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ウイチョルぞく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウイチョルぞく
Wixárika
ウイチョルぞくのシャーマン
そう人口じんこう
2まんにん[1]
居住きょじゅう地域ちいき
メキシコナヤリトしゅうおよびハリスコしゅう
言語げんご
ウイチョルスペイン
宗教しゅうきょう
伝統でんとう宗教しゅうきょうキリスト教きりすときょう[1]
関連かんれんする民族みんぞく
コラぞくタラフマラぞく

ウイチョルぞく(ウイチョルぞく)あるいはウィチョールぞく(ウィチョールぞく、えい: Huichol; 自称じしょうウィシャリカ (Wixárika[2][3]、Wixarica[3]、Wixarika[3]、Wizarika[4]) やウィラリカ (Wirrarika)[3][ちゅう 1]複数ふくすうじん場合ばあいは Wixaritari[5]、Vixaritari)とは、おもメキシコナヤリトしゅうハリスコしゅうらす民族みんぞくである。ナワトルぞくするユト=アステカ語族ごぞく言語げんごであるウイチョルはなすが、人口じんこうやく2まんにんのうち65パーセントはスペインもちいる[6]伝統でんとうてき農耕のうこうおこなうが出稼でかせ労働ろうどうにも従事じゅうじし(参照さんしょう: #生活せいかつ)、また本来ほんらい狩猟しゅりょう採集さいしゅうみんであったというせつ有力ゆうりょくである(参照さんしょう: #歴史れきし)。色彩しきさいゆたかな毛糸けいとビーズ細工ざいくといった民芸みんげいひん製作せいさくや(参照さんしょう: #民芸みんげいひん)、サボテン一種いっしゅであるペヨーテ(peyote; ウイチョルではヒクリ (híkuri、híkuli、hiculi[7]))にまつわる文化ぶんかられている(参照さんしょう: #習俗しゅうぞく)。なお、農耕のうこう出稼でかせ労働ろうどう儀礼ぎれい商売しょうばいといったあらゆる活動かつどう家族かぞくもしくは親族しんぞく単位たんいおこな傾向けいこうられる[8]

居住きょじゅう

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ウイチョルぞくサン・アンドレス・コアミアタスペインばん西にし: San Andrés Cohamiata; ウイチョル: Tateikie)、サンタ・カタリナ・クエスコマティトランスウェーデンばん西にし: Santa Catarina Cuexcomatitlán; ウイチョル: Tuapurie)、サン・セバスティアン・テポナワストランスウェーデンばん西にし: San Sebastián Teponahuaxtlán; ウイチョル: Wautia)、トゥクスパン・デ・ボラーニョススウェーデンばん西にし: Tuxpan de Bolaños; ウイチョル: Tutsipa)、グアダルーペ・オコタン西にし: Guadalupe Ocotán; ウイチョル: Xatsitsarie)という5つの先住民せんじゅうみん共同きょうどうたい西にし: comunidad indigena)に居住きょじゅうする[3]。これらの先住民せんじゅうみん共同きょうどうたいぐん西にし: municipio (en下位かい区分くぶんではあるが、統治とうち宗教しゅうきょうかんして大幅おおはば自治じちけんゆうするものとなっており、5つのなかではサン・アンドレス・コアミアタのむらがウイチョルぞく村落そんらくとしては最大さいだい規模きぼのものである[3]

歴史れきし

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ウイチョルぞく起源きげんについては、以下いかのような4つのせつ存在そんざいする[9]

  1. 西にしシエラ・マドレ山脈さんみゃく東方とうほうから西にしシエラ・マドレ山脈さんみゃく移動いどうしてきた狩猟しゅりょう採集さいしゅうみん
  2. 西にしシエラ・マドレ山脈さんみゃく南方なんぽうから移動いどうしてきた集団しゅうだん
  3. 太平洋たいへいようがんから移動いどうしてきた集団しゅうだん
  4. 最初さいしょから西にしシエラ・マドレ山脈さんみゃくらしていた集団しゅうだん

1.のせつ狩猟しゅりょう採集さいしゅうみんとはユト=アステカ語族ごぞく言語げんごはなしていたとされているチチメカ西にし: chichimeca)と総称そうしょうされる集団しゅうだんで、とくにその一派いっぱのテオ・チチメカ(西にし: teo-chichimeca)あるいはグァチチル英語えいごばん西にし: guachichil)がウイチョルぞく祖先そせんであると説明せつめいされる場合ばあいおおい。このチチメカ起源きげんせつには、さら起源きげん局地きょくちてきペヨーテ巡礼じゅんれい聖地せいちウィリクタ英語えいごばん(Wirikúta)と特定とくていするものも存在そんざいする[9]。2.のせつはウイチョルぞく神話しんわ伝承でんしょうもとづくもので、起源きげんをウィリクタ周辺しゅうへんとする1.のせつよりもさらふる時代じだいのことを説明せつめいしている可能かのうせいのあるものである[9]。3.のせつ神話しんわもとづくもので、神話しんわでは太平洋たいへいようがん聖地せいちハラマラ(Haramara)で誕生たんじょうしたかみ聖地せいちウィリクタへとうつったとかたられており、やはり1.のせつよりもふる時代じだいのことを説明せつめいする内容ないようとなっている[9]一方いっぽう、4.のせつかんしては、ウェイガンド(Weigand)が西にしシエラ・マドレ山脈さんみゃくでの考古学こうこがくてき調査ちょうさにより西暦せいれき200ねんごろ以降いこう文化ぶんか発展はってん形跡けいせき発見はっけんについてれ(Weigand 1992: 131)、ウイチョルぞく祖先そせん西にしシエラ・マドレ山脈さんみゃく地域ちいきのうち太平洋たいへいようがんちかくのテクアル地方ちほう(Tecual)にらしていた住民じゅうみんと、山脈さんみゃくながれるチャパラガナがわセブアノばん(Chapalagana)流域りゅういき南部なんぶ北部ほくぶおよび東部とうぶとボラーニョスだに(Bolaños)の住人じゅうにんであるとの見解けんかいべている(Weigand 1992: 155)[9]。しかし、おおくの研究けんきゅうしゃは1.のせつのようにチチメカに起源きげんもとめるせつ支持しじしており、チチメカがなんらかの外部がいぶからの圧力あつりょくけて山地さんちへとのがれ、狩猟しゅりょう採集さいしゅうから農耕のうこうへと生業せいぎょうをシフトした子孫しそんがウイチョルぞくであるとかんがえることが可能かのうである[9]。(山森やまもり 2017, p. 130) も、「さきスペインから西にしシエラ・マドレ山脈さんみゃくないらす住民じゅうみん存在そんざいしていたであろうが、非常ひじょうやまふかく、食糧しょくりょう資源しげんとぼしい過酷かこく環境かんきょうからかんがえて、今日きょうのウィチョールの祖先そせんになりるほどのだい規模きぼ集団しゅうだんらしていたとはかんががたい」とべている。

19世紀せいきまつの10年間ねんかんには、探検たんけんカール・ルムホルツ英語えいごばん(Carl Lumholtz)がウイチョルぞくタラフマラぞく(Tarahumara)をはじめとするメキシコ西にしシエラ・マドレ山脈さんみゃく先住民せんじゅうみんあいだでのペヨーテの使用しよう記録きろくしている[10]。ウイチョルぞくやタラフマラぞくほかにもコラぞく英語えいごばん(Cora)[ちゅう 2]がペヨーテ儀式ぎしきおこなうことでられているが、いずれもおどりが中心ちゅうしんなに世紀せいきにもわたってその内容ないようをほとんどえていないと推定すいていされ、とく現代げんだいウイチョルぞくのペヨーテ儀式ぎしきスペインじん記録きろくしゃベルナルディーノ・デ・サアグン(Bernardino de Sahagún)が記述きじゅつおこなったテオ・チチメカ儀式ぎしきとの一致いっちられ、植民しょくみん以前いぜん儀式ぎしきもっとちかいものであるとされる[10]。メキシコのふる記録きろくキリスト教きりすときょう宣教師せんきょうしたちがのこしたものであるが、その一方いっぽう宣教師せんきょうしらはペヨーテをもちいた儀式ぎしき邪教じゃきょう做し、猛烈もうれつ迫害はくがいおこなった[10]。しかしそれでもなお、先住民せんじゅうみんたちはなに世紀せいきにもわたる伝統でんとうのあるペヨーテカルトを放棄ほうきしようとはしなかった[10]

1934ねんよく1935ねんには、米国べいこく人類じんるい学者がくしゃロバート・M・ズィングドイツばん(Robert M. Zingg)がウイチョルぞくについての現地げんち調査ちょうさおこなった[11]

生活せいかつ

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ウイチョルぞく乾燥かんそうした山岳さんがく地帯ちたいにおいて世帯せたいごとにランチェリア英語えいごばん西にし: ranchería)という村落そんらくにまとまって居住きょじゅうする[6]。4がつごろから9がつごろにかけての雨期うき[12]トウモロコシカボチャタバコ[6]フリホールまめ[12]といった作物さくもつ生産せいさんを、たねくためのぼうすき家畜かちくもちいるきわめて伝統でんとうてき[12]焼畑やきばた農法のうほう[ちゅう 3]おこなうほか、副次的ふくじてき狩猟しゅりょう採集さいしゅうおこな[6]すで#歴史れきしれられたように、ウイチョルぞく本来ほんらい狩猟しゅりょう採集さいしゅうみんであった可能かのうせいたかく、生活せいかつ様式ようしき狩猟しゅりょう採集さいしゅうみんてきなものと農耕のうこうみんてきなものとを折衷せっちゅうしたものとなっている[13]現代げんだいにおいても農業のうぎょうはウイチョルぞくによってさい重要じゅうよう産業さんぎょうであるが、後述こうじゅつするような出稼でかせぎや民芸みんげいひん製作せいさく販売はんばいといった収入しゅうにゅうげん多様たようもあり、農業のうぎょう重要じゅうよう徐々じょじょにではあるが低下ていかしつつある(Weigand 1978: 109)(山森やまもり 2015, p. 122)。

10がつごろから3がつごろまでの乾期かんき農閑期のうかんきにあたり、ウイチョルぞくはランチェリアをはなれて共同きょうどうたいつどとなるむら移動いどうする[14]乾期かんきには共同きょうどうたい規模きぼでの儀礼ぎれいおこなわれるが、そのなかには後述こうじゅつするような「ペヨーテ巡礼じゅんれい」(ペヨーテ)などもふくまれる[14]一方いっぽうはるになると一時いちじてき労働ろうどうのため太平洋たいへいよう沿岸えんがんまで出稼でかせぎにおもむ[1]おも出稼でかせさきはナヤリトしゅうやハリスコしゅうサカテカスしゅう農場のうじょうで、出稼でかせぎにるウイチョルぞくのうちのやく6わり太平洋たいへいよう沿岸えんがんのタバコ農場のうじょうなどでぶし労働ろうどうしゃとしてはたらく(Barrera Rodríguez 2004: 229)[14]

ウイチョルぞく刺繍ししゅうなどをほどこしたいろとりどりの民族みんぞく衣装いしょうや、神話しんわ関連かんれんした内容ないよう毛糸けいと製作せいさくおこなっていることでも有名ゆうめいである[6]。ウイチョルぞく民芸みんげいひんにはほかにビーズ細工ざいく織物おりものおび肩掛かたかかばん存在そんざいする[15]が、後述こうじゅつするように民芸みんげいひん製作せいさく販売はんばいがウイチョルぞく自身じしんへのおおきな現金げんきん収入しゅうにゅうにはむすびついていない現状げんじょう指摘してきされている(参照さんしょう: #民芸みんげいひん)。またヴァイオリンギター自作じさくおこな[1]

民芸みんげいひん

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民芸みんげいひんてん販売はんばいされるウイチョルぞく民芸みんげいひん毛糸けいと西にし: cuadro de estambre; えい: yarn painting[16])とビーズ細工ざいくとに大別たいべつされる[17]

毛糸けいといちれい

このうち毛糸けいとはニエリカ(ウイチョル: niérika[18]、nierika)ともばれ、本来ほんらいはシャーマンが世界せかいるためにもちいる呪物じゅぶつ、つまり特別とくべつちからゆうする道具どうぐで、てん世界せかいをのぞくためのまどかたどったものであるとされている[17]。Schaefer & Furst (1996:527) もニエリカの語義ごぎを「世界せかいへのくち」としている。道具どうぐとしてのニエリカはかたち用途ようと様々さまざまで、Fresán Jiménez (2002:65–67) はニエリカのかたち以下いかのように分類ぶんるいしている[17]

  • あしかたちんだもの
  • いと蜘蛛くものようにって輪状りんじょうにしたもの
  • たけひごでんだもの
  • いしせい木製もくせいいた彫刻ちょうこく毛糸けいとりで鹿しかやトウモロコシをえがいたもの
  • 毛糸けいと
  • 円形えんけいかがみ

小型こがたのもののおおくは呪物じゅぶつとしてもちいられるけられ、一方いっぽう大型おおがたのものは神殿しんでんかべにはめまれたり屋根やねからぶらげられたりしている(Lumholtz & Cruz 1997: 62)[17]。しかし、今日きょう呪物じゅぶつとして製作せいさくされるニエリカの大半たいはんは、円形えんけいちいさないた基本きほんとしてその中央ちゅうおうに、

  • ガラスやかがみをはめんだもの
  • あなけたもの
  • 太陽たいようえがいたもの

のいずれかとなっている(Negrín 1977: 31)[17]

こうした呪物じゅぶつとしてのニエリカからやがて商品しょうひんとしての毛糸けいと派生はせいするわけであるが、この発展はってんはウイチョルぞくみずからのによる自発じはつてきみによるものではなく、1934ねんあるいは1935ねんごろからられた(Maclean 2010: 68)外部がいぶからのはたらきかけを契機けいきとするものである[11]。その1953ねんメキシコシティにポピュラーアート・産業さんぎょう博物館はくぶつかん西にし: Museo de Artes e Industrias Populares)が設立せつりつされるが、このころからウイチョルぞく毛糸けいと製作せいさくさかんになりはじめる[11]。はじめのうち、毛糸けいと小型こがたかつ簡素かんそなデザインであった[11]。しかし、サポパンだい聖堂せいどう英語えいごばんフランシスコかい神父しんぷエルネスト・ロエラ・オチョア(Ernesto Loera Ochoa)の助言じょげんけたウイチョルぞくシャーマンラモン・メディナ・シルバ(Ramón Medina Silva)が、同大どうだい聖堂せいどうのウイチョルぞく博物館はくぶつかんでの展示てんじ販売はんばい目的もくてきとして(Kindl & Neurath 2003: 443)ウイチョルぞく神話しんわ毛糸けいと表現ひょうげんすることをはじめた[11]。こうしてウイチョルぞく世界せかいかんまれた毛糸けいとは、その独特どくとくかつ緻密ちみつ製作せいさく技法ぎほうとデザインのサイケデリックさとがたか評価ひょうかされ、民芸みんげいひんからアートへと昇華しょうかさせられた[11]。またこの毛糸けいとにより、ウイチョルぞくは「伝統でんとうてき生活せいかつたも先住民せんじゅうみん」、また「芸術げいじゅつ」としてメキシコ内外ないがいられることとなった[11]

ビーズ細工ざいくれい
El Vochol

ついでビーズ細工ざいくだが、これには2つの系統けいとう存在そんざいする。一方いっぽうイヤリングネックレス指輪ゆびわブレスレットペンダントといった装身具そうしんぐで、もう一方いっぽう呪物じゅぶつニエリカより発展はってんした毛糸けいとからさら派生はせいしたものとおもわれ、四角しかく木製もくせいいたヒョウタンうつわ仮面かめん動物どうぶつぞう蜜蝋みつろうり、そのうえにビーズによる模様もようけるものである[11]。いずれの系統けいとうのものも19世紀せいきまつ関連かんれんする記録きろく存在そんざいし、前者ぜんしゃ女性じょせいようのビーズせいイヤリングやブレスレット、足首あしくび装身具そうしんぐについてサンタ・カタリナ・クエスコマティトランに派遣はけんされた政府せいふ役人やくにんが(Castelló Yturbide & Mapelli Mozzi 1998: 54)、後者こうしゃはヒョウタンやでできたうつわがた呪物じゅぶつ jícara彩色さいしきとビーズでかざられ、かみささげられているとルムホルツが記録きろくしている[19]。ただし動物どうぶつぞうにビーズをかざ手法しゅほうはウイチョルぞく固有こゆうのものではなく、ジャガーの頭部とうぶしたぞう彩色さいしきなどのかざりつけをするゲレーロしゅう民芸みんげいひんから着想ちゃくそうたものとかんがえられている(Barajas Zendejas 2009: 121; Rajsbaum Gorodezki 1994: 72)[20]。2015ねん時点じてんでビーズ細工ざいく毛糸けいとよりも主流しゅりゅう民芸みんげいひんとなっており、2010ねんにはメキシコの芸術げいじゅつ活動かつどうのシンボルてきなものとして、フォルクスワーゲンしゃきゅうビートル車体しゃたい全体ぜんたいおよび内装ないそうにビーズ細工ざいくほどこした巨大きょだい作品さくひん El Vochol (enが、ポピュラーアート美術館びじゅつかん英語えいごばん西にし: Museo de Arte Popular)のした大勢おおぜいのウイチョルぞく参加さんかによって製作せいさくされた[11]

ウイチョルぞく毛糸けいとやビーズ製作せいさく国内外こくないがい注目ちゅうもくあつめてきた一方いっぽうで、こうした民芸みんげいひんによってられるはずの収益しゅうえきとうのウイチョルぞく十分じゅうぶんわたっていない状況じょうきょう指摘してきされている。(山森やまもり 2017) は、民芸みんげいひん販売はんばいについての現地げんちでの実態じったい調査ちょうさうえで、ウイチョルぞく資金しきんりょく商売しょうばい知識ちしきとぼしく[21]同族どうぞく意識いしき同郷どうきょう意識いしき希薄きはく一方いっぽうで、民芸みんげいひん販売はんばいにも家族かぞく単位たんい親族しんぞく単位たんいであたろうとするなどの「狩猟しゅりょう採取さいしゅみんてき特質とくしつ」があると指摘してき[22]民芸みんげいひん製作せいさく販売はんばいによるウイチョルぞく自身じしんへの収益しゅうえきおもわしくない理由りゆうを、ウイチョルぞく本来ほんらい狩猟しゅりょう採集さいしゅうみんであったせつ関連付かんれんづけて分析ぶんせきしている。またビーズ細工ざいく比較的ひかくてき容易ようい製作せいさく可能かのうであることから、ウイチョルぞく以外いがい人間にんげんによりおな様式ようしき工芸こうげいひん製作せいさく販売はんばいおこなわれる「文化ぶんか剽窃ひょうせつ英語えいごばん」もきている(橋本はしもと 1999: 180)[22]

習俗しゅうぞく

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híkuri (Lophophora williamsii)
Tagetes lucida
Epithelantha micromeris
tsuwíri (Ariocarpus retusus)
Datura innoxia

ウイチョルぞく伝統でんとう宗教しゅうきょう一環いっかんとして、いずれも幻覚げんかく作用さようゆうするサボテンロフォフォラぞくペヨーテLophophora williamsii; ウイチョル: híkuri; 園芸えんげいめい: がらすだま)や、ヤウティ(yauhti; 学名がくめい: Tagetes lucida; 通称つうしょう: ミントマリーゴールド)というキクコウオウソウぞく植物しょくぶつ儀礼ぎれいもちいる[23]。このうちペヨーテについては、後述こうじゅつするような「ペヨーテ」によって調達ちょうたつおこなわれており、ウイチョルぞくのどの幻覚げんかくせい植物しょくぶつよりもたかくペヨーテを評価ひょうかしている[10]。ウイチョルぞくにはまた、サボテンエピテランサぞくスペインばんのヒクリ・ムラート(Hikuli Mulato; 学名がくめい: Epithelantha micromeris; 園芸えんげいめい: 月世界げっせかい[ちゅう 4]永続えいぞくてき自失じしつ状態じょうたいこすとしんじられるサボテンアリオカルプスぞくドイツばんのツウィリ(ウイチョル: tsuwíri[24]; 学名がくめい: Ariocarpus retusus; 園芸えんげいめい: いわ牡丹ぼたん[ちゅう 5]、「かみ陶酔とうすいやく」であり妖術ようじゅつ強力きょうりょく補助ほじょやくとして崇拝すうはいするナスラッパバナぞく英語えいごばんキエリ(ウイチョル: kiéri[26]、kieli; 学名がくめい: Solandra brevicalyxS. guerrerensisラッパバナ英語えいごばんS. grandiflora[ちゅう 6]という灌木のほか、ナスチョウセンアサガオぞくDatura)やどうキダチチョウセンアサガオぞくBrugmansia)といった植物しょくぶつあつかいを心得こころえているもの存在そんざいする[28]。しかし、アサガオやチョウセンアサガオといった植物しょくぶつシビレタケなどはペヨーテにくらべると格下かくしたあつかいとされており、妖術ようじゅつしゃゆだねられている[10]

スペインじんによる征服せいふく植民しょくみん以前いぜんからの伝統でんとうある宗教しゅうきょうには、あめ健康けんこう物質ぶっしつてき繁栄はんえいなどをつかさどかみ々が100以上いじょう登場とうじょうするが、それらにたいするカトリック聖人せいじん同化どうかシンクレティズム)もられる[6]

ペヨーテ

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ウィリクタに生育せいいくするペヨーテ

10月から2がつ乾季かんきになると[6]、ウイチョルぞくとしいちのペヨーテ(ヒクリ)の採取さいしゅのためにサン・ルイス・ポトシ地域ちいきウィリクタ英語えいごばん(Wirikúta[2]、Wirikuta)という聖地せいちまでたびおこな[29]。ウィリクタはウイチョルぞくにとってペヨーテがゆたかに生育せいいくする先祖せんぞ代々だいだいであり[29]、ペヨーテりは楽園らくえんウィリクタへの回帰かいき原型げんけいはじまりと神話しんわ歴史れきしわりと做されている[29]。ウィリクタへの最初さいしょのペヨーテりのたびシャーマンにしてウイチョル最古さいこかみであるタテワリ英語えいごばん[ちゅう 7]によって先導せんどうされた[34]現代げんだいのシャーマン[ちゅう 8]とタテワリは幻影げんえい鹿しか姿すがたをした文化ぶんか英雄えいゆう[ちゅう 9]カウユマリ(Kauyumári)[ちゅう 10]かいして交信こうしんおこな[29]巡礼じゅんれいしゃたちは通例つうれい10にんから15にんでシャーマンにみちびかれてたびおこな[29]巡礼じゅんれいしゃたちは儀式ぎしき必要ひつよう不可欠ふかけつなタバコよう細口ほそぐちびんや、ウィリクタから採集さいしゅうしたみず故郷こきょうへとはこんでいくための細口ほそぐちびん携行けいこうする[29]。かつては徒歩とほで200マイルたびおこなわれていたが、今日きょうではくるまもちいる場合ばあいおお[29]巡礼じゅんれいしゃたちはウィリクタへ旅立たびだまえみずからのせい体験たいけん告白こくはくともな懺悔ざんげ[ちゅう 11]とおきよめの儀式ぎしきけなければならない[29]たびあいだ食事しょくじせい交渉こうしょう睡眠すいみんかみ々にならってひかえられ、ウィリクタの神聖しんせい山々やまやまえる場所ばしょくと、巡礼じゅんれいしゃたちは儀式ぎしきしたがってきよめられ、めぐみのあめいのる。そしてシャーマンが詠唱えいしょうおこなっている最中さいちゅうに「あたまなか地図ちず」にしたがってくも関門かんもんくも通路つうろける2つの感動かんどうてき段階だんかいむことにより、あのへのたびはじめる[29]。いよいよペヨーテりの場所ばしょ到着とうちゃくするとシャーマンは儀式ぎしきはじめ、ペヨーテにまつわる古来こらい物語ものがたりはなし、安全あんぜん祈願きがんおこな[29]巡礼じゅんれいしゃたちのなかでもとくはじめての参加さんかしゃたちは目隠めかくしをされた状態じょうたいでシャーマンのみにえる「宇宙うちゅう入口いりくち」にいざなわれる[29]。シャーマンの詠唱えいしょう最中さいちゅう司祭しさいたちがまって蝋燭ろうそくともし、いのりの言葉ことばつぶや[29]。ようやくペヨーテをつけるとシャーマンは鹿しか足跡あしあとしばらながめ、でペヨーテを[29]巡礼じゅんれいしゃたちはそのとしはじめてのペヨーテをられた鹿しかになぞらえて詠歌えいかトウモロコシ種子しゅしといったささぶつおこない、かごいちはいになるほどペヨーテを採取さいしゅする[29]つぎになるとさらおおくのペヨーテがあつめられるが、その一部いちぶ故郷こきょうっている人々ひとびとい、さらにそののこりはやはりペヨーテを使用しようするコラぞくやタラフマラぞくのためにされることとなる[29]。そのにはタバコくばりの儀式ぎしきおこなわれるが、ウイチョルぞくはタバコをむすびつけてかんがえている[29]。この儀式ぎしきではまず磁石じしゃくの4方位ほういけてかれ、真夜中まよなかかれる[29]。するとシャーマンはまえにタバコをき、それにはねかざりでれつついのり、巡礼じゅんれいしゃいちにん一人ひとりにタバコをくば[29]各人かくじんはタバコの誕生たんじょう象徴しょうちょうである細口ほそぐちびんくばられたものれる[29]

なお、ウイチョルぞくはペヨーテりに人類じんるい学者がくしゃやメキシコの著述ちょじゅつ同行どうこうすることをなん許可きょかしている[33]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ウイチョルにはゆうごえそりしたこすおと存在そんざい[4]、たとえば Grimes (1964) などでは zあらわされているが、文献ぶんけんによっては xzr などで表記ひょうきされることもあり[4]一定いっていしない。
  2. ^ なお、いずれの民族みんぞく言語げんごもユト=アステカ語族ごぞくぞくするが、Lewis et al. (2015) ではコラ英語えいごばんほうタラフマラ英語えいごばんよりもよりウイチョルちかいとされている。
  3. ^ 焼畑やきばたやま斜面しゃめんつくられ、coamilばれる。[12]
  4. ^ ヒクリ・ロサパラ(Hikuli Rosapara)という別名べつめいつ。
  5. ^ にせペヨーテ (えい: false peyote) や、ヒクリ・スナメ (Hikuli Sunamé) という別名べつめいつ。日本語にほんご園芸えんげいめいいわ牡丹ぼたんであるが、イワボタンうと多肉植物たにくしょくぶつではないユキノシタネコノメソウぞくミヤマネコノメソウChrysosplenium macrostemon var. macrostemon)の別名べつめいでもある[25]
  6. ^ ウェイパトゥル(hueipatl)やテコマショチトゥル(tecomaxochitl)[27]というナワトル由来ゆらい別名べつめいつ。
  7. ^ Tatewari。シュルテスら (2007:148) によるとそのは「わたしたちの祖父そふ」である。また言語げんごがくまとにも
    taa+-tewaríi-ma
    1pl.poss-祖父そふもしくはまご[† 1]-pl
    我々われわれ祖父そふたち」
    分析ぶんせきされる表現ひょうげん存在そんざいするが、これは同時どうじ特定とくていかみ々のサブクラスも[32]。タテワリはあしでペヨーテをった姿すがた擬人ぎじんされたペヨーテしんヒクリとしてもられている[33]
  8. ^ 経験けいけんんだシャーマンはマラアカメ(ウイチョル: maraʼakáme[35]; マラカメ[6]とも)とばれる[33]
  9. ^ 文化ぶんかてき英雄えいゆうともいう。神話しんわ伝説でんせつにおいて創造そうぞうりょくゆうし、人間にんげん地上ちじょうでのらしかたなどをおしえる存在そんざいであり、人間にんげん姿すがたをしている場合ばあい動物どうぶつ姿すがたをしている場合ばあいとがある[36]
  10. ^ このようにウイチョルぞく鹿しか神聖しんせいしているてんは、ウイチョルぞく本来ほんらい砂漠さばく地帯ちたいらす狩猟しゅりょう採集さいしゅうみんであったと推定すいていする根拠こんきょの1つとされている[9]
  11. ^ 1つ1つのつみかんしてシャーマンがひもむすをつくり、儀式ぎしき最後さいごやす[33]

注釈ちゅうしゃく注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ なお、ウイチョルぞく祖父そふまご世代せだいあいだ関係かんけいせいについては同一どういつせい平等びょうどうせい相互そうごせいのあるものとかんがえており、親族しんぞく名称めいしょう一方いっぽう世代せだいからもう一方いっぽう世代せだいけてまった同一どういつのものが使用しようされ[30]。ウイチョルtewaríi(あるいは tewaríteʼvali とも)は〈祖父そふ〉と〈まご〉、〈おおおじ〉と〈おいまたはめい息子むすこ〉を男性だんせい同士どうし相互そうごあらわ語彙ごいであるが、ほかにも〈祖父母そふぼ〉と〈まごむすめ)〉の両方りょうほうあらわteukári存在そんざい[31]、あるウイチョルぞくは、祖父そふまごとはおな肉体にくたいからなる存在そんざいであり、たがいを Neteukariわたしteukári〉とうとべている[30]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d Lewis et al. (2015).
  2. ^ a b Schaefer & Furst (1996:531).
  3. ^ a b c d e f 山森やまもり 2017, p. 136
  4. ^ a b c 八杉やすぎ (1988).
  5. ^ 山森やまもり 2015, p. 134
  6. ^ a b c d e f g h 落合おちあい (2009).
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日本語にほんご:

関連かんれん文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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