利根川とねがわ橋梁きょうりょう (常磐線じょうばんせん)

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利根川とねがわ橋梁きょうりょう(とねがわきょうりょう)は、東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん常磐線じょうばんせん利根川とねがわかる鉄道てつどうきょうで、トラスきょうである。千葉ちばけん我孫子あびこ青山あおやま茨城いばらきけん取手とりで取手とってむすぶ。

概要がいよう[編集へんしゅう]

快速かいそくせん緩行かんこうせんでそれぞれ独立どくりつした複線ふくせんしきワーレントラスきょうけられている。

2014ねん平成へいせい26ねん以前いぜん快速かいそくせん橋梁きょうりょうは、のぼせん東京とうきょう石川いしかわとう造船ぞうせんしょげんIHIせい単線たんせんしききょくつるプラットトラスはし[1]であり、くだせんよこかわ橋梁きょうりょう製作所せいさくしょげん横河よこがわブリッジせい単線たんせんしきワーレントラスはし[2]わせとなっていた。 老朽ろうきゅうのため、下流かりゅうがわげん橋梁きょうりょう緩行かんこうせん橋梁きょうりょうあいだ)への工事こうじ実施じっしされ[3]2013ねん平成へいせい25ねん12月8にち快速かいそくのぼせんが、2014ねん平成へいせい26ねん11月9にち快速かいそくくだせんが、それぞれしん橋梁きょうりょうえられた。しん橋梁きょうりょう供用きょうよう開始かいしきゅう橋梁きょうりょう撤去てっきょされた。

歴史れきし[編集へんしゅう]

  • 1896ねん明治めいじ29ねん日本にっぽん鉄道てつどう土浦線つちうらせん(のちの常磐線じょうばんせん)の田端たばた - 土浦つちうらあいだ開業かいぎょうともない、ほん橋梁きょうりょう初代しょだい)が供用きょうよう開始かいしとなる。
  • 1906ねん明治めいじ39ねん11月1にち 日本にっぽん鉄道てつどう国有こくゆうされる。
  • 1909ねん明治めいじ42ねん10月12にち 路線ろせん名称めいしょう常磐ときわせんとなり常磐ときわせん橋梁きょうりょうとなる。
  • 1917ねん大正たいしょう6ねん複線ふくせんのためきゅうくだせん橋梁きょうりょう(2代目だいめ)を架設かせつ供用きょうよう開始かいしとなる。
  • 1922ねん大正たいしょう11ねん複線ふくせんのため橋梁きょうりょう初代しょだい)を撤去てっきょし、きゅうのぼせん橋梁きょうりょう(2代目だいめ)を架設かせつする。翌年よくねん複線ふくせんとともに供用きょうよう開始かいしとなる。
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねんきゅうくだせんげん快速かいそくくだせん)の橋梁きょうりょう(3代目だいめ)を架設かせつする。
  • 1962ねん昭和しょうわ37ねんきゅうくだせん橋梁きょうりょう(2代目だいめ)がきゅうのぼせんげん快速かいそくのぼせん)に転用てんようされる。また、きゅうのぼせん橋梁きょうりょう(2代目だいめ)が撤去てっきょされる。なお、撤去てっきょされたきゅうトラスけた8れんはそれぞれ転用てんようされうち7れん現用げんようされている[4]
  • 1982ねん昭和しょうわ57ねん11月15にち 我孫子あびこ - 取手とってあいだ複々線ふくふくせんともない、緩行かんこうせんよう橋梁きょうりょう架設かせつ供用きょうよう開始かいしとなり、従来じゅうらい橋梁きょうりょう快速かいそくせんようとなる。
  • 1987ねん昭和しょうわ62ねん4がつ1にち 国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいによりJR東日本ひがしにっぽん橋梁きょうりょうとなる。
  • 2013ねん平成へいせい25ねん12月8にち 快速かいそくのぼせんしん橋梁きょうりょうえられる。
  • 2014ねん平成へいせい26ねん11月9にち 快速かいそくくだせんしん橋梁きょうりょうえられる。

となりはし[編集へんしゅう]

上流じょうりゅう) - しん大利根橋おおとねばし - 大利根橋おおとねばし - 利根川とねがわ橋梁きょうりょう - 栄橋さかえばし - 若草わかくさ大橋おおはし - (下流かりゅう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい3553ふん21.3びょう 東経とうけい1403ふん31.8びょう / 北緯ほくい35.889250 東経とうけい140.058833 / 35.889250; 140.058833