上野 長野 氏
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出自
[歴史
[上杉 家中 での台頭
[厩橋 長野 氏
[また、
箕輪 長野 氏
[しかし
鷹 留 長野 氏
[箕輪 落城 後 の長野 一族
[また
長野 一族
[長野 乙 業 - 『箕輪 城 と長野 氏 』によれば、系譜 中 で存在 が比較的 信頼 される最古 の人物 [2]。長野郷 浜川 に居住 。「箕輪 城 考 」に尚 業 の父 としてみえる。『箕輪 城 と長野 氏 』では業 尚 の大叔父 で子 は無 く、弟 の隆 業 の系統 が続 いたとする。長野 業 尚 (尚 業 )[注釈 11] -関東 管領 上杉 顕定 の執事 と系図 に伝 わる。『箕郷 町 誌 』では業 尚 の子 [20]。『箕輪 城 と長野 氏 』は方 業 の子 とする[30]。長野 方 業 (固山 宗 賢 、方 斎 [注釈 12]) -厩橋 城 を築城 したとも言 われる。『群馬 県 史 通史 編 3』では業 尚 の子 で憲 業 の弟 、かつ厩 橋 の長野 氏 系 の祖 [31]。『箕輪 城 と長野 氏 』は隆 業 の子 で業 尚 ・道 安 の父 [30]。『日本 城郭 大系 』・『群馬 県 人名 大 百科 』では賢 忠 のこと。吉川弘文館 『戦国 人名 辞典 』「長野 方 業 」項 は箕輪 長野 氏 の家督 で憲 業 の後継 者 で業 正 の兄 [32]。「戦国 期 上野 長野 氏 の動向 」では賢 忠 の弟 で業 正 の父 、かつ憲 業 没後 に厩 橋 から入 って箕輪 長野 氏 を継 いだとする[9][17]。長野 憲 業 -箕輪 城 主 。長野 信 業 とは同 一人物 [2]とも別人 [注釈 13]ともされる。長野 業 氏 -鷹 留 長野 氏 の祖 。鷹 留 城主 。業 正 の兄 。長野 業 正 (業 政 ) - 「上 州 の黄 班 」と伝 わる猛 将 。長野 吉 業 -業 正 の長子 。河 越 夜戦 で死去 。長野 氏 業 (業 盛 ) -業 正 の後継 。箕輪 城 で討死 。
脚注
[注釈
[- ^
長野 氏 が使 ったとされる檜扇 は4種類 あるが、戦国 時代 に使用 されたのは、九 枚 檜 板 の扇 でその中央 に日 の丸 があり、扇 両端 を綴 (と)じて紐 (ひも)の房 垂 があるものである。 - ^ なお、
近年 黒田 基樹 はこの事件 の一連 の文書 の年代 比定 に問題 があり、当時 の政治 情勢 からこの事件 を大 永 4年 (1524年 )の事件 としており[8][9][10]、(久保田 2006a, 「長野 方 業 」項目 )も大 永 4年 説 を採用 する。 - ^ 「
長尾 顕 景 書状 」には「方 斎 」の名 はない。大 永 7年 11月17日 の長野 左衛門 大夫 方 斎 の書状 [11]からの比定 である。なお、後述 のように山田 邦明 ・黒田 基樹 は11月17日 の書状 は「方 業 」と読 むのが正 しい判読 であり、「方 斎 」は誤読 であるとする説 を採 る。 - ^ 『
前橋 風土記 』には長尾 賢 忠 とあるが、『前橋 市 史 第 1巻 』の考証 でこれは長野 賢 忠 のことだと指摘 されている[18]。 - ^ 『
前橋 風土記 』の道 安 の名乗 りが宮内 大夫 と共通 することからの推定 。 - ^ 『
箕輪 城 と長野 氏 』は長野 氏 の系図 の一 つ「長昌寺 記録 」を一部 採用 した上 での指摘 。 - ^ 『
群馬 県 の中世 城 館 跡 』(群馬 県 教育 委員 会 事務 局 文化財 保護 課 編 、1989年 )では、武蔵 松山 城 攻 めに長野 氏 が参加 しなかったため賢 忠 は誅殺 され長野 氏 は滅 んだとする[25]。 - ^ 『
前橋 市 史 』は賢 忠 かその子 と推定 、『日本 城郭 大系 』は賢 忠 の孫 ・道 賢 (道 安 の子 )に比定 し、『室町 ・戦国 期 上野 の地域 社会 』は彦七 郎 とともに彦太郎 (賢 忠 の子 )・大胡 の伯父 の後継 者 たちと推定 する[21][19][24]。「戦国 期 上野 長野 氏 の動向 」は“藤 ”の草 書体 は厩橋 長野 氏 の通 字 に用 いられる“彦”の草 書体 と似 る場合 があることから、藤 九郎 は彦九郎 の誤 りで、さらに黒田 は関東 幕 注文 を永 禄 3年 (1560年 )末 の作成 とする立場 から、同 注文 の厩橋 衆 の部分 に彦太郎 の名前 が見 られないことから陣中 で殺害 されたとされる彦太郎 も彦九郎 の誤 り、すなわち「長野 賢 忠 の曾孫 である厩橋 長野 氏 最後 の当主 ・彦九郎 の名前 が“藤 九郎 ”“彦太郎 ”という2種類 の誤 った名前 で後世 に伝 わった」とする[9]。 - ^ 『
箕郷 町 誌 』の系譜 では憲 業 の甥 で、信 業 の子 とされる[20]。黒田 基樹 「戦国 期 上野 長野 氏 の動向 」では憲 業 の没後 に箕輪 長野 氏 で上杉 顕 実 と憲 房 の内乱 に関連 した内紛 が生 じた結果 、厩橋 長野 氏 から方 業 が入 嗣し、業 正 はその子 とする[9]。 - ^ 『
群馬 県 史 資料 編 7』No.2728によると、長野 三河 入道 が戦死 したとある。なお日付 のみで年次 は無 く、『群馬 県 史 』による比定 である。 - ^ 「
和田 山系 図 」とそれを参考 にした「箕輪 城 考 」のみ尚 業 、他 の「浜川 系図 」などは業 尚 。 - ^
近藤 義雄 は『箕輪 城 と長野 氏 』において、方 業 は「橋 林 文書 」に延徳 元年 (1489年 )死去 とあるので、方 斎 は方 業 の孫 (業 尚 の子 で憲 業 の弟 )として別人 説 を主張 している[2]。なお一方 、黒田 基樹 は「戦国 期 上野 長野 氏 の動向 」において、「橋 林 文書 」に記 された人物 については“方 ”と“為 ”の草書 における誤記 であるとするとともに同 文書 の記述 に比定 可能 な人物 は長野 為 業 しかいないことや他 にも様々 な事実 を混同 された記述 があることを指摘 して、為 業 の十 三 回忌 である延徳 元年 に橋 林寺 が建立 されたことを示 すとする[9]。 - ^ 『
箕郷 町 誌 』の系譜 では憲 業 が兄 で、弟 を信 業 とする[20]。
出典
[- ^
近藤 1985, p. [要 ページ番号 ]. - ^ a b c d e f g h i j
近藤 1985. - ^ a b 「
松陰 私語 」 - ^
黒田 2011, p. [要 ページ番号 ]. - ^
黒田 2013, p. [要 ページ番号 ], §.戦国 期 上野 長野 氏 の動向 . - ^
群馬 県 史 1986, No.1958「長尾 顕 景 書状 」. - ^
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黒田 2011. - ^
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群馬 県 史 1986, No.1957「長野 方 斎 書状 」. - ^
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木暮 2002. - ^
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長昌寺 記録 」より採用 。 - ^
群馬 県 史 編 さん委員 会 1989. - ^
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参考 文献
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