亀戸かめいどたかし神社じんじゃ

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亀戸かめいどたかし神社じんじゃ


拝殿はいでん

地図
所在地しょざいち 東京とうきょう江東こうとう亀戸かめいど3丁目ちょうめ6ばん1ごう[1]
位置いち 北緯ほくい3542ふん11.3びょう 東経とうけい13949ふん15.6びょう / 北緯ほくい35.703139 東経とうけい139.821000 / 35.703139; 139.821000座標ざひょう: 北緯ほくい3542ふん11.3びょう 東経とうけい13949ふん15.6びょう / 北緯ほくい35.703139 東経とうけい139.821000 / 35.703139; 139.821000
主祭しゅさいしん 天満てんま大神おおがみ[1][2]
てん菩日いのち[1][2]
社格しゃかくひとし きゅうしゃ
創建そうけん 寛文ひろふみ元年がんねん(1661ねん[注釈ちゅうしゃく 1]
例祭れいさい 8がつ25にち[1]
地図ちず
亀戸天神社の位置(東京都区部内)
亀戸天神社
亀戸かめいどたかし神社じんじゃ
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亀戸かめいどたかし神社じんじゃ(かめいどてんじんしゃ)は、東京とうきょう江東こうとう亀戸かめいどにある神社じんじゃ天満てんまみや)である。天満てんま大神おおがみ、すなわち菅原すがわら道真みちざねまつり、受験生じゅけんせいなどを中心ちゅうしん学問がくもんかみとしてしたしまれている。通称つうしょう亀戸かめいど天神てんじん亀戸かめいど天満てんまみやまたはひがし宰府さいふ天満宮てんまんぐう

祭神さいじん[編集へんしゅう]

歴史れきし[編集へんしゅう]

正保まさやす年間ねんかん1644ねん - 1647ねん)、菅原すがわら道真みちざね末裔まつえいであった九州きゅうしゅう太宰府天満宮だざいふてんまんぐう神官しんかん菅原すがわら大鳥居おおとりいしんゆうは、天神てんじん信仰しんこうひろめるため社殿しゃでん建立こんりゅうこころざしをもち、諸国しょこくめぐった。そして1661ねん寛文ひろふみ元年がんねん)、江戸えど本所ほんじょ亀戸かめいどむらにたどりき、元々もともとあった天神てんじん小祠しょうし道真みちざねゆかりのうめった天神てんじんぞう奉祀ほうししたのがはじまりとされる。

当時とうじあかりれき大火たいかによる被害ひがいからの復興ふっこう目指めざ江戸えど幕府ばくふ復興ふっこう開発かいはつ事業じぎょうとして本所ほんじょまちをさだめ、よんだい将軍しょうぐん徳川とくがわ家綱いえつなはその鎮守ちんじゅしんとしてまつるよう現在げんざい社地しゃち寄進きしんした。そして1662ねん寛文ひろふみ2ねん)、地形ちけいはじ社殿しゃでん楼門ろうもん回廊かいろう心字池しんじいけ太鼓橋たいこばしなどが太宰府天満宮だざいふてんまんぐうなら造営ぞうえいされた。本殿ほんでん扁額へんがくは、本社ほんしゃである筑紫つくしこく太宰府天満宮だざいふてんまんぐう宮司ぐうじであった西高にしこうつじしんさだによる揮毫きごう

ふるくはそう本社ほんしゃたる太宰府天満宮だざいふてんまんぐうたいしてひがし宰府さいふとして「ひがし宰府さいふ天満宮てんまんぐう」、あるいは「亀戸かめいど宰府さいふ天満宮てんまんぐう」「本所ほんじょ宰府さいふ天満宮てんまんぐう」としょうされていたが、1873ねん明治めいじ6ねん)にしゃとなり亀戸かめいど神社じんじゃ1936ねん昭和しょうわ11ねん)に現在げんざい亀戸かめいどたかし神社じんじゃとなった。

亀戸かめいど神社じんじゃふじ葛餅くずもち亀戸かめいど天満宮てんまんぐうは、寛文ひろふみ2ねん(1662)、大宰府だざいふ神官しんかん大鳥居おおとりいしんゆうが、菅原すがわら道真みちざねぞう小祠しょうしまつり、翌年よくねん大宰府だざいふした社殿しゃでん造営ぞうえいしたのがそのこり。明治めいじ6ねん(1873)、亀戸かめいど神社じんじゃと、昭和しょうわ11ねん(1936)、亀戸かめいどたかし神社じんじゃあらためた。学問がくもん神様かみさまとして信仰しんこうあつめ、ふじうめ名所めいしょられ、『名所めいしょ江戸えどひゃくけい』(安藤あんどう広重ひろしげ 1856 - 58年版ねんばん 大判おおばん錦絵にしきえ118まいそろい)にもえがかれた古刹こさつである。亀戸かめいど名物めいぶつ葛餅くずもち屋台やたいりのほかに、文化ぶんか2ねん(1805)に天神てんじんしゃ参道さんどうにて創業そうぎょうした船橋ふなばし人気にんきあつめ、その葛餅くずもち亀戸かめいどもちともばれた。葛餅くずもちふじあり。「名代なだい 久壽きゅうじゅもち」としるされた紙片しへん一部いちぶうつされている。『わたり風俗ふうぞく圖會ずえ』では、屋台やたいりの「亀戸かめいど名物めいぶつ葛餅くずもち」がえがかれている。 — 清水しみずはれふうちょ東京とうきょう名物めいぶつひゃくにんいちしゅ明治めいじ40ねん8がつ亀戸かめいど神社じんじゃふじ葛餅くずもち」より抜粋ばっすい[3]

2010ねんから2011ねんにかけて放送ほうそうされた『ゆくとしくるとし』(NHK総合そうごう)ではキーステーション(メイン中継ちゅうけい)にえらばれている。

おも祭事さいじ[編集へんしゅう]

うそ神事しんじ[編集へんしゅう]

例年れいねん1がつ24にち - 25にち縁起物えんぎものである木彫きぼりのうそウソ)が授与じゅよされる。「去年きょねんあく(あ)しきはうそ(うそ)となり、まことのきちにとり(とりえん」とのいいつたえによる。

木彫きぼりのうそは、たかさ5 - 22cmくらい、白木しらき円柱えんちゅう上部じょうぶ3ぶんの1荒削あらけずりされ、頭部とうぶ腹部ふくぶとなり、背後はいごけずけの手法しゅほう尾羽おはまれる。彩色さいしきあたまくろむねしゅはねみどりくろである。

うめまつり[編集へんしゅう]

亀戸かめいど天神てんじん境内けいだいには、道真みちざねこのんだうめが300ほん以上いじょうえられている。さらに境内けいだい本殿ほんでんまえには、道真みちざねこうが5さいまれた「うつくしやべにいろなるうめはなあこがかおにもつけたくぞある」という歌碑かひ銅像どうぞうがある。

なお、うめまつりは例年れいねん2がつだい2日曜日にちようびから3がつだい2にち曜日ようびまでおこなわれる。

ふじまつり[編集へんしゅう]

4がつ25にちから5月5にちまで。境内けいだいふじ一斉いっせい開花かいかし、神社じんじゃちゅういちめんふじしょくまる。太鼓橋たいこばしうえから見渡みわたすことで、いちめん藤棚ふじだなうえから見下みおろすことができることも特徴とくちょう江戸えど時代じだいから亀戸かめいどふじばれたふじ名所めいしょであり、亀戸かめいど以外いがいからも観光かんこうきゃくおとずれる。同時どうじ学業がくぎょうこうさいおこなわれ、学業がくぎょう祈願きがん祈願きがんしゃおおおとずれる。

れい大祭たいさい献灯けんとうあきら[編集へんしゅう]

例年れいねん8がつ下旬げじゅんもよおされる。年間ねんかんつうじて一番いちばん重要じゅうようなおまつりで、 家々いえいえにはご祭神さいじん提灯ぢょうちんかかげられ、神輿しんよと曳太鼓たいこ町内ちょうないあるきながら巡行じゅんこうする。 れい大祭たいさいでは、氏子うじこ町内ちょうないにとどまらずくに安泰あんたい繁栄はんえい祈願きがんし、宮司ぐうじ祝詞のりとげる。 また、4ねんいち大祭たいさいには菅公かんこう御霊みたませたおおとりがま輦が氏子うじこ町内ちょうない巡行じゅんこうする。

けんじ灯明とうみょうでは、よる境内けいだいに、神前しんぜんからけられた1,000以上いじょう灯明とうみょうともる。灯明とうみょうあかりは、道真みちざねおおやけをおりしていることをあらわしている。

ふじまつり(2009ねん4がつ29にち撮影さつえい

きくまつり[編集へんしゅう]

例年れいねん10がつ下旬げじゅんから11がつ下旬げじゅんまで。

道真みちざねは、うめともきくはなをみ数々かずかず和歌わかんだ。16さいときんだ「残菊ざんぎく[4]」から、亀戸かめいどたかし神社じんじゃでは道真みちざねしのんで宮中きゅうちゅうおこなわれていた和歌わか連歌れんがなどをむ「残菊ざんぎくうたげ」をもよおしていた。近年きんねんでは本殿ほんでん正面しょうめんかこむようにきく展示てんじして菅公かんこうなぐさめるとともに、参拝さんぱいきゃく鑑賞かんしょうできるようになっている[5]

きくまつり(2020ねん11月15にち撮影さつえい

末社まっしゃ[編集へんしゅう]

御嶽みたけ神社じんじゃ(みたけじんじゃ)[編集へんしゅう]

道真みちざね教学きょうがくじょうである延暦寺えんりゃくじだいじゅうさんだい座主ざすほうせいぼうみこと僧正そうじょうまつる。「かみ」としてられ、正月しょうがつはつさんには、づちかみさつ授与じゅよされる。

正月しょうがつはつまい江戸えど時代じだいから大変たいへんにぎわっていたことが『東都とうととしごと』にしるされている。つえづち1831ねん天保てんぽう2ねん)のねんからられるようになったが、当時とうじつえづち形状けいじょうは『日本にっぽん民俗みんぞくこころざし』にえがかれている[6]明治めいじになってもはつまい人気にんきがあり、芸者げいしゃ旦那だんながこぞってはつまいをしていたことが1875ねん明治めいじ8ねん)1がつ7にちの『東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』の記事きじとなった。はつまいには陸路りくろのほかに亀戸かめいどたかし神社じんじゃ西側にしがわながれるよこじゅうあいだかわ水路すいろ使つかった[7]

花園はなぞのしゃ[編集へんしゅう]

道真みちざねつまである島田しまだせんらいおよび14にん子供こどもまつる。寛文ひろふみ年間ねんかん筑前ちくぜん花園はなぞのより勧請かんじょうけたものである。安産あんざん子宝こだから立身出世りっしんしゅっせ守護神しゅごじんとして信仰しんこうされている。

弁天べんてんしゃ[編集へんしゅう]

1665ねん寛文ひろふみ5ねん)7がつ太宰府天満宮だざいふてんまんぐう心字池しんじいけほとり志賀しかしゃ勧請かんじょうしたもの。その亀戸かめいど天神てんじん心字池しんじいけ上野うえのにん見立みたてて、このしゃを「弁天べんてんどう」とんだことから、七福神しちふくじんの1つである弁才天べんざいてんとして信仰しんこうされるようになった。

紅梅こうばい殿どの[編集へんしゅう]

1662ねん寛文ひろふみ2ねん)に太宰府天満宮だざいふてんまんぐう神木しんぼくであるうめ実生みしょう勧請かんじょうしたもの。現在げんざいしゃは、1988ねん昭和しょうわ63ねん)に再建さいけんされたものである。

かみうし殿どの[編集へんしゅう]

神牛殿 神牛座像
かみうし殿どの
かみうし座像ざぞう

道真みちざね845ねんうけたまわ12ねん)6がつ25にちおつうしとしまれ、903ねん延喜えんぎ3ねん)にくなったが、葬送そうそうちゅう遺体いたいせたくるまくろうしうごかなくなり、その場所ばしょ墓所はかしょさだめた。その、その場所ばしょ社殿しゃでん建立こんりゅうし、御霊みたままつったことが太宰府天満宮だざいふてんまんぐう起源きげんであり、そのとしおつうしねんであった。また、道真みちざね京都きょうとから大宰府だざいふ下向げこうちゅうしろうしによってなんからのがれることができたという故事こじつたえられている。道真みちざねうしとのえんふかい。かみうし(しんぎゅう)座像ざぞう1961ねん昭和しょうわ36ねん)、鎮座ちんざさんひゃくねんさい社殿しゃでん復興ふっこうとともに奉納ほうのうされた[8][9]

かみうしさわることにより病気びょうきなおし、知恵ちえるといわれている。うし天神てんじんかみ使(みつかわしめ)として信仰しんこうされている[9]

境内けいだい[編集へんしゅう]

社務しゃむしょ
太鼓橋たいこばし[10] - おとこきょうおんなきょう
おとこきょうおんなきょう
おとこきょうは、大鳥居おおとりいぎると最初さいしょにあるはし太宰府天満宮だざいふてんまんぐうしてつくられた。いけはしひと一生いっしょう見立みたてた「さんせい一念いちねん」にもとづき、このはし過去かこあらわ[11]
おんなきょうは、本殿ほんでん手前てまえにあるはし。このはし希望きぼう未来みらいあらわ[12]
本社ほんしゃ太鼓橋たいこばし歌川うたがわ広重ひろしげによってえがかれ、『名所めいしょ江戸えどひゃくけい』シリーズの「亀戸かめいど天神てんじん境内けいだい」として発行はっこうされた。
亀井戸かめいどあと
おいぬさま
いけのカメ
いけのカメ
いけにいるカメ種類しゅるいおもクサガメニホンイシガメミシシッピアカミミガメの3しゅである。また少数しょうすうだがハナガメミナミイシガメスッポンウンキュウキバラガメなど各種かくしゅのカメが観察かんさつされるが、そのうちおおくがミシシッピアカミミガメで、いでクサガメ、ニホンイシガメそののカメはほんのわずかである。本社ほんしゃ学問がくもんかみである菅原すがわら道真みちざねまつっているため、毎年まいとし受験生じゅけんせい合格ごうかく祈願きがんおとずれずれる。そのなかには合格ごうかくのおれいとして本社ほんしゃふたたおとずれ、いけにカメを放流ほうりゅうしていくひとおおい。本社ほんしゃとしてはそういうきまりがあるわけではなく、亀戸かめいどという地名ちめいいけがあることなどからこのおこないが自然しぜんひろまった。その結果けっか現在げんざいのようにカメが多数たすう棲息せいそくするようになった。ミシシッピアカミミガメがおお理由りゆうとして、安価あんか入手にゅうしゅしやすいため、ってくるカメとしてこのカメがえらばれているとかんがえられる。ミシシッピアカミミガメは繁殖はんしょくりょくつよく、またあらたにはなひとあとたないためえる傾向けいこうにある。ミシシッピアカミミガメの国内こくないにおける帰化きか個体こたいすう増加ぞうか、またそれにともな在来ざいらいしゅとくにニホンイシガメの個体こたいすう減少げんしょう全国ぜんこくてき問題もんだいでもあり、その一端いったん縮図しゅくずのごとく観察かんさつできる。テレビ局てれびきょくのスタッフが本社ほんしゃ神主かんぬしに「カメたち、かわいいですね」とはなしかけると、「うーん、わたしはそうはおもわないんですけどねえ」という反応はんのうであった[13]

年中ねんじゅう行事ぎょうじ[編集へんしゅう]

  • 1がつ
    • 元旦がんたんとしさい
    • 1にち - 7にち新年しんねん祈願きがんさい
    • 上旬じょうじゅんはつさい
    • 24にち - 25にち:うそ神事しんじ
  • 2がつ
    • 3にち節分せつぶんつい儺祭
    • 25にち菜種なたね御供ごくう
    • 25にち紅梅こうばい殿どの例祭れいさい
  • 3がつ
    • 25にちかみさい
  • 4がつ
    • 29にち藤花ふじはなさい
  • 5月
    • 5にち開基かいき別当べっとうさい
    • 5にち出世しゅっせこい放流ほうりゅう
    • だい2日曜にちよう花園はなぞのしゃ例祭れいさい
    • 25にち更衣ころもがえさい
  • 6がつ
    • 25にち夏越なごしはらい
  • 7がつ
    • 25にち筆塚ふでづかさい
  • 8がつ
    • 24にち弁天べんてんしゃ例祭れいさい
    • 24にち鳳輦ほうれん渡御とぎょさい
    • 25にちれい大祭たいさい
    • 25にち献灯けんとうあきら
    • 26にち氏子うじこ御輿みこしみやり※
  • 9月
    • 25にち敬老けいろう延寿えんじゅさい
  • 10月
    • 25にち更衣ころもがえさい
  • 11月
    • 15にちななさん祝祭しゅくさい
    • 15にち出世しゅっせこい放流ほうりゅう
    • 25にち新嘗祭にいなめさい
  • 12月
    • 25にちおさ天神祭てんじんまつり
    • 25にちかみさつしょうおさめしき
    • 31にち大祓おおはらい
    • 31にち除夜じょやさい

※4ねんに1

氏子うじこ地域ちいき[編集へんしゅう]

江東こうとう亀戸かめいど位置いちしているが、氏子うじこ地域ちいき大半たいはん墨田すみだ、しかも総武線そうぶせん以南いなんまちひのとである。亀戸かめいど地域ちいき鎮守ちんじゅではなく、亀戸かめいど鎮守ちんじゅ別途べっと香取かとり神社じんじゃおな亀戸かめいどさん丁目ちょうめ存在そんざいする(おなじく亀戸かめいど位置いちする江東こうとう亀戸かめいどたかし祖神そしんしゃ氏子うじこ地域ちいき大半たいはん墨田すみだにあたる。ただしこちらは亀戸かめいどいち丁目ちょうめ丁目ちょうめのぞけば大半たいはん総武線そうぶせん以北いほく氏子うじことしている)。

ギャラリー[編集へんしゅう]

拝観はいかん時間じかん拝観はいかんりょう[編集へんしゅう]

  • 開門かいもん時間じかんは24あいだで、拝観はいかんりょう無料むりょう
  • ふじまつりのライトアップは夕方ゆうがたからよる9まで。

アクセス[編集へんしゅう]

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

バス[編集へんしゅう]

  • 都営とえいバス亀戸かめいど天神前てんじんまえバス停ばすてい下車げしゃすぐ

くるま[編集へんしゅう]

名前なまえている、亀戸水神かめいどすいじんえきからだと、徒歩とほやく17~18ふんかかる。

周辺しゅうへん情報じょうほう[編集へんしゅう]

  • 船橋ふなばし
    くずもち著名ちょめい老舗しにせ和菓子わがしてんうめまつり開花かいか速報そくほう
  • 亀戸かめいど天神てんじんどお商店しょうてんがい
    上記じょうき船橋ふなばしぞくする、蔵前橋くらまえばしどおめんする商店しょうてんがい亀戸かめいどたかし神社じんじゃ蔵前橋くらまえばしどお沿いにある。
  • 東京とうきょうカットグラス工業こうぎょう協同きょうどう組合くみあい
    伝統でんとう工芸こうげい江戸えど切子きりこ組合くみあい蔵前橋くらまえばしどおからすぐのところ販売はんばいてん・ショールームを開設かいせつ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 東京とうきょう神社じんじゃちょうによれば寛文ひろふみ2ねん[1]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 東京とうきょう神社じんじゃちょう.
  2. ^ a b 祭神さいじん 亀戸かめいどたかし神社じんじゃ
  3. ^ 清水しみずはるふうちょ東京とうきょう名物めいぶつひゃくにんいちしゅ明治めいじ40ねん8がつ亀戸かめいど神社じんじゃふじ葛餅くずもち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん蔵書ぞうしょ、2018ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ 残菊ざんぎくは、旧暦きゅうれき重陽ちょうよう節句せっく以降いこうきく意味いみするとつたえられる。
  5. ^ 四季しきギャラリー|亀戸かめいどたかし神社じんじゃ公式こうしきホームページ”. kameidotenjin.or.jp. 2020ねん11月16にち閲覧えつらん
  6. ^ ウサギの日本にっぽん文化ぶんか』(p134, p135)より。同書どうしょ134ページに転載てんさいされている。
  7. ^ ウサギの日本にっぽん文化ぶんか』(p289)より。
  8. ^ 亀戸かめいどたかし神社じんじゃかみうし説明せつめいふだより。
  9. ^ a b 亀戸かめいどたかし神社じんじゃ(7)かみうし」『境内けいだいあちこち発見はっけんたいhttp://kameidotenjin.or.jp/tour/index.html2009ねん12月27にち(日)にち閲覧えつらん 
  10. ^ 半円はんえんがたったはし --『広辞苑こうじえん』より。
  11. ^ 亀戸かめいどたかし神社じんじゃ(1)太鼓橋たいこばし おとこきょう」『境内けいだいあちこち発見はっけんたいhttp://kameidotenjin.or.jp/tour/index.html2009ねん12月27にち(日)にち閲覧えつらん より。
  12. ^ 亀戸かめいどたかし神社じんじゃ(2)太鼓橋たいこばし おんなきょう」『境内けいだいあちこち発見はっけんたいhttp://kameidotenjin.or.jp/tour/index.html2009ねん12月27にち(日)にち閲覧えつらん より。
  13. ^ 佐々木ささきひろし『ぼくらはみんなきている - 都市とし動物どうぶつ観察かんさつ講談社こうだんしゃ、2004ねん、62-70ぺーじぺーじISBN 978-4062120388 より。
  14. ^ アクセス”. 亀戸かめいどたかし神社じんじゃ. 2023ねん12月11にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

資料しりょう映像えいぞう[編集へんしゅう]

関連かんれん作品さくひん[編集へんしゅう]

楽曲がっきょく
  • 飯塚いいづかまもる『せいやっさ』2017ねん9がつシングルCD「ディスタンス」収録しゅうろく。「天神てんじんさま」としてうたわれているが、ライブとう亀戸かめいど天神てんじんだと公言こうげんしている。また、ミュージック・ビデオからも亀戸かめいどたかし神社じんじゃ確認かくにんできる。
書籍しょせき
  • 持田もちだ香織かおり『ミドリノヘイワ』マガジンハウス、2003ねん3がつISBN 4838714408 - 亀戸かめいど出身しゅっしん持田もちだ香織かおりちょ子供こどもころしたしんだ亀戸かめいど天神てんじん題材だいざいにしたがある。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

東京とうきょうじゅうしゃじゅんみことのりさいしゃ
社名しゃめい 主祭しゅさいしん 鎮座ちんざ東京とうきょう 近代きんだい 別表べっぴょう
根津ねづ神社じんじゃ
根津ねづ権現ごんげん
須佐すさおとこいのち
大山おおやま咋命
誉田ほんだ別命べつめい
大国たいこく主命しゅうめい
菅原すがわら道真みちざねおおやけ
文京ぶんきょう根津ねづ しゃ
しば大神宮だいじんぐう
しば神明しんめいみや飯倉いいくら神明しんめいみや
てんあきらすめらぎ大御神おおみかみ
ゆたか大御神おおみかみ
みなと芝大門しばだいもん しゃ
神田かんだ明神みょうじん
神田かんだ神社じんじゃ
だいおのれ貴命きめい
しょう彦名ひこないのち
平将門たいらのまさかどしん
千代田ちよだ外神田そとかんだ しゃ 別表べっぴょう
日枝ひえ神社じんじゃ
山王さんのう権現ごんげんこうじまち山王さんのう
大山おおやま咋神 千代田ちよだ永田町ながたちょう かんぬさ大社たいしゃ 別表べっぴょう
亀戸かめいどたかし神社じんじゃ
ひがし宰府さいふ亀戸かめいど天満宮てんまんぐう
天満てんま大神おおがみ
てん菩日いのち
江東こうとう亀戸かめいど しゃ
白山はくさん神社じんじゃ きくひめいのち
弉諾いのち
弉冉いのち
文京ぶんきょう白山はくさん 郷社ごうしゃ
品川しながわ神社じんじゃ てん理乃りの咩命
盞嗚みこと
宇賀うがうれいのち
品川しながわ北品川きたしながわ 郷社ごうしゃ
富岡八幡宮とみおかはちまんぐう
深川ふかがわ八幡やはた
しな和気わきいのち 江東こうとう富岡とみおか しゃ
王子おうじ神社じんじゃ
王子おうじ権現ごんげん
弉諾いのち
弉冉いのち
天照大御神あまてらすおおみかみ
速玉はやたまおとこいのち
ことかいおとこいのち
きた王子本おうじほんまち 郷社ごうしゃ
氷川神社ひかわじんじゃ
赤坂あかさか氷川神社ひかわじんじゃ
盞鳴みこと
稲田いなだひめいのち
だいおのれ貴命きめい
みなと赤坂あかさか しゃ