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阿倍あべ美奈みな

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阿倍あべ 美奈みな(あべ の こみな、生年せいねんしょう - のべれき3ねん10月28にち784ねん12月14にち))は、奈良なら時代じだい女官にょかん尚侍しょうじけんなおぞうせい安倍あべ美奈みなわたるともしるされる。中務なかつかさ大輔だいすけ阿倍あべうるちちゅうむすめ内大臣ないだいじん藤原ふじわらりょうつぎしつ桓武かんむ天皇てんのう皇后こうごう藤原ふじわらおつ牟漏生母せいぼ[1]せい朝臣あそん官位かんいしたがえさんなおぞうけん尚侍しょうじおくせいいち)。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

たからひさし6ねん775ねん)8がつせいじょうからしたがえよんとなる[2]。その順調じゅんちょう昇進しょうしんし、宝亀ほうき10ねん779ねん)11月、せいよん[3]てんおう元年がんねん781ねん)11月、せいよんじょう[4]つづけてしたがえさんさづけられている[5]。いつ尚侍しょうじなおぞう任官にんかんされたのかは不明ふめいであるが、てんおう元年がんねん3がつ尚侍しょうじけんなおぞう大野おおのなかが、よく2ねん782ねん)4がつ尚侍しょうじ藤原ふじわらひゃくのうぼっしているので、その後任こうにんとしてにんじられたとおもわれる。のべれき3ねん784ねん薨去こうきょしたさい官位かんいは、尚侍しょうじけんなおぞうしたがえさん朝廷ちょうていひだりだいべんけん皇后こうごうみや大夫たいふ佐伯さえきこんじんくらい当麻とうまひさし松井まついきよしさんらをつかわして、ごと監護かんごさせている[1]。そのしたがえいち追贈ついぞうされたとあり[6]大同だいどう元年がんねん806ねん)6がつには、平城ひらじろ天皇てんのう即位そくいさいし、外祖母がいそぼゆえをもって、おっと藤原ふじわらりょうつぎとともにせいいちおくられている[7]

かんれき[編集へんしゅう]

ろく国史こくし』による

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b ぞく日本にっぽんのべれき3ねん10がつ28にちじょう
  2. ^ ぞく日本にっぽん宝亀ほうき6ねん8がつ15にちじょう
  3. ^ ぞく日本にっぽん宝亀ほうき10ねん11月2にちじょう
  4. ^ ぞく日本にっぽんてんおう元年がんねん11がつ16にちじょう
  5. ^ ぞく日本にっぽんてんおう元年がんねん11がつ20日はつかじょう
  6. ^ ぞく日本にっぽんのべれき9ねんうるう3がつ28にちじょう
  7. ^ 日本にっぽん大同だいどう元年がんねん6がつ9にちじょう

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]