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租税そぜい

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徴税ちょうぜいから転送てんそう

租税そぜいそぜいえい: tax)とは、くに地方ちほう公共こうきょう団体だんたい公共こうきょうざい公共こうきょうサービス提供ていきょうするにあたって、法令ほうれいさだめにもとづいて国民こくみん企業きぎょうなどの主体しゅたいに、必要ひつよう経費けいひなどの捻出ねんしゅつ方法ほうほうとして負担ふたん強制きょうせいする金銭きんせん通貨つうかかね)で、日本にっぽんでは税金ぜいきんぜいきんわれる。一部いちぶくに国防こくぼうかか徴兵ちょうへいせいなどがられるが、安定あんていした税収ぜいしゅう確保かくほするため、物納ぶつのう労働ろうどう採用さいようすることはってきている。 税制ぜいせいぜいせい租税そぜい制度せいど)は、歳入さいにゅう財政ざいせい)の根幹こんかんおよび政治せいじ経済けいざい経世済民けいせいさいみん)の要因よういんとなる。商売しょうばい契約けいやく取引とりひきなどの行為こういおよび所得しょとく有形ゆうけい無形むけい財産ざいさんなどにたいしてぜい賦課ふかすることを課税かぜいかぜい課税かぜいされたぜいおさめることを納税のうぜいのうぜい徴収ちょうしゅうすることを徴税ちょうぜいちょうぜい、それらについての事務じむ税務ぜいむぜいむという。政府せいふ財政ざいせい状況じょうきょうにおいて租税そぜい徴収ちょうしゅうがく減額げんがくすることを減税げんぜいげんぜいぎゃく増額ぞうがくすることを増税ぞうぜいぞうぜいという。

租税そぜい機能きのう

政府せいふは、国家こっか基盤きばんてき機能きのう維持いじするため、個人こじんから生殺与奪せいさつよだつ権利けんりげ、社会しゃかいてきジレンマ外部がいぶせいフリーライダー)を回避かいひする施策しさく検討けんとうしなければならない。租税そぜいには、つぎの3つの機能きのう効果こうかがあるとされている。

  1. 公共こうきょうサービス費用ひよう調達ちょうたつ機能きのう - 「市場いちば失敗しっぱい」という言葉ことば象徴しょうちょうされる市場いちば経済けいざいのもとでは提供ていきょう困難こんなんなサービス(軍事ぐんじ裁判さいばん警察けいさつ消防しょうぼう公共こうきょう事業じぎょうなど)の提供ていきょうのための費用ひよう調達ちょうたつするための機能きのう[1]
  2. 所得しょとくさい分配ぶんぱい機能きのう - 自由じゆう私的してき財産ざいさんけん保護ほご)と平等びょうどう生存せいぞんけん保障ほしょう)は、究極きゅうきょくてきには矛盾むじゅんするかんがかたであるが、今日きょうおおくのくにでは、いわゆる福祉ふくし国家こっか理念りねんのもと、国家こっか一定いってい程度ていど私的してき財産ざいさん干渉かんしょうすることもやむをないこととかんがえられている。このようなかんがかたもとづいててるものからたざるものとみさい分配ぶんぱいする機能きのう[2]
  3. 景気けいき調整ちょうせい機能きのう - 自由じゆう主義しゅぎ経済けいざい体制たいせいにおける特殊とくしゅ調整ちょうせい機能きのう景気けいき循環じゅんかん不可避ふかひのものとされるが、景気けいき過熱かねつには増税ぞうぜいおこなうことにより余剰よじょう資金しきんらし投資とうし抑制よくせいはかる。ぎゃく後退こうたいには減税げんぜいおこなうことにより余剰よじょう資金しきんやし投資とうし活性かっせいおこなう。これにより、ある程度ていど景気けいき調節ちょうせつすることが可能かのうであるとされる。現代げんだい租税そぜい制度せいど累進るいしん課税かぜい採用さいようしている租税そぜいくになどの主要しゅよう財源ざいげんめているため、所得しょとく変動へんどうおうじた税率ぜいりつ変動へんどうにより、景気けいき自動的じどうてき調整ちょうせいされるという効果こうかゆうする。この効果こうかは「自動じどう景気けいき調整ちょうせい機能きのうビルト・イン・スタビライザー)」としょうされる[3]

一方いっぽう税金ぜいきん経済けいざい全体ぜんたい調整ちょうせいするための機能きのうとみなす機能きのうてき財政ざいせいろんは、前述ぜんじゅつ公共こうきょうサービスの費用ひよう調達ちょうたつ機能きのう否定ひていてきである。このろんによれば、租税そぜいは、財源ざいげん確保かくほ手段しゅだんではなく物価ぶっか調整ちょうせい手段しゅだんであり、政府せいふ負債ふさいやすことで、貨幣かへい供給きょうきゅうりょうえて、インフレにかい、政府せいふ増税ぞうぜいによって負債ふさい返却へんきゃくしたら、そのぶんだけ貨幣かへいえ、貨幣かへい供給きょうきゅうりょうるから、デフレへとかうとされる。そのほかに、炭素たんそぜいのように、二酸化炭素にさんかたんそ排出はいしゅつ抑制よくせい手段しゅだんにもなり(ピグーぜい)所得しょとくさい配分はいぶん手段しゅだんとしても重要じゅうようである[4]

また、ひょうけん主義しゅぎによれば、租税そぜい目的もくてき政府せいふ発行はっこうする通貨つうかたいする需要じゅようすことであり、歳入さいにゅうすためではない。通貨つうか利用りようしゃたる国民こくみんが、通貨つうかれようと、労働ろうどうりょく資源しげん生産せいさんぶつ政府せいふ売却ばいきゃくするように仕向しむけるためである[5]政府せいふが「おかね」の価値かち保証ほしょうすることと租税そぜい制度せいど存続そんぞくさせることとは表裏一体ひょうりいったいで、日本にっぽんにおいては、明治めいじ時代じだい紙幣しへい債権さいけん経済けいざいへの移行いこう地租ちそ改正かいせいおこな通貨つうかによる納税のうぜい制度せいどれている。政府せいふが「おかね」の価値かち保証ほしょうすることは、近世きんせい社会しゃかい以降いこうにおいて治安ちあんならんで国家こっかてき機能きのう重要じゅうようはたらきのひとつで、国内こくないてきなあらゆる取引とりひきにおける一定いってい価値かちおよび安全あんぜんせい保証ほしょうするものである。

租税そぜい基本きほん原則げんそく

租税そぜい制度せいどかんする一般いっぱんてき基本きほん原則げんそくとして、アダム・スミスの4原則げんそくアドルフ・ワグナーの4だい原則げんそく・9原則げんそくマスグレイブの7条件じょうけんなどの租税そぜい原則げんそくられており、それらの理念りねんは「公平こうへい中立ちゅうりつ簡素かんそ」の3てん集約しゅうやくできる[6]。それらはトレードオフ関係かんけい場合ばあいもあり同時どうじたされるものではなく、公正こうせいかたよりのないぜい体系たいけい実現じつげんすることはかならずしも容易よういではない。種々しゅじゅ税目ぜいもく適切てきせつわせて制度せいど設計せっけいおこな必要ひつようがある[7]

租税そぜい原則げんそく[8]
アダム・スミスの
4原則げんそく
公平こうへい原則げんそく
ぜい負担ふたん各人かくじん能力のうりょく比例ひれいすべきこと。いいかえれば、国家こっか保護ほごした享受きょうじゅする利益りえき比例ひれいすべきこと。
明確めいかく原則げんそく
租税そぜいは、恣意しいてきであってはならないこと。支払しはらい時期じき方法ほうほう金額きんがく明白めいはくで、平易へいいなものであること。
便宜べんぎ原則げんそく
租税そぜいは、納税のうぜいしゃ支払しはらうのにもっと便宜べんぎなる時期じき方法ほうほうによって徴収ちょうしゅうされるべきこと。
最小さいしょう徴税ちょうぜい原則げんそく
国庫こっこするじゅん収入しゅうにゅうがく人民じんみん給付きゅうふするがくとのをなるべくすくなくすること。
ワグナーの
4だい原則げんそく・9原則げんそく

財政ざいせい政策せいさくじょう原則げんそく

課税かぜい十分じゅうぶんせい
財政ざいせい需要じゅようたすのに十分じゅうぶん租税そぜい収入しゅうにゅうがあげられること。
課税かぜい弾力だんりょくせい
財政ざいせい需要じゅよう変化へんかおうじて租税そぜい収入しゅうにゅう弾力だんりょくてき操作そうさできること。

国民こくみん経済けいざいじょう原則げんそく

ただしい税源ぜいげん選択せんたく
国民こくみん経済けいざい発展はってん阻害そがいしないようただしく税源ぜいげん選択せんたくをすべきこと。
ただしいぜいしゅ選択せんたく
租税そぜい種類しゅるい選択せんたくさいしては、納税のうぜいしゃへの影響えいきょう転嫁てんか見極みきわめ、国民こくみん経済けいざい発展はってん阻害そがいしないで、租税そぜい負担ふたん公平こうへい配分はいぶんされるよう努力どりょくすべきこと。

公正こうせい原則げんそく

課税かぜい普遍ふへんせい
負担ふたん普遍ふへんてき配分はいぶんされるべきこと。特権とっけん階級かいきゅう免税めんぜい廃止はいしすべきこと。
課税かぜい公平こうへいせい
負担ふたん公平こうへい配分はいぶんされるべきこと。すなわち、各人かくじん負担ふたん能力のうりょくおうじて課税かぜいされるべきこと。負担ふたん能力のうりょく所得しょとく増加ぞうか割合わりあい以上いじょうたかまるため、累進るいしん課税かぜいをすべきこと。なお、所得しょとく種類しゅるいなどにおう担税たんぜいりょく相違そういなどからむしろことなった取扱とりあつかいをすべきであること。

租税そぜい行政ぎょうせいじょう原則げんそく

課税かぜい明確めいかくせい
課税かぜい明確めいかくであるべきこと。恣意しいてき課税かぜいであってはならないこと。
課税かぜい便宜べんぎせい
納税のうぜい手続てつづき便利べんりであるべきこと。
最小さいしょう徴税ちょうぜいへの努力どりょく
徴税ちょうぜい最小さいしょうとなるよう努力どりょくすべきこと。
マスグレイブの
7条件じょうけん
十分じゅうぶんせい
歳入さいにゅう税収ぜいしゅう)は十分じゅうぶんであるべきこと。
公平こうへい
租税そぜい負担ふたん配分はいぶん公平こうへいであるべきこと。
負担ふたんしゃ
租税そぜいは、課税かぜい対象たいしょう問題もんだいであるだけでなく、最終さいしゅう負担ふたんしゃ転嫁てんかさき)も問題もんだいである。
中立ちゅうりつ効率こうりつせい
租税そぜいは、効率こうりつてき市場いちばにおける経済けいざいじょう決定けっていたいする干渉かんしょう最小さいしょうにするよう選択せんたくされるべきこと。そのような干渉かんしょうは「超過ちょうか負担ふたん」をすことになるが、超過ちょうか負担ふたん最小限さいしょうげんにとどめなければならない。
経済けいざい安定あんてい成長せいちょう
租税そぜい構造こうぞう経済けいざい安定あんてい成長せいちょうのための財政ざいせい政策せいさく容易ようい実行じっこうできるものであるべきこと。
明確めいかくせい
租税そぜい制度せいど公正こうせいかつ恣意しいてきでない執行しっこう可能かのうにし、かつ納税のうぜいしゃにとって理解りかいしやすいものであるべきこと。
費用ひよう最小さいしょう
税務ぜいむ当局とうきょくおよ納税のうぜいしゃ双方そうほうにとっての費用ひよう目的もくてき両立りょうりつかぎり、できるだけちいさくすべきこと。

租税そぜい法律ほうりつ主義しゅぎ

租税そぜい法律ほうりつ主義しゅぎとは、租税そぜいは、民間みんかんとみ強制きょうせいてき国家こっか移転いてんさせるものなので、租税そぜい賦課ふか徴収ちょうしゅうおこなうにはかなら法律ほうりつ根拠こんきょようする、とする原則げんそく。この原則げんそくはじめて出現しゅつげんしたのは、13世紀せいきイギリスのマグナ・カルタである。

近代きんだい以前いぜんは、君主くんしゅ支配しはいしゃ恣意しいてき租税そぜい運用うんようおこなうことがおおかったが、近代きんだいはいると市民しみん階級かいきゅう成長せいちょうし、課税かぜいするには課税かぜいされるがわ同意どうい必要ひつようだという思想しそう一般いっぱんてきとなりはじめていた。あわせて、公権力こうけんりょく行使こうし法律ほうりつ根拠こんきょもとづくべしとする法治ほうち主義しゅぎひろがっていた。そこで、課税かぜいかんすることは、国民こくみん課税かぜいされるがわ代表だいひょうからなる議会ぎかい制定せいていした法律ほうりつ根拠こんきょもとづくべしとする基本きほん原則げんそく、すなわち租税そぜい法律ほうりつ主義しゅぎまれた。現代げんだいでは、ほとんどの民主みんしゅ国家こっか租税そぜい法律ほうりつ主義しゅぎ憲法けんぽう原理げんりとされている。

租税そぜいされる根拠こんきょ

租税そぜいされる根拠こんきょとして、おおきくはつぎの2つのかんがかたがある。

  1. 利益りえきせつ - ロックルソー、アダム・スミスがとなえた。国家こっか契約けいやくせつ視点してんから、租税そぜい個人こじんける公共こうきょうサービスにおうじて支払しはら公共こうきょうサービスの対価たいかであるとするかんがかた後述こうじゅつするおう益税えきぜい理論りろんてき根拠こんきょといえる。
  2. 能力のうりょくせつ - ジョン・スチュアート・ミル、ワグナーがとなえた。租税そぜい国家こっか公共こうきょう利益りえき維持いじするための義務ぎむであり、人々ひとびと各人かくじん能力のうりょくおうじて租税そぜい負担ふたんし、それによってその義務ぎむたすとする。「義務ぎむせつ」ともしょうされる。後述こうじゅつするおうのうぜい理論りろんてき根拠こんきょといえる。

租税そぜい種類しゅるい

租税そぜい制度せいど仕組しくみのことなるさまざまな税目ぜいもくからっている[7]。それぞれの税目ぜいもくには長所ちょうしょ短所たんしょがあり、観点かんてんちがいによって様々さまざま分類ぶんるい方法ほうほうがある[7]

OECD各国かっこく主要しゅよう税収ぜいしゅう構造こうぞう種類しゅるいべつ, GDPにめる比率ひりつ%)
あお所得しょとくぜいだいだい法人ほうじんぜいみどり社会しゃかい保険ほけん被用者ひようしゃ)、あか社会しゃかい保険ほけん雇用こようしゃ)、むらさき給与きゅうよぜいもも資産しさんぜいはい消費しょうひぜいうすみどり物品ぶっぴんぜい

所得しょとくぜい消費しょうひぜい資産しさん課税かぜいなど

OECD各国かっこく平均へいきん
税収ぜいしゅう構造こうぞう(2014ねん[9]

  資産しさんぜい (6%)
  個別こべつ消費しょうひぜい (10%)
  その (4%)

ぜい負担ふたん尺度しゃくどとなる課税かぜいベースに着目ちゃくもくした分類ぶんるいとして、「所得しょとくぜい」「消費しょうひぜい」「資産しさん課税かぜい」などがある[7]。OECD諸国しょこくにおける各国かっこく平均へいきん課税かぜい割合わりあいみぎしるす。

所得しょとくぜい
個人こじん所得しょとくたいして課税かぜいされる個人こじん所得しょとく課税かぜい所得しょとくぜいなど)と、法人ほうじん所得しょとくたいして課税かぜいされる法人ほうじん所得しょとく課税かぜい法人ほうじんぜいなど)がある[7]累進るいしん課税かぜいによる特性とくせいとして、経済けいざい自動じどう安定あんてい機能きのうビルト・イン・スタビライザー)をもたらすとされる[7]
所得しょとく控除こうじょ医療いりょう控除こうじょをはじめ、年金ねんきん貯蓄ちょちく住宅じゅうたく投資とうしなどにたいする優遇ゆうぐう措置そちなど、納税のうぜいしゃ負担ふたん軽減けいげんのための様々さまざま制度せいど導入どうにゅうしやすいことが利点りてんでもある反面はんめん、それらの制度せいど既得きとくけんすると公平こうへいせいそこなうだけでなく、課税かぜいベースの縮小しゅくしょうによって税収ぜいしゅう調達ちょうたつ機能きのう低下ていか効率こうりつといった問題もんだいしょうじる[10]。また、納税のうぜいしゃ個々ここ収入しゅうにゅう把握はあくてきかく課税かぜい徴収ちょうしゅうする必要ひつようがあるため正確せいかく徴税ちょうぜいおこないにくく、この制度せいど有効ゆうこう活用かつようするには税務ぜいむ当局とうきょく能力のうりょく向上こうじょう必須ひっすとなる。このため3つの課税かぜいベースのうちでもっとも開発かいはつおくれ、所得しょとく課税かぜい租税そぜい全体ぜんたいにおいておおきな役割やくわりたすのは国家こっか徴税ちょうぜい能力のうりょく向上こうじょうした近代きんだい以降いこうのことである。またおな理由りゆうで、納税のうぜい徴税ちょうぜいしゃ双方そうほうおおきな事務じむてき負担ふたんがかかる課税かぜいである[11]。このことから、所得しょとく課税かぜい先進せんしんこく税収ぜいしゅうにおいておおきな割合わりあいめることがおおいが、発展はってん途上とじょうこくにおいてはそれほどの重要じゅうようせいたないことがおおい。
消費しょうひぜい
ざい・サービスの消費しょうひたいして課税かぜいされる[7]消費しょうひぜいのほか、関税かんぜい酒税しゅぜいなどがふくまれる。控除こうじょなどによる特別とくべつ措置そち余地よちすくなく、業種ぎょうしゅごとの課税かぜいベース把握はあく不公平ふこうへいしょうじないため、水平すいへいてき公平こうへい世代せだいあいだ公平こうへいすぐれており、ひろ課税かぜいベースによる安定あんていした歳入さいにゅう見込みこめる[12]。また所得しょとくぜいくらべて課税かぜい対象たいしょう把握はあく納税のうぜい徴税ちょうぜいしゃ双方そうほうにとってわかりやすく、税務ぜいむ当局とうきょく能力のうりょくがそこまで必要ひつようではないことから、とく発展はってん途上とじょうこくにおいては消費しょうひ課税かぜい税収ぜいしゅう大半たいはんめていることがおお[13]反面はんめん所得しょとく全体ぜんたいめるぜい負担ふたん割合わりあいてい所得しょとくしゃほどおおきくなるため、逆進ぎゃくしんてき性質せいしつともな[14]
資産しさん課税かぜいなど
資産しさん取得しゅとく保有ほゆう移転いてんなどにたいして課税かぜいされる[7]固定こてい資産しさんぜい相続そうぞくぜい贈与ぞうよぜいなどがぞくする。他者たしゃからも明確めいかく把握はあくできる土地とち資産しさん課税かぜい対象たいしょうとすることから徴税ちょうぜいおこないやすく、近代きんだい以前いぜんにおいてはもっと中心ちゅうしんてき課税かぜいであった。また資産しさんゆうする富裕ふゆうそうたいしての課税かぜいという性格せいかくつよいため、所得しょとく課税かぜいおなじく所得しょとく格差かくさ是正ぜせい機能きのうゆうするとされる。一方いっぽうであくまでもゆう資産しさんしゃたいするぜいであるため、課税かぜい対象たいしょうすくなく税収ぜいしゅうはしらにはしにくいめんがある[13]

近年きんねんでは就労しゅうろう促進そくしん所得しょとくさい分配ぶんぱい機能きのう強化きょうかなどを目的もくてきとして、所得しょとく課税かぜいなどにたいする給付きゅうふ税額ぜいがく控除こうじょ導入どうにゅうすすんでいる[15]給付きゅうふ税額ぜいがく控除こうじょ制度せいど複雑ふくざつ過誤かご支給しきゅう不正ふせい受給じゅきゅうなどの課題かだいともな反面はんめん課税かぜい最低限さいていげん以下いかそうふくてい所得しょとく世帯せたいへの所得しょとく移転いてん税制ぜいせいわくない実現じつげんでき、労働ろうどう供給きょうきゅう阻害そがいしにくい制度せいど設計せっけい可能かのうであることから[ちゅう 1]格差かくさ是正ぜせい消費しょうひぜいなどの逆進ぎゃくしんせい対策たいさくてきするとされる[16][ちゅう 2]勤労きんろう所得しょとく就労しゅうろう時間じかん条件じょうけん加味かみして就労しゅうろう促進そくしんさく役割やくわりにな勤労きんろう税額ぜいがく控除こうじょは、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、スウェーデン、カナダ、ニュージーランド、韓国かんこくなど10かこく以上いじょう導入どうにゅうしている[17]子育こそだ支援しえん目的もくてきとする児童じどう税額ぜいがく控除こうじょはアメリカ、イギリスなどが採用さいようしているほか、ドイツやカナダなどもどう趣旨しゅし給付きゅうふ制度せいどもうけている[18][ちゅう 3]消費しょうひぜい逆進ぎゃくしんせい緩和かんわ目的もくてきとする消費しょうひぜい逆進ぎゃくしんせい対策たいさく税額ぜいがく控除こうじょはカナダやシンガポールなどが導入どうにゅうしている[19]

国税こくぜい地方ちほうぜい

OECD各国かっこく税収ぜいしゅうのタイプべつGDP(%)。
あか国家こっかあいだあお連邦れんぽう中央ちゅうおう政府せいふむらさきしゅうだいだい地方ちほうみどり社会しゃかい保障ほしょう拠出きょしゅつ[20]

租税そぜい課税かぜいけんしゃおうじて国税こくぜい地方ちほうぜい区分くぶんできる[7]ども手当てあてのような生存せいぞん保障ほしょう支出ししゅつは、くに全額ぜんがく財源ざいげん負担ふたんするのが論理ろんりてきには一貫いっかんするが、対人たいじん社会しゃかいサービスなど現物げんぶつ給付きゅうふについては、地方自治体ちほうじちたい供給きょうきゅう主体しゅたいとなる[21]国税こくぜいでは富裕ふゆうそうへの課税かぜい矯正きょうせいてき正義せいぎおうのう原則げんそく)が重視じゅうしされるが、所得しょとく多寡たかわないユニバーサリズムの視点してんからすれば、地方ちほうぜいかんしてはむしろすべての参加さんかしゃ負担ふたんする配分はいぶんてき正義せいぎ応益おうえき原則げんそく水平すいへいてき公平こうへいせい)が基準きじゅんとなる[22]

国税こくぜい課税かぜいけんしゃくに地方ちほうぜい課税かぜいけんしゃかく地方自治体ちほうじちたいとなるが、地方ちほうぜいかんする税率ぜいりつなどの決定けっていかならずしもかく自治体じちたい自由じゆう裁量さいりょうではなく、税率ぜいりつ上下じょうげげんなど、くにによって様々さまざまかたちでの制約せいやくもうけられている[23]。チェコ、デンマー ク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ポルトガル、スペインといった国々くにぐにでは地方ちほうぜい税目ぜいもくたいして上限じょうげん下限かげん両方りょうほう制限せいげん存在そんざいし、オーストラリア、ベルギー、フランス、ハンガリー、オランダ、ポーランド、スイス、イギリス、アメリカなどは上限じょうげんのみが存在そんざいする[23]。イタリアのしゅう生産せいさん活動かつどうぜいのように、くにさだめた標準ひょうじゅん税率ぜいりつ基準きじゅん税率ぜいりつ上下じょうげげんはばめられているケースもある[23]日本にっぽんでは法人ほうじん課税かぜい中心ちゅうしん税率ぜいりつ上限じょうげん制限せいげん税率ぜいりつ)がもうけられているが、直接的ちょくせつてき下限かげんさだめた規制きせい存在そんざいせず、法的ほうてき拘束こうそくりょく標準ひょうじゅん税率ぜいりつ地方ちほうさい起債きさい許可きょか政府せいふあいだ財政ざいせい移転いてん制度せいど地方ちほう交付こうふぜい交付こうふきん)の交付こうふがく算定さんてい連動れんどうさせることで、それを下回したまわ税率ぜいりつ選択せんたく抑制よくせいする制度せいど設計せっけいとなっている[24][ちゅう 4]上位じょうい政府せいふによる起債きさい制限せいげん政府せいふあいだ財政ざいせい移転いてん双方そうほう背景はいけいとして地方ちほう税率ぜいりつ下方かほう硬直こうちょくてきになっているれいは、日本にっぽん以外いがい主要しゅようこくには見当みあたらず、日本にっぽん標準ひょうじゅん税率ぜいりつ制度せいど国際こくさいてきにみてもかなりユニークな制度せいどであるといえる[25]

普通ふつうぜい目的もくてきぜい

租税そぜいは、とくにその使途しと特定とくていしないで徴収ちょうしゅうされる普通ふつうぜいと、一定いってい政策せいさく目的もくてき達成たっせいするために使途しと特定とくていして徴収ちょうしゅうされる目的もくてきぜいとに区分くぶんできる[7]目的もくてきぜい公的こうてきサービスの受益じゅえき負担ふたんとが密接みっせつ対応たいおうしている場合ばあい合理ごうりせいともなった仕組しくみとなる反面はんめん財政ざいせい硬直こうちょくまね傾向けいこうがあり、継続けいぞくてき妥当だとうせい吟味ぎんみしていく必要ひつようがある[7]

直接ちょくせつぜい間接かんせつぜい

租税そぜい負担ふたんするものから直接ちょくせつ徴収ちょうしゅうする租税そぜい直接ちょくせつぜいい、納税のうぜいしゃ以外いがいもの転嫁てんかする租税そぜい間接かんせつぜいという[26]。ただし、租税そぜい転嫁てんか有無うむ税目ぜいもくごとに明確めいかく場合ばあいもあり、直接ちょくせつぜい間接かんせつぜい分類ぶんるい基準きじゅんには諸説しょせつある[26]

いかえると、具体ぐたいてき商品しょうひんサービス価格かかくつうじてぜい納税のうぜい義務ぎむしゃから消費しょうひしゃ転嫁てんかされることを予定よていした租税そぜい間接かんせつぜいい、それ以外いがい租税そぜい直接ちょくせつぜいぶ。たとえば、「たばこぜい」や「法人ほうじんぜい」は両者りょうしゃとも消費しょうひしゃ転嫁てんかされているが、たばこぜい具体ぐたいてき商品しょうひん転嫁てんかされているので間接かんせつぜいとなる。法人ほうじんぜい具体ぐたいてき商品しょうひんやサービスに転嫁てんかされていないため、直接ちょくせつぜいである[7]

直接ちょくせつぜいオフショア市場いちば活用かつようにより税収ぜいしゅうっている。

直接ちょくせつぜいれい

所得しょとくぜい法人ほうじんぜい相続そうぞくぜい地方ちほうぜいにおける住民じゅうみんぜい事業じぎょうぜい固定こてい資産しさんぜい[27]

間接かんせつぜいれい

印紙いんしぜい登録とうろくぜい通行つうこうぜいなどの流通りゅうつうぜい酒税しゅぜい物品ぶっぴんぜい関税かんぜいなどの消費しょうひぜい[26]たばこぜい [28]

従量税じゅうりょうぜい従価税じゅうかぜい

数量すうりょうあたりで税率ぜいりつさだめたぜい従量税じゅうりょうぜい価額かがく単位たんいされるぜい従価税じゅうかぜいという[7]

応益おうえき課税かぜいおうのう課税かぜい

納税のうぜいしゃ担税たんぜいりょく、すなわち租税そぜい負担ふたん能力のうりょくおうじて賦課ふかする立場たちばかんがかたおうのう課税かぜい公共こうきょうサービスの受益じゅえきおうじて課税かぜいすべきとするかんがかた応益おうえき課税かぜいという[6]租税そぜい公益こうえきサービスのための財源ざいげんであることから、すくなからず応益おうえき課税かぜい要素ようそ内在ないざいするが、個別こべつ受益じゅえき負担ふたんとの関係かんけいかならずしも明確めいかくでなく、応益おうえき負担ふたんだけではりたない[6]地方ちほうぜい地域ちいき住民じゅうみんによる負担ふたんぶんにんという性格せいかくじょう応益おうえき課税かぜい要素ようそがより重視じゅうしされる[6]

ぜい帰着きちゃく

ほうにおいては、ぜいだれから徴収ちょうしゅうするかをさだめている。おおくのくにでは、ぜい事業じぎょうしゃされている(たとえば法人ほうじんぜい給与きゅうよぜい)。しかし最終さいしゅうてきだれぜい支払しはらうか(ぜい負担ふたんするか)は、そのぜい製品せいひんコストにまれることで、市場いちば決定けっていする。経済けいざい学理がくりろんでは、ぜいによる経済けいざいてき効果こうかは、かならずしも法的ほうてき課税かぜいしゃりかかるわけではない。たとえば雇用こようぬし支払しはら雇用こようたいするぜいは、すくなくとも長期ちょうきてきには従業じゅうぎょういん影響えいきょうおよぼしている。

国民こくみん所得しょとくたいする負担ふたんりつ

租税そぜい負担ふたんりつ社会しゃかい保障ほしょう負担ふたんりつ

国民こくみん所得しょとくめる租税そぜい総額そうがく国税こくぜい地方ちほうぜいわせた租税そぜい収入しゅうにゅう金額きんがく国民こくみん所得しょとくじょしたがく)を租税そぜい負担ふたんりつという[29]。 また、国民こくみん所得しょとくめる社会しゃかい保障ほしょう負担ふたんがく総額そうがく医療いりょう保険ほけん年金ねんきん保険ほけんなどをわせた社会しゃかい保障ほしょう負担ふたんがく国民こくみん所得しょとくじょしたがく)を社会しゃかい保障ほしょう負担ふたんりつという。

国民こくみん負担ふたんりつ

国民こくみん全体ぜんたい所得しょとくめる租税そぜい負担ふたんりつ社会しゃかい保障ほしょう負担ふたんりつ合算がっさん 国民こくみん負担ふたんりつ(national burden ratio)という[29]。なお、国民こくみん負担ふたんりつ次世代じせだい国民こくみん負担ふたん財政ざいせい赤字あかじぶん)を加味かみして算出さんしゅつした割合わりあい潜在せんざいてき国民こくみん負担ふたんりつという[29]

徴収ちょうしゅう方式ほうしき

ぜい徴収ちょうしゅう方式ほうしきとしては、申告しんこく課税かぜい賦課ふか課税かぜいふたつの方式ほうしきおも方式ほうしきとなっている。賦課ふか課税かぜい方式ほうしきかく政府せいふ納付のうふ義務ぎむつものに税額ぜいがく計算けいさんして賦課ふかするものであり、申告しんこく課税かぜいぎゃく納付のうふ義務ぎむつものがみずか税額ぜいがく計算けいさんして政府せいふ申告しんこくするものである[30]賦課ふか課税かぜい方式ほうしき近代きんだいまでは中心ちゅうしんてき徴収ちょうしゅう方式ほうしきであったものの、20世紀せいき後半こうはんはいると申告しんこく課税かぜい主流しゅりゅう納付のうふ方式ほうしきとなった。このほか、いくつかの国家こっかにおいては納税のうぜいしゃへの給与きゅうよなどの支払しはらいのさいにその雇用こようしゃがあらかじめ税額ぜいがく相当そうとう天引てんびきしておく、いわゆる源泉げんせん徴収ちょうしゅうおこなわれている[31]。また、文書ぶんしょたい収入しゅうにゅう印紙いんしけて納付のうふする印紙いんし納付のうふもある。

租税そぜい歴史れきし

租税そぜい歴史れきし国家こっか歴史れきし密接みっせつ関連かんれんする。極端きょくたん増税ぞうぜいは、農民のうみんなどぜい負担ふたんしゃ疲弊ひへいさせ反乱はんらんまね国家こっか滅亡めつぼうにつながることもあった。歴史れきしてきには、労働ろうどう兵役へいえきやその地方ちほう特産とくさんぶつなどによる納税のうぜいおこなわれた時代じだいがあった。たとえば万里ばんり長城ちょうじょうなど歴史れきしてき建造けんぞうぶつおおくは、強制きょうせいてき労働ろうどうりょく徴発ちょうはつよりつくられたものとかんがえられている。

租税そぜい制度せいどおもつぎのような変遷へんせんげた[32]

古代こだい

原始げんしには、かみほうじたものさい配分はいぶんする、というかたちっていたとされている。社会しゃかいてき分業ぶんぎょうによって私的してき耕作こうさく家内かない工業こうぎょう発展はってんとともに集団しゅうだんなか支配しはいしゃ支配しはいしゃしょうじ、支配しはいしゃ支配しはいしゃから財産ざいさん一部いちぶるようになった。これには、支配しはいしゃ支配しはいしゃ犠牲ぎせいてきみつぎおさめ支配しはいしゃ支配しはいしゃから徴収ちょうしゅうする命令めいれいてき賦課ふかがあった。古代こだいぜいとしては、物納ぶつのう賦役ふえきおももちいられた。物納ぶつのう農村のうそんにおいては穀物こくもつおもとする収穫しゅうかくおもであり、それに古代こだいにおいては貴重きちょうひんであったぬのや、その地方ちほう特産とくさんひん特別とくべつ納付のうふさせることもおこなわれた。賦役ふえきぜいとして支配しはいしゃせられる労役ろうえきのことであり、土木どぼく工事こうじなどの公共こうきょう事業じぎょうや、領主りょうしゅ支配しはいにおける耕作こうさくなど様々さまざま形態けいたいった。

古代こだいエジプトパピルス文書ぶんしょ当時とうじ農民のうみんたいするきびしい搾取さくしゅ免税めんぜい特権とっけんをもつ神官しんかん書記しょきかんする記述きじゅつがある。

古代こだいインドマウリヤあさでは、農民のうみんたい収穫しゅうかくだかよんぶんいち程度ていど賦課ふかし、強制きょうせい労働ろうどうおこなわれていた。

古代こだいギリシアには平常へいじょう所得しょとくぜい財産ざいさんぜいというものはく、必要ひつよう支出ししゅつ資産しさん自発じはつてき公共こうきょう奉仕ほうしによってまかなわれた[33] に、エイスフォラ(Eisphora)という戦時せんじ特別とくべつ財産ざいさんぜいがあった。紀元前きげんぜん5、4世紀せいきアテナイにおいて戦費せんぴ捻出ねんしゅつのために一定いっていがく以上いじょう財産ざいさん所有しょゆうする市民しみんメトイコイ外国がいこくじん)にせられ、税率ぜいりつ財産ざいさん総額そうがくの1%だった[34]

マ帝国まていこく税制ぜいせい基本きほん簡潔かんけつであり、ぞく州民しゅうみんにのみされる収入しゅうにゅうの10%にたるぞくしゅうぜい(10ぶんの1ぜい)、ローマ市民しみんぞく州民しゅうみん双方そうほうされる商品しょうひん売買ばいばいごとにけられる2%の売上うりあげぜい(50ぶんの1ぜい)、ローマ市民しみんにのみされる遺産いさん相続そうぞくぜい解放かいほう奴隷どれいぜいなどであった。3世紀せいきアントニヌスみことのりれい以降いこう国庫こっこ収入しゅうにゅう減少げんしょうし、軍団ぐんだん編成へんせい費用ひようなどをまかなうための臨時りんじ課税かぜいおこなわれることもあった。マルクス・ユニウス・ブルートゥスぞくしゅう長官ちょうかん赴任ふにんしたとき、住民じゅうみんに10ねんぶんぜい前払まえばらいを要求ようきゅうした。

日本にっぽん

中国ちゅうごく

春秋しゅんじゅう時代じだい老子ろうし道徳どうとくけいだい75しょうには「みんかつえ 以其うえしょくぜい 以飢(みんえるのは政府せいふぜいおおりすぎるからである)」とある[35]

かん主要しゅよう財源ざいげんは、さん人頭じんとうぜいおよ財産ざいさんぜい)、田租でんそ、徭役(労働ろうどう提供ていきょう)であった。

きたたかしにおいてひとし田制たせい成立せいりつしたのち、これにもとづいてきたあまね租庸調そようちょう税制ぜいせいをはじめ、とうでもこの税法ぜいほう当初とうしょいだ。しかしげんむねはいると土地とち集積しゅうせきすすひとし田制たせい崩壊ほうかいし、土地とち存在そんざい前提ぜんていであった租庸調そようちょうせい同時どうじ崩壊ほうかいしたため、780ねんにはとくむね宰相さいしょう楊炎によってりょう税法ぜいほう導入どうにゅうされた。これはぜい簡素かんそ実情じつじょうわせた変更へんこうによって税収ぜいしゅう回復かいふくさせるこころみであり、以後いごあきらにいたるまで歴代れきだい王朝おうちょうはこの税法ぜいほう維持いじつづけた。しかし明代あきよはいるとふたた税制ぜいせい実情じつじょうとのかいこり、税制ぜいせい複雑ふくざつしたため、16世紀せいきまつまんれきみかどにおいて、宰相さいしょうちょうきょただしぜいちょうみつぐ人頭じんとうぜい)とぜいにまとめてぎん一括いっかつ納入のうにゅうさせる一条いちじょうむちほう導入どうにゅうした。きよしだいはいると、ちょうぎん地銀ちぎんんで一本いっぽんしたひのとぎんせい導入どうにゅうされた。

イスラム

イスラーム国教こっきょうとするいくつかの王朝おうちょうでは、ズィンミー異教徒いきょうとキリスト教徒きりすときょうとユダヤ教徒きょうとなど)にたいしてジズヤ人頭じんとうぜい)の徴収ちょうしゅうおこなわれた。この方式ほうしき7世紀せいきウマイヤあさ起源きげんとしている。正統せいとうカリフ時代じだいには税制ぜいせいはいまだ整備せいびであったが、ウマイヤちょうはいアラブじん以外いがいのイスラム教徒きょうとマワーリー)および異教徒いきょうとからジズヤとハラージュ土地とちぜい)の双方そうほう徴収ちょうしゅうすることとなった。しかしこの方式ほうしきはマワーリーからのおおきな反発はんぱつまねき、アッバース革命かくめいまねくこととなった。こうして成立せいりつしたアッバースあさはマワーリーからジズヤの納入のうにゅう義務ぎむ撤廃てっぱいし、またアラブじんのイスラム教徒きょうとであってもハラージュの納入のうにゅう義務付ぎむづけた。こうして成立せいりつしたジズヤ(異教徒いきょうとへの人頭じんとうぜい)とハラージュ(ぜん国民こくみん対象たいしょう土地とちぜい)の二本立にほんだての税制ぜいせいは、イスラームしょ王朝おうちょう基本きほん税制ぜいせいとなってひろまっていった。

ヨーロッパ

中世ちゅうせいヨーロッパでは教会きょうかい聖書せいしょ[36]典拠てんきょとして収穫しゅうかくぶつの10ぶんの1を徴収ちょうしゅうするじゅうぶんいちぜいきょう区民くみんされた[37]はじめは教徒きょうと自発じはつてき慣行かんこうだったが、8世紀せいきからフランク王国おうこく義務ぎむとされ、9世紀せいきにはこのぜいをめぐって世俗せぞく領主りょうしゅとの争奪そうだつせんがくりかえされ、10世紀せいきには領主りょうしゅ封建ほうけんてき所有しょゆうけんとして売買ばいばいされた[37]

中世ちゅうせいヨーロッパでは封建ほうけんせいられ、土地とち支配しはいする封建ほうけん領主りょうしゅ土地とち耕作こうさくする農民のうみんからみつぎおさめ生活せいかつしていた。みつぎおさめのほか、領主りょうしゅ直営ちょくえいにおける賦役ふえき農耕のうこう重要じゅうようぜいのひとつであった。そのかわり、領主りょうしゅ統治とうちしゃとして領民りょうみん外敵がいてきからまも役割やくわりたしていた。領主りょうしゅしゅ収入しゅうにゅう地代じだいであったが、私的してき収入しゅうにゅう公的こうてき収入しゅうにゅう同一どういつとなっており、しばしば戦費せんぴ調達ちょうたつのために臨時りんじ収入しゅうにゅうされた。フランスでは十字軍じゅうじぐん戦費せんぴのためにフィリップ2せい1198ねん臨時りんじ課税かぜいはじめた[38]

その領主りょうしゅ戦争せんそう武器ぶき改良かいりょう傭兵ようへい台頭たいとうによって財政難ざいせいなんおちいり、相続そうぞくぜい死亡しぼうぜい新設しんせつ地代じだいげる。しかし、それでもまかないきれなくなった領主りょうしゅ特権とっけん収入しゅうにゅうたよるようになる。ここで特権とっけんとは、製塩せいえん狩猟しゅりょう探鉱たんこうのち郵便ゆうびん売店ばいてん)をし、領主りょうしゅはこの特権とっけんうれわたすことで収入しゅうにゅうた。特権とっけん収入しゅうにゅう発生はっせい実物じつぶつ経済けいざいから貨幣かへい経済けいざいへの移行いこうひとつのあらわれとみられている。

貨幣かへい経済けいざい発達はったつするとあたらしい階級かいきゅうとして商人しょうにん階級かいきゅうまれる。土地とち売買ばいばい対象たいしょうとなり、領主りょうしゅ農民のうみん関係かんけい主従しゅうじゅう関係かんけいから貨幣かへい関係かんけいへと変質へんしつした。貴族きぞく土地とち所有しょゆう地代じだい収入しゅうにゅううしなったため、商人しょうにんたちに市場いちばぜいいりぜい営業えいぎょう免許めんきょぜい関税かんぜい運送うんそうぜい鉱山こうざん特権とっけんぜいなどをす。これらは租税そぜい手数料てすうりょう両方りょうほう側面そくめんっていた。

14世紀せいきから15世紀せいきにかけてオスマン帝国ていこくからの圧迫あっぱくけたかみきよしマ帝国まていこく戦費せんぴ調達ちょうたつのためにとうぞく資金しきん供出きょうしゅつたのんだ[39]当時とうじオスマン帝国ていこくは25まんにん歩兵ほへい確保かくほしていた[39]たいして、当時とうじ神聖しんせいマ帝国まていこく皇帝こうてい世襲せしゅうしていたハプスブルク世襲せしゅうりょう収入しゅうにゅうは30まんグルデンで、やとえる傭兵ようへいとし6000にん歩兵ほへい、または2500にん騎兵きへいだった[39]臨時りんじ戦費せんぴたって領主りょうしゅひとしぞくたいして、本来ほんらい資金しきん供出きょうしゅつ要求ようきゅう権利けんりはないことや、ひとしぞく権利けんり侵害しんがいをすることはないなどのしょ条件じょうけんをつけて資金しきん供出きょうしゅつ要求ようきゅうした[39]領主りょうしゅひとしぞくとの「共同きょうどう困難こんなん」からの財政ざいせい需要じゅようが、租税そぜい国家こっかしていくことになった[39]

流通りゅうつうぜいについては、イギリスでは印紙いんしぜい重要じゅうようで、フランスでは登録とうろくぜい重要じゅうよう地位ちいめる[38]

イギリス

イングランドでは1215ねんジョンかけおう課税かぜい反発はんぱつした貴族きぞくたちとのたたかいにやぶマグナ・カルタれた。どう憲章けんしょうには「一切いっさいだてきんもしくは 援助えんじょきんは、ちん王国おうこく一般いっぱん評議ひょうぎかいによるのでなければ、ちん王国おうこくにおいてはこれをさない」 との規定きていがあり、ここに租税そぜい法律ほうりつ主義しゅぎ萌芽ほうががあるとされ[40]、また「承諾しょうだくなければ課税かぜいなし」の原則げんそく起源きげんともなった[41]

1625ねん即位そくいしたチャールズ1せいえい西にし戦争せんそう戦費せんぴ調達ちょうたつのための特別とくべつぜい請求せいきゅうしたが、議会ぎかい少額しょうがくの14まんポンドしか承認しょうにんせず、またおう終身しゅうしん収入しゅうにゅう[42] でもあった輸出入ゆしゅつにゅう関税かんぜいトン税とんぜい・ポンドぜいを1ねん期限きげんきに限定げんていした[43]おう議会ぎかい解散かいさんし、議会ぎかい同意どういなしでトン税とんぜい・ポンドぜい船舶せんぱくぜい徴収ちょうしゅうした[43]。1628ねん議会ぎかいは「議会ぎかい同意どういしの課税かぜい禁止きんし」をだいいち項目こうもくとした権利けんり請願せいがん提出ていしゅつした[43]おういち承認しょうにんするものの翌年よくねん議会ぎかい解散かいさんし、以降いこう、11年間ねんかん親政しんせいいた[43]。このあいだトン税とんぜい・ポンドぜい船舶せんぱくぜい継続けいぞくし、また騎士きし強制きょうせいおうじないものへの罰金ばっきんや、貴族きぞく領地りょうちおうりょうりん侵害しんがいしているとして罰金ばっきんしていった[43]主教しゅきょう戦争せんそう戦費せんぴ調達ちょうたつのためにおう議会ぎかい開催かいさいしたが、議会ぎかいでは課税かぜい禁止きんし法案ほうあん次々つぎつぎ可決かけつしていった[43]。1641ねんだい抗議こうぎぶん対立たいりつ決定的けっていてきとなり、1642ねんイングランド内戦ないせんいたった[44]。1643ねん議会ぎかい査定さてい課税かぜい(Assessed Tax)を導入どうにゅうした[44][45]。これは財産ざいさん評価ひょうかがくおうじた課税かぜい直接ちょくせつぜいであり、所得しょとくぜい前身ぜんしんとなった[44]。しかしこれはロンドン負担ふたん集中しゅうちゅうしたため、間接かんせつぜい内国ないこく消費しょうひぜい(Excise Duty)を反対はんたい導入どうにゅうした[44][46]査定さてい課税かぜい富裕ふゆうそうへの課税かぜいであったのにたいして内国ないこく消費しょうひぜい庶民しょみんにも課税かぜいするもので、内戦ないせんのイギリス財政ざいせいでは関税かんぜいなら基幹きかんぜいとなっていった[44]イングランド共和きょうわこく崩壊ほうかい王政おうせい復古ふっここう議会ぎかい財政ざいせいけん確保かくほする一方いっぽうで、チャールズ2せい内国ないこく消費しょうひぜい一部いちぶトン税とんぜい・ポンドぜい関税かんぜい収入しゅうにゅう終身しゅうしん供与きょうよ承認しょうにんされた[44]名誉めいよ革命かくめいでの権利けんり章典しょうてんにおいても議会ぎかい承認しょうにんなしの課税かぜい禁止きんしされた。こうしてイギリス革命かくめいには、1628ねん権利けんり請願せいがん国会こっかいによる同意どういなしには税金ぜいきんその同種どうしゅ負担ふたん強制きょうせいされないことがさい確認かくにんされ、1689ねん権利けんり章典しょうてんにおいて国会こっかい承認しょうにんなしにおう税金ぜいきん徴収ちょうしゅうすることは違法いほうであると規定きていされ、ほう支配しはいとともに租税そぜい法律ほうりつ主義しゅぎ確立かくりつした[40]

ホッブズ、ロックなどの17世紀せいきイギリス社会しゃかい契約けいやくろんでは、個人こじんは、国家こっかしょ個人こじん生命せいめい財産ざいさん保護ほごする対価たいかとして租税そぜい負担ふたんする[47]。しかし国家こっかがそれにはんする行動こうどうをとれば租税そぜい支払しはらいを停止ていしするとされ、こうして租税そぜい個人こじん議会ぎかいとおして同意どういしたうえ国家こっか支払しはらうものとされた[47]

イギリスの内国ないこく消費しょうひぜい経済けいざい理論りろんから以下いかてん評価ひょうかされた[48]

  • 1)生活せいかつ必需ひつじゅひんへのけい奢侈しゃしひんへのじゅう現在げんざい軽減けいげん税率ぜいりつ)によって貧困ひんこんそうへの負担ふたん軽減けいげんした
  • 2)消費しょうひ支払しはら能力のうりょくなのでその支払しはら能力のうりょくおうじた課税かぜいであり公平こうへいである
  • 3)消費しょうひへの課税かぜいによって浪費ろうひ抑制よくせいし、倹約けんやく奨励しょうれいするので、勤勉きんべんひとむくわれるので公平こうへいである。倹約けんやく貯蓄ちょちく投資とうしうなが[48]

ホッブズは1642ねんの「市民しみんろん」で財産ざいさんへの課税かぜい浪費ろうひ倹約けんやく区別くべつ無視むしすることになり、倹約けんやくじゅう負担ふたんとなるので、消費しょうひぜいほう財産ざいさんぜいよりも公平こうへいであるとろんじた[48]労働ろうどう価値かちせつとなえた経済けいざい学者がくしゃウィリアム・ペティじゅうしょう主義しゅぎ経済けいざい学者がくしゃジェームズ・ステュアート英語えいごばん内国ないこく消費しょうひぜい支持しじした[48]。ステュアートは租税そぜいとみのバランスを促進そくしんするための政策せいさくており、国内こくない奢侈しゃしてき需要じゅようによる価格かかく高騰こうとう輸出ゆしゅつ困難こんなんにする場合ばあいには、内国ないこく消費しょうひぜい輸出ゆしゅつ奨励しょうれいきんによって是正ぜせいすることができるとろんじた[49]

他方たほう経済けいざい学者がくしゃアダム・スミスは『国富こくふろんだい5へん財産ざいさんぜい所得しょとくぜいくらべて消費しょうひぜい収入しゅうにゅう比例ひれいてき課税かぜい実現じつげんできないために不平等ふびょうどうであるとろんじた[50]。スミスは国防こくぼう司法しほう公共こうきょう事業じぎょうみっつを国家こっか仕事しごととし、これらを遂行すいこうするための経費けいひまかなうために租税そぜい徴収ちょうしゅうされるとみなした[50]。スミスは租税そぜいは、利潤りじゅん地代じだい賃金ちんぎんみっつの本源ほんげんてき所得しょとく課税かぜいされるとろんじ、直接ちょくせつぜいとしての所得しょとくぜい提唱ていしょうした[50]

あらゆる国家こっか臣民しんみんは、各人かくじん能力のうりょくにできるだけ比例ひれいして、いいかえれば、かれらがそれぞれ国家こっか保護ほごした享受きょうじゅする収入しゅうにゅう比例ひれいして、政府せいふ維持いじするためにみつげおさめすべきでものある。 — アダム・スミス、『国富こくふろん[51]

ここでスミスは支出ししゅつたいしてではなく、収入しゅうにゅう所得しょとく)に比例ひれいして負担ふたんすることが公平こうへいであるとかんがえている[50]。しかし、当時とうじ正確せいかく所得しょとく調査ちょうさのぞめなかったためにスミスは所得しょとくぜい導入どうにゅう提唱ていしょうはしなかった[50]。(なお、平成へいせい12ねん税制ぜいせい調査ちょうさかい資料しりょうでは「収入しゅうにゅう」が「利益りえき」と翻訳ほんやくされている[52]

オランダ

1624ねんにはオランダにおいて収入しゅうにゅう印紙いんしはじめて導入どうにゅうされ、17世紀せいきちゅうにはヨーロッパのおおくの国家こっかひろまった。

アメリカ独立どくりつ•フランス革命かくめい

イギリスはフレンチ・インディアン戦争せんそう(1755ねん - 1763ねん)の結果けっか増大ぞうだいしたえいりょうアメリカ植民しょくみん警備けいび経費けいひ捻出ねんしゅつのため1764ねん砂糖さとうほう翌年よくねん印紙いんしほうを、1767ねんにはタウンゼンド諸法しょほう制定せいていし、植民しょくみんからの税収ぜいしゅうぞうはかったが植民しょくみんでの反対はんたい運動うんどうにより廃止はいしされた[53][54]。1773ねんちゃほう成立せいりつするとボストン茶会ちゃかい事件じけん発生はっせいした。1774ねん大陸たいりく会議かいぎ宣言せんげん決議けつぎだい4こうはイギリスの植民しょくみん立法りっぽう否定ひていするもので、イギリスは武力ぶりょく弾圧だんあつ開始かいしし、アメリカ独立どくりつ戦争せんそう(1775-1783)へと発展はってんしていった[53]アメリカ独立どくりつ宣言せんげんではイギリスの権利けんり章典しょうてんよりも自然しぜんけん思想しそう鮮明せんめいされ、人民じんみん契約けいやくによる国家こっかは、人民じんみん所有しょゆう生命せいめい自由じゆう財産ざいさんまもることを目的もくてきとし、国家こっか課税かぜいけん国民こくみん同意どうい意思いし租税そぜい徴収ちょうしゅうすることは私有しゆう財産ざいさん法則ほうそく侵害しんがいし、国家こっか目的もくてきはんするとかんがえられた[53]。ここでは国家こっか目的もくてき財産ざいさんけんふく所有しょゆう保障ほしょうにあった[53]独立どくりつ戦争せんそうでは、租税そぜい法律ほうりつ主義しゅぎ由来ゆらいする「代表だいひょうなくして課税かぜいなし」という有名ゆうめいなスローガンもまれ[55]植民しょくみんへの課税かぜい植民しょくみん議会ぎかいによってなされねばならないとかんがえられた[53]

聖職せいしょくしゃ貴族きぞく背負せおだいさん身分みぶん

封建ほうけん末期まっき貴族きぞくたちは商人しょうにんたちから借金しゃっきんかさねていたため、つい徴税ちょうぜいけん商人しょうにんたちにうれわたす。この商人しょうにんたちは租税そぜいだいちょうおこな徴税ちょうぜい請負人うけおいにんとして人々ひとびとからぜい徴収ちょうしゅうしたが、増益ぞうえきぶんみずからのふところはいるため、過剰かじょう租税そぜいてがおこなわれた。このため人々ひとびと租税そぜいたいする不満ふまんたかまっていく。とくに18世紀せいきフランスアンシャン・レジームしたでは、3つの身分みぶんのうち、だいいち身分みぶん聖職せいしょくしゃ)・だい身分みぶん貴族きぞく)は免税めんぜい特権とっけんっていたが、だいさん身分みぶん平民へいみん)は納税のうぜい義務ぎむせられていた[56]。しかもだいさん身分みぶん国政こくせい参加さんかできなかった[56]。1786ねん国王こくおう財務ざいむ総監そうかんカロンヌ財政ざいせい窮乏きゅうぼう打開だかいするため補助ほじょ租税そぜいぜん国民こくみん課税かぜいしたが、これに名士めいしかい高等法院こうとうほういん旧来きゅうらい免税めんぜい特権とっけんをもって反対はんたいし、1789ねん5月5にちさん部会ぶかいひらかれることとなった[56]だいさん身分みぶんさん部会ぶかいでの議員ぎいんすうばい要求ようきゅうしたがかたちだけであったことに反発はんぱつし、国民こくみん議会ぎかい会合かいごうし、ここで議会ぎかい承認しょうにんなしの課税かぜい即時そくじ中止ちゅうしもとめる決議けつぎおこなった[56]。8月に憲法けんぽう制定せいてい国民こくみん議会ぎかい人間にんげん市民しみん権利けんり宣言せんげん採択さいたくした。だい13じょうで「おおやけ武力ぶりょく維持いじおよび行政ぎょうせい支出ししゅつのために、共同きょうどう租税そぜい不可欠ふかけつである。共同きょうどう租税そぜいは、すべての市民しみんあいだで、その能力のうりょくおうじて、平等びょうどう分担ぶんたんされなければならない」、だい14じょうで「すべての市民しみんは、みずから、またはその代表だいひょうしゃによって、おおやけ租税そぜい必要ひつようせい確認かくにんし、それを自由じゆう承認しょうにんし、その使途しと追跡ついせきし、かつそのかずがく基礎きそ取立とりたてて、および期間きかん決定けっていする権利けんりをもつ」と規定きていされた[57]えいべいでは課税かぜいけん財産ざいさんけん明確めいかく区別くべつされたが、フランス人権じんけん宣言せんげんでは「財政ざいせいなければ国家こっかなし」の原則げんそく、つまり課税かぜいけん行使こうし必要ひつよう不可欠ふかけつであることがさきの13じょう規定きていされ、いで14じょうアメリカ独立どくりつ戦争せんそうのスローガン同様どうように「代表だいひょうなければ課税かぜいなし」の原則げんそく規定きていされた[56]。こうしてヨーロッパの近世きんせい市民しみん社会しゃかい形成けいせいにおいて課税かぜいけん国王こくおうから国民こくみん総意そうい代表だいひょうである議会ぎかいうつし、そして国民こくみん財産ざいさんけん保証ほしょうはかられた[56]

こうして確立かくりつしていった租税そぜい法律ほうりつ主義しゅぎでは、自由じゆうけんをもとにした私有しゆう財産ざいさんけん国家こっか権力けんりょくからまもることがもっと重要じゅうよう機能きのうとなった[58]私有しゆう財産ざいさんけん保護ほごされることで、納税のうぜい国民こくみん自身じしん利益りえきになるのであり、こうして国民こくみん国家こっかからける利益りえき負担ふたんする租税そぜいとの対価たいか関係かんけい前提ぜんていとされるようになった[58]。これは租税そぜい交換こうかんせつまた租税そぜい利益りえきせつばれる[58]租税そぜい国家こっか保護ほごたいして支払しはらわれるべき価格かかくとみなす租税そぜい利益りえきせつグロチウスホッブズジョン・ロックヒュームルソーらによって提唱ていしょうされたものだった[59]

租税そぜい国家こっか確立かくりつ

1733ねん、ウォルポールないかく内国ないこく消費しょうひぜい改革かいかくこころみたが反対はんたいされた[48]。しかし、オーストリア継承けいしょう戦争せんそうななねん戦争せんそう(1754ねん-1763ねん)につづいて、フランス干渉かんしょう戦争せんそうでは戦費せんぴのための政府せいふ債務さいむが4000まんポンドにまで膨張ぼうちょうした[48]。1796ねんウィリアム・ピット首相しゅしょう直接ちょくせつ査定さていぜいげ、内国ないこく消費しょうひぜい課税かぜい対象たいしょう拡大かくだい、1798ねんには富裕ふゆうそうへの直接ちょくせつぜいトリプルアセスメント(Triple Assessment)を導入どうにゅうした[48]。しかし、これは馬車ばしゃ家屋かおくまど柱時計はしらどけいなどの「外形がいけい標準ひょうじゅん」から推定すいていされる所得しょとく課税かぜいするもので、現実げんじつ所得しょとくたいするものでなく、また十分じゅうぶん収入しゅうにゅうにならなかったため半年はんとししか実施じっしされなかった[48]1799ねん世界せかいはじめて所得しょとくぜい導入どうにゅうされた[48][60]土地とち家屋かおく海外かいがい財産ざいさん所得しょとくしょう工業こうぎょう給与きゅうよによる所得しょとくなどを源泉げんせんとしたため、現実げんじつ所得しょとく総合そうごうてき正確せいかく把握はあくできるようになった[48]。1803ねんには申告しんこく納税のうぜいではなく、みなもと源泉げんせん徴収ちょうしゅう方式ほうしきえられ、5つの所得しょとくげんごとに課税かぜいされるシェデュールせい(shedule)となった[48]。1815ねんナポレオン戦争せんそう終結しゅうけつ直前ちょくぜんにはそう戦費せんぴの20%にたる1480まんポンドの税収ぜいしゅうとなった[61]。これ以降いこう産業さんぎょう革命かくめいによる資本しほん主義しゅぎ発達はったつ背景はいけい所得しょとくぜい中心ちゅうしんとした所得しょとく課税かぜい世界せかい普及ふきゅうしていく。ただし初期しょき所得しょとく課税かぜい高額こうがく所得しょとくしゃたいするもので、税収ぜいしゅう総額そうがくとしてはわずかなものであった[62]

19世紀せいきには資本しほん主義しゅぎ矛盾むじゅん露呈ろていし、恐慌きょうこう不景気ふけいきによる失業しつぎょうには経済けいざい自動じどう調節ちょうせつでは解消かいしょうできないようになり、国家こっか介入かいにゅう要請ようせいされるようになった[58]。ここにおいて近代きんだい国家こっか機能きのう夜警やけい国家こっかから福祉ふくし国家こっかへと変化へんかしていき、生存せいぞんけんというあたらしい人権じんけんまれた[58]

19世紀せいきまつにはジョン・ラムゼー・マッカロックやアドルフ・ティエールらによって租税そぜい保険ほけんりょうとして解釈かいしゃくする 租税そぜい保険ほけんせつあらわれた[59]

ドイツ

1805ねん、ナポレオンにやぶれてかみきよしマ帝国まていこく瓦解がかいしたのちプロイセン王国おうこくではハルデンベルク宰相さいしょうハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタイン改革かいかくをすすめ、戦費せんぴ償還しょうかんのために1808ねん所得しょとくぜい法案ほうあん成立せいりつさせた[63]。1812ねんにはフランスぐん駐留ちゅうりゅう経費けいひまかなうために申告しんこく納税のうぜい義務ぎむ累進税るいしんぜいりつともな所得しょとくぜい導入どうにゅうしたが、1814ねんにナポレオンがやぶれると廃止はいしされた[63]。プロイセンは1820ねん階級かいきゅうぜい導入どうにゅうしたがこれはイギリスの馬車ばしゃまど対象たいしょうとした外形がいけい標準ひょうじゅん所得しょとく課税かぜいのようなもので、近代きんだいてき所得しょとくぜいえるものではなかった[63]。1851ねん階級かいきゅうぜいおよ階層かいそうべつ所得しょとくぜいでは土地とち所有しょゆう資本しほん財産ざいさん営業えいぎょう活動かつどうから発生はっせいする所得しょとく課税かぜいされた[64]。 1891ねん成立せいりつしたヨハンネス・フォン・ミーケル蔵相ぞうしょうによる所得しょとく税法ぜいほうあんでは、租税そぜい負担ふたん上限じょうげん撤廃てっぱいしたため、逆進ぎゃくしんてきぜい負担ふたん是正ぜせいされた[63]。また効率こうりつてき納税のうぜい申告しんこく検査けんさ体制たいせい確立かくりつし、ドイツにおける所得しょとくぜい基幹きかんぜい地位ちいめていくようになった[63]

国家こっか財政ざいせい学者がくしゃローレンツ・フォン・シュタインは『財政ざいせいがく教科書きょうかしょ』(1885)で課税かぜい原則げんそくとして、

  • 1)資本しほんげんじてはならない
  • 2)あらゆる課税かぜい所得しょとくたいしておこなわれる
  • 3)課税かぜい資本しほん蓄積ちくせき不可能ふかのうになるほどおおきくなってはならない

定立ていりつした[65]。 シュタインは、プロレタリアート独裁どくさいする共産きょうさん主義しゅぎ思想しそうを、国家こっか単一たんいつ階級かいきゅう手中しゅちゅうちることであらたな不自由ふじゆうまれ、かつ有産ゆうさん階級かいきゅう反撃はんげきすれば独裁どくさい体制たいせい暴力ぼうりょくまもるだろうと否定ひていしたうえで、有産ゆうさん階級かいきゅう資本しほん主義しゅぎ問題もんだい社会しゃかい改良かいりょうによって解決かいけつすれば社会しゃかい革命かくめい必要ひつようせいうすれるとろんじた[65]。またシュタインは、課税かぜい目的もくてきさい生産せいさんにあり、すくなくともどう規模きぼ税収ぜいしゅうさい創出そうしゅつすることにあるとし、国家こっか税収ぜいしゅう課税かぜい潜在せんざいりょくうながすように財政ざいせい支出ししゅつすべきだと主張しゅちょうした[65]。このようなシュタインの租税そぜいろんはイギリス古典こてん経済けいざいがく租税そぜいろんにはなかった発想はっそう評価ひょうかされている[65]

アドルフ・ワーグナーは「財政ざいせいがく」(1890)で課税かぜい目的もくてきを、自由じゆう競争きょうそうによってしょうじた分配ぶんぱい修正しゅうせいすることで国民こくみん所得しょとく国富こくふ規制きせいすることにあるとて、租税そぜい財政ざいせいだけでなく社会しゃかい政策せいさくでもあるべきだと主張しゅちょうした[63]。ワーグナーは所得しょとくぜいを、物税ぶつぜい資産しさんぜい)から人税じんぜい納税のうぜいしゃ着目ちゃくもくしてかけられる)へのえを提唱ていしょうした[63]

租税そぜい義務ぎむせつ租税そぜい犠牲ぎせいせつ

ドイツでは国家こっかはその任務にんむ達成たっせいのために当然とうぜん課税かぜいけんち、租税そぜいはその任務にんむ達成たっせいのために国民こくみん負担ふたんする犠牲ぎせいないし義務ぎむかんがえる租税そぜい犠牲ぎせいせつ登場とうじょうした[58]。イギリスでもジョン・スチュアート・ミル租税そぜい利益りえきせつ反対はんたいし「課税かぜいにおける平等びょうどうとは犠牲ぎせい均等きんとう意味いみする」と主張しゅちょうした[66]。ミルの租税そぜい義務ぎむせつアドルフ・ワーグナー大成たいせいした[67]

明治維新めいじいしん日本にっぽんでは伊藤いとう博文ひろぶみ憲法けんぽう起草きそうのためにドイツで直接ちょくせつシュタインの講義こうぎけ、帝国ていこく大学だいがくでの財政ざいせいがくはほとんどがドイツ財政ざいせいがくであった[63]。ドイツの影響えいきょうけた大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうでも納税のうぜい義務ぎむだい21じょう)が兵役へいえき義務ぎむだい20じょう)となら古典こてんてき義務ぎむとされ、「くに維持いじする費用ひよう分担ぶんたんとして国民こくみん当然とうぜんゆうする」とほぐされた[68]だい世界せかい大戦たいせん成立せいりつした日本国にっぽんこく憲法けんぽうでは兵役へいえき義務ぎむ条項じょうこう削除さくじょされたが、納税のうぜい義務ぎむ踏襲とうしゅうされ(だい30じょう)、さらに国民こくみんさんだい義務ぎむひとつとされている[68]

近代きんだい

イタリアの経済けいざい学者がくしゃマフェオ・パンタレオーニ、スウェーデンの経済けいざい学者がくしゃクヌート・ヴィクセルが、古典こてん経済けいざいがく租税そぜい利益りえきせつたいして,納税のうぜいしゃ公共こうきょうサービスからける便益べんえき価格かかくとして租税そぜい負担ふたんがく決定けっていすることが効率こうりつてき資源しげん配分はいぶん条件じょうけんであるとろんじた[59]北欧ほくおう学派がくはのエリック・R.リンダールはウィクセルの理論りろん発展はってんさせた[59]

近代きんだい進展しんてんするにしたがい、国家こっか財政ざいせい収入しゅうにゅうだい部分ぶぶん租税そぜいめるようになる。ヨーゼフ・シュンペーター1918ねん発表はっぴょうした論文ろんぶん租税そぜい国家こっか危機きき』において、このような近代きんだい国家こっかを「租税そぜい国家こっか」と規定きていした[69]君主くんしゅ私的してき収入しゅうにゅう国庫こっこ収入しゅうにゅうはなされ、租税そぜい収入しゅうにゅう歳入さいにゅう中心ちゅうしんめる公共こうきょう財政ざいせい確立かくりつしてった。またこの時代じだいになると近代きんだいとともに賦役ふえきはほとんどの地域ちいきにおいて廃止はいしされ、労働ろうどうたい国家こっか賃金ちんぎんはらって公共こうきょう工事こうじなどをおこなうようになっていった。

20世紀せいきには、社会しゃかい主義しゅぎ台頭たいとう社会しゃかいけん定着ていちゃくによって、所得しょとくぜい相続そうぞくぜい累進税るいしんぜいりつ強化きょうかされた。しかし、1980年代ねんだいはいると企業きぎょう意欲いよく労働ろうどう意欲いよくたかめるために税率ぜいりつのフラットおこなわれた。また20世紀せいき中盤ちゅうばんにいたるまで消費しょうひ課税かぜいはある特定とくてい商品しょうひんのみにかけられるものであったが、1954ねん一般いっぱんてき消費しょうひすべてにかけられる付加ふか価値かちぜいがフランスにおいて導入どうにゅうされ、以降いこう世界せかい各国かっこくにおいて導入どうにゅうされるようになっていった[70]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

南北戦争なんぼくせんそう以前いぜんのアメリカでは所得しょとくぜい法人ほうじんぜいもなく、内国ないこく消費しょうひぜいはあったが微々びびたる収入しゅうにゅうで、関税かんぜいおも収入しゅうにゅうげんだった[71]南北戦争なんぼくせんそう開戦かいせんには国庫こっこそこをついていたために、議会ぎかい戦費せんぴ調達ちょうたつのためにあらたな国債こくさい発行はっこう内国ないこく消費しょうひぜい増税ぞうぜい提案ていあんしたが反対はんたいけた[71]。そこでイギリスで実施じっしされている直接ちょくせつぜい所得しょとくぜい相続そうぞくぜい導入どうにゅう検討けんとうされ、1862ねん成立せいりつした[71]

しかし、所得しょとくぜい戦費せんぴ調達ちょうたつのための臨時りんじ課税かぜいであったため、いち年間ねんかん有効ゆうこう期限きげんつきであった[71]戦後せんごの1867ねん所得しょとくぜい撤廃てっぱい要求ようきゅうされると、せんさい償還しょうかんのこっているため課税かぜい最低限さいていげんを600ドルから1000ドルにげ、1870ねんには所得しょとく税法ぜいほう失効しっこうさせるとした[71]。その、1871ねん相続そうぞくぜい廃止はいしされ、1872ねん所得しょとくぜい廃止はいしされた[71]。イギリスでも1816ねん所得しょとくぜい戦費せんぴのための臨時りんじ課税かぜいであるとして廃止はいしされた[71]

アメリカで所得しょとくぜい廃止はいしされると、南部なんぶ西部せいぶ選出せんしゅつ議員ぎいんらが所得しょとくぜいさい導入どうにゅう提唱ていしょうした[71]。これは農産物のうさんぶつ価格かかく下落げらく資材しざい価格かかく上昇じょうしょう困窮こんきゅうする南部なんぶ西部せいぶ農民のうみん救済きゅうさいするために組織そしきされたグレンジャー運動うんどうグリーンバック運動うんどう労働ろうどう騎士きしだん背景はいけいにしており、かれらは1892ねん人民じんみんとう結成けっせいした[71]人民じんみんとうは、産業さんぎょう資本しほん富裕ふゆうそうたいして所得しょとくおうじた負担ふたんすべきだとして所得しょとくぜいさい導入どうにゅう提唱ていしょうした[71]

ヘンリー・ジョージは『進歩しんぽ貧困ひんこん』(1879ねん)で土地とち私有しゆうせい反対はんたいし、土地とちから発生はっせいするあらゆる利益りえき課税かぜいし、そのぜい撤廃てっぱいする土地とち単一たんいつぜい提唱ていしょうした[71]。しかし、当時とうじ経済けいざい権力けんりょく石油せきゆジョン・ロックフェラー銀行ぎんこうジョン・モルガン鉄鋼てっこうかいアンドリュー・カーネギーなどの産業さんぎょう金融きんゆう資本しほんにあり、そうしたあたらしい経済けいざい秩序ちつじょ問題もんだいめることにはならなかった[71]

当時とうじ北部ほくぶ産業さんぎょうかい支持しじ基盤きばんとしていた共和党きょうわとうウィリアム・マッキンリー議員ぎいんは1890ねん平均へいきん関税かんぜいりつ48%という史上しじょう最高さいこうこう関税かんぜい導入どうにゅうした[71]。この保護ほご政策せいさく独占どくせん企業きぎょう形成けいせいしていく誘因ゆういんとなった[71]

一方いっぽう民主党みんしゅとう南部なんぶ西部せいぶ農民のうみん労働ろうどうしゃ支持しじ基盤きばんとしており、こう関税かんぜい独占どくせん寡占かせんうながすとして反対はんたいし、所得しょとくぜいさい導入どうにゅう提唱ていしょうした[71]民主党みんしゅとうクリーブランド大統領だいとうりょうは1893ねん大統領だいとうりょう教書きょうしょ関税かんぜいげと小規模しょうきぼ所得しょとく課税かぜい言及げんきゅうし、民主党みんしゅとうマクミラン下院かいん議員ぎいん関税かんぜいとみ不公平ふこうへい集中しゅうちゅううながすとして所得しょとくぜいさい導入どうにゅう提唱ていしょうし、1894ねん関税かんぜい所得しょとく税法ぜいほうあん可決かけつした[71]。しかしこの法案ほうあんたいして、もと共和党きょうわとう議員ぎいん憲法けんぽう学者がくしゃジョージ・エドマンズらが違憲いけん訴訟そしょうこした[72]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽうでは以下いかのように規定きていされていた。

連邦れんぽう議会ぎかいつぎ権限けんげんゆうする。合衆国がっしゅうこく国債こくさい支払しはらい、共同きょうどう防衛ぼうえいおよび一般いっぱん福祉ふくしそなえるために、租税そぜい関税かんぜい付加ふかきん消費しょうひぜい賦課ふか徴収ちょうしゅうすること。ただし、すべての関税かんぜい付加ふかきん消費しょうひぜいは、合衆国がっしゅうこく全土ぜんど同一どういつでなければならない — 合衆国がっしゅうこく憲法けんぽうだい1じょうだい8せつだい1こう
下院かいん議員ぎいんおよび直接ちょくせつぜいは、この連邦れんぽう加入かにゅうする各州かくしゅう人口じんこう比例ひれいして、各州かくしゅうあいだ配分はいぶんされる — 合衆国がっしゅうこく憲法けんぽうだい1じょうだい2せつだい3こう

1895ねん4がつ合衆国がっしゅうこく最高裁判所さいこうさいばんしょ所得しょとく税法ぜいほうあんたいして、憲法けんぽうだい1じょうだい2せつのっとり、「各州かくしゅう人口じんこう比例ひれいして、各州かくしゅうあいだ配分はいぶんされる」かたちになっていないとして違憲いけん認定にんていした[72]。これに反発はんぱつした所得しょとくぜい支持しじしゃ憲法けんぽう改正かいせい運動うんどうおこなった[72]

20世紀せいきはいると1901ねん恐慌きょうこう1907ねん恐慌きょうこう発生はっせいし、産業さんぎょうかい独占どくせん寡占かせん強化きょうかしていき、共和党きょうわとう独占どくせん寡占かせん弊害へいがいみとめるようになった[72]共和党きょうわとうセオドア・ルーズベルト大統領だいとうりょうは、ジェームズ・ジェローム・ヒルジョン・モルガンらが形成けいせいした鉄道てつどうトラストノーザン・セキュリティーズスタンダード・オイル・トラストUSスチールなどのトラストをはんトラストほうって告発こくはつしていった[72][73]

革新かくしん主義しゅぎ時代じだいばれる当時とうじのアメリカにおいてつづタフト大統領だいとうりょうぜん大統領だいとうりょうならい、トラストを促進そくしんする関税かんぜいげようとする[72]。しかし、共和党きょうわとう保守ほしゅ重鎮じゅうちんきた東部とうぶさん業界ぎょうかい代弁だいべんしゃだったネルソン・オルドリッチこう関税かんぜい擁護ようごし、1909ねんにはペイン=オルドリッチ関税かんぜいほう成立せいりつさせ、一部いちぶ品目ひんもく関税かんぜいげつつ、鉄鉱てっこうせき石炭せきたん税率ぜいりつげた[72]。これをけて共和党きょうわとう革新かくしん関税かんぜいげよりも所得しょとくぜい導入どうにゅうけてうごき、5000$以上いじょう所得しょとくには2%、じゅうまん$以上いじょう所得しょとくには6%の累進税るいしんぜいりつ所得しょとくぜい法案ほうあん目指めざした[72]。これにつよ危機ききかんいたオルドリッチは法人ほうじんぜいさき審議しんぎさせて個人こじん所得しょとくぜい審議しんぎ宙吊ちゅうづりにしようとし、さらにタフトに憲法けんぽう改正かいせい協力きょうりょくすることを約束やくそくした[72]。1909ねん7がつ法人ほうじん税法ぜいほうあん可決かけつされた。しかし、共和党きょうわとう革新かくしん民主党みんしゅとうからは法人ほうじんぜい所得しょとくぜい代替だいたいとはならないと主張しゅちょうされ、他方たほう保守ほしゅにも法人ほうじんぜい導入どうにゅう富裕ふゆうそうへの課税かぜい強化きょうかならないと不満ふまんおもうものもいた[72]法人ほうじん税法ぜいほうあんたいして保険ほけん会社かいしゃ不動産ふどうさん業者ぎょうしゃによる違憲いけん訴訟そしょうこったが、最高裁さいこうさいは「法人ほうじんぜい直接ちょくせつぜいではなく、法人ほうじん形態けいたい事業じぎょういとな特権とっけん付与ふよたいする免許めんきょぜいである」と判断はんだんし、原告げんこく請求せいきゅう退しりぞけた[72]法人ほうじんぜい財源ざいげん調達ちょうたつ手段しゅだんとして成功せいこうし、1910ねんに2100まんドルだった税収ぜいしゅうは1912ねんに3500まんドルにも増加ぞうかした[72]

1909ねん6がつ28にちにはオルドリッチは憲法けんぽう改正かいせいとして修正しゅうせいだい16じょう提案ていあんし、この修正しゅうせい憲法けんぽうは1913ねんまでに42しゅう批准ひじゅんした[72]

連邦れんぽう議会ぎかいは、各州かくしゅう徴税ちょうぜいがく比例ひれい配分はいぶんすることなく、人口じんこう調査ちょうさ人口じんこう計算けいさんかかわりなく、いかなる源泉げんせんから由来ゆらいするものであっても、所得しょとくぜい徴収ちょうしゅうする権限けんげんゆうする[72] — アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう修正しゅうせいだい16じょう

しかし、所得しょとくぜい法案ほうあんそのものは宙吊ちゅうづりにされていたため、共和党きょうわとう革新かくしんは、タフトに反発はんぱつして1912ねん大統領だいとうりょう選挙せんきょあらたに革新党かくしんとう設立せつりつし、セオドア・ルーズベルト大統領だいとうりょう候補こうほとして擁立ようりつした[72]。しかし、選挙せんきょでは民主党みんしゅとうウッドロウ・ウィルソン勝利しょうりした[74]。ウィルソン大統領だいとうりょう関税かんぜいげと所得しょとくぜい導入どうにゅうをセットにして改革かいかく断行だんこうし、40%だった平均へいきん関税かんぜいりつを30%以下いかげ、1913ねん10がつには国民こくみんの3000ドル以上いじょう所得しょとくの1%をし、高額こうがく所得しょとくしゃには1〜6%までの累進るいしんてき構造こうぞう付加ふか税率ぜいりつ最高さいこう税率ぜいりつ7%)を所得しょとく税法ぜいほうあん可決かけつした[72]

租税そぜいたいするしょ見解けんかい

支持しじもしくは肯定こうてい

だい部分ぶぶん政治せいじ哲学てつがくによると、かれらが必要ひつようでありそして社会しゃかいえきするであるところの活動かつどうあつめるものとしてぜい正当せいとうされる。くわえて、累進るいしん課税かぜい社会しゃかいでの経済けいざいてき不平等ふびょうどう減少げんしょうさせるのにもちいることができる。この見解けんかいによれば、現代げんだい国民こくみん国家こっかにおいて課税かぜい人口じんこう多数たすう社会しゃかい変動へんどうえきする[75]オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアによるちがった文章ぶんしょう意訳いやくの、この見解けんかいのひとつの通俗つうぞく表現ひょうげんは、「租税そぜい文明ぶんめい価格かかくである」である。[76]

反対はんたいもしくは否定ひてい

クラウドファンディングのような自発じはつてきであるよりもむしろ、ぜい支払しはらいは義務ぎむてき法体ほうたいけいによる執行しっこうであるので、いくらかの政治せいじ哲学てつがく権力けんりょく弾圧だんあつ意味いみするのをとおして租税そぜい課税かぜいする政府せいふ非難ひなんする、窃盗せっとうとしての徴税ちょうぜい強要きょうよう、(もしくは奴隷どれい制度せいど、もしくは財産ざいさんけん侵害しんがいとして)、もしくは暴政ぼうせいとして[77]

実業じつぎょう松下まつした幸之助こうのすけは、国家こっか予算よさんたん年度ねんどせい廃止はいしして、節約せつやくしたり効率こうりつをよくして余剰よじょうきんし、それを運用うんようすることで収益しゅうえき分配ぶんぱいする無税むぜい国家こっか提唱ていしょうした[78] 。

なお、ブルネイでは個人こじんへの所得しょとくぜいなどは存在そんざいせず、国内こくないおよび海外かいがい設立せつりつされた企業きぎょう納税のうぜい対象たいしょうとなる[79] ことから無税むぜい国家こっかともばれるが、租税そぜい体制たいせいがないわけではない[80]

社会しゃかい主義しゅぎしゃ見解けんかい

カール・マルクス共産きょうさん主義しゅぎ到来とうらいのち課税かぜい必要ひつようになることを推量すいりょうし、そして「国家こっか死滅しめつ」を期待きたいする。中国ちゅうごくにおけること[ちゅう 5] のような社会しゃかい主義しゅぎ経済けいざいでは、だい部分ぶぶん政府せいふ歳入さいにゅう企業きぎょう所有しょゆうけんからの運用うんようだったので、課税かぜい重要じゅうようでない役割やくわりたした。そしてあるにん々によってそれは金銭きんせんによる課税かぜい必要ひつようでなかったことを議論ぎろんされた[81]

租税そぜい選択せんたく

租税そぜい選択せんたく納税のうぜいしゃが、かれらの各々おのおの租税そぜいてる方法ほうほうをもって、よりコントロールするであろうことの理論りろんである。もし納税のうぜいしゃらがかれらの租税そぜい政府せいふ仕組しくみを選択せんたくできるならば、機会きかい費用ひよう決定けっていかれらの部分ぶぶんてき知識ちしき英語えいごばんあつめる[82]たとえば、かれ租税そぜい公立こうりつ学校がっこうにおいてよりてる納税のうぜいしゃ公費こうひ負担ふたん医療いりょうにおいてよりすくなくてるかもしれない。

ジオイストの見解けんかい

ジオイストえい:Geoist、ジョージストならびにジオリバタリアン英語えいごばん)は、道義どうぎせいおなじく経済けいざいてき効果こうか両方りょうほう理由りゆうで、課税かぜい基本きほんてき地代じだい[ちゅう 7]とくにその地価ちかぜい徴集ちょうしゅうすべきであることを宣言せんげんする。(経済けいざい学者がくしゃたちが同意どういする[83][84][85]課税かぜいたいして地代じだいもちいることの有効ゆうこうせいは、このような課税かぜいわたるつまり脱税だつぜいすることができずかつじゅう損失そんしつしょうじないこと、ならびにこのことが土地とち英語えいごばんにおいて投機とうきするような動機どうきのぞくこと、の事実じじつしたが[84] それの道義どうぎせいは、私的してき所有しょゆうけん労働ろうどう成果せいかえい:products of labour)にたいして正当せいとうされるが土地とち天然てんねん資源しげんについてはそうでない、ところのジオイストの前提ぜんていもとづく。[86]

理論りろん

ラッファー曲線きょくせん

ラッファー曲線きょくせんひとつの可能かのう結果けっかは、一定いっていえた税率ぜいりつ増大ぞうだい税収ぜいしゅうのさらなる増収ぞうしゅうにたいしてはん生産せいさんてきになるであろう、ことである。任意にんいあたえられた経済けいざいにたいする仮説かせつてきなラッファー曲線きょくせんはただ見積みつもることだけができる。そしてこのような見積みつもりはしばしば論争ろんそうになる。The New Palgrave Dictionary of Economics英語えいごばんは、税収ぜいしゅう最大さいだい税率ぜいりつ評価ひょうかすなわち見積みつもりは、70%の近辺きんぺん中間ちゅうかん領域りょういきをもって、ひろ様々さまざまであることを報告ほうこくする[87]

最適さいてき課税かぜい

おおくの政府せいふは、ひずみのない租税そぜいによるかまたはあるじゅう配当はいとうきんあたえるものであるしょ租税そぜいとおして、てられるもののところのものをえたものである歳入さいにゅうおこなう。最適さいてき課税かぜい経済けいざいがく分野ぶんやであって、それは最小さいしょうじゅう費用ひようえい:dead-weight cost)をつかまたは厚生こうせい意味いみにおいて最大さいだい効用こうようえい:outcome)をつように課税かぜいをいかに構築こうちくするかをかんがえる[88]

税率ぜいりつ

租税そぜいはしばしばおおかた税率ぜいりつばれる、ある割合わりあいとしてせられる。税率ぜいりつについての議論ぎろんでのひとつの重要じゅうよう区別くべつ限界げんかい税率ぜいりつえい:marginal tax rate、もしくはmarginal rate)と実効じっこう税率ぜいりつえい:effective tax rate)のあいだ区別くべつである。実効じっこう税率ぜいりつ支払しはらわれた租税そぜい総計そうけいったその支払しはらわれた租税そぜい合計ごうけいである。これにたい限界げんかい税率ぜいりつ収入しゅうにゅうつぎえん[ちゅう 8] によって支払しはらわれたその税率ぜいりつである。

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 給付きゅうふ税額ぜいがく控除こうじょならんで近年きんねん注目ちゅうもくされるベーシックインカムについては、就労しゅうろう可能かのう個人こじん労働ろうどう意欲いよく就労しゅうろうインセンティブ)をそこないかねないという見方みかたがある一方いっぽう、それが労働ろうどう市場いちばあたえる影響えいきょうかんして現在げんざい様々さまざま見解けんかいがある。ボランティアなど社会しゃかいてき活動かつどうへの報酬ほうしゅうとして位置いちづけるという意見いけん、稼得所得しょとくによる給付きゅうふがく逓減ていげんいことにより労働ろうどう供給きょうきゅうへのマイナス効果こうかちいさいという意見いけん税制ぜいせい全体ぜんたいとして給付きゅうふ財源ざいげんまかなうため累進るいしん課税かぜい負担ふたんえると間接かんせつてき労働ろうどう供給きょうきゅう阻害そがい要因よういんになるという意見いけんなど。(佐藤さとう、p.93)
  2. ^ もりしん2010では、給付きゅうふ税額ぜいがく控除こうじょをその政策せいさく目的もくてきによって勤労きんろう税額ぜいがく控除こうじょ児童じどう税額ぜいがく控除こうじょ消費しょうひぜい逆進ぎゃくしんせい対策たいさく税額ぜいがく控除こうじょの3しゅ分類ぶんるいしている。ただし、もりしん給付きゅうふ税額ぜいがく控除こうじょの4類型るいけい日本にっぽんがた児童じどう税額ぜいがく控除こうじょ提案ていあん」(『国際こくさい税制ぜいせい研究けんきゅうだい20ごう納税のうぜい協会きょうかい、2008ねん、pp.24-34)では、現金げんきん給付きゅうふわりに社会しゃかい保険ほけんりょう控除こうじょおこなうオランダがた社会しゃかい保険ほけんりょう負担ふたん軽減けいげん税額ぜいがく控除こうじょも1類型るいけいくわえて4分類ぶんるいとしている(白石しらいしひろしかい給付きゅうふつき税額ぜいがく控除こうじょによる所得しょとく保障ほしょう」『会計かいけい検査けんさ研究けんきゅうだい42ごう会計検査院かいけいけんさいん、2010ねん、p.1)。
  3. ^ ドイツとカナダの児童じどう手当てあて税額ぜいがく控除こうじょともなわない給付きゅうふのみの制度せいどであるが、ドイツの児童じどう手当てあて所得しょとく税法ぜいほう規定きていされており児童じどう控除こうじょとの選択せんたくせい、カナダでは税務ぜいむ当局とうきょくである歳入さいにゅうちょう執行しっこうしている(鎌倉かまくら、pp.6, 9)。
  4. ^ 1986ねん参議院さんぎいん地方ちほう行政ぎょうせい委員いいんかいにおいて自治省じちしょう当時とうじ)は、過度かど減税げんぜいによる将来しょうらい世代せだいへの負債ふさい転嫁てんか地域ちいき住民じゅうみんへのぜい負担ふたん転嫁てんか国費こくひによる自治体じちたい財政ざいせいへの補填ほてん費用ひよう)を抑制よくせいするためにかく自治体じちたい標準ひょうじゅんてき税収ぜいしゅう確保かくほすることが必要ひつようとの見解けんかいしめしている(深澤ふかさわ、p.51)。
  5. ^ 現代げんだい中国ちゅうごく税制ぜいせいについては中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく#税制ぜいせい参考さんこうにせよ。
  6. ^ ただし、歴史れきしてき論争ろんそういまのこる。くわしくは地代じだい論争ろんそうよ。
  7. ^ 地代じだい永久えいきゅう不変ふへんではなく市場いちばメカニズムによってうごくものであることに注意ちゅうい[ちゅう 6]
  8. ^ 原文げんぶんドル

出典しゅってん

  1. ^ 『「ぜい社会しゃかい貢献こうけん入門にゅうもん ぜい役割やくわりとありかたかんがえる』p6-7 伏見ふしみ俊行としゆきうま欣欣きんきん共著きょうちょ ぎょうせい 平成へいせい26ねん6がつ1にちだい1さつ
  2. ^ 『「ぜい社会しゃかい貢献こうけん入門にゅうもん ぜい役割やくわりとありかたかんがえる』p7 伏見ふしみ俊行としゆきうま欣欣きんきん共著きょうちょ ぎょうせい 平成へいせい26ねん6がつ1にちだい1さつ
  3. ^ 『「ぜい社会しゃかい貢献こうけん入門にゅうもん ぜい役割やくわりとありかたかんがえる』p8 伏見ふしみ俊行としゆきうま欣欣きんきん共著きょうちょ ぎょうせい 平成へいせい26ねん6がつ1にちだい1さつ
  4. ^ 中野なかの剛志たけし奇跡きせき経済けいざい教室きょうしつ』KKベストセラーズ、2019ねん、pp.151-154
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参考さんこう文献ぶんけん

関連かんれん項目こうもく

外部がいぶリンク