ウイチョル族 ぞく (ウイチョルぞく)あるいはウィチョール族 ぞく (ウィチョールぞく、英 えい : Huichol ; 自称 じしょう はウィシャリカ (Wixárika[ 2] [ 3] 、Wixarica[ 3] 、Wixarika[ 3] 、Wizarika[ 4] ) やウィラリカ (Wirrarika)[ 3] [ 注 ちゅう 1] 、複数 ふくすう 人 じん の場合 ばあい は Wixaritari[ 5] 、Vixaritari)とは、主 おも にメキシコ のナヤリト州 しゅう やハリスコ州 しゅう に暮 く らす民族 みんぞく である。ナワトル語 ご も属 ぞく するユト=アステカ語族 ごぞく の言語 げんご であるウイチョル語 ご を話 はな すが、人口 じんこう 約 やく 2万 まん 人 にん のうち65パーセントはスペイン語 ご も用 もち いる[ 6] 。伝統 でんとう 的 てき に農耕 のうこう を行 おこな うが出稼 でかせ ぎ労働 ろうどう にも従事 じゅうじ し(参照 さんしょう : #生活 せいかつ )、また本来 ほんらい は狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう 民 みん であったという説 せつ が有力 ゆうりょく である(参照 さんしょう : #歴史 れきし )。色彩 しきさい 豊 ゆた かな毛糸 けいと 絵 え やビーズ 細工 ざいく といった民芸 みんげい 品 ひん の製作 せいさく や(参照 さんしょう : #民芸 みんげい 品 ひん )、サボテン の一種 いっしゅ であるペヨーテ (peyote; ウイチョル語 ご ではヒクリ (híkuri、híkuli、hiculi[ 7] ))にまつわる文化 ぶんか で知 し られている(参照 さんしょう : #習俗 しゅうぞく )。なお、農耕 のうこう や出稼 でかせ ぎ労働 ろうどう 、儀礼 ぎれい 、商売 しょうばい といったあらゆる活動 かつどう を家族 かぞく もしくは親族 しんぞく 単位 たんい で行 おこな う傾向 けいこう が見 み られる。
ウイチョル族 ぞく はサン・アンドレス・コアミアタ (スペイン語 ご 版 ばん ) (西 にし : San Andrés Cohamiata ; ウイチョル語 ご : Tateikie)、サンタ・カタリナ・クエスコマティトラン (スウェーデン語 ご 版 ばん ) (西 にし : Santa Catarina Cuexcomatitlán ; ウイチョル語 ご : Tuapurie)、サン・セバスティアン・テポナワストラン (スウェーデン語 ご 版 ばん ) (西 にし : San Sebastián Teponahuaxtlán ; ウイチョル語 ご : Wautia)、トゥクスパン・デ・ボラーニョス (スウェーデン語 ご 版 ばん ) (西 にし : Tuxpan de Bolaños ; ウイチョル語 ご : Tutsipa)、グアダルーペ・オコタン (西 にし : Guadalupe Ocotán ; ウイチョル語 ご : Xatsitsarie)という5つの先住民 せんじゅうみん 共同 きょうどう 体 たい (西 にし : comunidad indigena )に居住 きょじゅう する[ 3] 。これらの先住民 せんじゅうみん 共同 きょうどう 体 たい は郡 ぐん (西 にし : municipio ) (en ) の下位 かい 区分 くぶん ではあるが、統治 とうち や宗教 しゅうきょう に関 かん して大幅 おおはば な自治 じち 権 けん を有 ゆう するものとなっており、5つの中 なか ではサン・アンドレス・コアミアタの村 むら がウイチョル族 ぞく の村落 そんらく としては最大 さいだい 規模 きぼ のものである[ 3] 。
ウイチョル族 ぞく の起源 きげん については、以下 いか のような4つの説 せつ が存在 そんざい する[ 9] 。
西 にし シエラ・マドレ山脈 さんみゃく の東方 とうほう から西 にし シエラ・マドレ山脈 さんみゃく に移動 いどう してきた狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう 民 みん 。
西 にし シエラ・マドレ山脈 さんみゃく の南方 なんぽう から移動 いどう してきた集団 しゅうだん 。
太平洋 たいへいよう 岸 がん から移動 いどう してきた集団 しゅうだん 。
最初 さいしょ から西 にし シエラ・マドレ山脈 さんみゃく に暮 く らしていた集団 しゅうだん 。
1.の説 せつ の狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう 民 みん とはユト=アステカ語族 ごぞく の言語 げんご を話 はな していたとされているチチメカ (西 にし : chichimeca )と総称 そうしょう される集団 しゅうだん で、特 とく にその一派 いっぱ のテオ・チチメカ(西 にし : teo-chichimeca )あるいはグァチチル (英語 えいご 版 ばん ) (西 にし : guachichil )がウイチョル族 ぞく の祖先 そせん であると説明 せつめい される場合 ばあい が多 おお い。このチチメカ起源 きげん 説 せつ には、更 さら に起源 きげん を局地 きょくち 的 てき にペヨーテ巡礼 じゅんれい の聖地 せいち ウィリクタ (英語 えいご 版 ばん ) (Wirikúta)と特定 とくてい するものも存在 そんざい する[ 9] 。2.の説 せつ はウイチョル族 ぞく の神話 しんわ ・伝承 でんしょう に基 もと づくもので、起源 きげん の地 ち をウィリクタ周辺 しゅうへん とする1.の説 せつ よりも更 さら に古 ふる い時代 じだい のことを説明 せつめい している可能 かのう 性 せい のあるものである[ 9] 。3.の説 せつ も神話 しんわ に基 もと づくもので、神話 しんわ では太平洋 たいへいよう 岸 がん の聖地 せいち ハラマラ(Haramara)で誕生 たんじょう した神 かみ が聖地 せいち ウィリクタへと移 うつ ったと語 かた られており、やはり1.の説 せつ よりも古 ふる い時代 じだい のことを説明 せつめい する内容 ないよう となっている[ 9] 。一方 いっぽう 、4.の説 せつ に関 かん しては、ウェイガンド(Weigand)が西 にし シエラ・マドレ山脈 さんみゃく での考古学 こうこがく 的 てき 調査 ちょうさ により西暦 せいれき 200年 ねん 頃 ごろ 以降 いこう の文化 ぶんか 発展 はってん の形跡 けいせき の発見 はっけん について触 ふ れ(Weigand 1992: 131)、ウイチョル族 ぞく の祖先 そせん は西 にし シエラ・マドレ山脈 さんみゃく 地域 ちいき のうち太平洋 たいへいよう 岸 がん 近 ちか くのテクアル地方 ちほう (Tecual)に暮 く らしていた住民 じゅうみん と、山脈 さんみゃく を流 なが れるチャパラガナ川 がわ (セブアノ語 ご 版 ばん ) (Chapalagana)流域 りゅういき 南部 なんぶ 、北部 ほくぶ および東部 とうぶ とボラーニョス谷 だに (Bolaños)の住人 じゅうにん であるとの見解 けんかい を述 の べている(Weigand 1992: 155)[ 9] 。しかし、多 おお くの研究 けんきゅう 者 しゃ は1.の説 せつ のようにチチメカに起源 きげん を求 もと める説 せつ を支持 しじ しており、チチメカが何 なん らかの外部 がいぶ からの圧力 あつりょく を避 さ けて山地 さんち へと逃 のが れ、狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう から農耕 のうこう へと生業 せいぎょう をシフトした子孫 しそん がウイチョル族 ぞく であると考 かんが えることが可能 かのう である[ 9] 。(山森 やまもり 2017 , p. 130) も、「先 さき スペイン期 き から西 にし シエラ・マドレ山脈 さんみゃく 内 ない に暮 く らす住民 じゅうみん も存在 そんざい していたであろうが、非常 ひじょう に山 やま 深 ふか く、食糧 しょくりょう 資源 しげん が乏 とぼ しい過酷 かこく な環境 かんきょう から考 かんが えて、今日 きょう のウィチョールの祖先 そせん になり得 え るほどの大 だい 規模 きぼ な集団 しゅうだん が暮 く らしていたとは考 かんが え難 がた い」と述 の べている。
19世紀 せいき 末 まつ の10年間 ねんかん には、探検 たんけん 家 か カール・ルムホルツ (英語 えいご 版 ばん ) (Carl Lumholtz)がウイチョル族 ぞく やタラフマラ族 ぞく (Tarahumara)をはじめとするメキシコ西 にし シエラ・マドレ山脈 さんみゃく の先住民 せんじゅうみん の間 あいだ でのペヨーテの使用 しよう を記録 きろく している[ 10] 。ウイチョル族 ぞく やタラフマラ族 ぞく の他 ほか にもコラ族 ぞく (英語 えいご 版 ばん ) (Cora)[ 注 ちゅう 2] がペヨーテ儀式 ぎしき を行 おこな うことで知 し られているが、いずれも踊 おど りが中心 ちゅうしん で何 なに 世紀 せいき にもわたってその内容 ないよう をほとんど変 か えていないと推定 すいてい され、特 とく に現代 げんだい ウイチョル族 ぞく のペヨーテ儀式 ぎしき はスペイン人 じん 記録 きろく 者 しゃ ベルナルディーノ・デ・サアグン (Bernardino de Sahagún)が記述 きじゅつ を行 おこな ったテオ・チチメカ の儀式 ぎしき との一致 いっち が見 み られ、植民 しょくみん 地 ち 期 き 以前 いぜん の儀式 ぎしき に最 もっと も近 ちか いものであるとされる[ 10] 。メキシコの古 ふる い記録 きろく はキリスト教 きりすときょう の宣教師 せんきょうし たちが残 のこ したものであるが、その一方 いっぽう で宣教師 せんきょうし らはペヨーテを用 もち いた儀式 ぎしき を邪教 じゃきょう と見 み 做し、猛烈 もうれつ な迫害 はくがい を行 おこな った[ 10] 。しかしそれでもなお、先住民 せんじゅうみん たちは何 なに 世紀 せいき にもわたる伝統 でんとう のあるペヨーテカルトを放棄 ほうき しようとはしなかった[ 10] 。
1934年 ねん と翌 よく 1935年 ねん には、米国 べいこく の人類 じんるい 学者 がくしゃ ロバート・M・ズィング (ドイツ語 ご 版 ばん ) (Robert M. Zingg)がウイチョル族 ぞく についての現地 げんち 調査 ちょうさ を行 おこな った[ 11] 。
ウイチョル族 ぞく は乾燥 かんそう した山岳 さんがく 地帯 ちたい において世帯 せたい ごとにランチェリア (英語 えいご 版 ばん ) (西 にし : ranchería )という村落 そんらく にまとまって居住 きょじゅう する[ 6] 。4月 がつ 頃 ごろ から9月 がつ 頃 ごろ にかけての雨期 うき に[ 12] トウモロコシ やカボチャ 、タバコ [ 6] 、フリホール豆 まめ [ 12] といった作物 さくもつ の生産 せいさん を、種 たね を撒 ま くための棒 ぼう や鋤 すき 、家畜 かちく を用 もち いる極 きわ めて伝統 でんとう 的 てき な[ 12] 焼畑 やきばた 農法 のうほう [ 注 ちゅう 3] で行 おこな うほか、副次的 ふくじてき に狩猟 しゅりょう や採集 さいしゅう も行 おこな う[ 6] 。既 すで に#歴史 れきし で触 ふ れられたように、ウイチョル族 ぞく は本来 ほんらい は狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう 民 みん であった可能 かのう 性 せい が高 たか く、生活 せいかつ 様式 ようしき は狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう 民 みん 的 てき なものと農耕 のうこう 民 みん 的 てき なものとを折衷 せっちゅう したものとなっている。現代 げんだい においても農業 のうぎょう はウイチョル族 ぞく によって最 さい 重要 じゅうよう の産業 さんぎょう であるが、後述 こうじゅつ するような出稼 でかせ ぎや民芸 みんげい 品 ひん の製作 せいさく 販売 はんばい といった収入 しゅうにゅう 源 げん の多様 たよう 化 か もあり、農業 のうぎょう の重要 じゅうよう 度 ど は徐々 じょじょ にではあるが低下 ていか しつつある(Weigand 1978: 109)(山森 やまもり 2015 , p. 122)。
10月 がつ 頃 ごろ から3月 がつ 頃 ごろ までの乾期 かんき は農閑期 のうかんき にあたり、ウイチョル族 ぞく はランチェリアを離 はな れて共同 きょうどう 体 たい の集 つど う場 ば となる村 むら へ移動 いどう する[ 14] 。乾期 かんき には共同 きょうどう 体 たい 規模 きぼ での儀礼 ぎれい も執 と り行 おこな われるが、その中 なか には後述 こうじゅつ するような「ペヨーテ巡礼 じゅんれい 」(ペヨーテ狩 か り )なども含 ふく まれる[ 14] 。一方 いっぽう で春 はる になると一時 いちじ 的 てき な労働 ろうどう のため太平洋 たいへいよう 沿岸 えんがん 部 ぶ まで出稼 でかせ ぎに赴 おもむ く[ 1] 。主 おも な出稼 でかせ ぎ先 さき はナヤリト州 しゅう やハリスコ州 しゅう 、サカテカス州 しゅう の農場 のうじょう で、出稼 でかせ ぎに出 で るウイチョル族 ぞく のうちの約 やく 6割 わり は太平洋 たいへいよう 沿岸 えんがん 部 ぶ のタバコ農場 のうじょう などで季 き 節 ぶし 労働 ろうどう 者 しゃ として働 はたら く(Barrera Rodríguez 2004: 229)[ 14] 。
ウイチョル族 ぞく は刺繍 ししゅう などを施 ほどこ した色 いろ とりどりの民族 みんぞく 衣装 いしょう や、神話 しんわ に関連 かんれん した内容 ないよう の毛糸 けいと 絵 え の製作 せいさく を行 おこな っていることでも有名 ゆうめい である[ 6] 。ウイチョル族 ぞく の民芸 みんげい 品 ひん にはほかにビーズ 細工 ざいく や織物 おりもの の帯 おび 、肩掛 かたか け鞄 かばん も存在 そんざい するが、後述 こうじゅつ するように民芸 みんげい 品 ひん の製作 せいさく や販売 はんばい がウイチョル族 ぞく 自身 じしん への大 おお きな現金 げんきん 収入 しゅうにゅう には結 むす びついていない現状 げんじょう が指摘 してき されている(参照 さんしょう : #民芸 みんげい 品 ひん )。またヴァイオリン やギター の自作 じさく も行 おこな う[ 1] 。
民芸 みんげい 品 ひん 店 てん で販売 はんばい されるウイチョル族 ぞく の民芸 みんげい 品 ひん は毛糸 けいと 絵 え (西 にし : cuadro de estambre ; 英 えい : yarn painting )とビーズ 細工 ざいく とに大別 たいべつ される[ 17] 。
毛糸 けいと 絵 え の一 いち 例 れい
このうち毛糸 けいと 絵 え はニエリカ(ウイチョル語 ご : niérika[ 18] 、nierika)とも呼 よ ばれ、本来 ほんらい はシャーマンが世界 せかい を知 し るために用 もち いる呪物 じゅぶつ 、つまり特別 とくべつ な力 ちから を有 ゆう する道具 どうぐ で、天 てん の世界 せかい をのぞくための窓 まど を象 かたど ったものであるとされている[ 17] 。Schaefer & Furst (1996:527) もニエリカの語義 ごぎ を「異 い 世界 せかい への入 い り口 くち 」としている。道具 どうぐ としてのニエリカは形 かたち も用途 ようと も様々 さまざま で、Fresán Jiménez (2002:65–67) はニエリカの形 かたち を以下 いか のように分類 ぶんるい している[ 17] 。
葦 あし を輪 わ の形 かたち に編 あ んだもの
糸 いと を蜘蛛 くも の巣 す のように張 は って輪状 りんじょう にしたもの
竹 たけ ひごで編 あ んだもの
石 いし 製 せい や木製 もくせい の板 いた に彫刻 ちょうこく や毛糸 けいと 貼 ば りで鹿 しか やトウモロコシを描 えが いたもの
毛糸 けいと 絵 え
円形 えんけい の鏡 かがみ
小型 こがた のものの多 おお くは呪物 じゅぶつ として用 もち いられる矢 や に取 と り付 つ けられ、一方 いっぽう 大型 おおがた のものは神殿 しんでん の壁 かべ にはめ込 こ まれたり屋根 やね からぶら下 さ げられたりしている(Lumholtz & Cruz 1997: 62)[ 17] 。しかし、今日 きょう 呪物 じゅぶつ として製作 せいさく されるニエリカの大半 たいはん は、円形 えんけい の小 ちい さな板 いた を基本 きほん としてその中央 ちゅうおう に、
ガラスや鏡 かがみ をはめ込 こ んだもの
穴 あな を開 あ けたもの
太陽 たいよう を描 えが いたもの
のいずれかとなっている(Negrín 1977: 31)[ 17] 。
こうした呪物 じゅぶつ としてのニエリカからやがて商品 しょうひん としての毛糸 けいと 絵 え が派生 はせい する訳 わけ であるが、この発展 はってん はウイチョル族 ぞく 自 みずか らの手 て による自発 じはつ 的 てき な取 と り組 く みによるものではなく、1934年 ねん あるいは1935年 ねん 頃 ごろ から見 み られた(Maclean 2010: 68)外部 がいぶ からの働 はたら きかけを契機 けいき とするものである[ 11] 。その後 ご 1953年 ねん にメキシコシティ にポピュラーアート・産業 さんぎょう 博物館 はくぶつかん (西 にし : Museo de Artes e Industrias Populares )が設立 せつりつ されるが、この頃 ころ からウイチョル族 ぞく の毛糸 けいと 絵 え 製作 せいさく が盛 さか んになり始 はじ める[ 11] 。はじめのうち、毛糸 けいと 絵 え は小型 こがた かつ簡素 かんそ なデザインであった[ 11] 。しかし、サポパン大 だい 聖堂 せいどう (英語 えいご 版 ばん ) のフランシスコ会 かい 神父 しんぷ エルネスト・ロエラ・オチョア(Ernesto Loera Ochoa)の助言 じょげん を受 う けたウイチョル族 ぞく のシャーマン ラモン・メディナ・シルバ (Ramón Medina Silva)が、同大 どうだい 聖堂 せいどう のウイチョル族 ぞく 博物館 はくぶつかん での展示 てんじ 販売 はんばい を目的 もくてき として(Kindl & Neurath 2003: 443)ウイチョル族 ぞく の神話 しんわ を毛糸 けいと 絵 え に表現 ひょうげん することを始 はじ めた[ 11] 。こうしてウイチョル族 ぞく の世界 せかい 観 かん が編 あ み込 こ まれた毛糸 けいと 絵 え は、その独特 どくとく かつ緻密 ちみつ な製作 せいさく 技法 ぎほう とデザインのサイケデリックさとが高 たか く評価 ひょうか され、民芸 みんげい 品 ひん からアートへと昇華 しょうか させられた[ 11] 。またこの毛糸 けいと 絵 え により、ウイチョル族 ぞく は「伝統 でんとう 的 てき な生活 せいかつ を保 たも つ先住民 せんじゅうみん 」、また「芸術 げいじゅつ 家 か 」としてメキシコ内外 ないがい で知 し られることとなった[ 11] 。
ビーズ細工 ざいく の例 れい
El Vochol
ついでビーズ細工 ざいく だが、これには2つの系統 けいとう が存在 そんざい する。一方 いっぽう はイヤリング やネックレス 、指輪 ゆびわ 、ブレスレット 、ペンダント といった装身具 そうしんぐ で、もう一方 いっぽう は呪物 じゅぶつ ニエリカより発展 はってん した毛糸 けいと 絵 え から更 さら に派生 はせい したものと思 おも われ、四角 しかく い木製 もくせい 板 いた やヒョウタン の器 うつわ 、仮面 かめん や動物 どうぶつ の像 ぞう に蜜蝋 みつろう を塗 ぬ り、その上 うえ にビーズによる絵 え や模様 もよう を貼 は り付 つ けるものである[ 11] 。いずれの系統 けいとう のものも19世紀 せいき 末 まつ に関連 かんれん する記録 きろく が存在 そんざい し、前者 ぜんしゃ は女性 じょせい 用 よう のビーズ製 せい イヤリングやブレスレット、足首 あしくび の装身具 そうしんぐ についてサンタ・カタリナ・クエスコマティトランに派遣 はけん された政府 せいふ の役人 やくにん が(Castelló Yturbide & Mapelli Mozzi 1998: 54)、後者 こうしゃ はヒョウタンや土 ど でできた器 うつわ 型 がた の呪物 じゅぶつ jícara が彩色 さいしき とビーズで飾 かざ られ、神 かみ に捧 ささ げられているとルムホルツが記録 きろく している。ただし動物 どうぶつ の像 ぞう にビーズを飾 かざ る手法 しゅほう はウイチョル族 ぞく 固有 こゆう のものではなく、ジャガーの頭部 とうぶ を模 も した像 ぞう に彩色 さいしき などの飾 かざ りつけをするゲレーロ州 しゅう の民芸 みんげい 品 ひん から着想 ちゃくそう を得 え たものと考 かんが えられている(Barajas Zendejas 2009: 121; Rajsbaum Gorodezki 1994: 72)。2015年 ねん の時点 じてん でビーズ細工 ざいく は毛糸 けいと 絵 え よりも主流 しゅりゅう の民芸 みんげい 品 ひん となっており、2010年 ねん にはメキシコの芸術 げいじゅつ 活動 かつどう のシンボル的 てき なものとして、フォルクスワーゲン社 しゃ の旧 きゅう ビートル の車体 しゃたい 全体 ぜんたい および内装 ないそう にビーズ細工 ざいく を施 ほどこ した巨大 きょだい な作品 さくひん El Vochol (en ) が、ポピュラーアート美術館 びじゅつかん (英語 えいご 版 ばん ) (西 にし : Museo de Arte Popular )の下 した で大勢 おおぜい のウイチョル族 ぞく の参加 さんか によって製作 せいさく された[ 11] 。
ウイチョル族 ぞく の毛糸 けいと 絵 え やビーズ製作 せいさく が国内外 こくないがい の注目 ちゅうもく を集 あつ めてきた一方 いっぽう で、こうした民芸 みんげい 品 ひん によって得 え られるはずの収益 しゅうえき が当 とう のウイチョル族 ぞく に十分 じゅうぶん 行 い き渡 わた っていない状況 じょうきょう も指摘 してき されている。(山森 やまもり 2017 ) は、民芸 みんげい 品 ひん の販売 はんばい についての現地 げんち での実態 じったい 調査 ちょうさ を経 へ た上 うえ で、ウイチョル族 ぞく は資金 しきん 力 りょく や商売 しょうばい の知識 ちしき に乏 とぼ しく、同族 どうぞく 意識 いしき や同郷 どうきょう 意識 いしき が希薄 きはく な一方 いっぽう で、民芸 みんげい 品 ひん の販売 はんばい にも家族 かぞく 単位 たんい や親族 しんぞく 単位 たんい であたろうとするなどの「狩猟 しゅりょう 採取 さいしゅ 民 みん 的 てき な特質 とくしつ 」があると指摘 してき し[ 22] 、民芸 みんげい 品 ひん 製作 せいさく 販売 はんばい によるウイチョル族 ぞく 自身 じしん への収益 しゅうえき が思 おも わしくない理由 りゆう を、ウイチョル族 ぞく が本来 ほんらい は狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう 民 みん であった説 せつ と関連付 かんれんづ けて分析 ぶんせき している。またビーズ細工 ざいく は比較的 ひかくてき 容易 ようい に製作 せいさく が可能 かのう であることから、ウイチョル族 ぞく 以外 いがい の人間 にんげん により同 おな じ様式 ようしき の工芸 こうげい 品 ひん の製作 せいさく や販売 はんばい が行 おこな われる「文化 ぶんか の剽窃 ひょうせつ (英語 えいご 版 ばん ) 」も起 お きている(橋本 はしもと 1999: 180)[ 22] 。
híkuri (Lophophora williamsii )
Tagetes lucida
Epithelantha micromeris
tsuwíri (Ariocarpus retusus )
Datura innoxia
ウイチョル族 ぞく は伝統 でんとう 宗教 しゅうきょう の一環 いっかん として、いずれも幻覚 げんかく 作用 さよう を有 ゆう するサボテン科 か ロフォフォラ属 ぞく のペヨーテ (Lophophora williamsii ; ウイチョル語 ご : híkuri; 園芸 えんげい 名 めい : 烏 がらす 羽 わ 玉 だま )や、ヤウティ (yauhti; 学名 がくめい : Tagetes lucida ; 通称 つうしょう : ミントマリーゴールド )というキク科 か コウオウソウ属 ぞく の植物 しょくぶつ を儀礼 ぎれい に用 もち いる[ 23] 。このうちペヨーテについては、後述 こうじゅつ するような「ペヨーテ狩 か り 」によって調達 ちょうたつ が行 おこな われており、ウイチョル族 ぞく は他 た のどの幻覚 げんかく 性 せい 植物 しょくぶつ よりも高 たか くペヨーテを評価 ひょうか している[ 10] 。ウイチョル族 ぞく にはまた、サボテン科 か エピテランサ属 ぞく (スペイン語 ご 版 ばん ) のヒクリ・ムラート(Hikuli Mulato; 学名 がくめい : Epithelantha micromeris ; 園芸 えんげい 名 めい : 月世界 げっせかい )[ 注 ちゅう 4] や永続 えいぞく 的 てき な自失 じしつ 状態 じょうたい を引 ひ き起 お こすと信 しん じられるサボテン科 か アリオカルプス属 ぞく (ドイツ語 ご 版 ばん ) のツウィリ(ウイチョル語 ご : tsuwíri[ 24] ; 学名 がくめい : Ariocarpus retusus ; 園芸 えんげい 名 めい : 岩 いわ 牡丹 ぼたん )[ 注 ちゅう 5] 、「神 かみ の陶酔 とうすい 薬 やく 」であり妖術 ようじゅつ の強力 きょうりょく な補助 ほじょ 薬 やく として崇拝 すうはい するナス科 か ラッパバナ属 ぞく (英語 えいご 版 ばん ) のキエリ (ウイチョル語 ご : kiéri[ 26] 、kieli; 学名 がくめい : Solandra brevicalyx や S. guerrerensis 、ラッパバナ (英語 えいご 版 ばん ) (S. grandiflora )[ 注 ちゅう 6] という灌木 のほか、ナス科 か のチョウセンアサガオ属 ぞく (Datura )や同 どう キダチチョウセンアサガオ属 ぞく (Brugmansia )といった植物 しょくぶつ の取 と り扱 あつか いを心得 こころえ ている者 もの も存在 そんざい する[ 28] 。しかし、アサガオ やチョウセンアサガオといった植物 しょくぶつ やシビレタケ などはペヨーテに比 くら べると格下 かくした の扱 あつか いとされており、妖術 ようじゅつ 者 しゃ に委 ゆだ ねられている[ 10] 。
スペイン人 じん による征服 せいふく や植民 しょくみん 地 ち 化 か 以前 いぜん からの伝統 でんとう ある宗教 しゅうきょう には、雨 あめ や健康 けんこう 、物質 ぶっしつ 的 てき な繁栄 はんえい などを司 つかさど る神 かみ 々が100以上 いじょう も登場 とうじょう するが、それらに対 たい するカトリック の聖人 せいじん の同化 どうか (シンクレティズム )も見 み られる[ 6] 。
ウィリクタに生育 せいいく するペヨーテ
10月から2月 がつ の乾季 かんき になると[ 6] 、ウイチョル族 ぞく は年 とし に一 いち 度 ど のペヨーテ(ヒクリ)の採取 さいしゅ のためにサン・ルイス・ポトシ 地域 ちいき のウィリクタ (英語 えいご 版 ばん ) (Wirikúta[ 2] 、Wirikuta)という聖地 せいち まで旅 たび を行 おこな う[ 29] 。ウィリクタはウイチョル族 ぞく にとってペヨーテが豊 ゆた かに生育 せいいく する先祖 せんぞ 代々 だいだい の地 ち であり[ 29] 、ペヨーテ狩 か りは楽園 らくえん ウィリクタへの回帰 かいき 、原型 げんけい の始 はじ まりと神話 しんわ の歴史 れきし の終 お わりと見 み 做されている[ 29] 。ウィリクタへの最初 さいしょ のペヨーテ狩 か りの旅 たび はシャーマン の祖 そ にしてウイチョル最古 さいこ の神 かみ であるタテワリ (英語 えいご 版 ばん ) [ 注 ちゅう 7] によって先導 せんどう された[ 34] 。現代 げんだい のシャーマン[ 注 ちゅう 8] とタテワリは幻影 げんえい や鹿 しか の姿 すがた をした文化 ぶんか 英雄 えいゆう [ 注 ちゅう 9] カウユマリ (Kauyumári)[ 注 ちゅう 10] を介 かい して交信 こうしん を行 おこな う[ 29] 。巡礼 じゅんれい 者 しゃ たちは通例 つうれい 10人 にん から15人 にん でシャーマンに導 みちび かれて旅 たび を行 おこな う[ 29] 。巡礼 じゅんれい 者 しゃ たちは儀式 ぎしき に必要 ひつよう 不可欠 ふかけつ なタバコ用 よう の細口 ほそぐち 瓶 びん や、ウィリクタから採集 さいしゅう した水 みず を故郷 こきょう へと運 はこ んでいくための細口 ほそぐち 瓶 びん を携行 けいこう する[ 29] 。かつては徒歩 とほ で200マイル の旅 たび が行 おこな われていたが、今日 きょう では車 くるま を用 もち いる場合 ばあい が多 おお い[ 29] 。巡礼 じゅんれい 者 しゃ たちはウィリクタへ旅立 たびだ つ前 まえ に自 みずか らの性 せい 体験 たいけん の告白 こくはく を伴 ともな う懺悔 ざんげ [ 注 ちゅう 11] とお清 きよ めの儀式 ぎしき を受 う けなければならない[ 29] 。旅 たび の間 あいだ 、食事 しょくじ や性 せい 交渉 こうしょう 、睡眠 すいみん は神 かみ 々に倣 なら って差 さ し控 ひか えられ、ウィリクタの神聖 しんせい な山々 やまやま が見 み える場所 ばしょ に着 つ くと、巡礼 じゅんれい 者 しゃ たちは儀式 ぎしき に従 したが って清 きよ められ、恵 めぐ みの雨 あめ を祈 いの る。そしてシャーマンが詠唱 えいしょう を行 おこな っている最中 さいちゅう に「頭 あたま の中 なか の地図 ちず 」に従 したが って雲 くも の関門 かんもん や雲 くも の通路 つうろ を抜 ぬ ける2つの感動 かんどう 的 てき な段階 だんかい を踏 ふ むことにより、あの世 よ への旅 たび を始 はじ める[ 29] 。いよいよペヨーテ狩 か りの場所 ばしょ に到着 とうちゃく するとシャーマンは儀式 ぎしき を始 はじ め、ペヨーテにまつわる古来 こらい の物語 ものがたり を話 はな し、安全 あんぜん の祈願 きがん を行 おこな う[ 29] 。巡礼 じゅんれい 者 しゃ たちの中 なか でも特 とく に初 はじ めての参加 さんか 者 しゃ たちは目隠 めかく しをされた状態 じょうたい でシャーマンのみに見 み える「宇宙 うちゅう の入口 いりくち 」にいざなわれる[ 29] 。シャーマンの詠唱 えいしょう の最中 さいちゅう に司祭 しさい たちが立 た ち止 ど まって蝋燭 ろうそく を灯 とも し、祈 いの りの言葉 ことば を呟 つぶや く[ 29] 。ようやくペヨーテを見 み つけるとシャーマンは鹿 しか の足跡 あしあと を暫 しばら く眺 なが め、矢 や でペヨーテを射 い る[ 29] 。巡礼 じゅんれい 者 しゃ たちはその年 とし 初 はじ めてのペヨーテを射 い られた鹿 しか になぞらえて詠歌 えいか やトウモロコシ の種子 しゅし といった捧 ささ げ物 ぶつ を行 おこな い、かご一 いち 杯 はい になるほどペヨーテを採取 さいしゅ する[ 29] 。次 つぎ の日 ひ になると更 さら に多 おお くのペヨーテが集 あつ められるが、その一部 いちぶ は故郷 こきょう で待 ま っている人々 ひとびと と分 わ け合 あ い、更 さら にその残 のこ りはやはりペヨーテを使用 しよう するコラ族 ぞく やタラフマラ族 ぞく のために売 う り出 だ されることとなる[ 29] 。その後 ご にはタバコ配 くば りの儀式 ぎしき が行 おこな われるが、ウイチョル族 ぞく はタバコを火 ひ と結 むす びつけて考 かんが えている[ 29] 。この儀式 ぎしき ではまず磁石 じしゃく の4方位 ほうい に向 む けて矢 や が置 お かれ、真夜中 まよなか に火 ひ が焚 た かれる[ 29] 。するとシャーマンは火 ひ の前 まえ にタバコを置 お き、それに羽 はね 飾 かざ りで触 ふ れつつ祈 いの り、巡礼 じゅんれい 者 しゃ 一 いち 人 にん 一人 ひとり にタバコを配 くば る[ 29] 。各人 かくじん はタバコの誕生 たんじょう の象徴 しょうちょう である細口 ほそぐち 瓶 びん に配 くば られた物 もの を入 い れる[ 29] 。
なお、ウイチョル族 ぞく はペヨーテ狩 か りに人類 じんるい 学者 がくしゃ やメキシコの著述 ちょじゅつ 家 か が同行 どうこう することを何 なん 度 ど か許可 きょか している[ 33] 。
^ ウイチョル語 ご には有 ゆう 声 ごえ そり舌 した 歯 ぱ 擦 こす 音 おと が存在 そんざい し[ 4] 、たとえば Grimes (1964) などでは z で表 あらわ されているが、文献 ぶんけん によっては x や zr などで表記 ひょうき されることもあり[ 4] 、一定 いってい しない。
^ なお、いずれの民族 みんぞく の言語 げんご もユト=アステカ語族 ごぞく に属 ぞく するが、Lewis et al. (2015) ではコラ語 ご (英語 えいご 版 ばん ) の方 ほう がタラフマラ語 ご (英語 えいご 版 ばん ) よりもよりウイチョル語 ご に近 ちか いとされている。
^ 焼畑 やきばた は山 やま の
斜面 しゃめん に作 つく られ、coamil と呼 よ ばれる。[ 12]
^ ヒクリ・ロサパラ(Hikuli Rosapara)という別名 べつめい も持 も つ。
^ 偽 にせ ペヨーテ (英 えい : false peyote ) や、ヒクリ・スナメ (Hikuli Sunamé) という別名 べつめい も持 も つ。日本語 にほんご の園芸 えんげい 名 めい は岩 いわ 牡丹 ぼたん であるが、イワボタン と言 い うと多肉植物 たにくしょくぶつ ではないユキノシタ科 か ネコノメソウ属 ぞく のミヤマネコノメソウ (Chrysosplenium macrostemon var. macrostemon )の別名 べつめい でもある[ 25] 。
^ ウェイパトゥル(hueipatl)やテコマショチトゥル(tecomaxochitl)[ 27] というナワトル語 ご 由来 ゆらい の別名 べつめい も持 も つ。
^ Tatewari。シュルテスら (2007:148) によるとその名 な は「私 わたし たちの祖父 そふ の火 ひ 」である。また言語 げんご 学 がく 的 まと にも taa+-tewaríi-ma 1 pl .poss -祖父 そふ もしくは 孫 まご [ † 1] -pl 「我々 われわれ の祖父 そふ たち」 と分析 ぶんせき される表現 ひょうげん が存在 そんざい するが、これは同時 どうじ に特定 とくてい の神 かみ 々のサブクラスも指 さ す[ 32] 。タテワリは手 て や足 あし でペヨーテを持 も った姿 すがた で擬人 ぎじん 化 か されたペヨーテ神 しん ヒクリとしても知 し られている[ 33] 。
^ 経験 けいけん を積 つ んだシャーマンはマラアカメ (ウイチョル語 ご : maraʼakáme [ 35] ; マラカメ[ 6] とも)と呼 よ ばれる[ 33] 。
^ 文化 ぶんか 的 てき 英雄 えいゆう ともいう。神話 しんわ や伝説 でんせつ において創造 そうぞう 力 りょく を有 ゆう し、人間 にんげん に地上 ちじょう での暮 く らし方 かた などを教 おし える存在 そんざい であり、人間 にんげん の姿 すがた をしている場合 ばあい と動物 どうぶつ の姿 すがた をしている場合 ばあい とがある[ 36] 。
^ このようにウイチョル族 ぞく が鹿 しか を神聖 しんせい 視 し している点 てん は、ウイチョル族 ぞく が本来 ほんらい は砂漠 さばく 地帯 ちたい に暮 く らす狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう 民 みん であったと推定 すいてい する根拠 こんきょ の1つとされている[ 9] 。
^ 1つ1つの罪 つみ に関 かん してシャーマンが紐 ひも に結 むす び目 め をつくり、儀式 ぎしき の最後 さいご に燃 も やす[ 33] 。
^ なお、ウイチョル族 ぞく は祖父 そふ と孫 まご 世代 せだい の間 あいだ の関係 かんけい 性 せい については同一 どういつ 性 せい 、平等 びょうどう 性 せい 、相互 そうご 性 せい のあるものと考 かんが えており、親族 しんぞく 名称 めいしょう は一方 いっぽう の世代 せだい からもう一方 いっぽう の世代 せだい に向 む けて全 まった く同一 どういつ のものが使用 しよう され得 え る[ 30] 。ウイチョル語 ご で tewaríi (あるいは tewarí や teʼvali とも)は〈祖父 そふ 〉と〈孫 まご 〉、〈大 おお おじ〉と〈甥 おい または姪 めい の息子 むすこ 〉を男性 だんせい 同士 どうし で相互 そうご に表 あらわ す語彙 ごい であるが、ほかにも〈祖父母 そふぼ 〉と〈孫 まご (娘 むすめ )〉の両方 りょうほう を表 あらわ す teukári が存在 そんざい し[ 31] 、あるウイチョル族 ぞく は、祖父 そふ と孫 まご とは同 おな じ肉体 にくたい からなる存在 そんざい であり、互 たが いを Neteukari 〈私 わたし の teukári 〉と呼 よ び合 あ うと述 の べている[ 30] 。
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