租税 そぜい ( そぜい 、( 英 えい : tax )とは、国 くに や地方 ちほう 公共 こうきょう 団体 だんたい が公共 こうきょう 財 ざい や公共 こうきょう サービス を提供 ていきょう するにあたって、法令 ほうれい の定 さだ めに基 もと づいて国民 こくみん や企業 きぎょう などの主体 しゅたい に、必要 ひつよう 経費 けいひ などの捻出 ねんしゅつ 方法 ほうほう として負担 ふたん を強制 きょうせい する金銭 きんせん (通貨 つうか 、お金 かね )で、日本 にっぽん では税金 ぜいきん ( ぜいきん ) と言 い われる。一部 いちぶ の国 くに で国防 こくぼう に係 かか る徴兵 ちょうへい 制 せい などが見 み られるが、安定 あんてい した税収 ぜいしゅう を確保 かくほ するため、物納 ぶつのう や労働 ろうどう を採用 さいよう することは減 へ ってきている。
税制 ぜいせい ( ぜいせい ) (租税 そぜい 制度 せいど )は、歳入 さいにゅう (財政 ざいせい )の根幹 こんかん および政治 せいじ や経済 けいざい (経世済民 けいせいさいみん )の要因 よういん となる。商売 しょうばい や契約 けいやく ・取引 とりひき などの行為 こうい および所得 しょとく や有形 ゆうけい 無形 むけい の財産 ざいさん などに対 たい して税 ぜい を賦課 ふか することを課税 かぜい ( かぜい ) 、課税 かぜい された税 ぜい を納 おさ めることを納税 のうぜい ( のうぜい ) 、徴収 ちょうしゅう することを徴税 ちょうぜい ( ちょうぜい ) 、それらについての事務 じむ を税務 ぜいむ ( ぜいむ ) という。政府 せいふ の財政 ざいせい 状況 じょうきょう において租税 そぜい 徴収 ちょうしゅう 額 がく を減額 げんがく することを減税 げんぜい ( げんぜい ) 、逆 ぎゃく に増額 ぞうがく することを増税 ぞうぜい ( ぞうぜい ) という。
租税 そぜい の機能 きのう
政府 せいふ は、国家 こっか の基盤 きばん 的 てき 機能 きのう を維持 いじ するため、個人 こじん から生殺与奪 せいさつよだつ の権利 けんり を取 と り上 あ げ、社会 しゃかい 的 てき ジレンマ や外部 がいぶ 性 せい (フリーライダー )を回避 かいひ する施策 しさく を検討 けんとう しなければならない。租税 そぜい には、次 つぎ の3つの機能 きのう ・効果 こうか があるとされている。
公共 こうきょう サービス の費用 ひよう 調達 ちょうたつ 機能 きのう - 「市場 いちば の失敗 しっぱい 」という言葉 ことば に象徴 しょうちょう される市場 いちば 経済 けいざい のもとでは提供 ていきょう 困難 こんなん なサービス(軍事 ぐんじ 、裁判 さいばん 、警察 けいさつ 、消防 しょうぼう 、公共 こうきょう 事業 じぎょう など)の提供 ていきょう のための費用 ひよう を調達 ちょうたつ するための機能 きのう [1] 。
所得 しょとく の再 さい 分配 ぶんぱい 機能 きのう - 自由 じゆう (私的 してき 財産 ざいさん 権 けん の保護 ほご )と平等 びょうどう (生存 せいぞん 権 けん の保障 ほしょう )は、究極 きゅうきょく 的 てき には矛盾 むじゅん する考 かんが え方 かた であるが、今日 きょう の多 おお くの国 くに では、いわゆる福祉 ふくし 国家 こっか の理念 りねん のもと、国家 こっか が一定 いってい 程度 ていど 私的 してき 財産 ざいさん に干渉 かんしょう することもやむを得 え ないことと考 かんが えられている。このような考 かんが え方 かた に基 もと づいて持 も てる者 もの から持 も たざる者 もの に富 とみ を再 さい 分配 ぶんぱい する機能 きのう [2] 。
景気 けいき の調整 ちょうせい 機能 きのう - 自由 じゆう 主義 しゅぎ 経済 けいざい 体制 たいせい における特殊 とくしゅ な調整 ちょうせい 機能 きのう 。景気 けいき の循環 じゅんかん は不可避 ふかひ のものとされるが、景気 けいき の過熱 かねつ 期 き には増税 ぞうぜい を行 おこな うことにより余剰 よじょう 資金 しきん を減 へ らし投資 とうし の抑制 よくせい を図 はか る。逆 ぎゃく に後退 こうたい 期 き には減税 げんぜい を行 おこな うことにより余剰 よじょう 資金 しきん を増 ふ やし投資 とうし の活性 かっせい 化 か を行 おこな う。これにより、ある程度 ていど 景気 けいき を調節 ちょうせつ することが可能 かのう であるとされる。現代 げんだい の租税 そぜい 制度 せいど は累進 るいしん 課税 かぜい を採用 さいよう している租税 そぜい が国 くに などの主要 しゅよう な財源 ざいげん を占 し めているため、所得 しょとく の変動 へんどう に応 おう じた税率 ぜいりつ の変動 へんどう により、景気 けいき が自動的 じどうてき に調整 ちょうせい されるという効果 こうか を有 ゆう する。この効果 こうか は「自動 じどう 景気 けいき 調整 ちょうせい 機能 きのう (ビルト・イン・スタビライザー )」と称 しょう される[3] 。
一方 いっぽう 、税金 ぜいきん は経済 けいざい 全体 ぜんたい を調整 ちょうせい するための機能 きのう とみなす機能 きのう 的 てき 財政 ざいせい 論 ろん は、前述 ぜんじゅつ の公共 こうきょう サービスの費用 ひよう 調達 ちょうたつ 機能 きのう に否定 ひてい 的 てき である。この論 ろん によれば、租税 そぜい は、財源 ざいげん 確保 かくほ の手段 しゅだん ではなく 、物価 ぶっか 調整 ちょうせい の手段 しゅだん であり、政府 せいふ が負債 ふさい を増 ふ やすことで、貨幣 かへい 供給 きょうきゅう 量 りょう が増 ふ えて、インフレに向 む かい、政府 せいふ が増税 ぞうぜい によって負債 ふさい を返却 へんきゃく したら、その分 ぶん だけ貨幣 かへい が消 き え、貨幣 かへい 供給 きょうきゅう 量 りょう が減 へ るから、デフレへと向 む かうとされる。そのほかに、炭素 たんそ 税 ぜい のように、二酸化炭素 にさんかたんそ の排出 はいしゅつ 抑制 よくせい の手段 しゅだん にもなり(ピグー税 ぜい )所得 しょとく 再 さい 配分 はいぶん の手段 しゅだん としても重要 じゅうよう である[4] 。
また、表 ひょう 券 けん 主義 しゅぎ によれば、租税 そぜい の目的 もくてき は政府 せいふ が発行 はっこう する通貨 つうか に対 たい する需要 じゅよう を生 う み出 だ すことであり、歳入 さいにゅう を生 う み出 だ すためではない。通貨 つうか の利用 りよう 者 しゃ たる国民 こくみん が、通貨 つうか を手 て に入 い れようと、労働 ろうどう 力 りょく 、資源 しげん 、生産 せいさん 物 ぶつ を政府 せいふ に売却 ばいきゃく するように仕向 しむ けるためである[5] 。政府 せいふ が「お金 かね 」の価値 かち を保証 ほしょう することと租税 そぜい の制度 せいど を存続 そんぞく させることとは表裏一体 ひょうりいったい で、日本 にっぽん においては、明治 めいじ 時代 じだい の紙幣 しへい ・債権 さいけん 経済 けいざい への移行 いこう 期 き に地租 ちそ 改正 かいせい を行 おこな い通貨 つうか による納税 のうぜい 制度 せいど を取 と り入 い れている。政府 せいふ が「お金 かね 」の価値 かち を保証 ほしょう することは、近世 きんせい 社会 しゃかい 以降 いこう において治安 ちあん と並 なら んで国家 こっか 的 てき 機能 きのう の重要 じゅうよう な働 はたら きの1 ひと つで、国内 こくない 的 てき なあらゆる取引 とりひき における一定 いってい の価値 かち および安全 あんぜん 性 せい を保証 ほしょう するものである。
租税 そぜい の基本 きほん 原則 げんそく
租税 そぜい 制度 せいど に関 かん する一般 いっぱん 的 てき な基本 きほん 原則 げんそく として、アダム・スミス の4原則 げんそく やアドルフ・ワグナー の4大 だい 原則 げんそく ・9原則 げんそく 、マスグレイブ の7条件 じょうけん などの租税 そぜい 原則 げんそく が知 し られており、それらの理念 りねん は「公平 こうへい ・中立 ちゅうりつ ・簡素 かんそ 」の3点 てん に集約 しゅうやく できる[6] 。それらはトレードオフ の関係 かんけい に立 た つ場合 ばあい もあり同時 どうじ に満 み たされるものではなく、公正 こうせい で偏 かたよ りのない税 ぜい 体系 たいけい を実現 じつげん することは必 かなら ずしも容易 ようい ではない。種々 しゅじゅ の税目 ぜいもく を適切 てきせつ に組 く み合 あ わせて制度 せいど 設計 せっけい を行 おこな う必要 ひつよう がある[7] 。
租税 そぜい 原則 げんそく [8]
アダム・スミスの 4原則 げんそく
公平 こうへい の原則 げんそく
税 ぜい 負担 ふたん は各人 かくじん の能力 のうりょく に比例 ひれい すべきこと。い換 いか えれば、国家 こっか の保護 ほご の下 した に享受 きょうじゅ する利益 りえき に比例 ひれい すべきこと。
明確 めいかく の原則 げんそく
租税 そぜい は、恣意 しい 的 てき であってはならないこと。支払 しはらい 時期 じき ・方法 ほうほう ・金額 きんがく が明白 めいはく で、平易 へいい なものであること。
便宜 べんぎ の原則 げんそく
租税 そぜい は、納税 のうぜい 者 しゃ が支払 しはら うのに最 もっと も便宜 べんぎ なる時期 じき と方法 ほうほう によって徴収 ちょうしゅう されるべきこと。
最小 さいしょう 徴税 ちょうぜい 費 ひ の原則 げんそく
国庫 こっこ に帰 き する純 じゅん 収入 しゅうにゅう 額 がく と人民 じんみん の給付 きゅうふ する額 がく との差 さ をなるべく少 すく なくすること。
ワグナーの 4大 だい 原則 げんそく ・9原則 げんそく
財政 ざいせい 政策 せいさく 上 じょう の原則 げんそく
課税 かぜい の十分 じゅうぶん 性 せい
財政 ざいせい 需要 じゅよう を満 み たすのに十分 じゅうぶん な租税 そぜい 収入 しゅうにゅう があげられること。
課税 かぜい の弾力 だんりょく 性 せい
財政 ざいせい 需要 じゅよう の変化 へんか に応 おう じて租税 そぜい 収入 しゅうにゅう を弾力 だんりょく 的 てき に操作 そうさ できること。
国民 こくみん 経済 けいざい 上 じょう の原則 げんそく
正 ただ しい税源 ぜいげん の選択 せんたく
国民 こくみん 経済 けいざい の発展 はってん を阻害 そがい しないよう正 ただ しく税源 ぜいげん の選択 せんたく をすべきこと。
正 ただ しい税 ぜい 種 しゅ の選択 せんたく
租税 そぜい の種類 しゅるい の選択 せんたく に際 さい しては、納税 のうぜい 者 しゃ への影響 えいきょう や転嫁 てんか を見極 みきわ め、国民 こくみん 経済 けいざい の発展 はってん を阻害 そがい しないで、租税 そぜい 負担 ふたん が公平 こうへい に配分 はいぶん されるよう努力 どりょく すべきこと。
公正 こうせい の原則 げんそく
課税 かぜい の普遍 ふへん 性 せい
負担 ふたん は普遍 ふへん 的 てき に配分 はいぶん されるべきこと。特権 とっけん 階級 かいきゅう の免税 めんぜい は廃止 はいし すべきこと。
課税 かぜい の公平 こうへい 性 せい
負担 ふたん は公平 こうへい に配分 はいぶん されるべきこと。すなわち、各人 かくじん の負担 ふたん 能力 のうりょく に応 おう じて課税 かぜい されるべきこと。負担 ふたん 能力 のうりょく は所得 しょとく 増加 ぞうか の割合 わりあい 以上 いじょう に高 たか まるため、累進 るいしん 課税 かぜい をすべきこと。なお、所得 しょとく の種類 しゅるい などに応 おう じ担税 たんぜい 力 りょく の相違 そうい などからむしろ異 こと なった取扱 とりあつか いをすべきであること。
租税 そぜい 行政 ぎょうせい 上 じょう の原則 げんそく
課税 かぜい の明確 めいかく 性 せい
課税 かぜい は明確 めいかく であるべきこと。恣意 しい 的 てき 課税 かぜい であってはならないこと。
課税 かぜい の便宜 べんぎ 性 せい
納税 のうぜい 手続 てつづき は便利 べんり であるべきこと。
最小 さいしょう 徴税 ちょうぜい 費 ひ への努力 どりょく
徴税 ちょうぜい 費 ひ が最小 さいしょう となるよう努力 どりょく すべきこと。
マスグレイブの 7条件 じょうけん
十分 じゅうぶん 性 せい
歳入 さいにゅう (税収 ぜいしゅう )は十分 じゅうぶん であるべきこと。
公平 こうへい
租税 そぜい 負担 ふたん の配分 はいぶん は公平 こうへい であるべきこと。
負担 ふたん 者 しゃ
租税 そぜい は、課税 かぜい 対象 たいしょう が問題 もんだい であるだけでなく、最終 さいしゅう 負担 ふたん 者 しゃ (転嫁 てんか 先 さき )も問題 もんだい である。
中立 ちゅうりつ (効率 こうりつ 性 せい )
租税 そぜい は、効率 こうりつ 的 てき な市場 いちば における経済 けいざい 上 じょう の決定 けってい に対 たい する干渉 かんしょう を最小 さいしょう にするよう選択 せんたく されるべきこと。そのような干渉 かんしょう は「超過 ちょうか 負担 ふたん 」を課 か すことになるが、超過 ちょうか 負担 ふたん は最小限 さいしょうげん にとどめなければならない。
経済 けいざい の安定 あんてい と成長 せいちょう
租税 そぜい 構造 こうぞう は経済 けいざい 安定 あんてい と成長 せいちょう のための財政 ざいせい 政策 せいさく を容易 ようい に実行 じっこう できるものであるべきこと。
明確 めいかく 性 せい
租税 そぜい 制度 せいど は公正 こうせい かつ恣意 しい 的 てき でない執行 しっこう を可能 かのう にし、かつ納税 のうぜい 者 しゃ にとって理解 りかい しやすいものであるべきこと。
費用 ひよう 最小 さいしょう
税務 ぜいむ 当局 とうきょく 及 およ び納税 のうぜい 者 しゃ の双方 そうほう にとっての費用 ひよう を他 た の目的 もくてき と両立 りょうりつ し得 え る限 かぎ り、できるだけ小 ちい さくすべきこと。
租税 そぜい 法律 ほうりつ 主義 しゅぎ
租税 そぜい 法律 ほうりつ 主義 しゅぎ とは、租税 そぜい は、民間 みんかん の富 とみ を強制 きょうせい 的 てき に国家 こっか へ移転 いてん させるものなので、租税 そぜい の賦課 ふか ・徴収 ちょうしゅう を行 おこな うには必 かなら ず法律 ほうりつ の根拠 こんきょ を要 よう する、とする原則 げんそく 。この原則 げんそく が初 はじ めて出現 しゅつげん したのは、13世紀 せいき イギリスのマグナ・カルタ である。
近代 きんだい 以前 いぜん は、君主 くんしゅ や支配 しはい 者 しゃ が恣意 しい 的 てき な租税 そぜい 運用 うんよう を行 おこな うことが多 おお かったが、近代 きんだい に入 はい ると市民 しみん 階級 かいきゅう が成長 せいちょう し、課税 かぜい するには課税 かぜい される側 がわ の同意 どうい が必要 ひつよう だという思想 しそう が一般 いっぱん 的 てき となり始 はじ めていた。あわせて、公権力 こうけんりょく の行使 こうし は法律 ほうりつ の根拠 こんきょ に基 もと づくべしとする法治 ほうち 主義 しゅぎ も広 ひろ がっていた。そこで、課税 かぜい に関 かん することは、国民 こくみん =課税 かぜい される側 がわ の代表 だいひょう からなる議会 ぎかい が制定 せいてい した法律 ほうりつ の根拠 こんきょ に基 もと づくべしとする基本 きほん 原則 げんそく 、すなわち租税 そぜい 法律 ほうりつ 主義 しゅぎ が生 う まれた。現代 げんだい では、ほとんどの民主 みんしゅ 国家 こっか で租税 そぜい 法律 ほうりつ 主義 しゅぎ が憲法 けんぽう 原理 げんり とされている。
租税 そぜい が課 か される根拠 こんきょ
租税 そぜい が課 か される根拠 こんきょ として、大 おお きくは次 つぎ の2つの考 かんが え方 かた がある。
利益 りえき 説 せつ - ロック 、ルソー 、アダム・スミスが唱 とな えた。国家 こっか 契約 けいやく 説 せつ の視点 してん から、租税 そぜい は個人 こじん が受 う ける公共 こうきょう サービスに応 おう じて支払 しはら う公共 こうきょう サービスの対価 たいか であるとする考 かんが え方 かた 。後述 こうじゅつ する応 おう 益税 えきぜい の理論 りろん 的 てき 根拠 こんきょ といえる。
能力 のうりょく 説 せつ - ジョン・スチュアート・ミル 、ワグナーが唱 とな えた。租税 そぜい は国家 こっか 公共 こうきょう の利益 りえき を維持 いじ するための義務 ぎむ であり、人々 ひとびと は各人 かくじん の能力 のうりょく に応 おう じて租税 そぜい を負担 ふたん し、それによってその義務 ぎむ を果 は たすとする。「義務 ぎむ 説 せつ 」とも称 しょう される。後述 こうじゅつ する応 おう 能 のう 税 ぜい の理論 りろん 的 てき 根拠 こんきょ といえる。
租税 そぜい の種類 しゅるい
租税 そぜい 制度 せいど は仕組 しく みの異 こと なるさまざまな税目 ぜいもく から成 な り立 た っている[7] 。それぞれの税目 ぜいもく には長所 ちょうしょ と短所 たんしょ があり、観点 かんてん の違 ちが いによって様々 さまざま な分類 ぶんるい 方法 ほうほう がある[7] 。
OECD
各国 かっこく の
主要 しゅよう 税収 ぜいしゅう 構造 こうぞう (
種類 しゅるい 別 べつ , GDPに
占 し める
比率 ひりつ %)
青 あお は
所得 しょとく 税 ぜい 、
橙 だいだい は
法人 ほうじん 税 ぜい 、
緑 みどり は
社会 しゃかい 保険 ほけん (
被用者 ひようしゃ )、
赤 あか は
社会 しゃかい 保険 ほけん (
雇用 こよう 者 しゃ )、
紫 むらさき は
給与 きゅうよ 税 ぜい 、
桃 もも は
資産 しさん 税 ぜい 、
灰 はい は
消費 しょうひ 税 ぜい 、
薄 うす 緑 みどり は
物品 ぶっぴん 税 ぜい
所得 しょとく 税 ぜい ・消費 しょうひ 税 ぜい ・資産 しさん 課税 かぜい など
OECD 各国 かっこく 平均 へいきん の税収 ぜいしゅう 構造 こうぞう (2014年 ねん ) [9]
資産 しさん 税 ぜい (6%)
個別 こべつ 消費 しょうひ 税 ぜい (10%)
その他 た (4%)
税 ぜい 負担 ふたん の尺度 しゃくど となる課税 かぜい ベースに着目 ちゃくもく した分類 ぶんるい として、「所得 しょとく 税 ぜい 」「消費 しょうひ 税 ぜい 」「資産 しさん 課税 かぜい 」などがある[7] 。OECD諸国 しょこく における各国 かっこく 平均 へいきん の課税 かぜい 割合 わりあい を右 みぎ に記 しる す。
所得 しょとく 税 ぜい
個人 こじん の所得 しょとく に対 たい して課税 かぜい される個人 こじん 所得 しょとく 課税 かぜい (所得 しょとく 税 ぜい など)と、法人 ほうじん の所得 しょとく に対 たい して課税 かぜい される法人 ほうじん 所得 しょとく 課税 かぜい (法人 ほうじん 税 ぜい など)がある[7] 。累進 るいしん 課税 かぜい による特性 とくせい として、経済 けいざい 自動 じどう 安定 あんてい 化 か 機能 きのう (ビルト・イン・スタビライザー )をもたらすとされる[7] 。
所得 しょとく 控除 こうじょ 、医療 いりょう 費 ひ 控除 こうじょ をはじめ、年金 ねんきん 貯蓄 ちょちく や住宅 じゅうたく 投資 とうし などに対 たい する優遇 ゆうぐう 措置 そち など、納税 のうぜい 者 しゃ の負担 ふたん 軽減 けいげん のための様々 さまざま な制度 せいど を導入 どうにゅう しやすいことが利点 りてん でもある反面 はんめん 、それらの制度 せいど が既得 きとく 権 けん 化 か すると公平 こうへい 性 せい を損 そこ なうだけでなく、課税 かぜい ベースの縮小 しゅくしょう によって税収 ぜいしゅう 調達 ちょうたつ 機能 きのう の低下 ていか 、非 ひ 効率 こうりつ 化 か といった問題 もんだい を生 しょう じる[10] 。また、納税 のうぜい 者 しゃ 個々 ここ の収入 しゅうにゅう を把握 はあく し的 てき 確 かく に課税 かぜい し徴収 ちょうしゅう する必要 ひつよう があるため正確 せいかく な徴税 ちょうぜい が行 おこな いにくく、この制度 せいど を有効 ゆうこう に活用 かつよう するには税務 ぜいむ 当局 とうきょく の能力 のうりょく の向上 こうじょう が必須 ひっす となる。このため3つの課税 かぜい ベースのうちでもっとも開発 かいはつ が遅 おく れ、所得 しょとく 課税 かぜい が租税 そぜい 全体 ぜんたい において大 おお きな役割 やくわり を果 は たすのは国家 こっか の徴税 ちょうぜい 能力 のうりょく の向上 こうじょう した近代 きんだい 以降 いこう のことである。また同 おな じ理由 りゆう で、納税 のうぜい ・徴税 ちょうぜい 者 しゃ 双方 そうほう に大 おお きな事務 じむ 的 てき な負担 ふたん がかかる課税 かぜい である[11] 。このことから、所得 しょとく 課税 かぜい は先進 せんしん 国 こく の税収 ぜいしゅう において大 おお きな割合 わりあい を占 し めることが多 おお いが、発展 はってん 途上 とじょう 国 こく においてはそれほどの重要 じゅうよう 性 せい を持 も たないことが多 おお い。
消費 しょうひ 税 ぜい
財 ざい ・サービスの消費 しょうひ に対 たい して課税 かぜい される[7] 。消費 しょうひ 税 ぜい のほか、関税 かんぜい や酒税 しゅぜい などが含 ふく まれる。控除 こうじょ などによる特別 とくべつ 措置 そち の余地 よち が少 すく なく、業種 ぎょうしゅ ごとの課税 かぜい ベース把握 はあく の不公平 ふこうへい も生 しょう じないため、水平 すいへい 的 てき 公平 こうへい 、世代 せだい 間 あいだ の公平 こうへい に優 すぐ れており、広 ひろ い課税 かぜい ベースによる安定 あんてい した歳入 さいにゅう が見込 みこ める[12] 。また所得 しょとく 税 ぜい に比 くら べて課税 かぜい 対象 たいしょう の把握 はあく が納税 のうぜい ・徴税 ちょうぜい 者 しゃ 双方 そうほう にとってわかりやすく、税務 ぜいむ 当局 とうきょく の能力 のうりょく がそこまで必要 ひつよう ではないことから、特 とく に発展 はってん 途上 とじょう 国 こく においては消費 しょうひ 課税 かぜい が税収 ぜいしゅう の大半 たいはん を占 し めていることが多 おお い[13] 。反面 はんめん 、所得 しょとく 全体 ぜんたい に占 し める税 ぜい 負担 ふたん の割合 わりあい が低 てい 所得 しょとく 者 しゃ ほど大 おお きくなるため、逆進 ぎゃくしん 的 てき な性質 せいしつ を伴 ともな う[14] 。
資産 しさん 課税 かぜい など
資産 しさん の取得 しゅとく ・保有 ほゆう ・移転 いてん などに対 たい して課税 かぜい される[7] 。固定 こてい 資産 しさん 税 ぜい や相続 そうぞく 税 ぜい 、贈与 ぞうよ 税 ぜい などが属 ぞく する。他者 たしゃ からも明確 めいかく に把握 はあく できる土地 とち や資産 しさん を課税 かぜい 対象 たいしょう とすることから徴税 ちょうぜい が行 おこな いやすく、近代 きんだい 以前 いぜん においては最 もっと も中心 ちゅうしん 的 てき な課税 かぜい であった。また資産 しさん を有 ゆう する富裕 ふゆう 層 そう に対 たい しての課税 かぜい という性格 せいかく が強 つよ いため、所得 しょとく 課税 かぜい と同 おな じく所得 しょとく 格差 かくさ の是正 ぜせい の機能 きのう を有 ゆう するとされる。一方 いっぽう であくまでも有 ゆう 資産 しさん 者 しゃ に対 たい する税 ぜい であるため、課税 かぜい 対象 たいしょう が少 すく なく税収 ぜいしゅう の柱 はしら にはしにくい面 めん がある[13] 。
近年 きんねん では就労 しゅうろう の促進 そくしん や所得 しょとく 再 さい 分配 ぶんぱい 機能 きのう の強化 きょうか などを目的 もくてき として、所得 しょとく 課税 かぜい などに対 たい する給付 きゅうふ 付 つ き税額 ぜいがく 控除 こうじょ の導入 どうにゅう も進 すす んでいる[15] 。給付 きゅうふ 付 つ き税額 ぜいがく 控除 こうじょ は制度 せいど の複雑 ふくざつ 化 か や過誤 かご 支給 しきゅう 、不正 ふせい 受給 じゅきゅう などの課題 かだい を伴 ともな う反面 はんめん 、課税 かぜい 最低限 さいていげん 以下 いか の層 そう を含 ふく む低 てい 所得 しょとく 世帯 せたい への所得 しょとく 移転 いてん を税制 ぜいせい の枠 わく 内 ない で実現 じつげん でき、労働 ろうどう 供給 きょうきゅう を阻害 そがい しにくい制度 せいど 設計 せっけい も可能 かのう であることから[注 ちゅう 1] 、格差 かくさ 是正 ぜせい や消費 しょうひ 税 ぜい などの逆進 ぎゃくしん 性 せい 対策 たいさく に適 てき するとされる[16] [注 ちゅう 2] 。勤労 きんろう 所得 しょとく や就労 しゅうろう 時間 じかん の条件 じょうけん を加味 かみ して就労 しゅうろう 促進 そくしん 策 さく の役割 やくわり を担 にな う勤労 きんろう 税額 ぜいがく 控除 こうじょ は、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、スウェーデン、カナダ、ニュージーランド、韓国 かんこく など10か国 こく 以上 いじょう が導入 どうにゅう している[17] 。子育 こそだ て支援 しえん を目的 もくてき とする児童 じどう 税額 ぜいがく 控除 こうじょ はアメリカ、イギリスなどが採用 さいよう しているほか、ドイツやカナダなども同 どう 趣旨 しゅし の給付 きゅうふ 制度 せいど を設 もう けている[18] [注 ちゅう 3] 。消費 しょうひ 税 ぜい の逆進 ぎゃくしん 性 せい 緩和 かんわ を目的 もくてき とする消費 しょうひ 税 ぜい 逆進 ぎゃくしん 性 せい 対策 たいさく 税額 ぜいがく 控除 こうじょ はカナダやシンガポールなどが導入 どうにゅう している[19] 。
国税 こくぜい と地方 ちほう 税 ぜい
OECD各国 かっこく 税収 ぜいしゅう のタイプ別 べつ GDP比 ひ (%)。赤 あか は国家 こっか 間 あいだ 、青 あお は連邦 れんぽう ・中央 ちゅうおう 政府 せいふ 、紫 むらさき は州 しゅう 、橙 だいだい は地方 ちほう 、緑 みどり は社会 しゃかい 保障 ほしょう 拠出 きょしゅつ [20] 。
租税 そぜい は課税 かぜい 権 けん 者 しゃ に応 おう じて国税 こくぜい と地方 ちほう 税 ぜい に区分 くぶん できる[7] 。子 こ ども手当 てあて のような生存 せいぞん 保障 ほしょう の支出 ししゅつ は、国 くに が全額 ぜんがく 財源 ざいげん を負担 ふたん するのが論理 ろんり 的 てき には一貫 いっかん するが、対人 たいじん 社会 しゃかい サービスなど現物 げんぶつ 給付 きゅうふ については、地方自治体 ちほうじちたい が供給 きょうきゅう 主体 しゅたい となる[21] 。国税 こくぜい では富裕 ふゆう 層 そう への課税 かぜい や矯正 きょうせい 的 てき 正義 せいぎ (応 おう 能 のう 原則 げんそく )が重視 じゅうし されるが、所得 しょとく の多寡 たか を問 と わないユニバーサリズムの視点 してん からすれば、地方 ちほう 税 ぜい に関 かん してはむしろすべての参加 さんか 者 しゃ が負担 ふたん する配分 はいぶん 的 てき 正義 せいぎ (応益 おうえき 原則 げんそく 、水平 すいへい 的 てき 公平 こうへい 性 せい )が基準 きじゅん となる[22] 。
国税 こくぜい の課税 かぜい 権 けん 者 しゃ は国 くに 、地方 ちほう 税 ぜい の課税 かぜい 権 けん 者 しゃ は各 かく 地方自治体 ちほうじちたい となるが、地方 ちほう 税 ぜい に関 かん する税率 ぜいりつ などの決定 けってい は必 かなら ずしも各 かく 自治体 じちたい の自由 じゆう 裁量 さいりょう ではなく、税率 ぜいりつ の上下 じょうげ 限 げん など、国 くに によって様々 さまざま な形 かたち での制約 せいやく が設 もう けられている[23] 。チェコ、デンマー ク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ポルトガル、スペインといった国々 くにぐに では地方 ちほう 税 ぜい の税目 ぜいもく に対 たい して上限 じょうげん と下限 かげん 両方 りょうほう の制限 せいげん が存在 そんざい し、オーストラリア、ベルギー、フランス、ハンガリー、オランダ、ポーランド、スイス、イギリス、アメリカなどは上限 じょうげん のみが存在 そんざい する[23] 。イタリアの州 しゅう 生産 せいさん 活動 かつどう 税 ぜい のように、国 くに が定 さだ めた標準 ひょうじゅん 税率 ぜいりつ を基準 きじゅん に税率 ぜいりつ の上下 じょうげ 限 げん 幅 はば が決 き められているケースもある[23] 。日本 にっぽん では法人 ほうじん 課税 かぜい を中心 ちゅうしん に税率 ぜいりつ の上限 じょうげん (制限 せいげん 税率 ぜいりつ )が設 もう けられているが、直接的 ちょくせつてき に下限 かげん を定 さだ めた規制 きせい は存在 そんざい せず、法的 ほうてき 拘束 こうそく 力 りょく の無 な い標準 ひょうじゅん 税率 ぜいりつ を地方 ちほう 債 さい の起債 きさい 許可 きょか や政府 せいふ 間 あいだ 財政 ざいせい 移転 いてん 制度 せいど (地方 ちほう 交付 こうふ 税 ぜい 交付 こうふ 金 きん )の交付 こうふ 額 がく 算定 さんてい と連動 れんどう させることで、それを下回 したまわ る税率 ぜいりつ の選択 せんたく を抑制 よくせい する制度 せいど 設計 せっけい となっている[24] [注 ちゅう 4] 。上位 じょうい 政府 せいふ による起債 きさい 制限 せいげん と政府 せいふ 間 あいだ 財政 ざいせい 移転 いてん の双方 そうほう を背景 はいけい として地方 ちほう 税率 ぜいりつ が下方 かほう 硬直 こうちょく 的 てき になっている例 れい は、日本 にっぽん 以外 いがい の主要 しゅよう 国 こく には見当 みあ たらず、日本 にっぽん の標準 ひょうじゅん 税率 ぜいりつ 制度 せいど は国際 こくさい 的 てき にみてもかなりユニークな制度 せいど であるといえる[25] 。
普通 ふつう 税 ぜい と目的 もくてき 税 ぜい
租税 そぜい は、特 とく にその使途 しと を特定 とくてい しないで徴収 ちょうしゅう される普通 ふつう 税 ぜい と、一定 いってい の政策 せいさく 目的 もくてき を達成 たっせい するために使途 しと を特定 とくてい して徴収 ちょうしゅう される目的 もくてき 税 ぜい とに区分 くぶん できる[7] 。目的 もくてき 税 ぜい は公的 こうてき サービスの受益 じゅえき と負担 ふたん とが密接 みっせつ に対応 たいおう している場合 ばあい は合理 ごうり 性 せい を伴 ともな った仕組 しく みとなる反面 はんめん 、財政 ざいせい の硬直 こうちょく 化 か を招 まね く傾向 けいこう があり、継続 けいぞく 的 てき に妥当 だとう 性 せい を吟味 ぎんみ していく必要 ひつよう がある[7] 。
直接 ちょくせつ 税 ぜい と間接 かんせつ 税 ぜい
租税 そぜい を負担 ふたん する者 もの から直接 ちょくせつ 徴収 ちょうしゅう する租税 そぜい を直接 ちょくせつ 税 ぜい と言 い い、納税 のうぜい 者 しゃ 以外 いがい の者 もの に転嫁 てんか する租税 そぜい を間接 かんせつ 税 ぜい という[26] 。ただし、租税 そぜい の転嫁 てんか の有無 うむ が税目 ぜいもく ごとに不 ふ 明確 めいかく な場合 ばあい もあり、直接 ちょくせつ 税 ぜい と間接 かんせつ 税 ぜい の分類 ぶんるい の基準 きじゅん には諸説 しょせつ ある[26] 。
い換 いか えると、具体 ぐたい 的 てき な商品 しょうひん やサービス の価格 かかく を通 つう じて税 ぜい が納税 のうぜい 義務 ぎむ 者 しゃ から消費 しょうひ 者 しゃ に転嫁 てんか されることを予定 よてい した租税 そぜい を間接 かんせつ 税 ぜい と言 い い、それ以外 いがい の租税 そぜい を直接 ちょくせつ 税 ぜい と呼 よ ぶ。例 たと えば、「たばこ税 ぜい 」や「法人 ほうじん 税 ぜい 」は両者 りょうしゃ とも消費 しょうひ 者 しゃ に転嫁 てんか されているが、たばこ税 ぜい は具体 ぐたい 的 てき な商品 しょうひん に転嫁 てんか されているので間接 かんせつ 税 ぜい となる。法人 ほうじん 税 ぜい は具体 ぐたい 的 てき な商品 しょうひん やサービスに転嫁 てんか されていないため、直接 ちょくせつ 税 ぜい である[7] 。
直接 ちょくせつ 税 ぜい はオフショア市場 いちば の活用 かつよう により税収 ぜいしゅう が減 へ っている。
直接 ちょくせつ 税 ぜい の例 れい
所得 しょとく 税 ぜい ・法人 ほうじん 税 ぜい ・相続 そうぞく 税 ぜい 、地方 ちほう 税 ぜい における住民 じゅうみん 税 ぜい ・事業 じぎょう 税 ぜい ・固定 こてい 資産 しさん 税 ぜい [27]
間接 かんせつ 税 ぜい の例 れい
印紙 いんし 税 ぜい 、登録 とうろく 税 ぜい 、通行 つうこう 税 ぜい などの流通 りゅうつう 税 ぜい 、酒税 しゅぜい 、物品 ぶっぴん 税 ぜい 、関税 かんぜい などの消費 しょうひ 税 ぜい [26] 、たばこ税 ぜい [28]
従量税 じゅうりょうぜい と従価税 じゅうかぜい
数量 すうりょう あたりで税率 ぜいりつ を定 さだ めた税 ぜい を従量税 じゅうりょうぜい 、価額 かがく 単位 たんい で課 か される税 ぜい を従価税 じゅうかぜい という[7] 。
応益 おうえき 課税 かぜい と応 おう 能 のう 課税 かぜい
納税 のうぜい 者 しゃ の担税 たんぜい 力 りょく 、すなわち租税 そぜい の負担 ふたん 能力 のうりょく に応 おう じて賦課 ふか する立場 たちば の考 かんが え方 かた を応 おう 能 のう 課税 かぜい 、公共 こうきょう サービスの受益 じゅえき に応 おう じて課税 かぜい すべきとする考 かんが え方 かた を応益 おうえき 課税 かぜい という[6] 。租税 そぜい は公益 こうえき サービスのための財源 ざいげん であることから、少 すく なからず応益 おうえき 課税 かぜい の要素 ようそ が内在 ないざい するが、個別 こべつ の受益 じゅえき と負担 ふたん との関係 かんけい が必 かなら ずしも明確 めいかく でなく、応益 おうえき 負担 ふたん だけでは成 な りたない[6] 。地方 ちほう 税 ぜい は地域 ちいき 住民 じゅうみん による負担 ふたん 分 ぶん 任 にん という性格 せいかく 上 じょう 、応益 おうえき 課税 かぜい の要素 ようそ がより重視 じゅうし される[6] 。
税 ぜい の帰着 きちゃく
法 ほう においては、税 ぜい を誰 だれ から徴収 ちょうしゅう するかを定 さだ めている。多 おお くの国 くに では、税 ぜい は事業 じぎょう 者 しゃ に課 か されている(たとえば法人 ほうじん 税 ぜい や給与 きゅうよ 税 ぜい )。しかし最終 さいしゅう 的 てき に誰 だれ が税 ぜい を支払 しはら うか(税 ぜい を負担 ふたん するか)は、その税 ぜい が製品 せいひん コストに組 く み込 こ まれることで、市場 いちば が決定 けってい する。経済 けいざい 学理 がくり 論 ろん では、税 ぜい による経済 けいざい 的 てき 効果 こうか は、必 かなら ずしも法的 ほうてき 課税 かぜい 者 しゃ に降 ふ りかかるわけではない。たとえば雇用 こよう 主 ぬし が支払 しはら う雇用 こよう に対 たい する税 ぜい は、少 すく なくとも長期 ちょうき 的 てき には従業 じゅうぎょう 員 いん に影響 えいきょう を及 およ ぼしている。
国民 こくみん 所得 しょとく に対 たい する負担 ふたん 率 りつ
租税 そぜい 負担 ふたん 率 りつ と社会 しゃかい 保障 ほしょう 負担 ふたん 率 りつ
国民 こくみん 所得 しょとく に占 し める租税 そぜい の総額 そうがく (国税 こくぜい と地方 ちほう 税 ぜい を合 あ わせた租税 そぜい 収入 しゅうにゅう 金額 きんがく を国民 こくみん 所得 しょとく で除 じょ した額 がく )を租税 そぜい 負担 ふたん 率 りつ という[29] 。
また、国民 こくみん 所得 しょとく に占 し める社会 しゃかい 保障 ほしょう 負担 ふたん 額 がく の総額 そうがく (医療 いりょう 保険 ほけん や年金 ねんきん 保険 ほけん などを合 あ わせた社会 しゃかい 保障 ほしょう 負担 ふたん 額 がく を国民 こくみん 所得 しょとく で除 じょ した額 がく )を社会 しゃかい 保障 ほしょう 負担 ふたん 率 りつ という。
国民 こくみん 負担 ふたん 率 りつ
国民 こくみん 全体 ぜんたい の所得 しょとく に占 し める租税 そぜい 負担 ふたん 率 りつ と社会 しゃかい 保障 ほしょう 負担 ふたん 率 りつ の合算 がっさん を 国民 こくみん 負担 ふたん 率 りつ (national burden ratio)という[29] 。なお、国民 こくみん 負担 ふたん 率 りつ に次世代 じせだい の国民 こくみん 負担 ふたん (財政 ざいせい 赤字 あかじ 分 ぶん )を加味 かみ して算出 さんしゅつ した割合 わりあい を潜在 せんざい 的 てき 国民 こくみん 負担 ふたん 率 りつ という[29] 。
徴収 ちょうしゅう 方式 ほうしき
税 ぜい の徴収 ちょうしゅう 方式 ほうしき としては、申告 しんこく 課税 かぜい と賦課 ふか 課税 かぜい の二 ふた つの方式 ほうしき が主 おも な方式 ほうしき となっている。賦課 ふか 課税 かぜい 方式 ほうしき は各 かく 政府 せいふ が納付 のうふ 義務 ぎむ を持 も つものに税額 ぜいがく を計算 けいさん して賦課 ふか するものであり、申告 しんこく 課税 かぜい は逆 ぎゃく に納付 のうふ 義務 ぎむ を持 も つものが自 みずか ら税額 ぜいがく を計算 けいさん して政府 せいふ に申告 しんこく するものである[30] 。賦課 ふか 課税 かぜい 方式 ほうしき は近代 きんだい までは中心 ちゅうしん 的 てき な徴収 ちょうしゅう 方式 ほうしき であったものの、20世紀 せいき 後半 こうはん に入 はい ると申告 しんこく 課税 かぜい が主流 しゅりゅう の納付 のうふ 方式 ほうしき となった。このほか、いくつかの国家 こっか においては納税 のうぜい 者 しゃ への給与 きゅうよ などの支払 しはら いの際 さい にその雇用 こよう 者 しゃ があらかじめ税額 ぜいがく 相当 そうとう を天引 てんび きしておく、いわゆる源泉 げんせん 徴収 ちょうしゅう が行 おこな われている[31] 。また、文書 ぶんしょ に対 たい し収入 しゅうにゅう 印紙 いんし を貼 は り付 づ けて納付 のうふ する印紙 いんし 納付 のうふ もある。
租税 そぜい の歴史 れきし
租税 そぜい の歴史 れきし は国家 こっか の歴史 れきし と密接 みっせつ に関連 かんれん する。極端 きょくたん な増税 ぞうぜい は、農民 のうみん など税 ぜい の負担 ふたん 者 しゃ を疲弊 ひへい させ反乱 はんらん を招 まね き国家 こっか の滅亡 めつぼう につながることもあった。歴史 れきし 的 てき には、労働 ろうどう 、兵役 へいえき やその地方 ちほう の特産 とくさん 物 ぶつ などによる納税 のうぜい が行 おこな われた時代 じだい があった。例 たと えば万里 ばんり の長城 ちょうじょう など歴史 れきし 的 てき な建造 けんぞう 物 ぶつ の多 おお くは、強制 きょうせい 的 てき な労働 ろうどう 力 りょく の徴発 ちょうはつ より作 つく られたものと考 かんが えられている。
租税 そぜい 制度 せいど は主 おも に次 つぎ のような変遷 へんせん を遂 と げた[32] 。
古代 こだい
原始 げんし には、神 かみ に奉 ほう じた物 もの を再 さい 配分 はいぶん する、という形 かたち を取 と っていたとされている。社会 しゃかい 的 てき 分業 ぶんぎょう によって私的 してき 耕作 こうさく や家内 かない 工業 こうぎょう の発展 はってん とともに集団 しゅうだん の中 なか で支配 しはい 者 しゃ と被 ひ 支配 しはい 者 しゃ が生 しょう じ、支配 しはい 者 しゃ は被 ひ 支配 しはい 者 しゃ から財産 ざいさん の一部 いちぶ を得 え るようになった。これには、被 ひ 支配 しはい 者 しゃ が支配 しはい 者 しゃ に差 さ し出 だ す犠牲 ぎせい 的 てき 貢 みつぎ 納 おさめ と支配 しはい 者 しゃ が被 ひ 支配 しはい 者 しゃ から徴収 ちょうしゅう する命令 めいれい 的 てき 賦課 ふか があった。古代 こだい の税 ぜい としては、物納 ぶつのう と賦役 ふえき が主 おも に用 もち いられた。物納 ぶつのう は農村 のうそん においては穀物 こくもつ を主 おも とする収穫 しゅうかく が主 おも であり、それに古代 こだい においては貴重 きちょう 品 ひん であった布 ぬの や、その地方 ちほう の特産 とくさん 品 ひん を特別 とくべつ に納付 のうふ させることも行 おこな われた。賦役 ふえき は税 ぜい として被 ひ 支配 しはい 者 しゃ に課 か せられる労役 ろうえき のことであり、土木 どぼく 工事 こうじ などの公共 こうきょう 事業 じぎょう や、領主 りょうしゅ 支配 しはい 地 ち における耕作 こうさく など様々 さまざま な形態 けいたい を取 と った。
古代 こだい エジプト のパピルス 文書 ぶんしょ に当時 とうじ の農民 のうみん に対 たい する厳 きび しい搾取 さくしゅ と免税 めんぜい 特権 とっけん をもつ神官 しんかん ・書記 しょき に関 かん する記述 きじゅつ がある。
古代 こだい インド のマウリヤ朝 あさ では、農民 のうみん に対 たい し収穫 しゅうかく 高 だか の四 よん 分 ぶん の一 いち 程度 ていど を賦課 ふか し、強制 きょうせい 労働 ろうどう も行 おこな われていた。
古代 こだい ギリシア には平常 へいじょう 、所得 しょとく 税 ぜい や財産 ざいさん 税 ぜい というものは無 な く、必要 ひつよう 支出 ししゅつ は資産 しさん 家 か の自発 じはつ 的 てき な公共 こうきょう 奉仕 ほうし によって賄 まかな われた[33] 他 た に、エイスフォラ (Eisphora)という戦時 せんじ 特別 とくべつ 財産 ざいさん 税 ぜい があった。紀元前 きげんぜん 5、4世紀 せいき 、アテナイ において戦費 せんぴ 捻出 ねんしゅつ のために一定 いってい 額 がく 以上 いじょう の財産 ざいさん を所有 しょゆう する市民 しみん とメトイコイ (外国 がいこく 人 じん )に課 か せられ、税率 ぜいりつ は財産 ざいさん 総額 そうがく の1%だった[34] 。
ロ ろ ーマ帝国 まていこく の税制 ぜいせい の基本 きほん は簡潔 かんけつ であり、属 ぞく 州民 しゅうみん にのみ課 か される収入 しゅうにゅう の10%に当 あ たる属 ぞく 州 しゅう 税 ぜい (10分 ぶん の1税 ぜい )、ローマ市民 しみん と属 ぞく 州民 しゅうみん 双方 そうほう に課 か される商品 しょうひん の売買 ばいばい ごとに掛 か けられる2%の売上 うりあげ 税 ぜい (50分 ぶん の1税 ぜい )、ローマ市民 しみん にのみ課 か される遺産 いさん 相続 そうぞく 税 ぜい や解放 かいほう 奴隷 どれい 税 ぜい などであった。3世紀 せいき のアントニヌス勅 みことのり 令 れい 以降 いこう は国庫 こっこ 収入 しゅうにゅう が減少 げんしょう し、軍団 ぐんだん 編成 へんせい 費用 ひよう などを賄 まかな うための臨時 りんじ 課税 かぜい が行 おこな われることもあった。マルクス・ユニウス・ブルートゥス は属 ぞく 州 しゅう の長官 ちょうかん に赴任 ふにん したとき、住民 じゅうみん に10年 ねん 分 ぶん の税 ぜい の前払 まえばら いを要求 ようきゅう した。
日本 にっぽん
中国 ちゅうごく
春秋 しゅんじゅう 時代 じだい の老子 ろうし 道徳 どうとく 経 けい 第 だい 75章 しょう には「民 みん 之 の 飢 かつえ 以其上 うえ 食 しょく 税 ぜい 之 の 多 た 是 ぜ 以飢(民 みん が飢 う えるのは政府 せいふ が税 ぜい を多 おお く取 と りすぎるからである)」とある[35] 。
漢 かん の主要 しゅよう 財源 ざいげん は、算 さん 賦 ふ (人頭 じんとう 税 ぜい 及 およ び財産 ざいさん 税 ぜい )、田租 でんそ 、徭役(労働 ろうどう の提供 ていきょう )であった。
北 きた 魏 たかし において均 ひとし 田制 たせい が成立 せいりつ したのち、これに基 もと づいて北 きた 周 あまね が租庸調 そようちょう の税制 ぜいせい をはじめ、唐 とう でもこの税法 ぜいほう を当初 とうしょ は引 ひ き継 つ いだ。しかし玄 げん 宗 むね 期 き に入 はい ると土地 とち の集積 しゅうせき が進 すす み均 ひとし 田制 たせい が崩壊 ほうかい し、土地 とち の存在 そんざい が前提 ぜんてい であった租庸調 そようちょう 制 せい も同時 どうじ に崩壊 ほうかい したため、780年 ねん には徳 とく 宗 むね の宰相 さいしょう 楊炎 によって両 りょう 税法 ぜいほう が導入 どうにゅう された。これは税 ぜい の簡素 かんそ 化 か と実情 じつじょう に合 あ わせた変更 へんこう によって税収 ぜいしゅう を回復 かいふく させる試 こころ みであり、以後 いご 明 あきら にいたるまで歴代 れきだい 王朝 おうちょう はこの税法 ぜいほう を維持 いじ し続 つづ けた。しかし明代 あきよ に入 はい ると再 ふたた び税制 ぜいせい の実情 じつじょう とのかい離 り が起 お こり、税制 ぜいせい は複雑 ふくざつ 化 か したため、16世紀 せいき 末 まつ の万 まん 暦 れき 帝 みかど 期 き において、宰相 さいしょう 張 ちょう 居 きょ 正 ただし が税 ぜい を丁 ちょう 税 みつぐ (人頭 じんとう 税 ぜい )と地 ち 税 ぜい にまとめて銀 ぎん で一括 いっかつ 納入 のうにゅう させる一条 いちじょう 鞭 むち 法 ほう を導入 どうにゅう した。清 きよし 代 だい に入 はい ると、丁 ちょう 銀 ぎん を地銀 ちぎん に繰 く り込 こ んで一本 いっぽん 化 か した地 ち 丁 ひのと 銀 ぎん 制 せい が導入 どうにゅう された。
イスラム
イスラーム を国教 こっきょう とするいくつかの王朝 おうちょう では、ズィンミー (異教徒 いきょうと 。キリスト教徒 きりすときょうと ・ユダヤ教徒 きょうと など)に対 たい してジズヤ (人頭 じんとう 税 ぜい )の徴収 ちょうしゅう が行 おこな われた。この方式 ほうしき は7世紀 せいき のウマイヤ朝 あさ を起源 きげん としている。正統 せいとう カリフ時代 じだい には税制 ぜいせい はいまだ未 み 整備 せいび であったが、ウマイヤ朝 ちょう 期 き に入 はい るアラブ人 じん 以外 いがい のイスラム教徒 きょうと (マワーリー )および異教徒 いきょうと からジズヤとハラージュ (土地 とち 税 ぜい )の双方 そうほう を徴収 ちょうしゅう することとなった。しかしこの方式 ほうしき はマワーリーからの大 おお きな反発 はんぱつ を招 まね き、アッバース革命 かくめい を招 まね くこととなった。こうして成立 せいりつ したアッバース朝 あさ はマワーリーからジズヤの納入 のうにゅう 義務 ぎむ を撤廃 てっぱい し、またアラブ人 じん のイスラム教徒 きょうと であってもハラージュの納入 のうにゅう を義務付 ぎむづ けた。こうして成立 せいりつ したジズヤ(異教徒 いきょうと への人頭 じんとう 税 ぜい )とハラージュ(全 ぜん 国民 こくみん 対象 たいしょう の土地 とち 税 ぜい )の二本立 にほんだ ての税制 ぜいせい は、イスラーム諸 しょ 王朝 おうちょう の基本 きほん 税制 ぜいせい となって広 ひろ まっていった。
ヨーロッパ
中世 ちゅうせい ヨーロッパ では教会 きょうかい が聖書 せいしょ [36] を典拠 てんきょ として収穫 しゅうかく 物 ぶつ の10分 ぶん の1を徴収 ちょうしゅう する十 じゅう 分 ぶん の一 いち 税 ぜい が教 きょう 区民 くみん に課 か された[37] 。初 はじ めは教徒 きょうと の自発 じはつ 的 てき 慣行 かんこう だったが、8世紀 せいき からフランク王国 おうこく で義務 ぎむ とされ、9世紀 せいき にはこの税 ぜい をめぐって世俗 せぞく 領主 りょうしゅ との争奪 そうだつ 戦 せん がくりかえされ、10世紀 せいき には領主 りょうしゅ の封建 ほうけん 的 てき 所有 しょゆう 権 けん として売買 ばいばい された[37] 。
中世 ちゅうせい ヨーロッパでは封建 ほうけん 制 せい が採 と られ、土地 とち を支配 しはい する封建 ほうけん 領主 りょうしゅ は土地 とち を耕作 こうさく する農民 のうみん から貢 みつぎ 納 おさめ を得 え て生活 せいかつ していた。貢 みつぎ 納 おさめ のほか、領主 りょうしゅ 直営 ちょくえい 地 ち における賦役 ふえき 農耕 のうこう も重要 じゅうよう な税 ぜい のひとつであった。その代 かわ り、領主 りょうしゅ は統治 とうち 者 しゃ として領民 りょうみん を外敵 がいてき から守 まも る役割 やくわり を果 は たしていた。領主 りょうしゅ の主 しゅ 収入 しゅうにゅう は地代 じだい であったが、私的 してき 収入 しゅうにゅう と公的 こうてき 収入 しゅうにゅう が同一 どういつ となっており、しばしば戦費 せんぴ 調達 ちょうたつ のために臨時 りんじ 収入 しゅうにゅう が課 か された。フランスでは十字軍 じゅうじぐん の戦費 せんぴ のためにフィリップ2世 せい が1198年 ねん に臨時 りんじ 課税 かぜい を始 はじ めた[38] 。
その後 ご 、領主 りょうしゅ は戦争 せんそう や武器 ぶき の改良 かいりょう 、傭兵 ようへい の台頭 たいとう によって財政難 ざいせいなん に陥 おちい り、相続 そうぞく 税 ぜい ・死亡 しぼう 税 ぜい の新設 しんせつ や地代 じだい を上 あ げる。しかし、それでも賄 まかな いきれなくなった領主 りょうしゅ は特権 とっけん 収入 しゅうにゅう に頼 たよ るようになる。ここで言 い う特権 とっけん とは、鋳 い 貨 ・製塩 せいえん ・狩猟 しゅりょう ・探鉱 たんこう (後 のち に郵便 ゆうびん ・売店 ばいてん )を指 さ し、領主 りょうしゅ はこの特権 とっけん を売 うれ 渡 わた すことで収入 しゅうにゅう を得 え た。特権 とっけん 収入 しゅうにゅう の発生 はっせい は実物 じつぶつ 経済 けいざい から貨幣 かへい 経済 けいざい への移行 いこう の一 ひと つの表 あらわ れとみられている。
貨幣 かへい 経済 けいざい が発達 はったつ すると新 あたら しい階級 かいきゅう として商人 しょうにん 階級 かいきゅう が生 う まれる。土地 とち は売買 ばいばい の対象 たいしょう となり、領主 りょうしゅ と農民 のうみん の関係 かんけい は主従 しゅうじゅう 関係 かんけい から貨幣 かへい 関係 かんけい へと変質 へんしつ した。貴族 きぞく は土地 とち の所有 しょゆう と地代 じだい 収入 しゅうにゅう を失 うしな ったため、商人 しょうにん たちに市場 いちば 税 ぜい ・入 いり 市 し 税 ぜい ・営業 えいぎょう 免許 めんきょ 税 ぜい ・関税 かんぜい ・運送 うんそう 税 ぜい ・鉱山 こうざん 特権 とっけん 税 ぜい などを課 か す。これらは租税 そぜい と手数料 てすうりょう 、両方 りょうほう の側面 そくめん を持 も っていた。
14世紀 せいき から15世紀 せいき にかけてオスマン帝国 ていこく からの圧迫 あっぱく を受 う けた神 かみ 聖 きよし ロ ろ ーマ帝国 まていこく は戦費 せんぴ 調達 ちょうたつ のために等 とう 族 ぞく に資金 しきん 供出 きょうしゅつ を頼 たの んだ[39] 。当時 とうじ オスマン帝国 ていこく は25万 まん 人 にん の歩兵 ほへい を確保 かくほ していた[39] 。対 たい して、当時 とうじ 神聖 しんせい ロ ろ ーマ帝国 まていこく の皇帝 こうてい 位 い を世襲 せしゅう していたハプスブルク家 か の世襲 せしゅう 領 りょう 収入 しゅうにゅう は30万 まん グルデンで、雇 やと える傭兵 ようへい は年 とし 6000人 にん の歩兵 ほへい 、または2500人 にん の騎兵 きへい だった[39] 。臨時 りんじ 戦費 せんぴ に当 あ たって領主 りょうしゅ は等 ひとし 族 ぞく に対 たい して、本来 ほんらい 資金 しきん 供出 きょうしゅつ 要求 ようきゅう の権利 けんり はないことや、等 ひとし 族 ぞく の権利 けんり 侵害 しんがい をすることはないなどの諸 しょ 条件 じょうけん をつけて資金 しきん 供出 きょうしゅつ を要求 ようきゅう した[39] 。領主 りょうしゅ と等 ひとし 族 ぞく との「共同 きょうどう の困難 こんなん 」からの財政 ざいせい 需要 じゅよう が、租税 そぜい 国家 こっか を生 う み出 だ していくことになった[39] 。
流通 りゅうつう 税 ぜい については、イギリスでは印紙 いんし 税 ぜい が重要 じゅうよう で、フランスでは登録 とうろく 税 ぜい が重要 じゅうよう な地位 ちい を占 し める[38] 。
イギリス
イングランド では1215年 ねん 、ジョン欠 かけ 地 ち 王 おう が課税 かぜい に反発 はんぱつ した貴族 きぞく たちとの戦 たたか いに敗 やぶ れマグナ・カルタ を受 う け入 い れた。同 どう 憲章 けんしょう には「一切 いっさい の楯 だて 金 きん もしくは 援助 えんじょ 金 きん は、朕 ちん の王国 おうこく の一般 いっぱん 評議 ひょうぎ 会 かい によるのでなければ、朕 ちん の王国 おうこく においてはこれを課 か さない」 との規定 きてい があり、ここに租税 そぜい 法律 ほうりつ 主義 しゅぎ の萌芽 ほうが があるとされ[40] 、また「承諾 しょうだく なければ課税 かぜい なし」の原則 げんそく の起源 きげん ともなった[41] 。
1625年 ねん に即位 そくい したチャールズ1世 せい は英 えい 西 にし 戦争 せんそう 戦費 せんぴ 調達 ちょうたつ のための特別 とくべつ 税 ぜい を請求 せいきゅう したが、議会 ぎかい が少額 しょうがく の14万 まん ポンドしか承認 しょうにん せず、また王 おう の終身 しゅうしん 収入 しゅうにゅう [42] でもあった輸出入 ゆしゅつにゅう 関税 かんぜい のトン税 とんぜい ・ポンド税 ぜい を1年 ねん の期限 きげん 付 つ きに限定 げんてい した[43] 。王 おう は議会 ぎかい を解散 かいさん し、議会 ぎかい の同意 どうい なしでトン税 とんぜい ・ポンド税 ぜい 、船舶 せんぱく 税 ぜい を徴収 ちょうしゅう した[43] 。1628年 ねん 、議会 ぎかい は「議会 ぎかい の同意 どうい 無 な しの課税 かぜい 禁止 きんし 」を第 だい 一 いち 項目 こうもく とした権利 けんり の請願 せいがん を提出 ていしゅつ した[43] 。王 おう は一 いち 度 ど は承認 しょうにん するものの翌年 よくねん に議会 ぎかい を解散 かいさん し、以降 いこう 、11年間 ねんかん 親政 しんせい を敷 し いた[43] 。この間 あいだ トン税 とんぜい ・ポンド税 ぜい 、船舶 せんぱく 税 ぜい を継続 けいぞく し、また騎士 きし 強制 きょうせい に応 おう じない者 もの への罰金 ばっきん や、貴族 きぞく の領地 りょうち が王 おう 領 りょう 林 りん を侵害 しんがい しているとして罰金 ばっきん を課 か していった[43] 。主教 しゅきょう 戦争 せんそう 戦費 せんぴ 調達 ちょうたつ のために王 おう は議会 ぎかい を開催 かいさい したが、議会 ぎかい では課税 かぜい 禁止 きんし 法案 ほうあん を次々 つぎつぎ と可決 かけつ していった[43] 。1641年 ねん の大 だい 抗議 こうぎ 文 ぶん で対立 たいりつ が決定的 けっていてき となり、1642年 ねん にイングランド内戦 ないせん に至 いた った[44] 。1643年 ねん 、議会 ぎかい は査定 さてい 課税 かぜい (Assessed Tax)を導入 どうにゅう した[44] [45] 。これは財産 ざいさん の評価 ひょうか 額 がく に応 おう じた課税 かぜい を課 か す直接 ちょくせつ 税 ぜい であり、所得 しょとく 税 ぜい の前身 ぜんしん となった[44] 。しかしこれはロンドン市 し に負担 ふたん が集中 しゅうちゅう したため、間接 かんせつ 税 ぜい の内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい (Excise Duty)を反対 はんたい を押 お し切 き り導入 どうにゅう した[44] [46] 。査定 さてい 課税 かぜい は富裕 ふゆう 層 そう への課税 かぜい であったのに対 たい して内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい は庶民 しょみん にも課税 かぜい するもので、内戦 ないせん 後 ご のイギリス財政 ざいせい では関税 かんぜい に並 なら ぶ基幹 きかん 税 ぜい となっていった[44] 。イングランド共和 きょうわ 国 こく 崩壊 ほうかい 後 ご の王政 おうせい 復古 ふっこ 後 こう も議会 ぎかい は財政 ざいせい 権 けん を確保 かくほ する一方 いっぽう で、チャールズ2世 せい は内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい の一部 いちぶ 、トン税 とんぜい ・ポンド税 ぜい 、関税 かんぜい 収入 しゅうにゅう の終身 しゅうしん 供与 きょうよ が承認 しょうにん された[44] 。名誉 めいよ 革命 かくめい での権利 けんり の章典 しょうてん においても議会 ぎかい の承認 しょうにん なしの課税 かぜい は禁止 きんし された。こうしてイギリス革命 かくめい 期 き には、1628年 ねん の権利 けんり の請願 せいがん で国会 こっかい による同意 どうい なしには税金 ぜいきん その他 た 同種 どうしゅ の負担 ふたん を強制 きょうせい されないことが再 さい 確認 かくにん され、1689年 ねん の権利 けんり の章典 しょうてん において国会 こっかい の承認 しょうにん なしに王 おう が税金 ぜいきん を徴収 ちょうしゅう することは違法 いほう であると規定 きてい され、法 ほう の支配 しはい とともに租税 そぜい 法律 ほうりつ 主義 しゅぎ も確立 かくりつ した[40] 。
ホッブズ、ロックなどの17世紀 せいき イギリス社会 しゃかい 契約 けいやく 論 ろん では、個人 こじん は、国家 こっか が諸 しょ 個人 こじん の生命 せいめい と財産 ざいさん を保護 ほご する対価 たいか として租税 そぜい を負担 ふたん する[47] 。しかし国家 こっか がそれに反 はん する行動 こうどう をとれば租税 そぜい の支払 しはら いを停止 ていし するとされ、こうして租税 そぜい は個人 こじん が議会 ぎかい を通 とお して同意 どうい した上 うえ で国家 こっか に支払 しはら うものとされた[47] 。
イギリスの内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい は経済 けいざい 理論 りろん 家 か から以下 いか の点 てん が評価 ひょうか された[48] 。
1)生活 せいかつ 必需 ひつじゅ 品 ひん への軽 けい 課 か と奢侈 しゃし 品 ひん への重 じゅう 課 か (現在 げんざい の軽減 けいげん 税率 ぜいりつ )によって貧困 ひんこん 層 そう への負担 ふたん を軽減 けいげん した
2)消費 しょうひ は支払 しはら い能力 のうりょく なのでその支払 しはら い能力 のうりょく に応 おう じた課税 かぜい であり公平 こうへい である
3)消費 しょうひ への課税 かぜい によって浪費 ろうひ を抑制 よくせい し、倹約 けんやく を奨励 しょうれい するので、勤勉 きんべん な人 ひと が報 むく われるので公平 こうへい である。倹約 けんやく は貯蓄 ちょちく と投資 とうし を促 うなが す[48] 。
ホッブズ は1642年 ねん の「市民 しみん 論 ろん 」で財産 ざいさん への課税 かぜい は浪費 ろうひ 家 か と倹約 けんやく 家 か の区別 くべつ を無視 むし することになり、倹約 けんやく 家 か が重 じゅう 負担 ふたん となるので、消費 しょうひ 税 ぜい の方 ほう が財産 ざいさん 税 ぜい よりも公平 こうへい であると論 ろん じた[48] 。労働 ろうどう 価値 かち 説 せつ を唱 とな えた経済 けいざい 学者 がくしゃ ウィリアム・ペティ や重 じゅう 商 しょう 主義 しゅぎ 経済 けいざい 学者 がくしゃ ジェームズ・ステュアート (英語 えいご 版 ばん ) も内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい を支持 しじ した[48] 。ステュアートは租税 そぜい を富 とみ のバランスを促進 そくしん するための政策 せいさく と見 み ており、国内 こくない の奢侈 しゃし 的 てき 需要 じゅよう による価格 かかく 高騰 こうとう が輸出 ゆしゅつ を困難 こんなん にする場合 ばあい には、内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい や輸出 ゆしゅつ 奨励 しょうれい 金 きん によって是正 ぜせい することができると論 ろん じた[49] 。
他方 たほう 、経済 けいざい 学者 がくしゃ アダム・スミス は『国富 こくふ 論 ろん 』第 だい 5篇 へん で財産 ざいさん 税 ぜい や所得 しょとく 税 ぜい と比 くら べて消費 しょうひ 税 ぜい は収入 しゅうにゅう 比例 ひれい 的 てき な課税 かぜい を実現 じつげん できないために不平等 ふびょうどう であると論 ろん じた[50] 。スミスは国防 こくぼう 、司法 しほう 、公共 こうきょう 事業 じぎょう の三 みっ つを国家 こっか の仕事 しごと とし、これらを遂行 すいこう するための経費 けいひ を賄 まかな うために租税 そぜい は徴収 ちょうしゅう されるとみなした[50] 。スミスは租税 そぜい は、利潤 りじゅん 、地代 じだい 、賃金 ちんぎん の三 みっ つの本源 ほんげん 的 てき 所得 しょとく に課税 かぜい されると論 ろん じ、直接 ちょくせつ 税 ぜい としての所得 しょとく 税 ぜい を提唱 ていしょう した[50] 。
あらゆる
国家 こっか の
臣民 しんみん は、
各人 かくじん の
能力 のうりょく にできるだけ
比例 ひれい して、いいかえれば、かれらがそれぞれ
国家 こっか の
保護 ほご の
下 した に
享受 きょうじゅ する
収入 しゅうにゅう に
比例 ひれい して、
政府 せいふ を
維持 いじ するために
貢 みつげ 納 おさめ すべきでものある。
— アダム・スミス 、『国富 こくふ 論 ろん 』[51]
ここでスミスは支出 ししゅつ に対 たい してではなく、収入 しゅうにゅう (所得 しょとく )に比例 ひれい して負担 ふたん することが公平 こうへい であると考 かんが えている[50] 。しかし、当時 とうじ 正確 せいかく な所得 しょとく 調査 ちょうさ は望 のぞ めなかったためにスミスは所得 しょとく 税 ぜい 導入 どうにゅう を提唱 ていしょう はしなかった[50] 。(なお、平成 へいせい 12年 ねん の税制 ぜいせい 調査 ちょうさ 会 かい 資料 しりょう では「収入 しゅうにゅう 」が「利益 りえき 」と翻訳 ほんやく されている[52] )
オランダ
1624年 ねん にはオランダ において収入 しゅうにゅう 印紙 いんし が初 はじ めて導入 どうにゅう され、17世紀 せいき 中 ちゅう にはヨーロッパの多 おお くの国家 こっか に広 ひろ まった。
アメリカ独立 どくりつ •フランス革命 かくめい
イギリスはフレンチ・インディアン戦争 せんそう (1755年 ねん - 1763年 ねん )の結果 けっか 増大 ぞうだい した英 えい 領 りょう アメリカ植民 しょくみん 地 ち の警備 けいび 経費 けいひ 捻出 ねんしゅつ のため1764年 ねん に砂糖 さとう 法 ほう 、翌年 よくねん に印紙 いんし 法 ほう を、1767年 ねん にはタウンゼンド諸法 しょほう を制定 せいてい し、植民 しょくみん 地 ち からの税収 ぜいしゅう 増 ぞう を図 はか ったが植民 しょくみん 地 ち での反対 はんたい 運動 うんどう により廃止 はいし された[53] [54] 。1773年 ねん に茶 ちゃ 法 ほう が成立 せいりつ するとボストン茶会 ちゃかい 事件 じけん が発生 はっせい した。1774年 ねん の大陸 たいりく 会議 かいぎ 宣言 せんげん と決議 けつぎ 第 だい 4項 こう はイギリスの植民 しょくみん 地 ち 立法 りっぽう を否定 ひてい するもので、イギリスは武力 ぶりょく 弾圧 だんあつ を開始 かいし し、アメリカ独立 どくりつ 戦争 せんそう (1775-1783)へと発展 はってん していった[53] 。アメリカ独立 どくりつ 宣言 せんげん ではイギリスの権利 けんり 章典 しょうてん よりも自然 しぜん 権 けん 思想 しそう が鮮明 せんめい に出 だ され、人民 じんみん の契約 けいやく による国家 こっか は、人民 じんみん の所有 しょゆう ・生命 せいめい ・自由 じゆう ・財産 ざいさん を守 まも ることを目的 もくてき とし、国家 こっか の課税 かぜい 権 けん も国民 こくみん の同意 どうい な意思 いし に租税 そぜい を徴収 ちょうしゅう することは私有 しゆう 財産 ざいさん の法則 ほうそく を侵害 しんがい し、国家 こっか の目的 もくてき に反 はん すると考 かんが えられた[53] 。ここでは国家 こっか の目的 もくてき が財産 ざいさん 権 けん を含 ふく む所有 しょゆう の保障 ほしょう にあった[53] 。独立 どくりつ 戦争 せんそう では、租税 そぜい 法律 ほうりつ 主義 しゅぎ に由来 ゆらい する「代表 だいひょう なくして課税 かぜい なし 」という有名 ゆうめい なスローガンも生 う まれ[55] 、植民 しょくみん 地 ち への課税 かぜい は植民 しょくみん 地 ち 議会 ぎかい によってなされねばならないと考 かんが えられた[53] 。
聖職 せいしょく 者 しゃ と貴族 きぞく を背負 せお う第 だい 三 さん 身分 みぶん
封建 ほうけん 末期 まっき の貴族 きぞく たちは商人 しょうにん たちから借金 しゃっきん を重 かさ ねていたため、遂 つい に徴税 ちょうぜい 権 けん を商人 しょうにん たちに売 うれ 渡 わた す。この商人 しょうにん たちは租税 そぜい の代 だい 徴 ちょう を行 おこな う徴税 ちょうぜい 請負人 うけおいにん として人々 ひとびと から税 ぜい を徴収 ちょうしゅう したが、増益 ぞうえき 分 ぶん は自 みずか らの懐 ふところ に入 はい るため、過剰 かじょう な租税 そぜい の取 と り立 た てが行 おこな われた。このため人々 ひとびと の租税 そぜい に対 たい する不満 ふまん が高 たか まっていく。特 とく に18世紀 せいき のフランス のアンシャン・レジーム の下 した では、3つの身分 みぶん のうち、第 だい 一 いち 身分 みぶん (聖職 せいしょく 者 しゃ )・第 だい 二 に 身分 みぶん (貴族 きぞく )は免税 めんぜい の特権 とっけん を持 も っていたが、第 だい 三 さん 身分 みぶん (平民 へいみん )は納税 のうぜい 義務 ぎむ を課 か せられていた[56] 。しかも第 だい 三 さん 身分 みぶん は国政 こくせい に参加 さんか できなかった[56] 。1786年 ねん 、国王 こくおう と財務 ざいむ 総監 そうかん カロンヌ は財政 ざいせい 窮乏 きゅうぼう を打開 だかい するため補助 ほじょ 地 ち 租税 そぜい を全 ぜん 国民 こくみん に課税 かぜい したが、これに名士 めいし 会 かい と高等法院 こうとうほういん が旧来 きゅうらい の免税 めんぜい 特権 とっけん をもって反対 はんたい し、1789年 ねん 5月5日 にち に三 さん 部会 ぶかい が開 ひら かれることとなった[56] 。第 だい 三 さん 身分 みぶん は三 さん 部会 ぶかい での議員 ぎいん 数 すう 倍 ばい 化 か を要求 ようきゅう したが形 かたち だけであったことに反発 はんぱつ し、国民 こくみん 議会 ぎかい を会合 かいごう し、ここで議会 ぎかい の承認 しょうにん なしの課税 かぜい の即時 そくじ 中止 ちゅうし を求 もと める決議 けつぎ を行 おこな った[56] 。8月に憲法 けんぽう 制定 せいてい 国民 こくみん 議会 ぎかい が人間 にんげん と市民 しみん の権利 けんり の宣言 せんげん を採択 さいたく した。第 だい 13条 じょう で「公 おおやけ の武力 ぶりょく の維持 いじ および行政 ぎょうせい の支出 ししゅつ のために、共同 きょうどう の租税 そぜい が不可欠 ふかけつ である。共同 きょうどう の租税 そぜい は、すべての市民 しみん の間 あいだ で、その能力 のうりょく に応 おう じて、平等 びょうどう に分担 ぶんたん されなければならない」、第 だい 14条 じょう で「すべての市民 しみん は、みずから、またはその代表 だいひょう 者 しゃ によって、公 おおやけ の租税 そぜい の必要 ひつよう 性 せい を確認 かくにん し、それを自由 じゆう に承認 しょうにん し、その使途 しと を追跡 ついせき し、かつその数 かず 額 がく 、基礎 きそ 、取立 とりたて て、および期間 きかん を決定 けってい する権利 けんり をもつ」と規定 きてい された[57] 。英 えい 米 べい では課税 かぜい 権 けん と財産 ざいさん 権 けん は明確 めいかく に区別 くべつ されたが、フランス人権 じんけん 宣言 せんげん では「財政 ざいせい なければ国家 こっか なし」の原則 げんそく 、つまり課税 かぜい 権 けん の行使 こうし は必要 ひつよう 不可欠 ふかけつ であることが先 さき の13条 じょう で規定 きてい され、次 つ いで14条 じょう でアメリカ独立 どくりつ 戦争 せんそう のスローガン同様 どうよう に「代表 だいひょう なければ課税 かぜい なし 」の原則 げんそく が規定 きてい された[56] 。こうしてヨーロッパの近世 きんせい 市民 しみん 社会 しゃかい 形成 けいせい 期 き において課税 かぜい 権 けん は国王 こくおう から国民 こくみん の総意 そうい の代表 だいひょう である議会 ぎかい に移 うつ し、そして国民 こくみん の財産 ざいさん 権 けん の保証 ほしょう が図 はか られた[56] 。
こうして確立 かくりつ していった租税 そぜい 法律 ほうりつ 主義 しゅぎ では、自由 じゆう 権 けん をもとにした私有 しゆう 財産 ざいさん 権 けん を国家 こっか 権力 けんりょく から守 まも ることが最 もっと も重要 じゅうよう な機能 きのう となった[58] 。私有 しゆう 財産 ざいさん 権 けん が保護 ほご されることで、納税 のうぜい が国民 こくみん 自身 じしん の利益 りえき になるのであり、こうして国民 こくみん が国家 こっか から受 う ける利益 りえき と負担 ふたん する租税 そぜい との対価 たいか 関係 かんけい が前提 ぜんてい とされるようになった[58] 。これは租税 そぜい 交換 こうかん 説 せつ また租税 そぜい 利益 りえき 説 せつ と呼 よ ばれる[58] 。租税 そぜい は国家 こっか の保護 ほご に対 たい して支払 しはら われるべき価格 かかく とみなす租税 そぜい 利益 りえき 説 せつ はグロチウス ,ホッブズ ,ジョン・ロック ,ヒューム ,ルソー らによって提唱 ていしょう されたものだった[59] 。
租税 そぜい 国家 こっか の確立 かくりつ
1733年 ねん 、ウォルポール内 ない 閣 かく は内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい 改革 かいかく に試 こころ みたが反対 はんたい された[48] 。しかし、オーストリア継承 けいしょう 戦争 せんそう や七 なな 年 ねん 戦争 せんそう (1754年 ねん -1763年 ねん )に続 つづ いて、フランス干渉 かんしょう 戦争 せんそう では戦費 せんぴ のための政府 せいふ 債務 さいむ が4000万 まん ポンドにまで膨張 ぼうちょう した[48] 。1796年 ねん 、ウィリアム・ピット 首相 しゅしょう は直接 ちょくせつ 査定 さてい 税 ぜい を引 ひ き上 あ げ、内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい の課税 かぜい 対象 たいしょう を拡大 かくだい 、1798年 ねん には富裕 ふゆう 層 そう への直接 ちょくせつ 税 ぜい トリプルアセスメント(Triple Assessment)を導入 どうにゅう した[48] 。しかし、これは馬車 ばしゃ 、家屋 かおく 、窓 まど 、柱時計 はしらどけい などの「外形 がいけい 標準 ひょうじゅん 」から推定 すいてい される所得 しょとく に課税 かぜい するもので、現実 げんじつ の所得 しょとく に対 たい するものでなく、また十分 じゅうぶん な収入 しゅうにゅう にならなかったため半年 はんとし しか実施 じっし されなかった[48] 。1799年 ねん に世界 せかい で初 はじ めて所得 しょとく 税 ぜい が導入 どうにゅう された[48] [60] 。土地 とち 家屋 かおく や海外 かいがい 財産 ざいさん の所得 しょとく 、商 しょう 工業 こうぎょう や給与 きゅうよ による所得 しょとく などを源泉 げんせん としたため、現実 げんじつ の所得 しょとく を総合 そうごう 的 てき に正確 せいかく に把握 はあく できるようになった[48] 。1803年 ねん には申告 しんこく 納税 のうぜい ではなく、源 みなもと 源泉 げんせん 徴収 ちょうしゅう 方式 ほうしき に切 き り替 か えられ、5つの所得 しょとく 源 げん ごとに課税 かぜい されるシェデュール制 せい (shedule)となった[48] 。1815年 ねん のナポレオン戦争 せんそう 終結 しゅうけつ 直前 ちょくぜん には総 そう 戦費 せんぴ の20%に当 あ たる1480万 まん ポンドの税収 ぜいしゅう となった[61] 。これ以降 いこう 、産業 さんぎょう 革命 かくめい による資本 しほん 主義 しゅぎ の発達 はったつ を背景 はいけい に所得 しょとく 税 ぜい を中心 ちゅうしん とした所得 しょとく 課税 かぜい が世界 せかい に普及 ふきゅう していく。ただし初期 しょき の所得 しょとく 課税 かぜい は高額 こうがく 所得 しょとく 者 しゃ に対 たい するもので、税収 ぜいしゅう 総額 そうがく としてはわずかなものであった[62] 。
19世紀 せいき には資本 しほん 主義 しゅぎ の矛盾 むじゅん が露呈 ろてい し、恐慌 きょうこう と不景気 ふけいき による失業 しつぎょう には経済 けいざい の自動 じどう 調節 ちょうせつ では解消 かいしょう できないようになり、国家 こっか 介入 かいにゅう が要請 ようせい されるようになった[58] 。ここにおいて近代 きんだい 国家 こっか の機能 きのう は夜警 やけい 国家 こっか から福祉 ふくし 国家 こっか へと変化 へんか していき、生存 せいぞん 権 けん という新 あたら しい人権 じんけん も生 う まれた[58] 。
19世紀 せいき 末 まつ にはジョン・ラムゼー・マッカロックやアドルフ・ティエール らによって租税 そぜい を保険 ほけん 料 りょう として解釈 かいしゃく する
租税 そぜい 保険 ほけん 説 せつ が現 あらわ れた[59] 。
ドイツ
1805年 ねん 、ナポレオンに敗 やぶ れて神 かみ 聖 きよし ロ ろ ーマ帝国 まていこく が瓦解 がかい した後 のち のプロイセン王国 おうこく ではハルデンベルク 宰相 さいしょう がハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタイン と改革 かいかく をすすめ、戦費 せんぴ 償還 しょうかん のために1808年 ねん に所得 しょとく 税 ぜい 法案 ほうあん を成立 せいりつ させた[63] 。1812年 ねん にはフランス軍 ぐん 駐留 ちゅうりゅう 経費 けいひ を賄 まかな うために申告 しんこく 納税 のうぜい 義務 ぎむ と累進税 るいしんぜい 率 りつ を伴 ともな う所得 しょとく 税 ぜい を導入 どうにゅう したが、1814年 ねん にナポレオンが敗 やぶ れると廃止 はいし された[63] 。プロイセンは1820年 ねん に階級 かいきゅう 税 ぜい を導入 どうにゅう したがこれはイギリスの馬車 ばしゃ や窓 まど を対象 たいしょう とした外形 がいけい 標準 ひょうじゅん 所得 しょとく 課税 かぜい のようなもので、近代 きんだい 的 てき 所得 しょとく 税 ぜい と言 い えるものではなかった[63] 。1851年 ねん の階級 かいきゅう 税 ぜい 及 およ び階層 かいそう 別 べつ 所得 しょとく 税 ぜい では土地 とち 所有 しょゆう 、資本 しほん 財産 ざいさん 、営業 えいぎょう 活動 かつどう から発生 はっせい する所得 しょとく に課税 かぜい された[64] 。
1891年 ねん に成立 せいりつ したヨハンネス・フォン・ミーケル 蔵相 ぞうしょう による所得 しょとく 税法 ぜいほう 案 あん では、租税 そぜい 負担 ふたん の上限 じょうげん を撤廃 てっぱい したため、逆進 ぎゃくしん 的 てき 税 ぜい 負担 ふたん は是正 ぜせい された[63] 。また効率 こうりつ 的 てき な納税 のうぜい 申告 しんこく の検査 けんさ 体制 たいせい も確立 かくりつ し、ドイツにおける所得 しょとく 税 ぜい は基幹 きかん 税 ぜい の地位 ちい を占 し めていくようになった[63] 。
国家 こっか 財政 ざいせい 学者 がくしゃ のローレンツ・フォン・シュタイン は『財政 ざいせい 学 がく 教科書 きょうかしょ 』(1885)で課税 かぜい 原則 げんそく として、
1)資本 しほん を減 げん じてはならない
2)あらゆる課税 かぜい は所得 しょとく に対 たい して行 おこな われる
3)課税 かぜい は資本 しほん 蓄積 ちくせき が不可能 ふかのう になる程 ほど 大 おお きくなってはならない
と定立 ていりつ した[65] 。
シュタインは、プロレタリアート が独裁 どくさい する共産 きょうさん 主義 しゅぎ 思想 しそう を、国家 こっか が単一 たんいつ の階級 かいきゅう の手中 しゅちゅう に落 お ちることで新 あら たな不自由 ふじゆう が生 う まれ、かつ有産 ゆうさん 階級 かいきゅう が反撃 はんげき すれば独裁 どくさい 体制 たいせい を暴力 ぼうりょく で守 まも るだろうと否定 ひてい した上 うえ で、有産 ゆうさん 階級 かいきゅう は資本 しほん 主義 しゅぎ の持 も つ問題 もんだい を社会 しゃかい 改良 かいりょう によって解決 かいけつ すれば社会 しゃかい 革命 かくめい の必要 ひつよう 性 せい は薄 うす れると論 ろん じた[65] 。またシュタインは、課税 かぜい の目的 もくてき は再 さい 生産 せいさん にあり、少 すく なくとも同 どう 規模 きぼ の税収 ぜいしゅう を再 さい 創出 そうしゅつ することにあるとし、国家 こっか が税収 ぜいしゅう と課税 かぜい 潜在 せんざい 力 りょく を促 うなが すように財政 ざいせい 支出 ししゅつ すべきだと主張 しゅちょう した[65] 。このようなシュタインの租税 そぜい 論 ろん はイギリス古典 こてん 派 は 経済 けいざい 学 がく の租税 そぜい 論 ろん にはなかった発想 はっそう と評価 ひょうか されている[65] 。
アドルフ・ワーグナー は「財政 ざいせい 学 がく 」(1890)で課税 かぜい の目的 もくてき を、自由 じゆう 競争 きょうそう によって生 しょう じた分配 ぶんぱい を修正 しゅうせい することで国民 こくみん 所得 しょとく と国富 こくふ を規制 きせい する事 こと にあると見 み て、租税 そぜい は財政 ざいせい だけでなく社会 しゃかい 政策 せいさく でもあるべきだと主張 しゅちょう した[63] 。ワーグナーは所得 しょとく 税 ぜい を、物税 ぶつぜい (資産 しさん 税 ぜい )から人税 じんぜい (納税 のうぜい 者 しゃ に着目 ちゃくもく してかけられる)への切 き り替 か えを提唱 ていしょう した[63] 。
租税 そぜい 義務 ぎむ 説 せつ ・租税 そぜい 犠牲 ぎせい 説 せつ
ドイツでは国家 こっか はその任務 にんむ 達成 たっせい のために当然 とうぜん に課税 かぜい 権 けん を持 も ち、租税 そぜい はその任務 にんむ 達成 たっせい のために国民 こくみん が負担 ふたん する犠牲 ぎせい ないし義務 ぎむ と考 かんが える租税 そぜい 犠牲 ぎせい 説 せつ が登場 とうじょう した[58] 。イギリスでもジョン・スチュアート・ミル が租税 そぜい 利益 りえき 説 せつ に反対 はんたい し「課税 かぜい における平等 びょうどう とは犠牲 ぎせい の均等 きんとう を意味 いみ する」と主張 しゅちょう した[66] 。ミルの租税 そぜい 義務 ぎむ 説 せつ はアドルフ・ワーグナー が大成 たいせい した[67] 。
明治維新 めいじいしん 後 ご の日本 にっぽん では伊藤 いとう 博文 ひろぶみ が憲法 けんぽう 起草 きそう のためにドイツで直接 ちょくせつ シュタインの講義 こうぎ を受 う け、帝国 ていこく 大学 だいがく での財政 ざいせい 学 がく はほとんどがドイツ財政 ざいせい 学 がく であった[63] 。ドイツの影響 えいきょう を受 う けた大日本帝国 だいにっぽんていこく 憲法 けんぽう でも納税 のうぜい の義務 ぎむ (第 だい 21条 じょう )が兵役 へいえき の義務 ぎむ (第 だい 20条 じょう )と並 なら ぶ古典 こてん 的 てき 義務 ぎむ とされ、「国 くに を維持 いじ する費用 ひよう の分担 ぶんたん として国民 こくみん は当然 とうぜん 有 ゆう する」と解 ほぐ された[68] 。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご に成立 せいりつ した日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう では兵役 へいえき の義務 ぎむ 条項 じょうこう は削除 さくじょ されたが、納税 のうぜい の義務 ぎむ は踏襲 とうしゅう され(第 だい 30条 じょう )、さらに国民 こくみん の三 さん 大 だい 義務 ぎむ の一 ひと つとされている[68] 。
近代 きんだい
イタリアの経済 けいざい 学者 がくしゃ マフェオ・パンタレオーニ 、スウェーデンの経済 けいざい 学者 がくしゃ クヌート・ヴィクセル が、古典 こてん 派 は 経済 けいざい 学 がく の租税 そぜい 利益 りえき 説 せつ に対 たい して,納税 のうぜい 者 しゃ が公共 こうきょう サービスから受 う ける便益 べんえき の価格 かかく として租税 そぜい 負担 ふたん 額 がく を決定 けってい することが効率 こうりつ 的 てき 資源 しげん 配分 はいぶん の条件 じょうけん であると論 ろん じた[59] 。北欧 ほくおう 学派 がくは のエリック・R.リンダールはウィクセルの理論 りろん を発展 はってん させた[59] 。
近代 きんだい 化 か が進展 しんてん するに従 したが い、国家 こっか の財政 ざいせい 収入 しゅうにゅう の大 だい 部分 ぶぶん を租税 そぜい が占 し めるようになる。ヨーゼフ・シュンペーター は1918年 ねん に発表 はっぴょう した論文 ろんぶん 『租税 そぜい 国家 こっか の危機 きき 』において、このような近代 きんだい 国家 こっか を「租税 そぜい 国家 こっか 」と規定 きてい した[69] 。君主 くんしゅ の私的 してき 収入 しゅうにゅう と国庫 こっこ 収入 しゅうにゅう が切 き り離 はな され、租税 そぜい 収入 しゅうにゅう が歳入 さいにゅう の中心 ちゅうしん を占 し める公共 こうきょう 財政 ざいせい が確立 かくりつ して言 い った。またこの時代 じだい になると近代 きんだい 化 か とともに賦役 ふえき はほとんどの地域 ちいき において廃止 はいし され、労働 ろうどう に対 たい し国家 こっか が賃金 ちんぎん を払 はら って公共 こうきょう 工事 こうじ などを行 おこな うようになっていった。
20世紀 せいき には、社会 しゃかい 主義 しゅぎ の台頭 たいとう や社会 しゃかい 権 けん の定着 ていちゃく によって、所得 しょとく 税 ぜい ・相続 そうぞく 税 ぜい の累進税 るいしんぜい 率 りつ が強化 きょうか された。しかし、1980年代 ねんだい に入 はい ると企業 きぎょう 意欲 いよく ・労働 ろうどう 意欲 いよく を高 たか めるために税率 ぜいりつ のフラット化 か が行 おこな われた。また20世紀 せいき も中盤 ちゅうばん にいたるまで消費 しょうひ 課税 かぜい はある特定 とくてい の商品 しょうひん のみにかけられるものであったが、1954年 ねん に一般 いっぱん 的 てき な消費 しょうひ すべてにかけられる付加 ふか 価値 かち 税 ぜい がフランスにおいて導入 どうにゅう され、以降 いこう 世界 せかい 各国 かっこく において導入 どうにゅう されるようになっていった[70] 。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく
南北戦争 なんぼくせんそう 以前 いぜん のアメリカでは所得 しょとく 税 ぜい も法人 ほうじん 税 ぜい もなく、内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい はあったが微々 びび たる収入 しゅうにゅう で、関税 かんぜい が主 おも な収入 しゅうにゅう 源 げん だった[71] 。南北戦争 なんぼくせんそう 開戦 かいせん 時 じ には国庫 こっこ は底 そこ をついていたために、議会 ぎかい は戦費 せんぴ 調達 ちょうたつ のために新 あら たな国債 こくさい 発行 はっこう と内国 ないこく 消費 しょうひ 税 ぜい 増税 ぞうぜい を提案 ていあん したが反対 はんたい を受 う けた[71] 。そこでイギリスで実施 じっし されている直接 ちょくせつ 税 ぜい の所得 しょとく 税 ぜい と相続 そうぞく 税 ぜい の導入 どうにゅう が検討 けんとう され、1862年 ねん に成立 せいりつ した[71] 。
しかし、所得 しょとく 税 ぜい は戦費 せんぴ 調達 ちょうたつ のための臨時 りんじ 課税 かぜい であったため、一 いち 年間 ねんかん の有効 ゆうこう 期限 きげん つきであった[71] 。戦後 せんご の1867年 ねん 、所得 しょとく 税 ぜい の撤廃 てっぱい が要求 ようきゅう されると、戦 せん 債 さい 償還 しょうかん が残 のこ っているため課税 かぜい 最低限 さいていげん を600ドルから1000ドルに引 ひ き上 あ げ、1870年 ねん には所得 しょとく 税法 ぜいほう を失効 しっこう させるとした[71] 。その後 ご 、1871年 ねん に相続 そうぞく 税 ぜい が廃止 はいし され、1872年 ねん に所得 しょとく 税 ぜい も廃止 はいし された[71] 。イギリスでも1816年 ねん に所得 しょとく 税 ぜい は戦費 せんぴ のための臨時 りんじ 課税 かぜい であるとして廃止 はいし された[71] 。
アメリカで所得 しょとく 税 ぜい が廃止 はいし されると、南部 なんぶ ・西部 せいぶ 選出 せんしゅつ 議員 ぎいん らが所得 しょとく 税 ぜい 再 さい 導入 どうにゅう を提唱 ていしょう した[71] 。これは農産物 のうさんぶつ 価格 かかく 下落 げらく と資材 しざい 価格 かかく 上昇 じょうしょう に困窮 こんきゅう する南部 なんぶ ・西部 せいぶ の農民 のうみん を救済 きゅうさい するために組織 そしき されたグレンジャー運動 うんどう やグリーンバック運動 うんどう や労働 ろうどう 騎士 きし 団 だん を背景 はいけい にしており、彼 かれ らは1892年 ねん に人民 じんみん 党 とう を結成 けっせい した[71] 。人民 じんみん 党 とう は、産業 さんぎょう 資本 しほん 家 か や富裕 ふゆう 層 そう に対 たい して所得 しょとく に応 おう じた負担 ふたん を課 か すべきだとして所得 しょとく 税 ぜい 再 さい 導入 どうにゅう を提唱 ていしょう した[71] 。
ヘンリー・ジョージ は『進歩 しんぽ と貧困 ひんこん 』(1879年 ねん )で土地 とち 私有 しゆう 制 せい に反対 はんたい し、土地 とち から発生 はっせい するあらゆる利益 りえき に課税 かぜい し、その他 た の税 ぜい を撤廃 てっぱい する土地 とち 単一 たんいつ 税 ぜい を提唱 ていしょう した[71] 。しかし、当時 とうじ の経済 けいざい 権力 けんりょく は石油 せきゆ のジョン・ロックフェラー 、銀行 ぎんこう 家 か ジョン・モルガン 、鉄鋼 てっこう 界 かい のアンドリュー・カーネギー などの産業 さんぎょう 金融 きんゆう 資本 しほん 家 か の手 て にあり、そうした新 あたら しい経済 けいざい 秩序 ちつじょ の問題 もんだい を突 つ き止 と めることにはならなかった[71] 。
当時 とうじ 北部 ほくぶ の産業 さんぎょう 界 かい を支持 しじ 基盤 きばん としていた共和党 きょうわとう のウィリアム・マッキンリー 議員 ぎいん は1890年 ねん 、平均 へいきん 関税 かんぜい 率 りつ 48%という史上 しじょう 最高 さいこう の高 こう 関税 かんぜい を導入 どうにゅう した[71] 。この保護 ほご 政策 せいさく は独占 どくせん 企業 きぎょう を形成 けいせい していく誘因 ゆういん となった[71] 。
一方 いっぽう 、民主党 みんしゅとう は南部 なんぶ ・西部 せいぶ の農民 のうみん や労働 ろうどう 者 しゃ を支持 しじ 基盤 きばん としており、高 こう 関税 かんぜい は独占 どくせん ・寡占 かせん 化 か を促 うなが すとして反対 はんたい し、所得 しょとく 税 ぜい 再 さい 導入 どうにゅう を提唱 ていしょう した[71] 。民主党 みんしゅとう のクリーブランド 大統領 だいとうりょう は1893年 ねん の大統領 だいとうりょう 教書 きょうしょ で関税 かんぜい 引 ひ き下 さ げと小規模 しょうきぼ な所得 しょとく 課税 かぜい に言及 げんきゅう し、民主党 みんしゅとう マクミラン下院 かいん 議員 ぎいん も関税 かんぜい は富 とみ の不公平 ふこうへい な集中 しゅうちゅう を促 うなが すとして所得 しょとく 税 ぜい 再 さい 導入 どうにゅう を提唱 ていしょう し、1894年 ねん に関税 かんぜい 所得 しょとく 税法 ぜいほう 案 あん は可決 かけつ した[71] 。しかしこの法案 ほうあん に対 たい して、元 もと 共和党 きょうわとう 議員 ぎいん の憲法 けんぽう 学者 がくしゃ ジョージ・エドマンズらが違憲 いけん 訴訟 そしょう を起 お こした[72] 。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 憲法 けんぽう では以下 いか のように規定 きてい されていた。
連邦 れんぽう 議会 ぎかい は
次 つぎ の
権限 けんげん を
有 ゆう する。
合衆国 がっしゅうこく の
国債 こくさい を
支払 しはら い、
共同 きょうどう の
防衛 ぼうえい および
一般 いっぱん の
福祉 ふくし に
備 そな えるために、
租税 そぜい 、
関税 かんぜい 、
付加 ふか 金 きん 、
消費 しょうひ 税 ぜい を
賦課 ふか 徴収 ちょうしゅう すること。ただし、すべての
関税 かんぜい 、
付加 ふか 金 きん 、
消費 しょうひ 税 ぜい は、
合衆国 がっしゅうこく 全土 ぜんど で
同一 どういつ でなければならない
— 合衆国 がっしゅうこく 憲法 けんぽう 第 だい 1条 じょう 第 だい 8節 せつ 第 だい 1項 こう
下院 かいん 議員 ぎいん および
直接 ちょくせつ 税 ぜい は、この
連邦 れんぽう に
加入 かにゅう する
各州 かくしゅう の
人口 じんこう に
比例 ひれい して、
各州 かくしゅう の
間 あいだ で
配分 はいぶん される
— 合衆国 がっしゅうこく 憲法 けんぽう 第 だい 1条 じょう 第 だい 2節 せつ 第 だい 3項 こう 。
1895年 ねん 4月 がつ 、合衆国 がっしゅうこく 最高裁判所 さいこうさいばんしょ は所得 しょとく 税法 ぜいほう 案 あん に対 たい して、憲法 けんぽう 第 だい 1条 じょう 第 だい 2節 せつ に則 のっと り、「各州 かくしゅう の人口 じんこう に比例 ひれい して、各州 かくしゅう の間 あいだ で配分 はいぶん される」形 かたち になっていないとして違憲 いけん と認定 にんてい した[72] 。これに反発 はんぱつ した所得 しょとく 税 ぜい 支持 しじ 者 しゃ は憲法 けんぽう 改正 かいせい 運動 うんどう を行 おこな った[72] 。
20世紀 せいき に入 はい ると1901年 ねん 恐慌 きょうこう や1907年 ねん 恐慌 きょうこう が発生 はっせい し、産業 さんぎょう 界 かい は独占 どくせん ・寡占 かせん を強化 きょうか していき、共和党 きょうわとう も独占 どくせん ・寡占 かせん の弊害 へいがい を認 みと めるようになった[72] 。共和党 きょうわとう のセオドア・ルーズベルト 大統領 だいとうりょう は、ジェームズ・ジェローム・ヒル とジョン・モルガン らが形成 けいせい した鉄道 てつどう トラスト 、ノーザン・セキュリティーズ 、スタンダード・オイル・トラスト 、USスチール などのトラストを反 はん トラスト法 ほう を持 も って告発 こくはつ していった[72] [73] 。
革新 かくしん 主義 しゅぎ 時代 じだい と呼 よ ばれる当時 とうじ のアメリカにおいて続 つづ くタフト 大統領 だいとうりょう も前 ぜん 大統領 だいとうりょう に倣 なら い、トラストを促進 そくしん する関税 かんぜい を引 ひ き下 さ げようとする[72] 。しかし、共和党 きょうわとう 保守 ほしゅ 派 は の重鎮 じゅうちん で北 きた 東部 とうぶ 産 さん 業界 ぎょうかい の代弁 だいべん 者 しゃ だったネルソン・オルドリッチ は高 こう 関税 かんぜい を擁護 ようご し、1909年 ねん にはペイン=オルドリッチ関税 かんぜい 法 ほう を成立 せいりつ させ、一部 いちぶ の品目 ひんもく の関税 かんぜい を引 ひ き下 さ げつつ、鉄鉱 てっこう 石 せき や石炭 せきたん の税率 ぜいりつ を引 ひ き上 あ げた[72] 。これを受 う けて共和党 きょうわとう 革新 かくしん 派 は は関税 かんぜい 引 ひ き下 さ げよりも所得 しょとく 税 ぜい 導入 どうにゅう に向 む けて動 うご き、5000$以上 いじょう の所得 しょとく には2%、十 じゅう 万 まん $以上 いじょう の所得 しょとく には6%の累進税 るいしんぜい 率 りつ を持 も つ所得 しょとく 税 ぜい 法案 ほうあん を目指 めざ した[72] 。これに強 つよ い危機 きき 感 かん を抱 だ いたオルドリッチは法人 ほうじん 税 ぜい を先 さき に審議 しんぎ させて個人 こじん 所得 しょとく 税 ぜい 審議 しんぎ を宙吊 ちゅうづ りにしようとし、さらにタフトに憲法 けんぽう 改正 かいせい に協力 きょうりょく することを約束 やくそく した[72] 。1909年 ねん 7月 がつ に法人 ほうじん 税法 ぜいほう 案 あん は可決 かけつ された。しかし、共和党 きょうわとう 革新 かくしん 派 は と民主党 みんしゅとう からは法人 ほうじん 税 ぜい は所得 しょとく 税 ぜい 代替 だいたい とはならないと主張 しゅちょう され、他方 たほう の保守 ほしゅ 派 は にも法人 ほうじん 税 ぜい 導入 どうにゅう は富裕 ふゆう 層 そう への課税 かぜい 強化 きょうか に他 た ならないと見 み て不満 ふまん に思 おも うものもいた[72] 。法人 ほうじん 税法 ぜいほう 案 あん に対 たい して保険 ほけん 会社 かいしゃ や不動産 ふどうさん 業者 ぎょうしゃ による違憲 いけん 訴訟 そしょう も起 お こったが、最高裁 さいこうさい は「法人 ほうじん 税 ぜい は直接 ちょくせつ 税 ぜい ではなく、法人 ほうじん 形態 けいたい で事業 じぎょう を営 いとな む特権 とっけん の付与 ふよ に対 たい する免許 めんきょ 税 ぜい である」と判断 はんだん し、原告 げんこく の請求 せいきゅう を退 しりぞ けた[72] 。法人 ほうじん 税 ぜい は財源 ざいげん 調達 ちょうたつ 手段 しゅだん として成功 せいこう し、1910年 ねん に2100万 まん ドルだった税収 ぜいしゅう は1912年 ねん に3500万 まん ドルにも増加 ぞうか した[72] 。
1909年 ねん 6月 がつ 28日 にち にはオルドリッチは憲法 けんぽう 改正 かいせい として修正 しゅうせい 第 だい 16条 じょう を提案 ていあん し、この修正 しゅうせい 憲法 けんぽう は1913年 ねん までに42州 しゅう が批准 ひじゅん した[72] 。
しかし、所得 しょとく 税 ぜい 法案 ほうあん そのものは宙吊 ちゅうづ りにされていたため、共和党 きょうわとう 革新 かくしん 派 は は、タフトに反発 はんぱつ して1912年 ねん の大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ で新 あら たに革新党 かくしんとう を設立 せつりつ し、セオドア・ルーズベルト を大統領 だいとうりょう 候補 こうほ として擁立 ようりつ した[72] 。しかし、選挙 せんきょ では民主党 みんしゅとう のウッドロウ・ウィルソン が勝利 しょうり した[74] 。ウィルソン大統領 だいとうりょう は関税 かんぜい 引 ひ き下 さ げと所得 しょとく 税 ぜい 導入 どうにゅう をセットにして改革 かいかく に断行 だんこう し、40%だった平均 へいきん 関税 かんぜい 率 りつ を30%以下 いか に引 ひ き下 さ げ、1913年 ねん 10月 がつ には国民 こくみん の3000ドル以上 いじょう の所得 しょとく の1%を課 か し、高額 こうがく 所得 しょとく 者 しゃ には1〜6%までの累進 るいしん 的 てき 構造 こうぞう を持 も つ付加 ふか 税率 ぜいりつ (最高 さいこう 税率 ぜいりつ 7%)を課 か す所得 しょとく 税法 ぜいほう 案 あん が可決 かけつ した[72] 。
租税 そぜい に対 たい する諸 しょ 見解 けんかい
支持 しじ もしくは肯定 こうてい
大 だい 部分 ぶぶん の政治 せいじ 哲学 てつがく によると、彼 かれ らが必要 ひつよう でありそして社会 しゃかい に益 えき するであるところの活動 かつどう を集 あつ めるものとして税 ぜい は正当 せいとう 化 か される。加 くわ えて、累進 るいしん 課税 かぜい は社会 しゃかい での経済 けいざい 的 てき 不平等 ふびょうどう を減少 げんしょう させるのに用 もち いることができる。この見解 けんかい によれば、現代 げんだい の国民 こくみん 国家 こっか において課税 かぜい は人口 じんこう の多数 たすう と社会 しゃかい 変動 へんどう に益 えき する[75] オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア による違 ちが った文章 ぶんしょう の意訳 いやく の、この見解 けんかい のひとつの通俗 つうぞく の表現 ひょうげん は、「租税 そぜい は文明 ぶんめい の価格 かかく である」である。[76] 。
反対 はんたい もしくは否定 ひてい
クラウドファンディング のような自発 じはつ 的 てき であるよりもむしろ、税 ぜい の支払 しはら いは義務 ぎむ 的 てき で法体 ほうたい 系 けい による執行 しっこう であるので、幾 いく らかの政治 せいじ 哲学 てつがく は権力 けんりょく と弾圧 だんあつ を意味 いみ するのを通 とお して租税 そぜい を課税 かぜい する政府 せいふ を非難 ひなん する、窃盗 せっとう としての徴税 ちょうぜい 、強要 きょうよう 、(もしくは奴隷 どれい 制度 せいど 、もしくは財産 ざいさん 権 けん の侵害 しんがい として)、もしくは暴政 ぼうせい として見 み る[77] 。
実業 じつぎょう 家 か 松下 まつした 幸之助 こうのすけ は、国家 こっか 予算 よさん の単 たん 年度 ねんど 制 せい を廃止 はいし して、節約 せつやく したり効率 こうりつ をよくして余剰 よじょう 金 きん を生 う み出 だ し、それを運用 うんよう することで収益 しゅうえき を分配 ぶんぱい する無税 むぜい 国家 こっか を提唱 ていしょう した[78] 。
なお、ブルネイ では個人 こじん への所得 しょとく 税 ぜい などは存在 そんざい せず、国内 こくない および海外 かいがい で設立 せつりつ された企業 きぎょう が納税 のうぜい 対象 たいしょう となる[79] ことから無税 むぜい 国家 こっか とも呼 よ ばれるが、租税 そぜい 体制 たいせい がないわけではない[80] 。
社会 しゃかい 主義 しゅぎ 者 しゃ の見解 けんかい
カール・マルクス は共産 きょうさん 主義 しゅぎ の到来 とうらい の後 のち に課税 かぜい は不 ふ 必要 ひつよう になることを推量 すいりょう し、そして「国家 こっか 死滅 しめつ 」を期待 きたい する。中国 ちゅうごく におけること[注 ちゅう 5] のような社会 しゃかい 主義 しゅぎ 経済 けいざい では、大 だい 部分 ぶぶん の政府 せいふ の歳入 さいにゅう は企業 きぎょう の所有 しょゆう 権 けん からの運用 うんよう だったので、課税 かぜい は重要 じゅうよう でない役割 やくわり を果 は たした。そして或 ある る人 にん 々によってそれは金銭 きんせん による課税 かぜい は必要 ひつよう でなかったことを議論 ぎろん された[81] 。
租税 そぜい 選択 せんたく
租税 そぜい 選択 せんたく は納税 のうぜい 者 しゃ が、彼 かれ らの各々 おのおの の租税 そぜい を割 わ り当 あ てる方法 ほうほう をもって、よりコントロールするであろうことの理論 りろん である。もし納税 のうぜい 者 しゃ らが彼 かれ らの租税 そぜい を受 う け取 と る政府 せいふ の仕組 しく みを選択 せんたく できるならば、機会 きかい 費用 ひよう の決定 けってい は彼 かれ らの部分 ぶぶん 的 てき な知識 ちしき (英語 えいご 版 ばん ) を寄 よ せ集 あつ める[82] 。例 たと えば、彼 かれ の租税 そぜい を公立 こうりつ 学校 がっこう においてより割 わ り当 あ てる納税 のうぜい 者 しゃ は公費 こうひ 負担 ふたん 医療 いりょう においてより少 すく なく割 わ り当 あ てるかもしれない。
ジオイストの見解 けんかい
ジオイスト (英 えい :Geoist、ジョージスト並 なら びにジオリバタリアン (英語 えいご 版 ばん ) )は、道義 どうぎ 性 せい と同 おな じく経済 けいざい 的 てき 効果 こうか の両方 りょうほう の理由 りゆう で、課税 かぜい は基本 きほん 的 てき に地代 じだい [注 ちゅう 7] 、特 とく にその地価 ちか 税 ぜい を徴集 ちょうしゅう すべきであることを宣言 せんげん する。(経済 けいざい 学者 がくしゃ たちが同意 どうい する[83] [84] [85] )課税 かぜい に対 たい して地代 じだい を用 もち いることの有効 ゆうこう 性 せい は、このような課税 かぜい は渡 わた るつまり脱税 だつぜい することができずかつ死 し 重 じゅう 損失 そんしつ を生 しょう じないこと、並 なら びにこのことが土地 とち (英語 えいご 版 ばん ) において投機 とうき するような動機 どうき を除 のぞ くこと、の事実 じじつ に従 したが う[84] それの道義 どうぎ 性 せい は、私的 してき 所有 しょゆう 権 けん は労働 ろうどう の成果 せいか (英 えい :products of labour)に対 たい して正当 せいとう 化 か されるが土地 とち と天然 てんねん 資源 しげん についてはそうでない、ところのジオイストの前提 ぜんてい に基 もと づく。[86] 。
理論 りろん
ラッファー曲線 きょくせん
ラッファー曲線 きょくせん の一 ひと つの可能 かのう な結果 けっか は、一定 いってい の値 ね を超 こ えた税率 ぜいりつ の増大 ぞうだい は税収 ぜいしゅう のさらなる増収 ぞうしゅう にたいして反 はん 生産 せいさん 的 てき になるであろう、ことである。任意 にんい の与 あた えられた経済 けいざい にたいする仮説 かせつ 的 てき なラッファー曲線 きょくせん はただ見積 みつ もることだけができる。そしてこのような見積 みつ もりはしばしば論争 ろんそう になる。The New Palgrave Dictionary of Economics (英語 えいご 版 ばん ) は、税収 ぜいしゅう 最大 さいだい 化 か の税率 ぜいりつ の評価 ひょうか すなわち見積 みつ もりは、70%の近辺 きんぺん の中間 ちゅうかん の領域 りょういき をもって、広 ひろ く様々 さまざま であることを報告 ほうこく する[87] 。
最適 さいてき な課税 かぜい
多 おお くの政府 せいふ は、歪 ひずみ のない租税 そぜい によるかまたは或 ある る二 に 重 じゅう の配当 はいとう 金 きん を与 あた えるものである諸 しょ 租税 そぜい を通 とお して、割 わ り当 あ てられるもののところのものを超 こ えたものである歳入 さいにゅう を行 おこな う。最適 さいてき 課税 かぜい は経済 けいざい 学 がく の分野 ぶんや であって、それは最小 さいしょう の死 し 重 じゅう 費用 ひよう (英 えい :dead-weight cost)を持 も つかまたは厚生 こうせい の意味 いみ において最大 さいだい の効用 こうよう (英 えい :outcome)を持 も つように課税 かぜい をいかに構築 こうちく するかを考 かんが える[88] 。
税率 ぜいりつ
租税 そぜい はしばしばおおかた税率 ぜいりつ と呼 よ ばれる、或 ある る割合 わりあい として課 か せられる。税率 ぜいりつ についての議論 ぎろん でのひとつの重要 じゅうよう な区別 くべつ は限界 げんかい 税率 ぜいりつ (英 えい :marginal tax rate、もしくはmarginal rate)と実効 じっこう 税率 ぜいりつ (英 えい :effective tax rate)の間 あいだ の区別 くべつ である。実効 じっこう 税率 ぜいりつ は支払 しはら われた租税 そぜい の総計 そうけい で割 わ ったその支払 しはら われた租税 そぜい の合計 ごうけい である。これに対 たい し限界 げんかい 税率 ぜいりつ は収入 しゅうにゅう を得 え た次 つぎ の円 えん [注 ちゅう 8] によって支払 しはら われたその税率 ぜいりつ である。
脚注 きゃくちゅう
注釈 ちゅうしゃく
^ 給付 きゅうふ 付 つ き税額 ぜいがく 控除 こうじょ と並 なら んで近年 きんねん 注目 ちゅうもく されるベーシックインカム については、就労 しゅうろう 可能 かのう な個人 こじん の労働 ろうどう 意欲 いよく (就労 しゅうろう インセンティブ)を損 そこ ないかねないという見方 みかた がある一方 いっぽう 、それが労働 ろうどう 市場 いちば に与 あた える影響 えいきょう に関 かん して現在 げんざい 様々 さまざま な見解 けんかい がある。ボランティアなど社会 しゃかい 的 てき 活動 かつどう への報酬 ほうしゅう として位置 いち づけるという意見 いけん 、稼得所得 しょとく による給付 きゅうふ 額 がく の逓減 ていげん が無 な いことにより労働 ろうどう 供給 きょうきゅう へのマイナス効果 こうか は小 ちい さいという意見 いけん 、税制 ぜいせい 全体 ぜんたい として給付 きゅうふ の財源 ざいげん を賄 まかな うため累進 るいしん 課税 かぜい の負担 ふたん が増 ふ えると間接 かんせつ 的 てき に労働 ろうどう 供給 きょうきゅう の阻害 そがい 要因 よういん になるという意見 いけん など。(佐藤 さとう 、p.93)
^ 森 もり 信 しん 2010では、給付 きゅうふ 付 つ き税額 ぜいがく 控除 こうじょ をその政策 せいさく 目的 もくてき によって勤労 きんろう 税額 ぜいがく 控除 こうじょ 、児童 じどう 税額 ぜいがく 控除 こうじょ 、消費 しょうひ 税 ぜい 逆進 ぎゃくしん 性 せい 対策 たいさく 税額 ぜいがく 控除 こうじょ の3種 しゅ に分類 ぶんるい している。ただし、森 もり 信 しん 「給付 きゅうふ 付 つ き税額 ぜいがく 控除 こうじょ の4類型 るいけい と日本 にっぽん 型 がた 児童 じどう 税額 ぜいがく 控除 こうじょ の提案 ていあん 」(『国際 こくさい 税制 ぜいせい 研究 けんきゅう 』第 だい 20号 ごう 、納税 のうぜい 協会 きょうかい 、2008年 ねん 、pp.24-34)では、現金 げんきん 給付 きゅうふ の代 か わりに社会 しゃかい 保険 ほけん 料 りょう の控除 こうじょ を行 おこな うオランダ型 がた の社会 しゃかい 保険 ほけん 料 りょう 負担 ふたん 軽減 けいげん 税額 ぜいがく 控除 こうじょ も1類型 るいけい に加 くわ えて4分類 ぶんるい としている(白石 しらいし 浩 ひろし 介 かい 「給付 きゅうふ つき税額 ぜいがく 控除 こうじょ による所得 しょとく 保障 ほしょう 」『会計 かいけい 検査 けんさ 研究 けんきゅう 第 だい 』42号 ごう 、会計検査院 かいけいけんさいん 、2010年 ねん 、p.1)。
^ ドイツとカナダの児童 じどう 手当 てあて は税額 ぜいがく 控除 こうじょ を伴 ともな わない給付 きゅうふ のみの制度 せいど であるが、ドイツの児童 じどう 手当 てあて は所得 しょとく 税法 ぜいほう で規定 きてい されており児童 じどう 控除 こうじょ との選択 せんたく 制 せい 、カナダでは税務 ぜいむ 当局 とうきょく である歳入 さいにゅう 庁 ちょう が執行 しっこう している(鎌倉 かまくら 、pp.6, 9)。
^ 1986年 ねん の参議院 さんぎいん 地方 ちほう 行政 ぎょうせい 委員 いいん 会 かい において自治省 じちしょう (当時 とうじ )は、過度 かど な減税 げんぜい による将来 しょうらい 世代 せだい への負債 ふさい 転嫁 てんか や他 た 地域 ちいき 住民 じゅうみん への税 ぜい 負担 ふたん の転嫁 てんか (国費 こくひ による自治体 じちたい 財政 ざいせい への補填 ほてん 費用 ひよう )を抑制 よくせい するために各 かく 自治体 じちたい が標準 ひょうじゅん 的 てき な税収 ぜいしゅう を確保 かくほ することが必要 ひつよう との見解 けんかい を示 しめ している(深澤 ふかさわ 、p.51)。
^ 現代 げんだい 中国 ちゅうごく の税制 ぜいせい については中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく #税制 ぜいせい を参考 さんこう にせよ。
^ ただし、歴史 れきし 的 てき な論争 ろんそう が今 いま も残 のこ る。詳 くわ しくは地代 じだい 論争 ろんそう を見 み よ。
^ 地代 じだい は永久 えいきゅう 不変 ふへん ではなく市場 いちば メカニズム によって動 うご くものであることに注意 ちゅうい 。[注 ちゅう 6]
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参考 さんこう 文献 ぶんけん
関連 かんれん 項目 こうもく
外部 がいぶ リンク