんしゃの「わたし」としての自我じがは、1923ねんに『自我じがとエス』を公開こうかいするまで使つかわれていた用法ようほうであり、意識いしき思考しこうちか意味いみ使つかわれていた。しかし意識いしき無意識むいしきという対立たいりつ構造こうぞう局所きょくしょろん放棄ほうきした1923ねん以後いご無意識むいしきてき防衛ぼうえいをもふく意識いしき構造こうぞう意味いみ自我じがという言葉ことば使つかわれるようになった。

自我じが理想りそう

編集へんしゅう

フロイトは、自分じぶんもっとも「こうありたい」とおも自己じこぞう(self image)を自我じが理想りそう(ego ideal)とんだ。ちょう自我じが混同こんどうされやすいが、よくどう批判ひはんてき罪悪ざいあくかん体験たいけんさせる内在ないざいされた規範きはんちょう自我じが、この規範きはん一致いっち自分じぶんがこうあるべき姿すがたとしておもえが姿すがた自我じが理想りそうとされる。自我じが理想りそうちょう自我じが一部いちぶとして存在そんざいしている。そもそも自我じが理想りそうは、フロイトにわせれば幼少ようしょうころ完全かんぜんであった自分じぶん自身じしん反映はんえいしたものである。自我じが理想りそうたかいほど、ひとくるしむ。

なま本能ほんのう本能ほんのう

編集へんしゅう

だいいち世界せかい大戦たいせんによってヨーロッパ壊滅かいめつてき破壊はかい経験けいけんされたのを目撃もくげきしたフロイトは、なぜ人間にんげんみずからの種族しゅぞく保存ほぞん不利ふりなはずの戦争せんそうのような行為こういをおこなうのか、ということに興味きょうみった。その結論けつろんとして1920ねん、『快楽かいらく原則げんそく彼岸ひがん』(どく: Jenseits des Lustprinzips)において、それまでのせい本能ほんのう自己じこ保存ほぞん本能ほんのう二元論にげんろんから、なま本能ほんのうエロス:Eros)・本能ほんのうタナトス:Thanatos)の二元論にげんろんへと転回てんかいした。

人間にんげんふく生物せいぶつはすべて、せい本能ほんのうによっていっけん物事ものごとつくし、建設けんせつしていくかにみえるが、その深層しんそうはつねに、それをぶちこわ回帰かいきしていこうとする本能ほんのう裏打うらうちされている。人間にんげんというたねにおいては、いわゆる文明ぶんめいが、人間にんげん人間にんげんたらしめる創造そうぞう破壊はかい対象たいしょうである。

臨床りんしょうてきには、本能ほんのう反復はんぷく強迫きょうはく陰性いんせい治療ちりょう反応はんのう道徳どうとくてきマゾヒズムなどのかたちであらわれる。

この両者りょうしゃ精神せいしん分析ぶんせきがくにおいては一般いっぱんてきには性欲せいよくどう(リビドー)と攻撃こうげきせい(アグレッション)というふたつのよくどう分類ぶんるいされ、フロイトのきている時代じだいには攻撃こうげきせい重要じゅうようされていなかったが、フロイト死後しごのメラニークラインの創設そうせつした対象たいしょう関係かんけいろんにおいては対象たいしょうわる対象たいしょう議論ぎろん並行へいこうして、攻撃こうげきせいつまりよくどう非常ひじょう重視じゅうしされるようになった。

りょうあたいせい

編集へんしゅう

同一どういつ対象たいしょうたいして、愛情あいじょうにくしみなど対極たいきょくてき情緒じょうちょ態度たいどしめしんてき体験たいけんりょうあたいせい/アンビバレンス(ambivalence)という。ブロイアーいまでいう統合とうごう失調しっちょうしょう心性しんせいをあらわすかたりとしてもちいたが、フロイトは神経症しんけいしょう正常せいじょうひと情緒じょうちょのありかたにも使用しよう範囲はんいひろげ、いまでも後者こうしゃもちかた一般いっぱんしている。

精神せいしん力動りきどう

編集へんしゅう

心的しんてきちからちから葛藤かっとうがくりひろげるダイナミズムを精神せいしん力動りきどうpsychodynamics)といい、のちにアメリカで発展はってんした力動りきどう精神せいしん医学いがく基盤きばんとなった。フロイトの心的しんてき決定けっていろんによれば、正常せいじょうひと精神病せいしんびょうてきひとも、幼児ようじ成人せいじんも、みな同一どういつしんてき法則ほうそくにしたがって精神せいしん活動かつどういとなまれており、このことを精神せいしん力動りきどう連続れんぞくせい原理げんりという。

心的しんてき決定けっていろん

編集へんしゅう

フロイトの「しん現象げんしょうは、すべて無意識むいしき心的しんてき法則ほうそくにしたがっている」という主張しゅちょう心的しんてき決定けっていろん(psychic determinism)といい、これをもとに神経症しんけいしょうゆめ失錯しっさく行為こういなどの無意識むいしきなかでの意味いみあきらかにされていった。

疾病しっぺい利得りとく

編集へんしゅう

やめいであることからられる利益りえき。フロイトによれば、心的しんてき苦痛くつう回避かいひするために内的ないてき葛藤かっとう抑圧よくあつし、その結果けっか神経症しんけいしょうのような症状しょうじょう逃避とうひするだいいち疾病しっぺい利得りとく(primary gain)と、疾病しっぺいであることで周囲しゅういもの社会しゃかいから同情どうじょうなぐさめ・補償ほしょうなどをだい疾病しっぺい利得りとく(secondary gain)とにけられる。精神療法せいしんりょうほうでは、これら疾病しっぺい利得りとく由来ゆらいする抵抗ていこう解決かいけつし、患者かんじゃ自我じががふたたび現実げんじつもどれるようにすることが治療ちりょう目標もくひょうとされる。

治療ちりょうしゃ分別ふんべつ

編集へんしゅう

倫理りんりというよりも、精神せいしん分析ぶんせきという行為こういりたせる要件ようけんひとつとして、フロイトは治療ちりょう関係かんけいにおける治療ちりょうしゃ分別ふんべつどく: arztliche Diskretion)をいた。治療ちりょうしゃ中立ちゅうりつせい治療ちりょう契約けいやく遵守じゅんしゅ治療ちりょうない秘密ひみつ厳守げんしゅ患者かんじゃ私的してき願望がんぼう要求ようきゅう対象たいしょうにしないこと、患者かんじゃ治療ちりょうしゃ一定いってい禁欲きんよくたがいにまもること(禁欲きんよく規則きそく)、患者かんじゃ自発じはつせいうったえの真実しんじつせいさい優先ゆうせんすべく治療ちりょうしゃせいえい: Passivity)を維持いじすること、などがその内容ないようである。

これにたいしては、「治療ちりょうしゃ一人ひとりあいだなのだからむずかしい」「科学かがくてきでない」といった反論はんろんが、フロイトの弟子でしのあいだからも続出ぞくしゅつした。一方いっぽうでは、たとえば治療ちりょう技法ぎほうもちいれば、治療ちりょうしゃ解釈かいしゃく患者かんじゃれない場合ばあい、「それは治療ちりょう抵抗ていこうだ」「否認ひにんだ」だということによって患者かんじゃ思想しそう人生じんせいをも操作そうさ支配しはいできることになるので、この概念がいねん重要じゅうよう臨床りんしょうじょう指標しひょうとして機能きのうするものである。ただしのちフェレンツィ・シャーンドルなど積極せっきょく技法ぎほうおこなったりと、それにしたがわないひとてくるようになった。

事後じごせい

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精神せいしん分析ぶんせきてき治療ちりょうりたせる重要じゅうよう概念がいねんひとつ。

ある出来事できごと経験けいけんしたとき、まだその経験けいけん意味いみあじわうだけのしん準備じゅんびととのっていないために、そのとき同時どうじてきにはその経験けいけん意味いみ理解りかいできないことがおおい。しかしのちになって、その意味いみ咀嚼そしゃくするちからつちかわれてきて、過去かこ出来事できごと意味いみ理解りかいすることができる。これを遡行そこう作用さよう(deferred action)とぶが、これを可能かのうにしている、さかのぼって過去かこ出来事できごと意味いみ理解りかいするしん作用さよう事後じごせいどく:Nachträglichkeit)という。これなしでは、自由じゆう連想れんそうほうその過去かこ回想かいそうをおこなっても、なんら治療ちりょうてきちからにならない。

しんてき外傷がいしょう

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その個体こたい心的しんてきえられないほどの破壊はかいおかせかさねけ、そのためにしょうじた心的しんてき機能きのう破綻はたんが、ながいあいだ修復しゅうふくされることなく、その結果けっかさまざまな悪影響あくえいきょう心身しんしん色濃いろこのこ場合ばあい破壊はかいおかせかさねのもととなった出来事できごと個体こたいにとってのしんてき外傷がいしょう(トラウマ:trauma)という。

フロイトの初期しょき治療ちりょう活動かつどうでは、しんてき外傷がいしょうはおおいに注目ちゅうもくされていたが、やがて『ゆめ判断はんだん以降いこうには、「こんなに外傷がいしょうけた患者かんじゃおおいわけがない。これはクライエントの幻想げんそうである」といったふうに、フロイトのなかで外傷がいしょう概念がいねんたいする後退こうたいこった。ジャネしんてき外傷がいしょう研究けんきゅうつづけたものの、1930年代ねんだい精神せいしん医学いがくかいふくめて、そうじて心的しんてき外傷がいしょうというものを集団しゅうだん否認ひにんしている時代じだいであった。やがて、だい世界せかい大戦たいせんインドシナ戦争せんそうから帰還きかんした兵士へいしたちが戦争せんそうストレス症候群しょうこうぐん(ASD)などの症状しょうじょうていするにいたり、ふたたびしんてき外傷がいしょう研究けんきゅうおこなわれるようになっていった。

発展はってん概念がいねん(フロイト以後いご

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自我じが境界きょうかい

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フェダーンは、個々ここ体験たいけんのなかで自己じこうちそと識別しきべつする境界きょうかいせん自我じが境界きょうかいえい: ego boundary)とんだ。自我じが境界きょうかい流動的りゅうどうてきであり、その体験たいけん自我じがされるかいなかによって規定きていされ、たとえば統合とうごう失調しっちょうしょう自我じが障害しょうがいは、この自我じが境界きょうかいかた障害しょうがいであるとされる。近年きんねんでは、自我じが境界きょうかいはさらに皮膚ひふ自我じが機能きのう研究けんきゅうとしてあらたな展開てんかいげている。

自己じこあい

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フロイトは幼児ようじ発達はったつする段階だんかいにおいて存在そんざいする根源こんげんてきいちてき自己じこあいと、一度いちど発達はったつしてから退行たいこうすることによってしょうじたり、なんらかの原因げんいんによって自我じがにリビドーがもどってきてしょうじるてき自己じこあい区別くべつした。

前者ぜんしゃ自体じたいあいばれるものであり、身体しんたいかく部位ぶいにリビドーを備給する幼児ようじ段階だんかいにおいて発達はったつする。後者こうしゃ自我じが成立せいりつしてから発生はっせいするものとかんがえられており、対象たいしょうかうはずのリビドーが自我じがもどってくることによってしょうじる現象げんしょうとしてかんがえられている。

フロイトは自体じたいあい人間にんげん発達はったつにおいて必然ひつぜんてきなものとして理解りかいした。それは自己じこあい同様どうよう発達はったつにおいては必然ひつぜんてきしょうじるものであるが、成人せいじんになってからしょうじる自己じこあい病的びょうてきであるとかんがえている。

自己じこあいそもそもうつの理解りかい精神分裂病せいしんぶんれつびょう理解りかいによってとく注意深ちゅういぶかかんがえられるようになった(『とメランコリー』および『シュレーバー症例しょうれい』)。基本きほんてきにフロイトは自体じたいあい自己じこあい対象たいしょうあいという発達はったつラインをかんがえており、そのために自己じこあい病的びょうてきであり、成人せいじんした人間にんげん対象たいしょうあい、つまりリビドーが対象たいしょうかっているのが正常せいじょうであるとかんがえた。

ハインツ・コフート自己じこあい正常せいじょう発達はったつ主張しゅちょうするまでは、精神せいしん分析ぶんせきでは自己じこあい病的びょうてきなものとして理解りかいされていたきらいがある。自我じが心理しんりがくでも自己じこあい理解りかいはそのままにされていたのであり、ハインツ・コフートが自己じこあい理解りかい見直みなおすまでは以前いぜん病的びょうてきなものとして理解りかいされていた。のち自己じこあいはパーソナリティ障害しょうがい理解りかいにおいて、対象たいしょう関係かんけいろん自己じこ心理しんりがくによって非常ひじょう注目ちゅうもくされるようになる。

また、クライン学派がくはにおいては、いちてき自己じこあい概念がいねんはなく、さい早期そうきから対象たいしょう関係かんけい成立せいりつしているとかんがえられている。そして、その自己じこあい羨望せんぼうむすびつき、破壊はかいてき様相ようそうていするようになるとローゼンフェルドはべている。このことは様々さまざま苦痛くつうから防衛ぼうえいするために、高度こうど組織そしきされた自己じこ構造こうぞうとして理論りろんされていった。そのシュタイナーは自己じこあい構造こうぞうたいをさらに整理せいりし、妄想もうそう分裂ぶんれつポジションとそもそもうつポジションのあいだにあり、双方そうほう苦痛くつう回避かいひするための避難ひなんしょとしての病理びょうりてき組織そしき理論りろん展開てんかいした。病理びょうりてき組織そしきにより、嗜癖てきにその状態じょうたいにひきこもり、倒錯とうさくてき満足まんぞくなか成長せいちょうすることをさまたげるおおきな要因よういんとなると指摘してきした[2]

精神せいしん分析ぶんせきでは、しんはたらきの主体しゅたいとしての自我じが: ego)と、日常にちじょうてき経験けいけんで「自分じぶん」として意識いしきされる自己じこえい: self)を区別くべつする。

精神せいしん分析ぶんせきにおいては「自己じこ」と言葉ことばほとん使つかわれていない。フロイトの初期しょき研究けんきゅうにおいては、自我じが自己じこ同等どうとう意味合いみあいにちか使つかわれていたが、研究けんきゅうでは自己じこという言葉ことば明確めいかく自我じが区別くべつされるようになった。事実じじつフロイト自身じしんは「自己じこ」という概念がいねんにあまり注目ちゅうもくしていなかったようである。フロイトの書物しょもつでは、自己じこという言葉ことば精神せいしん分析ぶんせきにおける明確めいかく概念がいねんとしては使用しようしたことはなく、全集ぜんしゅうにはわずか15かいほどしか使つかっていないとわれている。

対象たいしょう関係かんけいろん自我じが心理しんりがくにおいて、自己じこ自我じが明確めいかくことなる「自己じこのイメージ・自己じこ表象ひょうしょう」として理解りかいされるようになる。メラニー・クラインにおいても自我じが自己じこのその意味いみ混同こんどうおこなわれており、明確めいかく区別くべつ近年きんねんになってからである。

正確せいかく自己じこ定義ていぎ上記じょうきとおりであるが、自己じこ心理しんりがくでは自己じこ定義ていぎことなる(ただし明確めいかく定義ていぎおこなわれていない)。自我じがとの区別くべつは、よくわれるちがいは、自我じが心的しんてき構造こうぞう」であり、「機能きのう」である。自己じこ自我じがの「内容ないよう」または「自分じぶんのイメージ」である。

自己じこという概念がいねん本格ほんかくてき理論りろんなかんで、その概念がいねん中心ちゅうしんにしたのは、精神せいしん分析ぶんせきがく本流ほんりゅうではなくて、むしろフロイトから離反りはんしたユングや精神せいしん分析ぶんせきがくとは関係かんけいないロジャースなどである。自我じが心理しんりがくにおいて自己じこ重要じゅうようするようになったのはエリクソンやハインツ・コフートなどの近年きんねん精神せいしん分析ぶんせきがくにおいてであるといわれている。

自己じこ同一どういつせい

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自己じこがつねに一貫いっかんした存在そんざいであるという内的ないてき体験たいけん自己じこ同一どういつせいえい: Identity)という。エリク・H・エリクソン規定きていした自己じこ同一どういつせい定義ていぎには、自分じぶんによる主観しゅかんてき自己じこという意味いみだけではなく、身分みぶん証明しょうめいしょにたとえられるような社会しゃかい他者たしゃ承認しょうにんする自己じこ、すなわち客観きゃっかんてき現実げんじつせい自己じこふくまれる。民族みんぞく家族かぞく会社かいしゃなどどこかの集団しゅうだん帰属きぞくする自己じこ、「○○としてのわたし」を統合とうごうするものは自我じが同一どういつせいえい: Ego Identity)とばれる。

よくわれるパーソナリティ(ひろえば性格せいかく)とのちがいは、自己じこ同一どういつせい(アイデンティティ)は社会しゃかいてき文化ぶんかてき性質せいしつふくんでいるものとされる。そのためエリクソンの発達はったつ理論りろんやその概念がいねんでは社会しゃかい文化ぶんかとの関係かんけいせいかせないものとなっている。

ただしこの自己じこ同一どういつせい(もしくは自我じが同一どういつせい、アイデンティティとばれるもの)はエリク・エリクソン以外いがい精神せいしん分析ぶんせき学派がくはにとって非常ひじょう定義ていぎむずかしいものとされ、またその理論りろん曖昧あいまいさや矛盾むじゅん指摘してきされている。たとえば自我じが心理しんりがくにおいては自我じが自己じこ発達はったつラインはことなるのであり、おな領域りょういきかたこと出来できない。

また同一どういつせい(アイデンティティ)という性質せいしつ自己じこにのみ適切てきせつてはめること出来できるが、自我じがにはてはめること出来できないとされている。何故なぜならば自我じが子供こどもがそれなりに成長せいちょうしたのち出来できる、基本きほんてきにあまり変形へんけいすることのないしん構造こうぞうだからである。そのようなしん構造こうぞうたいして同一どういつせいという概念がいねん導入どうにゅうすることには厳密げんみつ精神せいしん分析ぶんせき理論りろんにおいては非常ひじょう疑問ぎもんたれていることである。このように現代げんだいでは比較的ひかくてきおお使つかわれる概念がいねんであるが、その使用しようはエリク・エリクソンの精神せいしん分析ぶんせき理論りろん限定げんていされているようである。

パーソナリティ

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フロイトにおいてはイド―自我じがちょう自我じがのその構造こうぞう性質せいしつによって、とく個人こじんにおける自我じが防衛ぼうえい方法ほうほうなどによってパーソナリティという言葉ことば理解りかいされたようであるが、実際じっさいにはこの言葉ことば非常ひじょう広範こうはん意味いみっていて、精神せいしん分析ぶんせきがくでは正確せいかく定義ていぎはないとされている。広義こうぎ意味いみでは「性格せいかく」にちかいが、その性格せいかくめる要素ようそとしては、精神せいしん分析ぶんせきがくにおいては決定的けっていてきなものはない。

日本にっぽんではエリクソンの自己じこ同一どういつせいによるアイデンティティの理解りかいふかいためか、アイデンティティ=パーソナリティというかんがかたをするひとおおい。しかし精神せいしん分析ぶんせきにおいても学術がくじゅつてき研究けんきゅうにおいても、パーソナリティはアイデンティティとちが概念がいねんであり、いま確定かくていてき理解りかいにいたっていないようである。それだけこの言葉ことば意味いみ曖昧あいまいになっている。

フロイト以後いご精神せいしん分析ぶんせき発展はってん 

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狭義きょうぎには、精神せいしん分析ぶんせきはフロイト理論りろんのみをすが、広義こうぎには、フロイト理論りろんながれをくんだ様々さまざま分派ぶんぱ総称そうしょうしてす。フロイト以後いごかれ弟子でしたちはそれぞれの視点してんからフロイト理論りろん批判ひはんしつつこれを継承けいしょうし、あらたな理論りろん発展はってんさせていった。対象たいしょうとする疾患しっかんも、フロイトがおもんだ成人せいじん神経症しんけいしょうにとどまらず、子供こども老人ろうじん精神病せいしんびょう境界きょうかいれいへとひろがっていった。発達はったつ障害しょうがい精神病せいしんびょうけん患者かんじゃたいしてはその成果せいかかんばしくなかったが、境界きょうかいれいたいしてはその理解りかい飛躍ひやくてき進展しんてんさせる成果せいかをあげている。

アメリカではジェイコブソンが、1960年代ねんだい自己じこ対象たいしょう相互そうご関係かんけいにかかわる発達はったつろん展開てんかいし、自己じことはなにか、対象たいしょうはどのようにしんのなかに存在そんざいするか、などについてあきらかにしていった。同時どうじにフロイトにおける自己じこあい概念がいねん批判ひはんし、独自どくじ自己じこあいろん展開てんかいした。これは自我じが心理しんりがく対象たいしょう関係かんけいろんちがいと共通きょうつうてんあきらかにし、精神せいしん分析ぶんせき理論りろん包括ほうかつてき統合とうごうするじょうおおきな役割やくわりたした。

またハインツ・ハルトマン自我じがには自律じりつせい領域りょういきがあることや、自我じが現実げんじつへの適応てきおうかんして考察こうさつすることで、フロイトの自我じが心理しんりがく理論りろんてき精緻せいちにしていった。

フランスにおいて、ジャック・ラカンは「フロイトにかえれ」(ふつ:Le retour à Freud)というスローガンをかかげ、フロイトを構造こうぞう主義しゅぎてきなお作業さぎょうすすめ、フロイトにおける用語ようご概念がいねん言語げんご感覚かんかく特徴とくちょうなどをかしていった。

フロイト以後いご分派ぶんぱは、古典こてんてきフロイト、クライン対人たいじん関係かんけい学派がくは自我じが心理しんりがくしんフロイト対象たいしょう関係かんけいろん自己じこ心理しんりがく、パリ・フロイト代表だいひょうてきである。

フロイトの継承けいしょうしゃ

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フロイトからの離反りはんしゃ

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ユングの分析ぶんせき心理しんりがくや、アドラーの個人こじん心理しんりがくは、理論りろんじょう相違そういおおきいため、狭義きょうぎ精神せいしん分析ぶんせきには分類ぶんるいされていない。しかし、無意識むいしき存在そんざい想定そうていしていることから、深層しんそう心理しんりがく一派いっぱとして分類ぶんるいされる。

日本にっぽんでは上記じょうき自我じが心理しんりがく対象たいしょう関係かんけいろん紹介しょうかいとその研究けんきゅう中心ちゅうしんとなっておこなわれている。とくにフロイトの直属ちょくぞくながれを精神せいしん分析ぶんせき理論りろんがその紹介しょうかい中心ちゅうしんとなっている。精神せいしん病理びょうりかんしては投薬とうやく治療ちりょうによるのう精神せいしん医学いがくてきアプローチによる治療ちりょう大勢おおぜいとなっているので、精神せいしん分析ぶんせき独自どくじ発展はってんげているわけではなく、海外かいがい精神せいしん分析ぶんせき文献ぶんけん紹介しょうかいしたり、それらを吸収きゅうしゅうするのが基本きほんとなっている。

精神せいしん分析ぶんせきへの批判ひはん議論ぎろん

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有効ゆうこうせいへの批判ひはん

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ふる時代じだい精神せいしん分析ぶんせきでは、精神せいしん疾患しっかんたいする診断しんだん各国かっこく各地かくちかく個人こじんによってバラバラであった時代じだいながつづいた。したがって同一どういつ患者かんじゃが、日本にっぽんで、ドイツで、アメリカで、アフリカで、まったくべつ診断しんだんくだされるということになり、国内こくないでも東大とうだいしき診断しんだん京大きょうだいしき診断しんだんをはじめとする分裂ぶんれつした診断しんだん普通ふつうおこなわれていた(まさしくは現在げんざいもそうである)。

当然とうぜんのことながら治療ちりょう結果けっかかんする測定そくてい方法ほうほうろんあつめやでたらめであり、それらの時代じだい治療ちりょうへの肯定こうてい否定ひていも、ほとんどすべ科学かがくてき立証りっしょうとして無意味むいみなものであった。精神せいしん分析ぶんせき肯定こうていする論文ろんぶんも、否定ひていする論文ろんぶんも、ほとんどはこれらばらばらの診断しんだん基準きじゅん恣意しい治療ちりょう結果けっか測定そくてい基準きじゅんからるもので、それゆえに様々さまざま心理しんり療法りょうほうが、ことなる学派がくは心理しんり療法りょうほう専門せんもん学派がくは心理しんり療法りょうほう専門せんもん自由じゆう批判ひはんした。しかし今日きょうエビデンスベイスド理念りねんしたがえば、それらふる時代じだい肯定こうてい否定ひていてき文章ぶんしょうのどちらからも、臨床りんしょうてき効力こうりょくかんして言及げんきゅうできることは何一なにひとつない。

たとえば指導しどうてきなアメリカじん精神せいしんであるE. Fuller Torreyは、その著書ちょしょ「Witchdoctors and Psychiatrists」(1986)のなかで、精神せいしん分析ぶんせき理論りろん伝統でんとうてき土着どちゃくの「呪術じゅじゅつ」やErhard Seminars Training(EST)のようなオルタナティブな近代きんだいカルト」とどう程度ていどにしか科学かがくてき根拠こんきょがない、とべているが、1980年代ねんだいのアメリカの精神せいしん医学いがく今日きょうからみていくらか呪術じゅじゅつてきであり、今日きょう精神せいしん医学いがく後世こうせいからればずいぶん呪術じゅじゅつてきわれるであろう。ただしいまだにのう内部ないぶでの物理ぶつりてき現象げんしょうがどのように心理しんりてき具現ぐげんするかは解明かいめいされておらず、今日きょう精神せいしん医学いがく雑誌ざっしScienceにったローゼンハン実験じっけんRosenhan experiment)など仮病けびょう精神病せいしんびょう実際じっさい精神病せいしんびょう区別くべつをつけることができない状態じょうたいにあることがあきらかになっている (Rosenhan, D.L. (1973). On being sane in insane places. Science, 179, 70, pp. 250-8)。

しかしながら、エビデンスベイスド時代じだい精神せいしん分析ぶんせき有効ゆうこうせいについては、さまざまな疾患しっかんたいしての臨床りんしょう効果こうか研究けんきゅうがなされており、パーソナリティ障害しょうがいなどにたいして、RCTやメタ分析ぶんせき系統けいとうてきレビューによって、効果こうかたしかめられている(たとえば、F,Leichsenring&S,Rabung 2008やJ,Shedler 2010)。

理論りろん用語ようごへの批判ひはん

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科学かがくてき研究けんきゅうかんするサーベイがしめすところによれば、フロイトのいう口唇こうしん(oral phase)、肛門こうもん(anal phase)、エディプス(Oedipal phase)・男根だんこん(phallic phase)、性器せいき(genital phase)がパーソナリティ傾向けいこうとして観測かんそくされるものの、これらが子供こども発達はったつ段階だんかいとしてあらわれること観察かんさつできないし、子供こども時代じだい経験けいけん成人せいじんしてからの傾向けいこう影響えいきょうすること観察かんさつできない (Fisher & Greenberg, 1977, p399)。

精神せいしん分析ぶんせきがくたいする初期しょきの、だが重要じゅうよう批判ひはんとして、精神せいしん分析ぶんせきがく定量ていりょう実験じっけんにほとんどもとづいておらず、理論りろん大半たいはん病院びょういんでのケーススタディもとづいている、というものがある。 それにたいし、行動こうどう療法りょうほう認知にんち療法りょうほうといったほか心理しんり療法りょうほう実験じっけんてき妥当だとうせいをもっと考慮こうりょしている (Morley et al. 1999)。

なかには、フロイトの治療ちりょう業績ぎょうせきのいくつかは、---Anna Oの有名ゆうめい奇跡きせきすら---、捏造ねつぞうであると告発こくはつするものもいる (Borch-Jacobsen 1996)。

精神せいしん分析ぶんせきがく概念がいねん定量ていりょうてきかつ学術がくじゅつてき分析ぶんせきしている心理しんり学者がくしゃ精神せいしんなかには、このたね批判ひはんをするものがえている。

しかし、こうした発達はったつ段階だんかいたいする批判ひはんが、近代きんだい精神せいしん分析ぶんせきがくたいする決定的けっていてき批判ひはんだとおもってはならない。 近代きんだい精神せいしん分析ぶんせきがく理論りろん実践じっせんにとっての決定的けっていてき批判ひはんになりるのは、無意識むいしき感情かんじょう転移てんいたいするものである。「無意識むいしき」の概念がいねんたいする疑念ぎねんとして、人間にんげん行動こうどうなら観察かんさつできるが、人間にんげん心理しんり推測すいそくしかできない、というものがある。よく精神せいしん分析ぶんせき親密しんみつ立場たちばものは、実験じっけん心理しんりがく社会しゃかい心理しんりがく学部がくぶせい大学院生だいがくいんせいにとって無意識むいしきはホットなトピックである(ようやくホットなトピックになってきた。いついてきた)と表現ひょうげんし、どうやらそれは、implicit attitude measures、fMRI、PET scansなどのindirect testのことを「無意識むいしき」の研究けんきゅうだと勘違かんちがいしているようだが、それはつまり本人ほんにんたちが無意識むいしき理解りかいしていないということの表現ひょうげんとして、実験じっけん心理しんり学者がくしゃ社会しゃかい心理しんり学者がくしゃたまご理解りかいされている。

ひど歪曲わいきょくする精神せいしん分析ぶんせき厳格げんかく行動こうどう主義しゅぎしゃの、古典こてんてき条件じょうけんけのもととなる系統けいとう発生はっせいてき随伴ずいはんせいをも無意識むいしきえて行動こうどう主義しゅぎしゃ顰蹙ひんしゅくっていたり、近年きんねん莫大ばくだい神経しんけい科学かがく成果せいかを、精神せいしん分析ぶんせきがく理論りろんにそったかたち歪曲わいきょくすることで、精神せいしん分析ぶんせきがく時代遅じだいおくれのものにするまいと努力どりょくしたが、徒労とろうわった。

ポパーの科学かがく哲学てつがくからの批判ひはん

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科学かがく哲学てつがくものカール・ポパーは、反証はんしょう可能かのうせいつかどうかを「しん科学かがく」であるかどうかを見分みわける基準きじゅんとして提唱ていしょうしており、それかれ精神せいしん分析ぶんせきがく科学かがくではなくて疑似ぎじ科学かがくぎないとだんじた。ポパーのいう科学かがく理論りろんとは、それがあやまっていることが検証けんしょうできる理論りろんすなわちそれを反証はんしょうすることができる理論りろんのことである。その意味いみではたとえば特定とくてい恋人こいびと関係かんけい理論りろんれい浮気うわきかったこと)が明確めいかく反証はんしょうれい第三者だいさんしゃとの性交せいこうという事実じじつ)できるのであればポパーてきには科学かがくである。

ポパーら科学かがく哲学てつがくおよび自然しぜん科学かがくしゃ問題もんだいにしているのは、データを数値すうちできるかどうかではなく、精神せいしん分析ぶんせき理論りろん批判ひはん可能かのうせいひらかれており経験けいけんらしてみずからがあやまっている可能かのうせいみとめる余地よちゆうしているかか、である。しんてき現象げんしょう物理ぶつりてき現象げんしょうことなったしんてき法則ほうそくによって決定けっていされているという精神せいしん分析ぶんせき主張しゅちょうは、ともすると物理ぶつりてき領域りょういきからのしんてき領域りょういき独立どくりつうったえて経験けいけんてき反駁はんばく最初さいしょから不可能ふかのうにする傾向けいこうびやすい。フロイトが見出みいだしたと主張しゅちょうするようなしんてき法則ほうそくは、どのような観察かんさつられたときに、やはりあやまっていたのだ、と結論けつろんけられるのだろうか。そしてそのように判断はんだんする原理げんりてき基準きじゅんはどのようなものか。これらに精神せいしん分析ぶんせきこたえをあたえられないかぎり、ポパーの科学かがく哲学てつがくからは、精神せいしん分析ぶんせき科学かがくとはみとめられない。

むろん、医学いがくてき重要じゅうようなのは精神病せいしんびょう明確めいかく治療ちりょうされたとの確定かくてい存在そんざいするのか、であるだろう。これは精神せいしん分析ぶんせき精神せいしん疾病しっぺいたいする治療ちりょう効果こうかゆうする、という精神せいしん分析ぶんせき根幹こんかんてき主張しゅちょう反駁はんばくひらかれているかをけっする重大じゅうだい基準きじゅんである。もし、それが曖昧あいまいであれば、常識じょうしきてきには疾病しっぺい治癒ちゆしたとはなしえない場合ばあいでも「精神せいしん分析ぶんせきてき観点かんてんからは立派りっぱ治癒ちゆした結果けっかである」という主張しゅちょうとおりかねない。これは精神せいしん分析ぶんせき科学かがくせい当然とうぜんあやうくする、とされる。

もっとも、いかに反証はんしょう可能かのうせい科学かがくにとって重要じゅうよう特徴とくちょうであるとしても、科学かがく疑似ぎじ科学かがく差異さい段階だんかいてきなものであるため、近代きんだい科学かがく哲学てつがくしゃおおくは科学かがく科学かがく絶対ぜったいてき線引せんひきすること不可能ふかのうだとかんがえており、たとえばデュエムクワインは「ある仮説かせつ反証はんしょうする決定的けっていてき実験じっけんなどはそもそも存在そんざいしない」と主張しゅちょうしている(デュエム-クワイン・テーゼ)。ただし、ポパーはこのテーゼにたいするさい反論はんろんおこなっているし、明確めいかく線引せんひきが不可能ふかのうである(どちらともけっしがたい境界きょうかい事例じれいがある)ということは、あきらかに疑似ぎじ科学かがくでしかない理論りろんがあるということを否定ひていするものではまったくない。このような観点かんてんから科学かがく哲学てつがくしゃおおくは精神せいしん分析ぶんせき懐疑かいぎてきである。

のう科学かがくからの批判ひはん

編集へんしゅう

近年きんねんのう科学かがく劇的げきてき進歩しんぽしたため、精神せいしん医学いがくのうによる説明せつめいもとめられるようになったが、精神せいしん医学いがく経験けいけんそく現象げんしょうがくてきかんがえからっているうえのう科学かがく自体じたい発展はってん途上とじょうにあるという事情じじょうもあり、いま説明せつめい十分じゅうぶんでない。精神せいしん分析ぶんせき用語ようごにはのう科学かがくてき妥当だとうせいつものはすくなく、無理むり認知にんち心理しんりがくなどの用語ようごえる場合ばあいもあるが、それも不可能ふかのうであるケースがおおい。

1950年代ねんだいから精神せいしん分析ぶんせきではのう精神せいしん医学いがくとの見地けんち統合とうごうした精神せいしん分析ぶんせきてき理解りかい提示ていじしている。そこではとくにリビドーろん本能ほんのう欲求よっきゅうろん否定ひていされており、のうにおいては電気でんき信号しんごう発信はっしんするのみでエネルギーは移動いどうしないとしている。また意識いしき思考しこう同意どういではなく、フロイトのげた1900年代ねんだい様々さまざま生物せいぶつがくてき論文ろんぶん内容ないようはかなり現在げんざいでは否定ひていてきられている。そのためのう科学かがくなどの実験じっけん心理しんりがくてき立場たちばからすると、フロイトの理論りろんしんてき構造こうぞうろんやリビドー理論りろんはほぼ仮説かせつであり、検証けんしょう不可能ふかのうなものとして理解りかいされている。

フロイト自身じしん様々さまざま生物せいぶつがくてき見地けんちからもとづく論文ろんぶん脳神経のうしんけい医学いがくもとづく論文ろんぶん引用いんようして、自身じしん精神せいしん分析ぶんせき学理がくりろん妥当だとうせい主張しゅちょうしていたために、当時とうじとしては科学かがくてきられる部分ぶぶんもあったが、現代げんだいものからればそのおおくのてん間違まちがっていたり、まったのう精神せいしん医学いがくからの科学かがくてき研究けんきゅう基礎きそいままに展開てんかいされていた理論りろん多数たすうであったとかんがえられている。その代表だいひょうれいとしてはユングの無意識むいしき理論りろんであり、あれはほとんど人文じんぶんがく研究けんきゅうちかいとわれており、のう科学かがくからの検証けんしょう不可能ふかのうである。ただしもちろん近年きんねんちかづくにつれて精神せいしん分析ぶんせきがくのう精神せいしん医学いがく様々さまざま科学かがくてき見地けんち歩調ほちょうわせながら理論りろんかんがえるようになっている。

精神せいしん分析ぶんせきによる人類じんるいがく民俗みんぞくがく研究けんきゅうへの批判ひはん

編集へんしゅう

精神せいしん分析ぶんせき医学いがく以外いがい分野ぶんや応用おうようしたさい精神せいしん分析ぶんせきあやまりが露呈ろていしてしまうことがある。

たとえばフロイト自身じしんが『トーテムとタブー』という宗教しゅうきょう起源きげんろんじたほんいたが、リヴァース[よう曖昧あいまい回避かいひ]ボアズクローバーマリノフスキーシュミット、そしてレヴィ=ストロースといった人類じんるい学者がくしゃいたるはこれを馬鹿ばかげてると公言こうげんしてはばからなかったし、権威けんいある宗教しゅうきょう学者がくしゃエリアーデによると、このほん研究けんきゅうしょというよりも「におえないゴシップ小説しょうせつ」で、かれていることも「気違きちがいじみた仮説かせつ」にすぎないとだんじた(『オカルティズム・魔術まじゅつ文化ぶんか流行りゅうこう』、ミルチア・エリアーデ)。また、フロイト自身じしんもこのほん主張しゅちょうしたことが憶測おくそくにすぎないことを自覚じかくしていた[3]

また精神せいしん分析ぶんせき学者がくしゃエーリヒ・フロムブルーノ・ベッテルハイムひとしは『あかずきん』をはじめとしたメルヘンんで精神せいしん分析ぶんせきてき解釈かいしゃくをし、民間みんかん伝承でんしょう民俗みんぞくがくかんして様々さまざま考察こうさつをしたが、これらは間違まちがったものがおおかった。

なぜなら今日きょうられている『あかずきん』のはなし内容ないようおおくはシャルル・ペロー創作そうさくしたものであって歴史れきしあさいので、それをんでも民俗みんぞくがくてき知識ちしきられるはずがなかったのである。たとえば『あかずきん』にてくるずきんのあかさをフロムは「月経げっけい」、ベッテルハイムは「荒々あらあらしい性的せいてき衝動しょうどう」と解釈かいしゃくしたが、ずきんをあかくしたのはペローのアイデアであった。

また相互そうご矛盾むじゅんした解釈かいしゃくおおく、『白雪姫しらゆきひめ』のなか白雪姫しらゆきひめのがした狩人かりゅうどはベッテルハイムによれば「エディプス少女しょうじょにとっての理想りそうてき父親ちちおやぞう」であったが、ビルクボイザーによれば「女性じょせい心中しんちゅうのにある男性だんせいてき性質せいしつ」であったし、ななにん小人こどもはベッテルハイムによれば「白雪姫しらゆきひめという太陽たいようまわりをまわるななつの惑星わくせい」であるが、ビルクボイザーによれば小人こどもたちは「ふかみにかくれた財宝ざいほう(=王子おうじ)をさが創造そうぞうてき行為こうい」の象徴しょうちょうであった。

メルヘン学者がくしゃロバート・ダーントンかれらを批判ひはんし、「精神せいしん分析ぶんせき学者がくしゃのフロム存在そんざいしない象徴しょうちょうちょう人的じんてき敏感びんかんさでぎとって、架空かくう精神せいしん世界せかい我々われわれみちびこうとした」とべた(参考さんこう鈴木すずきあきら『グリム童話どうわ』。ダーントンの言葉ことばはこのほんから引用いんよう。)。

さらに、フロイトの継承けいしょうしゃ自称じしょうし、ポストモダニズム思想家しそうかとしてもられるジャック・ラカンは、数学すうがく概念がいねんであるトポロジー神経症しんけいしょう関連かんれんづけ、また、虚数きょすう無理むりすう混同こんどうするなどした。このため、それらをまったくのデタラメであるとして、物理ぶつり学者がくしゃアラン・ソーカルから批判ひはんされた(ソーカル事件じけん参照さんしょう)。

記憶きおく論争ろんそう

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1980ねんごろにアメリカでは、催眠さいみんなどをもちいた回復かいふく記憶きおくセラピーにより、いつわりの性的せいてき虐待ぎゃくたい記憶きおく虚偽きょぎ記憶きおく/false memory)をけられ、家族かぞく関係かんけい崩壊ほうかいし、それにくわえて甚大じんだい精神せいしんてき苦痛くつうけたとして、おおくのセラピストカウンセラーうったえられ敗訴はいそした。

これは精神せいしん分析ぶんせきへの批判ひはんというよりも、フロイト初期しょき理論りろん援用えんようした心理しんり療法りょうほうへの批判ひはんである。しかし当時とうじにおいては実際じっさいおおくのひと記憶きおく回復かいふくによって「性的せいてき虐待ぎゃくたいをされた!」とおや非難ひなんしたり、またそれによって家族かぞく崩壊ほうかいするようなこと続発ぞくはつしたため、精神せいしん分析ぶんせき自体じたいたいする批判ひはんへとつながった。ただし法廷ほうていなかそとでは、この記憶きおく戦争せんそう(Memory War)にたいする評価ひょうかおおきくことなっている(参照さんしょう:過誤かご記憶きおく)。

人文じんぶんがくてき一般いっぱん教養きょうようとしての精神せいしん分析ぶんせき

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臨床りんしょう療法りょうほうとしての精神せいしん分析ぶんせきは、現在げんざいでは医学いがく世界せかいではひろ支持しじているとはえない。

一方いっぽうで、思想しそうとしての精神せいしん分析ぶんせき理論りろんおもに、精神せいしん医学いがく現状げんじょうをキャッチアップできていない文化ぶんかけい批評ひひょうからは、いまだに引用いんようされている。

そのことに注目ちゅうもくした現代げんだい哲学てつがくしゃミシェル・フーコーなどは精神せいしん分析ぶんせき純粋じゅんすい学問がくもんとはいえない一種いっしゅリベラル・アート(liberal art=教養きょうよう)のようなものととらえるべきだと主張しゅちょうしている。[よう出典しゅってん]

現在げんざい精神せいしん分析ぶんせき

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科学かがくてき心理しんりがく精神せいしん分析ぶんせき統合とうごう

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近年きんねんにおいてはフロイトの創設そうせつした精神せいしん分析ぶんせきもかなりよそおいをえ、かなり多量たりょう科学かがくてき心理しんりがくのう科学かがくからの見地けんちれている。精神せいしん分析ぶんせきがく――とくにフロイトのかんがえた理論りろんなどはかなり科学かがくてきなものであり、個人こじんてき主張しゅちょうわらないとする部分ぶぶんおおきい。しかし現在げんざいもその理論りろん有効ゆうこうせい一部いちぶれられているのもある。その代表だいひょうれい心的しんてき葛藤かっとう心的しんてき外傷がいしょうなどであり、これは臨床りんしょう心理しんりがくおおきな見方みかたをもたらした。

現在げんざい精神せいしん分析ぶんせきはほぼ実験じっけん心理しんりがくおなじような見地けんちちかづきつつある。それは臨床りんしょう観察かんさつ経験けいけんからデータを蓄積ちくせきし、それを提示ていじするというものである。つね検証けんしょう出来できるようにそのデータやそれからられた一般いっぱんてき見解けんかいはいつでも反証はんしょうできるようになっている。また精神せいしん分析ぶんせき基本きほんてき臨床りんしょうでの経験けいけんからられた治癒ちゆ理論りろんであるというてんで、基礎きそ概念がいねんからなる理論りろん完全かんぜんせいのみをかた哲学てつがくなどの人文じんぶん科学かがくとはちがことから、近年きんねんでは科学かがくてき検証けんしょう態度たいどたもちながらも、もっと重要じゅうようてん――患者かんじゃ治療ちりょうすること出来でき理論りろんとしてさらに研究けんきゅう発展はってんつづけている。

臨床りんしょうでの利用りよう

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精神せいしん分析ぶんせき擁護ようご斎藤さいとうたまきは、「いまや精神せいしん分析ぶんせきは、効果こうかうたがわしい過去かこ治療ちりょうほうとして...緩慢かんまんむかえつつある」とべている。[4]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b ハンス・アイゼンク しる, 宮内みやうちまさる ほかやく精神せいしん分析ぶんせきわかれをげよう―フロイト帝国ていこく衰退すいたい没落ぼつらく批評社ひひょうしゃ、1998ねん5がつ ISBN 4826502281
  2. ^ ナルシシズムの導入どうにゅうにむけて(1914)
  3. ^ しまそのすすむ宗教しゅうきょうがく名著めいちょ30』120ぺーじちくま新書しんしょ、2008ねん
  4. ^ 朝日新聞あさひしんぶん2010ねん9がつ19にち書評しょひょうらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • エリザベス・ロフタス&ケッチャム『抑圧よくあつされた記憶きおく神話しんわ:いつわりの性的せいてき虐待ぎゃくたい記憶きおくをめぐって』なか真紀子まきこやくまことしん書房しょぼう、2000ねんISBN 4414302900
  • 北山きたやまおさむ精神せいしん分析ぶんせき理論りろん臨床りんしょうまことしん書房しょぼう、2001ねんISBN 441440200X
  • 小此木おこのぎ啓吾けいご現代げんだい精神せいしん分析ぶんせき基礎きそ理論りろん (精神せいしん医学いがく叢書そうしょ)』弘文こうぶんどう、1985ねんISBN 433565054X
  • 小此木おこのぎ啓吾けいご精神せいしん分析ぶんせき成立なりたちと発展はってん (精神せいしん医学いがく叢書そうしょ)』弘文こうぶんどう、1985ねんISBN 4335650531
  • Jonathan K. Shedler (2010). “The efficacy of psychodynamic psychotherapy,” American Psychologist, 65(2), pp. 98-109.
  • トリグベ・ブラトイ『精神せいしん分析ぶんせき技法ぎほう基礎きそ (現代げんだい精神せいしん分析ぶんせき双書そうしょ)』岩崎いわさき学術がくじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1971ねんASIN B000JA22DY
  • 馬場ばば礼子あやこ精神せいしん分析ぶんせきてき心理しんり療法りょうほう実践じっせん:クライエントに出会であまえに』岩崎いわさき学術がくじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1999ねんISBN 4753399060
  • ハンス・アイゼンク精神せいしん分析ぶんせきわかれをげよう:フロイト帝国ていこく衰退すいたい没落ぼつらく批評社ひひょうしゃ、1998ねんISBN 4826502281
  • Falk Leichsenring and Eric Leibing (2003). “The effectiveness of psychodynamic therapy and cognitive behavior therapy in the treatment of personality disorders: a meta-analysis,” American Journal of Psychiatry, 160, pp. 1223-1232.
  • Falk Leichsenring and Sven Rabung (2008). “Effectiveness long-term psychodynamic psychotherapy a meta-analysis,” JAMA, 300(13), pp. 1551-1565.
  • 古川ふるかわことぶきあきら『エビデンス精神せいしん医療いりょう:EBPの基礎きそから臨床りんしょうまで』医学書院いがくしょいん、2000ねんISBN 4260118498
  • ポール・リクール『フロイトをむ:解釈かいしゃくがく試論しろんしん曜社、1982ねんASIN B000J7QM0Q
  • ロルフ・デーゲン『フロイト先生せんせいのウソ』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2003ねんISBN 4167651300
  • 矢幡やはたひろしあぶない精神せいしん分析ぶんせき:マインドハッカーたちの詐術さじゅつ亜紀あき書房しょぼう、2003ねんISBN 4750503045

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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  1. ^ "前身ぜんしんは ... 国際こくさい精神せいしん分析ぶんせき学会がっかい仙台せんだい支部しぶ東京とうきょう支部しぶ ... 日本にっぽん精神せいしん分析ぶんせき協会きょうかいは、フロイトが創始そうしした国際こくさい精神せいしん分析ぶんせき学会がっかい認定にんていされているわがくに唯一ゆいいつ精神せいしん分析ぶんせき組織そしきとして活動かつどうつづけています。" 日本にっぽん精神せいしん分析ぶんせき協会きょうかい. わたしたちについて. 日本にっぽん精神せいしん分析ぶんせき協会きょうかいホームページ. 2024-03-16閲覧えつらん.
  2. ^ "ほん学会がっかい設立せつりつ当初とうしょ国際こくさい精神せいしん分析ぶんせき協会きょうかい ... の日本にっぽん支部しぶ機能きのうももっていましたが、1980年代ねんだいにこの日本にっぽん支部しぶ学会がっかいから独立どくりつして日本にっぽん精神せいしん分析ぶんせき協会きょうかい組織そしきしました。 ... わたしたちの日本にっぽん精神せいしん分析ぶんせき学会がっかいという学術がくじゅつ組織そしきのありかた日本にっぽん独自どくじのものです。それは、精神せいしん分析ぶんせきかんがかた基盤きばんとして多様たよう臨床りんしょう活動かつどう実践じっせんしている臨床りんしょうあつまりです。" 鈴木すずき. (2024). 会長かいちょう挨拶あいさつ. 日本にっぽん精神せいしん分析ぶんせき学会がっかいホームページ. 2024-03-16閲覧えつらん.