ジョージ・スティグラー

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ジョージ・スティグラー
シカゴ学派がくは
生誕せいたん (1911-01-17) 1911ねん1がつ17にち
ワシントンしゅうシアトル
死没しぼつ

1991ねん12月1にち(1991-12-01)(80さい


イリノイしゅうシカゴ
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
研究けんきゅう機関きかん コロンビア大学ころんびあだいがく
ブラウン大学だいがく
シカゴ大学だいがく
研究けんきゅう分野ぶんや 産業さんぎょう組織そしきろん
母校ぼこう シカゴ大学だいがく(Ph.D.), ワシントン大学だいがく(BA), ノースウェスタン大学だいがく(MBA)
影響えいきょう
けた人物じんぶつ
フランク・ナイト
ジェイコブ・ヴァイナー
ヘンリー・サイモンズ
ミルトン・フリードマン
論敵ろんてき ジョン・メイナード・ケインズ
影響えいきょう
あたえた人物じんぶつ
ジャック・ドレーズ英語えいごばん
トーマス・ソウェル
ケネス・リオン
実績じっせき キャプチャー理論りろん
受賞じゅしょう ノーベル経済けいざいがくしょう (1982)
アメリカ国家こっか科学かがくしょう (1987)
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ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん1982ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル経済けいざいがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆう産業さんぎょう構造こうぞう市場いちば役割やくわり規制きせい原因げんいん影響えいきょうについての独創どくそうてき研究けんきゅうとなえて

ジョージ・ジョセフ・スティグラー(George Joseph Stigler、1911ねん1がつ17にち - 1991ねん12月1にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく経済けいざい学者がくしゃ1982ねんノーベル経済けいざいがくしょう受賞じゅしょうした。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

  • スティグラーは産業さんぎょう組織そしきろん経済けいざいがくおも領域りょういきとして研究けんきゅうおこなっていた。スティグラーは産業さんぎょう組織そしきろんにおいて、20世紀せいき前半ぜんはん主流しゅりゅうであったハーバード学派がくは対抗たいこうして、市場いちば構造こうぞう集中しゅうちゅうたかさがかならずしも市場いちば効率こうりつせいにつながらないことなどをしめした。また従来じゅうらい価格かかく経済けいざいという現象げんしょうにのみ適用てきようされていたしん古典こてん経済けいざいがくゲーリー・ベッカーとともに拡張かくちょうし、あらゆる行動こうどう合理ごうりてき選択せんたくされているというてんしめしたことでも有名ゆうめいである。
  • また本来ほんらい消費しょうひしゃ保護ほごのためであったはずの規制きせいが、いつのにか生産せいさんしゃ保護ほごのための規制きせい転換てんかんしてしまうという現象げんしょう規制きせいとりこ)のメカニズムをあきらかにした。スティグラーはこの見地けんちから、規制きせいよりも市場いちば構造こうぞう重点じゅうてんいた政策せいさく支持しじする主張しゅちょうおこなった。

日本語にほんごやく著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 価格かかく理論りろんうえした)』(有斐閣ゆうひかく, 1963ねん
  • 生産せいさん分配ぶんぱい理論りろん――限界げんかい生産せいさんりょく理論りろん形成けいせい』(東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ, 1967ねん
  • 産業さんぎょう組織そしきろん』(東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ, 1975ねん
  • 効用こうよう理論りろん発展はってん』(日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ, 1979ねん
  • ちいさな政府せいふ経済けいざいがく――規制きせい競争きょうそう』(東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ, 1981ねん
  • 現代げんだい経済けいざいがく回想かいそう――アメリカ・アカデミズムの盛衰せいすい』(日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ, 1990ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]