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ムンフバット・ウランツェツェグ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得かくとくメダル

ムンフバット・ウランツェツェグ
モンゴルの旗 モンゴル
柔道じゅうどう
オリンピック
どう 2020 東京とうきょう 48kgきゅう
世界せかい柔道じゅうどう選手権せんしゅけん大会たいかい
きむ 2013 リオデジャネイロ 48kgきゅう
ぎん 2017 ブダペスト 48kgきゅう
どう 2019 東京とうきょう 48kgきゅう
どう 2021 ブダペスト 48kgきゅう
ワールドマスターズ
きむ 2015 ラバト 48kgきゅう
どう 2017 サンクトペテルブルク 48kgきゅう
どう 2021 ドーハ 48kgきゅう
グランドスラム
きむ 2014 バクー 48kgきゅう
きむ 2015 パリ 48kgきゅう
きむ 2016 東京とうきょう 48kgきゅう
きむ 2018 アブダビ 48kgきゅう
ぎん 2014 パリ 48kgきゅう
ぎん 2013 東京とうきょう 48kgきゅう
ぎん 2017 パリ 48kgきゅう
ぎん 2017 東京とうきょう 48kgきゅう
ぎん 2018 大阪おおさか 48㎏きゅう
どう 2012 パリ 48kgきゅう
どう 2013 パリ 48kgきゅう
アジア大会たいかい
きむ 2014 仁川にがわ 48kgきゅう
どう 2018 ジャカルタ 48kgきゅう
アジア柔道じゅうどう選手権せんしゅけん
きむ 2012 タシュケント 48kgきゅう

ムンフバッティーン・ウランツェツェグモンゴル: Мөнхбатын Уранцэцэг/Munkhbat-yin Urantsetseg 1990ねん3月14にち- )は、モンゴル出身しゅっしん柔道じゅうどう選手せんしゅ階級かいきゅうは48kgきゅう身長しんちょう160cm。得意とくいわざ背負投せおいなげ寝技ねわざ(とりわけうでくじけじゅうかたハイジンハ・ロール)[1][2]。2だん[3]

モンゴルじん名字みょうじ(家族かぞくめい,family name)はなく、「ムンフバッティーン・ウランツェツェグ」は「ムンフバトの(むすめ)ウランツェツェグ」の(→モンゴルじん名前なまえ)。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

父親ちちおやモンゴル相撲すもう選手せんしゅだった影響えいきょうもあり、柔道じゅうどうは15さいときはじめた[3][4]。 2009ねんユニバーシアードでは決勝けっしょう日本にっぽん浅見せんけんはち瑠奈るなそでつりこみこしやぶれるが2となった。世界せかい選手権せんしゅけんでは2回戦かいせん韓国かんこくていさだ指導しどう2でやぶれた。2010ねん世界せかい選手権せんしゅけんでは初戦しょせん日本にっぽん福見ふくみ友子ゆうこ袈裟けさかたやぶれた。その直後ちょくごワールドカップ・タシュケントでは国際こくさい大会たいかいはつ優勝ゆうしょうかざった。2011ねん世界せかい選手権せんしゅけんでは初戦しょせんでルーマニアのアリナ・ドゥミトルGSはいってから総合そうごうけをきっした。2012ねん2がつグランドスラム・パリでは福見ふくみたて四方しほうかたやぶれたが3となった。4月のアジア選手権せんしゅけんでは準決勝じゅんけっしょう日本にっぽん伊部いべ尚子しょうこ有効ゆうこうやぶるなどして優勝ゆうしょうかざった。7月のロンドンオリンピックでは準々じゅんじゅん決勝けっしょうでドゥミトルにわざありでやぶれると、敗者はいしゃ復活ふっかつせんでもアルゼンチンのパウラ・パレト指導しどう2でやぶれて7にとどまった[1]。パレトせんでは試合しあい最中さいちゅうに、相手あいてがウランツェツェグの柔道じゅうどうころもとそのした着用ちゃくようしていたTてぃーシャツつかんではなさなかったために、右側みぎがわ乳房ちぶささらされてしまうハプニングもこった[5]。2013ねん2がつグランドスラム・パリでは準決勝じゅんけっしょう浅見せんけん指導しどう2でやぶれるが、3決定けっていせんではロンドンオリンピックきんメダリストであるブラジルのサラ・メネゼスうでくじけじゅうかた一本いっぽんちした。つづヨーロッパオープン・オーバーヴァルトでは52kgきゅう優勝ゆうしょうかざったように、普段ふだん国際こくさい大会たいかいでは度々どど52kgきゅうにも出場しゅつじょうしている[6]。8月にリオデジャネイロ開催かいさいされた世界せかい選手権せんしゅけんでは準決勝じゅんけっしょう地元じもとのメネゼスをうでやぶると、決勝けっしょうでも浅見せんけんうでくじけじゅうかたやぶり、モンゴル女子じょしとしては史上しじょうはつ世界せかいチャンピオンとなった[7]。2014ねん8がつ世界せかい選手権せんしゅけんでは3回戦かいせん日本にっぽん近藤こんどう亜美あみ有効ゆうこうやぶれて2連覇れんぱはならなかった[8]。9月のアジア大会たいかいでは決勝けっしょう日本にっぽん山岸やまぎし絵美えみわざありでやぶって優勝ゆうしょうした[9]。2015ねんワールドマスターズでは決勝けっしょうでパレトをわざありでやぶって優勝ゆうしょうした[10]世界せかい選手権せんしゅけんでは3回戦かいせん浅見せんけん指導しどう2でやぶれて、メダルを獲得かくとくできずにわった[11]。2016ねんリオデジャネイロオリンピックでは準々じゅんじゅん決勝けっしょう韓国かんこくていひろし足取あしどりによる反則はんそくけをきっするが、敗者はいしゃ復活ふっかつせんでは地元じもとのメネゼスをうでくじけじゅうかたやぶった。しかし、3決定けっていせんでは近藤こんどう対戦たいせんすると終了しゅうりょう間際まぎわ有効ゆうこうられて5わり、メダルを獲得かくとくできなかった[2]。2017ねん7がつグランプリ・フフホトには52kgきゅう出場しゅつじょうするが、準決勝じゅんけっしょうでカナダのエカテリーナ・グイカに三角さんかくしぼからのくずしじょう四方しほうかたやぶれて3だった。得意とくい寝技ねわざけたのは2013ねんワールドコンバットゲームズ団体だんたいせん五味ごみ奈津なつよこ四方しほうかたやぶれて以来いらいとなった[12]。8月の世界せかい選手権せんしゅけんではモンゴルの大統領だいとうりょうであるハルトマーギーン・バトトルガ会場かいじょう観戦かんせんするなか準決勝じゅんけっしょう近藤こんどうにGSにはいってから反則はんそくちしたが、決勝けっしょうでは日本にっぽん渡名喜となきふうみなみわざありでやぶれて2だった[13]。12月のグランドスラム・東京とうきょうでは決勝けっしょう近藤こんどう対戦たいせんすると、GSにはいってからくずしじょう四方しほうかたやぶれて2だった[14]。なお、世界せかいランキングでは4ねんつづけて年間ねんかん1となった[15]。2018ねんアジア大会たいかいでは準決勝じゅんけっしょうていわざありでやぶれて3にとどまり、こん大会たいかい2連覇れんぱはならなかった[16]世界せかい選手権せんしゅけんでは準決勝じゅんけっしょう渡名喜となき対戦たいせんすると、そでつりこみこしわざありを先取せんしゅするも終盤しゅうばん偽装ぎそう攻撃こうげき逆転ぎゃくてん反則はんそくけをきっした。3決定けっていせんでもモンゴルからカザフスタンに帰化きかしたもと同僚どうりょうオトゴンツェツェグ・ガルバドラフ反則はんそくけして5わった[17]グランドスラム・大阪おおさかでは決勝けっしょう渡名喜となきよこ四方しほうかたやぶれて2だった[18]。12月のワールドマスターズでは準決勝じゅんけっしょう近藤こんどううでくじけじゅうかたやぶれるなどして5わった[19]。2019ねん2がつグランドスラム・パリには52㎏きゅう出場しゅつじょうするも、準決勝じゅんけっしょうこころざしあい大内おおうちかりやぶれるなどして5わった[2]。3月のグランプリ・トビリシでは48㎏きゅうもどして出場しゅつじょうするも、準決勝じゅんけっしょうでフランスのメラニー・クレマン反則はんそくけして3だった[2]。8月に東京とうきょう開催かいさいされた世界せかい選手権せんしゅけんでは準決勝じゅんけっしょう世界せかいチャンピオンであるウクライナのダリア・ビロディドくずしじょう四方しほうかたやぶれて3だった[20]。2021ねん1がつワールドマスターズでは準々じゅんじゅん決勝けっしょうでビロディドにやぶれて3だった[21]。2021ねんワールドマスターズではビロディドにやぶれて3だったが、グランドスラム・タシケントでは決勝けっしょう角田つのだ夏実なつみたにやぶって優勝ゆうしょうした[22]世界せかい選手権せんしゅけんでは準々じゅんじゅん決勝けっしょう古賀こが若菜わかなだいそとかりやぶれるも、そのの3決定けっていせんでコソボのディストリア・クラスニキ反則はんそくちして3になった[23]。7月に日本武道館にほんぶどうかん開催かいさいされた東京とうきょうオリンピックでは準決勝じゅんけっしょうでクラスニキにわざありでやぶれるも、3決定けっていせんでポルトガルのカタリナ・コスタをうでくじけじゅうかたやぶってどうメダルを獲得かくとくした[24]。その引退いんたい表明ひょうめいすると、2022ねんからは総合そうごう格闘技かくとうぎ転身てんしんすることになった[25]

なお、2007ねんにはクラッシュ世界せかい選手権せんしゅけん48kgきゅう、2010ねんと2014ねんにはサンボ世界せかい選手権せんしゅけん48kgきゅうでもそれぞれ優勝ゆうしょうしている[26][27][28]

おも戦績せんせき[編集へんしゅう]

(出典しゅってん[2]JudoInside.com)。 

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Munkhbat Urantsetseg Biography and Olympic Results[リンク]Archived 2016ねん12月3にち, at the Wayback Machine.
  2. ^ a b c d e profile
  3. ^ a b Munkhbat MUNKHBAT Urantsetseg's multimedia info and results Archived 2014ねん4がつ5にち, at the Wayback Machine.
  4. ^ Munkhbat Uransetseg: Mongolia's reigning world champion
  5. ^ Urantsetseg Munkhbat Nipple Slip At The 2012 London Summer Olympics”. 2014ねん3がつ21にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  6. ^ Asia dominates but Filzmoser captures Austrian hearts again
  7. ^ World Championships, Rio 2013 DAY 1
  8. ^ Championships, Chelyabinsk 2014”. 2014ねん9がつ7にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2014ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  9. ^ Games 2014”. 2014ねん10がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2014ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  10. ^ Judo World Masters Mohammed VI, Rabat 2015, Morocco
  11. ^ Championships 2015, Astana - DAY 1”. 2015ねん9がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  12. ^ Hohhot Grand Prix 2017, China - DAY ONE
  13. ^ Suzuki World Judo Championships 2017
  14. ^ Tokyo Grand Slam 2017, Japan – DAY ONE
  15. ^ Mongolian Munkhbat Urantsetseg is the most stable judoka U48kg
  16. ^ 18th Asian Games 2018
  17. ^ World Judo Championships 2018
  18. ^ Grand-Slam Osaka 2018
  19. ^ World Masters Guangzhou 2018
  20. ^ World Judo Championships 2019
  21. ^ Doha Masters 2021
  22. ^ Grand-Slam Tashkent 2021
  23. ^ World Judo Championships Hungary 2021
  24. ^ Olympic Games Tokyo 2020
  25. ^ Mongolian judo lightweight Urantsetseg Munkhbat retires and continues in MMA
  26. ^ List of all world senior champions in Kurash
  27. ^ Competitions Results
  28. ^ Победители и призеры первого дня Чемпионата мира по самбо 2014

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]