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多治神社(たじじんじゃ)は、京都府南丹市日吉町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
主祭神は以下の2柱。
社伝では、奈良時代前期の慶雲年間(704年-707年)、天智天皇第3皇子[1]・田原左大臣(志貴皇子、施基皇子)による創建とされる。
平安時代中期の『延喜式神名帳』では「丹波国船井郡 多沼神社(たひち・たぬ・たぬま-)」と記載され、式内社に列している。
鎮座地の集落名が「田原(たはら)郷」であることから「多治」の字があてられたと考えられているが、鎌倉時代の乾元元年(1302年)の棟札には「多沼大明神」の記載があり、「多沼」と称した時期もあったものと推測されている[2]。
明治10年、近代社格制度において郷社に列した。
-
本殿これまでに4
度建て
替えられており、
現在の
本殿は
宝暦5
年(
1775年)の
播州の
宮大工による
造営。
二間社流造檜皮葺。
京都府の
登録文化財。
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絵馬殿
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鳥居
- 稲荷神社
- 天満宮
- 八幡宮
- 市杵社
- 鎌倉時代後期の徳治2年(1306年)、豊作祈願の神事として始まった[3]。
- 田原のカッコスリ (10月中旬)
- 室町時代初期の応永21年(1414年)、豊作感謝の神事として始まった。古くは10月15日に行われた[4]。
※「京都府内の文化財」(京都府教育庁文化財保護課)参照
重要無形民俗文化財(国指定)
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- 田原の御田 - 2000年(平成12年)指定
京都府指定無形民俗文化財
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- 田原のカッコスリ - 1983年(昭和58年)指定
- 本殿(附 棟札5札) - 1985年(昭和60年)登録
京都府文化財環境保全地区
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- 多治神社文化財環境保全地区 - 1985年(昭和60年)決定
- 江戸時代後期の弘化2年(1845年)、京の大工・吉野家甚之丞による製作。1987年(昭和62年)指定
- 所在地
- 交通アクセス
- 周辺
- 小多治神社 (南丹市日吉町田原) - カッコスリ時に小多治神社前でカッコスリが奉納される[5]
- 多治神社 (南丹市日吉町生畑) - 当社から勧請
(記事執筆に使用した文献)
- 『日本歴史地名大系 京都府の地名』(平凡社)船井郡 多治神社項
- 現地案内板
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 「多治神社」『京都府史蹟勝地調査會報告 第三冊』京都府、1922年。 - リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。
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