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かず時計とけい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ていてんしき時計とけいよん角錐かくすいかたちだいがあることから、この形式けいしき時計とけいを「時計とけい」という。

かず時計とけい(わどけい)とは、日本にっぽん江戸えど時代じだいから明治めいじ初期しょきにかけて製作せいさく使用しようされた時計とけいのこと。定時ていじほうもちいるための機構きこう世界せかいでもめずらしい時計とけいである[1]むかし時計とけい日本にっぽん時計とけい大名だいみょう時計とけいとも呼称こしょうする[2][3]明治めいじ6ねん1873ねん)を以って日本にっぽん定時ていじほう移行いこうしたことにより、その実用じつようてき使命しめいえた[4]

概要がいよう

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現在げんざい一般いっぱん時計とけいが1にちを24等分とうぶんした定時ていじほう原則げんそくとしているのにたいし、かず時計とけいぶしによって変化へんかするひるよるをそれぞれ6等分とうぶんした定時ていじほう前提ぜんていとして製作せいさくされている。つまりひる一刻いっこくよる一刻いっこくは、ぶしによってながさがたがちがいに増減ぞうげんすることになる。この場合ばあい」と「」が基準きじゅんではなく、にち出前でまえしろ々とよるける「薄明はくめい」と、にちれてひとかおがよくわからなくなる「だれかれ」(たそがれ)が基準きじゅんだった。一般いっぱんてきには、やく30ふんまえりのやく30ふんが、ひるよるさかいとされた[5]ただ時計とけい場合ばあい、そうした一刻いっこくぶし変化へんか日々ひび厳密げんみつ変化へんかとして表示ひょうじさせるのは困難こんなんなので、じゅうよん節気せっきわせて15にちごとに、一刻いっこくながさを調整ちょうせいするようにしていた。

かず時計とけい時刻じこく表示ひょうじ方法ほうほうとしては、時間じかん遅速ちそく調整ちょうせいするぼうてんおもりりをひるよる日々ひびえ、かつ15にちごとに一刻いっこくぶし変化へんか調整ちょうせいして表示ひょうじする「ていてんがたと、文字もじばん文字もじえがかれたプレートの間隔かんかくを15にちごとにえて時間じかん表示ひょうじする「わりこましき文字もじばんがたの2種類しゅるいがある。1600年代ねんだい中頃なかごろていてんしき登場とうじょうするまえは、いちていてんしき時計とけい製作せいさく使用しようされていた。時計とけい江戸えど時代じだいつうじて改良かいりょう技術ぎじゅつ開発かいはつすすみ、1800年代ねんだいなかばには完成かんせいがたともえる自動じどうわりこましきへと進化しんかした[6]いちてい(1ほん)のてんでは毎日まいにちひるよるさかいである「明六あけむつ」と「暮六くれむつ」におもりりのえが必要ひつようであり、手間てまがかかるので、のちにひるようよるようてい(2ほん)のささげたかし時計とけいみ、明六あけむつと暮六くれむつに自動的じどうてきひるようてんよるようてんわる「ていてんがた発明はつめいされた。こうすれば毎日まいにち2かいおもりりのえは不要ふようとなり、15にちごとのえだけでむ。「わりこましき文字もじばんがたは、時計とけい速度そくどえないが文字もじばん時刻じこく表示ひょうじうごくようにつくり、それを15にちごとにうごかして昼夜ちゅうや間隔かんかくえる方式ほうしきである。なお時計とけいていてんはどちらか一方いっぽううごいているあいだ片方かたがたまっているので、時代じだいげきにおいて両方りょうほう同時どうじうごいているのはあやまりである。

歴史れきし

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西川にしかわ祐信すけのぶ(1671 - 1750)のえがいた浮世絵うきよえいちていてんしき時計とけい掛時計かけどけい)がほぼ正確せいかくえがかれている。

日本にっぽんへの機械きかいしき時計とけい伝来でんらい天文てんもん12ねん1543ねん)、ポルトガルじんによる鉄砲てっぽう伝来でんらい時期じきおなじくするとわれるが[3]文献ぶんけんじょう確認かくにんできる初出しょしゅつとしては『大内おおうち義隆よしたか』の天文てんもん20ねん1551ねん)、スペインの宣教師せんきょうしフランシスコ・ザビエル大内おおうち義隆よしたかに「かね」(じめいしょう)を献上けんじょうしたというものである[7]。また現存げんそんする最古さいこ伝来でんらいひんとしては、慶長けいちょう16ねん5がつ25にち1611ねん7がつ5にち)にスペイン国王こくおうフェリペ3せいからフィリピン総督そうとく救助きゅうじょれいとして徳川とくがわ家康いえやすおくられた徳川とくがわ家康いえやすよう時計とけいわれるゼンマイ動力どうりょくのランタン時計とけい (Lantern clock久能山くのうざん東照宮とうしょうぐうつたわっている[7]。これはぜん国王こくおうフェリペ2せいのおかか時計とけいハンス・デ・エバロによって1581ねん製作せいさくされたものとされ、現存げんそんしているハンス・デ・エバロ製作せいさく時計とけいエル・エスコリアル宮殿きゅうでんにある1583ねんせいのもの1個いっこのみとわれている。しかし外国がいこくから伝来でんらいした時計とけい定時ていじほう時間じかんはかるようにつくられており、当時とうじ日本にっぽん定時ていじほうもちいていたので実用じつようせいく、ステータスシンボルとしての要素ようそつよかった[8]

こうしたヨーロッパからもたらされる時計とけいを倣製しつつ、やがて日本にっぽん風土ふうど習慣しゅうかんにあわせ独自どくじ改良かいりょう仕掛しかけを盛込もりこんだ機械きかいしき時計とけい、すなわち時計とけい発明はつめいされた[9]

日本人にっぽんじんによる機械きかいしき時計とけいかんしては、その起源きげんあきらかになっていない。天保てんぽう3ねん1832ねん)に編纂へんさんされた『尾張おわりこころざし』には、「徳川とくがわ家康いえやす朝鮮ちょうせんより献上けんじょうけたいわ(とけい)の破損はそん修復しゅうふくできる技術ぎじゅつしゃさがしたところ、ほそ工事こうじこの鍛冶たんや職人しょくにん津田つだ助左衛門すけざえもん修理しゅうりし、さらにおなじものを製作せいさくして献上けんじょうした」という記述きじゅつがあり、この津田つだ助左衛門すけざえもんという人物じんぶつ日本にっぽん時計とけい元祖がんそであるとつたえる[10]平成へいせい現代げんだいにおいてかず時計とけい製作せいさく復元ふくげんたずさわったさかい鉄砲てっぽう研究けんきゅうかいさわ田平たひらは、どう時期じき伝来でんらいした鉄砲てっぽう製作せいさく普及ふきゅう速度そくどから、日本人にっぽんじんによる機械きかい時計とけい製作せいさくもそれにちか年代ねんだいには確立かくりつしていたであろうと推察すいさつしている[11]実物じつぶつではめいから製作せいさく年月としつき判明はんめいしている最古さいこ時計とけいとしてのべたから元年がんねん1673ねん)の「時計とけいひだり兵衛ひょうえ」のものがあり[12]、またていてんしきとして現存げんそんする最古さいこ時計とけいには安永やすなが2ねん1773ねん)と「京都きょうと四条しじょうどおりさかいまちじゅう荒木あらき大和やまと 改名かいめい政之まさゆきすすむさく」のめいがある[13]ていてんしき時計とけいがいつごろ発明はつめいされたのかはあきらかではないが、元禄げんろくころにはすで存在そんざいしていたという。

機巧きこう彙』 首巻しゅかんにある時計とけい内部ないぶ構造こうぞう解説かいせつした部分ぶぶん

かず時計とけいについてはたしかな文献ぶんけん資料しりょうがほとんどく、かず時計とけいつくられはじめたとられる年代ねんだいからはる寛政かんせい9ねん1796ねん)に、細川ほそかわ半蔵はんぞうちょの『機巧きこう』が刊行かんこうされている。この書物しょもつちゃはこ人形にんぎょうをはじめとするからくり人形にんぎょう解説かいせつしたものとしてられているが、その首巻しゅかんには時計とけい機構きこう製作せいさくについてしるされており、当時とうじ時計とけい解説かいせつしょとしても現存げんそん唯一ゆいいつのものである。

当時とうじ時計とけい高級こうきゅうひんであり、たいていは大名だいみょう豪商ごうしょうなど富裕ふゆうそう所持しょじしていた。本体ほんたい歯車はぐるまをはじめとする機構きこうてつまたは真鍮しんちゅうつくられ、美麗びれい彫金ちょうきん装飾そうしょくほどこされたものもおおかった。また種類しゅるい多様たようで(掛時計かけどけい時計とけいたい時計とけいせき時計とけいまくら時計とけいさん時計とけい印籠いんろう時計とけい懐中時計かいちゅうどけいなど)、現在げんざいうアラームやからくりそなえたものもあった。また星宿せいしゅく当時とうじ認識にんしきされていた星座せいざ)をわされた時計とけいもあった[14]

貞享ていきょう5ねん1688ねん)に刊行かんこうされた井原いはら西鶴さいかくの『日本にっぽん永代えいたいぞう』の挿絵さしえには時計とけいられる[15]比較的ひかくてき機構きこう簡単かんたん時計とけいとしてせき時計とけいがある。これは短冊たんざくがたはこ上部じょうぶ時計とけいのムーブメントをけ、動力どうりょくおもりりにけられたはりが、はこ下部かぶ前面ぜんめんにある時刻じこく目盛めもりす。ながさが1しゃく(30.3cm)ほどだったのでこのがついたが[16]、2しゃくや4しゃくになる寸法すんぽうのものもつくられている。これら時計とけい構造こうぞうおどろいたオランダ商館しょうかんながイサーク・ティチング入手にゅうしゅこころみたが、あまりにも高価こうかだったので購入こうにゅうをあきらめたという記録きろくがある[17]

幕末ばくまつから明治めいじ初期しょきにかけては、定時ていじほう定時ていじほう両方りょうほう対応たいおうした和洋折衷わようせっちゅう時計とけい製作せいさくされた。わりこましき文字もじばん方式ほうしきであれば、文字もじばん表示ひょうじ工夫くふう簡単かんたん両者りょうしゃ対応たいおうできた。田中たなか久重くしげさくまんねん時計とけいこと「万年自鳴鐘」は和洋折衷わようせっちゅう時計とけい究極きゅうきょくえるもので、機構きこう全体ぜんたいのタイムキーパーやくとして西洋せいようせい懐中時計かいちゅうどけいんで定時ていじほう表示ひょうじをする一方いっぽうで、かず時計とけい部分ぶぶんには、ぶしによる昼夜ちゅうやいちこく変化へんかわりこま間隔かんかく自動じどう変更へんこうおこな機構きこうまれている。常陸ひたちこく名主なぬし飯塚いいづか伊賀いがななは、たかさが2mある大型おおがた時計とけい製作せいさくし、あさゆう太鼓たいこかね自動的じどうてきらしてまちひとときらせるとともに、飯塚いいづか門扉もんぴ自動じどう開閉かいへいさせたといわれる[18]

終焉しゅうえん

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明治めいじ5ねん1872ねん12月3にち明治めいじ政府せいふ太陽暦たいようれきもとづきこの明治めいじ6ねん(1873ねん)1がつ1にちさだめ、時刻じこく定時ていじほうへの全面ぜんめん移行いこう実施じっしした。さらにアメリカから関税かんぜいでボンボン時計とけいばれる定時ていじほう時計とけい大量たいりょう輸入ゆにゅうされ、かず時計とけいはその使命しめいえた。かくはん所属しょぞく時計とけいたちはろくうしなったものの、定時ていじほう時計とけい構造こうぞう時計とけいくら単純たんじゅんであることを発見はっけんしたかれらが洋式ようしき時計とけい製作せいさく転換てんかんすることは容易よういだった。にちしん戦争せんそうころには日本にっぽん国内こくないから輸入ゆにゅう時計とけい駆逐くちくし、明治めいじ35ねん1902ねんごろにはアメリカせいわってアジア市場いちば席巻せっけんするにいたった[19]

実用じつようせいくなったが、現存げんそんしている時計とけい鑑賞かんしょう展示てんじ研究けんきゅう修理しゅうり対象たいしょうとなっている[14]愛好あいこうけに置時計おきどけい腕時計うでどけい制作せいさくされることもある[20]

ギャラリー

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 山本やまもとp.235
  2. ^ 澤田さわだp.13
  3. ^ a b 澤田さわだp.18
  4. ^ 澤田さわだp.14
  5. ^ 村上むらかみp.69
  6. ^ 岡田おかだ和夫かずお時計とけいきざんだ 江戸えど日々ひび独特どくとく時刻じこくせい対応たいおう うごはやえる仕組しく解明かいめい◇」日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん2017ねん10がつ24にち文化ぶんかめん
  7. ^ a b 澤田さわだp.19
  8. ^ 山本やまもとp.234
  9. ^ 澤田さわだp.20
  10. ^ 澤田さわだpp.28-29
  11. ^ 澤田さわだp.20-23
  12. ^ 澤田さわだp.32
  13. ^ 山本やまもとp.237
  14. ^ a b 近藤こんどう勝之かつゆき江戸えど時計とけい 科学かがく結晶けっしょうきわめた技術ぎじゅつ 複雑ふくざつなからくりにほれ研究けんきゅう40ねん◇」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん2018ねん8がつ24にち文化ぶんかめん)2018ねん9がつ19にち閲覧えつらん
  15. ^ 山本やまもとp.240
  16. ^ 山本やまもとp.241
  17. ^ 山本やまもとp.238
  18. ^ 茨城いばらきけん地域ちいき研究けんきゅうかいp.80
  19. ^ 山本やまもとp.248
  20. ^ わかき「独立どくりつ時計とけい」のクレイジーすぎる挑戦ちょうせん | わかきプロフェッショナル - 東洋とうよう経済けいざいオンライン

参考さんこう文献ぶんけん

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  • さわ田平たひら時計とけい江戸えどのハイテク技術ぎじゅつあわ交社、1996ねんISBN 4-473-01462-2 
  • 山本やまもとななたいら日本人にっぽんじんとはなにか(下巻げかん)』PHP文庫ぶんこ、1992ねん、231-252ぺーじISBN 4-569-56461-5 
  • 茨城いばらきけん地域ちいき研究けんきゅうかい へん茨城いばらきけん歴史れきし散歩さんぽ山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、2006ねん、285ぺーじISBN 4-634-24608-2 
  • 村上むらかみ和夫かずお完訳かんやく からくり彙』並木なみき書房しょぼう、2014ねんISBN 978-489063-321-0 
  • もりたけし 『家康いえやす時計とけい渡来とらい』 羽衣はごろも出版しゅっぱん、2017ねん ISBN 978-4-907118-28-0

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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