(Translated by https://www.hiragana.jp/)
アンドレ・ジッド - Wikipedia コンテンツにスキップ

アンドレ・ジッド

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドレ・ジッド
André Gide
誕生たんじょう アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド
André Paul Guillaume Gide
1869ねん11月22にち
フランスの旗 フランス帝国ていこくパリ
死没しぼつ (1951-02-19) 1951ねん2がつ19にち(81さいぼつ
フランスの旗 フランスパリ
職業しょくぎょう 作家さっか
国籍こくせき フランスの旗 フランス
代表だいひょうさく背徳はいとくしゃ』(1902ねん
せまもん』(1909ねん
法王ほうおうちょうあな』(1914ねん
田園でんえん交響楽こうきょうがく』(1919ねん
贋金にせがねつくり』(1925ねん
おも受賞じゅしょうれき ノーベル文学ぶんがくしょう1947ねん
ウィキポータル 文学ぶんがく
テンプレートを表示ひょうじ
ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん1947ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル文学ぶんがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆう人間にんげん問題もんだい状況じょうきょうを、しん大胆だいたん不敵ふてきあいするど心理しんり洞察どうさつりょく表現ひょうげんした、包括ほうかつてき芸術げいじゅつてき重要じゅうよう著作ちょさくたいして

アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド(André Paul Guillaume Gide, 1869ねん11月22にち - 1951ねん2がつ19にち)は、フランス小説しょうせつアンドレ・ジイド昭和しょうわ時代じだいはこの表記ひょうきおおかった)、アンドレ・ジードとも表記ひょうきされる。

文壇ぶんだんしんフランス評論ひょうろん(NRF)』創刊そうかんしゃ一人ひとり。『日記にっき』ははん世紀せいき以上いじょうかれ、フランス日記にっき文学ぶんがく代表だいひょうする作品さくひんである。

人間にんげん自由じゆうとキリストきょうてきモラルの対立たいりつ主題しゅだいにした小説しょうせつおおいた。幼時ようじけた厳格げんかく宗教しゅうきょう教育きょういく性的せいてき欲求よっきゅう矛盾むじゅんが、その根底こんていにある。また文芸ぶんげい批評ひひょうとしても活躍かつやく評論ひょうろんに『ドストエフスキー』、小説しょうせつに『背徳はいとくしゃ』『せまもん』『田園でんえん交響楽こうきょうがく』などがある。

生涯しょうがい作品さくひん[編集へんしゅう]

[編集へんしゅう]

壮年そうねん時代じだい(1920ねん)

1869ねんパリ6メデシスがいまれる。ちちジャン・ポール・ギヨーム・ジッドは南仏なんふつユゼス出身しゅっしんプロテスタント家系かけいパリ大学だいがく法学部ほうがくぶ教授きょうじゅをつとめた。ははジュリエットはきたほとけルーアン出身しゅっしん裕福ゆうふく織物おりもの業者ぎょうしゃロンドーむすめ叔父おじ経済けいざい学者がくしゃシャルル・ジッド少年しょうねんはたびたびユゼス、ルーアン、ラ・ロック別荘べっそうなどをおとずれた。6さいごろからピアノをならはじめ、生涯しょうがい趣味しゅみとした。8さいときアルザス学院がくいん入学にゅうがく品行ひんこう不良ふりょう自慰じい習慣しゅうかん)のためいち停学ていがく病弱びょうじゃくのために休校きゅうこうして親戚しんせきいえなどで保養ほようし、10さいときにアルザス学院がくいん復学ふくがく。11さいときちちくなり、はは伯母おば家庭かてい教師きょうしによってそだてられる。またアルザス学院がくいん退学たいがくし、療養りょうようのために各地かくち保養ほよう転々てんてんとしたのちにパリにもどる。このころアンリ・フレデリック・アミエルゴーティエハイネ愛読あいどくする。14さいときにアルザス学院がくいんさい入学にゅうがくするが3カ月かげつ退学たいがく。17さいときにアルザス学院がくいん修辞しゅうじクラスにはいり、ピエール・ルイス文学ぶんがくてき友情ゆうじょうむすばれる。

1888ねんアンリ4せいこう哲学てつがく学級がっきゅう転校てんこうレオン・ブルムい、『ラ・ルヴュ・ブランシュ編集へんしゅう手伝てつだう。バカロレア合格ごうかくするが、文学ぶんがく専念せんねんするために大学だいがく進学しんがくはやめる。1890ねんにルイスをつうじてポール・ヴァレリーい、母方ははかた従姉じゅうしマドレーヌ・エマニュアルへのおもいを主題しゅだいにした『アンドレ・ワルテルの手記しゅき』を執筆しっぴつし、翌年よくねん自費じひ出版しゅっぱん。やがてステファヌ・マラルメの「火曜かようかい」に出入でいりするようになる。『アンドレ・ワルテルの手記しゅき』はマラルメから絶賛ぜっさんされ、その象徴しょうちょう主義しゅぎ影響えいきょう色濃いろこ作品さくひん発表はっぴょうする。またオスカー・ワイルドともう。

きたアフリカ[編集へんしゅう]

1892ねんきたぼとけナンシー兵役へいえきくが肺結核はいけっかくでまもなく除隊じょたい。 1893ねん親友しんゆうポール・アルベール・ローランスきたアフリカ(アルジェリアチュニジア)を旅行りょこう以後いごたびたび同地どうちおもむき、ワイルドとアルフレッド・ダグラスきょうにも邂逅かいこう娼婦しょうふとの交流こうりゅう同性愛どうせいあい経験けいけんする。この一連いちれん体験たいけんキリスト教きりすときょうてき束縛そくばくからの脱却だっきゃくによる文学ぶんがくしゃとしての転機てんきとなった。

レシとソチ[編集へんしゅう]

1895ねんにマドレーヌと結婚けっこん同年どうねん『パリュード』を発表はっぴょうし、これが象徴しょうちょう主義しゅぎとの実質じっしつてき決別けつべつとなる。1897ねん、『かて』を発表はっぴょう。『かて』は出版しゅっぱん当時とうじはほとんど世評せひょうにものぼらなかったが、20ねんあたらしい青年せいねんそう注目ちゅうもくされ、ひろみとめられるようになった。1902ねんの『背徳はいとくしゃ』においては、せい価値かち快楽かいらく目覚めざめ、既成きせい道徳どうとくからをそむけてゆくおとこ悲劇ひげきえがく。この時期じき作品さくひんはナチュリスムはとばれるながれに位置いちづけられた。

1908ねんに『しんフランス評論ひょうろん(NRF)』の創刊そうかん参加さんかするが、1ごう中断ちゅうだん翌年よくねん再刊さいかんし、過剰かじょう神秘しんぴ主義しゅぎおちいるヒロインのあい悲劇ひげきえがく『せまもん』を連載れんさい一般いっぱん読者どくしゃにも評価ひょうかた。1912ねんマルセル・プルーストから『スワンほうへ』のNRFからの出版しゅっぱん依頼いらいされたが拒否きょひ、そのなおしてプルーストに謝罪しゃざいし、『うしなわれたときもとめて』の2かん以降いこうはNRFから出版しゅっぱんされることになった。

1914ねんの『法王ほうおうちょうあなフランス語ふらんすごばん』では、マ法王まほうおうフリーメイソン皮肉ひにくったストーリー設定せっていした動機どうきのない殺人さつじん(「無償むしょう行為こうい」)を遂行すいこうするラフカディオという主人公しゅじんこう登場とうじょうさせた。なお、ジッドは『背徳はいとくしゃ』、『せまもん』、『田園でんえん交響楽こうきょうがく』(1919ねん)などの一人称いちにんしょうかたによる単線たんせんてきすじ作品さくひんを「レシ(物語ものがたり)」、『パリュードフランス語ふらんすごばん』、『くさりはなれたプロメテ』(1899)、『法王ほうおうちょうあな』などの批判ひはんてき諧謔かいぎゃくてき作品さくひんを「ソチ(茶番ちゃばんげき)」と分類ぶんるいして、「ロマン小説しょうせつ)」と区別くべつしている。

ロマン[編集へんしゅう]

32さい愛人あいじんマルク・アレグレと(1920ねん)。マルクはジッドのコンゴ旅行りょこう同行どうこうし、その記録きろく映画えいが制作せいさくをきっかけに映画えいがかいへ。実弟じっていイヴ・アレグレ映画えいが監督かんとく。ジッドはバイセクシャルのマルクにたせ、そのだいちちになることを熱望ねつぼうした[1]

1917ねんごろ家庭かてい教師きょうしだったエリ・アレグレ牧師ぼくし息子むすこで16さいのマルクと関係かんけいつようになる。1926ねん、『贋金にせがねつくり』(『贋金にせがねつかい』ともやくされる)を発表はっぴょう。これはジッドが唯一ゆいいつ「ロマン」としてみとめた代表だいひょうさくであり、ドストエフスキーやイギリス小説しょうせつフィールディングディケンズスティーブンソンなど)からまなんだ手法しゅほうをとりまぜた作品さくひんである。作中さくちゅうにエドゥワールという小説しょうせつ登場とうじょうし、作品さくひん同名どうめい小説しょうせつ(「贋金にせがねづくり」)をくという設定せっていになっており、いわゆる「小説しょうせつ小説しょうせつ」になっている。このようなメタてき手法しゅほう(「もんちゅうもん」)はヌーヴォー・ロマン作家さっかたちに多大ただい影響えいきょうあたえたとわれる。

作品さくひんには、生涯しょうがいつまであったマドレーヌの影響えいきょうつよく、『背徳はいとくしゃ』、『せまもん』などに彼女かのじょかげった女性じょせいキャラクターが登場とうじょうしている。しかしながら、マドレーヌのことをあいしながらせい交渉こうしょうをもたず(いわゆる「しろ結婚けっこん」)、マルク・アレグレとの同性愛どうせいあい関係かんけいにより結婚けっこん生活せいかつ破綻はたんをきたしていたとわれる。このアレグレとの関係かんけいは、自伝じでんてき特色とくしょくがある『日記にっき』にくわしくかれている。また、かれにはエリザベート・ヴァン・リセルベルグ(テオ・ファン・レイセルベルヘむすめ)とのあいだに1923ねん一女いちじょカトリーヌをもうけている[2]。ジッドはエリザベートに「わたしはただ一人ひとり女性じょせいしかしんあいすことがないだろうし、わかおとこにしかしん欲望よくぼうをもてない。しかしきみ子供こどもがいないのをるのはしのがたく、また、わたし自身じしん子供こどもがいないのもがたい」とおくっている。また、『コリドン』(1924ねん)では男色なんしょく擁護ようごし、つづく自伝じでんの『一粒ひとつぶむぎもしなずば』(1926ねん)でみずからの同性愛どうせいあいてき性向せいこうカミング・アウトした。

中央ちゅうおうアフリカ[編集へんしゅう]

1926ねん7がつから1927ねん5がつにかけて、フランス政府せいふからの依頼いらいによる調査ちょうさのために、フランスりょう赤道せきどうアフリカフランスりょうコンゴげんコンゴ共和きょうわこく)、ウバンギ・シャリげん中央ちゅうおうアフリカ共和きょうわこく)、一時いちじチャド滞在たいざいしたのちカメルーン視察しさつしたのちフランスへ帰国きこくして『コンゴ紀行きこうフランス語ふらんすごばん』(1927ねん)と『チャドからの帰還きかんフランス語ふらんすごばん-ぞくコンゴ紀行きこう』(1928ねん)を発表はっぴょうした。『コンゴ紀行きこうおよび『チャドからの帰還きかん-ぞくコンゴ紀行きこう』では、フランスの植民しょくみん支配しはいのありかたについて疑義ぎぎとなえ、当時とうじ社会しゃかい波紋はもんこした。1920だい後半こうはんから1930年代ねんだいにかけ知識ちしきじんとしてのアンガージュマン(政治せいじ参加さんか)が目立めだつようになる。

ロシア[編集へんしゅう]

1930年代ねんだいはいってからは、ソヴィエトへの共感きょうかんくちにしはじめ、共産きょうさん主義しゅぎてき傾向けいこうつよめる。しかし1936ねんソビエト連邦れんぽう作家さっか同盟どうめい招待しょうたいけ、重体じゅうたいであったマクシム・ゴーリキー見舞みまうために同国どうこくおとずれたジッドは、やく2ヶ月かげつあいだ滞在たいざいののち『ソヴィエト紀行きこうフランス語ふらんすごばん』でソ連それん実態じったいあきらかにしてスターリン体制たいせい反対はんたいする姿勢しせい鮮明せんめいにし、左派さはからもう批判ひはんける。ジッドは翌年よくねんの『ソヴィエト紀行きこう修正しゅうせい』(1937ねん)でまえちょたいする批判ひはんには反論はんろんしている。『ソヴィエト紀行きこう』は10まん以上いじょう売上うりあげ、ソ連それん批判ひはん書物しょもつとしては最大さいだいげとなる。そのはんナチはんファシズムつらぬき、だい大戦たいせんまえには反戦はんせんはんファシズム世界せかい青年せいねん会議かいぎ名誉めいよ議長ぎちょうつとめた。

晩年ばんねん[編集へんしゅう]

1938ねん、マドレーヌがくなるとふか孤独こどくかんおちいり、『いま彼女かのじょなんじなかにあり』をく。1939ねん戦禍せんかチュニス移住いじゅうきたアフリカを点々てんてんとしていたが、1945ねんにパリにもどる。

1945ねんゲーテしょう授与じゅよ1947ねんオックスフォおっくすふぉド大学どだいがくから名誉めいよ博士はかせごう同年どうねんノーベル文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう

1951ねんパリの自宅じたくにてはい充血じゅうけつにより死去しきょ。その著作ちょさく死後しごローマ教皇きょうこうちょうにより、禁書きんしょ指定していされた。

影響えいきょう[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは、和気わきろうによる紹介しょうかいかわきりに、堀口ほりぐち大學だいがく山内やまうち義雄よしおなどのによってられるようになった。小説しょうせつ石川いしかわあつしによる批評ひひょうぶんもあり、石川いしかわはジッドの小説しょうせつ翻訳ほんやくしてもいる。また、ジッドの著作ちょさく当時とうじ文人ぶんじんたちに多大ただい影響えいきょうあたえた。たとえば横光よこみつ利一としかず純粋じゅんすい小説しょうせつろんはジッドの『贋金にせがねつくり』が影響えいきょうしているとわれている。

作品さくひんリスト[編集へんしゅう]

小説しょうせつ戯曲ぎきょくとう[編集へんしゅう]

  • 『アンドレ・ワルテルの手記しゅきLes Cahiers d'André Walter, 1891ねん
  • 『アンドレ・ワルテルのLes Poésies d'André Walter, 1892ねん詩集ししゅう
  • 『ユリアンのたびLe Voyage d'Urien, 1893ねん
  • あいこころみ』La Tentative amoureuse, 1893ねん
  • 『パリュード』Paludes, 1895ねん
  • かてLes Nourritures terrestres, 1897ねん散文詩さんぶんし
  • Feuilles de route 1895-1896, 1897ねん
  • くさりかれたプロメテ』Le Prométhée mal enchaîné, 1899ねん
  • 『フィロクテート』Phylactère, 1899ねん戯曲ぎきょく
  • 『カンドールおうLe Roi Candaule, 1901ねん戯曲ぎきょく
  • 背徳はいとくしゃL'Immoraliste, 1902ねん
  • 『サウル』Saül, 1903ねん戯曲ぎきょく未完みかん
  • 放蕩ほうとう息子むすこ帰宅きたくLe Retour de l'Enfant prodigue, 1907ねん
  • せまもんLa Porte étroite, 1909ねん
  • シャルル=ルイ・フィリップCharles-Louis Philippe, 1911ねん
  • 『イザベル』Isabelle, 1911ねん
  • Bethsabé, 1912ねん戯曲ぎきょく未完みかん
  • 法王ほうおうちょうあなLes Caves du Vatican, 1914ねん
  • 田園でんえん交響楽こうきょうがくLa Symphonie pastorale, 1919ねん
  • Caractères, 1925ねん
  • 贋金にせがねつくりLes Faux-monnayeurs1925ねん
  • 一粒ひとつぶむぎもしなずばSi le grain ne meurt, 1926ねん自伝じでんてき作品さくひん
  • Dindiki, 1927ねん
  • おんな学校がっこうL'École des femmes, 1929ねん
  • 『ロベール』Robert, 1930ねん
  • La Séquestrée de Poitiers, 1930ねん
  • 『エディップ』Œdipe, 1931ねん戯曲ぎきょくソポクレスオイディプスおう』のさい作品さくひん
  • Divers, 1931ねん
  • 『ペルセフォーヌ』Perséphone, 1934ねんオペラ=バレのための劇詩げきしストラヴィンスキー音楽おんがくクルト・ヨースによるけ)
  • あたらしきかてLes Nouvelles Nourritures, 1935ねん
  • 『ジュヌヴィエーヴ』Geneviève, 1936ねん
  • Découvrons Henri Michaux, 1941ねん
  • 架空かくう会見かいけんInterviews imaginaires, 1943ねん
  • 『テゼ』Thésée, 1946ねん
  • Souvenirs littéraires et problèmes actuels, 1946ねん
  • Le Retour, 1946ねん(『放蕩ほうとう息子むすこ帰宅きたく』のオペラ台本だいほんレイモン・ボヌールともさく未完みかん
  • Poétique, 1947ねん
  • Le Procès, 1947ねんカフカ小説しょうせつ審判しんぱん』の戯曲ぎきょくジャン=ルイ・バローともさく
  • L'Arbitraire, 1947ねん
  • Préfaces, 1948ねん
  • Rencontres, 1948ねん
  • 法王ほうおうちょうあなLes Caves du Vatican, 1948ねん笑劇しょうげき
  • Éloges, 1948ねん
  • 『ロベール、あるいは一般いっぱん利益りえきRobert ou l'Intérêt général, 1949ねん(『ロベール』の戯曲ぎきょく

エッセイ・評論ひょうろんとう[編集へんしゅう]

  • 『ナルシスろんLe Traité du Narcisse, 1891ねん象徴しょうちょう主義しゅぎろん
  • Réflexions sur quelques points de littérature et de morale, 1897ねん
  • 『アンジェルへの手紙てがみLettres à Angèle, 1900ねん
  • De l'Influence en littérature, 1900ねん
  • Les Limites de l'Art, 1901ねん
  • De l'Importance du Public, 1903ねん
  • 『プレテクスト』Prétextes, 1903ねん
  • Amyntas, 1906ねんきたアフリカ旅行りょこう
  • Dostoïevsky d'après sa correspondance, 1908ねん
  • オスカー・ワイルドOscar Wilde, 1910ねん
  • しんプレテクスト』Nouveaux Prétextes, 1911ねん
  • C.R.D.N., 1911ねん私家しかばん・12限定げんてい
  • Ne jugez pas: souvenirs de la cour d'assises, 1913ねん
  • 『コリドン』Corydon, 1920(私家版しかばんC.R.D.N.から改題かいだい
  • Morceaux choisis, 1921ねん
  • Pages choisies, 1921ねん
  • Numquid et tu... ?, 1922ねん
  • ドストエフスキーDostoïevsky, 1923ねんジャック・リヴィエール献呈けんてい
  • Incidences, 1924ねん
  • 『コリドン』Corydon, 1924ねん
  • Le Journal des Faux-Monnayeurs, Paris, Nouvelle revue française,‎ , 144 p. (lire en ligne).
  • 『コンゴ紀行きこうVoyage au Congo, 1927ねん
  • 『チャドからの帰還きかん - ぞくコンゴ紀行きこうLe Retour du Tchad, 1928ねん
  • Essai sur Montaigne, 1929ねん
  • Un esprit non prévenu, 1929ねん
  • 『ルデュロー事件じけんL'Affaire Redureau, 1930ねん実在じつざい事件じけんのノンフィクション)
  • Pages de Journal 1929-1932, 1934ねん
  • Nouvelles Pages de Journal 1932-1935, 1936ねん
  • 『ソヴィエト旅行りょこうRetour de l'U.R.S.S., 1936ねん
  • 『ソヴィエト旅行りょこう修正しゅうせいRetouches à mon Retour de l'U.R.S.S., 1937ねん
  • Notes sur Chopin, 1938ねん
  • 日記にっき 1889-1939』Journal 1889-1939, 1939ねん
  • Découvrons Henri Michaux, 1941ねん
  • Pages de Journal, 1944ねん(1939-1941期間きかん
  • Pages de Journal 1939-1942, 1944ねん
  • Paul Valéry, 1947ねん
  • Feuillets d'automne, 1949ねん
  • Anthologie de la poésie française, 1949ねん
  • Journal 1942-1949, 1950ねん
  • Littérature engagée, 1950ねん
  • Égypte 1939, 1951ねん
  • Et nunc manet in te, 1951ねん回想かいそうろく

翻訳ほんやく

編著へんちょ

  • Les pages immortelles de Montaigne 1939ねん序文じょぶんアンソロジー)

没後ぼつご刊行かんこう[編集へんしゅう]

  • Ainsi soit-il ou Les Jeux sont faits, 1952ねん回顧かいころく
  • Le Récit de Michel, 1972ねん
  • À Naples, 1993ねん
  • Le Grincheux, 1993ねん
  • L'Oroscope ou Nul n'évite sa destinée, 1995ねん戯曲ぎきょく
  • Isabelle, 1996ねん戯曲ぎきょくピエール・エルバールとの合作がっさく
  • Journal, vol. 1 : 1887-1925, vol. 2 : 1926-1950, 1996-1997ねん
  • Le Ramier, 2002ねん
  • Hugo, hélas !, 2002ねん
  • Histoire de Pierrette, 2010ねん
  • Quelques réflexions sur l’abandon du sujet dans les arts plastiques, 2011ねん

日本語にほんごやく[編集へんしゅう]

全集ぜんしゅう作品さくひんしゅう
  • 『ジイド全集ぜんしゅうぜん18かん金星かなぼしどう、1934-1935ねん
  • 『アンドレ・ジイド全集ぜんしゅうぜん12かん建設けんせつしゃ、1934-1937ねん青山あおやま二郎じろう装丁そうてい
  • 『アンドレ・ジイド全集ぜんしゅうぜん16かん新潮社しんちょうしゃ、1950-1951ねん
  • 『アンドレ・ジッド代表だいひょうさくせんぜん5かん若林わかばやししん単独たんどくやく慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい、1999ねん
  • 『アンドレ・ジッド集成しゅうせいぜん5かん二宮にのみや正之まさゆき単独たんどくやく筑摩書房ちくましょぼう、2014ねん-(4かんまで刊行かんこう
  • 世界せかい文学ぶんがく全集ぜんしゅう だい113 アンドレ・ジイド』河出かわで書房しょぼう、1954ねん
  • 世界せかい文学ぶんがく大系たいけい 50 ジイド』筑摩書房ちくましょぼう、1963ねん
  • 世界せかい文学ぶんがく全集ぜんしゅう 47 ジイド』筑摩書房ちくましょぼう、1966ねん
  • 世界せかい文学ぶんがく全集ぜんしゅう 20世紀せいき文学ぶんがく22 ジイド モーリアック』集英社しゅうえいしゃ、1966ねん
  • 『カラーばん 世界せかい文学ぶんがく全集ぜんしゅう 25 ジイド』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1967ねん
  • 新潮しんちょう世界せかい文学ぶんがく28 ジッド Ⅰ』『―29 ジッド Ⅱ』新潮社しんちょうしゃ、1970ねん
  • 世界せかい文学ぶんがく全集ぜんしゅう 24 アンドレ・ジイド』新潮社しんちょうしゃ 1971ねん
  • 『ノーベルしょう文学ぶんがく全集ぜんしゅう10 ジッド モーリヤック』主婦しゅふ友社ともしゃ、1978ねん
  • 河出かわで世界せかい文学ぶんがく全集ぜんしゅう16 ジィド』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1989ねん
かく作品さくひん
  • 『パリュウド』小林こばやし秀雄ひでおわけ岩波いわなみ文庫ぶんこ、1935ねん
  • 地上ちじょうかて堀口ほりぐち大學だいがくわけだいいち書房しょぼう、1937ねん角川かどかわ文庫ぶんこ、1953ねん
  • かて・ひと様々さまざまいま日出海ひでみわけ白水しろみずしゃ、1936ねん(『かて新潮しんちょう文庫ぶんこ、1967ねん
  • 大地だいちかて高橋たかはし昌久まさひさわけきょうみどりしゃ、2022ねん
  • 背徳はいとくしゃ石川いしかわあつしわけ改造かいぞう文庫ぶんこ、1929ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ、1951ねん
  • 背徳はいとくしゃ川口かわぐちあつしわけ岩波いわなみ文庫ぶんこ、1936ねん
  • 背徳はいとくひと二宮にのみや正之まさゆきわけ、ちくま文庫ぶんこ、2008ねん
  • せまもん川口かわぐちあつしやく岩波いわなみ文庫ぶんこ、1937ねん
  • せまもん山内やまうち義雄よしおわけ新潮社しんちょうしゃ、1923ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ、1954ねん
  • 『イザベル』新庄しんじょう嘉章よしあきはやし文雄ふみおやく春陽しゅんようどう、1934ねん(『イザベル・青春せいしゅん』、新潮しんちょう文庫ぶんこ、1955ねん
  • 法王ほうおうちょうあな石川いしかわあつしやく岩波いわなみ文庫ぶんこ、1928ねん
  • 法王ほうおうちょうあな生島いくしまりょういちわけ新潮しんちょう文庫ぶんこ、1952ねん
  • 法王ほうおうちょうあな三ツ堀みつぼり広一郎ひろいちろうやく光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ、2022ねん
  • 田園でんえん交響楽こうきょうがく神西じんざいきよしわけ新潮しんちょう文庫ぶんこ、1952ねん
  • 贋金にせがねつくり』山内やまうち義雄よしおやく、1940ねん白水しろみずしゃ新潮しんちょう文庫ぶんこ、1952ねん改題かいだい贋金にせがねつかい』1969ねん
  • 贋金にせがねつくり』川口かわぐちあつしやく岩波いわなみ文庫ぶんこ、1962ねん
  • 一粒ひとつぶむぎもしなずば』堀口ほりぐち大學だいがくやく新潮しんちょう文庫ぶんこ、1952ねん
  • おんな学校がっこう・ロベェル』新庄しんじょう嘉章よしあきやく春陽しゅんようどう、1933ねん白桃はくとう書房しょぼう、1946ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ、1951ねん
  • おんな学校がっこう・ロベエル』堀口ほりぐち大學だいがくやくだいいち書房しょぼう、1939ねん
  • おんな学校がっこう・ロベール』川口かわぐちあつしやく岩波いわなみ文庫ぶんこ、1946ねん
  • 未完みかん告白こくはく新庄しんじょう嘉章よしあきやく新潮しんちょう文庫ぶんこ、1952ねんGeneviève
  • 『コンゴ紀行きこうかわもりこうぞうわけ岩波いわなみ文庫ぶんこ、1938ねん
  • ぞくコンゴ紀行きこう - チャドよりかえる』すぎ捷夫かつおわけ岩波いわなみ文庫ぶんこ、1939ねん
  • 『ソヴェト旅行りょこう小松こまつきよしわけ岩波いわなみ文庫ぶんこ、1937ねん
  • 『ソヴェト紀行きこう修正しゅうせい堀口ほりぐち大學だいがくやくだいいち書房しょぼう、1937ねん
  • 『ソヴェト旅行りょこう修正しゅうせい小松こまつきよしやく新潮しんちょう文庫ぶんこ、1952ねん
  • 『ソヴィエト旅行りょこう國分こくぶ俊宏としひろやく光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ、2019ねん(「修正しゅうせい」を併録へいろく))
  • 『ジッドの日記にっき』(ぜん5かん新庄しんじょう嘉章よしあきやく日本にっぽん図書としょセンター、2003ねん小沢おざわ書店しょてんだい3かんまでかん

評伝ひょうでん研究けんきゅうしょ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ アンドレ・ジッドと「ホモペアレントせい 森井もりいりょう早稲田大学わせだだいがく文学ぶんがく研究けんきゅう紀要きよう だい64輯』(2018年度ねんど
  2. ^ Fondation Catherine Gide

関連かんれん人物じんぶつ[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 堀口ほりぐち大学だいがく解説かいせつ アンドレ・ジイド-ひと作品さくひん」「年譜ねんぷ」(『地上ちじょうかて角川かどかわ文庫ぶんこ、1953ねん
  • 國分こくぶ俊宏としひろ解説かいせつ」「アンドレ・ジイド年譜ねんぷ」(『ソヴィエト旅行りょこう光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ、2019ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]