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戦闘せんとう指揮しきしょ」のはんあいだ差分さぶん

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[[File:USS Lexington Combat Information Center.jpg|thumb|400px|博物館はくぶつかん「[[レキシン (CV-16)|レキシン]]」で再現さいげんされているCIC。]]
[[File:USS-Hornet-CV-12-Dsc08428.jpg|thumb|400px|博物館はくぶつかん「[[ホーネット (CV-12)|ホーネット]]」で再現さいげんされているCIC。]]
'''戦闘せんとう指揮しきしょ'''(せんとうしきしょ、Combat Information Center:CIC)とは、現代げんだいの[[軍艦ぐんかん]]における戦闘せんとう情報じょうほう中枢ちゅうすうのことである。[[レーダー]]や[[ソナー]]、[[通信つうしん]]などや、自艦じかん状態じょうたいかんする情報じょうほう集約しゅうやくされる部署ぶしょであり、指揮しき発令はつれいもここからおこなう。[[航空こうくう母艦ぼかん]]においてCICに相当そうとうする部署ぶしょは、CDC(Combat Direction Center)ばれる。
'''戦闘せんとう指揮しきしょ'''(せんとうしきしょ、{{Lang-en|Combat Information Center}}、'''CIC''')とは、現代げんだいの[[軍艦ぐんかん]]における[[戦闘せんとう]][[情報じょうほう]]中枢ちゅうすうのことである。[[レーダー]]や[[ソナー]]、[[通信つうしん]]などや、自艦じかん状態じょうたいかんする情報じょうほう集約しゅうやくされる部署ぶしょであり、[[指揮しき (軍事ぐんじ)|指揮しき]][[命令めいれい|発令はつれい]]もここからおこなう。[[航空こうくう母艦ぼかん]]においてCICに相当そうとうする部署ぶしょは、CDC(Combat Direction Center)ばれる。


その性質せいしつじょうおおくの[[機密きみつ情報じょうほう]]をあつかうため、運用うんよう時間じかんちゅう乗組のりくみいんであってもりには制限せいげんくわえられる。
その性質せいしつじょうおおくの[[軍事ぐんじ機密きみつ|機密きみつ情報じょうほう]]をあつかうため、運用うんよう時間じかんちゅう[[乗組のりくみいん]]であってもりには制限せいげんくわえられる。
[[海上かいじょう自衛隊じえいたい]]では、この区画くかくをクリーンCとさだめている。


== 概要がいよう ==
== 概要がいよう ==
CICには、[[戦術せんじゅつ情報処理じょうほうしょり装置そうち]]や[[戦術せんじゅつデータ・リンク]]をはじめとする各種かくしゅの[[C4Iシステム]]が装備そうびされている。これらはオペレータとともにマン・マシン・システムを形成けいせいして、戦闘せんとうちゅう情報処理じょうほうしょり一括いっかつしてになう。すなわち、CICは、かんのC4Iシステムとオペレータとを連接れんせつするための[[マンマシンインタフェース]]としての役割やくわりっており、その設計せっけいは、かんのシステム統合とうごうにあたってきわめて重要じゅうようである。
CICには、[[戦術せんじゅつ情報処理じょうほうしょり装置そうち]]や[[戦術せんじゅつデータ・リンク]]をはじめとする各種かくしゅの[[C4Iシステム]]が装備そうびされている。これらは[[オペレータ]]とともにマン・マシン・システムを形成けいせいして、戦闘せんとうちゅう情報処理じょうほうしょり一括いっかつしてになう。すなわち、CICは、かんのC4Iシステムとオペレータとを連接れんせつするための[[マンマシンインタフェース]]としての役割やくわりっており、その設計せっけいは、かんのシステム統合とうごうにあたってきわめて重要じゅうようである。


当初とうしょ、CICは、たんに、かん戦闘せんとうかんする情報処理じょうほうしょり一括いっかつしておこなうための部屋へやというにぎず、そのなかでの情報処理じょうほうしょりはほとんど完全かんぜん手動しゅどうであった。その航空機こうくうき性能せいのう向上こうじょうと[[コンピュータ]]の発達はったつ背景はいけい自動じどうこころみられ、[[1950年代ねんだい]]初頭しょとうよりまず[[カナダ]]で、ついで[[イギリス]]、[[アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく|アメリカ]]で開始かいしされた。初期しょきは、レーダーなどの画面がめん表示ひょうじされた目標もくひょう情報じょうほう入力にゅうりょくけて、これを管理かんりし、射撃しゃげき指揮しき装置そうち移管いかんするという、いわゆる'''武器ぶき管制かんせい装置そうち'''にとどまっていた。これらは、あくまでCICの装備そうびひんのひとつにぎなかった。
当初とうしょ、CICは、たんに、かん戦闘せんとうかんする情報処理じょうほうしょり一括いっかつしておこなうための[[部屋へや]]というにぎず、そのなかでの情報処理じょうほうしょりはほとんど完全かんぜん手動しゅどうであった。その[[航空機こうくうき]][[性能せいのう]]向上こうじょうと[[コンピュータ]]の発達はったつ背景はいけい[[自動じどう]]こころみられ、[[1950年代ねんだい]]初頭しょとうよりまず[[カナダ]]で、ついで[[イギリス]]、[[アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく|アメリカ]]で開始かいしされた。初期しょきは、レーダーなどの画面がめん表示ひょうじされた目標もくひょう情報じょうほう入力にゅうりょくけて、これを管理かんりし、[[射撃しゃげき]]指揮しき装置そうち移管いかんするという、いわゆる'''[[武器ぶき]]管制かんせい装置そうち'''にとどまっていた。これらは、あくまでCICの装備そうびひんのひとつにぎなかった。


その、より徹底的てっていてきにCICとコンピュータの統合とうごうすすめ、マン・マシン・システムとして目標もくひょう脅威きょういレベルを判定はんていする機能きのう付加ふかした、いわゆる'''TEWA'''(Threat evaluation and weapons assignment)システムが開発かいはつされた。アメリカにおいては、[[海軍かいぐん戦術せんじゅつ情報じょうほうシステム|海軍かいぐん戦術せんじゅつ情報じょうほうシステム ('''NTDS''')]]と[[武器ぶき管制かんせいシステム]]('''WDS''': Weapons Direction System)のふくあいシステムとして発展はってんしたのち、[[ターター・システム|ターター-D・システム]]で連接れんせつされ、[[イージスシステム]]において統合とうごうされた。また、NTDS系列けいれつ機種きしゅは、フランスや日本にっぽん、ドイツなどでも派生はせいがた開発かいはつされたほか、イギリスやオランダでは独自どくじ開発かいはつしているが、これらは当初とうしょよりTEWAシステムとして開発かいはつされた。
その、より徹底的てっていてきにCICとコンピュータの統合とうごうすすめ、マン・マシン・システムとして目標もくひょう脅威きょういレベルを判定はんていする機能きのう付加ふかした、いわゆる'''TEWA'''(Threat evaluation and weapons assignment)システムが開発かいはつされた。アメリカにおいては、[[海軍かいぐん戦術せんじゅつ情報じょうほうシステム|海軍かいぐん戦術せんじゅつ情報じょうほうシステム ('''NTDS''')]]と[[武器ぶき管制かんせいシステム]]('''WDS''': Weapons Direction System)のふくあいシステムとして発展はってんしたのち、[[ターター・システム|ターター-D・システム]]で連接れんせつされ、[[イージスシステム]]において統合とうごうされた。また、NTDS系列けいれつ機種きしゅは、[[フランス]][[日本にっぽん]][[ドイツ]]などでも派生はせいがた開発かいはつされたほか、イギリスや[[オランダ]]では独自どくじ開発かいはつしているが、これらは当初とうしょよりTEWAシステムとして開発かいはつされた。


CICは軍艦ぐんかんにおいてもっと重要じゅうよう部署ぶしょひとつであり、ここが機能きのううしなうとそのかん戦闘せんとう能力のうりょくひとしくなるため部分ぶぶんくら堅固けんごつくりとなっている通常つうじょう訓練くんれんでは、被弾ひだんしない場所ばしょとしてあつかわれるケースがおおいため、防火ぼうか防水ぼうすいなどのダメージコントロール機能きのう非常ひじょうひくい。[[海上かいじょう自衛隊じえいたい]]の「[[しらね (護衛ごえいかん)|しらね]]」では、CICでの電気でんき火災かさいにより、大破たいはする損害そんがいした
[[海上かいじょう自衛隊じえいたい]]では、CICの区画くかくをクリーンCとさだめている。CICは軍艦ぐんかんにおいてもっと重要じゅうよう部署ぶしょひとつであり、ここが機能きのううしなうとそのかん戦闘せんとう能力のうりょくひとしくなるため部分ぶぶんくら堅固けんごつくりとなっている。


なお、[[海上保安庁かいじょうほあんちょう]]の[[巡視じゅんしせん]]のうち、指揮しき統制とうせい機能きのう強化きょうかしているふねは、'''OIC'''(Operation Information Center)しつばれる区画くかく設置せっちされている。これはCICの海上保安庁かいじょうほあんちょうばんといえるものであり、[[会議かいぎしつ]]として災害さいがい対策たいさく本部ほんぶ設置せっちできるほか、[[インマルサット]]衛星えいせい通信つうしん装置そうち救難きゅうなんヘリコプターとの画像がぞう伝送でんそう装置そうちなどの充実じゅうじつした通信つうしん装備そうび設置せっちされている。ただし、巡視じゅんしせんにおいては、ふね指揮しき機能きのう中枢ちゅうすう依然いぜんとして[[船橋ふなばし]]にかれており、OICしつは、どちらかというとぐん司令しれい指揮しきしょ(TFCC)にちか機能きのうになっている。
[[海上保安庁かいじょうほあんちょう]]の[[巡視じゅんしせん]]のうち、指揮しき統制とうせい機能きのう強化きょうかしているふねは、'''OIC'''(Operation Information Center)しつばれる区画くかく設置せっちされている。これはCICの海上保安庁かいじょうほあんちょうばんといえるものであり、[[会議かいぎしつ]]として災害さいがい対策たいさく本部ほんぶ設置せっちできるほか、[[海上かいじょうにおける遭難そうなんおよ安全あんぜんかんする世界せかいてき制度せいど|GMDSS]], [[SAR協定きょうてい#ふね通報つうほう制度せいど|JASREP]]、[[インマルサット]]衛星えいせい通信つうしん装置そうち救難きゅうなん[[ヘリコプター]]との画像がぞう伝送でんそう装置そうちなどの充実じゅうじつした通信つうしん装備そうび設置せっちされている。ただし、巡視じゅんしせんにおいては、ふね指揮しき機能きのう中枢ちゅうすう依然いぜんとして[[船橋ふなばし (ふね)|船橋ふなばし]]にかれており、OICしつは、どちらかというとぐん司令しれい指揮しきしょ(TFCC)にちか機能きのうになっている。


== 来歴らいれき ==
== 沿革えんかく ==
=== 草創そうそう(1940年代ねんだい - 1950年代ねんだい) ===
[[だい世界せかい大戦たいせん]]のまえまでは、軍艦ぐんかんにおける戦闘せんとう指揮しきは、[[艦長かんちょう]]が艦橋かんきょう位置いちし、そこから指揮しきっていた。これは、戦闘せんとう指揮しき必要ひつようなものが[[無線むせん通信つうしん]]をのぞき、肉眼にくがんえることだけでんだためである。敵艦てきかん自艦じかんとの位置いち関係かんけい把握はあく視認しにん範囲はんいないすべてであった。
{{Multiple image|direction=vertical|width=250
|image1=USS Independence (CVL-22) CIC4.jpg
|caption1=1940年代ねんだい空母くうぼ([[インディペンデンス (CVL-22)|CVL-22]])のCIC。
|image2=Combat Information Center aboard USS Pasadena (CL-65), November 1944.jpg
|caption2=1940年代ねんだい巡洋艦じゅんようかん[[パサデナ (けい巡洋艦じゅんようかん)|CL-65]])のCIC。
}}
[[だい世界せかい大戦たいせん]]のまえまでは、軍艦ぐんかんにおける戦闘せんとう指揮しきは、[[艦長かんちょう]]が[[艦橋かんきょう]]位置いちし、そこから指揮しきっていた。これは、戦闘せんとう指揮しき必要ひつようなものが[[無線むせん通信つうしん]]をのぞき、[[肉眼にくがん]]えることだけでんだためである。敵艦てきかん自艦じかんとの位置いち関係かんけい把握はあく視認しにん範囲はんいないすべてであった。


[[1930年代ねんだい]]後半こうはんから[[1942ねん]]にかけて、のちにCICコンセプトにつながる様々さまざまこころみがおこなわれた。[[イギリス空軍くうぐん]]は、[[レーダー]]技術ぎじゅつ発達はったつにともない、これを活用かつようするために[[:en:Filter Room|フィルター・ルーム]]・コンセプトを開発かいはつした。これはかく[[レーダーサイト]]が目標もくひょう情報じょうほう集中しゅうちゅう処理しょりして、[[要撃ようげき]]にたいする[[航空こうくう交通こうつう管制かんせい|管制かんせい]]に活用かつようするものであり、[[GCI|地上ちじょう要撃ようげき管制かんせい]]の原型げんけいであるとともに、洋上ようじょうにおけるCICコンセプトの原型げんけいでもあった。[[1940ねん]]の[[バトル・オブ・ブリテン]]において、このコンセプトはきわめておおきな効果こうかげた。このことから、[[大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん]]による[[真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき]]の直後ちょくごから、アメリカぐんもフィルター・ルーム・コンセプトの導入どうにゅう着手ちゃくしゅし、ウィリアム・テイラー海軍かいぐん少佐しょうさとバーキスト陸軍りくぐん中佐ちゅうさ中心ちゅうしんとした委員いいんかいが、[[:en:SCR-270 radar|SCR-270レーダー]]をセンサーとした地上ちじょうシステムを構築こうちくした。<ref>{{Cite web|author=www.vectorsite.net|date=2001ねん3がつ11にち|url=http://www.vectorsite.net/ttwiz_04.html|title=Microwave Radar At War (1)|language=英語えいご|accessdate=2011ねん9がつ2にち}}</ref>またこれに先駆さきがけて、1941ねん8がつには、アメリカ海軍かいぐん空母くうぼ艦上かんじょうに、フィルター・ルームと同様どうよう防空ぼうくう戦闘せんとう指揮しきしょ設置せっちされ、これが艦上かんじょうにおけるCICコンセプトのはつ適用てきようとなった。これは、急速きゅうそく展開てんかいしていく航空こうくう戦闘せんとう様相ようそう対応たいおうし、また、レーダー探知たんちなど、視認しにん不能ふのうてき情報じょうほう適切てきせつ把握はあくするため、情報じょうほう統合とうごうてき集中しゅうちゅう処理しょりするものであった。
[[1930年代ねんだい]]後半こうはんから[[1942ねん]]にかけて、のちにCICコンセプトにつながる様々さまざまこころみがおこなわれた。[[イギリス空軍くうぐん]]は、[[レーダー]]技術ぎじゅつ発達はったつにともない、これを活用かつようするために[[:en:Filter Room|フィルター・ルーム]]・コンセプトを開発かいはつした。これはかく[[レーダーサイト]]が目標もくひょう情報じょうほう集中しゅうちゅう処理しょりして、[[要撃ようげき]]にたいする[[航空こうくう交通こうつう管制かんせい|管制かんせい]]に活用かつようするものであり、[[GCI|地上ちじょう要撃ようげき管制かんせい]]の原型げんけいであるとともに、洋上ようじょうにおけるCICコンセプトの原型げんけいでもあった。[[1940ねん]]の[[バトル・オブ・ブリテン]]において、このコンセプトはきわめておおきな効果こうかげた。[[バトル・オブ・ブリテン]]における[[イギリス空軍くうぐん|RAF]]はイギリス沿岸えんがん点在てんざいする22箇所かしょのCHだか高度こうどレーダー監視かんししょ、29箇所かしょのCHL高度こうどレーダー補助ほじょ監視かんししょおよび31箇所かしょ内陸ないりく監視かんししょをロンドン近郊きんこうアクスブリッジの中央ちゅうおう防空ぼうくう指揮しきしょ統括とうかつし、かく防空ぼうくう管区かんくからの情報じょうほう専用せんよう電話でんわ回線かいせんとテレグラムで集計しゅうけい。リアルタイムでドイツぐん攻撃こうげきたい位置いち把握はあくして適当てきとう戦闘せんとう中隊ちゅうたい出動しゅつどう命令めいれいくだすという手法しゅほうられた。戦闘せんとう中隊ちゅうたい出撃しゅつげき逐次ちくじ無線むせん誘導ゆうどうけ、最短さいたん迎撃げいげきポイントにかうことが可能かのうだった。てき味方みかた部隊ぶたい盤上ばんじょうこまとして把握はあくされ、識別しきべつのための[[IFF]]の搭載とうさいふくめてCICの基礎きそはここで確立かくりつされたとえる。
このことから、[[大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん]]による[[真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき]]の直後ちょくごから、[[アメリカぐん]]もフィルター・ルーム・コンセプトの導入どうにゅう着手ちゃくしゅし、ウィリアム・テイラー海軍かいぐん少佐しょうさとバーキスト陸軍りくぐん中佐ちゅうさ中心ちゅうしんとした委員いいんかいが、[[:en:SCR-270 radar|SCR-270レーダー]]をセンサーとした地上ちじょうシステムを構築こうちくした。<ref>{{Cite web|author=www.vectorsite.net|date=2001ねん3がつ11にち|url=http://www.vectorsite.net/ttwiz_04.html|title=Microwave Radar At War (1)|language=英語えいご|accessdate=2011ねん9がつ2にち}}</ref>またこれに先駆さきがけて、[[1941ねん]][[8がつ]]には、[[アメリカ海軍かいぐん]]空母くうぼ艦上かんじょうに、フィルター・ルームと同様どうよう防空ぼうくう戦闘せんとう指揮しきしょ設置せっちされ、これが艦上かんじょうにおけるCICコンセプトのはつ適用てきようとなった。これは、急速きゅうそく展開てんかいしていく航空こうくう戦闘せんとう様相ようそう対応たいおうし、また、レーダー探知たんちなど、視認しにん不能ふのうてき情報じょうほう適切てきせつ把握はあくするため、情報じょうほう統合とうごうてき集中しゅうちゅう処理しょりするものであった。<ref name="Nogi1">{{Cite journal|和書わしょ||author=[[野木のぎ恵一けいいち]]||year=2006||month=8||title=システムとしての艦隊かんたい防空ぼうくう||journal=[[世界せかい艦船かんせん]]||issue=だい662しゅう||pages=98-103ぺーじ||publisher=海人あましゃ}}</ref>


一方いっぽう海洋かいようせんにCICコンセプトを適用てきようするこころみは、これらとは別個べっこ着手ちゃくしゅされた。[[1942ねん]]の[[だいさんソロモン海戦かいせん]]および[[ルンガおき夜戦やせん]]において、新型しんがたレーダー装備そうび駆逐くちくかん[[フレッチャー (DD-445)|「フレッチャー」]]の副長ふくちょうであった[[:en:J.C. Wylie|J・ワイリー]]少佐しょうさは、艦橋かんきょう隣接りんせつした海図かいずしつで、レーダーを直接ちょくせつ操作そうさして艦長かんちょう必要ひつようとするレーダー情報じょうほうつたえるとともに、[[内線ないせん電話でんわ]]によって砲術ほうじゅつちょう水雷すいらいちょう緊密きんみつ連絡れんらくり、艦長かんちょう戦闘せんとう指揮しききわめて効率こうりつてき補佐ほさした。これは事実じじつじょう、アメリカ海軍かいぐん史上しじょうはじめてCICコンセプトが創出そうしゅつされたれいであり、このこうによってワイリー少佐しょうさは[[シルバースター]]を授与じゅよされるとともに、1943ねんより、駆逐くちくかんにCICコンセプトを適用てきようするためのプロジェクト・チームに参加さんかすることとなった。このチームは、[[:en:Cal Laning|C・ラニング]]中佐ちゅうさ主導しゅどうに、ワイリー少佐しょうさのほか、[[ジョージ・フィリップ|G・フィリップ]]少佐しょうさ、R・ブックマン少佐しょうさ参加さんかしていた。このチームは2ヶ月かげつで、駆逐くちくかんにCICを導入どうにゅうするためのハンドブックを作成さくせいし、これはまもなくぜん海軍かいぐん配布はいふされることとなった<ref>{{Cite book|和書わしょ|author=[[大熊おおくま康之やすゆき]]|year=2011|title=戦略せんりゃく・ドクトリン統合とうごう防衛ぼうえい革命かくめい|publisher=[[かや書房しょぼう]]|isbn=978-4-906124-70-1}}</ref>。
一方いっぽう海洋かいようせんにCICコンセプトを適用てきようするこころみは、これらとは別個べっこ着手ちゃくしゅされた。1942ねんの[[だいさんソロモン海戦かいせん]]および[[ルンガおき夜戦やせん]]において、新型しんがたの[[SG (レーダー)|SG]]たい水上すいじょうレーダー装備そうび[[駆逐くちくかん]][[フレッチャー (DD-445)|「フレッチャー」]]の副長ふくちょうであった[[:en:J.C. Wylie|J・ワイリー]]少佐しょうさは、艦橋かんきょう隣接りんせつした海図かいずしつで、レーダーを直接ちょくせつ操作そうさして艦長かんちょう必要ひつようとするレーダー情報じょうほうつたえるとともに、[[内線ないせん電話でんわ]]によって砲術ほうじゅつちょう水雷すいらいちょう緊密きんみつ連絡れんらくり、艦長かんちょう戦闘せんとう指揮しききわめて効率こうりつてき補佐ほさした。これは事実じじつじょう、アメリカ海軍かいぐん史上しじょうはじめてCICコンセプトが創出そうしゅつされたれいであり、このこうによってワイリー少佐しょうさは[[シルバースター]]を授与じゅよされるとともに、[[1943ねん]]より、駆逐くちくかんにCICコンセプトを適用てきようするためのプロジェクト・チームに参加さんかすることとなった。このチームは、[[:en:Cal Laning|C・ラニング]]中佐ちゅうさ主導しゅどうに、ワイリー少佐しょうさのほか、[[ジョージ・フィリップ|G・フィリップ]]少佐しょうさ、R・ブックマン少佐しょうさ参加さんかしていた。このチームは2ヶ月かげつで、駆逐くちくかんにCICを導入どうにゅうするためのハンドブック([http://destroyerhistory.org/assets/pdf/430624CICHandbook.pdf ''C.I.C. Handbook for Destroyers Pacific Fleet''])作成さくせいし、これはまもなくぜん海軍かいぐん配布はいふされることとなった<ref>{{Cite book|和書わしょ|author=大熊おおくま康之やすゆき|authorlink=大熊おおくま康之やすゆき|year=2011|title=戦略せんりゃく・ドクトリン統合とうごう防衛ぼうえい革命かくめい|publisher=[[かや書房しょぼう]]|isbn=978-4-906124-70-1}}</ref>。


なお、このチームのさい先任せんにん士官しかんであったラニング中佐ちゅうさは、CICコンセプトの源流げんりゅうが[[サイエンス・フィクション]]にあることをみとめており、そのいちれいとして、[[E・E・スミス]]の[[レンズマン]]・シリーズに登場とうじょうする巨大きょだいな[[指揮しきかん]]であるディレクトリクスごうげている。この宇宙船うちゅうせんには、特殊とくしゅ知覚ちかく能力のうりょくそなえたレンズマンたちが戦闘せんとう空間くうかん視覚しかくすることで、[[司令しれいかん]]の[[艦隊かんたい]]指揮しき円滑えんかつするための「タンク」とよばれる設備せつびそなえられており、げきちゅうでは、これによる指揮しき統制とうせいせん優位ゆういがたびたび強調きょうちょうされていた。<ref>{{Cite journal|和書わしょ||author=[[岡部おかべいさく]]||year=2011||month=10||title=軍艦ぐんかんのコンバット・システム||journal=[[世界せかい艦船かんせん]]||issue=だい748しゅう||pages=75-81ぺーじ||publisher=海人あましゃ}}</ref>
しかし、この時点じてんでは、CICないでの情報処理じょうほうしょりは、わずかに[[計算尺けいさんじゃく]]が使つかわれている程度ていどで、ほとんどすべてが手動しゅどうかみひとこえ)にたよっていた。また、かんとの情報じょうほう伝達でんたつも、発光はっこう信号しんごう手旗てばた信号しんごう原始げんしてき無線むせん程度ていどであった。[[1948ねん]]におこなわれた[[イギリス海軍かいぐん]]の[[シミュレーション]]で、この方式ほうしき限界げんかいてんあきらかになった。このときには、熟練じゅくれんのオペレーターをはいしたにもかかわらず、同時どうじ処理しょりできる目標もくひょうはせいぜい12程度ていど限界げんかいで、20目標もくひょうたいしては、完全かんぜん破綻はたんしてしまったのである。
{{-}}


=== 自動じどう導入どうにゅう(1950年代ねんだい - 1980年代ねんだい) ===
そしてまた、[[太平洋戦争たいへいようせんそう]]の末期まっきにおいて[[日本にっぽんぐん]]が実施じっしした[[特別とくべつ攻撃こうげきたい|特別とくべつ攻撃こうげき]]が、艦隊かんたい対空たいくう防御ぼうぎょ重大じゅうだい問題もんだい提起ていきしていた。このとき、艦隊かんたい防空ぼうくうシステムはおおむね良好りょうこうはたらいたとはいえ、その対処たいしょ能力のうりょく飽和ほうわ寸前すんぜんであり、より高速こうそく機体きたい同様どうよう攻撃こうげきをかけてきた場合ばあい、システムの破綻はたん不可避ふかひかんがえられた。しかも[[ジェット機じぇっとき]]の登場とうじょうにより、航空機こうくうき速度そくど戦後せんご5ねん倍増ばいぞうし、なお急速きゅうそく増加ぞうかしつづけていた。
{{Multiple image|direction=vertical|width=250
|image1=CVA-34 CIC NAN10-63.jpg
|caption1=1960年代ねんだい空母くうぼ([[オリスカニー (空母くうぼ)|CVA-34]])のCIC。情報じょうほう集約しゅうやくには依然いぜんとしてクリアボードを使用しようしている。
|image2=Rentz CIC.jpg
|caption2=1980年代ねんだいのフリゲート([[レンツ (フリゲート)|FFG-46]])のCIC。NTDSにじゅんじて構築こうちくされている。
}}
この時点じてんでは、CICないでの情報処理じょうほうしょりは、わずかに[[計算尺けいさんじゃく]]が使つかわれている程度ていどで、ほとんどすべてが手動しゅどうかみひとこえ)にたよていた。CICの中央ちゅうおうには、自艦じかん中心ちゅうしんにして目標もくひょう情報じょうほうをプロットするためのクリアボード(レーダー画面がめん巨大きょだいしたような、罫線けいせんえがかれた、文字通もじどおりの“透明とうめい黒板こくばん”)が配置はいちされ、ここにしろフェルトペンを使つかって、レーダーしゅ怒鳴どな敵艦てきかんてき編隊へんたい位置いち進行しんこう方向ほうこうすうといった情報じょうほうなどをむことで情報じょうほう集約しゅうやくていた。また、かんとの情報じょうほう伝達でんたつも、発光はっこう信号しんごう手旗てばた信号しんごう原始げんしてき無線むせん程度ていどであった。[[1948ねん]]におこなわれた[[イギリス海軍かいぐん]]の[[シミュレーション]]で、この方式ほうしき限界げんかいてんあきらかになった。このときには、熟練じゅくれんのオペレーターをはいしたにもかかわらず、同時どうじ処理しょりできる目標もくひょうはせいぜい12程度ていど限界げんかいで、20目標もくひょうたいしては、完全かんぜん破綻はたんしてしまったのである。<ref name="Nogi1"/>


かみひとこえ」にたよっているかぎり、これ以上いじょう対応たいおう速度そくど向上こうじょう困難こんなんであり、情報じょうほう処理しょり自動じどう導入どうにゅうする必要ひつようせいあきらかであった。
そしてまた、[[太平洋戦争たいへいようせんそう]]の末期まっきにおいて[[日本にっぽんぐん]]が実施じっしした[[特別とくべつ攻撃こうげきたい|特別とくべつ攻撃こうげき]]が、艦隊かんたい対空たいくう防御ぼうぎょ重大じゅうだい問題もんだい提起ていきしていた。このとき、艦隊かんたい防空ぼうくうシステムはおおむね良好りょうこうはたらいたとはいえ、その対処たいしょ能力のうりょく飽和ほうわ寸前すんぜんであり、より高速こうそく機体きたい同様どうよう攻撃こうげきをかけてきた場合ばあい、システムの破綻はたん不可避ふかひかんがえられた。しかも[[ジェット機じぇっとき]]の登場とうじょうにより、航空機こうくうき速度そくど戦後せんご5ねん倍増ばいぞうし、なお急速きゅうそく増加ぞうかしつづけていた。かみひとこえ」にたよっているかぎり、これ以上いじょう対応たいおう速度そくど向上こうじょう困難こんなんであり、情報じょうほう処理しょり自動じどう導入どうにゅうする必要ひつようせいあきらかであった。


まず、「3Tファミリー」のかん対空たいくうミサイルに付随ふずいして、その射撃しゃげき管制かんせい補助ほじょする'''[[武器ぶき管制かんせいシステム]]''' (WDS: Weapons Direction System)が開発かいはつされた。これは、目標もくひょう情報じょうほう (さん次元じげんてき位置いち速度そくど脅威きょういなど)を記憶きおく管理かんりし、その射撃しゃげき効率こうりつするもので、当時とうじ主流しゅりゅうだった[[アナログコンピュータ]]を使用しようしていた。しかし、これはあくまで射撃しゃげき指揮しき効率こうりつをはかるものであり、対応たいおうのさらなる迅速じんそくには、CICとの統合とうごうをさらにつきつめて、マン・マシン・システムとしてさい構築こうちくする必要ひつようがあった。
まず、「3Tファミリー」の[[かん対空たいくうミサイル]]付随ふずいして、その射撃しゃげき管制かんせい補助ほじょする'''[[武器ぶき管制かんせいシステム]]''' (WDS: Weapons Direction System)が開発かいはつされた。これは、目標もくひょう情報じょうほう (さん次元じげんてき位置いち速度そくど脅威きょういなど)を記憶きおく管理かんりし、その射撃しゃげき効率こうりつするもので、当時とうじ主流しゅりゅうだった[[アナログコンピュータ]]を使用しようしていた。しかし、これはあくまで射撃しゃげき指揮しき効率こうりつをはかるものであり、対応たいおうのさらなる迅速じんそくには、CICとの統合とうごうをさらにつきつめて、マン・マシン・システムとしてさい構築こうちくする必要ひつようがあった。


その開発かいはつ先駆せんくしゃは[[カナダ]]であり、[[1949ねん]]より[[:en:DATAR|DATAR (Digital Automated Tracking and Resolving System)]]開発かいはつ開始かいししていた。このシステムは、当時とうじ登場とうじょうしたばかりのデジタルコンピュータを使用しようしているだけでなく、データリンクの概念がいねんすらふくまれており、きわめて画期的かっきてきなものであった。カナダ海軍かいぐんはこのシステムを2せきの[[掃海そうかいてい]]に搭載とうさいしてのテストまでったが、ねつはげしいという欠陥けっかんゆうしており、最終さいしゅうてき火災かさい事故じこによってシステムはうしなわれ開発かいはつ頓挫とんざした。しかしその成果せいかは、アメリカの[[海軍かいぐん戦術せんじゅつ情報じょうほうシステム]] (NTDS)の開発かいはつかされることになる。
その開発かいはつ先駆せんくしゃは[[カナダ]]であり、[[1949ねん]]より[[:en:DATAR|DATAR]](Digital Automated Tracking and Resolving数値すうち自動じどう軌跡きせき追尾ついびおよ処理しょり開発かいはつ開始かいししていた。このシステムは、当時とうじ登場とうじょうしたばかりの[[コンピュータ|デジタルコンピュータ]]使用しようしているだけでなく、データリンクの概念がいねんすらふくまれており、きわめて画期的かっきてきなものであった。[[カナダ海軍かいぐん]]はこのシステムを2せきの[[掃海そうかいてい]]に搭載とうさいしてのテストまでったが、ねつはげしいという欠陥けっかんゆうしており、最終さいしゅうてき過熱かねつ原因げんいん火災かさい事故じこによってシステムはうしなわれ開発かいはつ頓挫とんざした。しかしその成果せいかは、アメリカの[[海軍かいぐん戦術せんじゅつ情報じょうほうシステム]] (NTDS)の開発かいはつかされることになる。


一方いっぽう、[[1950年代ねんだい]]初頭しょとうより、イギリスはレーダー情報じょうほう処理しょり表示ひょうじシステムとしてCDS (Comprehensive Display System)の開発かいはつすすめており、[[1957ねん]]にはかん搭載とうさいした。これは[[アナログコンピュータ|アナログしきのコンピュータ]]を利用りようしており、世界せかいもっとはや実戦じっせん配備はいびされた戦術せんじゅつ情報処理じょうほうしょり装置そうちである。アメリカもCDSと同様どうようのシステム(EDS: Electronic Data System)を開発かいはつし、[[1953ねん]]よりかんへの搭載とうさい開始かいししたが、アナログしきであるために信頼しんらいせい性能せいのう限界げんかいがあるとかんがえられ、採用さいようはされなかった。これをけ、[[1954ねん]]に開始かいしされた'''ランプライト計画けいかく'''においては、このころ急速きゅうそく台頭たいとうしていた[[デジタル]]・コンピュータによる戦術せんじゅつ情報処理じょうほうしょり装置そうち開発かいはつされた。これは海軍かいぐん戦術せんじゅつ情報じょうほうシステム (NTDS) の中核ちゅうかくとして、[[1961ねん]]より、[[オリスカニー (空母くうぼ)|空母くうぼオリスカニー]]およびミサイル駆逐くちくかん2せきにおいて評価ひょうか試験しけん実施じっししたうえで、[[1963ねん]]に制式せいしきされた。また、イギリスもCDSの後継こうけいとしてADA (Action Data Automation)を開発かいはつしたのち、[[1966ねん]]より、これをデジタルするとともに改良かいりょうしたADAWS(Action Data Automation Weapon System)に発展はってんさせた。
一方いっぽう、[[1950年代ねんだい]]初頭しょとうより、イギリスはレーダー情報じょうほう処理しょり表示ひょうじシステムとしてCDS (Comprehensive Display System)の開発かいはつすすめており、[[1957ねん]]にはかん搭載とうさいした。これは[[アナログコンピュータ|アナログしきのコンピュータ]]を利用りようしており、世界せかいもっとはや実戦じっせん配備はいびされた戦術せんじゅつ情報処理じょうほうしょり装置そうちである。アメリカもCDSと同様どうようのシステム(EDS: Electronic Data System)を開発かいはつし、[[1953ねん]]よりかんへの搭載とうさい開始かいししたが、アナログしきであるために信頼しんらいせい性能せいのう限界げんかいがあるとかんがえられ、採用さいようはされなかった。


[[1954ねん]]に開始かいしされた'''ランプライト計画けいかく'''においては、このころ急速きゅうそく台頭たいとうしていたデジタルコンピュータによる戦術せんじゅつ情報処理じょうほうしょり装置そうち開発かいはつされた。これはNTDSの中核ちゅうかくとして、[[1961ねん]]より、空母くうぼ「[[オリスカニー (空母くうぼ)|オリスカニー]]」および[[ミサイル駆逐くちくかん]]2せきにおいて評価ひょうか試験しけん実施じっししたうえで、[[1963ねん]]に制式せいしきされた。また、イギリスもCDSの後継こうけいとしてADA (Action Data Automation)を開発かいはつしたのち、[[1966ねん]]より、これをデジタルするとともに改良かいりょうしたADAWS(Action Data Automation Weapon System)に発展はってんさせた。
一方いっぽう、アメリカにおいては、[[ターター・システム|ターター-D・システム]]においてNTDSとWDS(武器ぶき管制かんせいシステム)の連接れんせつ実現じつげんし、その後継こうけいとなる[[イージスシステム]]においてこれらの機能きのう統合とうごうされ、高度こうど自動じどうされた。[[1983ねん]]の[[タイコンデロガ (ミサイル巡洋艦じゅんようかん)|タイコンデロガ]]の就役しゅうえき皮切かわきりに、アメリカの水上すいじょう戦闘せんとうかん主力しゅりょくは[[イージスかん]]に移行いこうしていった。一方いっぽう、イージスシステムを搭載とうさいしない水上すいじょう戦闘せんとうかんや、それ以外いがい空母くうぼ強襲きょうしゅう揚陸ようりくかん搭載とうさいするNTDSの後継こうけいとして'''ACDS''' (Advanced Combat Diretion System)開発かいはつされた。これらは、戦闘せんとう指揮しきしょ装備そうびされて、かん戦闘せんとう中枢ちゅうすうになった。とくに[[アーレイ・バークきゅうミサイル駆逐くちくかん]]にイージスシステムを装備そうびするにあたっては、イージス・ディスプレイ・システムを装備そうびした戦闘せんとう指揮しきしょ設計せっけいが、システム統合とうごうさい重要じゅうよう事項じこうとされたことがられている。
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=== 統合とうごうシステム(1980年代ねんだい以降いこう) ===
== 写真しゃしんしゅう ==
一方いっぽう、アメリカにおいては、[[ターター・システム|ターター-D・システム]]においてNTDSとWDS(武器ぶき管制かんせいシステム)の連接れんせつ実現じつげんし、その後継こうけいとなる[[イージスシステム]]においてこれらの機能きのう統合とうごうされ、高度こうど自動じどうされた。[[1983ねん]]の「[[タイコンデロガ (ミサイル巡洋艦じゅんようかん)|タイコンデロガ]]」の就役しゅうえき皮切かわきりに、アメリカの水上すいじょう戦闘せんとうかん主力しゅりょくは[[イージスかん]]に移行いこうしていった。
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一方いっぽう、イージスシステムを搭載とうさいしない水上すいじょう戦闘せんとうかんや、それ以外いがい空母くうぼ[[強襲きょうしゅう揚陸ようりくかん]]搭載とうさいするNTDSの後継こうけいとして'''ACDS'''高度こうど戦闘せんとう指揮しきシステム)開発かいはつされた。これらは、戦闘せんとう指揮しきしょ装備そうびされて、かん戦闘せんとう中枢ちゅうすうになった。とくに[[アーレイ・バークきゅうミサイル駆逐くちくかん]]にイージスシステムを装備そうびするにあたっては、イージス・ディスプレイ・システムを装備そうびした戦闘せんとう指揮しきしょ設計せっけいが、システム統合とうごうさい重要じゅうよう事項じこうとされたことがられている。
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== 参考さんこう文献ぶんけん ==
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* {{Cite book|和書わしょ
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== 関連かんれん項目こうもく ==
== 関連かんれん項目こうもく ==
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* [[C4Iシステム]]
* [[C4Iシステム]] - C3I(シー・キューブド・アイ)の進化しんかがた
* [[護衛ごえいかん]]
* [[護衛ごえいかん]]
* [[イージスかん]]
* [[イージスかん]]
* [[GCI|地上ちじょう要撃ようげき管制かんせい]] - [[自動じどう警戒けいかい管制かんせい組織そしき]] - [[はん自動じどうしき防空ぼうくう管制かんせい組織そしき]]
* [[GCI|地上ちじょう要撃ようげき管制かんせい]] - [[自動じどう警戒けいかい管制かんせい組織そしき]] - [[はん自動じどうしき防空ぼうくう管制かんせい組織そしき]]
* [[早期そうき警戒けいかい管制かんせい]]
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== 外部がいぶリンク ==
* [http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ref/CIC-RADSIX/CIC-5.html#page76 CIC MANUAL]


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2024ねん3がつ3にち (日)にち 01:33時点じてんにおける最新さいしんばん

博物館はくぶつかんホーネット」で再現さいげんされているCIC。

戦闘せんとう指揮しきしょ(せんとうしきしょ、英語えいご: Combat Information CenterCIC)とは、現代げんだい軍艦ぐんかんにおける戦闘せんとう情報じょうほう中枢ちゅうすうのことである。レーダーソナー通信つうしんなどや、自艦じかん状態じょうたいかんする情報じょうほう集約しゅうやくされる部署ぶしょであり、指揮しき発令はつれいもここからおこなう。航空こうくう母艦ぼかんにおいてCICに相当そうとうする部署ぶしょは、CDC(Combat Direction Center)とばれる。

その性質せいしつじょうおおくの機密きみつ情報じょうほうあつかうため、運用うんよう時間じかんちゅう乗組のりくみいんであってもりには制限せいげんくわえられる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

CICには、戦術せんじゅつ情報処理じょうほうしょり装置そうち戦術せんじゅつデータ・リンクをはじめとする各種かくしゅC4Iシステム装備そうびされている。これらはオペレータとともにマン・マシン・システムを形成けいせいして、戦闘せんとうちゅう情報処理じょうほうしょり一括いっかつしてになう。すなわち、CICは、かんのC4Iシステムとオペレータとを連接れんせつするためのマンマシンインタフェースとしての役割やくわりっており、その設計せっけいは、かんのシステム統合とうごうにあたってきわめて重要じゅうようである。

当初とうしょ、CICは、たんに、かん戦闘せんとうかんする情報処理じょうほうしょり一括いっかつしておこなうための部屋へやというにぎず、そのなかでの情報処理じょうほうしょりはほとんど完全かんぜん手動しゅどうであった。その航空機こうくうき性能せいのう向上こうじょうコンピュータ発達はったつ背景はいけい自動じどうこころみられ、1950年代ねんだい初頭しょとうよりまずカナダで、ついでイギリスアメリカ開始かいしされた。初期しょきは、レーダーなどの画面がめん表示ひょうじされた目標もくひょう情報じょうほう入力にゅうりょくけて、これを管理かんりし、射撃しゃげき指揮しき装置そうち移管いかんするという、いわゆる武器ぶき管制かんせい装置そうちとどまっていた。これらは、あくまでCICの装備そうびひんのひとつにぎなかった。

その、より徹底的てっていてきにCICとコンピュータの統合とうごうすすめ、マン・マシン・システムとして目標もくひょう脅威きょういレベルを判定はんていする機能きのう付加ふかした、いわゆるTEWA(Threat evaluation and weapons assignment)システムが開発かいはつされた。アメリカにおいては、海軍かいぐん戦術せんじゅつ情報じょうほうシステム (NTDS)武器ぶき管制かんせいシステムWDS: Weapons Direction System)のふくあいシステムとして発展はってんしたのち、ターター-D・システム連接れんせつされ、イージスシステムにおいて統合とうごうされた。また、NTDS系列けいれつ機種きしゅは、フランス日本にっぽんドイツなどでも派生はせいがた開発かいはつされたほか、イギリスやオランダでは独自どくじ開発かいはつしているが、これらは当初とうしょよりTEWAシステムとして開発かいはつされた。

海上かいじょう自衛隊じえいたいでは、CICの区画くかくをクリーンCとさだめている。CICは軍艦ぐんかんにおいてもっと重要じゅうよう部署ぶしょひとつであり、ここが機能きのううしなうとそのかん戦闘せんとう能力のうりょくひとしくなるため、部分ぶぶんくら堅固けんごつくりとなっている。

海上保安庁かいじょうほあんちょう巡視じゅんしせんのうち、指揮しき統制とうせい機能きのう強化きょうかしているふねでは、OIC(Operation Information Center)しつばれる区画くかく設置せっちされている。これはCICの海上保安庁かいじょうほあんちょうばんといえるものであり、会議かいぎしつとして災害さいがい対策たいさく本部ほんぶ設置せっちできるほか、GMDSS, JASREPインマルサット衛星えいせい通信つうしん装置そうち救難きゅうなんヘリコプターとの画像がぞう伝送でんそう装置そうちなどの充実じゅうじつした通信つうしん装備そうび設置せっちされている。ただし、巡視じゅんしせんにおいては、ふね指揮しき機能きのう中枢ちゅうすう依然いぜんとして船橋ふなばしかれており、OICしつは、どちらかというとぐん司令しれい指揮しきしょ(TFCC)にちか機能きのうになっている。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

草創そうそう(1940年代ねんだい - 1950年代ねんだい[編集へんしゅう]

1940年代ねんだい空母くうぼCVL-22)のCIC。
1940年代ねんだい巡洋艦じゅんようかんCL-65)のCIC。

だい世界せかい大戦たいせんまえまでは、軍艦ぐんかんにおける戦闘せんとう指揮しきは、艦長かんちょう艦橋かんきょう位置いちし、そこから指揮しきっていた。これは、戦闘せんとう指揮しき必要ひつようなものが無線むせん通信つうしんのぞき、肉眼にくがんえることだけでんだためである。敵艦てきかん自艦じかんとの位置いち関係かんけい把握はあく視認しにん範囲はんいないすべてであった。

1930年代ねんだい後半こうはんから1942ねんにかけて、のちにCICコンセプトにつながる様々さまざまこころみがおこなわれた。イギリス空軍くうぐんは、レーダー技術ぎじゅつ発達はったつにともない、これを活用かつようするためにフィルター・ルーム・コンセプトを開発かいはつした。これはかくレーダーサイト目標もくひょう情報じょうほう集中しゅうちゅう処理しょりして、要撃ようげきたいする管制かんせい活用かつようするものであり、地上ちじょう要撃ようげき管制かんせい原型げんけいであるとともに、洋上ようじょうにおけるCICコンセプトの原型げんけいでもあった。1940ねんバトル・オブ・ブリテンにおいて、このコンセプトはきわめておおきな効果こうかげた。バトル・オブ・ブリテンにおけるRAFはイギリス沿岸えんがん点在てんざいする22箇所かしょのCHだか高度こうどレーダー監視かんししょ、29箇所かしょのCHL高度こうどレーダー補助ほじょ監視かんししょおよび31箇所かしょ内陸ないりく監視かんししょをロンドン近郊きんこうアクスブリッジの中央ちゅうおう防空ぼうくう指揮しきしょ統括とうかつし、かく防空ぼうくう管区かんくからの情報じょうほう専用せんよう電話でんわ回線かいせんとテレグラムで集計しゅうけい。リアルタイムでドイツぐん攻撃こうげきたい位置いち把握はあくして適当てきとう戦闘せんとう中隊ちゅうたい出動しゅつどう命令めいれいくだすという手法しゅほうられた。戦闘せんとう中隊ちゅうたい出撃しゅつげき逐次ちくじ無線むせん誘導ゆうどうけ、最短さいたん迎撃げいげきポイントにかうことが可能かのうだった。てき味方みかた部隊ぶたい盤上ばんじょうこまとして把握はあくされ、識別しきべつのためのIFF搭載とうさいふくめてCICの基礎きそはここで確立かくりつされたとえる。 このことから、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんによる真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき直後ちょくごから、アメリカぐんもフィルター・ルーム・コンセプトの導入どうにゅう着手ちゃくしゅし、ウィリアム・テイラー海軍かいぐん少佐しょうさとバーキスト陸軍りくぐん中佐ちゅうさ中心ちゅうしんとした委員いいんかいが、SCR-270レーダーをセンサーとした地上ちじょうシステムを構築こうちくした。[1]またこれに先駆さきがけて、1941ねん8がつには、アメリカ海軍かいぐん空母くうぼ艦上かんじょうに、フィルター・ルームと同様どうよう防空ぼうくう戦闘せんとう指揮しきしょ設置せっちされ、これが艦上かんじょうにおけるCICコンセプトのはつ適用てきようとなった。これは、急速きゅうそく展開てんかいしていく航空こうくう戦闘せんとう様相ようそう対応たいおうし、また、レーダー探知たんちなど、視認しにん不能ふのうてき情報じょうほう適切てきせつ把握はあくするため、情報じょうほう統合とうごうてき集中しゅうちゅう処理しょりするものであった。[2]

一方いっぽう海洋かいようせんにCICコンセプトを適用てきようするこころみは、これらとは別個べっこ着手ちゃくしゅされた。1942ねんだいさんソロモン海戦かいせんおよびルンガおき夜戦やせんにおいて、新型しんがたSGたい水上すいじょうレーダー装備そうび駆逐くちくかん「フレッチャー」副長ふくちょうであったJ・ワイリー少佐しょうさは、艦橋かんきょう隣接りんせつした海図かいずしつで、レーダーを直接ちょくせつ操作そうさして艦長かんちょう必要ひつようとするレーダー情報じょうほうつたえるとともに、内線ないせん電話でんわによって砲術ほうじゅつちょう水雷すいらいちょう緊密きんみつ連絡れんらくり、艦長かんちょう戦闘せんとう指揮しききわめて効率こうりつてき補佐ほさした。これは事実じじつじょう、アメリカ海軍かいぐん史上しじょうはじめてCICコンセプトが創出そうしゅつされたれいであり、このこうによってワイリー少佐しょうさシルバースター授与じゅよされるとともに、1943ねんより、駆逐くちくかんにCICコンセプトを適用てきようするためのプロジェクト・チームに参加さんかすることとなった。このチームは、C・ラニング中佐ちゅうさ主導しゅどうに、ワイリー少佐しょうさのほか、G・フィリップ少佐しょうさ、R・ブックマン少佐しょうさ参加さんかしていた。このチームは2ヶ月かげつで、駆逐くちくかんにCICを導入どうにゅうするためのハンドブック(C.I.C. Handbook for Destroyers Pacific Fleet)を作成さくせいし、これはまもなくぜん海軍かいぐん配布はいふされることとなった[3]

なお、このチームのさい先任せんにん士官しかんであったラニング中佐ちゅうさは、CICコンセプトの源流げんりゅうサイエンス・フィクションにあることをみとめており、そのいちれいとして、E・E・スミスレンズマン・シリーズに登場とうじょうする巨大きょだい指揮しきかんであるディレクトリクスごうげている。この宇宙船うちゅうせんには、特殊とくしゅ知覚ちかく能力のうりょくそなえたレンズマンたちが戦闘せんとう空間くうかん視覚しかくすることで、司令しれいかん艦隊かんたい指揮しき円滑えんかつするための「タンク」とよばれる設備せつびそなえられており、げきちゅうでは、これによる指揮しき統制とうせいせん優位ゆういがたびたび強調きょうちょうされていた。[4]

自動じどう導入どうにゅう(1950年代ねんだい - 1980年代ねんだい[編集へんしゅう]

1960年代ねんだい空母くうぼCVA-34)のCIC。情報じょうほう集約しゅうやくには依然いぜんとしてクリアボードを使用しようしている。
1980年代ねんだいのフリゲート(FFG-46)のCIC。NTDSにじゅんじて構築こうちくされている。

この時点じてんでは、CICないでの情報処理じょうほうしょりは、わずかに計算尺けいさんじゃく使つかわれている程度ていどで、ほとんどすべてが手動しゅどうかみひとこえ)にたよっていた。CICの中央ちゅうおうには、自艦じかん中心ちゅうしんにして目標もくひょう情報じょうほうをプロットするためのクリアボード(レーダー画面がめん巨大きょだいしたような、罫線けいせんえがかれた、文字通もじどおりの“透明とうめい黒板こくばん”)が配置はいちされ、ここにしろフェルトペンを使つかって、レーダーしゅ怒鳴どな敵艦てきかんてき編隊へんたい位置いち進行しんこう方向ほうこうすうといった情報じょうほうなどをむことで情報じょうほう集約しゅうやくしていた。また、かんとの情報じょうほう伝達でんたつも、発光はっこう信号しんごう手旗てばた信号しんごう原始げんしてき無線むせん程度ていどであった。1948ねんおこなわれたイギリス海軍かいぐんシミュレーションで、この方式ほうしき限界げんかいてんあきらかになった。このときには、熟練じゅくれんのオペレーターをはいしたにもかかわらず、同時どうじ処理しょりできる目標もくひょうはせいぜい12程度ていど限界げんかいで、20目標もくひょうたいしては、完全かんぜん破綻はたんしてしまったのである。[2]

そしてまた、太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっきにおいて日本にっぽんぐん実施じっしした特別とくべつ攻撃こうげきが、艦隊かんたい対空たいくう防御ぼうぎょ重大じゅうだい問題もんだい提起ていきしていた。このとき、艦隊かんたい防空ぼうくうシステムはおおむね良好りょうこうはたらいたとはいえ、その対処たいしょ能力のうりょく飽和ほうわ寸前すんぜんであり、より高速こうそく機体きたい同様どうよう攻撃こうげきをかけてきた場合ばあい、システムの破綻はたん不可避ふかひかんがえられた。しかもジェット機じぇっとき登場とうじょうにより、航空機こうくうき速度そくど戦後せんご5ねん倍増ばいぞうし、なお急速きゅうそく増加ぞうかしつづけていた。「かみひとこえ」にたよっているかぎり、これ以上いじょう対応たいおう速度そくど向上こうじょう困難こんなんであり、情報じょうほう処理しょり自動じどう導入どうにゅうする必要ひつようせいあきらかであった。

まず、「3Tファミリー」のかん対空たいくうミサイル付随ふずいして、その射撃しゃげき管制かんせい補助ほじょする武器ぶき管制かんせいシステム (WDS: Weapons Direction System)が開発かいはつされた。これは、目標もくひょう情報じょうほう (さん次元じげんてき位置いち速度そくど脅威きょういなど)を記憶きおく管理かんりし、その射撃しゃげき効率こうりつするもので、当時とうじ主流しゅりゅうだったアナログコンピュータ使用しようしていた。しかし、これはあくまで射撃しゃげき指揮しき効率こうりつをはかるものであり、対応たいおうのさらなる迅速じんそくには、CICとの統合とうごうをさらにつきつめて、マン・マシン・システムとしてさい構築こうちくする必要ひつようがあった。

その開発かいはつ先駆せんくしゃカナダであり、1949ねんよりDATAR(Digital Automated Tracking and Resolving、数値すうち自動じどう軌跡きせき追尾ついびおよ処理しょり)の開発かいはつ開始かいししていた。このシステムは、当時とうじ登場とうじょうしたばかりのデジタルコンピュータ使用しようしているだけでなく、データリンクの概念がいねんすらふくまれており、きわめて画期的かっきてきなものであった。カナダ海軍かいぐんはこのシステムを2せき掃海そうかいてい搭載とうさいしてのテストまでったが、放熱ほうねつはげしいという欠陥けっかんゆうしており、最終さいしゅうてき過熱かねつ原因げんいん火災かさい事故じこによってシステムはうしなわれ開発かいはつ頓挫とんざした。しかしその成果せいかは、アメリカの海軍かいぐん戦術せんじゅつ情報じょうほうシステム (NTDS)の開発かいはつかされることになる。

一方いっぽう1950年代ねんだい初頭しょとうより、イギリスはレーダー情報じょうほう処理しょり表示ひょうじシステムとしてCDS (Comprehensive Display System)の開発かいはつすすめており、1957ねんにはかん搭載とうさいした。これはアナログしきのコンピュータ利用りようしており、世界せかいもっとはや実戦じっせん配備はいびされた戦術せんじゅつ情報処理じょうほうしょり装置そうちである。アメリカもCDSと同様どうようのシステム(EDS: Electronic Data System)を開発かいはつし、1953ねんよりかんへの搭載とうさい開始かいししたが、アナログしきであるために信頼しんらいせい性能せいのう限界げんかいがあるとかんがえられ、採用さいようはされなかった。

1954ねん開始かいしされたランプライト計画けいかくにおいては、このころ急速きゅうそく台頭たいとうしていたデジタルコンピュータによる戦術せんじゅつ情報処理じょうほうしょり装置そうち開発かいはつされた。これはNTDSの中核ちゅうかくとして、1961ねんより、空母くうぼオリスカニー」およびミサイル駆逐くちくかん2せきにおいて評価ひょうか試験しけん実施じっししたうえで、1963ねん制式せいしきされた。また、イギリスもCDSの後継こうけいとしてADA (Action Data Automation)を開発かいはつしたのち、1966ねんより、これをデジタルするとともに改良かいりょうしたADAWS(Action Data Automation Weapon System)に発展はってんさせた。

統合とうごうシステム(1980年代ねんだい以降いこう[編集へんしゅう]

一方いっぽう、アメリカにおいては、ターター-D・システムにおいてNTDSとWDS(武器ぶき管制かんせいシステム)の連接れんせつ実現じつげんし、その後継こうけいとなるイージスシステムにおいてこれらの機能きのう統合とうごうされ、高度こうど自動じどうされた。1983ねんの「タイコンデロガ」の就役しゅうえき皮切かわきりに、アメリカの水上すいじょう戦闘せんとうかん主力しゅりょくイージスかん移行いこうしていった。

一方いっぽう、イージスシステムを搭載とうさいしない水上すいじょう戦闘せんとうかんや、それ以外いがい空母くうぼ強襲きょうしゅう揚陸ようりくかん搭載とうさいするNTDSの後継こうけいとしてACDS高度こうど戦闘せんとう指揮しきシステム)が開発かいはつされた。これらは、戦闘せんとう指揮しきしょ装備そうびされて、かん戦闘せんとう中枢ちゅうすうになった。とくアーレイ・バークきゅうミサイル駆逐くちくかんにイージスシステムを装備そうびするにあたっては、イージス・ディスプレイ・システムを装備そうびした戦闘せんとう指揮しきしょ設計せっけいが、システム統合とうごうさい重要じゅうよう事項じこうとされたことがられている。

2000年代ねんだい空母くうぼCVN-65)のCDC。大型おおがたディスプレイがクリアボードにってわった。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  1. ^ www.vectorsite.net (2001ねん3がつ11にち). “Microwave Radar At War (1)” (英語えいご). 2011ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 野木のぎ恵一けいいち「システムとしての艦隊かんたい防空ぼうくう」『世界せかい艦船かんせんだい662しゅう海人あましゃ、2006ねん8がつ、98-103ぺーじ 
  3. ^ 大熊おおくま康之やすゆき戦略せんりゃく・ドクトリン統合とうごう防衛ぼうえい革命かくめいかや書房しょぼう、2011ねんISBN 978-4-906124-70-1 
  4. ^ 岡部おかべいさく軍艦ぐんかんのコンバット・システム」『世界せかい艦船かんせんだい748しゅう海人あましゃ、2011ねん10がつ、75-81ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]