出典 しゅってん : フリー百科 ひゃっか 事典 じてん 『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウチナータイム (沖縄 おきなわ タイム、沖縄 おきなわ 時間 じかん )は、日本 にっぽん の南西 なんせい 端 はし 沖縄 おきなわ 県 けん に存在 そんざい する、日本 にっぽん 本土 ほんど とは異 こと なる独特 どくとく の時間 じかん 感覚 かんかく 。または、沖縄 おきなわ において集会 しゅうかい ・行事 ぎょうじ などが予定 よてい 時刻 じこく より遅 おく れて始 はじ まること[1] 。
沖縄 おきなわ 県 けん においては、本土 ほんど または内地 ないち と呼 よ ばれる他 ほか 46都道府県 とどうふけん とは異 こと なる独特 どくとく の時間 じかん 感覚 かんかく が存在 そんざい する。これをウチナータイム、または沖縄 おきなわ タイムと呼 よ ぶ(ウチナーとは琉球 りゅうきゅう 語 ご で沖縄 おきなわ のこと)[2] 。南国 なんごく であるためかその時間 じかん はゆっくり流 なが れ[2] 、県民 けんみん 性 せい は「テーゲー 」(適当 てきとう 、いい加減 かげん )と称 しょう され[2] 、または「なんくるないさー」(なんとかなるさ)[2] 、細 こま かいことや過 す ぎたことは気 き にしないとされる[2] 。
一方 いっぽう 、沖縄 おきなわ 県 けん では鉄道 てつどう がほとんど旅客 りょかく 輸送 ゆそう で用 もち いられず(参照 さんしょう :沖縄 おきなわ 県 けん の鉄道 てつどう )、定時 ていじ 移動 いどう が困難 こんなん な道路 どうろ へ圧倒的 あっとうてき に依存 いぞん しなければならないという、内地 ないち との大 おお きな違 ちが いが存在 そんざい する。そもそも沖縄 おきなわ 県内 けんない では日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう やその民営 みんえい 化 か 企業 きぎょう であるJRグループ 各社 かくしゃ による路線 ろせん 建設 けんせつ が全 まった く行 おこな われず、さらに1914年 ねん から沖縄 おきなわ 本島 ほんとう 中 ちゅう 南部 なんぶ で運行 うんこう されていた沖縄 おきなわ 県営 けんえい 鉄道 てつどう は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん に伴 ともな い行 おこな われた1945年 ねん 4月 がつ からの沖縄 おきなわ 戦 せん で完全 かんぜん に破壊 はかい され消滅 しょうめつ した。沖縄 おきなわ 戦 せん によるアメリカ軍 ぐん の勝利 しょうり と同年 どうねん の大日本帝国 だいにっぽんていこく 降伏 ごうぶく によりに沖縄 おきなわ ではアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく による統治 とうち (アメリカ世 よ )が始 はじ まったが、戦前 せんぜん で既 すで にモータリゼーション が完了 かんりょう していたアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では鉄道 てつどう 旅客 りょかく 輸送 ゆそう が衰退 すいたい 期 き にあり、占領 せんりょう 直後 ちょくご からの米国 べいこく 軍 ぐん 政府 せいふ や1950年 ねん に転換 てんかん した米 べい 国民 こくみん 政府 せいふ は軍用 ぐんよう 道路 どうろ 整備 せいび に重点 じゅうてん を置 お いた。1947年 ねん には住民 じゅうみん による諮問 しもん 機関 きかん の沖縄 おきなわ 民 みん 政府 せいふ が米国 べいこく 軍 ぐん 政府 せいふ に鉄道 てつどう 復旧 ふっきゅう を陳情 ちんじょう したものの採用 さいよう されず、1952年 ねん 発足 ほっそく の琉球 りゅうきゅう 政府 せいふ も鉄道 てつどう 建設 けんせつ は見送 みおく った。この結果 けっか 、後 ご の国道 こくどう 58号 ごう となる軍 ぐん 道 どう 1号線 ごうせん などは整備 せいび されたが、住民 じゅうみん 生活 せいかつ に不可欠 ふかけつ な民生 みんせい 用 よう 道路 どうろ の整備 せいび は遅 おく れた。その狭 せま い道路 どうろ を利用 りよう して過密 かみつ な住宅 じゅうたく 地 ち に張 は り巡 めぐ らされた沖縄 おきなわ 本島 ほんとう のバス路線 ろせん 網 あみ が島内 とうない の公共 こうきょう 交通 こうつう 輸送 ゆそう をすべて担 にな い、一方 いっぽう で旅客 りょかく 鉄道 てつどう は存在 そんざい しない状態 じょうたい で1972年 ねん の本土 ほんど 復帰 ふっき (沖縄 おきなわ 返還 へんかん )を迎 むか えた。復帰 ふっき 後 ご の1973年 ねん に行 おこな われた国会 こっかい 審議 しんぎ においても、沖縄 おきなわ 県 けん から選出 せんしゅつ された衆議院 しゅうぎいん 議員 ぎいん の國場 こくば 幸 さいわい 昌 あきら から、那覇空港 なはくうこう から那 な 覇 は の街 まち まで40分 ふん もかかる[注 ちゅう 1] 、バスやタクシーを使 つか うより歩 ある いたほうが早 はや い、1975年 ねん 開催 かいさい の沖縄 おきなわ 国際 こくさい 海洋 かいよう 博覧 はくらん 会 かい に向 む けては国際 こくさい 通 どお り で渋滞 じゅうたい するバスでどう観客 かんきゃく 輸送 ゆそう をするかが課題 かだい などの指摘 してき がなされた[3] 。施政 しせい 権 けん を回復 かいふく した日本 にっぽん 政府 せいふ も新 あら たに発足 ほっそく した沖縄 おきなわ 県 けん も県内 けんない 、特 とく に人口 じんこう の過半 かはん が集中 しゅうちゅう する那覇 なは 都市 とし 圏 けん での渋滞 じゅうたい の酷 ひど さは認識 にんしき しており、復帰 ふっき と同時 どうじ に発足 ほっそく した沖縄開発庁 おきなわかいはつちょう (2001年 ねん からは内閣 ないかく 府 ふ の沖縄 おきなわ 振興 しんこう 局 きょく )などを通 つう じて沖縄 おきなわ 振興 しんこう 特別 とくべつ 措置 そち 法 ほう による各 かく 施策 しさく を取 と る中 なか 、1975年 ねん に部分 ぶぶん 開通 かいつう した沖縄 おきなわ 自動車 じどうしゃ 道 どう は1988年 ねん に那覇 なは インターチェンジ まで全面 ぜんめん 開通 かいつう して島内 とうない 広域 こういき 輸送 ゆそう の中核 ちゅうかく となったが、自動車 じどうしゃ 1台 だい 当 あ たりの一般 いっぱん 道 どう の距離 きょり は全国 ぜんこく 平均 へいきん の約 やく 半分 はんぶん にとどまる[4] ほか、沖縄 おきなわ 最大 さいだい の繁華 はんか 街 がい として1日 にち 2000台 だい のバス通行 つうこう がある国際 こくさい 通 どお りは約 やく 1.6km(「奇跡 きせき の1マイル」)の全 ぜん 区間 くかん が2022年 ねん 現在 げんざい でも上下 じょうげ 各 かく 1車線 しゃせん (計 けい 2車線 しゃせん )のままといったように、市街地 しがいち での道路 どうろ 整備 せいび は難航 なんこう した。これに対 たい し、2003年 ねん 8月 がつ に開通 かいつう した沖縄 おきなわ 都市 とし モノレール線 せん (ゆいレール)は開業 かいぎょう 前 まえ の懸念 けねん を払拭 ふっしょく して順調 じゅんちょう に利用 りよう 客 きゃく を増加 ぞうか させ、那覇空港 なはくうこう 駅 えき から那覇 なは バスターミナル に隣接 りんせつ する旭橋 あさひばし 駅 えき や国際 こくさい 通 どお りへの入 い り口 くち になる県庁 けんちょう 前 まえ 駅 えき まで12分 ふん 程度 ていど で定時 ていじ 運行 うんこう される、沖縄 おきなわ では貴重 きちょう な「正確 せいかく な時間 じかん で移動 いどう できる交通 こうつう 機関 きかん 」として県民 けんみん や観光 かんこう 客 きゃく に認識 にんしき されたが、2019年 ねん の延伸 えんしん 区間 くかん を含 ふく めても那覇空港 なはくうこう 駅 えき からてだこ浦西 うらにし 駅 えき までの1路線 ろせん 17.0kmしかなく、那覇 なは 都市 とし 圏 けん の交通 こうつう 需要 じゅよう に対 たい しては不十分 ふじゅうぶん で、同線 どうせん 開業 かいぎょう 時 じ のパンフレットで書 か かれた「ウチナータイムにおさらば」は十分 じゅうぶん には達成 たっせい されなかった[5] 。また、名護 なご 市 し と那覇 なは 市 し を約 やく 1時 じ 間 あいだ で結 むす び沖縄 おきなわ 本島 ほんとう の南北 なんぼく 軸 じく となる沖縄 おきなわ 鉄 てつ 軌道 きどう の建設 けんせつ については2010年代 ねんだい から具体 ぐたい 的 てき な検討 けんとう が始 はじ まったが、広大 こうだい なアメリカ軍 ぐん 用地 ようち の返還 へんかん と再 さい 開発 かいはつ に伴 ともな う議論 ぎろん や、完全 かんぜん に独立 どくりつ した新規 しんき 路線 ろせん を建設 けんせつ する際 さい の採算 さいさん 性 せい 確保 かくほ などが課題 かだい となり、着工 ちゃっこう には至 いた っていない。一方 いっぽう 、那覇 なは 都市 とし 圏 けん では人口 じんこう 増加 ぞうか に伴 ともな う乗用車 じょうようしゃ の増加 ぞうか が続 つづ き、渋滞 じゅうたい はさらに悪化 あっか しているという各種 かくしゅ 資料 しりょう が公開 こうかい されている[4] 。
このように、元々 もともと のおおらかな県民 けんみん 性 せい に加 くわ え、そもそも分 ぶん 単位 たんい で定 さだ めても集合 しゅうごう 時間 じかん の履行 りこう が困難 こんなん という交通 こうつう 事情 じじょう が相 あい まって、飲 の み会 かい や私的 してき な集 あつ まりにおいて約束 やくそく の時間 じかん に間 あいだ に合 あ わせるといった意識 いしき 、あるいは間 あいだ に合 あ わないことは悪 わる いことであるという概念 がいねん は、希薄 きはく もしくは存在 そんざい しないと言 い われるほどであり[2] 、30分 ふん や1時 じ 間 あいだ の遅刻 ちこく はザラであるという[6] 。その他 た 各種 かくしゅ 集会 しゅうかい などについてもそのような傾向 けいこう があり、主催 しゅさい 者 しゃ 側 がわ も心得 こころえ たもので特 とく に慌 あわ てることもなく、そもそも開始 かいし 時間 じかん にサバを読 よ んでおく場合 ばあい もある[7] [8] [注 ちゅう 2] 。そもそも定刻 ていこく に到着 とうちゃく してもどうせまだ誰 だれ も来 き ていないのだから遅 おく れても仕方 しかた ないといった次第 しだい であり[7] 、待 ま つ側 がわ に怒 いか りや苛立 いらだ ちはなく、待 ま たせる側 がわ にも罪悪 ざいあく 感 かん はない。逆 ぎゃく に遅刻 ちこく くらいで文句 もんく を言 い う人間 にんげん は口 くち うるさいなどとして嫌 きら われる場合 ばあい もある[9] 。
沖縄 おきなわ に造詣 ぞうけい の深 ふか い紀行 きこう 作家 さっか カベルナリア吉田 よしだ は、「うちな〜んちゅ行動 こうどう の最大 さいだい の特徴 とくちょう が、時間 じかん にルーズ」であるとし[注 ちゅう 3] 、2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )に至 いた っても沖縄 おきなわ 人 じん は「今日 きょう やらなきゃいけない事 こと も平然 へいぜん と明日 あした に延 の ばす」「遅 おく れるより急 いそ ぐ方 ほう が罪 つみ だ」 といった人々 ひとびと であり、「神様 かみさま のお告 つ げで、出掛 でか けるの遅 おく れたねー」 などとい訳 いわけ をするという[10] (カベルナリア吉田 よしだ 「うちな〜んちゅ行動 こうどう の謎 なぞ 」(『入門 にゅうもん 大人 おとな の沖縄 おきなわ ドリル』)より)。
その他 た にも文献 ぶんけん では、沖縄 おきなわ のにわか雨 あめ は「スコール 」とも言 い えるもので、急 きゅう に降 お りだし短時間 たんじかん で止 や むということもあり、雨傘 あまがさ などは持 も ち歩 ある かずに、にわか雨 あめ に対 たい しては雨宿 あまやど り で対応 たいおう する[2] 、などと言 い った事例 じれい も紹介 しょうかい されている。
『沖縄 おきなわ コンパクト辞典 じてん 』によれば、夜 よる が長 なが く、鉄道 てつどう なども無 な い風土 ふうど によって培 つちか われてきた概念 がいねん とされ、その遅 おく れ方 かた にも地域 ちいき 差 さ があると言 い われる。また、夜 よる 型 がた 社会 しゃかい でもあり、飲酒 いんしゅ を好 この む県民 けんみん 性 せい や車 くるま 社会 しゃかい であるといった面 めん も原因 げんいん として考 かんが えられるようである[11] 。
本土 ほんど 復帰 ふっき 前 まえ である1964年 ねん (昭和 しょうわ 39年 ねん )に制定 せいてい された那覇 なは 市民 しみん 憲章 けんしょう には「時間 じかん をまもりましょう」が盛 も り込 こ まれていたほどであった。
文化 ぶんか によって時間 じかん 感覚 かんかく が異 こと なることについて、アメリカ の文化 ぶんか 人類 じんるい 学者 がくしゃ 、エドワード・T・ホール は、ポリクロニック (polychronic) とモノクロニック (monochronic) という概念 がいねん を用 もち いて説明 せつめい を試 こころ みている[12] 。
沖縄 おきなわ タイムには使 つか い分 わ けがあることは他 た 都道府県 とどうふけん の人 ひと には理解 りかい されていない。飲 の み会 かい や結婚式 けっこんしき などのハッピーな会合 かいごう の場合 ばあい は時間 じかん に間 ま に合 あ わせる必要 ひつよう はないが、葬式 そうしき や仕事 しごと などのアンハッピーな出来事 できごと は時間 じかん を守 まも る必要 ひつよう がある。楽 たの しいことは時間 じかん を守 まも るという拘束 こうそく からも解 と き放 はな たれるべきであるという考 かんが え方 かた が根本 こんぽん にある。
沖縄 おきなわ 県 けん 以外 いがい での「ご当地 とうち 時間 じかん 」[ 編集 へんしゅう ]
「ウチナータイム(沖縄 おきなわ 時間 じかん )」と同様 どうよう の傾向 けいこう は九州 きゅうしゅう 一 いち 円 えん でも見 み られる。福岡 ふくおか 県 けん では「博多 はかた 時間 じかん 」[13] 、宮崎 みやざき 県 けん では「日向 ひなた 時間 じかん 」[13] [14] 、鹿児島 かごしま 県 けん では「薩摩 さつま 時間 じかん 」[13] 、奄美 あまみ 群島 ぐんとう では「島 しま 時間 じかん 」[要 よう 出典 しゅってん ] と呼 よ ばれ、これらをまとめて「ご当地 とうち 時間 じかん 」とも呼 よ ばれる[13] 。ただし、「博多 はかた 時間 じかん 」には本来 ほんらい 、他家 たけ を訪 たず ねる際 さい にぎりぎりまで準備 じゅんび している相手 あいて に迷惑 めいわく をかけないように少 すこ し遅 おく れていくのが礼儀 れいぎ だという意味 いみ があるという[13] 。
また、九州 きゅうしゅう 以外 いがい でも同様 どうよう の事象 じしょう があり、宮城 みやぎ 県 けん では「仙台 せんだい 時間 じかん 」と呼 よ ばれている[15] 。
^ 2022年 ねん 時点 じてん のバス時刻 じこく 表 ひょう において、那覇空港 なはくうこう から那覇 なは バスターミナルまでは約 やく 10分 ふん とされている。
^ ただし、沖縄大 おきなわだい 百科 ひゃっか 事典 じてん (1983) 当該 とうがい 項目 こうもく 部 ぶ (儀間 ぎま 進 すすむ 執筆 しっぴつ 部 ぶ )では、「現代 げんだい の能率 のうりつ 社会 しゃかい に適応 てきおう していくには第 だい 一 いち に克服 こくふく すべきものである」 としている。
^ 当該 とうがい 文献 ぶんけん は沖縄 おきなわ を紹介 しょうかい する、日本 にっぽん 本土 ほんど 向 む けのものであり、すなわちあくまで「日本 にっぽん 本土 ほんど と比較 ひかく して」、である。その他 た にはとにかく何事 なにごと につけても面倒 めんどう くさがりであるなどを特徴 とくちょう としている。
エドワード・T・ホール『沈黙 ちんもく のことば』國弘 くにひろ 正雄 まさお 、長井 ながい 善 よし 見 み 、斎藤 さいとう 美津子 みつこ (共 とも 訳 やく )、南雲 なぐも 堂 どう 、1966(原著 げんちょ 1959)。ISBN 4523260206 。
沖縄大 おきなわだい 百科 ひゃっか 事典 じてん 刊行 かんこう 事務 じむ 局 きょく (1983). "オキナワ・タイム". 沖縄大 おきなわだい 百科 ひゃっか 事典 じてん . 沖縄 おきなわ タイムス . p. 上 うえ ・553.
沖縄 おきなわ ナンデモ調査 ちょうさ 隊 たい 、2001、『沖縄 おきなわ のナ・ン・ダ』、双葉社 ふたばしゃ
カベルナリア吉田 よしだ 、2006、「うちな〜んちゅの行動 こうどう の謎 なぞ 」、『入門 にゅうもん 大人 おとな の沖縄 おきなわ ドリル』、沖縄 おきなわ ダイヤモンド・ビッグ社 しゃ pp. 73-75
篠原 しのはら 章 あきら 、1993 / 2000、『熱烈 ねつれつ !沖縄 おきなわ ガイド (ハイサイ!沖縄 おきなわ ガイド改題 かいだい ・文庫 ぶんこ 版 ばん )』、宝島社 たからじましゃ
下川 しもかわ 裕治 ゆうじ 、ゼネラルプレス、1998、『好 す きになっちゃった沖縄 おきなわ 』、双葉社 ふたばしゃ
下川 しもかわ 裕治 ゆうじ 、篠原 しのはら 章 あきら 、2002、『沖縄 おきなわ ナンクル読本 とくほん 』、講談社 こうだんしゃ
都会 とかい 生活 せいかつ 研究 けんきゅう プロジェクト 沖縄 おきなわ チーム、2009、『沖縄 おきなわ ルール リアル沖縄 おきなわ 人 じん になるための49のルール』、中 ちゅう 経 けい 出版 しゅっぱん pp. p.8「本書 ほんしょ で頻出 ひんしゅつ するウチナー的 てき 基本 きほん 用語 ようご 」、p.86「日傘 ひがさ は持 も ち歩 ある いても、雨傘 あまがさ は持 も たない」、p.102「飲 の み会 かい に遅 おく れるのはフツーのこと」、p.156「"テーゲー"は立派 りっぱ な処世 しょせい 術 じゅつ である」
中村 なかむら 清司 せいじ 、2000、『爆笑 ばくしょう 沖縄 おきなわ 移住 いじゅう 計画 けいかく 』、夏目 なつめ 書房 しょぼう
那覇 なは 市議会 しぎかい 事務 じむ 局 きょく 、1964 / 1983、「那覇 なは 市議会 しぎかい 報 ほう No.53 1964年 ねん 1月 がつ 20日 はつか 」、『那覇 なは 市議会 しぎかい 報復 ほうふく 刻 こく 版 ばん 第 だい 1集 しゅう 』 pp. 644
琉球新報 りゅうきゅうしんぽう , ed. (1998). "オキナワタイム". 沖縄 おきなわ コンパクト辞典 じてん . 琉球新報 りゅうきゅうしんぽう . p. 88.