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さんふち嘉子よしこ」のはんあいだ差分さぶん

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Y.haruo (会話かいわ) による ID:100748931 のはん石渡いしわた満子みつこ判事はんじとなったのは、1961ねんのため
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[[1956ねん]]5がつ<ref name="taikan1974" />、東京とうきょう地裁ちさい判事はんじとなる。広島ひろしま長崎ながさき被爆ひばくしゃ原爆げんばく責任せきにんうったえた「[[日本にっぽんへの原子げんしばくだん投下とうか#原爆げんばく裁判さいばん|原爆げんばく裁判さいばん]]」を担当たんとう裁判さいばんちょう古関こせき敏正としまささんふち、[[高桑たかくわあきら]])。1963ねん12月7にち判決はんけつ<ref>原爆げんばく投下とうか国際こくさいほう違反いはん判決はんけつ東京とうきょうばん昭和しょうわ38ねん12月7にち下級かきゅう裁判所さいばんしょ民事みんじ裁判さいばんれいしゅうだい14かんだい12ごう2435ぺーじ)</ref>は請求せいきゅう棄却ききゃくとするも日本にっぽん裁判所さいばんしょはじめて「原爆げんばく投下とうか国際こくさいほう違反いはん」と明言めいげんした<ref>{{Harv|さんふち嘉子よしこ家庭かてい裁判所さいばんしょ|2023|pp=41~46}}</ref>。
[[1956ねん]]5がつ<ref name="taikan1974" />、東京とうきょう地裁ちさい判事はんじとなる。広島ひろしま長崎ながさき被爆ひばくしゃ原爆げんばく責任せきにんうったえた「[[日本にっぽんへの原子げんしばくだん投下とうか#原爆げんばく裁判さいばん|原爆げんばく裁判さいばん]]」を担当たんとう裁判さいばんちょう古関こせき敏正としまささんふち、[[高桑たかくわあきら]])。1963ねん12月7にち判決はんけつ<ref>原爆げんばく投下とうか国際こくさいほう違反いはん判決はんけつ東京とうきょうばん昭和しょうわ38ねん12月7にち下級かきゅう裁判所さいばんしょ民事みんじ裁判さいばんれいしゅうだい14かんだい12ごう2435ぺーじ)</ref>は請求せいきゅう棄却ききゃくとするも日本にっぽん裁判所さいばんしょはじめて「原爆げんばく投下とうか国際こくさいほう違反いはん」と明言めいげんした<ref>{{Harv|さんふち嘉子よしこ家庭かてい裁判所さいばんしょ|2023|pp=41~46}}</ref>。

2024ねん6がつ18にち (火) 01:04時点じてんにおけるはん

みぶち よしこ

さんふち 嘉子よしこ
1938ねん昭和しょうわ13ねんごろ
生誕せいたん 武藤むとう 嘉子よしこ
(1914-11-13) 1914ねん11月13にち
イギリス直轄ちょっかつ植民しょくみんシンガポール
死没しぼつ (1984-05-28) 1984ねん5月28にち(69さいぼつ
東京とうきょう新宿しんじゅく戸山とやま
国立こくりつ病院びょういん医療いりょうセンター[1]
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
別名べつめい 和田わだ 嘉子よしこ
出身しゅっしんこう 明治大学めいじだいがく法学部ほうがくぶ
職業しょくぎょう 弁護士べんごし判事はんじ
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さんふち 嘉子よしこ(みぶち よしこ、1914ねん大正たいしょう3ねん11月13にち[2] - 1984ねん昭和しょうわ59ねん5月28にち[3])は、日本にっぽんはつ女性じょせい弁護士べんごし1人ひとりであり、はつ女性じょせい判事はんじおよび家庭かてい裁判所さいばんしょなが[4]

略歴りゃくれき

台湾たいわん銀行ぎんこう勤務きんむ武藤むとう貞雄さだおとノブの長女ちょうじょ[5]として、シンガポールにてまれる。シンガポールの漢字かんじ表記ひょうきのひとつである「あたらしよしみ坡」から「嘉子よしこ」と名付なづけられた。

東京とうきょう青山あおやま師範しはん学校がっこう附属ふぞく小学校しょうがっこう東京とうきょう女子じょし高等こうとう師範しはん学校がっこう附属ふぞく高等こうとう女学校じょがっこう卒業そつぎょうしたさいに、進歩しんぽてきかんがえをちち影響えいきょう法律ほうりつまなぶことを決意けつい[6]当時とうじ女子じょし唯一ゆいいつ法学ほうがく門戸もんこひらいていた明治大学めいじだいがくせん門部かとべ女子じょし法科ほうか入学にゅうがくした。1935ねん明治大学めいじだいがく法学部ほうがくぶ入学にゅうがく[7]1938ねんどう大学だいがく卒業そつぎょう[8][9]高等こうとう試験しけん司法しほう試験しけん合格ごうかく[10][11]1940ねんだい東京とうきょう弁護士べんごしかい弁護士べんごし登録とうろくをした[6]ことで明治大学めいじだいがく同窓どうそう中田なかた正子まさこ久米くめあいとも日本にっぽんはつ女性じょせい弁護士べんごしとなる[12]1941ねん武藤むとう書生しょせいをしていた和田わだ芳夫よしお[13]結婚けっこん[14]1943ねん長男ちょうなん出産しゅっさん和田わだ召集しょうしゅうさき中国ちゅうごく発病はつびょうし、1946ねん帰国きこく長崎ながさき陸軍りくぐん病院びょういん戦病死せんびょうし[15][ちゅう 1]1944ねん明治めいじ女子じょし専門せんもん学校がっこう助教授じょきょうじゅとなる[16]1945ねん長男ちょうなんや、戦死せんししたおとうと妻子さいしとともに福島ふくしまけん河沼かわぬまぐん坂下さかしたまちげん会津坂下あいづばんげまち)へ疎開そかい[17]ののち、両親りょうしん川崎かわさきうつ[6]

戦前せんぜん女性じょせい判事はんじ検事けんじくことが省令しょうれい[ちゅう 2]きんじられていたことへの反発はんぱつから[7]1947ねん3月、裁判官さいばんかん採用さいようねがいを司法省しほうしょう提出ていしゅつ同年どうねん6がつ司法省しほうしょう嘱託しょくたく[19]司法省しほうしょう民事局みんじきょくきょくづけ最高裁判所さいこうさいばんしょ発足ほっそくともな最高裁さいこうさい民事局みんじきょくきょくづけ1948ねん1がつ最高裁さいこうさい民事みんじ事務じむかん[19]家庭かていきょく創設そうせつともな初代しょだい家庭かていきょくきょくづけ就任しゅうにん[20]1949ねん1がつ最高裁さいこうさい家庭かていきょく事務じむかん同年どうねん6がつ最高裁さいこうさい家庭かていきょくづけ[19]1949ねん6月4にちはつ女性じょせい判事はんじとなった石渡いしわた満子みつこ[21]いで、同月どうげつ25にち東京とうきょう地裁ちさい判事はんじとなる[22][23]1952ねん12月[19]名古屋なごや地方裁判所ちほうさいばんしょはつ女性じょせい判事はんじとなる[4][19]1956ねん8がつ[24]裁判官さいばんかんさんふちいぬい太郎たろう初代しょだい最高裁さいこうさい長官ちょうかんであったさんふち忠彦ただひこ)と再婚さいこんさんふちせいとなり[25]目黒めぐろ[26]

1956ねん5月[19]東京とうきょう地裁ちさい判事はんじとなる。広島ひろしま長崎ながさき被爆ひばくしゃ原爆げんばく責任せきにんうったえた「原爆げんばく裁判さいばん」を担当たんとう裁判さいばんちょう古関こせき敏正としまささんふち高桑たかくわあきら)。1963ねん12月7にち判決はんけつ[27]請求せいきゅう棄却ききゃくとするも日本にっぽん裁判所さいばんしょはじめて「原爆げんばく投下とうか国際こくさいほう違反いはん」と明言めいげんした[28]

1962ねん12月[19]より東京とうきょう家庭かてい裁判所さいばんしょ判事はんじけん東京とうきょう地裁ちさい判事はんじ[29])。少年しょうねんけい5000にんちょう少年しょうねん少女しょうじょ審判しんぱん担当たんとうした[30]1967ねん1がつ総括そうかつ[19]

1972ねん6がつ[19]新潟にいがた家庭かてい裁判所さいばんしょちょう任命にんめいされ、女性じょせいとしてはつ家庭かてい裁判所さいばんしょちょうとなる[31]1973ねん11月に浦和うらわ地裁ちさい所長しょちょうとなり[32]1978ねん1がつからは横浜よこはま地裁ちさい所長しょちょうつと[33]1979ねん11月[34]退官たいかん[35]1980ねん1がつ[36]ふたた弁護士べんごしとなり[37]、そのほか日本にっぽん婦人ふじん法律ほうりつ協会きょうかい会長かいちょう(1979ねん6がつ就任しゅうにん[38])や労働省ろうどうしょう男女だんじょ平等びょうどう問題もんだい専門せんもん会議かいぎ座長ざちょう(1979ねん12月就任しゅうにん[39])をつとめた[7]明治大学めいじだいがく短期大学たんきだいがくでも1972ねんまで教壇きょうだんった[40]

1984ねん5月28にち[4]午後ごご815ふん骨肉こつにくしゅのため69さい死去しきょした[41]ぼつもって、したがえさんじょせられ、くんとう瑞宝章ずいほうしょうさづけられる[42]

2024年度ねんど前期ぜんき放送ほうそうNHK連続れんぞくテレビ小説しょうせつとらつばさ』で伊藤いとうすなえんじる主人公しゅじんこう、「猪爪いのつめとら」のモデルとなる[43]

家族かぞく

エピソード

  • 東京とうきょう地裁ちさい判事はんじ時代じだいさんふち審理しんり担当たんとうしていた民事みんじ事件じけん当事とうじしゃが、法廷ほうていがい廊下ろうかさんふちけるという出来事できごとがあった。さんふち怪我けがはなかったものの、女性じょせい判事はんじによる審理しんり不手際ふてぎわから刃傷にんじょう沙汰ざたきたのだと世間せけんから根拠こんきょわれるのではないかとおもうとなさけない、と吐露とろした[59]
  • 新潟にいがた家裁かさい時代じだいも、所長しょちょうをしながらみずか少年しょうねん事件じけん審判しんぱん担当たんとうしている。当時とうじった調査官ちょうさかんによれば、さんふちしんのこもった「説諭せつゆ」が感動かんどうてきだったという。事件じけんこした少年しょうねんいの保護ほごしゃも、さんふちかたりかける言葉ことばなみだながしている[60]

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん』では旧姓きゅうせい和田わだとなっている[4]
  2. ^ 規定きていはないのに、採用さいようめんなどでの実態じったい」とする出典しゅってんもある[18]

出典しゅってん

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  2. ^ (追想ついそうのひとさんふち嘉子よしこ 1985, p. 394, りゃく年譜ねんぷ)
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  16. ^ (追想ついそうのひとさんふち嘉子よしこ 1985, p. 395, りゃく年譜ねんぷ)
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参考さんこう文献ぶんけん

外部がいぶリンク

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