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クロメンコ

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クロメンコ
Cromemco, Inc.
業種ぎょうしゅ コンピュータ製造せいぞう
その 1987ねん、ダイナテックしゃ売却ばいきゃく
後継こうけい ダイナテック・コンピュータ・システムズ
設立せつりつ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくカリフォルニアしゅうロスアルトス1974ねん (50ねんまえ) (1974)
創業そうぎょうしゃ ハリー・ガーランド社長しゃちょう
ロジャー・メレン開発かいはつ担当たんとうVP
解散かいさん 1987ねん ウィキデータを編集
本社ほんしゃ
カリフォルニアしゅうマウンテンビュー
主要しゅよう人物じんぶつ
チャック・ブッシュ(製造せいぞう担当たんとうVP)
アンディ・プロカッシーニ(営業えいぎょう担当たんとうVP)
マイク・ラムロット(財務ざいむ担当たんとうVP)
ブレント・ギャモン(法務ほうむ担当たんとう役員やくいん
製品せいひん マイクロコンピュータ

クロメンコ(Cromemco, Inc.)は、かつてアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにあったマイクロコンピュータメーカーである。カリフォルニアしゅうマウンテンビュー本社ほんしゃかまえ、パーソナルコンピュータ革命かくめい初期しょきにおいてZ80ベースのハイエンドS-100バスコンピュータや周辺しゅうへん機器きき製造せいぞう販売はんばいしていたことでられる。

同社どうしゃは、スタンフォード大学だいがくPh.D.取得しゅとくしたハリー・ガーランドロジャー・メレン2人ふたりによって、1974ねんパートナーシップとして発足ほっそくした。会社かいしゃめいは、かれらがスタンフォード大学だいがく在学ざいがくちゅうはいっていた工学こうがくけい大学院生だいがくいんせいのためのりょう「クロサーズ記念きねんかん」(Crothers Memorial)にちなんで名付なづけられた。1976ねん法人ほうじんされた。最初さいしょ製品せいひんはデジタルカメラ・Cyclopsとカラーグラフィック・インターフェイス・Dazzlerであり、どちらも当時とうじとしては画期的かっきてき製品せいひんだった。その、コンピュータシステムの製造せいぞう移行いこうした。

1981ねん12月、『Inc.は、クロメンコしゃをアメリカでもっときゅう成長せいちょうしている株式かぶしき非公開ひこうかい企業きぎょうトップ10に選出せんしゅつした[1]

前史ぜんし

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『バイト』1976ねん9がつごうの1ページ掲載けいさいされたクロメンコしゃ広告こうこく

1969ねん、スタンフォード大学だいがく博士はかせ課程かてい在籍ざいせきしていたハリー・ガーランドとロジャー・メレンがった。2人ふたり専攻せんこうちがったが、アマチュア無線むせん電子でんし工作こうさくという共通きょうつう趣味しゅみがあった[2]。1970ねんより、2人ふたり共同きょうどう電子でんし装置そうち作成さくせいして、その組立くみたて方法ほうほうなどを『ポピュラーエレクトロニクス投稿とうこうするようになった[3][4][5][6]投稿とうこうした記事きじ登場とうじょうする電子でんし工作こうさくプロジェクトに必要ひつよう部品ぶひんつけるのが困難こんなん場合ばあいがあったため、ガーランドとメレンは業者ぎょうしゃにライセンスを供与きょうよして部品ぶひんのキットを提供ていきょうした。そのなかの1つである「オペアンプテスター」のキットは、のちにマイクロコンピュータAltair 8800発売はつばいすることになるMITSという会社かいしゃから販売はんばいされた[7]

1974ねん、メレンはニューヨークにある『ポピュラーエレクトロニクス』編集へんしゅうおとずれ、そこでMITSしゃのAltair 8800をた。メレンはこの機械きかい感銘かんめいけ、カリフォルニアにかえ途中とちゅうアルバカーキり、そこでMITSしゃ社長しゃちょうであるエド・ロバーツった[8]。メレンたちはデジタルカメラ・Cyclops開発かいはつし、その記事きじが『ポピュラーエレクトロニクス』1975ねん2がつごう掲載けいさいされることになっていた[9][10]が、それをAltairから制御せいぎょするインターフェイスボードを開発かいはつしたいとロバーツに提案ていあんした。ロバーツはそれをよろこび、Altairをメレンたちのもとにすぐにおくることを約束やくそくした[2]

カリフォルニアにもどったメレンは、ガーランドと、Cyclopsなどのマイクロコンピュータ製品せいひん生産せいさんするためのパートナーシップむすんだ。最初さいしょ共同きょうどう作業さぎょうはじめた大学だいがくりょう・クロサーズ記念きねんかんちなんで、社名しゃめいを「クロメンコ」とづけた[11]

初期しょき製品せいひん

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アナログ・ジョイスティック JS-1

メレンとガーランドはAltairようのCyclopsカメラシステムの開発かいはつ着手ちゃくしゅした。これをきっかけに、ほかにもいくつかの製品せいひんまれた。

当時とうじ、Altairのソフトウェアを保存ほぞんする方法ほうほうは、かみテープしかなかった。この問題もんだい解決かいけつするため、2人ふたりBytesaver英語えいごばんというプログラム可能かのう専用せんようメモリカードの設計せっけいんだ。Bytesaverは、起動きどうにプログラムを常駐じょうちゅうさせることができ、起動きどう起動きどうプログラムを手動しゅどうでロードしなくても、すぐにコンピュータが機能きのうするようになっていた。このため、Bytesaverは人気にんきはくした[12]

また、Cyclopsで撮影さつえいしてAltairに保存ほぞんしても、その画像がぞう方法ほうほうがなかった。そこで、Altairをカラーテレビに接続せつぞくするためのグラフィックス・インターフェイスカードの開発かいはつはじめた。Dazzlerばれるこのグラフィックインターフェイスは、『ポピュラーエレクトロニクス』1976ねん2がつごう紹介しょうかいされた[13]

DazzlerをAltairに搭載とうさいすることで、ゲームにも使つかえるようになった。しかし、ゲームのコントローラーやジョイスティックをAltairに接続せつぞくする方法ほうほうはなかった。そこで、ジョイスティックJS-1と、8ビットのデジタルチャンネルと7つのアナログチャンネルをつインターフェイスカード・D+7Aを開発かいはつした。このD+7Aはジョイスティックようインターフェイス以上いじょう機能きのうそなえており、このカードによって、データ収集しゅうしゅう産業さんぎょうようコンピューティングの世界せかいでもAltairが使つかわれるようになった[14]

クロメンコしゃみずからを「コンピュータ周辺しゅうへん機器ききのスペシャリスト」としょうし、革新かくしんてき設計せっけいこう品質ひんしつ構造こうぞう定評ていひょうがあった[15]。しかしかれらはすぐに、Altairのバス構造こうぞうのちかれらによってS-100バス名付なづけられる)をベースにした独自どくじのコンピュータシステムを提供ていきょうするようになる[16][17]

ボードからコンピュータ本体ほんたいへの移行いこう

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Cromemco Z-1 (1976)
Cromemco Z-2 (1977)
Cromemco System One (CS-1H) 1981
Cromemco System 400 32-bit Super Microcomputer with XXU (1985)

クロメンコしゃは、1976ねん8がつ同社どうしゃ最初さいしょのコンピュータ・Z-1を発売はつばいした[18]。Z-1は8キロバイトのSRAM搭載とうさいし、IMSAI 8080おな筐体きょうたい使用しようしていたが、IMSAIやAltairが使用しようしたIntel 8080チップではなくZ80使用しようしていた[19]。1977ねん6がつ後継こうけいZ-2発売はつばいした。Z-2は64キロバイトのRAMを搭載とうさい[20]CP/MライクのOSであるCromemco DOS英語えいごばん(CDOS)が実行じっこうできた[21]。Z-2は、RS-232Cシリアルポートにくわえてパラレルインターフェイスを追加ついかし、Z-1ではあったフロントパネルのスイッチをはいした。

クロメンコしゃはシステムをさいパッケージしてSystem Oneを製造せいぞうし、その、より大型おおがたのSystem TwoとSystem Threeを製造せいぞうした。1978ねん発表はっぴょうされた System Threeは、FORTRAN IVとZ80 BASIC両方りょうほう実行じっこうできるようになっていた。System Threeはマルチユーザのプロよう設計せっけいされた[22]。1979ねん、クロメンコしゃはマイクロコンピュータはつUNIXけいOSであるCROMIXをリリースした。CROMIXは当初とうしょSystem Threeじょう動作どうさし、のちMC68000ファミリを使用しようしたCromemcoシステムじょう動作どうさするようになった。

クロメンコしゃのS-100マイクロコンピュータ(Z-80プロセッサ使用しよう
製品せいひんめい 発売はつばいねん S-100
スロットすう
フロッピー
ドライブ
ハード
ドライブ
OS
Z-1 1976ねん 21 n/a n/a
Z-2 1977ねん 21 n/a n/a CP/M
System Zero 1980ねん 4 n/a n/a CP/M, Cromix
System One CS-1 1981ねん 8 5インチ×2 n/a CP/M, Cromemco DOS, Cromix
System One CS-1H 1981ねん 8 5インチ×1 5メガバイト CP/M, Cromemco DOS, Cromix
System Two Z-2D 1978ねん 21 5インチ×2 n/a CP/M, Cromemco DOS, Cromix
System Two Z-2H 1980ねん 12 5インチ×2 11メガバイト CP/M, Cromemco DOS, Cromix
System Three 1978ねん 21 8インチ×4 n/a CP/M, Cromemco DOS, Cromix

1982ねん、クロメンコしゃ自社じしゃシステムにMC68000使用しようしたCPUカードを導入どうにゅうした。これは、MC68000とZ-80(下位かい互換ごかんせいのため)の両方りょうほう搭載とうさいしたデュアルプロセッサカードで、DPUとしょうした[23]。System One、Two、Threeはそれぞれ、100シリーズ、200シリーズ、300シリーズへと進化しんかした。さらに、タワーがたケースの400シリーズが登場とうじょうした。DPUにつづいて、MC68000ファミリのプロセッサをベースにしたXPUカードとXXUカードが登場とうじょうした[24]

クロメンコしゃのS-100 CPUカード
製品せいひんめい 発売はつばいねん マイクロプロセッサ クロックレート パフォーマンス(Whetstone)
ZPU 1976ねん Z-80A 2 MHz/4 MHz(選択せんたく 7,000
DPU 1982ねん Z-80A/MC68000 4 MHz/8 MHz 40,000
XPU 1984ねん Z-80B/MC68010 5 Mz/10 MHz 50,000
XXU 1986ねん MC68020 with MC68881 16.7 MHz 1,050,000

1982ねんに、パーソナルコンピュータ・C-10を発表はっぴょうした。これは、ローエンド市場いちばけのZ-80、フロッピーディスクベースのシステムだった[25][26]。このコンピュータはCDOSで動作どうさし、おもて計算けいさんワードプロセッサBASICなどのいくつかのビジネスソフトウェアツールが付属ふぞくしていた[27]

1983ねんまでにクロメンコしゃは500にん以上いじょう従業じゅうぎょういん雇用こようし、年商ねんしょうは5500まんドルだった[28]同社どうしゃ株式かぶしきは、ガーランドとメレンが完全かんぜん所有しょゆうしていた。1987ねん2人ふたりはダイナテックしゃ株式かぶしき売却ばいきゃくし、カラーグラフィックス・ウェザー・システムズ英語えいごばんいち部門ぶもんとなった[29]。クロメンコしゃ欧州おうしゅう部門ぶもんはクロメンコAGとしてさい編成へんせいされたが、2018ねん清算せいさんされた[30]

工学こうがくにおける貢献こうけん

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クロメンコしゃは、工学こうがくにおける卓越たくえつせい設計せっけいにおける創造そうぞうせい、システムにおける信頼しんらいせいられていた[31]。クロメンコしゃ初期しょき従業じゅうぎょういんであるロジャー・シップルは、「研究けんきゅう開発かいはつ部門ぶもん採用さいようされたひとは、オフィスとコンピュータがあたえられ、なにをしたいかをかれた」と回想かいそうしている[32]。クロメンコしゃが、マイクロコンピュータシステムにおいて世界せかいはじめて開発かいはつしたものには、デジタルカメラ(Cyclops)、カラーグラフィックスカード(Dazzler)、プログラマブルストレージ(Bytesaver)、メモリバンク、UNIXけいOS(Cromix)などがある[15][32][33]

クロメンコしゃは、スタンフォード大学だいがくホームブリュー・コンピュータ・クラブ、さらには自社じしゃ販売はんばい代理だいりてんから、工学こうがく分野ぶんやひいでた人材じんざいていた。会社かいしゃ設立せつりつ社員しゃいんであるジョー・マクレート、カート・テゥィリガー、トム・マッカルモント、ジェリー・メイ、ハーブ・ルイス、マービン・カウシュはみなスタンフォード大学だいがく学生がくせいだった[34][35][36]。エド・ホールとおうさとしは、ホームブリュー・コンピュータ・クラブをつうじてクロメンコしゃ入社にゅうしゃした[37]。Nik Ivancic、Boris Krtolica、エゴン・ザカライセック英語えいごばんは、クロメンコシステムよう構造こうぞう工学こうがくソフトウェアを開発かいはつしていたユーゴスラビア代理だいりてんから入社にゅうしゃした[38]

クロメンコしゃのエンジニアの何人なんにんかは、のちにシリコンバレーで会社かいしゃ設立せつりつした。ロジャー・シップル、ローラ・キング、ロイ・ハリントンはソフトウェア会社かいしゃInformix設立せつりつした[32]。トム・マッカルモントは、REgrid Power Inc.とのちのMcCalmont Engineeringを設立せつりつした[36]。ジェフ・ジョンソンはその、UI Wizards, Inc.を設立せつりつし、ソフトウェアのユーザインターフェイス設計せっけいかんするほん出版しゅっぱんした[39]

著名ちょめい導入どうにゅう事例じれい

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べい空軍くうぐん作戦さくせん行動こうどう支援しえんシステム(MSS)ようCS-250の製造せいぞうライン(1986ねん
シカゴ・マしかごまカンタイル取引所かんたいるとりひきしょにあったCromemco Z-2システムが格納かくのうされたラック(1984ねん

1981ねんべい空軍くうぐんシステム軍団ぐんだん委託いたくけて、せん航空こうくう統制とうせいシステム(TACS, Theater Air Control System)ようのマイクロコンピュータを選定せんていするための研究けんきゅうおこなわれた[40]最終さいしゅう技術ぎじゅつ報告ほうこくしょでは、149だいのマイクロコンピュータのなかから、「クロメンコしゃ提供ていきょうする機器ききが、一般いっぱんてき選択せんたく基準きじゅんもっと適合てきごうしている」と結論けつろんづけた[41]。そのすう年間ねんかんべい空軍くうぐんはクロメンコしゃ主要しゅよう顧客こきゃくとなった[42][43]

クロメンコしゃは、べい空軍くうぐん作戦さくせん行動こうどう支援しえんシステム(MSS, Mission Support System)の要件ようけんたすために、CS-250とばれるCS-200コンピュータの特別とくべつバージョンを開発かいはつした。CS-250には、クロメンコしゃ特許とっきょ取得しゅとくした技術ぎじゅつをベースにした、リムーバブルハードディスクが搭載とうさいされていた[44]べい空軍くうぐんは1985ねんから1996ねんまで、F-15F-16F-111のMSSとして600だいのクロメンコシステムを配備はいびした[45][46]。これらのシステムは、1991ねん湾岸わんがん戦争せんそうの「砂漠さばくあらし作戦さくせん」ではじめて実戦じっせん使用しようされた[47]

クロメンコシステムは、商業しょうぎょう用途ようとにもひろ使用しようされていた。シカゴ・マしかごまカンタイル取引所かんたいるとりひきしょ(CME)では、60だいのCromemco Z-2システムが取引とりひき処理しょり使用しようされていた。CMEのシステムは、かくコンピュータにインターフェイスカードCromemco Octart英語えいごばん搭載とうさいされており、かくカードは取引とりひきフロアの8だい端末たんまつ処理しょりおこなっていた[48]。1982ねんから1992ねんまでの10年間ねんかん、CMEのすべての取引とりひきがこのシステムで処理しょりされた。1992ねん、CMEのクロメンコシステムはIBM PS/2えられた[49]

クロメンコしゃのコンピュータは、中国ちゅうごく最初さいしょひろ配布はいふされたマイクロコンピュータシステムだった[50]。『ニューズウィークは1985ねんに、10,000だい以上いじょうのクロメンココンピュータシステムが中国ちゅうごく大学だいがく販売はんばいされたとほうじた[51]

クロメンコシステムは、カラーグラフィックス・ウェザー・システムズ英語えいごばんしゃ開発かいはつしたソフトウェアを使用しようして天気てんき予報よほう映像えいぞうやアートグラフィックを生成せいせいするために、米国べいこくテレビ局てれびきょくひろ採用さいようされた。1986ねんまでには、米国べいこくテレビ局てれびきょくの80%以上いじょうがクロメンコシステムを使用しようしてニュースや天気てんき予報よほうのグラフィックを制作せいさくしていた[52]

大衆たいしゅう文化ぶんかにおいて

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1984ねん映画えいがゴーストバスターズ』で、Cromemco System Oneがゴーストバスター研究所けんきゅうじょのコンピュータとして登場とうじょうした[53]

ポール・アレンは2011ねん著書ちょしょ"Idea Man: the memoir by cofounder of Microsoft"(邦訳ほうやくだい『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト - アイデア・マンの軌跡きせきゆめ』)のなかで、クロメンコしゃのデジタルカメラ・Cyclopsについて、「Altairは1976ねんすでにデジタルカメラを登場とうじょうさせていた」といている[54]

2011ねんスティーブ・ジョブズへの弔辞ちょうじなかいもうとモナ・シンプソンは、かれ最初さいしょのコンピュータとしてクロメンコの購入こうにゅう検討けんとうしていたことをあきらかにした[55]

2013ねんアンドリュー・ブジャルスキー英語えいごばん映画えいがコンピュータチェス英語えいごばん』に、Cromemco System Threeが登場とうじょうした[56][57]

デボラ・ペリー・ピシオーニ英語えいごばんの2013ねん著書ちょしょで、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストえらばれた"Secrets of Silicon Valley"(邦訳ほうやくだい『シリコンバレー 最強さいきょう仕組しくみ』)では、パーソナルコンピュータ産業さんぎょうしたシリコンバレーの企業きぎょうとして、Appleしゃとともにクロメンコしゃげている[58]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Ketchum, Jr., Bradford W. (December 1981). “The INC. Private 100”. Inc. 3 (12): 35–44. 
  2. ^ a b わき英世ひでよ (2009ねん8がつ11にち). “クロメンコをつくった2人ふたり”. @IT. 2020ねん5がつ24にち閲覧えつらん
  3. ^ “The Cromemco Story”. I/O News 1 (1): 6–11. (September–October 1980). ISSN 0274-9998. https://archive.org/stream/IoNewsVolume1Number1/CromemcoIoNews11Sep-oct1980#page/n5/mode/2up. 
  4. ^ Garland, Harry; Melen, Roger (1971). “Build the Fil-oscillator”. Popular Electronics 34 (5): 58–62. 
  5. ^ Garland, Harry; Melen, Roger (1971). “Add Triggered Sweep to your Scope”. Popular Electronics 35 (1): 65–66. 
  6. ^ Garland, Harry; Melen, Roger (1971). “Build the Muscle Whistler”. Popular Electronics 35 (5): 60–62. 
  7. ^ Garland, Harry; Melen, Roger (1973). “Build a Low-Cost Op Amp Tester”. Popular Electronics Including Electronics World 4 (6): 34–35. 
  8. ^ Solomon, Les. “Solomon's Memory”. atariarchives.org. 2012ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  9. ^ Freiberger, Paul; Swaine, Michael (2000). Fire in the Valley: The Making of the Personal Computer (Second ed.). McGraw-Hill. p. 48. https://archive.org/details/fireinvalleymaki00frei 
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  11. ^ Levy, Steven (1984). Hackers: Heroes of the Computer Revolution. Garden City, NY: Anchor Press/Doubleday. p. 202. ISBN 0-385-19195-2 
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  13. ^ Walker, Terry; Melen, Roger; Garland, Harry; Hall, Ed (1976). “Build the TV Dazzler”. Popular Electronics 9 (2): 31–40. 
  14. ^ Veit, Stan (1993). “Cromemco: Innovation and Reliability”. Stan Veit's History of the Personal Computer. Asheville, North Carolina: WorldComm. p. 107. ISBN 1-56664-023-7. "The D+7A analog interface board was one of the most important peripherals that Cromemco ever made, because it provided a gateway into the word of scientific and industrial computing." 
  15. ^ a b Veit, Stan (1993). “Cromemco: Innovation and Reliability”. Stan Veit's History of the Personal Computer. Asheville, North Carolina: WorldComm. p. 106. ISBN 1-56664-023-7. "Their products were noted for both innovative design and quality construction." 
  16. ^ Freiberger, Paul; Swaine, Michael (2000). Fire in the Valley: The Making of the Personal Computer (Second ed.). McGraw-Hill. p. 66. ISBN 0-07-135892-7. https://archive.org/details/fireinvalleymaki00frei 
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外部がいぶリンク

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