ピーター・ヒッグス

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ピーター・ヒッグス
ピーター・ウェア・ヒッグス(2013)
生誕せいたん Peter Ware Higgs
(1929-05-29) 1929ねん5月29にち
イギリスの旗 イギリス ニューカッスル・アポン・タイン
死没しぼつ (2024-04-08) 2024ねん4がつ8にち(94さいぼつ
イギリスの旗 イギリス エディンバラ
居住きょじゅう イギリスの旗 イギリス
市民しみんけん イギリスの旗 イギリス
国籍こくせき イギリスの旗 イギリス
研究けんきゅう分野ぶんや 物理ぶつりがく
理論りろん物理ぶつりがく
天体てんたい物理ぶつりがく
宇宙うちゅうろん
研究けんきゅう機関きかん エディンバラ大学だいがく
出身しゅっしんこう キングス・カレッジ・ロンドン
博士はかせ課程かてい
指導しどう教員きょういん
チャールズ・カールソン
おも業績ぎょうせき ヒッグス粒子りゅうし
おも受賞じゅしょうれき 受賞じゅしょうれきふし参照さんしょう
プロジェクト:人物じんぶつでん
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ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん2013ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル物理ぶつりがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆう質量しつりょう起源きげん理解りかいにつながる機構きこう発見はっけん

ピーター・ウェア・ヒッグスPeter Ware Higgs, 1929ねん5月29にち - 2024ねん4がつ8にち)は、イギリス理論りろん物理ぶつり学者がくしゃエディンバラ大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅ2013ねんノーベル物理ぶつりがくしょう受賞じゅしょう[1]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

ニューカッスル地方ちほうエルズウィックまれ。ちちイングランド出身しゅっしん音響おんきょう技術ぎじゅつしゃBBC勤務きんむははスコットランド出身しゅっしん幼少ようしょう小児しょうに喘息ぜんそくだい世界せかい大戦たいせん影響えいきょう小学校しょうがっこうかよえず、はは家庭かてい教師きょうし在宅ざいたく学習がくしゅうおこなった。そのブリストルのコヘン・グラマースクールへ進学しんがくし、同校どうこう卒業生そつぎょうせいであるポール・ディラック業績ぎょうせき影響えいきょうける。シティー・オブ・ロンドンスクールに1年間ねんかん在籍ざいせきしたのちキングス・カレッジ・ロンドン進学しんがくし1950ねん理学りがくだい1とう物理ぶつりがく専攻せんこう)、1951ねん理学りがく修士しゅうし、1954ねんPh.D.取得しゅとくした(指導しどう教授きょうじゅはチャールズ・クールソン教授きょうじゅ)。

1955ねんから1956ねんまでエディンバラ大学だいがく上席じょうせき研究けんきゅうフェロー、1956ねんから1957ねんまでユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン研究けんきゅうフェロー、1957ねんから1958ねんまでインペリアル・カレッジ・ロンドン研究けんきゅうフェロー、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンすう学科がっか講師こうし(1959ねん - 1960ねん)、1960ねんにエディンバラ大学だいがくテイト研究所けんきゅうじょ数理すうり物理ぶつりがく講座こうざ講師こうし就任しゅうにん。1970ねんにエディンバラ大学だいがく上席じょうせき講師こうし、1974ねんにエディンバラ王立おうりつ協会きょうかい会員かいいん、1980ねんにエディンバラ大学だいがく理論りろん物理ぶつりがく講座こうざ教授きょうじゅ就任しゅうにん。1983ねん王立おうりつ協会きょうかい会員かいいん、1991ねん英国えいこく物理ぶつり学会がっかいフェローに就任しゅうにん。1996ねんにエディンバラ大学だいがく定年ていねん退職たいしょく名誉めいよ教授きょうじゅ称号しょうごうる。1998ねんキングス・カレッジ・ロンドンフェロー、1999ねん英国えいこく物理ぶつり学会がっかい名誉めいよフェロー、2013ねん王立おうりつスコットランド学士がくしいんフェローに就任しゅうにん

2024ねん4がつ8にちエディンバラ自宅じたく死去しきょ[2]。94さいぼつ[3]

業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

1964ねん素粒子そりゅうしの「質量しつりょう起源きげん」を説明せつめいするでんじゃく理論りろんにおける対称たいしょうせいやぶ南部なんぶ陽一郎よういちろう対称たいしょうせい自発じはつてきやぶれが原型げんけい)の理論りろん提出ていしゅつした。この仮説かせつ裏付うらづけるヒッグス粒子りゅうし発見はっけん素粒子そりゅうし物理ぶつりがくおおきな課題かだいとなっており、スイスの大型おおがたハドロン衝突しょうとつがた加速器かそくきもちいて陽子ようし同士どうし衝突しょうとつさせ、ヒッグス粒子りゅうし検出けんしゅつする計画けいかくすすめられてきた。

2012ねん7がつ4にちCERNがヒッグス粒子りゅうしではないかとられる物質ぶっしつ発見はっけんしたことを発表はっぴょうするにいたっている[4]。CERNの発表はっぴょう会場かいじょうにはヒッグスも同席どうせきし「きているあいだにヒッグス粒子りゅうし発見はっけんされたことはうれしい」とコメントしている。

おも受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ “2013ねんノーベル物理ぶつりがくしょうにアングレール、ヒッグス. ニュース KEK. (2013ねん10がつ8にち). https://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Release/20131009100000/ 2020ねん2がつ27にち閲覧えつらん 
  2. ^ えい物理ぶつり学者がくしゃP・ヒッグス死去しきょ、「ヒッグス粒子りゅうし存在そんざい予言よげん 94さい”. Reuters (2024ねん4がつ10日とおか). 2024ねん4がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ Carrell, Severin; Sample, Ian (2024ねん4がつ9にち). “Peter Higgs, physicist who proposed Higgs boson, dies aged 94” (英語えいご). The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/science/2024/apr/09/peter-higgs-physicist-who-discovered-higgs-boson-dies-aged-94 2024ねん4がつ9にち閲覧えつらん 
  4. ^ ロイター「ヒッグス粒子りゅうし提唱ていしょう学者がくしゃ放心ほうしん状態じょうたい」、CERNとは皮肉ひにく過去かこも」

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