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マーシャル・ニーレンバーグ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Marshall Nirenberg
マーシャル・ニーレンバーグ
マーシャル・ニーレンバーグ(2003)
生誕せいたん 1927ねん4がつ10日とおか (1927-04-10)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ニューヨーク
死没しぼつ 2010ねん1がつ15にち(2010-01-15)(82さいぼつ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ニューヨーク
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
研究けんきゅう機関きかん アメリカ国立こくりつ衛生えいせい研究所けんきゅうじょ
出身しゅっしんこう フロリダ大学だいがく
ミシガン大学だいがく
おも受賞じゅしょうれき ガードナー国際こくさいしょう(1967)
アルバート・ラスカー基礎きそ医学いがく研究けんきゅうしょう(1968)
ルイザ・グロス・ホロウィッツしょう(1968)
ノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう(1968)
プロジェクト:人物じんぶつでん
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ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん1968ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆう遺伝いでん情報じょうほう解読かいどくとそのタンパク質たんぱくしつ合成ごうせいへの役割やくわり解明かいめい

マーシャル・ウォーレン・ニーレンバーグ(Marshall Warren Nirenberg、1927ねん4がつ10日とおか -2010ねん1がつ15にち )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく生化学せいかがくもの遺伝いでんがくもので、遺伝いでん暗号あんごう翻訳ほんやくタンパク質たんぱくしつ合成ごうせい研究けんきゅうで、ロバート・W・ホリーハー・ゴビンド・コラナとともに1968年度ねんどノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう受賞じゅしょうした。

研究けんきゅう

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1959ねんまでに、オズワルド・アベリーフランシス・クリックジェームズ・ワトソンらの研究けんきゅうによって、遺伝いでん情報じょうほう保持ほじする分子ぶんしDNAであることがあきらかとなっていた。しかし、DNAがどのように複製ふくせいし、DNAの情報じょうほうがどのようにタンパク質たんぱくしつつたわり、またその過程かていRNAがどのような役割やくわりたすのかはかっていなかった。ニーレンバーグはアメリカ国立こくりつ衛生えいせい研究所けんきゅうじょのハインリッヒ・マッシーとともにこの問題もんだいこたえようとした。かれらは、ウラシルのみで構成こうせいされたRNAをつくり、このRNAを、DNA、RNA、リボソームほかタンパク質たんぱくしつ合成ごうせい必要ひつよう細胞さいぼう装置そうちふくんだ大腸菌だいちょうきん抽出ちゅうしゅつえきくわえ、さらに余分よぶんなDNAを分解ぶんかいするDNA分解ぶんかい酵素こうそと5%の放射ほうしゃ標識ひょうしきアミノ酸あみのさん、95%の通常つうじょうアミノ酸あみのさんくわえた。すると、放射ほうしゃ標識ひょうしきされたフェニルアラニンふく抽出ちゅうしゅつえきで、られたタンパク質たんぱくしつ放射ほうしゃ標識ひょうしきられた。この実験じっけんによって、遺伝いでん暗号あんごうUUUはフェニルアラニンを意味いみすることがあきらかとなった。これはコドン解読かいどく第一歩だいいっぽであり、伝令でんれいRNA役割やくわりはじめてしめした実験じっけんである。

ニーレンバーグはこの実験じっけんおおきな注目ちゅうもくあつめた。すうねんかれらは同様どうよう実験じっけんおこない、アデニンだけからなるAAAはリシンシトシンだけからなるCCCはプロリングアニンだけからなるGGGはなにもコードしないことをあきらかにした。つぎのブレイクスルーは、ニーレンバーグの研究けんきゅうしつ大学院生だいがくいんせいであるフィリップ・リーダーがもたらした。かれ運搬うんぱんRNA配列はいれつ決定けっていする方法ほうほう考案こうあんしたのである。この方法ほうほうによりコドンの解読かいどく一気いっきすすみ、50のコドンの解読かいどく終了しゅうりょうした。コラナの実験じっけんによりこれらの結果けっか検証けんしょうされ、遺伝いでん暗号あんごう完全かんぜんあきらかとなった。

ニーレンバーグはのち神経しんけい科学かがくホメオボックス遺伝子いでんし研究けんきゅうおこなった。

伝記でんき

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ニーレンバーグは、ハリーとミネルバのとしてニューヨークまれた。かれ子供こどもころリウマチわずらったため、一家いっか亜熱帯あねったいせい気候きこうフロリダしゅうオーランドした。かれ生物せいぶつがく興味きょうみち、フロリダ大学だいがく動物どうぶつがく専攻せんこうし、1948ねん学士がくしごう、1952ねん修士しゅうしごう取得しゅとくした。かれ修士しゅうし時代じだいにはトビケラ生態せいたいがく毒性どくせいについて研究けんきゅうした。そして1957ねんミシガン大学だいがく生化学せいかがく博士はかせごう取得しゅとくした。

かれはアメリカがん学会がっかいのフェローとして1957ねんにアメリカ国立こくりつ衛生えいせい研究所けんきゅうじょ研究けんきゅうはじめ、1960ねんにアメリカ国立こくりつ衛生えいせい研究所けんきゅうじょ所属しょぞく生化学せいかがくしゃとなった。1959ねんよりDNAからRNA、タンパク質たんぱくしついたセントラルドグマ研究けんきゅうはじめた。ニーレンバーグの画期的かっきてき研究けんきゅうみとめられ、かれは1962ねん生化学せいかがく遺伝いでんがく部門ぶもん責任せきにんしゃとなった。1961ねんにはブラジルリオデジャネイロ出身しゅっしん化学かがくしゃであるペロラ・ザルツマンと結婚けっこんした。彼女かのじょは、2001ねん他界たかいした。2005ねんコロンビア大学ころんびあだいがく医科いか大学院だいがくいん教授きょうじゅ疫学えきがく)のMyrna M. Weissmanと再婚さいこんした。

1964ねんリンドン・ジョンソン大統領だいとうりょうより国家こっか栄誉えいよしょう授与じゅよされた。2001ねんにはアメリカ哲学てつがくかい会員かいいんえらばれた。

受賞じゅしょうれき

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出典しゅってん

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  • Nobel Biography
  • Marshall Nirenberg Papers (1937–2003) – National Library of Medicine finding aid
  • The Marshall Nirenberg Papers – Profiles in Science, National Library of Medicine
  • Free to View Video Interview with Marshall W. Nirenberg provided by the Vega Science Trust.
  • The Life and Scientific Work of Marshall W. Nirenberg. (From Richard Olson & Roger Smith (eds.) The Biographical Encyclopedia of Scientists. 1998.)
  • The Official Site of Louisa Gross Horwitz Prize
  • Ed Regis (November 2007), “The Forgotten Code Cracker” (print), Scientific American (Scientific American, Inc.) 297 (5): 50–51, Bibcode2007SciAm.297e..50R, doi:10.1038/scientificamerican1107-50, PMID 17990823, "(subtitle) In the 1960s Marshall W. Nirenberg deciphered the genetic code, the combination of A, T, G and C nucleotides that specify amino acids. So why do people think that Francis Crick did it?" 

関連かんれん項目こうもく

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