出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤剛臣(いとう たけおみ、1971年4月11日 - )は、日本の元ラグビー選手。現在ジャパンラグビーリーグワン釜石シーウェイブスRFCのアドバイザーを務めている。
小学校では野球、中学校ではバスケットボールに打ち込む。
法政二高校入学と同時に甲子園を目指して硬式野球部に仮入部後、体育科の教師だった当時の担任の勧めでラグビー部に入部。高校時代のポジションはロックだった[2]。3年時に高校日本代表に選出されている。
法政大学社会学部応用経済学科(現・社会政策科学科)に進学。3年時にナンバー8に定着し、大学選手権で優勝した。
大学卒業後、神戸製鋼に入社。1年目から試合に出場し、1994年度の全国社会人大会、日本選手権7連覇に貢献した。
その後もチームの1999,2000年度全国社会人大会優勝、1999,2000年度日本選手権優勝、トップリーグ開幕初年度の2003年シーズン優勝に中心選手として貢献した。
2012年、シーズン終了後に戦力外通告を受け、18年に亘り在籍した神戸製鋼コベルコスティーラーズを退団。
現役続行を表明し、釜石シーウェイブスへの入団を希望しトライアウトを受験して入団した[3]。
2016年、ホリプロと契約した[4]。
2018年、現役を引退した[5]。
ラグビー日本代表では、1996年パシフィック・リム選手権の香港戦で初キャップを獲得し[2]、W杯には99年、03年と2大会連続出場した。キャップ62は歴代7位である。
- ジャンクSPORTS(2009年2月15日、フジテレビ)「清原和博SP」
- ラグビーウィークリー(2012年10月8日、BS朝日)「ワイルドな奴 #1」
- サタデースポーツ(2012年12月1日、NHK)
- スポーツがあったから(2014年12月29日、テレビ東京)
- サンデースポーツ(2015年2月8日・2015年10月4日、NHK)
- 深層NEWS(#366、2015年3月9日、BS日テレ)「釜石復興へのトライ! ラグビーを希望の光へ」
- 旅スルおつかれ様〜ハーフタイムツアーズ〜 (2018年11月13日、14日、テレビ東京)「放送東海道五十三次をあるく元ラグビー選手が東海道五十三次の街道あるきへ」
|
---|
1930年代 (17名) | |
---|
1950年代 (25名) | |
---|
1960年代 (13名) | |
---|
1970年代 (20名) | |
---|
1980年代 (24名) | |
---|
1990年代 (27名) | |
---|
2000年代 (44名) | |
---|
2010年代 (43名) | |
---|
2020年代 (14名) | |
---|
|
|
---|
グループ会長:堀義貴、代表取締役社長:菅井敦 |
HORIPRO |
男性タレント | |
---|
女性タレント | |
---|
男性お笑いタレント | |
---|
文化人・芸術家 | |
---|
キャスター・DJ | |
---|
ホリプロ アナウンス室 | |
---|
スポーツ | |
---|
音楽アーティスト | |
---|
その他 | |
---|
旧所属タレント | |
---|
|
---|
プロダクション パオ |
役員 |
- 代表取締役社長:西尾聖
|
---|
女性タレント | |
---|
|
---|
ホリプロ・ ブッキング・ エージェンシー |
役員 |
- 代表取締役社長:菅井敦
|
---|
男性タレント | |
---|
女性タレント | |
---|
業務提携 | |
---|
|
---|
ホリプロコム |
役員 |
- 代表取締役社長:宮原匡彦
|
---|
男性所属タレント | |
---|
女性所属タレント (ホリプロ本体から移管) | |
---|
業務提携 | |
---|
旧所属タレント | |
---|
|
---|
Depeche (男性モデル) |
- 明日光栗栖
- 睦
- 石岡剛
- 出井はるき
- 瓜生昇
- EIKICHI
- 勝岡信幸
- 惠介
- 関口圭二
- 瀬山修
- 唯文
- DANIEL
- チャーリィ湯谷
- 津端清司
- TOCO
- 中臣竜也
- 西村裕
- 原靖
- HIROHITO
- 藤本幹夫
- 前田寛之
- 萬浪大輔
- 宮脇雅朗
- 柳秀雄
- LUPIN
- RAY WEST
|
---|
Booze (女性モデル) | |
---|
ホリプロ インターナショナル | |
---|
ホリプロ デジタル エンターテインメント | |
---|
関連項目 | |
---|
関連人物 | |
---|
公式サイト:ホリプロ、ホリプロコム カテゴリ |