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1888ねんのメジャーリーグベースボール

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以下いかは、メジャーリーグベースボール(MLB)における1888ねんのできごとをしるす。

アメリカン・アソシエーションではセントルイス・ブラウンズのカージナルス)が4ねん連続れんぞく4度目どめ優勝ゆうしょう、ナショナルリーグではニューヨーク・ジャイアンツはつ優勝ゆうしょうした。

1887ねんのメジャーリーグベースボール - 1888ねんのメジャーリーグベースボール - 1889ねんのメジャーリーグベースボール

できごと

ニューヨーク・ジャイアンツのティム・キーフ投手とうしゅはこのとしのシーズンに19連勝れんしょうし、そしてこの19連勝れんしょうふくむ35しょう12はいだつ三振さんしん335、防御ぼうぎょりつ1.74で最多さいたしょう最多さいただつ三振さんしん最優秀さいゆうしゅう防御ぼうぎょりつ記録きろくのこし、しかも最高さいこう勝率しょうりつ.745でニューヨーク・ジャイアンツのはつ優勝ゆうしょう貢献こうけんした。キーフは速球そっきゅう・カーブのほかにチェンジアップ(かれ考案こうあんしたといわれている)を駆使くしして相手あいて打者だしゃ弱点じゃくてん調しらべる投球とうきゅう戦術せんじゅつした。

またピッツバーグ・アレゲニーズ(のパイレーツ)のパッド・ガルヴィン投手とうしゅ史上しじょうはつ300しょう達成たっせいした。1879ねんのバッファロー・バイソンズをしに1885ねんにピッツバーグ・アレゲニーズ、1990ねんピッツバーグ・バーガーズ(プレーヤーズリーグ)に1ねん在籍ざいせきよく1891ねんピッツバーグ・パイレーツ改称かいしょうしたばかりの古巣ふるすもどり、1892ねんセントルイス・ブラウンズうつって、それが最後さいごのシーズンであった。「1球団きゅうだん2投手とうしゅ時代じだい」の鉄腕てつわん投手とうしゅとしてられ、1883ねんに76試合しあい登板とうばん・72完投かんとうで46しょう29はいよく1884ねんも72試合しあい登板とうばん・71完投かんとうで46しょう22はい成績せいせきのこした。優勝ゆうしょう経験けいけんく、最多さいたしょう最優秀さいゆうしゅう防御ぼうぎょりつにはえんかったが、通算つうさん365しょうは19世紀せいき投手とうしゅとしては最高さいこう歴代れきだい5であり、通算つうさん完投かんとうすう646は歴代れきだい2通算つうさん投球とうきゅう回数かいすう6003イニング(5959イニングとする資料しりょうもある)もサイ・ヤングにいで歴代れきだい2である。けんせいがうまく「けんせい名人めいじん」であった。

全米ぜんべい選手権せんしゅけん

アメリカン・アソシエーション優勝ゆうしょうチームのセントルイス・ブラウンズと、ナショナルリーグ優勝ゆうしょうチームのニューヨーク・ジャイアンツとは、シーズン終了しゅうりょう全米ぜんべい選手権せんしゅけん対戦たいせんし、6しょう4はいでニューヨーク・ジャイアンツが優勝ゆうしょうした。

世界せかい旅行りょこう

シーズンがわったのちの1888ねんあきから1889ねんはるにかけて、シカゴ・ホワイトストッキングスの会長かいちょうけんオーナーのアルバート・スポルディングは自身じしんのチームの選手せんしゅたち対戦たいせん相手あいてとしてほかのチームから選抜せんばつしたオールアメリカンズをひきいて、ハワイ、オーストラリア、エジプト、イタリア、イギリスとわた野球やきゅう普及ふきゅうのための周遊しゅうゆう旅行りょこうスポルディングのアラウンド・ザ・ワールド・ツアーおこなった。おも選手せんしゅとしてホワイトストッキングスがわからこのとし打率だりつトップのキャップ・アンソンが、またオール・アメリカンズがわからネッド・ハンロンモンテ・ウォードがこの興行こうぎょう参加さんかした。10月20にちにシカゴを出発しゅっぱつして、鉄道てつどう西海岸にしかいがんっているあいだ各地かくち試合しあいおこない、11月にハワイ、12月にニュージーランドとオーストラリアを訪問ほうもんして海外かいがいはじめて野球やきゅう試合しあいおこなった。こののち翌年よくねんはるまでこの旅行りょこうつづいた。皮肉ひにくにも、この野球やきゅう普及ふきゅうさせるための世界せかい旅行りょこうっているあいだに、ナショナルリーグのかく球団きゅうだん経営けいえいしゃ選手せんしゅ給料きゅうりょう高騰こうとうなやまされていたことで、翌年よくねんのシーズンにその年俸ねんぽうを1500ドルから2500ドルまでに制限せいげんすることをめた。このことでよく1889ねんあらたなリーグが結成けっせいされることになった。

最終さいしゅう成績せいせき

アメリカン・アソシエーション

じゅん チーム 勝利しょうり 敗戦はいせん 勝率しょうりつ G
1 セントルイス・ブラウンズ 92 43 .681 --
2 ブルックリン・ブライドグルームズ 88 52 .629 6.5
3 フィラデルフィア・アスレチックス 81 52 .609 10.0
4 シンシナティ・レッドストッキングス 80 54 .597 11.5
5 ボルチモア・オリオールズ 57 80 .416 36.0
6 クリーブランド・スパイダーズ 50 82 .379 40.5
7 ルイビル・カーネルズ 48 87 .356 44.0
8 カンザスシティ・カウボーイズ 43 89 .326 47.5

ナショナルリーグ

じゅん チーム 勝利しょうり 敗戦はいせん 勝率しょうりつ G
1 ニューヨーク・ジャイアンツ 84 47 .641 --
2 シカゴ・ホワイトストッキングス 77 58 .570 9.0
3 フィラデルフィア・クエイカーズ 69 61 .531 14.5
4 ボストン・ビーンイーターズ 70 64 .522 15.5
5 デトロイト・ウルバリンズ 68 63 .519 16.0
6 ピッツバーグ・アレゲニーズ 66 68 .492 19.5
7 インディアナポリス・フージャーズ 50 85 .370 36.0
8 ワシントン・ナショナルズ 48 86 .358 37.5

個人こじんタイトル

アメリカン・アソシエーション

打者だしゃ成績せいせき

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
打率だりつ ティップ・オニール (STL) .335
本塁打ほんるいだ ジョン・レイリー (CIN) 13
打点だてん ジョン・レイリー (CIN) 103
得点とくてん ジョージ・ピンキー (BRO) 134
安打あんだ ティップ・オニール (STL) 177
盗塁とうるい アーリー・ラッサム (STL) 109

投手とうしゅ成績せいせき

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
勝利しょうり シルバー・キング (STL) 45
防御ぼうぎょりつ シルバー・キング (STL) 1.63
だつ三振さんしん エド・シュワード (PHA) 272
投球とうきゅうかい シルバー・キング (STL) 584.2
セーブ トニー・マレーン (CIN) 1
ボブ・ギルクス (CLE)
ポップ・コークヒル (CIN)

ナショナルリーグ

打者だしゃ成績せいせき

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
打率だりつ キャップ・アンソン (CHC) .344
本塁打ほんるいだ ジミー・ライアン (CHC) 16
打点だてん キャップ・アンソン (CHC) 84
得点とくてん ダン・ブローザース (DTN) 118
安打あんだ ジミー・ライアン (CHC) 182
盗塁とうるい ダミー・ホイ (WHS) 82

投手とうしゅ成績せいせき

項目こうもく 選手せんしゅ 記録きろく
勝利しょうり ティム・キーフ (NYG) 35
防御ぼうぎょりつ ティム・キーフ (NYG) 1.74
だつ三振さんしん ティム・キーフ (NYG) 335
投球とうきゅうかい ジョン・クラークソン (BSN) 483.1
セーブ ジョージ・ウッド (PHI) 2

出典しゅってん

  • 『アメリカ・プロ野球やきゅう』≪だい1しょうナショナルリーグの確立かくりつ≫ 52-53P参照さんしょう  鈴木すずきたけしじゅ ちょ  1971ねん9がつ発行はっこう  さんいち書房しょぼう
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説でんせつ』≪1884-1904  ポストシーズン・ヒストリー≫ 上田うえだりゅう ちょ 84P参照さんしょう 2001ねん10がつ発行はっこう ベースボールマガジンしゃ
  • べいだいリーグ かがやける1世紀せいき ~その歴史れきしとスター選手せんしゅ~』≪パッド・ガルビン、ティム・キーフ≫ 35P参照さんしょう 週刊しゅうかんベースボール 1978ねん6がつ25にち増刊ぞうかんごう ベースボールマガジンしゃ

参考さんこう