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チャック・パルンボ

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チャック・パルンボ
チャック・パルンボの画像
プロフィール
リングネーム チャック・パルンボ
チャック
カスタム・チャッキーP
ザ・デュード
ジャングル・ジム
本名ほんみょう チャールズ・ロナルド・パルンボ
ニックネーム 暗黒あんこく伊達だてだん
The Main Event
チャッキー
身長しんちょう 196cm
体重たいじゅう 129kg
誕生たんじょう (1971-06-15) 1971ねん6月15にち(52さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ロードアイランド州の旗 ロードアイランドしゅう
ウエストワーウィック
トレーナー ポール・オーンドーフ
WCWパワープラント
デビュー 1998ねん
引退いんたい 2012ねん
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チャック・パルンボChuck Palumbo1971ねん6月15にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくプロレスラーロードアイランドしゅうウエストワーウィック出身しゅっしんイタリアけいアメリカじん愛称あいしょうは「チャッキー」、または「チャック」。苗字みょうじ正確せいかくには「パランボ」と発音はつおんする(FBI時代じだいイタリアふうにパルンボとアナウンスされていた)。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

WCW[編集へんしゅう]

プロレスデビューは1998ねんザ・デュードでインディー団体だんたい試合しあいをしていた。そのころいちだけWCWマンデー・ナイトロ出場しゅつじょうしている。それから6かげつWCWパワープラントはいり。その抜群ばつぐん身体しんたい能力のうりょくで、わずかな期間きかんのトレーニングでWCWデビューをゆるされたスーパールーキーであった。デビューまでは密林みつりん野生やせいギミックジャングル・ジムとしてテスト試合しあいをしていた。しばらく若手わかて中堅ちゅうけん選手せんしゅ主体しゅたい番組ばんぐみ活躍かつやくしたのち、WCWの生放送なまほうそう番組ばんぐみにもばれるようになり、はやくからレックス・ルガーのライバルに抜擢ばってきされ、「The Main Event」のニックネームをつけられるなど将来しょうらい嘱望しょくぼうされていた。

ショーン・スタージャックとのタッグ(ザ・パーフェクト・イベント)ではWCWタッグ王座おうざに3かがやき、ビンス・ルッソーが仕掛しかけたエリート・ルーキー集団しゅうだんNBTナチュラル・ボーン・スリラーズ)のメンバーとしても活躍かつやくどうメンバーでもあったショーン・オヘアとのタッグでもチャンピオンとして君臨くんりんした。その、パルンボ&オヘアに嫉妬しっとしたスタージャックとマーク・ジンドラック反発はんぱつし、NBTは解散かいさんする。

WCW最後さいごのマンデーナイトロでは、マイク・アッサム&ランス・ストーム(チーム・カナダ)との試合しあい見事みごと勝利しょうりし、WCW最後さいごのタッグ王者おうじゃとなった。

WWF / WWE[編集へんしゅう]

WCWが買収ばいしゅうされ、しん境地きょうちWWFうつす。シェイン・マクマホンがオーナーとなった新生しんせいWCWの所属しょぞくとなり、WCW&ECW連合れんごうぐんアライアンスのメンバーとして活動かつどう。WCW時代じだいからのパートナー、ショーン・オヘアとともにタッグ戦線せんせんなぐみをかけるが、そうあついWWFのなかでは活躍かつやくできず、オヘアが2ぐんきをみずか志願しがんしタッグを解消かいしょうすることになる。WCWタッグベルトもジ・アンダーテイカー&ケインうばわれた。

そのパルンボは、しばらくしてアライアンスを追放ついほうされてWWFぐんはいり、ビリー・ガン弟子でしりすることになる。2人ふたり関係かんけい次第しだいふかまり、師弟してい関係かんけいとおし、おとこ同士どうしでありながらあいうようになってゆく。かみ金髪きんぱつにし、おぞろいのあかいパンツにあか鉢巻はちまきをしたゲイ・ギミックのタッグチームビリー&チャック」がこうして誕生たんじょうした。たがいのうつくしさ(おも筋肉きんにく)をい、ときにはあやしげにからおとこおとこ筋肉きんにくワールドを展開てんかいトリー&ステーシーディーヴァ・コンビとポージング対決たいけつおこなったり、おとこ同士どうし結婚式けっこんしきげたり、バレンタインデーではたがいにチョコをプレゼントしあうなどの路線ろせんすすんでいたが、WWF世界せかいタッグ王座おうざを2わたって奪取だっしゅする活躍かつやくせた。

しかしビリーの長期ちょうき欠場けつじょうによりタッグ解消かいしょう。しばらくシングルプレーヤーとして活動かつどうし、ナンジオジョニー・スタンボリーともに、きゅうECW発祥はっしょうとする“純血じゅんけつイタリアン”小規模しょうきぼマフィアF.B.I.フル・ブラッデッド・イタリアンズ)を結成けっせいする(そのときヒールターン)。3にん絶妙ぜつみょうなチームワークで徐々じょじょ人気にんきて、ベビーフェイス転向てんこうする。

F.B.Iの人気にんきはじめたころ自身じしんRAWへトレードされたことによりF.B.I.をはなれ、またシングルプレーヤーにもどる。途中とちゅうから「カスタム・チャッキーP」のリングネームで活動かつどうするも、あえなく解雇かいこされる。

全日本ぜんにほんプロレス[編集へんしゅう]

WWE解雇かいこ、パルンボは2005ねん2がつ全日本ぜんにほんプロレスの「ジャイアント馬場ばばなな回忌かいき追善ついぜん興行こうぎょう」に参加さんか。その本格ほんかくてき全日ぜんじつシリーズにも参戦さんせんしたがTARU首領しゅりょうつとめるVOODOO-MURDERS一員いちいんとしてだいあばれ。さき参戦さんせんしていたWWE時代じだいのタッグパートナーであったスタンボリーとふたた合体がったいし、いきったタッグプレーをせた。また、入場にゅうじょうテーマきょくはFBI時代じだいおなじである。2005ねんチャンピオン・カーニバルでは武藤むとうたかしやぶ活躍かつやくせた。そのあいだにも、イタリアメキシコ団体だんたい参戦さんせんするなど精力せいりょくてき活動かつどうしていた。

WWE復帰ふっき[編集へんしゅう]

2006ねん3がつ初頭しょとうに、ダーク・マッチロブ・ヴァン・ダム対戦たいせん。その結果けっか、3月12にちWWE正式せいしきさい契約けいやくむすぶ。しかし、そのはダーク・マッチや下部かぶ団体だんたいすうかい試合しあいおこな程度ていどで、1ねん以上いじょうっても本格ほんかく復帰ふっきはしていなかった。クリエイティブからなが期間きかん自宅じたく待機たいき指示しじけていた時期じきもあり、いわゆるごろ状態じょうたいにされていたことになる。

2007ねん4がつまつごろから、毎週まいしゅうのようにダーク・マッチで試合しあいするようになる。そして、5月25にちにWWE前座ぜんざ番組ばんぐみヒートで復帰ふっきさい契約けいやくからじつやく1ねん2かげつというなが期間きかんて、ようやくTVショーに姿すがたせた。以前いぜんよりビルドアップしており、ちょうズボンにリストバンドひじサポーターをくろ統一とういつさせた格好かっこうでバイクにって入場にゅうじょうするなど、アメリカン・バッド・アス時代じだいのジ・アンダーテイカーのようなスタイルに変身へんしん。この復帰ふっきせんではおおくの歓声かんせいけ、チャーリー・ハースをフルスロットル(変形へんけいフェイスバスター)で撃破げきは。7月よりスマックダウン所属しょぞくとして登場とうじょうした。

その表立おもてだったこうそう相手あいてがいない状態じょうたいつづいたが、9月にミシェル・マクールをマネージャーにつけて登場とうじょう2008ねん2がつおこなわれたロイヤルランブルに10番手ばんてとして出場しゅつじょうし、ジェイミー・ノーブルをジャングルキックでリングがいとしたがCMパンク脱落だつらくさせられた。

このころからマクールとのなか微妙びみょうなものとなり、マクールがノーブルに接近せっきんしたことからノーブルとのこうそうはいった。同年どうねん3がつレッスルマニア24のダークマッチとしておこなわれたECW王座おうざへの挑戦ちょうせんけんをかけた24にんバトルロイヤル参戦さんせんするも脱落だつらく挑戦ちょうせんけんられなかった。

6月の追加ついかドラフトではRAWへの移籍いせき決定けっていスマックダウンでのライバルでもあったノーブルもとも追加ついかドラフトで移籍いせきしてきたが、RAWにてこうそう再現さいげんすることはなかった。移籍いせきかずばずの状態じょうたいとなり、こうそう相手あいてができないまま11がつ7にちふたたび(2度目どめ解雇かいこされた。

インディー団体だんたい[編集へんしゅう]

2009ねんよりイングランド拠点きょてん活動かつどう。11月にHEWHerts and Essex Wrestling)に参戦さんせんし、HEWヘビーきゅう王座おうざブレット・メドウズから奪取だっしゅするがにち再戦さいせん敗戦はいせん。わずか二日ふつか王座おうざ防衛ぼうえい失敗しっぱいした。

カスタム・チャッキーP[編集へんしゅう]

RAW前座ぜんざ番組ばんぐみ「HEAT」に登場とうじょうした、ちょう短命たんめいわった自動車じどうしゃ整備せいびギミック。自動車じどうしゃ整備せいびとはいうものの、普段ふだんのパルンボのショートパンツ姿すがたちょうズボンにして、手袋てぶくろのようなものをはめただけの格好かっこうであった。登場とうじょう回数かいすうは2かいだけであった。

2004ねん10月31にち放送ほうそうされたHEATにはつ登場とうじょうするが、この放送ほうそうからわずか3にちの11月3にち解雇かいこされることになる。7にち放送ほうそうされたHEATには、試合しあい解雇かいこまえだったということもあり登場とうじょうしている。

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

フルスロットル
バイカーキャラになってからの必殺ひっさつわざカナディアンバックブリーカー体勢たいせいから、相手あいてはん回転かいてんさせながらみぎサイドにうつせの状態じょうたいたたきつける。
ガン・スティンガー
おなじくバイカーキャラからの必殺ひっさつわざ。ブロックバスターの状態じょうたいからのスクラップバスター。もとはかつての相棒あいぼう、ビリー・ガンの必殺ひっさつわざ
187(ワンエイトセブン)
ブロックバスターで相手あいて真上まうえげてりょうかたでキャッチしてのサモアンドロップ。名前なまえ由来ゆらいカリフォルニアしゅう法律ほうりつ187ごう不法ふほう移民いみん排斥はいせきほう不法ふほう入国にゅうこくしゃたいする医療いりょう教育きょういくなどの最低限さいていげんのサービスの禁止きんし)。
ジャングルキック
いわゆるスーパーキック。スタンボリーが相手あいてげ、その状態じょうたいでパルンボがげる合体がったいわざもある。
トーチャーラック
アルゼンチンバックブリーカー一時期いちじきフィニッシュムーヴとして使用しようしていた。
キス・オブ・デス
F.B.I時代じだいのスタンボリーとの連携れんけい必殺ひっさつわざ全日本ぜんにほんプロレスではシシリアン・スライスばれていた。パルンボのひざ相手あいてをバックブリーカーの体制たいせい固定こていし、スタンボリーがコーナーからギロチンドロップをはな合体がったいわざ。ナンジオをれた3にん合体がったいわざ同名どうめいである。
ショートレンジラリアット
フロント・スープレックス

獲得かくとくタイトル[編集へんしゅう]

WCW

だい55だいだい61だいだい63だい(w / ショーン・スタージャック
だい65だい(w / ショーン・オヘア

WWE

だい122だいだい124だい(w / ビリー

HEW

  • HEWヘビーきゅう王座おうざ : 1かい

PWI

  • 2002ねん最優秀さいゆうしゅうタッグチームしょう(w / ビリー)

入場にゅうじょうテーマ[編集へんしゅう]

  • 「AVALANCHE」(ナチュラル・ボーン・スリラーズ)
  • 「Freestyle Hombre」(パルンボ&オヘア)
  • 「I've got it All」(シングルプレーヤー)
  • 「You Look so Good to me」(ビリー&チャック)
  • 「Tear It Down」(ビリー&チャック)
  • 「Diggin with a Spoon」(シングルプレーヤー)
  • 「F.B.I.」(フル・ブラッデッド・イタリアンズ)
  • 「Depth Charge」(カスタム・チャッキーP)

その[編集へんしゅう]

  • 全日本ぜんにほんプロレスでWWE復帰ふっき直前ちょくぜんには、かお全体ぜんたいしろりにし、まわりはあかく、シルクハットこうむった道化師どうけしのような姿すがた試合しあいをしていた。
  • WWEにせきいてから1ねん以上いじょう出番でばんがなかった。怪我けが離脱りだつした選手せんしゅやレジェンド選手せんしゅ以外いがいでは、こんなに長期間ちょうきかんごろ状態じょうたいにすることは異例いれいである。
  • バイカーギミックをやっているが、プライベートでもだいバイクきとしてられ、かれのカスタムしたバイクは、アメリカで発行はっこうされているバイク雑誌ざっし「American Iron Magazine」の表紙ひょうしかざったこともある。レスラー仲間なかまからも製作せいさく依頼いらいおおく、最近さいきんではバティスタのバイクをオーダーメイドした。またCPカスタムズ(CP Kustoms)というバイクショップを設立せつりつ
  • バンドとしても活動かつどうし、スリー・スポーク・ホイール(3 Spoke Wheel)というユニットのギターを担当たんとうおもにバイカーの集会しゅうかいなどでライブをおこなっている。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]