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塩谷 保正(しおのや やすまさ)は、江戸時代の武士。
下野国塩谷郡の武将岡本保真の三男として生まれる。塩谷義通流塩谷氏の三代目。
寛永21年(1644年)、父保真が従兄弟の岡本義政の謀略により殺害されると(泉騒動)、父の跡を継いで御前原城主となったが、その後わずか半年で岡本義政ともども改易となった。
その後、保正は桜田御殿(甲府徳川家)に召し抱えられた。