Microsoft Windows 3.x (マイクロソフト ウィンドウズ 3.x )は、メジャーバージョン番号 ばんごう が3であるMicrosoft Windows の総称 そうしょう 。Windows 2.x の後継 こうけい である。2001年 ねん 12月31日 にち (米国 べいこく 日時 にちじ )にサポートは終了 しゅうりょう している。
Windows 3.1 日本語 にほんご 版 ばん パッケージ
主 おも に、1990年 ねん に発売 はつばい された「Windows 3.0」(日本語 にほんご 版 ばん は1991年 ねん )と、1992年 ねん に発売 はつばい された改良 かいりょう 版 ばん 「Windows 3.1」(日本語 にほんご 版 ばん は1993年 ねん )を指 さ す。その他 た 、一部 いちぶ 機種 きしゅ ではマルチメディアに対応 たいおう した「Windows 3.0 with Multimedia Extensions (Windows MME )」も提供 ていきょう され、幾度 いくど かのマイナーバージョンアップが行 おこな われた。英語 えいご 版 ばん ではネットワークをサポートする「Windows for Workgroup(Windows 3.1ベース)」も発売 はつばい された。
なお追加 ついか モジュールとしては、32ビットアプリケーションを動作 どうさ させるための「Win32s 」、画像 がぞう 表示 ひょうじ を高速 こうそく 化 か するための「WinG 」、AVI 形式 けいしき の動画 どうが を再生 さいせい するための「Video for Windows 」、LANに接続 せつぞく するための「LAN Manager 」、インターネット や電子 でんし メール を利用 りよう するための「Internet Explorer (16ビット版 ばん )」がある。
Microsoft Windows 1.0 - 3.xは、16ビット オペレーティングシステム (OS)のMS-DOS 上 うえ で動作 どうさ するGUI フロントエンドであり、Windows 3.0まではオペレーティング環境 かんきょう (operating environment )と呼 よ ばれていた[6] 。Windows 3.1からはoperating system という名称 めいしょう になったが[7] 、正確 せいかく には3.1も独立 どくりつ したオペレーティングシステムではない。いずれもMS-DOSまたは互換 ごかん 環境 かんきょう (PC-DOS/V やDR-DOS )あるいはOS/2 のWindows互換 ごかん 環境 かんきょう から起動 きどう させるものであり、事前 じぜん にそのようなOSをコンピュータ上 じょう で動作 どうさ させておく必要 ひつよう がある。Windows 3.1以前 いぜん はMS-DOSの拡張 かくちょう 製品 せいひん としてそれぞれが別々 べつべつ に販売 はんばい されたため、MS-DOSなどを持 も っていない場合 ばあい は別途 べっと 購入 こうにゅう する必要 ひつよう があった。
Windows 2.x (Windows 2.11, Windows/386 2.11) の後継 こうけい となるWindows 3.0は、ユーザーインターフェイスの大幅 おおはば な改良 かいりょう とIntel 80286 や80386 プロセッサのメモリ管理 かんり 機能 きのう を有効 ゆうこう 活用 かつよう する技術 ぎじゅつ 的 てき な改善 かいぜん が行 おこな われた。
グラフィカルユーザインタフェース (GUI) 機能 きのう を持 も ち複数 ふくすう のタスク を同時 どうじ 実行 じっこう できるマルチタスク が可能 かのう なことが利点 りてん であった。しかし、1つのWindowsプログラム がCPU を占有 せんゆう してしまいほかのプログラムが止 と まってしまうこともあった(ノンプリエンプティブ )[8] 。Windows/386ではMS-DOS用 よう のテキストモードプログラムは全 ぜん 画面 がめん を占有 せんゆう し、ショートカットキー で画面 がめん を切 き り替 か える仕様 しよう となっていたが、Windows 3.0ではウィンドウ 内 うち で動作 どうさ させることができ、旧来 きゅうらい のプログラムも擬似 ぎじ マルチタスク として利用 りよう できるようになった[9] 。しかし、家庭 かてい 向 む け市場 いちば では多 おお くのゲームやエンターテイメントソフトがMS-DOSへの直接 ちょくせつ アクセスを必要 ひつよう としていたため、あまり恩恵 おんけい を受 う けられなかった[10] 。
Windows 2.xはメニュー やウィンドウ 枠 わく での非常 ひじょう に限 かぎ られた色 いろ しか使 つか うことができなかったが、Windows 3.xのアイコン やグラフィックはEGA やVGA モードで16色 しょく を完全 かんぜん にサポート。256色 しょく VGAモードやMCGAモードが初 はじ めてサポートされた。また、ディスプレイ出力 しゅつりょく に使用 しよう するカラーパレットはディスプレイドライバ が管理 かんり し、アプリケーション毎 ごと には論理 ろんり 的 てき なカラーパレットが用意 ようい されたことで、アプリケーション側 がわ はカラーパレットの状態 じょうたい や制限 せいげん を気 き にする必要 ひつよう がなくなった[11] 。
MS-DOSウィンドウ(ファイルマネージャ・プログラムランチャー機能 きのう )は、アイコンベースの「プログラムマネージャ」と一覧 いちらん ベースの「ファイルマネージャ」に置 お き換 か えられた。前 ぜん バージョンではアプレット となっていた「コントロールパネル」はApple のClassic Mac OS と類似 るいじ のものに作 つく り替 か えられた[12] 。
いくつか簡単 かんたん なアプリケーションも同 どう 梱 こり された。テキストエディタのメモ帳 ちょう 、文書 ぶんしょ 作成 さくせい ソフトのライト(後 ご のワードパッド )、一連 いちれん のキー操作 そうさ やマウス 操作 そうさ をマクロ として記録 きろく して後 あと で実行 じっこう できる「レコーダー」、ペイント 、電卓 でんたく など。ゲームはWindows 3.0ではリバーシ に加 くわ えてソリティア が搭載 とうさい された[12] [注 ちゅう 1] 、Windows 3.1ではソリティア・マインスイーパ が付属 ふぞく [注 ちゅう 2] 。
Windows 3.0に搭載 とうさい されたプロテクトモードやエンハンスドモードはDOSアプリケーションで行 おこな われていた方法 ほうほう より簡単 かんたん に、より多 おお くのメモリをWindowsアプリケーションで使 つか えるようになった。Windows 3.0ではリアルモード (8086 相当 そうとう CPUの機能 きのう を利用 りよう )、スタンダードモード(80286相当 そうとう CPUの機能 きのう を利用 りよう )、386エンハンスドモード(i386 相当 そうとう CPUの機能 きのう を利用 りよう )があり[13] 、通常 つうじょう は自動 じどう で適切 てきせつ なモードを選択 せんたく するが、/r(リアルモード)、/s(「スタンダード」286プロテクトモード)、/3(386エンハンスドプロテクトモード)といったスイッチを使 つか って特定 とくてい のモードで起動 きどう することもできた[14] 。386エンハンスドモードではやや動作 どうさ が重 おも くなり、実用 じつよう 的 てき には486 以上 いじょう のマシンパワーを必要 ひつよう とした[15] 。
WindowsはWindows 3.0のスタンダードモードおよびエンハンスドモードからプロテクトモード が本格 ほんかく 的 てき にサポートされた。
厳密 げんみつ には、WindowsはWindows/386からプロテクトモードを利用 りよう しているが、このバージョンでは内部 ないぶ 的 てき に80386で導入 どうにゅう された機能 きのう をプロテクトモードで使用 しよう し、アプリケーションには仮想 かそう 86モード を提供 ていきょう するというものであり、EMS 対応 たいおう MS-DOSアプリケーションと同様 どうよう に実行 じっこう プログラムを数 すう 百 ひゃく KBという限 かぎ られたスペースに収 おさ まるよう作 つく る必要 ひつよう があった[9] 。またEMSはバンク切 き り替 か えがあるため、その切 き り替 か え作業 さぎょう にかかる時間 じかん だけ低速 ていそく になる。特 とく に大 だい 規模 きぼ なアプリケーションはほぼ常時 じょうじ バンク切 き り替 か えを繰 く り返 かえ すために低速 ていそく だった[9] 。これがWindows 3.xのスタンダードモードとエンハンスドモードは、Windowsの大半 たいはん のモジュールがプロテクトモードで動作 どうさ する16ビットのコードで構成 こうせい され、アプリケーション(WIN16アプリケーション)もプロテクトモードで動作 どうさ する16ビットのコードで構成 こうせい されるように変更 へんこう された。さらにエンハンスドモードでは、80386で導入 どうにゅう されたメモリ管理 かんり 機能 きのう をプロテクトモードで動作 どうさ するシステムのコードに実装 じっそう し、IA-32 のページングを利用 りよう した仮想 かそう 記憶 きおく もサポートし、実 じつ メモリ以上 いじょう のメモリをアプリケーションが確保 かくほ できるようになった。また Windows 用 よう のデバイスドライバとして、80386で導入 どうにゅう された機能 きのう をプロテクトモードで活用 かつよう した VxD デバイスドライバもサポートされた。従来 じゅうらい のWindowsは常 つね にメモリが不足 ふそく 気味 ぎみ だったが、3.0からのプロテクトモードをサポートした結果 けっか 、Windows自身 じしん とそのアプリケーションは、(コンベンショナルメモリ)+(EMS)よりも高速 こうそく で大量 たいりょう のメモリを使用 しよう 可能 かのう なプロテクトメモリ を利用 りよう 可能 かのう になった[16] 。そのため、MS-DOS ではメモリ不足 ふそく から実現 じつげん 不可能 ふかのう だった大型 おおがた アプリケーションも、Windows用 よう に開発 かいはつ されるようになった。
GUIはマイクロソフトがIBM と共同 きょうどう 開発 かいはつ していたOS/2 1.2のプレゼンテーション・マネージャと類似 るいじ の外観 がいかん をしている。ウィンドウのメニューバーとパネル本体 ほんたい という構成 こうせい やダイアログボックス など、IBMが提唱 ていしょう したSystems Application Architecture のCommon User Access (CUA) におおむね準拠 じゅんきょ している。しかし、シフトキー とマウスを組 く み合 あ わせた操作 そうさ はCUAでの規定 きてい に反 はん しており完全 かんぜん 準拠 じゅんきょ ではない[17] 。このデザインはアップルより同社 どうしゃ が開発 かいはつ したClassic Mac OSのルック・アンド・フィール を盗用 とうよう したとしてWindows 2.xとともに著作 ちょさく 権 けん 侵害 しんがい が指摘 してき されたが、裁判 さいばん ではアップルの訴 うった えは退 しりぞ けられ、後 のち に両者 りょうしゃ は和解 わかい した(詳細 しょうさい はWindows 2.0#アップルとの法的 ほうてき 抗争 こうそう を参照 さんしょう )。
ウィンドウ
一番 いちばん 右 みぎ 上 じょう (タイトルバーの右 みぎ 端 はし )のボタン[▲]は最大 さいだい 化 か (全 ぜん 画面 がめん 表示 ひょうじ )のボタンで、既 すで に最大 さいだい 化 か している場合 ばあい はウィンドウ表示 ひょうじ に戻 もど すボタン(上下 じょうげ に▲と▼が並 なら んだ[◆]状 じょう のボタン)が表示 ひょうじ される。その隣 となり のボタン[▼]は最小 さいしょう 化 か (タスクアイコン化 か )のボタンである。Windows 95 以降 いこう でのウインドウを閉 と じる[×]に相当 そうとう するボタンは存在 そんざい しない。終了 しゅうりょう はタイトルバー左上 ひだりうえ の[-]ボタン(コントロールメニューボックス)やメニューバー からのプルダウンメニューから行 おこな えるが、左上 ひだりうえ の[-]そのものをダブルクリックすることでも終了 しゅうりょう する[18] 。MS-DOSボックスの場合 ばあい はメニューバーやタイトルバーから終了 しゅうりょう させることはできず、コマンドプロンプトでEXITと入力 にゅうりょく する必要 ひつよう がある[注 ちゅう 3] [19] 。また、エンハンストモードであればControl-Alt-Delete でアクティブなウィンドウの強制 きょうせい 終了 しゅうりょう が行 おこな える。
ポインティング
当時 とうじ はまだマウスは推奨 すいしょう であって必須 ひっす ではなかった[20] 。セットアップ時 じ にマウス無 な し(使用 しよう しない)を選択 せんたく することもでき、Windowsの主要 しゅよう システム自体 じたい はキーボードだけでも操作 そうさ できるようになっていた[注 ちゅう 4] 。ただし実際 じっさい にはGUIである以上 いじょう はマウス前提 ぜんてい で作 つく られたアプリケーションが少 すく なくなく、Windows 95以降 いこう はマウスが必須 ひっす になっている。
なお右 みぎ クリック による操作 そうさ はアプリケーション側 がわ で対応 たいおう している場合 ばあい にのみ有効 ゆうこう であり、Windowsを操作 そうさ する上 じょう では特別 とくべつ な意味合 いみあ いを持 も っていなかった[8] 。Windows標準 ひょうじゅん 付属 ふぞく のアプリケーションとしてはペイントブラシ やマインスイーパ が右 みぎ クリックを活用 かつよう できる[注 ちゅう 1] 。
シェル
Windows 3.xで標準 ひょうじゅん のシェル は後述 こうじゅつ のプログラムマネージャというメニューソフトに相当 そうとう する機能 きのう を持 も つプログラムランチャーだった。また、設定 せってい を変更 へんこう することにより、ファイルマネージャやそれ以外 いがい (コマンドプロンプトやNorton Desktop などのサードパーティー製 せい シェルソフトなど)の特定 とくてい のアプリケーションをシェルに指定 してい することも可能 かのう である。
なお、プログラムマネージャ・ファイルマネージャともに、親 おや 画面 がめん の中 なか で子 こ 画面 がめん を複数 ふくすう 開 ひら くことができた (MDI )。
プログラムマネージャ
プログラムの起動 きどう は原則 げんそく としてプログラムマネージャ から行 おこな う。プログラムマネージャはプログラムを表 あらわ す「アイコン 」およびアイコンを分類 ぶんるい する「グループ」を画面 がめん に表示 ひょうじ するためのプログラムであり、アイコンをダブルクリック することでプログラムを起動 きどう することができた。ただし、プログラムマネージャ上 じょう のアイコン(およびグループ)とディスク上 じょう のファイル(およびディレクトリ)との間 あいだ には対応 たいおう 関係 かんけい が無 な く、後 ご のエクスプローラー のようにファイルを操作 そうさ する機能 きのう は統合 とうごう されていない[8] 。
ファイルマネージャ
ファイル操作 そうさ は、Windows 2.x以前 いぜん のシェルだった「MS-DOSウィンドウ」に似 に たファイルマネージャ というプログラムで行 おこな う。ファイルのダブルクリックでプログラムを直接 ちょくせつ 実行 じっこう することもでき、拡張子 かくちょうし によるアプリケーションの関連 かんれん 付 づ けもファイルマネージャ上 じょう で行 おこな うことができる。Windows 2.xでMS-DOSアプリケーションを実行 じっこう するにはPIFファイル(情報 じょうほう ファイル)にあらかじめ実行 じっこう 環境 かんきょう を設定 せってい する必要 ひつよう があったが、Windows 3.0ではPIFファイルがなくても標準 ひょうじゅん 設定 せってい で実行 じっこう するようになった[21] 。MS-DOSウィンドウはファイル名 めい が羅列 られつ されるだけであったが、ファイルマネージャでは画面 がめん 左 ひだり に現在 げんざい 開 ひら いているディレクトリの位置 いち を示 しめ すディレクトリツリーが表示 ひょうじ され、画面 がめん 右 みぎ には項目 こうもく 名 めい とその種類 しゅるい を示 しめ す小 ちい さなアイコンが一覧 いちらん 表示 ひょうじ されるようになった[11] 。プログラムマネージャやデスクトップのタスク(後述 こうじゅつ )と違 ちが って「大 おお きなアイコン」を表示 ひょうじ する機能 きのう は無 な い。また、ファイルの種類 しゅるい 毎 ごと にアイコンが用意 ようい されたWindows 95以降 いこう と異 こと なり[22] 、ファイルマネージャでは自身 じしん の持 も つ数種類 すうしゅるい のアイコンしか表示 ひょうじ できなかった。
ファイルマネージャには2000年 ねん 以上 いじょう の年 とし 表示 ひょうじ が文字 もじ 化 ば けするという不具合 ふぐあい があったが、後 のち に2000年 ねん 問題 もんだい 対応 たいおう 版 ばん がマイクロソフトから配布 はいふ された[23] 。
デスクトップ
デスクトップ[注 ちゅう 5] の領域 りょういき には実行 じっこう 中 ちゅう のプログラムを最小 さいしょう 化 か したときのアイコンが表示 ひょうじ される[18] 。ファイルなどのオブジェクトを置 お くことのできるデスクトップ・メタファー ではなく、Windows 95以降 いこう でのタスクバー に相当 そうとう する場所 ばしょ であった。Windows 2.xからの変更 へんこう 点 てん として、画像 がぞう や模様 もよう を背景 はいけい として飾 かざ ることができるようになった。デスクトップをダブルクリックするとタスクマネージャ に似 に た画面 がめん を呼 よ び出 だ すことができた。
アップルは1991年 ねん 6月 がつ にQuickTime を発表 はっぴょう 、12月には出荷 しゅっか しており、パソコン市場 いちば 拡大 かくだい のかげりから新 あたら しい分野 ぶんや としてマルチメディア が担 かつ がれていた時期 じき であった[24] [25] 。
Windows 3.0は当初 とうしょ 動画 どうが や音声 おんせい を扱 あつか うことができなかった。それらのマルチメディア 機能 きのう は1991年 ねん 10月 がつ に「Windows 3.0 with Multimedia Extensions 」というWindows 3.0の拡張 かくちょう 版 ばん およびアップグレードキットとしてリリースされた[26] 。その後 ご 、Windows 3.1では標準 ひょうじゅん でマルチメディア機能 きのう が搭載 とうさい された。
同時 どうじ に、マイクロソフトや複数 ふくすう のパソコンメーカーによりマルチメディア対応 たいおう パソコンを認定 にんてい するため Multimedia PC (英語 えいご 版 ばん ) (MPC) 規格 きかく が策定 さくてい されたが、最初 さいしょ のバージョンにおける最小 さいしょう 構成 こうせい のパソコンでは多 おお くのアプリケーションで力不足 ちからぶそく であった[27] 。日本 にっぽん でも、当時 とうじ 標準 ひょうじゅん でマルチメディア機能 きのう を使 つか えるWindowsの存在 そんざい したPCはFM TOWNS 程度 ていど だった。
それでもWindows 3.1でマルチメディア機能 きのう が標準 ひょうじゅん 搭載 とうさい された利点 りてん はあり、FM音源 おんげん 程度 ていど しか持 も たないMPC以前 いぜん の機種 きしゅ であっても、簡単 かんたん なMIDIファイル程度 ていど のマルチメディアであればOS標準 ひょうじゅん で利用 りよう できるようになった[28] [要 よう 検証 けんしょう – ノート ] 。
1992年 ねん 11月には動画 どうが 再生 さいせい をサポートするVideo for Windows も発表 はっぴょう された[29] 。当初 とうしょ サポートしていた解像度 かいぞうど やフレームレート は320x240ピクセル /30fpsと低 ひく かったものの[30] 、AVI が再生 さいせい できるようになり、マルチメディアCD-ROMソフトがWindows 3.1向 む けに発売 はつばい されるようになった。マイクロソフトからはVideo for Windowsの発表 はっぴょう と同時 どうじ にエンカルタ とCinemania (英語 えいご 版 ばん ) の2本 ほん のCD-ROMソフトが発表 はっぴょう された[31] 。1995年 ねん に入 はい るとGPU の性能 せいのう 競争 きょうそう が一時 いちじ 的 てき に停滞 ていたい し、代 か わりに動画 どうが の拡大 かくだい 表示 ひょうじ を綺麗 きれい に行 おこな う補間 ほかん 機能 きのう といった動画 どうが 再生 さいせい 支援 しえん 機能 きのう が注目 ちゅうもく されるようになった[22] 。
MPC規格 きかく のバージョンアップはPC/AT互換 ごかん 機 き ではWindowsの環境 かんきょう 改善 かいぜん よりもDOSの環境 かんきょう 改善 かいぜん としての効果 こうか が大 おお きく、結果 けっか としてゲームプレイには最低 さいてい の環境 かんきょう だったPC/AT互換 ごかん 機 き を一気 いっき にPCゲーム標準 ひょうじゅん 機 き まで押 お し上 あ げることになった。ただしこのことがゲーム環境 かんきょう のWindowsへの移行 いこう を遅 おく らせる原因 げんいん になり、マイクロソフトがWinG やDirectX を開発 かいはつ する強 つよ い動機 どうき となった。[要 よう 出典 しゅってん ]
Windows 3.0、3.1では、標準 ひょうじゅん でネットワーク (LAN ) 機能 きのう 自体 じたい が搭載 とうさい されておらず、LAN Manager ClientなどDOS ベースのネットワーク機能 きのう に頼 たよ っていた。LAN Manager ClientはWindows NT ServerのCD-ROM などに収録 しゅうろく され、TCP/IP やNetBEUI 、NetWare 互換 ごかん プロトコルなどのプロトコルが使 つか えた。また、Windows for Workgroups (WfW) 3.1はWindows 3.1にWindowsベースでのネットワーク機能 きのう を付加 ふか するアドオンとして発表 はっぴょう 、販売 はんばい された。ただし、この段階 だんかい ではネットワークプロトコル としてNetBEUIかNetWare互換 ごかん プロトコルしか選択 せんたく できなかった。その後 ご 、WfW 3.11が完全 かんぜん なWindows製品 せいひん として発売 はつばい され、このWfW3.11向 む けにTCP/IP プロトコル用 よう ドライバも提供 ていきょう された[32] 。
WfWの日本語 にほんご 版 ばん は発売 はつばい されなかったため、日本 にっぽん のユーザーが手軽 てがる にネットワークを組 く むにはWindows 3.1との互換 ごかん 性 せい に乏 とぼ しく高性能 こうせいのう パソコンを要求 ようきゅう するWindows NTを購入 こうにゅう するか、Windows 95 の登場 とうじょう を待 ま つしかなかった[33] 。
日本 にっぽん では1994年 ねん 時点 じてん で個人 こじん ユーザーにインターネット 接続 せつぞく サービスを提供 ていきょう するISP がIIJ と富士通 ふじつう (InfoWeb、1999年 ねん にニフティ へ統合 とうごう )の2社 しゃ しか存在 そんざい せず、まだ黎明 れいめい 期 き にあった。1995年 ねん に入 はい るとISPは10社 しゃ 以上 いじょう になり、インターネットを取 と り扱 あつか った参考 さんこう 書 しょ も急増 きゅうぞう した。しかしWindows 3.1標準 ひょうじゅん ではネットワーク機能 きのう は搭載 とうさい されていないため、市販 しはん のInternet CHAMELEON(ネットマネージジャパン、19800円 えん )といったダイヤルアップ接続 せつぞく ツール(ダイヤラー 、メーラー 、FTPクライアント などをまとめたパッケージ)を購入 こうにゅう するか、パソコン通信 つうしん を通 つう じてTrumpet Winsock といったツールを揃 そろ えていく必要 ひつよう があった。ウェブブラウザ にはNCSA Mosaic やその後 ご に登場 とうじょう してすぐに標準 ひょうじゅん となったNetscape Navigator が使 つか われた。[34]
Windows 95と同時 どうじ 発売 はつばい のMicrosoft Plus! に同 どう 梱 こり されたウェブブラウザ「Internet Explorer 」は1996年 ねん 4月 がつ にWindows 3.1対応 たいおう の16ビット 版 はん が公開 こうかい され[35] 、これにはメーラーのOutlook Express (16ビット版 ばん )やダイヤラーなどが添付 てんぷ されていた。インターネットの閲覧 えつらん やメールの送受信 そうじゅしん はInternet Explorer添付 てんぷ のダイヤラーを使 つか ったダイヤルアップの他 ほか 、LAN Manager Clientをインストールしてある場合 ばあい やWfWではLAN経由 けいゆ でも可能 かのう である。ただし、Internet Explorer標準 ひょうじゅん 添付 てんぷ のダイヤラーはPC/AT互換 ごかん 機 き 用 よう のため、PC-9800シリーズでダイヤルアップ接続 せつぞく する場合 ばあい は市販 しはん ソフトなどを別途 べっと 用意 ようい する必要 ひつよう があった[36] 。
各 かく プログラムの設定 せってい は、それぞれのプログラムが持 も つini という拡張子 かくちょうし が付 つ けられたファイル、もしくはwin.iniやsystem.iniなどのWindowsのシステムファイルで行 おこな っていた。Windowsそのものの設定 せってい もwin.iniとsystem.iniで行 おこな っていた。これらはテキストファイルであり、標準 ひょうじゅん で付属 ふぞく するシステムエディタ (sysedit) などのテキストエディタ で編集 へんしゅう を行 おこな うことができた。また、設定 せってい 変更 へんこう ミスや諸々 もろもろ のトラブルからWindowsが起動 きどう しなくなっても、MS-DOS環境 かんきょう からテキストエディタを使 つか ってwin.iniやsystem.iniの中身 なかみ を修正 しゅうせい して復旧 ふっきゅう することができた。これらの設定 せってい 内容 ないよう はマイクロソフトが監修 かんしゅう した解説 かいせつ 書 しょ 『Windows 3.1 リソースキット』で公開 こうかい された[37] 。Windows 3.1の登録 とうろく 情報 じょうほう データベース(後 ご のレジストリ )は、ファイルマネージャで開 ひら くファイルのフォーマット とアプリケーションとの関連 かんれん 付 づ けやOLE 情報 じょうほう に使用 しよう されるのみであった[38] 。
Windows 3.0やWindows 3.1では32ビット386プロテクトモードではなく16ビット286プロテクトモードで動作 どうさ していたため、標準 ひょうじゅん 構成 こうせい では64KBセグメント ・メモリモデルを使用 しよう するようになっていた。しかし、32ビットCPUではプログラマーはより大 おお きなメモリポインタ にアクセスして、プログラム・セグメントをどんな大 おお きさにも拡張 かくちょう することができた(セグメント・ディスクリプタが24ビットであるため最大 さいだい サイズは16MBに制限 せいげん されている)。当時 とうじ のWindows API ファンクションは16ビットであったため、それらは32ビットポインタを使用 しよう できず、コードに32ビット命令 めいれい を含 ふく んでいてもDOSと同様 どうよう に64KBセグメントでOS呼 よ び出 だ しを行 おこな うプログラムコードの一部 いちぶ を配置 はいち する必要 ひつよう があった[39] [40] 。このため、理論 りろん 上 じょう は4GBのメモリ空間 くうかん を使用 しよう できる386以上 いじょう のCPUであっても、Windows 3.0は合計 ごうけい 16MBのメモリにしかアクセスできない。
Windows 3.1では16MBの制限 せいげん はなくなり、理論 りろん 的 てき には最大 さいだい 4GBのメモリを使用 しよう できる(現実 げんじつ 的 てき な上限 じょうげん は256MB)[41] 。ただし、先述 せんじゅつ のとおり1つのプログラムが使用 しよう できるメモリは最大 さいだい 16MBである。
Windows NTの登場 とうじょう による32ビットOSへの移行 いこう を促 うなが す意味 いみ もあり、Win32s というドライバ/APIがマイクロソフトから供給 きょうきゅう された。これはWindows 3.1の386エンハンスドモード上 じょう で動作 どうさ する32bitプログラムのためのドライバ/APIであり(WinNTのAPIであるWin32のサブセットなのでWin32s[要 よう 出典 しゅってん ] )、これによりアプリケーションをWindows 95やWindows NTと共通 きょうつう の32ビットコードでWindows 3.1に供給 きょうきゅう することが可能 かのう になり[42] 、初期 しょき の32ビットアプリケーションの開発 かいはつ を多少 たしょう 容易 ようい にした。
また、ファイルシステムにおいてはBIOS を介 かい した16ビットディスクアクセスが基本 きほん 的 てき に用 もち いられていたものの、Windows 3.1の386エンハンスドモードでは常設 じょうせつ スワップファイル に対 たい してのみ32ビットでのアクセスが可能 かのう となった。さらに、Windows for Workgroups 3.11では完全 かんぜん な32ビットディスクアクセスが実現 じつげん され、ディスクアクセスを高速 こうそく 化 か させることを可能 かのう にした[43] 。
Windows 3.0(英語 えいご 版 ばん )の公式 こうしき なシステム要件 ようけん は次 つぎ のようになっている。
Windows 3.1ではリアルモードが廃止 はいし されたため、8086/8088プロセッサ搭載 とうさい 機種 きしゅ は動作 どうさ 対象 たいしょう 外 がい になった[46] 。
Windows 3.1には、Windows 3.0からアップグレードすることができる。また、インストール先 さき ディレクトリを変更 へんこう すれば旧 きゅう バージョンと共存 きょうぞん することもできる。Windows 2.11以前 いぜん の場合 ばあい は新規 しんき セットアップを行 おこな うことになる。[47]
Windows 3.1から新 あたら しいバージョンへのアップグレード
編集 へんしゅう
Windows 3.1からは、Windows 95 かWindows 98 (Second Editionも含 ふく む)にのみアップグレードできる[48] 。その後継 こうけい であるWindows Me やWindows 2000 にできない[49] [50] 。また、Windows 95かWindows 98のどちらにアップグレードしても、後 のち にそのバージョンをアンインストール してWindows 3.1に戻 もど せる。
Windows 3.0は25人 にん で構成 こうせい された開発 かいはつ グループ「Win3チーム」によって2年 ねん 半 はん の期間 きかん で開発 かいはつ された。画面 がめん デザインはWindows 2.1のユーザーの意見 いけん を取 と り入 い れ、旧 きゅう バージョンの赤 あか と青 あお の組 く み合 あ わせからビジネス環境 かんきょう に適 てき した落 お ち着 つ きのある色彩 しきさい に変更 へんこう された。[1]
1990年 ねん 5月 がつ 22日 にち 、Windows 3.0はニューヨーク・シティ・センター (英語 えいご 版 ばん ) で正式 せいしき に発表 はっぴょう された。この模様 もよう は米国 べいこく 7都市 とし の会場 かいじょう とロンドン やアムステルダム といった世界 せかい 各地 かくち の12都市 とし の会場 かいじょう にテレビの生 なま 中継 ちゅうけい で報道 ほうどう された。これには300万 まん ドルという多額 たがく の宣伝 せんでん 費 ひ が投入 とうにゅう され、さらに広告 こうこく や25万 まん 枚 まい の体験 たいけん 版 ばん ディスク配布 はいふ 、デモンストレーション、セミナーに700万 まん ドルの予算 よさん が組 く まれていた。[1]
日本 にっぽん では1991年 ねん 1月 がつ 23日 にち (日本 にっぽん 時間 じかん )に日本電気 にほんでんき よりPC-9800シリーズ 用 よう が発売 はつばい され[51] 、それに追随 ついずい して約 やく 20社 しゃ のパソコンメーカーからも発売 はつばい された[2] 。PC/AT互換 ごかん 機 き で動作 どうさ するDOS/V 対応 たいおう 版 ばん は日本 にっぽん IBM より1991年 ねん 3月 がつ 13日 にち に発売 はつばい された[52] 。
Windows 3.1(コードネーム: Janus)[53] [54] [55] は1992年 ねん 4月 がつ 6日 にち にシカゴ で開催 かいさい されたWindows Worldで正式 せいしき に発表 はっぴょう された[56] [57] [58] 。マイクロソフトはWindows 3.1の出荷 しゅっか にあたって125万 まん 本 ほん を用意 ようい 。世界中 せかいじゅう の9カ所 かしょ のマイクロソフト製造 せいぞう 工場 こうじょう が一 いち 日 にち 三 さん 交替 こうたい でディスクを生産 せいさん し、最初 さいしょ の1か月 げつ で800万 まん 枚 まい 以上 いじょう のディスクが生産 せいさん され、英語 えいご 版 ばん と同時 どうじ に6言語 げんご がリリースされた[58] 。
後 のち にアップデートがリリースされ、雑誌 ざっし の付録 ふろく CDやニフティサーブ 等 ひとし のパソコン通信 つうしん で修正 しゅうせい ファイルが配布 はいふ された[59] [60] 、またMS社 しゃ からのFD送付 そうふ サービスも存在 そんざい した[61] 。
マイクロソフト日本 にっぽん 法人 ほうじん は1991年 ねん 10月 がつ にWindows 3.1日本語 にほんご 版 ばん の開発 かいはつ に着手 ちゃくしゅ した。Windows 3.0日本語 にほんご 版 ばん はセットアップの方法 ほうほう やメニューが難 むずか しいという声 こえ が上 あ がっていた。また、Windows 3.0日本語 にほんご 版 ばん はOEM先 さき によって別々 べつべつ の日本語 にほんご 入力 にゅうりょく システム 、プリンタードライバ 、フォント が供給 きょうきゅう されていたため、同 おな じWindowsアプリケーションでも機種 きしゅ 間 あいだ の完全 かんぜん な互換 ごかん 性 せい を保証 ほしょう できないという問題 もんだい が生 しょう じた。そこでWindows 3.1日本語 にほんご 版 ばん では標準 ひょうじゅん で日本語 にほんご 入力 にゅうりょく システム「MS-IME 」を供給 きょうきゅう 。また、Windows標準 ひょうじゅん の日本語 にほんご フォントをリコー と共同 きょうどう 開発 かいはつ し、プリンタードライバについては各 かく メーカーの開発 かいはつ をサポートして公開 こうかい 前 まえ に互換 ごかん 性 せい を確認 かくにん していた。Windows 3.1日本語 にほんご 版 ばん のベータ版 ばん は3回 かい で累計 るいけい 6000本 ほん 出荷 しゅっか され、ユーザーのフィードバックを基 もと に1600の改善 かいぜん が施 ほどこ された。発売 はつばい は当初 とうしょ の予定 よてい であった1992年 ねん 5月 がつ から1992年 ねん 秋 あき 、1993年 ねん 5月 がつ となり、大幅 おおはば に遅 おく れることになった。開発 かいはつ には5億 おく 円 えん が費 つい やされた[57] [62] 。
日本語 にほんご 版 ばん 開発 かいはつ の遅 おく れに対 たい して、世間 せけん では「PC-9800シリーズへの移植 いしょく 作業 さぎょう に手間取 てまど っているため。」「Windows 3.0日本語 にほんご 版 ばん の開発 かいはつ 者 しゃ が引 ひ き抜 ぬ かれたため。」といった憶測 おくそく が飛 と び交 か った[63] 。コンパック は1992年 ねん 10月 がつ に低 てい 価格 かかく 486 機 き のProLinea 4/25sをDOS/Vパソコンとして発売 はつばい したが、後 ご のインタビューでは「Windows 3.1と登場 とうじょう するはずだった。」とコメントした[64] 。
1993年 ねん 5月 がつ 12日 にち に日本電気 にほんでんき からPC-9800シリーズ用 よう 、5月18日 にち にマイクロソフトからPC-9800シリーズ用 よう とMS-DOS 5.0/V用 よう が発売 はつばい された[2] 。その直後 ちょくご の5月 がつ 19日 にち より東京 とうきょう 国際 こくさい 見本市 みほんいち 会場 かいじょう で開催 かいさい されたビジネスシヨウ や、6月16日 にち より幕張 まくはり メッセ で開催 かいさい されたWindows World Expo Tokyoでは、パソコンメーカー各社 かくしゃ がこぞってWindows 3.1プリインストールパソコンを展示 てんじ した[57] 。
Windows 3.0からの主 おも な変更 へんこう 点 てん は、動作 どうさ の高速 こうそく 化 か やセットアップの簡便 かんべん 化 か に加 くわ え、以下 いか の点 てん が挙 あ げられる。[46] [65] [66]
TrueType フォント
マイクロソフトはアップルが開発 かいはつ したアウトラインフォント仕様 しよう 「TrueType」のライセンスを受 う け[67] 、Monotype Corporation (英語 えいご 版 ばん ) と共同 きょうどう でTrueTypeフォントを開発 かいはつ してWindowsに標準 ひょうじゅん 搭載 とうさい した[46] 。日本語 にほんご 版 ばん にはマイクロソフトがリコー と2年 ねん かけて共同 きょうどう 開発 かいはつ したMS ゴシック とMS 明朝 みょうちょう の2書体 しょたい が追加 ついか で付属 ふぞく した[68] 。これによりWYSIWYG に一 いち 歩 ほ 近 ちか づいた。
マルチメディア機能 きのう
「サウンド レコーダー 」や「メディア プレーヤー 」など、Windows 3.0用 よう の拡張 かくちょう ソフト「Multimedia Extensions 」に収録 しゅうろく されていた機能 きのう の一部 いちぶ を統合 とうごう した。
OLE
アプリケーション間 あいだ で情報 じょうほう を共有 きょうゆう するOLE機能 きのう をサポートした。例 たと えば、文書 ぶんしょ 作成 さくせい ソフトで作成 さくせい した文書 ぶんしょ ファイルに表 おもて 計算 けいさん ソフトで作成 さくせい した表 おもて データをOLEを利用 りよう して埋 う め込 こ むと、表 おもて 計算 けいさん ソフトで作成 さくせい した表 おもて データファイルへの変更 へんこう は文書 ぶんしょ 作成 さくせい ソフトで作成 さくせい した文書 ぶんしょ にも自動 じどう で反映 はんえい されるようになる。
ドラッグ・アンド・ドロップ の機能 きのう を拡張 かくちょう
ファイルマネージャからファイルをアプリケーションのアイコンやウィンドウにドラッグ・アンド・ドロップ入力 にゅうりょく する操作 そうさ をサポートした。また、ファイルマネージャ内 ない で複数 ふくすう のウィンドウを開 ひら き、項目 こうもく をウィンドウ間 あいだ でドラッグ・アンド・ドロップすることで異 こと なるディレクトリへファイルを移動 いどう ・コピーできるようになった。
リアルモードを廃止 はいし
Windows 3.0にてWindows 2.xや古 ふる いシステムとの互換 ごかん 性 せい を目的 もくてき に実装 じっそう されていたリアルモードが廃止 はいし された。もっとも、リアルモードに対応 たいおう するWindowsアプリケーションを作 つく ることは開発 かいはつ 者 しゃ にとって「難題 なんだい 」であり、リアルモードの廃止 はいし を惜 お しむ者 もの はいなかった[46] 。これにより8086プロセッサは動作 どうさ 対象 たいしょう 外 がい となった。
MS-IME 日本語 にほんご 入力 にゅうりょく システム(日本語 にほんご 版 ばん )
Windows 3.0以前 いぜん では日本語 にほんご 入力 にゅうりょく システムはアプリケーションインターフェイスのみが実装 じっそう され、各 かく OEM先 さき メーカーによって異 こと なる日本語 にほんご 入力 にゅうりょく システムが使 つか われていた。Windows 3.1日本語 にほんご 版 ばん では標準 ひょうじゅん で日本語 にほんご 入力 にゅうりょく システムの Microsoft IME (MS-IME) が付属 ふぞく した。
用語 ようご の見直 みなお し(日本語 にほんご 版 ばん )
「了解 りょうかい 」→「OK」、「取 と り消 け し」→「キャンセル」、「複写 ふくしゃ 」→「コピー」など。Windows 3.1ベータ版 ばん のユーザー調査 ちょうさ を基 もと にメニューやマニュアルなどで使 つか われる用語 ようご が変更 へんこう された。
マイクロソフト自社 じしゃ ブランドでの発売 はつばい (PC/AT互換 ごかん 機 き ・PC-9800シリーズ用 よう 日本語 にほんご 版 ばん )
日本 にっぽん においてはWindows 3.0以前 いぜん は各 かく パソコンメーカー毎 ごと にそれぞれのパソコン向 む けにOEM 供給 きょうきゅう されていた。その結果 けっか 、ソフトウェアメーカーはいずれかのパソコンメーカーのWindowsに合 あ わせてWindowsソフトを開発 かいはつ することになり、機種 きしゅ に依存 いぞん しないはずのWindowsソフトが動作 どうさ 機種 きしゅ を限定 げんてい して発売 はつばい される場合 ばあい が出 で てきた。そのため、マイクロソフトがリファレンスとして自社 じしゃ ブランドのWindowsを販売 はんばい することで、機種 きしゅ を限定 げんてい しないWindowsソフトの開発 かいはつ を促 うなが した。その一方 いっぽう で前 ぜん バージョンに引 ひ き続 つづ きOEM供給 きょうきゅう によるパソコンメーカー(日本 にっぽん IBM・NEC・セイコーエプソン)からの販売 はんばい も行 おこな われ、これらは付属 ふぞく するアプリケーションや日本語 にほんご 入力 にゅうりょく システムなどに一部 いちぶ 独自 どくじ 要素 ようそ があった。一方 いっぽう 、シェアの少 すく ないPC-9800シリーズ用 よう 英語 えいご 版 ばん [注 ちゅう 6] 、富士通 ふじつう FMRシリーズ ・FM TOWNS 版 はん ・東芝 とうしば J-3100シリーズ 版 はん は各 かく メーカーによるOEM版 ばん のみの発売 はつばい となった。
日本 にっぽん 向 む けにローカライズされなかったが、以下 いか のものが存在 そんざい した。
Windows for Workgroups 3.1
1992年 ねん 10月 がつ 27日 にち リリース[69] 。Windows 3.1 にファイル共有 きょうゆう などのネットワーク機能 きのう を追加 ついか するアドオンパッケージ。NetBIOS 上 うえ のSMB プロトコルを利用 りよう するものであった[70] 。Windows for Workgroupsの日本語 にほんご 版 ばん は発売 はつばい されなかった。1994年 ねん に次期 じき Windows(Windows 95 )が発売 はつばい される見込 みこ みであったことから、米国 べいこく のマイクロソフト本社 ほんしゃ が開発 かいはつ しない決定 けってい を下 くだ したためと推測 すいそく された[69] 。
Windows 3.11
1992年 ねん 12月31日 にち リリース[3] 。Windows 3.1 のアップデート版 ばん (今 いま で言 い うところのサービスパック適用 てきよう 版 ばん )であり、Windows 3.1のパッケージを小 しょう 変更 へんこう した形 かたち で発売 はつばい された。この修正 しゅうせい ファイルはCompuServe 等 ひとし のパソコン通信 つうしん でも配布 はいふ された[71] 。
Windows for Workgroups 3.11
1993年 ねん 11月リリース[69] 。P2P通信 つうしん の無効 むこう 化 か 設定 せってい を追加 ついか 、IPX/SPX プロトコルスタック、32ビットファイルアクセス等 とう Windows 95 で実装 じっそう される予定 よてい のものを一部 いちぶ 先取 さきど りで実装 じっそう している[72] 。TCP/IP をサポートするアドオンもパソコン通信 つうしん を通 つう じて供給 きょうきゅう された[32] 。日本語 にほんご 版 ばん は発売 はつばい されなかった。Windows 3.11とは別 べつ のフルパッケージとして発売 はつばい されている。
Windows 3.2
1994年 ねん リリース。Windows 3.11 を簡体字 かんたいじ 中国 ちゅうごく 語 ご (中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 向 む け)へローカライズしたバージョン[73] 。なお、簡体字 かんたいじ 中国語 ちゅうごくご 市場 いちば へはそれまで英語 えいご 版 ばん をリリースしていた。
発売 はつばい 前 まえ から長 なが らく期待 きたい を集 あつ めていたWindows 3.0は、北米 ほくべい を中心 ちゅうしん に急速 きゅうそく に普及 ふきゅう した。1年 ねん 経 た たずして100万 まん 本 ほん の出荷 しゅっか を記録 きろく し[74] 、マイクロソフトの売上 うりあげ 高 だか は1990年度 ねんど (1989年 ねん 7月 がつ -1990年 ねん 6月 がつ )の11.8億 おく ドル から1991年度 ねんど (1990年 ねん 7月 がつ -1991年 ねん 6月 がつ )は55.8%増 ぞう の18.4億 おく ドルとなった。ソフトウェア市場 いちば におけるWindowsアプリケーションの売上 うりあげ はDOSアプリケーション市場 いちば の40 %に相当 そうとう するとされた[75] 。1990年 ねん 末 まつ には数々 かずかず の主要 しゅよう なコンピュータ雑誌 ざっし から賞賛 しょうさん を浴 あ びた。
PC
時代 じだい の
年代 ねんだい 記 き が
書 か かれるとしたら、1990
年 ねん 5
月 がつ 22
日 にち はIBM
互換 ごかん PCが
新 しん 時代 じだい に
入 はい った
最初 さいしょ の
日 ひ として
記録 きろく されることになろう。この
日 ひ 、マイクロソフトがWindows 3.0をリリースした。そしてこの
日 ひ 、
時代遅 じだいおく れの
文字 もじ ベース・オペレーティングシステムと70
年代 ねんだい スタイルのソフトに
足 あし を
引 ひ っ
張 ぱ られていたIBM
互換 ごかん PCが、マルチタスクが
可能 かのう でグラフィカルな
操作 そうさ 環境 かんきょう とパワフルな
新 しん ソフトの
時代 じだい に
飛翔 ひしょう するコンピュータとして
生 う まれ
変 か わった。Windows 3.0は、
先輩 せんぱい たち(
VisiOn 、
GEM 、
初期 しょき バージョンのWindows、OS/2のプレゼンテーションマネージャ)にできなかったことを、
見事 みごと にやってのけた。
新 しん バージョンは
十分 じゅうぶん に
強力 きょうりょく で、
既存 きそん のDOSアプリケーションを
受 う け
付 つ け、PCにぴったり
合 あ っている。この149ドルのプログラムは、マルチタスク
機能 きのう を
持 も つグラフィカルな
環境 かんきょう をPC
上 じょう で
提供 ていきょう する
試 こころ みの
中 なか で、
最 もっと もうまくいった
例 れい と
言 い えよう。
—
Daniel Ichbiah/Susan L.Knepper 「第 だい 20章 しょう ミライのビジョン」『マイクロソフト-ソフトウェア帝国 ていこく 誕生 たんじょう の軌跡 きせき -』 椋 むく 田 でん 直子 なおこ 訳 やく 、アスキー、1992年 ねん 7月 がつ 1日 にち 、390-391頁 ぺーじ 。ISBN 978-4-7561-0118-1 。訳文 やくぶん の原文 げんぶん は『PC Computing』1990年 ねん 12月 がつ 号 ごう より。
Windows 3.0のユーザーインターフェイスやファイルマネージャ はMacintoshに及 およ ばないが使 つか いやすくなったと評価 ひょうか された[11] 。メモリ管理 かんり やDOSとの互換 ごかん 性 せい の改善 かいぜん も複数 ふくすう の雑誌 ざっし で良 よ い評価 ひょうか を得 え た[74] 。一方 いっぽう で、多数 たすう のユーザーが所有 しょゆう するIntel 80286機 き では満足 まんぞく する動作 どうさ は見込 みこ めず、比較的 ひかくてき 新 あたら しいIntel 80386 (i386)以上 いじょう のシステムが必要 ひつよう だという点 てん が最大 さいだい の問題 もんだい として指摘 してき された[1] 。これに対 たい しマイクロソフト側 がわ は「プラットフォームにかかわらずユーザーはWindows 3.0の恩恵 おんけい を得 え られる。386ベースのシステムで最 もっと も性能 せいのう を発揮 はっき するが、最小 さいしょう システムではタスクスイッチャーとして働 はたら く。また、ユーザーはDOSのグラフィカルインターフェイスを獲得 かくとく する。」と回答 かいとう した[74] 。
日本 にっぽん においてWindows 3.0は米国 べいこく ほど広 ひろ がりを見 み せなかったが、その要因 よういん として以下 いか の問題 もんだい が挙 あ がった。
一太郎 いちたろう などWindows 3.0にネイティブに対応 たいおう するソフトウェアがまだ十分 じゅうぶん に出揃 でそろ っていなかった。[76]
当時 とうじ の日本 にっぽん ではPC-9800シリーズ がパソコン市場 いちば の50 %以上 いじょう を占 し めていた。英語 えいご 版 ばん では複数 ふくすう のDOSアプリケーションをウィンドウで並 なら べ、従来 じゅうらい の資産 しさん も有効 ゆうこう に活用 かつよう できることをセールスポイントにしていたが、PC-9800シリーズ版 ばん では旧 きゅう バージョンと同様 どうよう に全 ぜん 画面 がめん での排他 はいた 利用 りよう しかできなかった。そのため、販売 はんばい 店 てん 側 がわ も販促 はんそく デモの展示 てんじ にあたってウィンドウ表示 ひょうじ を活用 かつよう することに苦慮 くりょ した。[76]
Windows上 じょう でDOSアプリケーションを使用 しよう するにはPIFエディタ であらかじめ環境 かんきょう 設定 せってい を行 おこな う必要 ひつよう があったが、MS-DOSのメモリ管理 かんり は複雑 ふくざつ 化 か しており、初心者 しょしんしゃ には難 むずか しい作業 さぎょう であった。多 おお くのソフトウェアメーカーは設定 せってい 方法 ほうほう を公開 こうかい したが、ロータス やアスキー などサポートの都合 つごう から設定 せってい 方法 ほうほう を公開 こうかい しないメーカーも存在 そんざい した。[77]
PC-9800シリーズを含 ふく め、Windowsを快適 かいてき に動作 どうさ させるために必要 ひつよう なハードウェアを揃 そろ えるとなると多額 たがく な投資 とうし が必要 ひつよう になった。[76]
スティーブ・バルマー (当時 とうじ 、マイクロソフト上級 じょうきゅう 副 ふく 社長 しゃちょう )も翌 よく 1992年 ねん の来日 らいにち 記者 きしゃ 会見 かいけん にて同様 どうよう の見解 けんかい を示 しめ した。
—スティーブ・バルマー。「マイクロソフト副 ふく 社長 しゃちょう 、日本 にっぽん 出荷 しゅっか は予定 よてい 通 どお り―ウィンドウズNT、来年 らいねん 中 ちゅう 。」『日経 にっけい 産業 さんぎょう 新聞 しんぶん 』1992年 ねん 10月 がつ 13日 にち 、6面 めん の引用 いんよう 文 ぶん より。
PC-9800シリーズ版 ばん の発売 はつばい 当初 とうしょ は受注 じゅちゅう に生産 せいさん が追 お いつかない状況 じょうきょう が続 つづ いた。これについて日本電気 にほんでんき は、受注 じゅちゅう が予想 よそう を上回 うわまわ ったためメディアやマニュアルの生産 せいさん が追 お いついていないことを説明 せつめい した[78] 。これに対 たい してソフトハウスの間 あいだ では「機種 きしゅ の違 ちが いで画面 がめん に現 あらわ れるフォント(書体 しょたい )が異 こと なったり、印刷 いんさつ が狂 くる うなどの不具合 ふぐあい (バグ )を見 み つけて出荷 しゅっか を止 と めているのでは。」という推測 すいそく が流 なが れた[76] 。
日本 にっぽん IBMのDOS/V 版 はん はMS-DOSアプリケーションの複数 ふくすう ウィンドウ表示 ひょうじ に対応 たいおう していたが、PC-9800シリーズ対応 たいおう ソフトが約 やく 1万 まん 本 ほん であったことに比 くら べ、1990年 ねん に発売 はつばい されたばかりのDOS/Vに対応 たいおう するアプリケーションは約 やく 200本 ほん と少 すく なく、こちらも旧 きゅう 資産 しさん の継承 けいしょう という訴求 そきゅう 材料 ざいりょう だけでは不十分 ふじゅうぶん であった[79] 。
日本 にっぽん のPC国内 こくない 出荷 しゅっか 台数 だいすう (青 あお 線 せん )と出荷 しゅっか 額 がく (赤 あか 線 せん )(JEITA 調 しら べ)
Windows 3.1に対 たい する雑誌 ざっし の反応 はんのう は使 つか い勝手 がって や信頼 しんらい 性 せい が向上 こうじょう したという好意 こうい 的 てき なものであった。米国 べいこく のPC Magazine誌 し はレビュー記事 きじ に「UAE(修復 しゅうふく 不可能 ふかのう なアプリケーションエラー)の終 お わり、新 あたら しい印刷 いんさつ エンジン、賢 かしこ くなったSMARTDriveなど。マイクロソフトはWindowsを安定 あんてい した豊 ゆた かな環境 かんきょう にするために磨 みが きをかけた。」という序文 じょぶん を付 つ け[80] 、日本 にっぽん の日経 にっけい パソコン誌 し は「ドラマチックな変化 へんか はないものの、信頼 しんらい 性 せい が低 ひく い、処理 しょり 速度 そくど が遅 おそ いなど、Windows 3.0での不満 ふまん 点 てん を改良 かいりょう した。」と評 ひょう した[81] 。
マイクロソフト日本 にっぽん 法人 ほうじん は自社 じしゃ のWindows対応 たいおう ソフトの売 う り込 こ みを強化 きょうか し、Windowsの普及 ふきゅう を推進 すいしん した。例 たと えば、表 おもて 計算 けいさん ソフトのExcel 4.0は1993年 ねん 5月 がつ に98000円 えん から58000円 えん へと40%の値下 ねさ げ。6月25日 にち から他社 たしゃ の日本語 にほんご 文書 ぶんしょ 作成 さくせい ソフトを使用 しよう しているユーザーを対象 たいしょう に、58000円 えん のWord 5.0を25000円 えん で販売 はんばい する「乗 の り換 か え・アップグレード・サービス」を開始 かいし した。これは1993年 ねん 4月 がつ に発売 はつばい された一太郎 いちたろう Ver.5(4年 ねん ぶりとなる新 しん バージョン)に対抗 たいこう したものと思 おも われた[82] 。同日 どうじつ にWordとExcelをセットにした、日本語 にほんご 版 ばん で最初 さいしょ のバージョンとなるMicrosoft Office を発売 はつばい [83] 。翌 よく 1994年 ねん 2月 がつ のOffice 1.5発表 はっぴょう までに8万 まん 本 ほん を出荷 しゅっか し[84] 、1994年 ねん 後半 こうはん になると月 つき 20万 まん 本 ほん ペースの出荷 しゅっか になる[85] 。オフィスソフト市場 いちば におけるマイクロソフトのシェアは急 きゅう 拡大 かくだい することになった。
Windows 3.1のマルチメディア機能 きのう は個人 こじん 市場 いちば の開拓 かいたく を促 うなが し、ExcelやOfficeは企業 きぎょう にWindowsの導入 どうにゅう を促 うなが した[86] 。
後年 こうねん の評価 ひょうか としては、日本 にっぽん でのWindows 3.1はWindowsがパソコンユーザーに受 う け入 い れられた期間 きかん であったものの、パソコンが本当 ほんとう に一般 いっぱん に普及 ふきゅう し始 はじ めたのはWindows 95 からとされている[87] [88] 。しかしWindows 3.1の広 ひろ がりは、日本 にっぽん メーカーの国内 こくない 向 む けパソコンを独自 どくじ 開発 かいはつ から世界 せかい 標準 ひょうじゅん のPC/AT互換 ごかん 機 き に転換 てんかん させ、「鎖国 さこく 状態 じょうたい 」を解消 かいしょう したことで競争 きょうそう 力 りょく が上 あ がり、パソコンの低 てい 価格 かかく 化 か が進 すす んだことで普及 ふきゅう を後押 あとお しすることになった[87] [89] 。
マイクロソフトとIBMが共同 きょうどう 開発 かいはつ していたOS/2 との関係 かんけい について、Windows 3.0発売 はつばい 当初 とうしょ は両者 りょうしゃ が明確 めいかく な立場 たちば を示 しめ さなかったため、このことはマスコミや公衆 こうしゅう の間 あいだ で物議 ぶつぎ を醸 かも した。Windowsはユーザーのニーズに対応 たいおう したことで多数 たすう のユーザーを獲得 かくとく しているが、ふたを開 あ けるとそこには旧態 きゅうたい 依然 いぜん のDOSが存在 そんざい する。業界 ぎょうかい では、技術 ぎじゅつ 的 てき にはOS/2の方 ほう が上回 うわまわ っており、長 なが い目 め で見 み ればOS/2やUNIX の方 ほう が有利 ゆうり であるという意見 いけん で一致 いっち した[1] [74] [11] 。
1990年 ねん 9月 がつ 17日 にち 、マイクロソフトとIBMは共同 きょうどう 声明 せいめい を出 だ して、マイクロソフトはDOSとWindows、IBMはOS/2の開発 かいはつ に専念 せんねん することを明 あき らかにした[90] [91] 。日本 にっぽん IBMは1991年 ねん 5月 がつ 7日 にち 付 づ けのOS/2 J2.0の発表 はっぴょう 資料 しりょう で、Windowsを個人 こじん ユーザー向 む けのエントリーGUIシステム、OS/2を企業 きぎょう ユーザー向 む けの統合 とうごう プラットフォームとして位置 いち づけ[92] 、OS/2 2.0はDOS 5.0とWindows 3.0を統合 とうごう したエンタープライズ向 む けシステムとして紹介 しょうかい していた[93] 。IBMはOS/2を情報 じょうほう システムを構成 こうせい するものとして企業 きぎょう ユースに考 かんが えていたのに対 たい し、マイクロソフトはスタンドアロンで使用 しよう する個人 こじん ユースを想定 そうてい していたため、営業 えいぎょう 戦略 せんりゃく の不一致 ふいっち が決別 けつべつ の一因 いちいん となった。別 べつ の要因 よういん として、開発 かいはつ 体制 たいせい や社風 しゃふう の違 ちが いで生 しょう じた企業 きぎょう 間 あいだ の壁 かべ も指摘 してき された。[94] [95]
マイクロソフトとIBMの対立 たいりつ は1992年 ねん にかけて深 ふか まっていった。1991年 ねん 10月 がつ 21日 にち 、IBMがOS/2 2.0を12月31日 にち までに出荷 しゅっか すると発表 はっぴょう すると、マイクロソフトのスティーブ・バルマー は「12月31日 にち までに、IBMがOS/2 2.0を出荷 しゅっか できたら、フロッピー・ディスク を食 た べてみせる」と公言 こうげん した。結局 けっきょく OS/2 2.0の出荷 しゅっか は1992年 ねん 3月 がつ 31日 にち に延期 えんき されたが、この出来事 できごと はマイクロソフトとIBMの対立 たいりつ を印象 いんしょう づけるものになった[90] 。同 どう 時期 じき に発売 はつばい されたWindows 3.1はさらに勢 いきお いを付 つ け、1993年 ねん にはWindowsの圧勝 あっしょう の様相 ようそう となった[94] 。これについてOS/2の共同 きょうどう 開発 かいはつ に参加 さんか したマイクロソフトの開発 かいはつ 者 しゃ は次 つぎ のように語 かた っている。
OS/2はハイエンドなマシン向 む けでマイクロプロセッサもインテルの386以上 いじょう になりますし、メモリーもたくさん必要 ひつよう とします。技術 ぎじゅつ 的 てき に優 すぐ れ、パフォーマンスも良 よ いし、製品 せいひん としては優 すぐ れていると思 おも います。しかしアプリケーション・ソフトが少 すく ないんです。ウィンドウズはマイクロプロセッサは286以上 いじょう (ウィンドウズ3.1では386以上 いじょう )が必要 ひつよう ですが、アプリケーション・ソフトも多 おお くてハードウェアも安 やす いので、価格 かかく の点 てん でウィンドウズが一般 いっぱん 的 てき にはよく買 か われるようになったのです。
—シンディ・ダーキン。 『マイクロソフト・ウィンドウズ戦略 せんりゃく のすべて - 新 しん 情報 じょうほう ネットワーク時代 じだい への挑戦 ちょうせん 』 TBSブリタニカ、1993年 ねん 10月 がつ 7日 にち 。143頁 ぺーじ の引用 いんよう 文 ぶん より。
なお、マイクロソフト日本 にっぽん 法人 ほうじん と日本 にっぽん IBMはDOS/Vの営業 えいぎょう で協力 きょうりょく 関係 かんけい にあり[95] 、1993年 ねん 12月にもMS-DOS 6.2/VとPC DOS J6.1/Vを共同 きょうどう 記者 きしゃ 会見 かいけん で発表 はっぴょう するなど[96] 、良好 りょうこう な関係 かんけい をアピールした。
PC-9800シリーズと日本 にっぽん 国内 こくない PC本体 ほんたい 出荷 しゅっか 台数 だいすう (1990年 ねん から1998年 ねん ) 折 お りしも発売 はつばい 時期 じき がDOS/V の登場 とうじょう とマニア間 あいだ で起 お きたDOS/Vブームが重 かさ なったこともあり、日本 にっぽん でのIBM PC/AT互換 ごかん 機 き 市場 いちば の形成 けいせい に大 おお いに貢献 こうけん した。
1991年 ねん 当時 とうじ 、日本 にっぽん でのパーソナルコンピュータ (PC) 市場 いちば は国内 こくない メーカーで市場 いちば をほぼ独占 どくせん していた。さらに言 い えばNECのPC-9800シリーズで寡占 かせん 状態 じょうたい にあった。PC/AT互換 ごかん 機 き は世界中 せかいじゅう で販売 はんばい されるため開発 かいはつ コストは日本 にっぽん 市場 いちば でしか販売 はんばい できない国内 こくない 専用 せんよう 製品 せいひん と比 くら べ物 もの にならないほど安価 あんか だったが[97] 、日本語 にほんご という障壁 しょうへき のため参入 さんにゅう できない状態 じょうたい にあった。NECの製品 せいひん 展開 てんかい は同社 どうしゃ のオフィスコンピュータ (オフコン)などとの兼 か ね合 あ いから同 どう 時期 じき のPC/AT互換 ごかん 機 き よりも低 ひく い性能 せいのう レベルに据 す え置 お かれ、価格 かかく も引 ひ き下 さ げられなかった[要 よう 出典 しゅってん ] 。しかし、安価 あんか かつ高性能 こうせいのう なPC/AT互換 ごかん 機 き で日本語 にほんご が扱 あつか え国産 こくさん PCとも共通 きょうつう のアプリケーション が利用 りよう できるWindowsの事実 じじつ 上 じょう の完成 かんせい により、国内 こくない におけるPC/AT互換 ごかん 機 き 市場 いちば は1994年 ねん にかけて急 きゅう 拡大 かくだい することになった[22] 。NECも同社 どうしゃ のPC向 む けにWindowsを提供 ていきょう していたが、MS-DOS環境 かんきょう において存在 そんざい していたアプリケーションの優位 ゆうい 性 せい が失 うしな われる結果 けっか となった。
DOS/V版 ばん Windows 3.0では、標準 ひょうじゅん VGA でも640*480/16色 しょく 表示 ひょうじ が可能 かのう で当時 とうじ の主力 しゅりょく 機 き NECのPC-9800シリーズ の640*400/16色 しょく を上回 うわまわ っていたうえ、当時 とうじ すでにほとんどのDOS/V機 き ではSVGA モードを備 そな えていた(もしくはグラフィック回路 かいろ が拡張 かくちょう ボードとして独立 どくりつ しており交換 こうかん が容易 ようい だった)ことから、市販 しはん のドライバ で800*600の高 こう 解像度 かいぞうど をWindowsから利用 りよう することができた[98] 。一部 いちぶ の英語 えいご 版 ばん ディスプレイドライバではさらに高 こう 解像度 かいぞうど ・多色 たしょく (640*480/256色 しょく 、800*600/256色 しょく 、1024*768/16色 しょく など)のGUI表示 ひょうじ を行 おこな うためのパッチファイルや英語 えいご 版 ばん ドライバで日本語 にほんご 表示 ひょうじ を行 おこな う DDD (Display Dispatch Driver) が販売 はんばい されて上級 じょうきゅう ユーザを中心 ちゅうしん にPC-9800シリーズよりもハードウェア 価格 かかく が安 やす くて高性能 こうせいのう なPC/AT互換 ごかん 機 き を求 もと めるケースが増 ふ え、市場 いちば が立 た ち上 あ がり始 はじ めた。[99] [100]
次 つぎ のDOS/V版 ばん Windows 3.1では多 おお くの英語 えいご 版 ばん ディスプレイドライバを直接 ちょくせつ 使用 しよう しても高 こう 解像度 かいぞうど ・多色 たしょく のGUI表示 ひょうじ ができるようになる。また発売 はつばい にあわせてTVCMも放映 ほうえい され、本木 もとぎ 雅弘 まさひろ が「Windows!」を連呼 れんこ するというインパクトのあるもので[101] 、国内 こくない においてWindowsの名前 なまえ を広 ひろ く知 し らしめたことにより、PC-9800シリーズにこだわる必要 ひつよう がないというユーザーが増 ふ えていった。日本語 にほんご 版 ばん Windows 3.1からアウトラインフォント TrueType および、マイクロソフト版 ばん においてはかな漢字 かんじ 変換 へんかん ソフト Microsoft IME が標準 ひょうじゅん として採用 さいよう され[注 ちゅう 7] 、各 かく アーキテクチャ向 む けにて相違 そうい があった日本語 にほんご の入出力 にゅうしゅつりょく 環境 かんきょう の統一 とういつ を図 はか った。[102] [103] [104] [105] さらにPCパーツ店 てん による組 く み立 た てPC や外国 がいこく のPCメーカーによるこの組 く み合 あ わせでの新規 しんき 参入 さんにゅう も相次 あいつ ぎ、市場 いちば ニーズがPC/AT互換 ごかん 機 き へシフトするきっかけとなる。
次 つぎ に買 か いたいパソコン(日経 にっけい パソコン1993年 ねん 5月 がつ 調 しら べ)
とは言 い え、まだこの段階 だんかい ではPC-9800シリーズ も強力 きょうりょく だった。オープンであるがゆえに規格 きかく の統一 とういつ が今 いま ひとつのOADG 規格 きかく とその派生 はせい 製品 せいひん はこれらのオプション類 るい の利用 りよう にPC-98シリーズより手間 てま を要 よう した。当然 とうぜん 、日本 にっぽん のパソコン周辺 しゅうへん 機器 きき メーカーはPC-9821シリーズのWindows 3.1用 よう の周辺 しゅうへん 機器 きき も発売 はつばい し、量販 りょうはん 効果 こうか ですぐに値下 ねさ がりした。企業 きぎょう ユースやゲーム市場 いちば では、PC-98用 よう ソフトの互換 ごかん 性 せい を求 もと めるユーザーもまだ相当 そうとう 数 すう 存在 そんざい していた。更 さら に、製造元 せいぞうもと であるNECやPC-98互換 ごかん 機 き メーカーであるセイコーエプソン による価格 かかく 引 ひ き下 さ げなどの対抗 たいこう 策 さく もあり、1995年 ねん まで50%のシェアを確保 かくほ し続 つづ けた[22] [106] [107] 。この流 なが れが本格 ほんかく 化 か するのは、機器 きき の相違 そうい をデバイス仮想 かそう 化 か などの方法 ほうほう によってOS側 がわ で吸収 きゅうしゅう したWindows 95 以降 いこう である。
1995年 ねん 8月 がつ に発売 はつばい されたWindows 95 はそれまでパソコンに興味 きょうみ を持 も たなかった人々 ひとびと の関心 かんしん を集 あつ め、個人 こじん 市場 いちば の開拓 かいたく に成功 せいこう した。企業 きぎょう でもWindows 95を要望 ようぼう する従業 じゅうぎょう 員 いん の声 こえ をき入 きい れて買 か い換 か えを支援 しえん する動 うご きが見 み られた。日経 にっけい パソコンが1996年 ねん 2月 がつ に日本 にっぽん の企業 きぎょう 110社 しゃ に対 たい して行 い った調査 ちょうさ では、Windows 95の「導入 どうにゅう 予定 よてい あり」が64%、「未定 みてい 」が42%、「導入 どうにゅう 予定 よてい なし」が4%となった。「Windows 95の導入 どうにゅう をどのように進 すす めていくか」の問 と いに対 たい して、「新規 しんき に導入 どうにゅう したパソコンを中心 ちゅうしん に徐々 じょじょ に移行 いこう する」が30%となったものの、「既存 きそん のパソコンを含 ふく めて積極 せっきょく 的 てき に切 き り替 か える」はわずか8%に留 と まり、既存 きそん 環境 かんきょう の移行 いこう には慎重 しんちょう な姿勢 しせい が見 み られた。「Windows 95の導入 どうにゅう で、特 とく に問題 もんだい が多 おお かった項目 こうもく は」の問 と いに対 たい しては、「MS-DOS対応 たいおう やWindows 3.1対応 たいおう ソフトの動作 どうさ 」(39%)、「既存 きそん のネットワークやデータベースとの接続 せつぞく 」(35%)、「インストール関連 かんれん 」(32%)となった。[108]
マイクロソフトはOffice 95 やVisual Basic 4.0など、自社 じしゃ 製品 せいひん のWindows 3.1に対 たい するサポートをまもなく打 う ち切 き った。しかし、1996年度 ねんど にIDCが行 おこな ったデスクトップOS選択 せんたく 率 りつ の調査 ちょうさ では、Windows 95が62.9%、Windows 3.1/3.11が17.4%となり、データクエストが米国 べいこく の大 だい 企業 きぎょう を対象 たいしょう に行 い った調査 ちょうさ では、マイクロソフト社 しゃ 製 せい OS利用 りよう 者 しゃ のうち86%がWindows 3.1/3.11を使用 しよう していると報告 ほうこく した。あるソフトウェア・エンジニアは「マイクロソフトはまだ多 おお くの3.1が使 つか われていることを把握 はあく しているが、早 はや くすべてを移行 いこう してそれを忘 わす れることを望 のぞ んでいる。」とコメントした。[109]
1999年 ねん に日経 にっけい パソコンが日本 にっぽん の企業 きぎょう を中心 ちゅうしん に行 い った調査 ちょうさ では、Windows 95の使用 しよう 率 りつ が79.7%にのぼり、Windows 3.1の使用 しよう 率 りつ は6.2%となった。[110]
Windows 3.0(全 ぜん 世界 せかい )
1990年 ねん 5月 がつ 22日 にち 発売 はつばい
1990年 ねん 6月 がつ 22日 にち - 40万 まん 本 ほん [要 よう 出典 しゅってん ]
1990年 ねん 12月30日 にち - 100万 まん 本 ほん [要 よう 出典 しゅってん ]
1991年 ねん 5月 がつ - 300万 まん 本 ほん 以上 いじょう [111]
1992年 ねん 4月 がつ - 900万 まん 本 ほん [94] [112]
Windows 3.0(日本 にっぽん )
1991年 ねん 1月 がつ 23日 にち - NEC版 ばん 発売 はつばい
1991年 ねん 3月 がつ 13日 にち - 日本 にっぽん IBM版 ばん 発売 はつばい
1991年 ねん 5月 がつ - 日本電気 にほんでんき 版 ばん 、受注 じゅちゅう 累計 るいけい 6万 まん 本 ほん [78]
1993年 ねん 5月 がつ - 44万 まん 本 ほん [65] [113]
Windows 3.1(全 ぜん 世界 せかい )
1992年 ねん 4月 がつ 6日 にち 発売 はつばい - 受注 じゅちゅう 100万 まん 本 ほん [112]
初日 しょにち 出荷 しゅっか 100万 まん 本 ほん [114]
1992年 ねん 4月 がつ 12日 にち - 1週間 しゅうかん で100万 まん 本 ほん 販売 はんばい [115]
1993年 ねん 5月 がつ - 2500万 まん 本 ほん [116]
1994年 ねん 1月 がつ 末 まつ - 4000万 まん 本 ほん [要 よう 出典 しゅってん ]
1995年 ねん 1月 がつ - 6000万 まん 本 ほん [要 よう 出典 しゅってん ]
1995年 ねん 8月 がつ - 1億 おく 本 ほん [114]
Windows 3.1(北米 ほくべい )
1995年 ねん 5月 がつ 26日 にち - 発売 はつばい から50日 にち で100万 まん 本 ほん 販売 はんばい [117]
Windows 3.1(日本 にっぽん )
1993年 ねん 5月 がつ 12日 にち - 日本電気 にほんでんき 版 ばん 発売 はつばい
1993年 ねん 5月 がつ 14日 にち - 日本電気 にほんでんき 版 ばん 、受注 じゅちゅう 6.5万 まん 本 ほん [116]
1993年 ねん 5月 がつ 18日 にち - マイクロソフト版 ばん 発売 はつばい
1993年 ねん 6月 がつ 末 まつ - 40万 まん 本 ほん [113]
1994年 ねん 5月 がつ 17日 にち - 146万 まん 本 ほん [118]
1995年 ねん 2月 がつ - 300万 まん 本 ほん 突破 とっぱ [119]
1995年 ねん 5月 がつ 末 まつ - 402万 まん 本 ほん [119]
^ a b ソリティアでは組 くみ 札 さつ に移動 いどう 可能 かのう なカードを瞬時 しゅんじ にすべて積 つ む(Ctrl + A)機能 きのう が右 みぎ クリックに割 わ り当 あ てられていることが知 し られるが、この機能 きのう が実装 じっそう されたのはWindows 2000 からであり、当時 とうじ のソリティアにはまだ右 みぎ クリックに特別 とくべつ な機能 きのう は割 わ り当 あ てられていなかった。
^ Windows 3.0からアップグレードインストールした場合 ばあい はリバーシも引 ひ き続 つづ き利用 りよう できる。
^ ただし、MS-DOSアプリケーションが応答 おうとう しなくなったときの最終 さいしゅう 手段 しゅだん として、コントロールメニューから「設定 せってい 」ダイアログを開 ひら き、「強制 きょうせい 終了 しゅうりょう 」ボタンで終了 しゅうりょう することができる。
^ Windows 3.1付属 ふぞく のマニュアル『Microsoft Windows Operating System Version 3.1 機能 きのう ガイド』にはほとんどの操作 そうさ 手順 てじゅん にマウスとキーボードの両方 りょうほう の手順 てじゅん が記載 きさい されている。
^ Windowsの背景 はいけい 画面 がめん のこと。Windows 3.0ではデスクトップという名称 めいしょう であったが、Windows 3.1ではデスクトップの名称 めいしょう は使用 しよう されていない。
^ 要求 ようきゅう される性能 せいのう がPC/AT版 ばん より高 たか く、486SX(25MHz)以上 いじょう のCPUと3.6MB以上 いじょう (推奨 すいしょう 5.6MB以上 いじょう )のメモリを必要 ひつよう とし、ノーマル(スタンダード)モードでしか使用 しよう できなかった。
^ なお、NEC版 ばん ではNEC独自 どくじ のIME「NECAI」が採用 さいよう されていた。IBM版 ばん ではMS-IMEとIASインタフェースかな漢字 かんじ 変換 へんかん プログラムが切替 きりかえ 可能 かのう だった。セイコーエプソン版 ばん ではMicrosoft IMEと同一 どういつ ながら名称 めいしょう が開発元 かいはつもと のエーアイ・ソフトによる「WXA-WIN」の名称 めいしょう で採用 さいよう され、東芝 とうしば 版 ばん では当時 とうじ 市販 しはん されていなかったATOK 7(ジャストシステム )のWindows版 ばん が採用 さいよう されていた。
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岩淵 いわぶち 明男 あきお 『マイクロソフト・ウィンドウズ戦略 せんりゃく のすべて - 新 しん 情報 じょうほう ネットワーク時代 じだい への挑戦 ちょうせん 』TBSブリタニカ、1993年 ねん 10月 がつ 7日 にち 。ISBN 4-4849-3228-8 。
脇 わき 英世 ひでよ 『WINDOWSの時代 じだい - マイクロソフトはパソコンをどう変 か えるか』講談社 こうだんしゃ 、1994年 ねん 3月 がつ 22日 にち 。ISBN 4-0615-4211-7 。
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