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古田ふるたあし

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古田ふるた あし
(ふるた たるひ)
誕生たんじょう (1927-11-29) 1927ねん11月29にち
日本の旗 日本にっぽん愛媛えひめけん川之江かわのえまち
死没しぼつ (2014-06-08) 2014ねん6月8にち(86さいぼつ
職業しょくぎょう 評論ひょうろん作家さっか
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 早稲田大学わせだだいがくだいいち文学部ぶんがくぶ文科ぶんか中退ちゅうたい
活動かつどう期間きかん 1953ねん - 2014ねん
ジャンル 児童じどう文学ぶんがく
文学ぶんがく活動かつどう 現代げんだい児童じどう文学ぶんがく
代表だいひょうさく現代げんだい児童じどう文学ぶんがくろん』(1959ねん
『ぬすまれたまち』(1961ねん
宿題しゅくだいひきうけ株式会社かぶしきがいしゃ』(1966ねん
おおきい1年生ねんせいちいさな2年生ねんせい』(1970ねん
おしいれのぼうけん』(1974ねん
おも受賞じゅしょうれき 日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかいしょう1967ねん
デビューさく現代げんだい児童じどう文学ぶんがくろん』(1959ねん
ウィキポータル 文学ぶんがく
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古田ふるた あし(ふるた たるひ、男性だんせい1927ねん昭和しょうわ2ねん11月29にち - 2014ねん平成へいせい26ねん6月8にち)は、日本にっぽん評論ひょうろん児童じどう文学ぶんがく作家さっか本名ほんみょうおなじ。

ちち国文学こくぶんがくしゃ古田ふるた東京大学とうきょうだいがく教授きょうじゅつとめた国文学こくぶんがくしゃ古田ふるたひがしついたちあに早稲田大学わせだだいがくだいいち文学部ぶんがくぶ文科ぶんか在学ざいがくちゅう早大そうだい童話どうわかいにて鳥越とりこししんらと『少年しょうねん文学ぶんがく宣言せんげん』を草案そうあん発表はっぴょう。その中退ちゅうたい[1]児童じどう文学ぶんがく評論ひょうろん創作そうさくなど多様たよう活動かつどうつづけた[2][3]

1960ねん昭和しょうわ35ねん)『現代げんだい児童じどう文学ぶんがくろんだい9かい日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかい新人しんじんしょう[1]1967ねん昭和しょうわ42ねん)『宿題しゅくだいひきうけ株式会社かぶしきがいしゃだい7かい日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかいしょう[4]

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

幼少ようしょう[編集へんしゅう]

愛媛えひめけん川之江かわのえまちげん:四国しこく中央ちゅうおう)にて、1927ねん昭和しょうわ2ねんはちにん兄弟きょうだい三男さんなんとしてまれる[5]兄弟きょうだいだいあねである以外いがい全員ぜんいんおとこあし命名めいめいちちで、「出雲いずも国造くにのみやつこしん賀詞がし」より。

ちちおしえは「おもったこと堂々どうどうえ」で、毎月まいつき大量たいりょう書籍しょせき購入こうにゅうしており、どもたちのために「日本にっぽん児童じどう文庫ぶんこ」「小学生しょうがくせい全集ぜんしゅう」「世界せかい童話どうわ大系たいけい」を全巻ぜんかんそろえた。

1931ねん昭和しょうわ6ねん)には与謝野よさの晶子あきこ夫妻ふさいむら訪問ほうもんいえ与謝野よさの夫妻ふさい色紙いろがみ短冊たんざくがあったという。『あかとり』も購読こうどくしたが、興味きょうみうすかった。翌年よくねんには『サクラ読本とくほん』の見本みほんみ、編者へんしゃ芦田あしだ恵之助えのすけ感想かんそうをのべると、芦田あしだ後日ごじつこの感想かんそう著書ちょしょしるしている、1935ねん昭和しょうわ10ねん)、「いじめられっこの優等生ゆうとうせい」としょうされた[5]小学生しょうがくせい時代じだいカレル・チャペック吉野よしの源三郎げんざぶろう作品さくひんみ、グリム童話どうわアンデルセン童話どうわことなる内容ないよう衝撃しょうげきける。1937ねん昭和しょうわ12ねん)、10さいときにはもう眼鏡めがねをかけた。ちち愛媛えひめ師範しはん学校がっこう教師きょうしとなったことにより転居てんきょ翌年よくねん2学期がっき中頃なかごろまで道後湯之どうごゆのまちらす[5]

学生がくせい時代じだい中学ちゅうがく高等こうとう学校がっこう[編集へんしゅう]

1940ねん昭和しょうわ15ねん)、愛媛えひめ県立けんりつ三島みしま中学校ちゅうがっこう旧制きゅうせい)に入学にゅうがく[5]同級生どうきゅうせい利明としあきがいた。物心ぶっしんついたころはすでに軍事ぐんじしょくつよく、軍国ぐんこく主義しゅぎ少年しょうねんであることを違和感いわかんおぼえずにそだったが、中学ちゅうがく体育たいいく軍事ぐんじ教練きょうれん嫌悪けんおかんおぼえ、欠席けっせきしていた。このころよりちちとの衝突しょうとつえる。太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつした1941ねん昭和しょうわ16ねんなつちち北京ぺきん師範しはん大学だいがく転身てんしん赴任ふにんすることとなったため、一家いっか東予とうよ転居てんきょし、あし西条さいじょう中学校ちゅうがっこう転校てんこうする[5]

あにすすんだ第一高等学校だいちこうとうがっこう1943ねん昭和しょうわ18ねん)に京都きょうと受験じゅけんするが合格ごうかく勤労きんろう動員どういんにより住友金属鉱山すみともきんぞくこうざん下部かぶ鉄道てつどうはたらく。翌年よくねん松山まつやま高等こうとう学校がっこう受験じゅけんするがこれも合格ごうかく

1945ねん昭和しょうわ20ねん)6がつ大阪おおさか外事がいじ専門せんもん学校がっこうロシアすすむ。同級生どうきゅうせい西村にしむら芳重よししげ先輩せんぱい二宮にのみや欣也きんや、アラビア足立あだち光夫みつおがいた。

敗戦はいせん確実かくじつなか当初とうしょ枚方ひらかた火薬かやく工場こうじょうはたらいていたが、火薬かやく材料ざいりょうがないため、製塩せいえん命令めいれい浜寺はまでら移動いどうした翌日よくじつ玉音ぎょくおん放送ほうそう終戦しゅうせんる。自分じぶんでも戦争せんそうつづけるか切腹せっぷくかでまようなど、まだしばらく軍国ぐんこく主義しゅぎだった。故郷こきょう愛媛えひめやすこめい、大阪おおさかたかるかつぎをつとめたが、人生じんせいでもっともいや時期じきだったとかたり、かいねがいすくない。

学生がくせい時代じだい大学だいがく[編集へんしゅう]

1948ねん昭和しょうわ23ねん)9がつ大阪おおさかがいせん中退ちゅうたいしたのち[6]1949ねん昭和しょうわ24ねん)に早稲田大学わせだだいがくだいいち文学部ぶんがくぶロシア文学ぶんがく2ねんつぎ編入へんにゅう[6]同級生どうきゅうせい内田うちだ莉莎がいた。生活せいかつがないことから通学つうがくせずにすぐ休学きゅうがくした。同年どうねん4がつに、ちち紹介しょうかいにより愛媛えひめけん宇摩うまぐん金砂きんしゃ村立そんりつ金砂きんしゃ中学校ちゅうがっこう久保くぼ分校ぶんこう国語こくご歴史れきし代用だいよう教員きょういんとなった。大阪おおさか外語がいご友人ゆうじん西村にしむら芳重よししげとも赴任ふにんする。全校ぜんこうで32にんいち年生ねんせい8にん年生ねんせい16にんさん年生ねんせい8にん)の小規模しょうきぼ小学校しょうがっこうなつちちひろ視察しさつをかねて分校ぶんこうおとずれ、作文さくぶん授業じゅぎょうをする[7]1992ねん平成へいせい4ねん)におしたちと再会さいかいするが、この仕事しごと紹介しょうかいしたちち授業じゅぎょう印象いんしょうつよく、本人ほんにん印象いんしょううすかったという)。1ねんおしえたところ結核けっかくによりよく1950ねん昭和しょうわ25ねん)3がつ休職きゅうしょくしそのまま退職たいしょくした[8]。このころあに友人ゆうじん講談社こうだんしゃ編集へんしゅうをしており、創作そうさく民話みんわ『ちきりがふち』をむと『少女しょうじょクラブ』8がつごうり、人生じんせいはじめて原稿げんこうりょうをもらう[7][8]

早大そうだいには1951ねん昭和しょうわ26ねん)からかよはじめ、当初とうしょ大学だいがく公認こうにんサークルである現代げんだい文学ぶんがく研究けんきゅうかい[ちゅう 1]入会にゅうかいする[8]。だが部室ぶしつ早大そうだい童話どうわかいななかいの位置いち関係かんけいにあり、童話どうわかいにも出入でいりするようになると、これまで大人おとなけの文学ぶんがく作品さくひんしかかんがえていなかったはずが、1ねんたつと童話どうわかいのほうに魅力みりょくかんじていった[ちゅう 2]童話どうわかい神宮じんぐう輝夫てるお鳥越とりこししん山中やまなかひさしらとう。古田ふるたくわえた4にん交流こうりゅうふかく、以後いご前述ぜんじゅつの4にん」としるす。童話どうわかい機関きかんわらわえん』にも作品さくひん掲載けいさいされる。

在学ざいがくちゅうに『わらわえん』を1953ねん昭和しょうわ28ねん)6がつ4にち発行はっこうの19ごうぶんから『少年しょうねん文学ぶんがく』と改題かいだい[8]。マニフェスト「少年しょうねん文学ぶんがくはたしたに!」の起草きそう参画さんかく。これは“少年しょうねん文学ぶんがく宣言せんげん”とばれ、当時とうじ児童じどう文学ぶんがくかいおおきな議論ぎろんこした。これには前述ぜんじゅつ鳥越とりこしのほか、鈴木すずきみのる参加さんか以後いご鈴木すずきとも交流こうりゅうふかめる。そのちいさな仲間なかま」に同人どうじんりする砂田すなだひろしとも交流こうりゅうふかめる。

1953ねん昭和しょうわ28ねん)9がつ早大そうだい中退ちゅうたい[8]。11月に結婚けっこんしたつまによる、中学ちゅうがく高校こうこう非常勤ひじょうきん講師こうし収入しゅうにゅうにたよりながら、宣言せんげん内実ないじつふかめるために児童じどう文学ぶんがく評論ひょうろんはじめる。

結婚けっこん[編集へんしゅう]

1954ねん昭和しょうわ29ねん)6がつには前述ぜんじゅつの4にん団体だんたいちいさい仲間なかま」を発足ほっそく。なお童話どうわかい時代じだい輩出はいしゅつしゃ2009ねん平成へいせい21ねん以後いご存命ぞんめいだったのは、この前述ぜんじゅつの4にんだけである[ちゅう 3]

1955ねん昭和しょうわ30ねん)、日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかい常任じょうにん理事りじ就任しゅうにん[9]よく1956ねん昭和しょうわ31ねん)1がつから1959ねん昭和しょうわ34ねん)まで、日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかい事務じむきょく勤務きんむ1956ねん昭和しょうわ31ねん)4がつごうから9がつごうまで、雑誌ざっし日本にっぽん児童じどう文学ぶんがく編集へんしゅうちょうつとめる[9]

1960ねん昭和しょうわ35ねん)3がつ17にちむすめ・あかねがまれた。6月には豊島としま椎名しいなまちのアパートに移住いじゅうしたところ、2かい田畑たばた精一せいいち保坂ほさか順子じゅんこ夫婦ふうふんでおり、田畑たばた精一せいいち出会であうきっかけにもなった[10]

1976ねん昭和しょうわ51ねん)から1980ねん昭和しょうわ55ねん)3がつまで、山口女子大学やまぐちじょしだいがく新設しんせつされた文学部ぶんがくぶ児童じどう文化ぶんか学科がっか教授きょうじゅつとめた。「どものほんきゅうじょうかい代表だいひょうだんいんつとめた[11]

2014ねん平成へいせい26ねん)6がつ8にち心不全しんふぜんのため86さい死去しきょ[12]死去しきょやく3ヶ月かげつまえ1970ねん昭和しょうわ45ねん)に出版しゅっぱんした『おおきい1年生ねんせいちいさな2年生ねんせい[13]文化庁ぶんかちょう委託いたく若手わかてアニメーター育成いくせいプロジェクト「アニメミライ」ない作品さくひんとしてアニメされた。

創作そうさく[編集へんしゅう]

全集ぜんしゅう 古田ふるたあし どものほん[編集へんしゅう]

1993ねん11月25にち童心どうしんしゃより発行はっこう作品さくひんめいのち情報じょうほう初出しょしゅつでなく、とうしょしるされた底本ていほん情報じょうほうから。つづ名前なまえじゅん解説かいせつ挿絵さしえ画家がか作品さくひんエッセイ・作品さくひんエッセイにん。また日常にちじょう生活せいかつ舞台ぶたいとした作品さくひんでは、東久留米ひがしくるめのどの場所ばしょがモデルになったかの解説かいせつ掲載けいさいされている。

  1. ロボット・カミイ(1970ねん福音館書店ふくいんかんしょてん)/れいぞうこロボット(1969ねん盛光もりみつしゃ)/くいしんぼうのロボット(1973ねん小峰こみね書店しょてん)/ロボット・ロボののぼりぼう(1982ねん童心どうしんしゃ)/ぽんこつロボット(1970ねん岩崎いわさき書店しょてん) - 細谷ほそや建治けんじ田畑たばた精一せいいち寺村てらむら輝夫てるお
  2. おおきい1年生ねんせいちいさな2年生ねんせい(1970ねん偕成社かいせいしゃ)/まぬけないぬ・クロ(1987ねん日本標準にっぽんひょうじゅん)/ダンプえんちょうやっつけた(1978ねん童心どうしんしゃ)/さくらんぼクラブのおばけ大会たいかい(1974ねん童心どうしんしゃ) - 小松崎こまつざきすすむおぼまことあまんきみこ
  3. モグラはらっぱのなかまたち(1988ねんあかね書房しょぼう)/夏子なつこ先生せんせいとゴイサギ・ボーイズ(1981ねんかねほししゃ)/いぬ散歩さんぽめんきょしょう(1988ねん偕成社かいせいしゃ)/サクラ団地だんちなつまつり(1973ねん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ) - かめむら五郎ごろう西巻にしまきちがや山下やました明生あきお
  4. さくらんぼクラブにクロがきた(1984ねん岩崎いわさき書店しょてん)/子犬こいぬがこわいいち年生ねんせい(1974ねん-1976ねん学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ)/ねこねここねこおまえはどこだ(1980ねん童心どうしんしゃ) - 西田にしだ良子りょうこ遠藤えんどうてるよ宮川みやがわひろ
  5. おしいれのぼうけん(1974ねん童心どうしんしゃ)/せかいいちおおきなケーキ(1970ねん小峰こみね書店しょてん)/へびやまのあいこ(1987ねん童心どうしんしゃ)/まちがいカレンダー(1989ねん国土こくどしゃ) - 播磨はりま俊子としこあやしげる恭子きょうこ神沢かみさわ利子としこ
  6. みずうえのタケル(1984ねん偕成社かいせいしゃ)/ミゲル孫右衛門まごえもんのまほう(1967ねん理論りろんしゃ)/つきうえのガラスのまち(1984ねん偕成社かいせいしゃ) - 佐藤さとう宗子むねこ谷口たにぐち広樹ひろき佐藤さとうさとる
  7. 宿題しゅくだいひきうけ株式会社かぶしきがいしゃ(1979ねん理論りろんしゃ)/忍術にんじゅつらくだいせい(1977ねん理論りろんしゃ) - 藤田ふじたのぼる田島たじませいさんこんこう祥智よしともおおとりうえ尚史ひさし
  8. ぼくらは機関きかんしゃ太陽たいようごう(1982ねん岩崎いわさき書店しょてん)/ぼくらの教室きょうしつフライパン(1981ねんかねほししゃ) - 鈴木すずきみのる和歌山わかやま静子しずこ木暮こぐれ正夫まさお
  9. 海賊かいぞくとう探検たんけん株式会社かぶしきがいしゃ(1976ねん偕成社かいせいしゃ)/やまぞくとりでのたから(1966ねん学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ) - 那須なす正幹まさみき太田おおた大八だいはちしかたしん
  10. うずしおまる少年しょうねんたち(1978ねん講談社こうだんしゃ) - はたたかし滝平たきだいら二郎じろう柚木ゆずきぞうきち
  11. くもたに少年しょうねん忍者にんじゃ(1986ねん童心どうしんしゃ)/戦国せんごく武士ぶし(1965ねん学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ)/南十字星みなみじゅうじせい少年しょうねん(1965ねん-1966ねん学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ) - 後藤ごとう竜二りゅうじ梶山かじやま俊夫としお長谷川はせがわうしお
  12. コロンブス物語ものがたり(1990ねん童心どうしんしゃ)/豊臣とよとみ秀吉ひでよし物語ものがたり(1991ねん童心どうしんしゃ) - 西山にしやま利佳りか伊藤いとう秀男ひでおさねとうあきら
  13. ぬすまれたまち(1972ねん理論りろんしゃ) - 宮川みやがわ健郎たけお長谷川はせがわしゅうたいら小沢おざわただし友田ともだ陽子ようこ

その[編集へんしゅう]

  • モンゴルらいたる 太平たいへい物語ものがたり滝口たきぐち康彦やすひこ共著きょうちょ学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、1967ねん
  • ろくさんと九官鳥きゅうかんちょう へんポプラ社ぽぷらしゃ、1968ねん) - 日本にっぽんユーモア文学ぶんがく全集ぜんしゅう
  • 保安ほあんかんワイアット・アープかねほししゃ、1971ねん
  • 荒野あらのさん兄弟きょうだいかねほししゃ、1972ねん) - ウエスタン・ノベルズ
  • インカ帝国ていこくのさいご(岩崎いわさき書店しょてん、1977ねん
  • 学校がっこうへいくみちはまよいどうくさ文化ぶんか、1991ねん
  • だんち5かいがぼくのうち(童心どうしんしゃ、1992ねん
  • ともだちいっぱいぐみのきようちえん(福武書店ふくたけしょてん、1993ねん
  • ぼくのたからもの(あかね書房しょぼう、1993ねん
  • つきうえのつよがりロボット(あかね書房しょぼう、1995ねん
  • さくらさひめのだいしごと(童心どうしんしゃ、2001ねん
  • ひみつのやくそく(ポプラ社ぽぷらしゃ、2002ねん
  • ブッとなるかくへひり大臣だいじん(童心どうしんしゃ、1979ねんむくばとじゅうへん「いたずらわんぱくものがたり」寄稿きこう

評論ひょうろん[編集へんしゅう]

  • 現代げんだい児童じどう文学ぶんがくろんくろしお出版しゅっぱん、1959ねん9がつ表紙ひょうし奥付おくづけには記載きさいがないが、ちゅうとびら副題ふくだいとして「近代きんだい童話どうわ批判ひはん」とある。巻頭かんとうの「さよなら未明みめい -日本にっぽん近代きんだい童話どうわ本質ほんしつ-」という評論ひょうろんで、小川おがわ未明みめい批判ひはん以後いご未明みめい批判ひはん先駆せんくしゃとしてのこす。
  • 児童じどう文学ぶんがく思想しそうまき書店しょてん、1965ねん
  • 児童じどう文学ぶんがくはた理論りろんしゃ、1970ねん
  • ちちかた太平洋戦争たいへいようせんそう 1-3(来栖くるす良夫よしお堀尾ほりお青史せいし共編きょうへん童心どうしんしゃ、1978ねん
    • そらうみにそめて
    • どろだらけの戦線せんせん
    • える日本にっぽん列島れっとう
  • 現代げんだい日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくへの視点してん理論りろんしゃ、1981ねん4がつ
  • どもをなお古田ふるたあし講演こうえん記録きろく童心どうしんしゃ、1987ねん10がつISBN 4-494-02225-X
  • 児童じどう文化ぶんかとはなにか(久山ひさやましゃ、1996ねん
  • どもと文化ぶんか久山くやましゃ、1997ねん
  • わたしたちのアジア・太平洋戦争たいへいようせんそう 1-3(米田よねだ佐代子さよこ西山にしやま利佳りか共編きょうへん童心どうしんしゃ、2004ねん
  • 日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくる(鳥越とりこししん神戸かんべ光男みつお鼎談ていだんせせらぎ出版しゅっぱん、2004ねん
  • 現代げんだい児童じどう文学ぶんがくつづけて(くろしお出版しゅっぱん、2011ねん11月) ISBN 978-4-87424-536-1

実績じっせき[編集へんしゅう]

受賞じゅしょう[編集へんしゅう]

選考せんこう委員いいん[編集へんしゅう]

役職やくしょく自主じしゅ発足ほっそく発足ほっそく協力きょうりょく[編集へんしゅう]

  • 山形やまがた童話どうわ研究けんきゅうかい山形やまがた童話どうわかい (1953-終了しゅうりょう不明ふめい
  • ちいさな仲間なかま前述ぜんじゅつ 1954-1959ねん
  • 児童じどう文学ぶんがく実験じっけん集団しゅうだん前述ぜんじゅつ 1958-1959ねん
  • 大阪おおさか国際こくさい児童じどう文学ぶんがくかんそだてるかい (1980-終了しゅうりょう不明ふめい
  • 古田ふるたあし児童じどう文学ぶんがくじゅく (1981-終了しゅうりょう不明ふめい
  • 児童じどう文学ぶんがく批評ひひょうかい (1981-1983ねん

役職やくしょく委任いにん[編集へんしゅう]

教鞭きょうべん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 生島いくしま治郎じろう富島としま健夫たけおなどを輩出はいしゅつ
  2. ^ おなれい砂田すなだひろしがいる。
  3. ^ 鳥越とりこし2013ねん平成へいせい25ねん)に死去しきょ

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかい日本にっぽん児童じどう文学ぶんがく 2015ねん1・2がつごう小峰こみね書店しょてん、2015ねん、66ぺーじ 
  2. ^ ありがとう古田ふるたあしかい古田ふるたあしにっさんからのバトン』かもがわ出版しゅっぱん、2015ねん、10ぺーじISBN 9784780307740 
  3. ^ 日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがくだい事典じてん だいさんかん講談社こうだんしゃ、1977ねん、189ぺーじISBN 9784780307740 
  4. ^ a b 日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかい日本にっぽん児童じどう文学ぶんがく 2015ねん1・2がつごう小峰こみね書店しょてん、2015ねん、67ぺーじ 
  5. ^ a b c d e ありがとう古田ふるたあしにっさんのかい古田ふるたあしにっさんからのバトン』かもがわ出版しゅっぱん、2015ねん、267ぺーじ 
  6. ^ a b 古田ふるたあし全集ぜんしゅう 古田ふるたあしどものほん 別巻べっかん童心どうしんしゃ、1993ねん、p.481ぺーじISBN 978-4-494-02000-3 
  7. ^ a b 古田ふるたあし全集ぜんしゅう 古田ふるたあしどものほん 別巻べっかん童心どうしんしゃ、1993ねん、p.482ぺーじISBN 978-4-494-02000-3 
  8. ^ a b c d e 日本にっぽん児童じどう文学ぶんがく 2015ねん1・2がつごう日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかい、2015ねん、66ぺーじ 
  9. ^ a b ありがとう古田ふるたあしにっさんのかい古田ふるたあしにっさんからのバトン』かもがわ出版しゅっぱん、2015ねん、268ぺーじ 
  10. ^ 古田ふるたあし全集ぜんしゅう 古田ふるたあしどものほん 別巻べっかん童心どうしんしゃ、1993ねん、p.488ぺーじISBN 978-4-494-02000-3 
  11. ^ どものほんきゅうじょうかい
  12. ^ 訃報ふほう:古田ふるたあしにっさん86さい児童じどう文学ぶんがく作家さっか評論ひょうろん 毎日新聞まいにちしんぶん 2014ねん6がつ9にち
  13. ^ 古田ふるたあし全集ぜんしゅう 古田ふるたあしどものほん 別巻べっかん童心どうしんしゃ、1993ねん、p.553ぺーじISBN 978-4-494-02000-3 
  14. ^ 古田ふるたあし全集ぜんしゅう 古田ふるたあしどものほん 別巻べっかん童心どうしんしゃ、1993ねん、499ぺーじISBN 9784494020003 
  15. ^ 文化ぶんか文芸ぶんげいしょう贈呈ぞうてい”. 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん 日本にっぽん青少年せいしょうねん文化ぶんかセンター. 2019ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  16. ^ a b c ありがとう古田ふるたあしかい古田ふるたあしにっさんからのバトン』かもがわ出版しゅっぱん、2015ねん、270ぺーじISBN 9784780307740 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 細谷ほそや健治けんじへん古田ふるたあしりゃく年譜ねんぷ」『日本にっぽん児童じどう文学ぶんがく日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかい、1979ねん11がつごう
  • 全集ぜんしゅう 古田ふるたあしどものほんぜん13かん別巻べっかん童心どうしんしゃ、1983ねん11月25にち
  • ありがとう古田ふるたあしかい古田ふるたあしにっさんからのバトン』 かもがわ出版しゅっぱん、2015ねん
  • 日本にっぽん児童じどう文学ぶんがくしゃ協会きょうかい日本にっぽん児童じどう文学ぶんがく 2015ねん1・2がつごう小峰こみね書店しょてん、2015ねん
  • 日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがくだい事典じてん だいさんかん講談社こうだんしゃ、1977ねん