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ラーオぞく

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ラーオぞく
ລາວ
そう人口じんこう
380まんにん(イーサーンじんのぞく)
居住きょじゅう地域ちいき
ラオスの旗 ラオス360まんにん
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく232,130にん
フランスの旗 フランス120,000にん
カンボジアの旗 カンボジア55,000にん
カナダの旗 カナダ22,090にん
ミャンマーの旗 ミャンマー21,000にん
タイ王国の旗 タイ20,000にん
 ベトナム14,928にん (2009ねん)
言語げんご
ラーオ

ラーオぞく(ラーオぞく)は、ラーオ(ラオス)を母語ぼごとするもの広義こうぎにはラオスおよびタイ東北とうほくイーサーン)にタイぞく一派いっぱである。ラオスにおいてはやく240まんにん居住きょじゅうして過半数かはんすうめ、タイにおいてはそれをおおきく上回うわまわ人口じんこうのラーオぞくんでいる。なお、ラオスの国名こくめい(サーターラナラット・パサーティパタイ・パサーソン・ラーオ)に反映はんえいされている「ラーオ」のかたり民族みんぞくふくむ「ラオス国籍こくせき保有ほゆうしゃ(「ラオスじん」)」という意味いみでのラーオであり、ここでは説明せつめいはぶく。また、タイがわ捕虜ほりょとしてれてこられたのち、タイに居住きょじゅうするようになったラーオぞくかんしてもこちらではかるれることとし、詳細しょうさい説明せつめいイーサーンじんゆずるとする。なお、ラーオとされる民族みんぞくにはきたタイ進出しんしゅつしたグループもいるが、こちらもタイ・ユワンぞくタイばんゆずるとする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

タイぞく一派いっぱであるラーオぞく一説いっせつでは6世紀せいきころチエンセーン(タイ北部ほくぶチエンラーイけん)に到達とうたつし、11世紀せいきパヤオ(タイ北部ほくぶパヤオけん)に到達とうたつしたとされる。このなかからパヤオをのちにし、メコンがわ東岸とうがん(ラオス)に移住いじゅうしたグループがあった。これが現在げんざいのラーオぞくばれるものである。ナーンおうみつるにもプーカー王国おうこく初期しょきに、二人ふたり王子おうじ一方いっぽうナーンメコン東岸とうがん移住いじゅうするはなしがあり、これがラオスの最初さいしょ王朝おうちょうラーンサーン王朝おうちょうになったとしている(ただし、真偽しんぎのほどは不明ふめいである)。その、ラーオぞくはクメール王朝おうちょう退しりぞ王国おうこく成立せいりつさせた。これが前述ぜんじゅつのラーンサーン王朝おうちょうである。このラーンサーン王朝おうちょうのち内部ないぶあらそいによって分裂ぶんれつし、周辺しゅうへん諸国しょこく軍事ぐんじてき攻勢こうせいけて衰退すいたいした。このような状況じょうきょうラーオぞく国際こくさい地位ちいひくくなった。なが現在げんざいのラオス地域ちいき影響えいきょうりょくつづけ、おなじタイぞくであるしょうタイぞく(シャムじん)のおさめたアユタヤ王朝おうちょうチャクリー王朝おうちょう君主くんしゅはラーオぞく同系どうけい民族みんぞくなしていたが、一方いっぽうでラーオぞくを「田舎いなかしゃ」となしており、一種いっしゅ蔑視べっししょうじていた。これはラーオぞくしょうタイぞくべつ民族みんぞくであるという意識いしき、つまり一種いっしゅのナショナリズムをしょうじさせた。時代じだいくだり、ふつりょうインドシナ時代じだいには、官僚かんりょうにベトナムじん採用さいようされ、ラーオによる教育きょういくおよび出版しゅっぱんなども許可きょかされず、ラーオぞく文化ぶんか衰退すいたいするいちぽうであった。これらの文化ぶんかてき抑圧よくあつもラーオぞくのナショナリズムの高揚こうよう促進そくしんした。

分布ぶんぷ[編集へんしゅう]

ラオス政府せいふによるラオスじん定義ていぎ以下いかとおりである。

ただし、これは言語げんごなどによる分類ぶんるいではなく極端きょくたんないいかたをすれば、居住きょじゅうひくいかたかいかの問題もんだいであり、少数しょうすう民族みんぞくとよばれる民族みんぞくなどの存在そんざい無視むしされている分類ぶんるいほうである。これはラオス政府せいふぜん国民こくみんの48%をめる少数しょうすう民族みんぞくをラオスじんとして定義ていぎすることで、同化どうか促進そくしん少数しょうすう民族みんぞく内乱ないらん原因げんいんにならないようにしようとしているからであるとわれる。

ラオス国内こくないには240まんにん1995ねんセンサス)のラーオぞく居住きょじゅうしており(なお、ラーオぞくふくめたタイ・カダイ語族ごぞく全体ぜんたいでは300まんにんである)、これは国民こくみんの52%をめる。一方いっぽうでタイ国内こくないのラーオぞく(イーサーンじん)はタイ国民こくみんやく3ぶんの1をめるとわれる。なおこれらのイーサーンじんばれる人々ひとびとはタイ東北とうほく多数たすうであるが、バンコクとう出稼でかせぎにることがおおいため、国内こくない点在てんざいしている。これらイーサーンじんしょうタイぞくへの同一どういつ傾向けいこうにある。ラーオぞくはカンボジアにも一部いちぶ居住きょじゅうしているほか、ベトナム戦争せんそうパテート・ラーオ(ラオス愛国あいこく戦線せんせん)による内乱ないらんでベトナムへのがれたグループがやく50まんにんいる。

言語げんご[編集へんしゅう]

ラーオぞくラーオ(ラオス)を母語ぼごとする。使用しよう文字もじラーオ文字もじである。

文化ぶんか[編集へんしゅう]

コーラート台地だいちのはずれにあり、きたおよひがしやまかこまれているためあめすくなく、土壌どじょうみずはけがわるあめればすぐに氾濫はんらんするという地理ちりてき状況じょうきょうからしょく文化ぶんか非常ひじょう質素しっそであり、もちまいさかなソムタムというのが伝統でんとうてきなスタイルである。ラオス国内こくないのラーオぞく料理りょうりはフランス料理りょうり影響えいきょうもあり、フランスパンなどもべられる。

宗教しゅうきょうてきには上座かみざ仏教ぶっきょう小乗しょうじょう仏教ぶっきょう)であるが、しょうタイぞくくら精霊せいれい信仰しんこうピー信仰しんこう)の影響えいきょうつよい。

音楽おんがくには独特どくとくモーラムばれる音楽おんがくがある。しかし現在げんざいではバンコクでイーサーンじんによって生産せいさんされたものほう主流しゅりゅうである。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]