リグーリアの古い貴族の系統で、ヴェンティミリア周辺に座していたデル・ヴァスト家はボニファーチョ(Bonifacio del Vasto)が8歳の時、外祖父トリノ辺境伯オルデリーコ・マンフレーディ2世から封ざれて都市の領主となり、長男のマンフレード(Manfredo I di Saluzzo)に引継がれた。それからデル・ヴァスト家はサルッツォの侯爵となり、本当の領主の様にその爵位が代々継がれていった。
自らの領地の拡張を考えていたマンフレード2世は、サヴォイア軍と戦っていた。サヴォイアは幾度も対立に持って行った弱い侯国に対し、その主人であるといううぬぼれあり、彼が死ぬと未亡人のアラージア・デル・モンフェッラート(Alasia del Monferrato)は年ごとの税金一式を彼らに支払わなければならなかった。
内部確執にたびたび苦しめられたサルッツォはルドヴィーコ1世(Ludovico I di Saluzzo)とルドヴィーコ2世(Ludovico II di Saluzzo)の15世紀は、彼らの治世の下に大きく繁栄した。1世は皇帝とフランス王の不仲の仲裁のようなイタリアの交戦国に対して中立の政治をした。2世は戦場での栄光を求めながら何度も敗北し、侯国の栄光の終焉の始まりを作っていった。