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心 - Wikipedia

しん(こころ)は、非常ひじょう多義たぎてき抽象ちゅうしょうてき概念がいねんであり文脈ぶんみゃくおうじて多様たよう意味いみをもつ言葉ことばであり、人間にんげん(やもの)の精神せいしんてき作用さようや、それのもとになるものなどをし、感情かんじょう意志いし知識ちしきおもいやり[注釈ちゅうしゃく 1]じょうなどをふくみつつしている。

多義たぎてき用法ようほう 編集へんしゅう

"しん"のひろがりは、ふかく、ひろく、 かんじるままに、おもうがままに、 哲学てつがくうみ心理しんりもりたびする。 広辞苑こうじえん以下いかのようなものをげている。

おもむき、趣向しゅこう意味いみもの中心ちゅうしんひとし

概説がいせつ 編集へんしゅう

歴史れきし概観がいかん 編集へんしゅう

古代こだい中国ちゅうごくでは、しん心臓しんぞうはらむね宿やどっているとかんがえられていた[1]旧約きゅうやく聖書せいしょではしん相当そうとうするかたりとしてはヘブライlebがもちいられ、旧約きゅうやくがギリシャ翻訳ほんやくされることになったとき、ギリシャ心臓しんぞう意味いみする「kardia」がえらばれ[1]、それはひろまった。 古代こだいギリシャアリストテレス自著じちょペリ・プシュケース』において[注釈ちゅうしゃく 2]プシュケー、すなわちこころやたましいいのちについてろんじた。しんをモノのひとつの性質せいしつわざかんがえ「モノのだいいちの"エンテレケイア"」とび、こころとからだはひとつであり、分離ぶんりできるようなものではない、とした。

東洋とうようではりく象山ぞうさんが「宇宙うちゅう便びんしんしんすなわちこれ宇宙うちゅう」また「しんすなわなり」として、「こころそく」の宇宙うちゅうやそれと一体化いったいかした本心ほんしん内観ないかんによって把握はあくしようとした。天台宗てんだいしゅうは、しんには地獄じごくかい餓鬼がきかい畜生ちくしょうかい修羅しゅらかい人界じんかい天界てんかい声聞しょうもんかいえんさとしかい菩薩ぼさつかい仏界ぶっかいがあるとした。これをじゅうかいろんう。(→東洋とうようにおけるしん理解りかい

17世紀せいき自然しぜん哲学てつがくしゃデカルトは「しんしんものもの」と完全かんぜん分断ぶんだんする論法ろんぽう(「デカルト二元論にげんろん」)を展開てんかいした。(→しん哲学てつがく参照さんしょう

またしゅとして存在そんざいろんてき観点かんてんについては、現在げんざいでも「しん哲学てつがく」という分野ぶんや様々さまざま議論ぎろんおこなわれており、様々さまざま立場たちばがある。(詳細しょうさいについてはしん哲学てつがく参照さんしょうのこと。)

現代げんだいでも世界せかい人々ひとびと大半たいはんは「しん」と場合ばあい人間にんげん人間にんげんらしく振舞ふるまわせること可能かのうにしているなにか、を想定そうていしている。

西洋せいようにおけるしん理解りかい 編集へんしゅう

聖書せいしょ 編集へんしゅう

聖書せいしょ旧約きゅうやく聖書せいしょ)におけるleb[注釈ちゅうしゃく 3](eのおとながく、レーブ)というヘブライは、日本語にほんごの「しん」に一致いっちしているてんおお[1]。イスラエルじんにとっても、lebは心臓しんぞう意味いみするだけでなく、感情かんじょう記憶きおく[2]かんがえ、判断はんだん[3]などのとされた。旧約きゅうやく聖書せいしょがギリシャ翻訳ほんやくされることになったとき、このlebの訳語やくごに、ギリシャ心臓しんぞう意味いみする「kardia」がてられた[1]。こうして、kardiaはヘブライlebの意味いみかついつつ 新約しんやく聖書せいしょひろ意味いみあたえられることになった[1]しん容姿ようしなどと対比たいひされる人間にんげん内面ないめんせいすべてをふくみ、人格じんかく全体ぜんたいあらわしたり、とく人間にんげん良心りょうしん、あるいは、かみ人間にんげんかかわる人間にんげん宗教しゅうきょうてき態度たいどまる[4]、として登場とうじょうする[1]。なお、すく旧約きゅうやくの『エゼキエルしょ』において「あたらしいしん」の授与じゅよとして約束やくそくされていた[5][1]とされる。

西洋せいよう哲学てつがく 編集へんしゅう

西洋せいよう哲学てつがくでもしんあつかってきた。

ギリシャのpsyche プシュケーはもともとはいき意味いみしている[1]。そのpsycheがやがてしんたましい意味いみするようになり、また《うごちから》や《生命せいめいりょく》なども意味いみするようになった[1]

しんはどこにあるのか」という疑問ぎもんについてえば、バビロニアでは肝臓かんぞうにあるとするせつがあり、ヒポクラテスしんのうにあるとし、プラトンのう脊髄せきずいにこころが宿やどっているとかんがえた[1]アリストテレス心臓しんぞうにそれをもとめ、そのかんがえは中世ちゅうせいいたるまで人々ひとびと影響えいきょうあたえた[1]。そのこころはのうしつにあるとかんがえられるようになり17世紀せいきまで人々ひとびとから支持しじされるようになったという[1]

カントメルロ・ポンティによる現象げんしょうがく、またヴィトゲンシュタイン言語げんご分析ぶんせきなどが、しん身体しんたいかんする哲学てつがくてきしん領域りょういき開拓かいたくした[1]。また、ロックヒュームコンディヤックらの哲学てつがくてき考察こうさつが、時代じだいて、やがて《しんがく》としての心理しんりがくへとつながってゆくことになった[1]

最近さいきんでもしんめぐってさかんに哲学てつがくてき議論ぎろんおこなわれている。その領域りょういきしん哲学てつがくという。

心理しんりがく 編集へんしゅう

現代げんだいにおいて、ひとしんはたらきを研究けんきゅうする学問がくもんのひとつに心理しんりがくがあり、初期しょき内観ないかんからはじまった。古典こてんてきせつをいくつか紹介しょうかいすると、ジークムント・フロイトは「しんでは抑圧よくあつされた願望がんぼう意識いしきのなかにまれないように様々さまざま心理しんりせいはたらきをりようとしている」ととらえ、しん範囲はんい無意識むいしきにまで拡大かくだいし、自由じゆう連想れんそうほう体系たいけいし、かれ治療ちりょうほう精神せいしん分析ぶんせき名付なづけた[1]カール・グスタフ・ユング個人こじんてき無意識むいしき集団しゅうだんてき無意識むいしきがあるとし、後者こうしゃすべての人間にんげん共通きょうつうのものとして人々ひとびと人格じんかく基礎きそつたわるものだ、とした[1]。こうして人間にんげんしん次第しだい多層たそうてき理解りかいされるようになった[1]現代げんだい心理しんりがくでは、以上いじょうのような古典こてんてきせつとはことなった観点かんてんで、ひと反応はんのう厳密げんみつ統計とうけいてき手法しゅほう解析かいせきしてもいる。様々さまざま手法しゅほうがある。

東洋とうようにおけるしん理解りかい 編集へんしゅう

心学しんがく 編集へんしゅう

中国ちゅうごくではりく象山ぞうさんおう陽明ようめいらが心学しんがく樹立じゅりつした。

りく象山ぞうさんは「宇宙うちゅう便びんしんしんすなわちこれ宇宙うちゅう」とべ、また「しんすなわなり」として、「こころそく」の宇宙うちゅうやそれと一体化いったいかした本心ほんしん内観ないかんによって把握はあくしようとした。

おう陽明ようめいは、しんによって発現はつげんする、とした。これは、それまで朱子学しゅしがくではというものが客観きゃっかんてき存在そんざいするとしていたのにたいしてこととなえたのである。しん能動のうどうてき主体しゅたいてきはつよう主張しゅちょうする内容ないようであったため、陽明学ようめいがく心学しんがくばれるようになった。

もともと中国ちゅうごくでは「心学しんがく」というかたりは、中国ちゅうごく仏教ぶっきょうにおける戒学・心学しんがくとしがくという分類ぶんるい用語ようごとしてもちいられてはいたが、陽明学ようめいがく登場とうじょうしてからは「心学しんがく」はもっぱら陽明学ようめいがくすようになった。

仏教ぶっきょう哲学てつがく 編集へんしゅう

東洋とうようでは、しんのありかたをもとめたりしんのしくみを把握はあくしているものに仏教ぶっきょう仏教ぶっきょう心理しんりがく仏教ぶっきょう哲学てつがく)がある。

仏教ぶっきょうとく大乗だいじょう仏教ぶっきょうでは、慈悲じひ智慧ちえならんで中心ちゅうしんてきなテーマとなっている。慈悲じひ初期しょき仏教ぶっきょうにおいてすでにかれていた。最古さいこ仏典ぶってんのひとつとされる『スッタニパータ』にも慈悲じひしょうがあるのである。

あたかもははおのれひとをば身命しんめいけてまもように、一切いっさいきとしいけるものたいしても、無量むりょういつくしみのこころこすべし。ぜん世界せかいたいして無量むりょういつくしみのしんこすべし(『スッタニパータ[6][7]

仏教ぶっきょうにおいては、「世界せかい実相じっそう」(勝義まさよしたい)を構成こうせいするほう(ダルマ、ダンマ)として、「いろほう」などとともに、「しんほう」「しんしょほう」の分析ぶんせきすすめられた。今日きょう、その分析ぶんせきろんは、「分別ふんべつせつ」・みなみでん上座かみざ仏教ぶっきょう」の170ほう、「せつ一切いっさいゆう」の75ほう、その影響えいきょうけた大乗だいじょう仏教ぶっきょう唯識ゆいしき」やそのひがしアジア後継こうけいである「法相ほうしょうむね」の100ほうなどとしてつたわっている。

日本にっぽんでは、空海くうかいは『秘密ひみつ曼荼羅まんだらじゅうじゅうしんろん』において、しん段階だんかいを10のそうけて、最後さいご密教みっきょうてき境地きょうちへのさとふかまる道筋みちすじいた。

天台宗てんだいしゅうでは、しんには地獄じごくかい餓鬼がきかい畜生ちくしょうかい修羅しゅらかい人界じんかい天界てんかい声聞しょうもんかいえんさとしかい菩薩ぼさつかい仏界ぶっかいがあるとする。これをじゅうかいろんう。日蓮にちれんは、ひとりのひとしんじゅうかい同時どうじそなわっているといた。

しんのう身体しんたい 編集へんしゅう

近年きんねん[いつ?]神経しんけい科学かがくものらは、しん状態じょうたいのう物理ぶつりてき状態じょうたい密接みっせつ関連かんれんがある、とかんがえている。たとえばのうないかく部位ぶい機能きのうとの関連かんれんれいブローカ視覚しかく)、神経しんけい伝達でんたつ物質ぶっしつ気分きぶんとの関連かんれんれいドーパミンエンドルフィン)などが次々つぎつぎ発表はっぴょうされている。

ただし最近さいきんでは、アントニオ・ダマシオらによって、のうだけで説明せつめいしようとする理論りろんでは不十分ふじゅうぶんなところがあり、のうくわえて身体しんたいまでふくめた総体そうたいのダイナミックな相互そうご作用さよう意識いしきしんという現象げんしょうつくしているとすべきだ、と指摘してきされるようになっている[8]

ただのうろんえる近年きんねんしょ見解けんかい 編集へんしゅう

ロジャー・ペンローズ スチュアート・ハメロフ
ケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく数学すうがくしゃロジャー・ペンローズアリゾナ大学だいがくスチュワート・ハメロフは、意識いしきなんらかの量子りょうし過程かていからしょうじてくると推測すいそくしている。ペンローズらの「Orch OR 理論りろん」によれば、意識いしきニューロン単位たんいとしてしょうじてくるのではなく、微小びしょうかんばれる量子りょうし過程かていこりやすい構造こうぞうからしょうじる。この理論りろんたいしては、現在げんざいでは懐疑かいぎてきかんがえられているが生物せいぶつがくじょう様々さまざま現象げんしょう量子りょうしろん応用おうようすることで説明せつめい可能かのうてんからすこしずつ立証りっしょうされていて20ねんまえからとなえられてきたこのせつ根本こんぽんてき否定ひていできたひとはいないとハメロフは主張しゅちょうしている[9]
臨死りんし体験たいけん関連かんれんせいについて以下いかのように推測すいそくしている。「のうまれる意識いしき宇宙うちゅう世界せかいまれる素粒子そりゅうしよりちいさい物質ぶっしつであり、重力じゅうりょく空間くうかん時間じかんにとわれない性質せいしつつため、通常つうじょうのうおさまっている」が「体験たいけんしゃ心臓しんぞうまると、意識いしきのうから拡散かくさんする。そこで体験たいけんしゃ蘇生そせいした場合ばあい意識いしきのうもどり、体験たいけんしゃ蘇生そせいしなければ意識いしき情報じょうほう宇宙うちゅうつづける」あるいは「べつ生命せいめいたいむすいてまれわるのかもしれない。」とべている[9]

しん意志いし 編集へんしゅう

「こころ」は、意思いしなどが「宿やどなにか」だけでなく、意思いしてき作用さようそのものをすこともある。「しんぐ」などと表現ひょうげんする。 現代げんだいふうたとえるならば、PCのハードではなく、ソフトウェアしている、とでも表現ひょうげんできよう。ソフトウェアはPCからPCへと自在じざいうつりながらはたらいてゆく。見方みかたによっては、ソフトウェアのほうが主体しゅたいで、ひとつひとつのPCはただのものにすぎない、ともえる。おなじように、「こころ」がそれ自体じたいひとつの"きもの"であり、人間にんげんはそれをっているうつわという発想はっそうもある。

チャールズ・サンダース・パースは「人間にんげん記号きごうろん」において、「ことば」そのものが独自どくじのいのちをっており、成長せいちょうし、増殖ぞうしょく衰退すいたいもするのであり、人間にんげん集団しゅうだんはその「ことば」の"interpretant"(解釈かいしゃくたい)としてのめんがあることを指摘してきしている。

これは伝統でんとうてきに、カトリック教会きょうかいにおいて「教会きょうかいイエス・キリストのからだ」としばしば表現ひょうげんされることにもつうそこしている。ここでいう「教会きょうかい」とは建物たてもののことではなく「信者しんじゃ集団しゅうだん」のことである。イエス(の意思いしアガペー)が「こころ」であり、信者しんじゃひとりひとりがその「からだ」ということである。

しん情動じょうどう共感きょうかん他者たしゃ理解りかい 編集へんしゅう

他者たしゃ喜怒哀楽きどあいらくなどの感情かんじょうめんかんりそれを共有きょうゆうすることを共感きょうかんう。

1970年代ねんだいころから、他者たしゃしんうごきを類推るいすいしたり、他者たしゃ自分じぶんとはちが信念しんねんっているということを理解りかいしたりする機能きのうしん理論りろんばれ、研究けんきゅうされている。

従来じゅうらい学問がくもん世界せかいでは、しん精神せいしんあつかとき知能ちのう(IQ)めんばかりが重視じゅうしされ情動じょうどうめん軽視けいしされる風潮ふうちょうもあったが、近年きんねんでは、ひと社会しゃかいなかでうまくきてゆけるか、また幸福こうふく人生じんせいおくれるかどうか、ということにかんしては、統計とうけいてき調査ちょうさしてみると、じつ知能ちのうたかさの影響えいきょうはさほどたかくはなく、ただ知能ちのう(IQ)がたかいというだけではかえって人生じんせい破綻はたんすることもおおく、IQよりも、むしろ人々ひとびと情動じょうどうめん健全けんぜん交流こうりゅうをして人間にんげん関係かんけいきず能力のうりょくや、自分じぶん情動じょうどうつめて自制じせいする能力のうりょくなどのほうがおおきな要素ようそだということが指摘してきされるようになっている[10]。こうした情動じょうどう関係かんけいする能力のうりょくは、「EI」や「EQ」(しん知能指数ちのうしすう)とばれている。

しん病気びょうき 編集へんしゅう

しん病気びょうき医学いがくてきには精神せいしん疾患しっかんび、標榜ひょうぼうとしては精神せいしん神経しんけい心療しんりょう心療内科しんりょうないかなどがそれにあたる。

心療内科しんりょうないか日本にっぽん1996ねん標榜ひょうぼうとして認可にんかされた。内科ないか疾患しっかんなかでも、消化しょうかせい潰瘍かいよう気管支きかんし喘息ぜんそく狭心症きょうしんしょう糖尿とうにょうびょうなどは心身しんしん相関そうかんのある疾患しっかんであり、身体しんたいめんあわせて心理しんりてき要因よういん社会しゃかいてき要因よういん複雑ふくざつ影響えいきょうしている。どう標榜ひょうぼうにおいては心身しんしん一元論いちげんろんてき視点してんから、それらの要因よういんふくめてぜん人的じんてき治療ちりょうおこなっている。現在げんざいのところどう標榜ひょうぼう医師いしには心療内科しんりょうないか専門せんもんとする心療内科しんりょうないかもいるが、大半たいはん精神せいしんである。

しんやまい専門せんもんとしては、精神せいしん心療内科しんりょうないか臨床りんしょう心理しんりなどがある(日本にっぽん心理しんりがくかんする資格しかく一覧いちらん参照さんしょう)。 しんやまい対象たいしょうとした学問がくもんとしては、精神せいしん医学いがく心身しんしん医学いがく臨床りんしょう心理しんりがくなどがある。詳細しょうさいはそれぞれの項目こうもく参照さんしょうのこと。

しん知能ちのう人工じんこう知能ちのう 編集へんしゅう

ひとしんなかでも認知にんち知能ちのうかかわるめんかんしては認知にんち科学かがくなどで研究けんきゅうされている。

人工じんこうてき知能ちのう実現じつげんすることが人工じんこう知能ちのうである。現代げんだいてき人工じんこう知能ちのうたいする研究けんきゅうは1950年代ねんだいからはじまった[11]初期しょき段階だんかいで「そもそもコンピュータがしんちうるのか」という疑問ぎもんや「なにをもってしん定義ていぎするのか」という哲学てつがくてき疑問ぎもん提示ていじされた。当初とうしょ、PascalやLispなどの高級こうきゅう言語げんごによる抽象ちゅうしょうてき記述きじゅつにより知能ちのう実現じつげんしようとするこころみが一定いってい成果せいかげたが、そのニューラルネットワーク・プログラミングも(いち時期じき存在そんざいした障壁しょうへきえて)成果せいかしている。最近さいきんでは、感情かんじょうてきめんふくめて、できるだけ人間にんげんしん反応はんのうしめすコンピュータをつくろうとする研究けんきゅうしゃ一部いちぶにはいるが、まだまだ課題かだい山積さんせきしている。

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 他人たにん心情しんじょううえなどにしんくばることやその気持きもちをすこと
  2. ^ 翻訳ほんやくとしては、アリストテレスちょ桑子くわご敏雄としおやくしんとはなにか』 講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1999ねん ISBN 978-4061593633 など。
  3. ^ 発音はつおんただしく表記ひょうきするにはeのうえよこぼう

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q しんカトリックだい事典じてん だいかん研究けんきゅうしゃ、2002ねん 
  2. ^ さるいのち』 4:9
  3. ^ ヨシュア』14:7
  4. ^ ローマじんへの手紙てがみ』10:9-10
  5. ^ エゼキエルしょ』 36:25-26
  6. ^ 並川なみかわこう『スッタニパータ ―仏教ぶっきょう最古さいこ世界せかい岩波書店いわなみしょてんISBN 4000282859
  7. ^ 中村なかむらはじめ『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波いわなみ文庫ぶんこ、1958、ISBN 4003330110
  8. ^ アントニオ・ダマシオ生存せいぞんするのうしんのう身体しんたい神秘しんぴ講談社こうだんしゃ、2000。など
  9. ^ a b モーガン・フリーマン 時空じくうえて だい2かい死後しご世界せかいはあるのか?」
  10. ^ ダニエル・ゴールマン『EQ こころの知能指数ちのうしすう講談社こうだんしゃ、1998
  11. ^ http://www-formal.stanford.edu/jmc/whatisai/whatisai.html

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう