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放出(はなてん)は、大阪府大阪市鶴見区と城東区にまたがる地名。
現行の町名としては鶴見区放出東1 - 3丁目と城東区放出西1 - 3丁目があり、国道479号(大阪内環状線)が境界となっている。
地理
寝屋川、第二寝屋川、平野川分水路
歴史
難読地名・珍地名として知られる「放出」の地名の由来には2説ある。ひとつは、当地が古代の河内湖から淀川への放出口にあたることから、湖水の「はなちで」から「はなちでん」さらに「はなてん」に転訛したといわれる。もう一つは、三種の神器の一つ・草薙剣を剣が安置されていた熱田神宮から盗み出し逃げようとした新羅の僧・道行の乗った船が難破して当地に漂着し、神の怒りを恐れて剣を放ったという伝説に由来するともいわれている(草薙剣盗難事件)。地区内の阿遅速雄(あじはやお)神社にある石碑がその伝承を伝えている。
平安時代には摂津国東成郡榎並荘のうちに放出村が見られ、明治の町村制施行まで続いた。
町名の変遷
- 1889年(明治22年) 町村制施行により、東成郡榎本村大字放出となる。
- 1925年(大正14年) 榎本村が大阪市に編入され、東成区放出町となる。
- 1932年(昭和7年) 放出町が旭区へ転属。
- 1943年(昭和18年) 放出町が城東区へ転属。
- 1944年(昭和19年) 放出中3丁目、放出西3丁目が起立。
- 1950年(昭和25年) 放出中1 - 2丁目、放出東2 - 3丁目が起立。
- 1956年(昭和31年) 放出西1 - 2丁目が起立。
- 1971年(昭和46年) 放出東1丁目が起立。
- 1974年(昭和49年) 放出東1 - 3丁目が放出中1 - 3丁目を編入の上、鶴見区へ転属。
交通
鉄道の便としては、JR西日本片町線(学研都市線)・おおさか東線の放出駅がこの地域の南東よりにある。また地域の西側では、隣の片町線(学研都市線)の鴫野駅の方が近い場所もある。両駅を利用することで、京橋や梅田へのアクセスは比較的良い。一方で大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)については、西側の一部地域で今里筋線鴫野駅が徒歩圏内にあるものの、地域全体としては地下鉄の駅からはやや離れている。
主要な道路としては、国道479号(大阪内環状線)が地域の南北を貫いている。国道479号を走る大阪シティバスの路線バスもある。放出駅北口には旧・大阪市営バスの赤バス(鶴見ループ)が走っていたことがあったが本数はあまり多くなく、2013年3月末をもって廃止された。なお、同駅南口には東大阪市の布施駅を結ぶ近鉄バスが発着する(ただし当駅以外の停留所は東大阪市に所在)。
周辺
関連項目