米国 べいこく 医師 いし 会 かい (AMA)「医療 いりょう 倫理 りんり 規定 きてい 」
医療 いりょう 倫理 りんり (いりょうりんり、英 えい : medical ethics )または医療 いりょう 倫理 りんり 学 がく 、医学 いがく 倫理 りんり [3] 、医 い の倫理 りんり とは[4] 、医療 いりょう 者 しゃ が守 まも るべき行動 こうどう の(体系 たいけい 的 てき な)規範 きはん ・基準 きじゅん [4] 。医療 いりょう 倫理 りんり は生命 せいめい 倫理 りんり 学 がく (bioethics)、臨床 りんしょう 倫理 りんり (clinical ethics)とも呼 よ ばれ得 え るが[5] 、厳密 げんみつ にはそれらと区別 くべつ される。「医療 いりょう 倫理 りんり が関 かか わっているのは、医師 いし および病院 びょういん が患者 かんじゃ ・他 た の医療 いりょう 専門 せんもん 家 か ・社会 しゃかい に対 たい して負 お う義務 ぎむ である」とされている[6] 。
一種 いっしゅ の職業 しょくぎょう 倫理 りんり であり学問 がくもん でもある。起源 きげん は古代 こだい ギリシア[7] [8] 、すなわち「医学 いがく の父 ちち 」ヒポクラテス [7] および『ヒポクラテスの誓 ちか い 』と考 かんが えられている[8] 。
医療 いりょう 倫理 りんり は、混乱 こんらん や矛盾 むじゅん が生 しょう じた場合 ばあい に専門 せんもん 家 か が参照 さんしょう できる一連 いちれん の価値 かち 観 かん から成 な り立 た つ。これらの価値 かち 観 かん には、自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく (自己 じこ 決定 けってい 権 けん )[注釈 ちゅうしゃく 1] (autonomy)、無 む 加害 かがい 原則 げんそく [注釈 ちゅうしゃく 2] (non-maleficence)、 与 あずか 益 えき 原則 げんそく [注釈 ちゅうしゃく 3] (beneficence)、および公平 こうへい ・正義 せいぎ の原則 げんそく [注釈 ちゅうしゃく 4] (justice/equality)などが含 ふく まれ[9] 、この4原則 げんそく に限 かぎ って言 い う場合 ばあい 、一般 いっぱん に「生命 せいめい 医学 いがく 倫理 りんり の4原則 げんそく 」と呼 よ ばれる。これらの信条 しんじょう があってはじめて、医師 いし 、ケア提供 ていきょう 者 しゃ 、および患者 かんじゃ 家族 かぞく が治療 ちりょう 計画 けいかく を作成 さくせい し、同 おな じ共通 きょうつう の目標 もくひょう に向 む かって共 とも に取 と り組 く むことが可能 かのう となるのである[10] 。付 つ け加 くわ えるべき重要 じゅうよう なこととして、これら4つの価値 かち 観 かん は、重要 じゅうよう 性 せい または関連 かんれん 性 せい の順 じゅん でランク付 づ けされることはなく、すべて等 ひと しく医療 いりょう 倫理 りんり に包含 ほうがん されている[11] ということである。しかしながら、倫理 りんり 的 てき 衝突 しょうとつ により、階層 かいそう 化 か の必要 ひつよう 性 せい が必要 ひつよう となる矛盾 むじゅん (ジレンマ)が生 しょう じる可能 かのう 性 せい があり、その結果 けっか 、いくつかの道徳 どうとく 的 てき 要素 ようそ はその困難 こんなん な医学 いがく 的 てき 状況 じょうきょう において最良 さいりょう の道徳 どうとく 的 てき 判断 はんだん を適用 てきよう する上 じょう で他 た のいくつかの原則 げんそく を覆 くつがえ すものとなる場合 ばあい もある[12] 。
これらの倫理 りんり 行動 こうどう 規範 きはん の基 もと となるものは既 すで に複数 ふくすう 存在 そんざい している。ヒポクラテスの誓 ちか い は医療 いりょう 専門 せんもん 家 か のための、ナイチンゲール誓詞 せいし は看護 かんご 師 し のための、それぞれ基本 きほん 原則 げんそく を扱 あつか っている[12] 。前者 ぜんしゃ の文書 ぶんしょ は西暦 せいれき 前 まえ 5世紀 せいき にさかのぼる[13] 。ヘルシンキ宣言 せんげん (1964年 ねん )とニュルンベルク綱領 こうりょう (1947年 ねん )は医療 いりょう 倫理 りんり に貢献 こうけん し、広 ひろ く知 し られていると定評 ていひょう がある。医療 いりょう 倫理 りんり の歴史 れきし における他 た の重要 じゅうよう で特記 とっき すべきものは、1973年 ねん の妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ にかかる権利 けんり を争 あらそ った「ロー対 たい ウェイド (「Roe v. Wade」 )」アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 最高裁 さいこうさい 判決 はんけつ 、ならびに1960年代 ねんだい における血液 けつえき 透析 とうせき の開発 かいはつ である。さらに近年 きんねん では、ゲノム編集 へんしゅう を利用 りよう して疾患 しっかん を治療 ちりょう 、予防 よぼう および治療 ちりょう することを目的 もくてき としたゲノム編集 へんしゅう のための新 あたら しい技術 ぎじゅつ は、医学 いがく および治療 ちりょう におけるそれらの応用 おうよう ならびに将来 しょうらい の世代 せだい に対 たい する社会 しゃかい 的 てき 影響 えいきょう について重要 じゅうよう な道徳 どうとく 的 てき 問題 もんだい を提起 ていき している[14] 。
この分野 ぶんや は歴史 れきし を通 とお して発展 はってん し変化 へんか し続 つづ けているため、世界中 せかいじゅう のすべての文化 ぶんか 的 てき および宗教 しゅうきょう 的 てき 背景 はいけい において、公平 こうへい で、バランスのとれた、そして道徳 どうとく 的 てき な考 かんが え方 かた 、などにその焦点 しょうてん をとどめるものとする[15] [16] 。医療 いりょう 倫理 りんり 学 がく は臨床 りんしょう の場 ば での実用 じつよう 的 てき な応用 おうよう を含 ふく むだけでなく、その歴史 れきし 、哲学 てつがく 、そして社会 しゃかい 学 がく に関 かん する学術 がくじゅつ 的 てき 研究 けんきゅう も含 ふく むのである。
医療 いりょう 倫理 りんり は、安楽 あんらく 死 し 問題 もんだい や、患者 かんじゃ 情報 じょうほう についての守秘 しゅひ 義務 ぎむ 、インフォームド・コンセント 、医療 いりょう 的 てき な利益 りえき 相反 あいはん などに関連 かんれん して患者 かんじゃ の利益 りえき 第 だい 一 いち 原則 げんそく 、自己 じこ 決定 けってい 権 けん 、および公平 こうへい ・正義 せいぎ の概念 がいねん を包容 ほうよう するものである[17] [18] [19] 。さらに、文化 ぶんか によって倫理 りんり 的 てき 価値 かち 観 かん が異 こと なるため、医療 いりょう 倫理 りんり と文化 ぶんか は相互 そうご に関連 かんれん しており、時 とき には家族 かぞく の価値 かち 観 かん に重点 じゅうてん を置 お き、個人 こじん の自立 じりつ 性 せい の重要 じゅうよう 性 せい を軽 かる くみるようなケースも起 お きている。このような場合 ばあい も含 ふく め、病院 びょういん やその他 た の医療 いりょう 現場 げんば において文化 ぶんか 的 てき に違 ちが いを習熟 しゅうじゅく している医師 いし や倫理 りんり 委員 いいん 会 かい の必要 ひつよう 性 せい が求 もと められている[15] [20] [16] 。
他 た の倫理 りんり との関係 かんけい [ 編集 へんしゅう ]
広義 こうぎ には医療 いりょう 倫理 りんり 学 がく (medical ethics) は、生命 せいめい 倫理 りんり 学 がく (bioethics) とも呼 よ ばれる。より厳密 げんみつ には、医療 いりょう 倫理 りんり 学 がく が扱 あつか う対象 たいしょう は生命 せいめい 全般 ぜんぱん ではなく、医学 いがく における研究 けんきゅう 倫理 りんり および診療 しんりょう における臨床 りんしょう 倫理 りんり だという。
『医学 いがく 教育 きょういく 』の論文 ろんぶん の定義 ていぎ では「生命 せいめい 倫理 りんり 」内 ない に「環境 かんきょう 倫理 りんり 」が、環境 かんきょう 倫理 りんり 内 ない に「医療 いりょう 倫理 りんり 」が含 ふく まれている。
反 はん 出生 しゅっしょう 主義 しゅぎ 的 てき 倫理 りんり [ 編集 へんしゅう ]
『医療 いりょう 倫理 りんり 学 がく 誌 し 』の論文 ろんぶん は反 はん 出生 しゅっしょう 主義 しゅぎ は少数 しょうすう 派 は であり、物議 ぶつぎ を醸 かも す立場 たちば である(”Antinatalism is a minority and controversial position.”) と述 の べている。(反 はん 出生 しゅっしょう 主義 しゅぎ とは、人間 にんげん を生 う み出 だ すこと を道徳的 どうとくてき 不正 ふせい とする観点 かんてん 。)
医療 いりょう 倫理 りんり という用語 ようご は、英国 えいこく の作家 さっか で医師 いし のトーマス・パーシバル (英語 えいご 版 ばん ) が医療 いりょう 施設 しせつ 内 ない の医療 いりょう 専門 せんもん 家 か の要件 ようけん と推奨 すいしょう を著述 ちょじゅつ する文書 ぶんしょ を発表 はっぴょう した1803年 ねん にさかのぼる。1847年 ねん には「倫理 りんり 綱領 こうりょう (The Code of Ethics)」ができたが、それはパーシヴァルの著作 ちょさく に大 おお きく依存 いぞん していた[24] 。1903年 ねん 、1912年 ねん 、および1947年 ねん にかけて大 おお きく修正 しゅうせい され[24] 、以降 いこう 、医療 いりょう 倫理 りんり の実践 じっせん は世界中 せかいじゅう で広 ひろ く受 う け入 い れられるものとなっている[11] 。
歴史 れきし 的 てき な西洋 せいよう 医学 いがく 倫理 りんり は初期 しょき のキリスト教 きりすときょう の教 おし えやヒポクラテスの誓 ちか い のような古代 こだい における医師 いし の義務 ぎむ に関 かん するガイドラインにたどり着 つ く。医療 いりょう 倫理 りんり の最初 さいしょ の規範 きはん 「Formula Comitis Archiatrorum」は5世紀 せいき に出版 しゅっぱん された。中世 ちゅうせい と近世 きんせい では、この分野 ぶんや はイスラム学者 がくしゃ 、例 たと えば「Conduct of a Physician」を書 か いた、Ishaq ibn Ali al-Ruhawi、などである。これらの知的 ちてき な伝統 でんとう は、カトリック医療 いりょう 倫理 りんり 、イスラム医療 いりょう 倫理 りんり 、そしてユダヤ医療 いりょう 倫理 りんり として、今日 きょう にいたるまで受 う け継 つ がれている。
18世紀 せいき と19世紀 せいき までには、医療 いりょう 倫理 りんり がより自意識 じいしき な言説 げんせつ として浮上 ふじょう する。イギリスでは、トーマス・パーシバルが最初 さいしょ の現代 げんだい の医療 いりょう 倫理 りんり 規定 きてい を作成 さくせい し、1794年 ねん にそれをパンフレットにし、1803年 ねん に拡張 かくちょう 版 ばん を書 か いた。その中 なか で彼 かれ は「医学 いがく 倫理 りんり 」と「医学 いがく 法学 ほうがく 」という表現 ひょうげん を作 つく り出 だ した[25] 。しかし、医師 いし の診察 しんさつ に関連 かんれん するパーシバルのガイドラインが在宅 ざいたく 医師 いし の評判 ひょうばん を過度 かど に擁護 ようご するものだと考 かんが える人 ひと もいる。ジェフリー・ベラントは、パーシヴァルの医師 いし 規範 きはん を、反 はん 競争 きょうそう 的 てき で「ギルド」のような医師 いし コミュニティの初期 しょき の例 れい であると考 かんが える批評 ひひょう 家 か の一人 ひとり である[26] [27] 。さらに、19世紀 せいき 半 なか ばから20世紀 せいき にかけて、以前 いぜん よりの近 ちか しい医師 いし と患者 かんじゃ の関係 かんけい は薄 うす れ、親密 しんみつ さが低下 ていか し、時 とき には医療 いりょう 過誤 かご につながり、その結果 けっか として国民 こくみん の信頼 しんらい が低下 ていか し、患者 かんじゃ の自主 じしゅ 尊重 そんちょう や自己 じこ 決定 けってい (大 おお きくは民族 みんぞく 自決 じけつ )に重点 じゅうてん を置 お く今日 きょう 、従来 じゅうらい の父権 ふけん 主義 しゅぎ 的 てき (パターナリスティック) な医師 いし モデルとしての意思 いし 決定 けってい 権 けん は低下 ていか してゆくことになる[28] 。
1815年 ねん にはApothecaries法 ほう がイギリスの議会 ぎかい によって可決 かけつ され、イギリスの医療 いりょう 専門 せんもん 家 か を規制 きせい するものとして、The Apothecaries協会 きょうかい の許可 きょか の下 した に、見習 みなら い制 せい と正式 せいしき な資格 しかく を導入 どうにゅう した。これが今日 きょう のイギリスにおける医師 いし の始 はじ まりである。
1847年 ねん に、アメリカ医師 いし 会 かい は最初 さいしょ の倫理 りんり 綱領 こうりょう を採択 さいたく した。これは主 おも にパーシバルの業績 ぎょうせき に基 もと づいている[29] 。世俗 せぞく 化 か された分野 ぶんや は主 おも にカトリックの医療 いりょう 倫理 りんり から借用 しゃくよう し、20世紀 せいき には独特 どくとく のリベラルなプロテスタントの アプローチがジョセフ・フレッチャー (英語 えいご 版 ばん ) のような思想家 しそうか によって明確 めいかく にされた。 1960年代 ねんだい と1970年代 ねんだい には、 リベラルリズム と手続 てつづ き的 てき 正義 せいぎ の上 うえ に成 な り立 た って、医学 いがく 倫理 りんり 学 がく の言説 げんせつ の多 おお くは劇的 げきてき な変化 へんか を経験 けいけん し、大 だい 部分 ぶぶん が生命 せいめい 倫理 りんり 学 がく へと再 さい 構成 こうせい されることになった[30] 。
医学 いがく 倫理 りんり の分析 ぶんせき に使用 しよう される共通 きょうつう の枠組 わくぐ みは、「Biomedical ethicsの諸 しょ 原理 げんり (Principles of biomedical ethics 1979)」(現 げん 「生命 せいめい 医学 いがく 倫理 りんり 」)においてトム・ビーチャム (英語 えいご 版 ばん ) とジェイムズ・チルドレス (英語 えいご 版 ばん ) によって提唱 ていしょう された「4原則 げんそく 」アプローチによるものである。それは、各 かく 原則 げんそく の適用 てきよう の範囲 はんい を考慮 こうりょ しつつ、それぞれ比較 ひかく 検討 けんとう 、秤量 ひょうりょう して判断 はんだん されされるべき4つの基本 きほん 的 てき な道徳 どうとく 的 てき 原則 げんそく を分類 ぶんるい したものとなっている。
その4原則 げんそく は以下 いか の通 とお り[31] 。
自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく [ 編集 へんしゅう ]
自主 じしゅ (autonomy)尊重 そんちょう の原則 げんそく は、 "autos"(自己 じこ )と "nomos(統治 とうち )"に分 わ けられ[注釈 ちゅうしゃく 1] 、自己 じこ 決定 けってい に対 たい する個人 こじん の権利 けんり (自主権 じしゅけん 、自己 じこ 決定 けってい 権 けん )を言 い う[28] [32] 。これは、個人 こじん の問題 もんだい については、すべての情報 じょうほう を与 あた えられた上 うえ での自由 じゆう な意思 いし 決定 けってい を下 くだ すことができるべき、という個人 こじん の権利 けんり 能力 のうりょく に対 たい する社会 しゃかい の尊重 そんちょう に根 ね ざしている[32] 。自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく は、社会 しゃかい 的 てき 価値 かち 観 かん の変化 へんか と共 とも に、医療 いりょう の質 しつ を定義 ていぎ する上 じょう で、医療 いりょう 者 しゃ にとってのそれよりも、むしろ患者 かんじゃ とその家族 かぞく の観点 かんてん からより重要 じゅうよう となった[28] 。このように自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく の重要 じゅうよう 性 せい が増 ま していることは、医療 いりょう における「父権 ふけん 主義 しゅぎ (パターナリズム)的 まと 」な伝統 でんとう に対 たい する社会 しゃかい 的 てき 反応 はんのう と見 み なすことができる[33] [28] 。この患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい を侵害 しんがい する歴史 れきし 的 てき な「過度 かど の父権 ふけん 主義 しゅぎ 」に対 たい する反発 はんぱつ は、ソフトなパターナリズムの適切 てきせつ な適用 てきよう を妨 さまた げている場合 ばあい もあると疑問 ぎもん を投 な げかける声 こえ もある[34] 。
自主 じしゅ (autonomy)の定義 ていぎ は、情報 じょうほう を得 え たうえで(インフォームド)他 た からの影響 えいきょう ・干渉 かんしょう を受 う けずに自由 じゆう かつ合理 ごうり 的 てき な決定 けってい を下 くだ す個人 こじん のキャパシティー(能力 のうりょく を与 あた えられている状態 じょうたい =権利 けんり )である。したがって、自主 じしゅ 性 せい の程度 ていど は心身 しんしん の健康 けんこう についての標準 ひょうじゅん 的 てき な指標 しひょう になるとも言 い える。多 おお くの末期 まっき 疾患 しっかん の進行 しんこう は、様々 さまざま な形態 けいたい および程度 ていど で、自主 じしゅ 性 せい の喪失 そうしつ によって特徴付 とくちょうづ けられる。例 たと えば、認知 にんち 症 しょう の疾患 しっかん は、記憶 きおく 喪失 そうしつ を誘発 ゆうはつ し、合理 ごうり 的 てき 思考 しこう の低下 ていか を引 ひ き起 お こす可能 かのう 性 せい があり、ほとんどの場合 ばあい 、自主 じしゅ 性 せい の喪失 そうしつ をもたらす[35] 。
精神 せいしん 科 か 医 い や臨床 りんしょう 心理 しんり 学者 がくしゃ はしばしば、終末 しゅうまつ 期 き に患者 かんじゃ の生死 せいし の決定 けってい をする意思 いし 決定 けってい 能力 のうりょく を評価 ひょうか するよう求 もと められることがある。せん妄 もう または臨床 りんしょう 的 てき 鬱 うつ 病 びょう などの精神 せいしん 状態 じょうたい を有 ゆう する人 ひと は、終末 しゅうまつ 期 き の決定 けってい を下 くだ す能力 のうりょく を欠 か く可能 かのう 性 せい もある。これらの人々 ひとびと の場合 ばあい 、その治療 ちりょう を拒否 きょひ する要望 ようぼう については、彼 かれ らの状態 じょうたい をベースに判断 はんだん されることがある。事前 じぜん の明示 めいじ 的 てき な反対 はんたい の意思 いし 表示 ひょうじ がない限 かぎ り、精神 せいしん 的 てき 能力 のうりょく を欠 か いている人 ひと の最善 さいぜん の利益 りえき に従 したが って扱 あつか われることになる。これには、能力 のうりょく を欠 か く以前 いぜん のその人 ひと がどのような決定 けってい を下 くだ すかについて最 もっと もよく知 し っている人々 ひとびと の意見 いけん も含 ふく む評価 ひょうか となる[36] 。終末 しゅうまつ 期 き の決断 けつだん を下 くだ す精神 せいしん 的 てき 能力 のうりょく を持 も つ人 ひと は、自分 じぶん の人生 じんせい を短 みじか くするかもしれないという理解 りかい のもとに治療 ちりょう を拒否 きょひ する場合 ばあい もある。また、精神 せいしん 科 か 医 い や心理 しんり 学者 がくしゃ が意思 いし 決定 けってい を支援 しえん するために関与 かんよ することも場合 ばあい によっては望 のぞ まれる方策 ほうさく である[37] 。
日本 にっぽん における「自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」[ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん では、法学 ほうがく 者 しゃ 唄 うた 孝一 こういち の1965年 ねん の論文 ろんぶん (「治療 ちりょう 行為 こうい における患者 かんじゃ の承諾 しょうだく と医師 いし の説明 せつめい 」『契約 けいやく 法大 ほうだい 系 けい 』補 ほ 巻 まき 、1965年 ねん 2月 がつ 『医事 いじ 法学 ほうがく への歩 あゆ み』、1970年 ねん 「医事 いじ 法 ほう の底 そこ にあるもの」再 さい 録 ろく )の中 なか で、ドイツ語 ご のPersonale Selbstbestimmung の訳語 やくご として患者 かんじゃ の「個人 こじん の自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」が使 つか われているという。それと同 どう 時期 じき に、ヘルシンキ宣言 せんげん を含 ふく め、欧米 おうべい での患者 かんじゃ の権利 けんり のための運動 うんどう が盛 さか んになり、そこで主張 しゅちょう された英語 えいご の Patient Autonomy が「患者 かんじゃ の自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」と訳 やく されたようになった[38] という。(当時 とうじ より self-determination は民族 みんぞく 自決 じけつ 運動 うんどう を指 さ していた)
その後 ご 、世界 せかい 医師 いし 会 かい のリスボン宣言 せんげん でも「患者 かんじゃ の自己 じこ 決定 けってい の権利 けんり 」が謳 うた われた。ただし、1995年 ねん 「リスボン宣言 せんげん バリ総会 そうかい 改訂 かいてい 版 ばん 」の採択 さいたく において、日本 にっぽん 医師 いし 会 かい は唯一 ゆいいつ 棄権 きけん している[39] 。
日本 にっぽん 医師 いし 会 かい 生命 せいめい 倫理 りんり 懇談 こんだん 会 かい はその間 あいだ 、インフォームド・コンセント を元 もと にした、1990年 ねん に「説明 せつめい と同意 どうい 」と表現 ひょうげん する患者 かんじゃ の自己 じこ 決定 けってい 権 けん を保障 ほしょう するシステムあるいは一連 いちれん のプロセスの概念 がいねん を示 しめ した。そして1997年 ねん に医療 いりょう 法 ほう が改正 かいせい され「説明 せつめい と同意 どうい 」を行 おこな う義務 ぎむ が、初 はじ めて法律 ほうりつ として明文化 めいぶんか されることになった[40] 。これに対 たい し、日弁連 にちべんれん (日本 にっぽん 弁護士 べんごし 連合 れんごう 会 かい )は2011年 ねん 10月 がつ 6日 にち 第 だい 54回 かい 人権 じんけん 擁護 ようご 大会 たいかい の声明 せいめい において、「我 わ が国 くに には、このような基本 きほん 的 てき 人権 じんけん である患者 かんじゃ の権利 けんり を定 さだ めた法律 ほうりつ がない」「日本 にっぽん 医師 いし 会 かい 生命 せいめい 倫理 りんり 懇談 こんだん 会 かい による1990年 ねん の『説明 せつめい と同意 どうい 』についての報告 ほうこく も、こうした流 なが れを受 う けたものではあるが、『説明 せつめい と同意 どうい 』という訳語 やくご は、インフォームド・コンセント の理念 りねん を正 まさ しく伝 つた えず、むしろ従来 じゅうらい 型 がた のパターナリズム を温存 おんぞん させるものである」と批判 ひはん した[41] 。
日本 にっぽん における「"自律 じりつ "尊重 そんちょう 原則 げんそく 」[ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん の医療 いりょう の分野 ぶんや では、「患者 かんじゃ の自主権 じしゅけん ・自己 じこ 決定 けってい 」の文脈 ぶんみゃく においてしばしば「自律 じりつ 性 せい 」と誤訳 ごやく した上 うえ で「患者 かんじゃ が自分 じぶん を律 りっ して自己 じこ 規制 きせい すること」などと正 せい 反対 はんたい の「患者 かんじゃ の権利 けんり を否定 ひてい 」するような意味 いみ で誤用 ごよう されている。
与 あずか 益 えき 原則 げんそく [ 編集 へんしゅう ]
与 あずか 益 えき (善行 ぜんこう )という用語 ようご は、他人 たにん の幸福 こうふく を促進 そくしん する行動 こうどう を指 さ す。医学 いがく 的 てき には、これは患者 かんじゃ とその家族 かぞく の最善 さいぜん の利益 りえき に役立 やくだ つような行動 こうどう をとること(利益 りえき 第 だい 一 いち )を意味 いみ する[9] 。しかしながら、どの処置 しょち が患者 かんじゃ を助 たす けるものになるのかは不 ふ 確実 かくじつ 性 せい を含 ふく むので厳密 げんみつ に定義 ていぎ することは難 むずか しいとされている。
ジェームズ・チルドレスとトム・ビーチャム による「生物 せいぶつ 医学 いがく 倫理 りんり の原則 げんそく 」(1978年 ねん )では与 あずか 益 えき は医療 いりょう 倫理 りんり の核心 かくしん 的 てき 価値 かち の一 ひと つであるとしている。エドマンド・ペレグリノのような学者 がくしゃ たちは、与 あずか 益 えき が医療 いりょう 倫理 りんり の唯一 ゆいいつ の基本 きほん 原則 げんそく であるとも主張 しゅちょう している。彼 かれ らは、治療 ちりょう が医学 いがく の唯一 ゆいいつ の目的 もくてき であるべきであり、そして美容 びよう 整形 せいけい 手術 しゅじゅつ や安楽 あんらく 死 し の ような努力 どりょく はひどく非 ひ 倫理 りんり 的 てき であり、 ヒポクラテスの誓 ちか い に反 はん すると主張 しゅちょう している。
無 む 加害 かがい 原則 げんそく [ 編集 へんしゅう ]
無 む 加害 かがい (無 む 危害 きがい )の概念 がいねん は、「まず第 だい 一 いち に、害 がい を与 あた えない(first, do no harm,)」というフレーズ、またはラテン語 らてんご の「primum non nocere」から由来 ゆらい するものである。多 おお くの人 ひと がそれが主 おも 、または主 おも な考慮 こうりょ 事項 じこう (したがって一 いち 次 じ 的 てき 考察 こうさつ )とすべきだと考 かんが えている。つまりそれは、患者 かんじゃ に良 よ いことをするよりも、害 がい を与 あた えないことがより重要 じゅうよう であるということになる[42] 。これは、熱心 ねっしん な医者 いしゃ が、患者 かんじゃ に良 よ いと思 おも って色々 いろいろ 治療 ちりょう したが、最初 さいしょ にそれら治療 ちりょう 法 ほう を十分 じゅうぶん に評価 ひょうか していないため結果 けっか 的 てき に害 がい を加 くわ えることになったというようなケースがありうるからである。よく「治療 ちりょう は成功 せいこう したが、患者 かんじゃ は死亡 しぼう した」などと言 い う表現 ひょうげん があるように、結果 けっか として患者 かんじゃ に対 たい して多 おお くの危害 きがい が加 くわ えられたのである。
善 ぜん を行 おこな うことよりも害 がい を与 あた えないことが重要 じゅうよう であるだけでなく、あなたの治療 ちりょう が患者 かんじゃ に害 がい を及 およ ぼす可能 かのう 性 せい がどれほどあるのか、を知 し ること も重要 じゅうよう となる。したがって、医師 いし は自分 じぶん たちが有害 ゆうがい であると知 し っている薬 くすり を処方 しょほう しないだけでなく、さらに先 さき に進 すす むべきです - 治療 ちりょう が有害 ゆうがい である可能 かのう 性 せい が低 ひく いとわかっていない限 かぎ り、彼 かれ または彼女 かのじょ は薬 くすり を処方 しょほう するべきではありません。あるいは、少 すく なくとも患者 かんじゃ がリスクと利益 りえき の両方 りょうほう を理解 りかい しており、利益 りえき がリスクよりも上回 うわまわ る場合 ばあい に限 かぎ るべき、ということである。
しかし実際 じっさい には、多 おお くの治療 ちりょう 法 ほう は害 がい を及 およ ぼす危険 きけん 性 せい がある。 状況 じょうきょう によっては、例 たと えば治療 ちりょう なしでの結果 けっか が重大 じゅうだい であるような絶望 ぜつぼう 的 てき な状況 じょうきょう では、治療 ちりょう しないことのリスクも害 がい を及 およ ぼす可能 かのう 性 せい が非常 ひじょう に高 たか いので、患者 かんじゃ に害 がい を与 あた える可能 かのう 性 せい が高 たか い危険 きけん な治療 ちりょう が正当 せいとう 化 か される。したがって、2つの原則 げんそく の効果 こうか が一緒 いっしょ になると二 に 重 じゅう の効果 こうか (後述 こうじゅつ する)が生 しょう じることが多 おお いため、 無 む 加害 かがい 原則 げんそく は絶対 ぜったい 的 てき なものではなく、 与 あずか 益 えき 原則 げんそく とのバランスがとられる。また、血液 けつえき サンプルの採取 さいしゅ や薬 くすり の注射 ちゅうしゃ のような基本 きほん 的 てき な行為 こうい でも、患者 かんじゃ の体 からだ に害 がい を及 およ ぼすものである。安楽 あんらく 死 し は また、患者 かんじゃ が医師 いし による治療 ちりょう の結果 けっか として死亡 しぼう するため、与 あずか 益 えき の原則 げんそく に反 はん するものである。
二 に 重 じゅう 効果 こうか (Double effect)は、1つの行動 こうどう によって2種類 しゅるい の結果 けっか が生 う まれる可能 かのう 性 せい があることを指 さ す[43] 。医療 いりょう 倫理 りんり では、それは通常 つうじょう 与 あずか 益 えき の原則 げんそく と無 む 加害 かがい 原則 げんそく の複 ふく 合 あい 効果 こうか と見 み なされる[44] 。
この現象 げんしょう の一般 いっぱん 的 てき に引用 いんよう される例 れい は、末期 まっき 患者 かんじゃ におけるモルヒネ または他 た の鎮痛 ちんつう 薬 やく の使用 しよう である。このようなモルヒネの使用 しよう は、呼吸 こきゅう 器 き 系 けい の不 ふ 活性 かっせい 化 か を介 かい して患者 かんじゃ の寿命 じゅみょう を短 みじか くするという有害 ゆうがい な効果 こうか を有 ゆう すると同時 どうじ に、患者 かんじゃ の痛 いた みおよび苦痛 くつう を軽減 けいげん するという有益 ゆうえき な効果 こうか を有 ゆう するといえる[45] 。
公平 こうへい ・正義 せいぎ の原則 げんそく [ 編集 へんしゅう ]
人権 じんけん の尊重 そんちょう [ 編集 へんしゅう ]
人権 じんけん の時代 じだい は1945年 ねん に国連 こくれん が結成 けっせい された頃 ころ から始 はじ まった。世界 せかい 人権 じんけん 宣言 せんげん (1948)は、人権 じんけん を定義 ていぎ する最初 さいしょ の主要 しゅよう 文書 ぶんしょ である。医師 いし は患者 かんじゃ の人権 じんけん と人 ひと の尊厳 そんげん を守 まも るという倫理 りんり 的 てき 義務 ぎむ があり、人権 じんけん を定義 ていぎ する文書 ぶんしょ の出現 しゅつげん は医療 いりょう 倫理 りんり にも影響 えいきょう を及 およ ぼした[46] 。ほとんどの医療 いりょう 倫理 りんり 規定 きてい は今 いま や患者 かんじゃ の人権 じんけん の尊重 そんちょう を求 もと めるものになっている。
ヨーロッパ評議 ひょうぎ 会 かい (欧州 おうしゅう 評議 ひょうぎ 会 かい )は、その47の加盟 かめい 国 こく のために統一 とういつ された医学 いがく 倫理 りんり 規定 きてい を作成 さくせい するために、「人権 じんけん と生物 せいぶつ 医学 いがく に関 かん する欧州 おうしゅう 条約 じょうやく 」(1997)を採択 さいたく 。条約 じょうやく は国際 こくさい 人権 じんけん 法 ほう を医療 いりょう 倫理 りんり に適用 てきよう している。それは、子供 こども を含 ふく む、同意 どうい することができない人々 ひとびと のために身体 しんたい 的 てき 一体 いったい となる特別 とくべつ な保護 ほご を規定 きてい している。
第 だい 5条 じょう に基 もと づいて同意 どうい する能力 のうりょく を持 も たない人 ひと については、臓器 ぞうき または組織 そしき の除去 じょきょ を行 おこな ってはならない[47]
2013年 ねん 12月の時点 じてん で、条約 じょうやく は、欧州 おうしゅう 評議 ひょうぎ 会 かい の29の加盟 かめい 国 こく によって批准 ひじゅん または承認 しょうにん されている[48] 。
国連 こくれん 教育 きょういく 科学 かがく 文化 ぶんか 機関 きかん (ユネスコ)においても人権 じんけん と人 ひと の尊厳 そんげん の保護 ほご を推進 すいしん しており、ユネスコによると、 「宣言 せんげん は批准 ひじゅん の対象 たいしょう ではない規範 きはん を定義 ていぎ するもう一 ひと つの手段 しゅだん である」としている。勧告 かんこく のように、彼 かれ らは、国家 こっか 共同 きょうどう 体 たい が可能 かのう な限 かぎ り最大 さいだい の権威 けんい を与 あた え、可能 かのう な限 かぎ り幅広 はばひろ い支援 しえん を与 あた えることを望 のぞ んだ普遍 ふへん 的 てき な原則 げんそく を定 さだ めた。ユネスコは、医療 いりょう 倫理 りんり における国際 こくさい 人権 じんけん 法 ほう の適用 てきよう を推進 すいしん するために、「世界 せかい 人権 じんけん 宣言 せんげん および生物 せいぶつ 医学 いがく 宣言 せんげん 」を採択 さいたく している。この宣言 せんげん は、行為 こうい 能力 のうりょく 制限 せいげん 者 しゃ に対 たい する人権 じんけん の特別 とくべつ な保護 ほご を提供 ていきょう するものとなっている。
科学 かがく 的 てき 知識 ちしき 、医療 いりょう 行為 こうい および関連 かんれん 技術 ぎじゅつ を適用 てきよう し進歩 しんぽ させる際 さい には、人間 にんげん の脆弱 ぜいじゃく 性 せい を考慮 こうりょ に入 い れるべきである。 特別 とくべつ な脆弱 ぜいじゃく 性 せい を持 も つ個人 こじん やグループは保護 ほご され、そのような個人 こじん の個人 こじん 的 てき な完全 かんぜん 性 せい は尊重 そんちょう されるべきである。[49]
社会 しゃかい との連帯 れんたい [ 編集 へんしゅう ]
アングロサクソン共同 きょうどう 体 たい に見 み られる社会 しゃかい 正義 せいぎ に関連 かんれん する自主 じしゅ 性 せい および個人 こじん 的 てき 人権 じんけん のより個性 こせい 的 てき な基準 きじゅん は、共同 きょうどう 体 たい という概念 がいねん と衝突 しょうとつ し、それを補完 ほかん することもできます。そして利己 りこ 的 てき でない人 ひと は、すべての人 ひと に平等 びょうどう に医療 いりょう を提供 ていきょう したいと考 かんが えています[50] 。米国 べいこく では個人 こじん 主義 しゅぎ 的 てき で自己 じこ 関心 かんしん のあるヘルスケア規範 きはん が支持 しじ されていますが、ヨーロッパ諸国 しょこく を含 ふく む他 ほか の国々 くにぐに では、コミュニティへの敬意 けいい と個人 こじん 的 てき な支援 しえん が無料 むりょう ヘルスケアに関 かん してより大 おお きく支持 しじ されている[50] 。
医学 いがく における「あいまいさ」の受容 じゅよう [ 編集 へんしゅう ]
正常 せいじょう 性 せい の概念 がいねん 、すなわち病気 びょうき や異常 いじょう および痛 いた みの状態 じょうたい と対照 たいしょう 的 てき な人間 にんげん の生理学 せいりがく 的 てき 基準 きじゅん があるということは、健康 けんこう 管理 かんり の実践 じっせん に悪影響 あくえいきょう を及 およ ぼす仮定 かてい と偏見 へんけん につながりうる[51] 。平凡 へいぼん さというのはあいまいであり、医療 いりょう におけるあいまいさ、およびそのようなあいまいさの容認 ようにん は、より謙虚 けんきょ な医療 いりょう を実践 じっせん していくうえでも、また、複雑 ふくざつ で珍 めずら しい医療 いりょう 事例 じれい を理解 りかい するためにも必要 ひつよう であることを認識 にんしき することが重要 じゅうよう となる[51] 。したがって、与 あずか 益 えき 原則 げんそく と社会 しゃかい の中心 ちゅうしん 的 てき とされる概念 がいねん における見解 けんかい は疑問 ぎもん 視 し され再考 さいこう されなければならず、医療 いりょう 行為 こうい における中心 ちゅうしん 的 てき な役割 やくわり を果 は たすものとして、「あいまいさ」を採用 さいよう するものとする[51] 。
自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく と与 あずか 益 えき 原則 げんそく 、無 む 加害 かがい 原則 げんそく の間 あいだ で[ 編集 へんしゅう ]
医療 いりょう 専門 せんもん 家 か が患者 かんじゃ の最善 さいぜん の利益 りえき になると信 しん じる勧告 かんこく に患者 かんじゃ が同意 どうい しない場合 ばあい 、自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく は与 あずか 益 えき 原則 げんそく と対立 たいりつ する場面 ばめん が生 しょう じる可能 かのう 性 せい がある。患者 かんじゃ の利益 りえき が患者 かんじゃ の福祉 ふくし と矛盾 むじゅん する場合 ばあい 、さまざまな社会 しゃかい がさまざまな方法 ほうほう でその葛藤 かっとう を解決 かいけつ することになる。一般 いっぱん に、西洋 せいよう 医学 いがく は、医療 いりょう チームが自分 じぶん の最善 さいぜん の利益 りえき のために行動 こうどう していないと考 かんが える場合 ばあい でも、精神 せいしん 的 てき に有能 ゆうのう な患者 かんじゃ が自分 じぶん で判断 はんだん を下 くだ すことを希望 きぼう している。ただ、他 た の文化 ぶんか では与 あずか 益 えき を優先 ゆうせん しているような社会 しゃかい もある。
例 れい としては、例 たと えば宗教 しゅうきょう 的 てき または文化 ぶんか 的 てき 見解 けんかい のために患者 かんじゃ が治療 ちりょう を望 のぞ まない場合 ばあい が挙 あ げられる。安楽 あんらく 死 し の場合 ばあい 、患者 かんじゃ 、または患者 かんじゃ の親戚 しんせき は、患者 かんじゃ の人生 じんせい を終 お わらせたいと思 おも うかもしれない。 また、 病気 びょうき 不安 ふあん 症 しょう や美容 びよう 整形 せいけい 手術 しゅじゅつ の場合 ばあい のように、患者 かんじゃ は不 ふ 必要 ひつよう な治療 ちりょう を望 のぞ んでいるかもしれない。ここで、医療 いりょう 者 しゃ は、問題 もんだい における患者 かんじゃ の情報 じょうほう に基 もと づく自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく に対 たい する医学 いがく 的 てき に不 ふ 必要 ひつよう な潜在 せんざい 的 てき リスクに対 たい する患者 かんじゃ の欲求 よっきゅう のバランスをとることを要求 ようきゅう される場合 ばあい がある。患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい を満足 まんぞく させる事 こと を拒 こば むと医師 いし と患者 かんじゃ の関係 かんけい 性 せい (英語 えいご 版 ばん ) が損 そこ なわれるため、医師 いし は自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく を好 この むことが多 おお いと言 い える。
臓器 ぞうき 提供 ていきょう についてもしばしば興味深 きょうみぶか いシナリオを提供 ていきょう する[32] 。患者 かんじゃ をNHBDとして分類 ぶんるい することは、誰 だれ かが非 ひ 治療 ちりょう 的 てき 集中 しゅうちゅう 治療 ちりょう を受 う ける資格 しかく がある可能 かのう 性 せい があります。治療 ちりょう は、提供 ていきょう される臓器 ぞうき を保護 ほご するためにのみ行 おこな われ、ドナーの生命 せいめい を維持 いじ するためには行 おこな われない[32] 。 これは、ドナーに対 たい する敬意 けいい が自主 じしゅ 尊重 そんちょう として彼 かれ らの健康 けんこう な臓器 ぞうき を提供 ていきょう することを望 のぞ んでいるという見方 みかた もあれば、倫理 りんり 的 てき 問題 もんだい を引 ひ き起 お こす可能 かのう 性 せい もある[32] 。このプロセスを世界 せかい 的 てき な慣習 かんしゅう 的 てき な方法 ほうほう となることで、人 ひと が自然 しぜん に死 し ぬプロセスとそれがもたらす様々 さまざま なものを奪 うば うものだと懸念 けねん する人達 ひとたち もいる[32] 。
自主 じしゅ 性 せい と与 あずか 益 えき の間 あいだ の対立 たいりつ の解決 かいけつ の間 あいだ に、全 ぜん 情報 じょうほう を与 あた えられた上 うえ での自由 じゆう な意思 いし 決定 けってい のための個人 こじん の能力 のうりょく が問題 もんだい になる場合 ばあい もある。代替 だいたい 意思 いし 決定 けってい 者 しゃ の役割 やくわり は、自主権 じしゅけん の原則 げんそく の拡張 かくちょう と言 い える。
その一方 いっぽう で、自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく と与 あずか 益 えき 原則 げんそく 、無 む 加害 かがい 原則 げんそく がすべて重複 じゅうふく する可能 かのう 性 せい が存在 そんざい する。例 たと えば、患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい の侵害 しんがい は、集団 しゅうだん 内 ない の医療 いりょう サービスに対 たい する信頼 しんらい を低下 ていか させ、その結果 けっか 、援助 えんじょ を求 もと める意欲 いよく が低下 ていか する可能 かのう 性 せい があり、その結果 けっか として恩恵 おんけい を受 う けることができなくなる可能 かのう 性 せい である。
米国 べいこく の医師 いし の間 あいだ では、無 む 加害 かがい 原則 げんそく が安楽 あんらく 死 し の実践 じっせん を除外 じょがい するかどうかに関 かん して意見 いけん の相違 そうい が存在 そんざい している。安楽 あんらく 死 し は現在 げんざい 、ワシントンDC、カリフォルニア、コロラド、オレゴン、バーモント、ワシントンの各州 かくしゅう で合法 ごうほう である。世界中 せかいじゅう で、 死 し 幇助 ほうじょ (PAD)、またはの問題 もんだい に関 かん する法律 ほうりつ を変更 へんこう しようとするさまざまな組織 そしき が存在 そんざい する。そのような組織 そしき の例 れい は、アメリカのヘムロック協会 きょうかい とイギリスでの死 し の尊厳 そんげん キャンペーンである。これらのグループは、患者 かんじゃ が自分 じぶん 自身 じしん で決定 けってい するのに十分 じゅうぶん に意識 いしき 的 てき であり、代替 だいたい 医療 いりょう の可能 かのう 性 せい について知識 ちしき があり、喜 よろこ んで自分 じぶん の人生 じんせい を終 お わらせるよう求 もと めたり手段 しゅだん へのアクセスを要求 ようきゅう した場合 ばあい にのみ医師 いし に患者 かんじゃ の人生 じんせい を終 お わらせる権利 けんり を与 あた えようと活動 かつどう している。
この議論 ぎろん は世界 せかい の様々 さまざま な地域 ちいき でも議論 ぎろん されているものである。たとえば、ルイジアナ州 しゅう では、人 ひと の人生 じんせい を終 お わらせるための助言 じょげん や手段 しゅだん の提供 ていきょう は犯罪 はんざい 行為 こうい とみなされ、重罪 じゅうざい として起訴 きそ される可能 かのう 性 せい がある。州 しゅう の法廷 ほうてい においては、この犯罪 はんざい は故殺 こさつ に相当 そうとう する。ミシシッピ州 しゅう とネブラスカ州 しゅう にも同 おな じ法律 ほうりつ が適用 てきよう されている[52] 。
インフォームド・コンセント [ 編集 へんしゅう ]
倫理 りんり におけるインフォームド・コンセントは、ある人 ひと が自分 じぶん の治療 ちりょう の選択 せんたく の潜在 せんざい 的 てき な利益 りえき とリスクについて十分 じゅうぶん に情報 じょうほう を与 あた えられ、理解 りかい した上 うえ でなされるものでなければならないという考 かんが えを意味 いみ する。 「インフォームド・コンセント 」と相関 そうかん 関係 かんけい にあるのは、「インフォームド・リフューザル=拒否 きょひ (informed refusal)」の概念 がいねん である。 全体 ぜんたい 的 てき な情報 じょうほう を与 あた えられていない人 ひと は、自分 じぶん の価値 かち 観 かん や希望 きぼう を反映 はんえい した選択 せんたく を出来 でき ずに、誤 あやま って行 おこな う危険 きけん 性 せい がある。これは、同意 どうい を得 え るためのプロセス、または場所 ばしょ によって異 こと なる特定 とくてい の法的 ほうてき 要件 ようけん を明確 めいかく に意味 いみ するものではない。患者 かんじゃ は自分 じぶん で医学 いがく 的 てき 決定 けってい を下 くだ すことを選択 せんたく するか、または意思 いし 決定 けってい 権限 けんげん を家族 かぞく などに委任 いにん することができる。患者 かんじゃ が行為 こうい 能力 のうりょく 制限 せいげん 者 しゃ である場合 ばあい 、世界中 せかいじゅう の法律 ほうりつ はインフォームド・コンセントを得 え るためのさまざまなプロセスを指定 してい している。通常 つうじょう 、患者 かんじゃ またはその近親 きんしん 者 しゃ によって任命 にんめい された人 ひと に決定 けってい を下 くだ させることによって行 おこな われる。なお、医師 いし は当事 とうじ 者 しゃ の立場 たちば であり中立 ちゅうりつ 性 せい 違反 いはん になるので担当 たんとう 医師 いし に委任 いにん することは通常 つうじょう あってはならない。インフォームド・コンセントの価値 かち は、自主 じしゅ 尊重 そんちょう ・自己 じこ 決定 けってい 権 けん および、真実 しんじつ を語 かた る、ということの価値 かち と密接 みっせつ に関係 かんけい しているのである。
守秘 しゅひ 義務 ぎむ は一般 いっぱん 的 てき に医師 いし と患者 かんじゃ の間 あいだ における会話 かいわ などに適用 てきよう される。この概念 がいねん は一般 いっぱん に「患者 かんじゃ ・医師 いし 間 あいだ の秘匿 ひとく 特権 とっけん 」(Physician–patient privilege)として知 し られている。 これは、法廷 ほうてい での宣誓 せんせい の下 もと であっても、医師 いし が患者 かんじゃ との会話 かいわ 内容 ないよう を明 あき らかにしなくてもよいような法的 ほうてき 保護 ほご を受 う けられることを言 い う。
米国 べいこく では、 HIPAAとして知 し られる1996年 ねん の健康 けんこう 保険 ほけん の携帯 けいたい 性 せい および説明 せつめい 責任 せきにん に関 かん する法律 ほうりつ 、特 とく にプライバシー規則 きそく 、およびHIPAAよりも厳密 げんみつ なさまざまな州法 しゅうほう によって、機密 きみつ 保持 ほじ が義務付 ぎむづ けられている。 しかし、長年 ながねん にわたり、規則 きそく に対 たい する多数 たすう の例外 れいがい が設 もう けられている。 例 たと えば、多 おお くの州 しゅう では、医師 いし が銃 じゅう による傷 きず を警察 けいさつ に報告 ほうこく し、障害 しょうがい のある運転 うんてん 手 しゅ を自動車 じどうしゃ 部門 ぶもん に報告 ほうこく することを要求 ようきゅう している。配偶 はいぐう 者 しゃ に診断 しんだん を明 あき らかにすることを拒否 きょひ する患者 かんじゃ における性 せい 感染 かんせん 症 しょう の診断 しんだん 、および両親 りょうしん の知 し らないうちに行 おこな われる未成年 みせいねん の妊娠 にんしん 堕胎 だたい などが知 し られている。米国 べいこく の多 おお くの州 しゅう では、未成年 みせいねん の中絶 ちゅうぜつ における親 おや の通知 つうち について規定 きてい する法律 ほうりつ が存在 そんざい している[53] [54] 。
伝統 でんとう 的 てき に、医療 いりょう 倫理 りんり は守秘 しゅひ 義務 ぎむ を比較的 ひかくてき 交渉 こうしょう 不可能 ふかのう な医療 いりょう 行為 こうい の原則 げんそく と見 み なしてきた。 ごく最近 さいきん では、Jacob Appelのような批評 ひひょう 家 か たちは、さらに多 おお くの柔軟 じゅうなん 性 せい を認 みと めるよう、この義務 ぎむ へのより微妙 びみょう なアプローチを主張 しゅちょう している[17] 。 これは、守秘 しゅひ 義務 ぎむ が「プライマリケア倫理 りんり 」における重要 じゅうよう な問題 もんだい であり、そこでは医師 いし は同 おな じ家族 かぞく や地域 ちいき 社会 しゃかい からの多 おお くの患者 かんじゃ をケアしており、しばしば第三者 だいさんしゃ がプライマリヘルスケアで集 あつ められる医療 いりょう データベースからの情報 じょうほう が必要 ひつよう となるからである。
オンライン上 じょう の医療 いりょう 行為 こうい とプライバシー [ 編集 へんしゅう ]
医療 いりょう 研究 けんきゅう 者 しゃ は、ディスカッション掲示板 けいじばん や掲示板 けいじばん などのオンライン環境 かんきょう で研究 けんきゅう 活動 かつどう をしているため、ガイドラインが存在 そんざい するものの、インフォームド・コンセントおよびプライバシーの要件 ようけん が適用 てきよう されないことが懸念 けねん されている[55] 。
また、医療 いりょう 機関 きかん のWebサイトには、オンライン訪問 ほうもん 者 しゃ の個人 こじん 医療 いりょう 記録 きろく が製薬 せいやく 会社 かいしゃ 、職業 しょくぎょう 記録 きろく 、保険 ほけん 会社 かいしゃ の手 て に渡 わた って販売 はんばい され、収益 しゅうえき 化 か されるのを防 ふせ ぐための責任 せきにん が負 お わされるべきである。
インターネットヘルスケアプラットフォームの拡大 かくだい に伴 ともな い、オンライン開業医 かいぎょうい の正当 せいとう 性 せい とプライバシーの説明 せつめい 責任 せきにん は、電子 でんし パパラッチ、オンライン情報 じょうほう ブローカー、産業 さんぎょう スパイ、利益 りえき のために伝統 でんとう 的 てき な医療 いりょう 規範 きはん 外 がい で働 はたら く無 む 許可 きょか の情報 じょうほう プロバイダーなどの特有 とくゆう の課題 かだい に直面 ちょくめん しています。 American Medical Association(AMA)は、医療 いりょう Webサイトはオンライン訪問 ほうもん 者 しゃ のヘルスケアプライバシーを確保 かくほ し、保険 ほけん 会社 かいしゃ 、雇用 こよう 主 ぬし 、およびマーケティング担当 たんとう 者 しゃ の手 て に渡 わた って販売 はんばい され収益 しゅうえき 化 か されることから患者 かんじゃ 記録 きろく を保護 ほご する責任 せきにん があると述 の べている[40]。これらのオンライン診断 しんだん ウェブサイトを作成 さくせい するためのヘルスケア、ビジネス慣行 かんこう 、コンピュータサイエンスおよび電子 でんし 商取引 しょうとりひき の急速 きゅうそく な統一 とういつ に伴 ともな い、ヘルスケアシステムの倫理 りんり 的 てき 機密 きみつ 性 せい 基準 きじゅん を維持 いじ するための努力 どりょく も同様 どうよう にし続 つづ ける必要 ひつよう がある。 今後 こんご 数 すう 年間 ねんかん にわたり、保健 ほけん 社会 しゃかい 福祉 ふくし 省 しょう は、健康 けんこう 保険 ほけん の携帯 けいたい 性 せい と説明 せつめい 責任 せきにん に関 かん する法律 ほうりつ (HIPAA)の下 もと で、オンラインでのプライバシーと患者 かんじゃ の電子 でんし カルテ(EMR)のデジタル転送 てんそう を合法 ごうほう 的 てき に保護 ほご することに取 と り組 く んでいると述 の べています。 [41]
病院 びょういん 内 ない において、適切 てきせつ な倫理 りんり 的 てき 価値 かち 観 かん が適用 てきよう されることを確実 かくじつ にするために、効果 こうか 的 てき な「病院 びょういん 認定 にんてい 」が必要 ひつよう とされ、例 たと えば医師 いし の全体 ぜんたい 性 せい ・インテグリティ (integrity)評価 ひょうか 、 利益 りえき 相反 あいはん 行為 こうい の防止 ぼうし 策 さく 、研究 けんきゅう 倫理 りんり および臓器 ぞうき 移植 いしょく 倫理 りんり に関 かん して倫理 りんり 的 てき な考慮 こうりょ がなされているかを確認 かくにん すべきである。
「ヘルシンキ宣言 せんげん 」以来 いらい 、様々 さまざま な指針 ししん が求 もと められてきた歴史 れきし があり、多 おお くの文書 ぶんしょ が存在 そんざい する。医学 いがく 倫理 りんり を含 ふく む研究 けんきゅう のための最初 さいしょ の行動 こうどう 規範 きはん は「ニュルンベルク綱領 こうりょう (行動 こうどう 規範 きはん ) 」となる。それが1947年 ねん に導入 どうにゅう されたように、この文書 ぶんしょ はナチス戦争 せんそう 犯罪 はんざい と大 おお きな関連 かんれん 性 せい があるものである。そのため慣習 かんしゅう 的 てき な医療 いりょう 行為 こうい を大 おお きく規制 きせい するものであるとは言 い えなかった。このため、新 あら たな指針 ししん となるものが求 もと められることになったのである。そこで登場 とうじょう した「ヘルシンキ宣言 せんげん 」はそれが書 か かれている方法 ほうほう を含 ふく めて、ニュルンベルク綱領 こうりょう といくつかの大 おお きな違 ちが いがあった。ニュルンベルク綱領 こうりょう は簡単 かんたん な説明 せつめい を付 つ けて、非常 ひじょう に簡潔 かんけつ に書 か かれおり、ヘルシンキ宣言 せんげん は、徹底的 てっていてき な説明 せつめい を念頭 ねんとう に置 お いて書 か かれたもので、多 おお くの具体 ぐたい 的 てき な解説 かいせつ が含 ふく まれている[56] 。
(訳注 やくちゅう :日本 にっぽん においては、なぜか「リスボン宣言 せんげん 」が「患者 かんじゃ の権利 けんり 宣言 せんげん 」として比較的 ひかくてき 知 し られている。英語 えいご 圏 けん ではなぜかいつも言及 げんきゅう が少 すく ない)
英国 えいこく では、 General Medical Councilが、「Good Medical Practice」ステートメントの形 かたち で、明確 めいかく で現代 げんだい 的 てき なガイダンスを提供 ていきょう している[57] 。世界 せかい 医療 いりょう 保護 ほご 協会 きょうかい や多 おお くの大学 だいがく 部門 ぶもん などの組織 そしき は、倫理 りんり に関 かん する問題 もんだい について相談 そうだん を受 う けつけている。
倫理 りんり 委員 いいん 会 かい [ 編集 へんしゅう ]
多 おお くの場合 ばあい 、単純 たんじゅん なコミュニケーションでは紛争 ふんそう を解決 かいけつ するのに十分 じゅうぶん ではなく、複雑 ふくざつ な問題 もんだい を決定 けってい するために病院 びょういん において倫理 りんり 委員 いいん 会 かい の招集 しょうしゅう が求 もと められる。
主 おも に医療 いりょう 専門 せんもん 家 か で構成 こうせい されるものの、法律 ほうりつ 家 か を含 ふく むことが多 おお い。更 さら に哲学 てつがく 者 しゃ 、一般人 いっぱんじん 、聖職 せいしょく 者 しゃ を含 ふく むこともある - 実際 じっさい 、世界 せかい の多 おお くの地域 ちいき で、バランスをとるためにそれらの存在 そんざい は必須 ひっす と考 かんが えられている。
米国 べいこく 、ヨーロッパおよびオーストラリアにおけるそのような機関 きかん の想定 そうてい される構成 こうせい に関 かん して、以下 いか が適用 てきよう される[58] 。
米国 べいこく の勧告 かんこく には、研究 けんきゅう 倫理 りんり 委員 いいん 会 かい (REB)には、少 すく なくとも1人 ひとり の科学 かがく 者 しゃ 、1人 ひとり の非 ひ 科学 かがく 者 しゃ 、およびその機関 きかん に所属 しょぞく していない1人 ひとり の人 ひと を含 ふく む5人 にん 以上 いじょう のメンバーが含 ふく まれるべきであると示唆 しさ しています。 REBには、法律 ほうりつ と実務 じつむ 基準 きじゅん 、および専門 せんもん 家 か としての行動 こうどう に精通 せいつう した人々 ひとびと を含 ふく める必要 ひつよう がある。 検討 けんとう 中 ちゅう の議定 ぎてい 書 しょ で要求 ようきゅう されている場合 ばあい は、特別 とくべつ な会員 かいいん 資格 しかく が障害 しょうがい 者 しゃ または身体 しんたい 障害 しょうがい 者 しゃ の懸念 けねん について提唱 ていしょう されることになる。
欧州 おうしゅう 臨床 りんしょう 臨床 りんしょう 実践 じっせん フォーラム(EFGCP)は、REBには生物 せいぶつ 医学 いがく 研究 けんきゅう の経験 けいけん を共有 きょうゆう し、研究 けんきゅう が行 おこな われている機関 きかん から独立 どくりつ している2名 めい の開業医 かいぎょうい を含 ふく めることを推奨 すいしょう している。1人 ひとり の素人 しろうと 。弁護士 べんごし 1人 にん そして1人 ひとり の救急 きゅうきゅう 医療 いりょう 専門 せんもん 家 か 、例 たと えば看護 かんご 師 し または薬剤師 やくざいし 。 彼 かれ らは、定員 ていいん 会 かい に幅広 はばひろ い年齢 ねんれい 層 そう の男女 だんじょ を含 ふく め、地域 ちいき 社会 しゃかい の文化 ぶんか 的 てき 構成 こうせい を反映 はんえい させることを勧 すす めている。
1996年 ねん のオーストラリア保健 ほけん 倫理 りんり 委員 いいん 会 かい の勧告 かんこく は、「一般 いっぱん に制度 せいど 的 てき 倫理 りんり 委員 いいん 会 かい のメンバーシップ」と題 だい された。 彼 かれ らは、委員 いいん 長 ちょう は、就職 しゅうしょく していないか、そうでなければ教育 きょういく 機関 きかん とつながっている人 ひと であることが望 のぞ ましいと示唆 しさ している。 メンバーには、専門 せんもん 家 か による医療 いりょう 、カウンセリング、または人間 にんげん の治療 ちりょう に関 かん する知識 ちしき と経験 けいけん を持 も つ人 ひと を含 ふく める必要 ひつよう があります。宗教 しゅうきょう 大臣 だいじん または同等 どうとう の大臣 だいじん 先住民 せんじゅうみん の長老 ちょうろう 、素人 しろうと 、弁護士 べんごし 、病院 びょういん ベースの倫理 りんり 委員 いいん 会 かい の場合 ばあい は看護 かんご 師 し 。
哲学 てつがく 者 しゃ や宗教 しゅうきょう 的 てき な聖職 せいしょく 者 しゃ の任命 にんめい は、社会 しゃかい が関係 かんけい する基本 きほん 的 てき な価値 かち 観 かん に付 つ け加 くわ えた重要 じゅうよう 性 せい を反映 はんえい するためである。
文化 ぶんか 的 てき な配慮 はいりょ [ 編集 へんしゅう ]
文化 ぶんか の違 ちが いは難 むずか しい医療 いりょう 倫理 りんり 問題 もんだい を引 ひ き起 お こす可能 かのう 性 せい がある。たとえば、病気 びょうき の起源 きげん や原因 げんいん についての精神 せいしん 的 てき または魔法 まほう 的 てき な理論 りろん を持 も つ文化 ぶんか もあり、これらの信念 しんねん を西洋 せいよう 医学 いがく の教義 きょうぎ と調和 ちょうわ させることは非常 ひじょう に困難 こんなん なものとなっている。異 こと なる文化 ぶんか が混 ま ざり合 あ い、より多 おお くの文化 ぶんか が互 たが いに共存 きょうぞん するにつれて、出生 しゅっしょう 、死 し 、苦 くる しみなどの重要 じゅうよう なライフイベントに対処 たいしょ する傾向 けいこう があるヘルスケアシステムは、時 とき には文化 ぶんか 的 てき 衝突 しょうとつ や対立 たいりつ を招 まね きかねない困難 こんなん なジレンマに直面 ちょくめん することになる。文化 ぶんか 的 てき に敏感 びんかん な方法 ほうほう で対応 たいおう する努力 どりょく は、文化 ぶんか 的 てき 寛容 かんよう の限界 げんかい を区別 くべつ する必要 ひつよう 性 せい との兼 か ね合 あ いである[15] 。
さまざまな文化 ぶんか 的 てき 宗教 しゅうきょう 的 てき 背景 はいけい を持 も つ人々 ひとびと が米国 べいこく などの他 ほか の国々 くにぐに に移動 いどう するにつれて、すべての人々 ひとびと に最良 さいりょう のヘルスケアを提供 ていきょう するために、すべてのコミュニティに対 たい して文化 ぶんか 的 てき に敏感 びんかん になることがますます重要 じゅうよう になっている[16] 。文化 ぶんか 的 てき 知識 ちしき の欠如 けつじょ は誤解 ごかい や不十分 ふじゅうぶん な注意 ちゅうい さえももたらし、それは倫理 りんり 的 てき 問題 もんだい を引 ひ き起 お こす場合 ばあい がある。一般 いっぱん 的 てき な患者 かんじゃ の苦情 くじょう は、聞 き こえていないか、おそらく理解 りかい されていないような気持 きも ちを受 う ける[16] 。矛盾 むじゅん の拡大 かくだい を防 ふせ ぐには、通訳 つうやく を求 もと め、自分 じぶん 自身 じしん と患者 かんじゃ の両方 りょうほう の身体 しんたい 言語 げんご と調子 ちょうし に気 き をつけ、許容 きょよう 可能 かのう な選択肢 せんたくし に達 たっ するために患者 かんじゃ の視点 してん を理解 りかい しようと試 こころ みることによって達成 たっせい できる[16] 。
中 なか には、将来 しょうらい 的 てき にはほとんどの医師 いし がバイリンガルであること、またはバイリンガルであることから大 おお いに恩恵 おんけい を受 う けるようなシステムが必要 ひつよう であると考 かんが える人 ひと もいる。言語 げんご を知 し ることに加 くわ えて、真 しん に文化 ぶんか を理解 りかい することは最適 さいてき なケアを行 おこな う上 うえ で最善 さいぜん だからである[59] 。最近 さいきん 、「ナラティブ医療 いりょう 」と呼 よ ばれる診療 しんりょう が、患者 かんじゃ と医師 いし のコミュニケーションを改善 かいぜん し、患者 かんじゃ の視点 してん を理解 りかい する可能 かのう 性 せい を秘 ひ めているため、ある程度 ていど の関心 かんしん を集 あつ めている。 患者 かんじゃ データを標準 ひょうじゅん 化 か して収集 しゅうしゅう するのではなく、患者 かんじゃ の話 はなし や日々 ひび の活動 かつどう を解釈 かいしゃく することで、各 かく 患者 かんじゃ が自分 じぶん の病気 びょうき に関 かん して何 なに を必要 ひつよう としているのかをより適切 てきせつ に把握 はあく することができる。この背景 はいけい 知識 ちしき がないと、多 おお くの医師 いし は、文化 ぶんか 的 てき な違 ちが いを正 ただ しく理解 りかい できず、2人 ふたり の異 こと なる患者 かんじゃ を区別 くべつ することが出来 でき ずに文化 ぶんか 的 てき に鈍感 どんかん または不適切 ふてきせつ な治療 ちりょう 法 ほう を診断 しんだん または推奨 すいしょう することになってしまうのである。一言 ひとこと で言 い えば、患者 かんじゃ ナラティブは、そうでなければ見過 みす ごされるかもしれない患者 かんじゃ 情報 じょうほう や好 この みを明 あき らかにする、ということを意味 いみ する。
利益 りえき 相反 あいはん 行為 こうい [ 編集 へんしゅう ]
医師 いし は、利益 りえき 相反 あいはん の立場 たちば が医学 いがく 的 てき 判断 はんだん に影響 えいきょう を及 およ ぼすことを決 けっ して許 ゆる してはならない。場合 ばあい によっては、双方 そうほう の利益 りえき が相反 あいはん する矛盾 むじゅん を回避 かいひ するのが難 むずか しい場合 ばあい があり、医師 いし にはそのような状況 じょうきょう にならないようにする責任 せきにん を負 お う。研究 けんきゅう では、利益 りえき 相反 あいはん の不正 ふせい 行為 こうい が学術 がくじゅつ 界 かい の医師 いし 達 たち [60] と臨床 りんしょう の医師 いし 達 たち の間 あいだ で非常 ひじょう に一般 いっぱん 的 てき であることを示 しめ している[61] 。
医療 いりょう 検査 けんさ のために患者 かんじゃ を紹介 しょうかい することから収入 しゅうにゅう を得 え ている医師 いし は、医療 いりょう 検査 けんさ のためにより多 おお くの患者 かんじゃ を紹介 しょうかい しがちであることが示 しめ されている[62] 。この慣習 かんしゅう は、 アメリカ医科 いか 大学 だいがく 倫理 りんり マニュアルによって禁 きん じられている行為 こうい である[63] 。
製薬 せいやく 会社 かいしゃ との関係 かんけい [ 編集 へんしゅう ]
研究 けんきゅう によると、医師 いし は贈答 ぞうとう 品 ひん や食 た べ物 もの を含 ふく む製薬 せいやく 会社 かいしゃ 等 とう (ベンダー )からの利益 りえき 供与 きょうよ の影響 えいきょう を受 う ける可能 かのう 性 せい がある[19] 。業界 ぎょうかい 主催 しゅさい の継続 けいぞく 医学 いがく 教育 きょういく (CME)プログラムは処方 しょほう パターンに影響 えいきょう を与 あた えている[64] 。ある研究 けんきゅう では、調査 ちょうさ によって、製薬 せいやく 会社 かいしゃ からの医師 いし の贈 おく り物 もの が処方 しょほう 慣習 かんしゅう に影響 えいきょう を与 あた えていることを明 あき らかにしている[65] 。スタンフォード大学 だいがく が製薬 せいやく 会社 かいしゃ 主催 しゅさい の昼食 ちゅうしょく や贈 おく り物 もの を禁止 きんし していることからも明 あき らかなように、製薬 せいやく 業界 ぎょうかい のマーケティングが医療 いりょう 行為 こうい に与 あた える影響 えいきょう を減 へ らすべく、米国 べいこく の医師 いし 達 たち の間 あいだ で大 おお きな動 うご きが起 お きている。製薬 せいやく 業界 ぎょうかい 主催 しゅさい の贈 おく り物 もの や食品 しょくひん を禁止 きんし している他 ほか の学術 がくじゅつ 機関 きかん には、ジョンズホプキンス医科 いか 大学 だいがく 、ミシガン大学 だいがく 、ペンシルバニア大学 だいがく 、およびエール大学 だいがく などが含 ふく まれている[66] [67] 。
アメリカ医師 いし 会 かい (AMA)は、「医師 いし は一般 いっぱん 的 てき に自分 じぶん 自身 じしん やその家族 かぞく の一員 いちいん を治療 ちりょう するべきではない」としている[68] 。医師 いし が愛 あい する人 ひと を治療 ちりょう しているときに専門 せんもん 的 てき な客観 きゃっかん 性 せい が損 そこ なわれる可能 かのう 性 せい があるため、この規範 きはん は患者 かんじゃ と医師 いし を保護 ほご するものである。複数 ふくすう の保健 ほけん 機関 きかん からの研究 けんきゅう では、医師 いし と家族 かぞく の関係 かんけい が診断 しんだん 検査 けんさ と費用 ひよう の増加 ぞうか を引 ひ き起 お こしかねないことを例証 れいしょう した[69] 。多 おお くの医者 いしゃ はまだ彼 かれ らの家族 かぞく を扱 あつか います。そうする医師 いし は、利益 りえき 相反 あいはん を生 しょう じさせたり不適切 ふてきせつ に扱 あつか ったりしないように注意深 ちゅういぶか く行動 こうどう しなければならない[70] [71] 。確立 かくりつ された医学 いがく 倫理 りんり 原則 げんそく は家族 かぞく が深刻 しんこく な病気 びょうき に直面 ちょくめん しているとき道徳 どうとく 的 てき に必須 ひっす ではないかもしれないので、家族 かぞく を治療 ちりょう する医師 いし は親戚 しんせき を治療 ちりょう するとき相反 あいはん する期待 きたい とジレンマを意識 いしき する必要 ひつよう があるのである[69] 。
患者 かんじゃ との性的 せいてき 関係 かんけい は、医師 いし の受託 じゅたく 者 しゃ 責任 せきにん に違反 いはん しうるため、医師 いし と患者 かんじゃ の間 あいだ の性的 せいてき 関係 かんけい は倫理 りんり 的 てき 衝突 しょうとつ を引 ひ き起 お こす。現代 げんだい 医学 いがく における多 おお くの規律 きりつ 懲戒 ちょうかい の一環 いっかん として、医師 いし -患者 かんじゃ 間 あいだ の性的 せいてき 不正 ふせい 行為 こうい の発生 はっせい を調査 ちょうさ した研究 けんきゅう が存在 そんざい する。それらによると、特定 とくてい の分野 ぶんや で多 おお くの性的 せいてき な不正 ふせい 行為 こうい が発生 はっせい していることを示 しめ した。例 たと えば、精神 せいしん 科 か 医 い と産科 さんか 婦人 ふじん 科 か 医 い は、性的 せいてき 不正 ふせい 行為 こうい の割合 わりあい が高 たか いことで注目 ちゅうもく されている2つの分野 ぶんや である[72] 。医師 いし と患者 かんじゃ の間 あいだ の倫理 りんり 的 てき 行為 こうい の違反 いはん は、医師 いし と患者 かんじゃ の年齢 ねんれい と性別 せいべつ とも関連 かんれん している。40〜49歳 さい および50〜59歳 さい の男性 だんせい 医師 いし は性的 せいてき 不祥事 ふしょうじ の報告 ほうこく が多 おお いとされている2つのグループであり、一方 いっぽう 、20〜39歳 さい の女性 じょせい は性的 せいてき 被害 ひがい の報告 ほうこく された犠牲 ぎせい 者 しゃ のかなりの部分 ぶぶん を占 し めている[73] 。
患者 かんじゃ と性的 せいてき 関係 かんけい を結 むす ぶ医師 いし は、 医療 いりょう 免許 めんきょ を失 うしな い、訴追 そつい を受 う けることになる。1990年代 ねんだい 初頭 しょとう には、医師 いし の2〜9%がこの規則 きそく に違反 いはん したと推定 すいてい されている[74] 。医師 いし と患者 かんじゃ の家族 かぞく との間 あいだ の性的 せいてき 関係 かんけい も、一部 いちぶ の法域 ほういき では法律 ほうりつ で禁止 きんし されている[75] 。
医療 いりょう 倫理 りんり の指針 ししん (AMA Code of Medical Ethics)には、「患者 かんじゃ ・医師 いし 関係 かんけい と同 どう 時期 じき に起 お こる性的 せいてき 接触 せっしょく は、不正 ふせい 行為 こうい (違法 いほう 行為 こうい )に相当 そうとう し、医師 いし と患者 かんじゃ 間 あいだ の性的 せいてき または恋愛 れんあい 的 てき な交流 こうりゅう は、医師 いし と患者 かんじゃ のあるべき関係 かんけい を損 そこ ない、患者 かんじゃ の弱 よわ い立場 たちば が悪用 あくよう される可能 かのう 性 せい があり、 医師 いし の客観 きゃっかん 的 てき な判断 はんだん を鈍 なま らせる可能 かのう 性 せい がある。そのため、最終 さいしゅう 的 てき に患者 かんじゃ にとって有害 ゆうがい になり得 え る」としている[76] 。特 とく に、精神 せいしん 科 か 医 い と患者 かんじゃ が私的 してき 関係 かんけい を持 も つことは、タブー(禁忌 きんき )とされてきた。それは精神 せいしん 科 か では心理 しんり 学 がく 用語 ようご でいう「転移 てんい 」を利用 りよう して患者 かんじゃ の治療 ちりょう を行 おこな い、そのような立場 たちば を利用 りよう して患者 かんじゃ に付 つ け入 い る行為 こうい と見 み なされるのである。精神 せいしん 科 か 医 い と患者 かんじゃ が私的 してき 関係 かんけい を持 も つことは、治療 ちりょう 者 しゃ の中立 ちゅうりつ 性 せい にも反 はん することされる。
精神 せいしん 科 か 医 い 熊木 くまき 徹夫 てつお はその著書 ちょしょ の序文 じょぶん で「私 わたし が精神 せいしん 科 か 医 い になってから18年 ねん が経 た ちましたが、これまでに誰 だれ からも改 あらた めて『精神 せいしん 科 か 医 い が患者 かんじゃ さんを愛 あい してはいけない』と戒 いまし められたことはありません。が、これは人類 じんるい がどの文化 ぶんか においてもインセスト(近親 きんしん 相姦 そうかん )タブーを堅持 けんじ してきたのと同様 どうよう 、精神 せいしん 科 か 医 い の職業 しょくぎょう モラルとして最 さい 重要 じゅうよう なものの一 ひと つであり、かつ不文 ふぶん 律 りつ です。この前提 ぜんてい が崩 くず されたとき、精神 せいしん 医療 いりょう の正義 せいぎ は破綻 はたん します」としている[77] 。
また、看護 かんご 師 し - 患者 かんじゃ 間 あいだ も同様 どうよう で、患者 かんじゃ と看護 かんご 師 し における関係 かんけい 性 せい で不公平 ふこうへい な力 ちから 関係 かんけい が生 しょう じ、患者 かんじゃ は看護 かんご 師 し に対 たい し脆弱 ぜいじゃく で言 い いなりにされるがままの弱 よわ い立場 たちば に置 お かれる。看護 かんご 師 し がその職業 しょくぎょう 的 てき 立場 たちば を自覚 じかく せずに軽視 けいし すると、患者 かんじゃ は潜在 せんざい 的 てき 虐待 ぎゃくたい と搾取 さくしゅ の対象 たいしょう となる。その不 ふ 均衡 きんこう は、患者 かんじゃ は看護 かんご 師 し が提供 ていきょう するサービスに依存 いぞん し、看護 かんご 師 し の専門 せんもん 知識 ちしき と医療 いりょう 機関 きかん における権限 けんげん と、患者 かんじゃ 個人 こじん の秘匿 ひとく 情報 じょうほう に触 ふ れる立場 たちば 、そして患者 かんじゃ の決断 けつだん を左右 さゆう させうる立場 たちば などから来 く る。また、看護 かんご という仕事 しごと の特性 とくせい 上 じょう 、患者 かんじゃ に対 たい して密 みつ の肉体 にくたい 的 てき 、精神 せいしん 的 てき 、感情 かんじょう 的 てき な親密 しんみつ さという雰囲気 ふんいき を醸成 じょうせい するが、これは同時 どうじ に患者 かんじゃ の脆弱 ぜいじゃく 性 せい を増長 ぞうちょう させてしまう。この潜在 せんざい 的 てき な権力 けんりょく の乱用 らんよう につながる力 ちから 関係 かんけい の不 ふ 均衡 きんこう と職業 しょくぎょう 的 てき 立場 たちば を認識 にんしき し、患者 かんじゃ を萎縮 いしゅく させてしまうように感 かん じさせたり、依存 いぞん させるようなこと、または弱 よわ い立場 たちば に付 つ け入 い るようなことにならないように注意 ちゅうい するのは看護 かんご 師 し の責任 せきにん である[78] 、と規定 きてい 。医療 いりょう を受 う ける患者 かんじゃ の弱 よわ みに付 つ け入 い ったり、看護 かんご 師 し の立場 たちば 上 じょう 得 え られる力 ちから を乱用 らんよう しない、というのが患者 かんじゃ ・看護 かんご 師 し の間 あいだ における信頼 しんらい 関係 かんけい の基本 きほん であり、看護 かんご 師 し と患者 かんじゃ (家族 かぞく 含 ふく む)の間 あいだ に、個人 こじん 的 てき 感情 かんじょう や、プライベートの関係 かんけい 、恋愛 れんあい 、性的 せいてき 関係 かんけい を持 も ち込 こ む事 こと は、職業 しょくぎょう 的 てき 境界 きょうかい 線 せん の侵害 しんがい 。看護 かんご 師 し -患者 かんじゃ の職業 しょくぎょう 的 てき 境界 きょうかい 線 せん を侵害 しんがい する行為 こうい は、信頼 しんらい 関係 かんけい を毀損 きそん し治療 ちりょう を妨害 ぼうがい し重大 じゅうだい な倫理 りんり 規範 きはん の違反 いはん となり、罰則 ばっそく 、免許 めんきょ 剥奪 はくだつ もある違法 いほう な犯罪 はんざい 行為 こうい にもなりうる行為 こうい と指摘 してき している[78] 。
^ a b c
「オートノミー (Autonomy)」の訳語 やくご として一部 いちぶ 日本 にっぽん の医療 いりょう 関係 かんけい 者 しゃ においては、「自律 じりつ 性 せい 尊重 そんちょう 原則 げんそく 」や「自律 じりつ 原則 げんそく 」などといった表記 ひょうき もなされる場合 ばあい もある。しかしながら、文中 ぶんちゅう の中 なか ほどの定義 ていぎ でも触 ふ れられているように「自律 じりつ 」はこの文脈 ぶんみゃく では誤 あやま りであり、「自主 じしゅ 」または「自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」の意味 いみ である。オートノミー は「"autos" (self=自 みずか ら) and "nomos (rule=治 ち む・統治 とうち ・支配 しはい )」を元 もと にしており、単語 たんご の定義 ていぎ は「Autonomy is the capacity of a rational individual to make an informed, un-coerced decision; or, in politics, self-government」つまり、「合理 ごうり 的 てき な個人 こじん として、よく情報 じょうほう を与 あた えられた上 うえ でなおかつ他 た から影響 えいきょう されない自由 じゆう な意思 いし 決定 けってい をすることが可能 かのう なキャパシティー(能力 のうりょく を与 あた えられている状態 じょうたい =権利 けんり )。政治 せいじ においては自治 じち 」となる。
オートノミー の由来 ゆらい は、古代 こだい ギリシア語 ご : α あるふぁ ὐτονομία, autonomia , from α あるふぁ ὐτόνομος, autonomos , from α あるふぁ ὐτ たう ο おみくろん - auto- "self" and νόμος nomos , "law", hence when combined understood to mean "one who gives oneself one's own law"、つまり直訳 ちょくやく すると「自分 じぶん で自分 じぶん に自身 じしん の法 ほう を与 あた える者 もの 」となる。
同様 どうよう に、台湾 たいわん などの他 ほか の漢字 かんじ 圏 けん でも「自主 じしゅ 」をあてはめ「尊重 そんちょう 自主 じしゅ 原則 げんそく 」と訳 やく し、「醫學 いがく 倫理 りんり 學 がく - 病 やまい 患自主 ぬし (患者 かんじゃ の自主 じしゅ )」、「生命 せいめい 倫理 りんり 學 がく 之 の 四 よん 原則 げんそく 、1.尊重 そんちょう 自主 じしゅ 原則 げんそく 」、「自主 じしゅ 神 しん 经系统」、「病人 びょうにん 自主 じしゅ 權利 けんり 法 ほう (患者 かんじゃ の自主 じしゅ 権利 けんり 法 ほう )」といった用 もち いられ方 かた をしている。
ここでは、中立 ちゅうりつ 性 せい 、客観 きゃっかん 性 せい 、翻訳 ほんやく 上 じょう の観点 かんてん から、より正確 せいかく な「自主 じしゅ 」の訳語 やくご を採用 さいよう している。
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^ a b beneficenceは、日本 にっぽん では「善行 ぜんこう 原則 げんそく 」や「利益 りえき 第 だい 一 いち 原則 げんそく 」などの表記 ひょうき も多 おお くみられる。
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