代表だいひょうなくして課税かぜいなし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

代表だいひょうなくして課税かぜいなし」(だいひょうなくしてかぜいなし、英語えいご: No Taxation Without Representation)とは、アメリカ独立どくりつ戦争せんそう1775ねん - 1783ねんスローガンひとつ。

当時とうじイギリスりょうであったきたアメリカ東部とうぶ植民しょくみんしていた人々ひとびとは、ぜいせられていながらみずか選出せんしゅつした代議士だいぎしロンドンにある英国えいこく議会ぎかいおくることがゆるされておらず(投票とうひょうけんたない議員ぎいん1人ひとりだけおくることがゆるされていた)、これを不服ふふくとした植民しょくみんみんあいだイギリス本国ほんごくへの反感はんかんまれ、独立どくりつへの気運きうんたかめた。「代表だいひょうしの課税かぜい」はイギリスのおこなった主要しゅよう不法ふほう行為こういひとつとしてアメリカ独立どくりつ宣言せんげんにおいてもげられている。

起源きげん[編集へんしゅう]

人民じんみんみずか選出せんしゅつした代議士だいぎし承認しょうにんしに政府せいふ人民じんみん課税かぜいすることは不当ふとうであるという理念りねん自体じたいは、13世紀せいき制定せいていされたマグナ・カルタ由来ゆらいするもので、以来いらいイギリスほうにおいてながらく人民じんみん権利けんりひとつとして保証ほしょうされてきていた。

独立どくりつ戦争せんそうのスローガンとしての「代表だいひょうなくして課税かぜいなし (No taxation without representation)」は、マサチューセッツしゅうボストンにあるオールド・ウェスト・チャーチの牧師ぼくしジョナサン・メイヒューがどう教会きょうかいにおいてった説教せっきょうにおいてったのが最初さいしょであるとされる。同種どうしゅのスローガンである「代表だいひょうなしの課税かぜい暴政ぼうせいである (Taxation without representation is tyranny)」は、マサチューセッツしゅう弁護士べんごしジェイムズ・オーティスが1764ねんにイギリスの課税かぜい批判ひはんするパンフレットにおいてったのが最初さいしょとされる。

近年きんねん使用しよう[編集へんしゅう]

代表だいひょうなき課税かぜい」と下部かぶかれたDCのナンバープレート

コロンビア特別とくべつ(ワシントンDC)は議決ぎけつけんをもった連邦れんぽう議会ぎかい議員ぎいん選出せんしゅつすることができない(下院かいん議決ぎけつけんのない代表だいひょうおくるのみ)ため、しゅう昇格しょうかく運動うんどうのスローガンのひとつとしてもちいられている。

2000ねんには運輸うんゆ当局とうきょくが「代表だいひょうなき課税かぜい」とかれた自動車じどうしゃナンバープレート発行はっこうしている。2007ねんには25セント硬貨こうか地方ちほうデザインとして「代表だいひょうなき課税かぜい」か「代表だいひょうなくして課税かぜいなし」とデザインにれることを提案ていあんしたが、造幣局ぞうへいきょく却下きゃっかされ、DCの標語ひょうごでもある「公正こうせい全員ぜんいんに」(Justice for all) で妥協だきょうした。

また現代げんだいティーパーティー運動うんどうでも、近年きんねん財政ざいせい膨張ぼうちょう国民こくみん意図いとはんするものであるという主張しゅちょうをもとにとなえられることもある。 なおDCと同様どうよう下院かいん議決ぎけつけんのないオブザーバー代表だいひょうしゃおくるのみであるプエルトリコきたマリアナアメリカンサモアなどの海外かいがい領土りょうど住民じゅうみんには合衆国がっしゅうこく連邦れんぽうぜい課税かぜいされない。ただしDCとことなり大統領だいとうりょうせんについても住民じゅうみん選挙せんきょけんゆうしない。なおオブザーバー代表だいひょうしゃ制度せいど1992ねん導入どうにゅうされたものであるため、アメリカ統治とうち時代じだい沖縄おきなわにおいてはこのような代表だいひょうしゃ存在そんざいしなかった。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]