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フィンガー5のだい冒険ぼうけん

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フィンガー5のだい冒険ぼうけん
Adventurs of The Finger Five
監督かんとく 石森いしもり章太郎しょうたろう
脚本きゃくほん 飯島いいじまたかし
製作せいさく 相原あいはら芳男よしお小沢おざわ啓一郎けいいちろう
出演しゅつえんしゃ フィンガー5
主題歌しゅだいかこいのダイヤル6700」(フィンガー5)
撮影さつえい 篠原しのはら征夫いくお
製作せいさく会社かいしゃ 東映とうえいテレビ・プロダクション
配給はいきゅう 東映とうえい
公開こうかい 日本の旗 1974ねん7がつ25にち
上映じょうえい時間じかん 28ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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フィンガー5のだい冒険ぼうけん』(フィンガーファイブのだいぼうけん、英文えいぶん表記ひょうき: Adventurs of The Finger Five)は、1974ねん7がつ25にち東映とうえいけい公開こうかいの「東映とうえいまんがまつりない上映じょうえいされたアイドル短編たんぺん映画えいがである。カラー、シネマスコープ、28ふん映倫えいりん番号ばんごう:23759。

東映とうえいまんがまつり」でアイドル映画えいが上映じょうえいされるのは、これがはじめてであった。このため、このときの「東映とうえいまんがまつり」の正式せいしきタイトルは、「フィンガー5とあそぼう! 東映とうえいまんがまつり」と、史上しじょう唯一ゆいいつ歌手かしゅめいはいったタイトルになった。

概要がいよう

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人気にんきアイドル・フィンガー5主人公しゅじんこうにした、ファンタジーとスポーツを融合ゆうごうさせた作品さくひん。これにフィンガー5のヒットきょくせておくる。フィンガー5はこれ以前いぜんにも、1974ねん3月21にち公開こうかいの「東宝とうほうチャンピオンまつりないで『ハロー!フィンガー5』という短編たんぺんドキュメンタリー映画えいが制作せいさく上映じょうえいしており、1ねんで2だい子供こどもけピクチャーに出演しゅつえんすることとなり、またほんさく公開こうかい1週間しゅうかんきょう同年どうねん8がつ3にちには、松竹しょうちくザ・ドリフターズ主演しゅえん映画えいがちょう能力のうりょくだよ全員ぜんいん集合しゅうごう!!』にもゲスト出演しゅつえん。3しゃわたって出演しゅつえんするというれっだった。

制作せいさく東映とうえいテレビ・プロダクション担当たんとうし、テレビ特撮とくさつふう非常ひじょうにスピーディーな展開てんかいとなっている。また、監督かんとく漫画まんが石ノ森いしのもり章太郎しょうたろう当時とうじ石森いしもり)だったえんで、仮面かめんライダーV3登場とうじょうしたり、石ノ森いしのもり一家かずやカメオ出演しゅつえんし、そのうちの一人ひとりが『イナズマン』の少年しょうねん同盟どうめい隊員たいいんふくるというおあそ要素ようそもある。

ストーリー

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あきらみょうび、紅白こうはくはなせる。よろこ2人ふたり。するとしろはなから美少女びしょうじょあらわれた。彼女かのじょはなせいだという。そのかえ2人ふたりまえに、「ぜんガキれん」という不良ふりょう5兄弟きょうだいあらわれ、「おまえたちくらべられて不満ふまんだ」とおどす。険悪けんあく雰囲気ふんいきとなるが、はなせいりなしでバスケットボール決着けっちゃくけることとなった。しかしフィンガー5は多忙たぼうさらにバスケットはまったくのスカだ。しかしはなせい変身へんしんした女学生じょがくせいにコーチをけ、なんとか出来できようとなった。

そして試合しあい当日とうじつ試合しあいぜんガキれん猛攻もうこうで、フィンガー5はされっぱなし。たまりかねたはなせいいのりをささげた。するとフィンガー5にちょう能力のうりょくまれ、次々つぎつぎもう反撃はんげき、そしてフィンガー5のだい逆転ぎゃくてん勝利しょうりとなった。ぜんガキれん改心かいしんして謝罪しゃざい、そしてフィンガー5とぜんガキれん、そしてレフリーやくきしともに、あらたにアメリカンフットボールチームを結成けっせいすることになった。

出演しゅつえんしゃ

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挿入歌そうにゅうか

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スタッフ

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制作せいさく

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ほん作品さくひん東映とうえいまんがまつりの目玉めだまとして東映とうえい社長しゃちょう岡田おかだしげるにより発案はつあんされた[2]当初とうしょ東映とうえい東京とうきょう撮影さつえいしょ制作せいさくされる予定よていであったが、当時とうじ人気にんき絶頂ぜっちょうであったフィンガー5のスケジュールを確保かくほすることがむずかしいため東京とうきょう撮影さつえいしょがわ撮影さつえい不能ふのう判断はんだんし、東映とうえいテレビ渡邊わたなべあきらとくもうによりテレビけ、じつ制作せいさく東映とうえい生田いくたスタジオ担当たんとうした[2]

東映とうえい生田いくたスタジオ所長しょちょう内田うちだ有作ゆうさくは、困難こんなん状況じょうきょうからなみ監督かんとくでは尻込しりごみするだろうとかんがえ、『仮面かめんライダー』などで監督かんとく経験けいけんもあった石森いしもり打診だしんされた[2]

撮影さつえいはフィンガー5の地方ちほう公演こうえん合間あいまって3にちはんおこなわれた[2]

同時どうじ上映じょうえい

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▲マークは劇場げきじょうよう新作しんさく無印むじるしはTVブローアップばん

映像えいぞうソフト

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2011ねん10がつ21にち発売はつばいの「復刻ふっこく! 東映とうえいまんがまつり 1974ねんなつ」においてはつDVDされた。

テレビ放送ほうそう

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東映とうえいチャンネルにて2006ねん12月4にち放送ほうそう以降いこうも「東映とうえいまんがまつり」特集とくしゅうさい放送ほうそうあり。

ネット配信はいしん

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YouTube東映とうえいシアターオンライン」2023ねん5月企画きかく「1970年代ねんだいムーブメント特集とくしゅう」として、2023ねん4がつ29にち12:00(JST)から同年どうねん5月7にち23:59(JST)まで無料むりょう配信はいしんおこなわれた[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 本編ほんぺんクレジットでは監督かんとく石森いしもり章太郎しょうたろうした小文字こもじ表記ひょうき
  2. ^ a b c d OFM仮面かめんライダー11 2004, pp. 28–29, 和智わち正喜まさよし特集とくしゅう 原作げんさくしゃ石ノ森いしのもり章太郎しょうたろう だい自然しぜん使者ししゃにこめられたねがい」
  3. ^ toei_theaterのツイート(1652145903783010304)

参考さんこう文献ぶんけん

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  • キネマ旬報きねまじゅんぽう[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう]
  • 『KODANSHA Official File Magazine 仮面かめんライダー』 Vol.11《結集けっしゅう!ライダーパワー!!》、講談社こうだんしゃ、2004ねん12がつ10日とおかISBN 4-06-367096-1 

外部がいぶリンク

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関連かんれん項目こうもく

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