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リスぞく

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リスぞく
ꓡꓲ‐ꓢꓴ လီဆူ 傈僳
リス族の女性
そう人口じんこう
推計すいけい120まんにん
居住きょじゅう地域ちいき
中華人民共和国の旗 中国ちゅうごく(雲南うんなんしょう四川しせんしょう)634,912にん
ミャンマーの旗 ミャンマー25まんにんから30まんにん[1]
タイ王国の旗 タイやく38,000にん[1]
インドの旗 インドやく1,000にん[1]
言語げんご
リポ中国語ちゅうごくごばんリスペー
宗教しゅうきょう
アニミズム仏教ぶっきょうキリスト教きりすときょう

リスぞく(リスぞく、傈僳ぞくきゅう表記ひょうき中国語ちゅうごくごばん: 𤠫𤢂ぞく)は、東南とうなんアジア少数しょうすう民族みんぞくの1つである。

概要がいよう

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リスぞく中国ちゅうごくミャンマータイインドの4かこく国境こっきょうにまたがって分布ぶんぷし、伝統でんとうてき移動いどう開拓かいたくがた焼畑やきばた農業のうぎょう生業せいぎょうとする山地さんちみんである[2]。いくつかのられるが、基本きほんてきサルウィンがわ沿った南北なんぼくびる帯状おびじょう展開てんかいしている。

中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくでは少数しょうすう民族みんぞくの1つとしてかぞえられ、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく公認こうにんする56の民族みんぞくなか21番目ばんめ人口じんこう民族みんぞくである。雲南うんなんしょういかこうリスぞく自治じちしゅう中心ちゅうしん同省どうしょう北部ほくぶ一帯いったいから四川しせんしょう南部なんぶにかけて分布ぶんぷし、雲南うんなん北部ほくぶデチェン・チベットぞく自治じちしゅうにも維西リスぞく自治じちけんがある。2000ねん全国ぜんこく人口じんこう調査ちょうさによれば、中国ちゅうごくないのリスぞくそう人口じんこうは634,912にんである。また、タイ王国おうこく北部ほくぶやく3まんにんみ、ミャンマー北部ほくぶインド東部とうぶなどにも散在さんざいする。

リスぞくもちいるリスは、チベット・ビルマつねグループにぞくし、ぞくナシぞくちか関係かんけいにある。文字もじしん中国ちゅうごくになってから制定せいていされたラテン文字もじおももちいられる。

中国ちゅうごく自治じち地方ちほう

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自治じちしゅう

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自治じちけん

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民族みんぞくきょう

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沿革えんかく

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雲南うんなんしょういかこうリスぞく自治じちしゅうつたわる伝承でんしょうによれば、リスぞく祖先そせんはクドゥネイ(ここのつのかわ源流げんりゅうまじわる)とばれるから次第しだい南下なんかしたという。歴史れきししょにリスぞくあらわれるのは8世紀せいきにさかのぼり、 とうだい樊綽いた『蛮書』には「ぐりあわりょうせい蛮」のかたりえ、当時とうじがらす蛮」とばれる民族みんぞくグループを構成こうせいしていた。 当時とうじ現在げんざい四川しせんしょうさとから雲南うんなんしょううららこうにかけてながれる金沙江きむしゃこうりょうきし分布ぶんぷしていたとかんがえられる[2]

うらら江府こうふふみ』によれば、明代あきよのリスぞく隣接りんせつするおさめ西にしぞくによる支配しはいけ、強制きょうせい労働ろうどうチベットぞくとの紛争ふんそうされていた。こうした苦境くきょうからのがれようとしたリスぞく西方せいほうへと移動いどうし、現在げんざいいかこうリスぞく自治じちしゅう一帯いったい支配しはいてき地位ちい確立かくりつした[2]。しかし、しんだいになるとかんぞくわって満州まんしゅうぞく圧力あつりょくくわえてくるようになる。大半たいはんのリスぞく清朝せいちょうへの抵抗ていこうつづけたが、一部いちぶ西方せいほう移動いどうし、インドのアッサムしゅう、ミャンマーのカチンしゅうにわたり分布ぶんぷひろげた。また、べつのグループはサルウィンかわ沿いに南下なんかつづけ、20世紀せいきにはタイにいたった。

文化ぶんか

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リスぞくすう世紀せいきにわたる移動いどうともなって接触せっしょくった集団しゅうだん影響えいきょうけ、さまざまなサブ・グループへと分化ぶんかしている。中国ちゅうごくかんぞく民族みんぞく衣装いしょう特徴とくちょうによってリスぞくしろリス、くろリス、はなリスの3種類しゅるい分類ぶんるいした[2]。しかし、これらは他称たしょうであり、リスぞくみずからはサルウィン川上かわかみ流域りゅういき雲南うんなんしょう西北せいほくからミャンマー・カチンしゅう)のリスぞくをロヴ・リス、しも流域りゅういき(ミャンマー・シャンしゅうからタイ北部ほくぶ)のリスぞくをルシ・リスとけ、それらを細分さいぶんして識別しきべつするように、サルウィンがわ識別しきべつ指標しひょうにするケースがおお[2]

近代きんだいになって隣接りんせつする部族ぶぞくひとびとに西方せいほう宣教師せんきょうし布教ふきょうによりキリスト教きりすときょう入信にゅうしんするものえるなか、リスぞくだい宗教しゅうきょうへの改宗かいしゅうしゃすくないことでられている[2]。リスぞく創造そうぞうしんウサをヒエラルキーの頂点ちょうてんとする独自どくじ多神教たしんきょう信仰しんこうしているが、父系ふけい出自しゅつじ継承けいしょうされるれい儀礼ぎれい対象たいしょうとして重要じゅうようされ、どのれいまつっているかが社会しゃかいてきなアイデンティティのいしずえとなっている[2]

コロンリショー

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ミャンマーシャンしゅう北部ほくぶナムカム周辺しゅうへんにはコロンリショー(英語えいご: Kholon Lishaw中国ちゅうごく: くらろう傈僳ビルマ: ခိုလုံလီရှော)とばれるエスニックグループが居住きょじゅうする。高橋たかはし(2004)はコロンリショーについて「中国人ちゅうごくじんのアイデンティティをもつ人々ひとびと」としるしており、ナムカムぐんには14,441にんのコロンリショーが居住きょじゅうしていると記録きろくしている[3]

1994ねん国民こくみん議会ぎかい英語えいごばんにおいて、コロンリショー民族みんぞく文化ぶんかかい会長かいちょうのウー・チョーミン(U Kyaw Myint、別名べつめい: えいさち)は「コロンリショーはミャンマー国内こくないに7まんにん、ナムカム山地さんちに4まんにん居住きょじゅうしている」と発言はつげんしており、リスぞく自治じち設置せっちもとめた[4]

由来ゆらい

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JICA報告ほうこくしょにおいては、コロンリショーは「600ねんまえにビルマのおうつかえたしゅうほらぞく起源きげんとする中国人ちゅうごくじん末裔まつえい、と自称じしょうする部族ぶぞく」と記述きじゅつされている[5]

Ma Le' Shwe Sin Myint(2000)はコロンリショーの由来ゆらいについて以下いかのように記録きろくしている[6]

コロンリショーは中国人ちゅうごくじん子孫しそんだとしんじられている。むかし中国ちゅうごくおうとミャンマーのおう親善しんぜん使者ししゃおくっていた。かつて中国ちゅうごくおうがミャンマーのおううつくしいむすめおくり、4にん中国ちゅうごく大臣だいじん従者じゅうしゃがそのむすめ中国ちゅうごく雲南うんなんしょうからミャンマーまではこんだ。かれらはサルウィンがわ東岸とうがん馬車ばしゃくだった。4にん大臣だいじんわかむすめをミャンマーおうとどけるよう指示しじされた。また、馬車ばしゃなかのぞくこともきんじられた。4にん大臣だいじん従者じゅうしゃいちぎょうがクカイ地域ちいきくと、かれらはむらやすんだ。大臣だいじん従者じゅうしゃ馬車ばしゃなかをこっそりのぞむと、おどろいたことにみにく老女ろうじょであった。かれらはおおいにわらったが、彼女かのじょをミャンマーのおうとどける勇気ゆうきはなかった。4にん大臣だいじん従者じゅうしゃ老女ろうじょはその場所ばしょ定住ていじゅうし、むらつくった。かれらは今日きょうまでそこにつづけ、民族みんぞくはゆっくりと増加ぞうかしてひろがった。「コロン」は「非常ひじょうわらえる」という意味いみであり、かれらの民族みんぞくかれらがおおいにわらった場所ばしょからはじめったのである。そのため、今日きょうかれらは「コロンリショー」としてられている。

2020ねんミャンマーそう選挙せんきょにおいて、コロンリショーはリスぞくではなく、中国人ちゅうごくじん外国がいこくじん)であると做されたために選挙せんきょけんうしなった。ビルマで「避難ひなんする」を意味いみする「コロン(ビルマ: ခိုလှုံ)」だと解釈かいしゃくされて「コロンリショー」は中国ちゅうごくからたエスニックグループだと做されているが、本来ほんらいシャンで「おおきなあたま」(頭部とうぶ装身具そうしんぐす)を意味いみする「ホロン(シャン: ႁူဝ်လူင်)」のリスぞくであるとナムカムのリスぞく主張しゅちょうしている[7]一方いっぽうで、リス民族みんぞく発展はってんとうのドー・キンマウー書記しょきはコロンリショーとリスぞくまったことなる民族みんぞくであるにもかかわらず混同こんどうされていると主張しゅちょうした[8]

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 綾部あやべ真雄まさお綾部あやべ恒雄つねおへん)、2005、「リス」、『ファーストピープルズの現在げんざい東南とうなんアジア』2、明石書店あかししょてん世界せかい先住民せんじゅうみんぞく〉 ISBN 475032082X
  • 国際こくさい協力きょうりょく機構きこうアジアだい一部いちぶソバ栽培さいばい農家のうか現状げんじょう課題かだい(家計調査かけいちょうさ)」『ミャンマー連邦れんぽう 麻薬まやく対策たいさく貧困ひんこん削減さくげんプロジェクト形成けいせい調査ちょうさ報告ほうこくしょ』(PDF)(レポート)2004ねん、184-209ぺーじhttps://openjicareport.jica.go.jp/pdf/11764354_04.pdf 
  • 高橋たかはし, 昭雄あきお東北とうほくミャンマー(ビルマ)山間さんかんにおける棚田たなだ経済けいざいてき存立そんりつ構造こうぞう資源しげん管理かんり」『東洋とうよう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ紀要きようだい146かん、2004ねんdoi:10.15083/00027012 
  • MacDougall, Hugh C. (1994). Burma Press summary From the Rangoon "The New Light of Myanmar” (PDF). the Burma Studies Group (Report). Vol. 8. the Center for East Asian and Pacific Studies,University of Illinois.
  • Ma Le' Shwe Sin Myint (2000). The Social Organization of the Lishaw (Lisu) Nationals of Heigh-Phut Village, Nam-San Township Loi-Lem District in the Southern Shan State Union of Myanmar (MA thesis). University of Yangon. hdl:20.500.12678/0000001735

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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