出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界学生柔道選手権大会(せかいがくせいじゅうどうせんしゅけんたいかい)は、大学生の柔道選手による柔道世界一を決める大会である。
文献によっては世界大学柔道選手権大会とも訳されていた[1][2]。
1964年にフランスにて9カ国参加のもと第1回ヨーロッパ学生選手権大会が開催され、翌65年にはオランダで第2回大会が開催された[2]。
一方、1967年に東京で開催される第5回ユニバーシアードで初めて柔道競技が採用される事となり、国際大学スポーツ連盟が日本に対し第3回ヨーロッパ学生選手権大会への参加を強く要望[2]。これに対し日本は、ユニバーシアードの柔道競技がヨーロッパ学生選手権大会の運用ルールに基づいて企画される条件となっていた事に加え、柔道の母国として、国境を跨いだ学生柔道選手間の交流はその親和を深め、柔道の発展にも寄与するという判断から、これに参加する事を決定した[2]。
こうしてヨーロッパ学生選手権大会は日本の参加を機に名称を“世界学生選手権大会”と改め、その第1回大会として1966年6月にチェコスロバキア(現・チェコ)のプラハで日本を含む18カ国参加のもとに開催されたのが当大会の始まりである[2]。
第1回大会で全日本柔道連盟は、団長に葉山三郎、監督に清水正一を据え、審判員として香原勝一と、早稲田大学の東在久など6名の選手を日本選手団として派遣し[注釈 1]、全6階級のうち5階級と団体戦で優勝した[2]。
第2回大会は1968年9月にポルトガルのリスボンで日本を含む15カ国参加のもと開催され、日本からは団長・山本秀雄、監督・曽根康治、審判員・細谷文男のほか選手6名を派遣し[注釈 2]、前大会と同様に全6階級のうち5階級と団体戦で優勝した[2]。特に団体戦は、2回戦のブラジル、3回戦のベルギー、準決勝戦のポーランド、決勝戦のフランスをいずれも5-0で降すなど圧倒的な強さを誇り、柔道の本家としての面目を保った[2]。
以後も基本的に隔年開催で大会が続いて、1984年からは女子の大会も開催される事になったが、2006年大会を以って休止となった[3]。
なお、この大会は前述の通り個人戦のみならず団体戦も開催されていた[4]。
- ^ 日本は無差別級を含む全6階級に6名の選手を派遣したが、このうち笹原富美雄と篠巻政利は本来の自分の階級と無差別級との2階級に出場している。軽々量級出場の東在久は初戦でソビエト連邦のクルーゼに、重量級出場の笹川正明は決勝戦で笹原富美雄にそれぞれ敗れ、優勝は成らなかった[2]。
- ^ 第2回大会では須磨周司と中川良夫が無差別級を含む2階級に重複出場した。なお、軽中量級に出場した石沢祥市と重量級に出場した高木長之助の2名が優勝は成らなかった[2]。