アルバニア正教会 せいきょうかい (アルバニアせいきょうかい、アルバニア語 ご : Kisha Ortodokse Autoqefale e Shqipërisë )は、正教会 せいきょうかい で最 もっと も新 あたら しい独立 どくりつ 教会 きょうかい の一 ひと つ。20世紀 せいき になって創設 そうせつ された。
正教会 せいきょうかい は一 いち カ国 かこく に一 ひと つの教会 きょうかい 組織 そしき を具 そな える事 こと が原則 げんそく だが(アルバニア正教会 せいきょうかい 以外 いがい の例 れい としてはギリシャ正教会 せいきょうかい 、ルーマニア正教会 せいきょうかい 、ロシア正教会 せいきょうかい 、日本 にっぽん 正教会 せいきょうかい など。もちろん例外 れいがい もある)、これら各国 かっこく ごとの正教会 せいきょうかい が異 こと なる教義 きょうぎ を信奉 しんぽう している訳 わけ では無 な く、同 おな じ信仰 しんこう を有 ゆう している[ 1] 。
正教会 せいきょうかい の
教義 きょうぎ や、
全 ぜん 正教会 せいきょうかい に
共通 きょうつう する
特徴 とくちょう については「
正教会 せいきょうかい 」を
参照 さんしょう
アルバニア正教会 せいきょうかい は創立 そうりつ 以来 いらい 、苦難 くなん の時期 じき を重 かさ ねてきた。当初 とうしょ は奉 たてまつ 神 かみ 礼 あや (典礼 てんれい )にギリシャ語 ご を用 もち いていたが、アルバニア人 じん やアルバニア の民族 みんぞく 主義 しゅぎ 者 しゃ から脅威 きょうい と見 み なされたのである。アルバニア正教会 せいきょうかい は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか に受難 じゅなん し、その後 ご の共産 きょうさん 主義 しゅぎ 体制 たいせい において、とりわけアルバニアが「無 む 神 かみ 論 ろん 国家 こっか 」を宣言 せんげん した1967年 ねん 以降 いこう は、民衆 みんしゅう が公的 こうてき であれ私的 してき にであれ、信仰 しんこう を表明 ひょうめい することは許 ゆる されなくなった。
しかしながら1991年 ねん に信仰 しんこう の自由 じゆう が復活 ふっかつ するとアルバニア正教会 せいきょうかい も復活 ふっかつ を見 み て、250以上 いじょう の教会堂 きょうかいどう が再建 さいけん もしくは改修 かいしゅう され、100名 めい 以上 いじょう の下級 かきゅう 聖職 せいしょく 者 しゃ が叙 じょ 聖 きよし (叙任 じょにん )された。現在 げんざい は4つの教区 きょうく が存在 そんざい する((1) ティラナ とドゥラス およびエルバサン 、(2) ベラト とカニナ、(3) ギロカストラ 、(4) コルチャ )。
アルバニアのキリスト教 きりすときょう は古 ふる い歴史 れきし があり、パウロ とともにユダヤ の伝道 でんどう 者 しゃ がバルカン半島 ばるかんはんとう を訪 おとず れた紀元 きげん 1世紀 せいき にまでさかのぼる。
アルバニアの民族 みんぞく 主義 しゅぎ 者 しゃ サミ・ベイ・フラシェリ は、アルバニア正教 せいきょう の奉 たてまつ 神 かみ 礼 あや から、ギリシャ的 てき な要素 ようそ を取 と り除 のぞ き、アルバニア語 ご を使 つか うように要望 ようぼう を出 だ した。独立 どくりつ 教会 きょうかい という発想 はっそう は、ルーマニアのアルバニア語 ご 新聞 しんぶん 「光明 こうみょう Drita 」の中 なか で初 はじ めて提案 ていあん された。アルバニア正教 せいきょう 独立 どくりつ 教会 きょうかい がようやく1937年 ねん 4月 がつ 12日 にち に文人 ぶんじん 聖職 せいしょく 者 しゃ ファン・ノリ によって組織 そしき されると、同年 どうねん 中 ちゅう に総 そう 主教 しゅきょう から承認 しょうにん を得 え た。
共産 きょうさん 主義 しゅぎ 政権 せいけん 下 か の弾圧 だんあつ [ 編集 へんしゅう ]
レオボヴァ・エ・クリチトのイコン 、ハリストス (キリスト)像 ぞう (18世紀 せいき )
エンヴェル・ホッジャ がアルバニア人民 じんみん 共和 きょうわ 国 こく の最高 さいこう 指導 しどう 者 しゃ として独裁 どくさい 体制 たいせい を敷 し くと、教会 きょうかい も国家 こっか の統制 とうせい 下 か に置 お かれ、大 おお きな受難 じゅなん の時代 じだい を迎 むか える。宗教 しゅうきょう 施設 しせつ が所有 しょゆう していた土地 とち は国家 こっか に接収 せっしゅう され、学校 がっこう において宗教 しゅうきょう 教育 きょういく は禁 きん じられた。1952年 ねん には大 だい 主教 しゅきょう クリストフォルが死体 したい となって発見 はっけん された。処刑 しょけい されたのだとする意見 いけん が圧倒的 あっとうてき である。
1967年 ねん にホッジャは中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい に触発 しょくはつ されて、全国 ぜんこく の教会 きょうかい とモスク を閉鎖 へいさ し、世界 せかい 最初 さいしょ の(そして唯一 ゆいいつ の)無 む 神 かみ 国家 こっか であるとして無 む 神 かみ 論 ろん を国教 こっきょう のように扱 あつか った[ 2] 。あらゆる信仰 しんこう の表明 ひょうめい は、公的 こうてき にであれ私的 してき にであれ、違法 いほう とされた。何 なに 百 ひゃく 人 にん もの宗教 しゅうきょう 家 か (司祭 しさい やイマーム )が投獄 とうごく されたり粛清 しゅくせい されたりしたのである。
共産党 きょうさんとう 政権 せいけん も末期 まっき になると、信仰 しんこう の自由 じゆう が回復 かいふく されたが、健在 けんざい の司祭 しさい は22名 めい しかいなかった。
コンスタンディヌーポリ総 そう 主教 しゅきょう ヴァルソロメオス1世 せい は、アテネ大学 だいがく の神学 しんがく 者 しゃ でメッサニア県 けん アンドロウサ(ギリシャ )名義 めいぎ の主教 しゅきょう アナスタシオス をアルバニア正教会 せいきょうかい の総 そう 主教 しゅきょう 代理 だいり に任命 にんめい した。アナスタシオスは1992年 ねん 6月24日 にち にティラナ大 だい 主教 しゅきょう に指名 しめい され、同年 どうねん 8月 がつ 2日 にち に新 しん 主教 しゅきょう に推戴 すいたい された。当初 とうしょ はアルバニア共和 きょうわ 国 こく から、危険 きけん 人物 じんぶつ の虞 おそれ のあるギリシャの民族 みんぞく 主義 しゅぎ 者 しゃ と見 み 做されたものの、アナスタシオスは慈善 じぜん 活動 かつどう によって尊敬 そんけい を勝 か ち得 え るとともに、今 いま やアルバニア正教会 せいきょうかい の霊的 れいてき 指導 しどう 者 しゃ として承認 しょうにん されるに至 いた った。それでもなお、未 いま だに多 おお くのアルバニア正教 せいきょう の教会 きょうかい は、自国 じこく の首座 しゅざ 主教 しゅきょう にギリシャ人 じん が座 すわ っていることを必 かなら ずしも快 こころよ く思 おも ってはいない。
アナスタシオスは、はじめは廃屋 はいおく になった宿屋 やどや で、その後 ご は(ドゥレス港 こう から15キロメートルの町 まち )シェン・ヴラシュの自分 じぶん の敷地 しきち で神学校 しんがっこう を開設 かいせつ した。素 もと よりアナスタシオス大 だい 主教 しゅきょう は、教会 きょうかい の復興 ふっこう は「アルバニア人 じん の」教会 きょうかい の再生 さいせい でなければならないと訴 うった えていたが、それでもアルバニア正教会 せいきょうかい にギリシャ正教会 せいきょうかい の影響 えいきょう は強 つよ まったのである。奉 たてまつ 神 かみ 礼 あや に関 かん する書物 しょもつ やその他 た の文献 ぶんけん は、1910年 ねん から1940年代 ねんだい にかけてアルバニア語 ご で作成 さくせい されたが、アナスタシオスが大 だい 主教 しゅきょう に推戴 すいたい されてからというもの、アルバニア語 ご の出版 しゅっぱん 物 ぶつ はほとんど出回 でまわ らなくなり、その一方 いっぽう で正 せい 教徒 きょうと のアルバニア人 じん は、英国 えいこく 内外 ないがい 聖書 せいしょ 協会 きょうかい (the British & Foreign Bible Society )が1879年 ねん に出版 しゅっぱん した新約 しんやく 聖書 せいしょ を依然 いぜん として用 もち いているという有 あ り様 さま であった。この新約 しんやく は、欽定 きんてい 訳 やく に基 もと づき方言 ほうげん を使 つか った翻訳 ほんやく だった。たいていのアルバニア人 じん は日常 にちじょう の生活 せいかつ や活動 かつどう では標準 ひょうじゅん アルバニア語 ご を使 つか っているのにである。現在 げんざい は、アルバニア聖書 せいしょ 協会 きょうかい によって、新訳 しんやく の聖書 せいしょ が作成 さくせい されている。
大半 たいはん の小 しょう 教区 きょうく ではアルバニア語 ご が使 つか われているが、多 た 民族 みんぞく が混在 こんざい してギリシャ語 ご やアルーマニア語 ご が支配 しはい 的 てき であるような地域 ちいき では、奉 たてまつ 神 かみ 礼 あや にギリシャ語 ご も使 つか われる。南西 なんせい 部 ぶ の都市 とし サランダ では、アルバニア語 ご を奉 たてまつ 神 かみ 礼 あや に使 つか うことは認可 にんか されない。
1990年代 ねんだい からは正 せい 教徒 きょうと 人口 じんこう の半数 はんすう がアルバニアを去 さ り、ギリシャやイタリア 、北米 ほくべい などに移 うつ ったが、司祭 しさい 職 しょく の必要 ひつよう を満 み たすようなアルバニアの小 しょう 教区 きょうく は確定 かくてい されておらず、専 もっぱ らギリシャの小 しょう 教区 きょうく が司祭 しさい 職 しょく に割 わ り当 あ てられている。この新 あら たな民族 みんぞく 離散 りさん は、アルバニア正教会 せいきょうかい の未来 みらい の首座 しゅざ 主教 しゅきょう にとって、相変 あいか わらず最 もっと も厄介 やっかい な難問 なんもん として立 た ちはだかっている。
正教会 せいきょうかい (ギリシャ正教 せいきょう 、東方 とうほう 正教会 せいきょうかい ) — 正教会 せいきょうかい の洗礼 せんれい ・聖体 せいたい 機密 きみつ (聖体 せいたい 礼儀 れいぎ )を含 ふく む機密 きみつ (秘蹟 ひせき )は全 すべ ての正教会 せいきょうかい で有効 ゆうこう 。「ルーマニア正教会 せいきょうかい 」「ロシア正教会 せいきょうかい 」は組織 そしき 名 めい であり、一 いち 組織 そしき を信仰 しんこう するかのような「ロシア正教 せいきょう を信仰 しんこう する」「グルジア正教 せいきょう を信仰 しんこう する」といった表現 ひょうげん は誤 あやま りである。