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ゲタリー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Guéthary


行政ぎょうせい
くに フランスの旗 フランス
地域ちいきけん (Région) ヌーヴェル=アキテーヌ地域ちいきけん
けん (département) ピレネー=アトランティックけん
ぐん (arrondissement) バイヨンヌぐん
小郡おごおり (canton) サン=ジャン=ド=リュズ小郡おごおり
INSEEコード 64249
郵便ゆうびん番号ばんごう 64210
市長しちょう任期にんき アルベール・ラルース
2008ねん - 2014ねん
自治体じちたいあいだ連合れんごう (fr) fr:Communauté de communes du sud Pays basque
人口じんこう動態どうたい
人口じんこう 1327にん
2007ねん
人口じんこう密度みつど 948にん/km2
住民じゅうみん呼称こしょう Guéthariar[1]
地理ちり
座標ざひょう 北緯ほくい4325ふん36びょう 西経せいけい136ふん28びょう / 北緯ほくい43.4267 西経せいけい1.60777777 / 43.4267; -1.60777777座標ざひょう: 北緯ほくい4325ふん36びょう 西経せいけい136ふん28びょう / 北緯ほくい43.4267 西経せいけい1.60777777 / 43.4267; -1.60777777
標高ひょうこう 平均へいきん:m
最低さいてい:0 m
最高さいこう:73 m
面積めんせき 1.40km2
Guétharyの位置(フランス内)
Guéthary
Guéthary
公式こうしきサイト Site officiel
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ゲタリーフランス語ふらんすご:Guéthary、バスク:Getaria)は、フランスヌーヴェル=アキテーヌ地域ちいきけんピレネー=アトランティックけんコミューン。かつては捕鯨ほげいみなとであり、捕鯨ほげいすたれたあとはマグロやイワシりょうおこなわれている。

地理ちり[編集へんしゅう]

ゲタリーはコート・バスク中心ちゅうしんで、ビスケーわんめんしている。まちはビアリッツみなみやく7kmに位置いちしている[2]

ゲタリーにはかわがなく、サン=ジャン=ド=リュズとの境界きょうかいをバルダレタがわながれる。

交通こうつう[編集へんしゅう]

由来ゆらい[編集へんしゅう]

1193ねんしるされたバイヨンヌの特許とっきょじょう台帳だいちょうにおいて、Cattarieとしてはじめて登場とうじょうする[3][4]海事かいじ慣習かんしゅうほうにおいてはGattari。1685ねんにはGuattary、1761ねんにはSanctus Nicolaus de Guétary(いずれもバイヨンヌ司教しきょう公文書こうぶんしょ[5])、18世紀せいきのカッシーニ地図ちずにおいてはGuétharyであった。1863ねん編纂へんさんされたベアルン=ペイ・バスク地名ちめい辞典じてんにおいてはGuétary[3]

名称めいしょう形態けいたいは、中世ちゅうせいにコート・バスクにいたガスコーニュじん存在そんざいがあるため、ギプスコア地名ちめいゲタリアおなじであるとはいえない。ガスコーニュのgaytàはラテン語らてんごのcaptareに由来ゆらいし、『観察かんさつする』ことを意味いみする。バスクのgaitari(ガイタ演奏えんそうしゃ)は由来ゆらいからのぞかれる[6] · [7]

ゲタリーもバスク自治じちしゅうのゲタリアも、よく地理ちりてき条件じょうけんち、沿岸えんがん定住ていじゅうとしてのながうみ歴史れきしがある。

中世ちゅうせい、コート・バスクのむらのいくつかはガスコーニュじん開拓かいたくしており、そのうえでバスク同名どうめいのゲタリアがあることになる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

海岸かいがん見下みおろすセマフォールの監視かんししょ

ゲタリーでのひと定住ていじゅう非常ひじょうふるい。1984ねんえきちかくで工事こうじちゅうガルム塩漬しおづぎょようくら遺構いこう発見はっけんされた。すで紀元前きげんぜんから海洋かいよう資源しげん重要じゅうようにしてひとらしていたことが証明しょうめいされた[8]。1988ねんにはラテン語らてんご碑文ひぶんつかっている。

ゲタリーはラブール地方ちほう一部いちぶである。このちいさな漁村ぎょそんをもとにラブール子爵ししゃくは1193ねん農民のうみんあらたに移住いじゅうさせた[9]。ゲタリーはキリスト教きりすときょう教区きょうくになったとみられるが、そのビダール併合へいごうされたため急速きゅうそく教区きょうく地位ちいうしなった[10]。ゲタリーは1633ねんふたた教区きょうくとなった。当時とうじのゲタリーは、しゅとして捕鯨ほげいからの漁業ぎょぎょう収入しゅうにゅうりたっていた。

現在げんざいのセマフォールという場所ばしょは、わんめんした監視かんししょで、おきおよぐクジラや、海賊かいぞく監視かんししていた。ゲタリーの漁師りょうしはクジラをつけると、みなとちいさなボートにって銛でりょうをした。盗賊とうぞく海賊かいぞくおそわれたときは、かれらはオストラピアというふる農場のうじょう(かつてサンティアゴの巡礼じゅんれい中継ちゅうけいだった)へ避難ひなんした。

近接きんせつするコミューンと同様どうように、ゲタリーも戦争せんそう疫病えきびょうくるしめられた。1419ねんと1438ねんカスティーリャ侵攻しんこう、1515ねんにはペスト流行りゅうこうした。1523ねんにはスペインが侵攻しんこうした[11]。1635ねんさんじゅうねん戦争せんそう終結しゅうけつすると、1636ねんにスペインがこの地域ちいき侵攻しんこうした。ゲタリーの住民じゅうみん周辺しゅうへんむらおなじように、住宅じゅうたく作物さくもつのこしたままげた。スペインの占領せんりょうは1ねんしかつづかなかったが、家畜かちく農作物のうさくもつ被害ひがいあたえた[12]。まちは荒廃こうはいと、農業のうぎょう漁業ぎょぎょうとくされる資源しげん減少げんしょうで、状態じょうたい悪化あっかした。

1659ねんルイ14せい宮廷きゅうていぐん教会きょうかい通過つうかした。おうとスペイン王女おうじょマリア・テレサとの結婚けっこんいわうため、のちとおりはエコールどおりとされた。

フランス革命かくめいは、1790ねんにコミューンとなった教区きょうくらしをみだしたりはしなかった。聖職せいしょくしゃラフィットが首長しゅちょうとなった。まちは1793ねん革命かくめいれき採用さいようしている。1793ねんにはスペインとの再度さいど戦争せんそうのため、かつてよりおおくの制限せいげんくわえられた。1813ねんには初代しょだいウェリントン侯爵こうしゃくアーサー・ウェルズリー将軍しょうぐんぐん占領せんりょうしている。ゲタリーは非常ひじょうまずしいまま、壊滅かいめつてき負債ふさいかかえた[13]財務ざいむ改善かいぜんは、1840ねんはじまる観光かんこうぎょう海水浴かいすいよく流行りゅうこうまでたねばならなかった。リゾートとしてのただしい外観がいかん施設しせつ維持いじするため、支出ししゅつけられなかったからである。ボルドーからイルンかう鉄道てつどう路線ろせんが1861ねん開業かいぎょうした。鉄道てつどう交通こうつう急速きゅうそく発展はってんした[14]

自治体じちたいでの生活せいかつ貧困ひんこんのためれていた。おおげられた事業じぎょう資金しきん税金ぜいきんそそまれたからである。

ドイツぐん、そしてスペインぐん占領せんりょう当事とうじしゃたちは、アンダイエにておこなわれるアドルフ・ヒトラーフランシスコ・フランコ協定きょうてい締結ていけつかうため、ゲタリーを通過つうかしている。

人口じんこう統計とうけい[編集へんしゅう]

1962ねん 1968ねん 1975ねん 1982ねん 1990ねん 1999ねん 2006ねん 2007ねん
1036 1034 965 1042 1105 1291 1322 1327

参照さんしょうもと - 1962ねんまで住民じゅうみんすう: base Cassini de l'EHESS[15] 1968ねんよりInsee (2ばいかぞえない人口じんこうで、2006ねんから自治体じちたいのみの人口じんこう[16] · [17]

経済けいざい[編集へんしゅう]

まちの経済けいざい活発かっぱつさは、コート・バスクにめんしているため観光かんこうさかんであるおかげである。ゲタリーの海岸かいがんにはサーフィンてきした場所ばしょおおい。

教育きょういく福祉ふくし[編集へんしゅう]

ゲタリーには小学校しょうがっこうが1こうある[18]

もっとちか公立こうりつ病院びょういんはサン=ジャン=ド=リュズにある。そのほか診療しんりょうしょもサン=ジャンにある。救急きゅうきゅう病院びょういんはバイヨンヌにある。

姉妹しまい都市とし[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Collectif, Guéthary, Ekaina, 1991, 315 pages.
  1. ^ Gentilé sur habitants.fr
  2. ^ Distance orthodromique sur Lion 1906.
  3. ^ a b Paul Raymond, Dictionnaire topographique Béarn-Pays basque
  4. ^ Cartulaire de Bayonne ou Livre d'Or - Manuscrit du XIV siècle - Archives départementales des Pyrénées-Atlantiques
  5. ^ Manuscrits du XVII et du XVIII siècles - Archives départementales des Pyrénées-Atlantiques
  6. ^ Jean-Baptiste Orpustan, Toponymie Basque : noms des pays, communes, hameaux et quartiers historiques de Labourd, Basse-Navarre et Soule, Centre d'études linguistiques et littéraires basques, Presses Universitaires de Bordeaux,‎ , 194 p. (ISBN 2867810957 および 9782867810954)
  7. ^ R. Aymard de la Société Française d'Onomastique, Toponymie Pyrénéenne, Uzos-Pau, 2000.
  8. ^ Jean-Luc Tobie, section Aux origines de Guéthary, page 141.
  9. ^ Hubert Lamant-Duhart, section De l'Ancien Régime à l'Empire, page 153
  10. ^ Victor Dubarat, Urt, ses origines, son développement, in Bulletin S.S.L.A. de Pau, 1927.
  11. ^ page 156.
  12. ^ page 157.
  13. ^ page 160.
  14. ^ Georges Pialloux, section L'époque contemporaine, page 176.
  15. ^ Des villages de Cassini aux communes d'aujourd'hui”. 2010ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  16. ^ Évolution et structure de la population (de 1968 à 2007)”. 2010ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  17. ^ Recensement de la population au 1er janvier 2006”. 2010ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  18. ^ Site de l'école élémentaire