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家事かじ使用人しようにん

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出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

家事かじ使用人しようにん(かじしようにん)は他者たしゃ家庭かていにおいて屋内おくない作業さぎょうおこな職業しょくぎょう英語えいごけんでは Domestic workerDomestic servant などという。中世ちゅうせいてき召使めしつかい・家臣かしんから近代きんだいてき労働ろうどうしゃへの過渡かとてき存在そんざいであり、自分じぶん意志いし主人しゅじん雇用こようしゃ)をえら自由じゆうったが、主人しゅじん対等たいとう人格じんかくみとめられることはなく、全面ぜんめんてき服従ふくじゅうもとめられた。衒示てき消費しょうひ典型てんけいとして、中流ちゅうりゅう階級かいきゅう繁栄はんえいとともにおおくの労働ろうどう人口じんこうとく産業さんぎょう革命かくめいによって伝統でんとうてき家族かぞく経済けいざい崩壊ほうかい現金げんきん収入しゅうにゅうのために労働ろうどうせざるをなくなった女性じょせいきつけ、19世紀せいきまつから20世紀せいき初頭しょとうまでのイギリスにおいて最大さいだい職業しょくぎょう集団しゅうだんとなった。ヴィクトリアあさイギリスつうそこする「家庭かてい天使てんし」、「完全かんぜん淑女しゅくじょ」といった理念りねんささえ、リスペクタビリティやスノビズムふかむすびついていたため、ヴィクトリアあさ象徴しょうちょうする職業しょくぎょうひとつといわれる。

20世紀せいき前半ぜんはんまでは圧倒的あっとうてきにフルタイム・みでの形態けいたい主流しゅりゅうであったが、20世紀せいきなかばまでにはそのよう雇用こよう形態けいたい家事かじ使用人しようにんすたれ、現在げんざいではオ・ペアau pair, 語学ごがく留学りゅうがくなどのさいホスト・ファミリー家事かじ手伝てつだうかわりに少額しょうがく謝礼しゃれい支払しはらわれる)やパートタイムの家事かじ労働ろうどうしゃ主流しゅりゅうとなっている。

概説がいせつ

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歴史れきしてき前提ぜんていとしての奉公ほうこう制度せいど

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家事かじ使用人しようにん作業さぎょう内容ないようというてんからると、同様どうよう職業しょくぎょう人類じんるい歴史れきしじょういたるところにみることができる。奴隷どれい労働ろうどうりょく安価あんか供給きょうきゅうされていた古代こだい社会しゃかいにおいては家内かない奴隷どれい仕事しごとであり、自由じゆうみん仕事しごとではなかった。農業のうぎょうなどのしゅたる産業さんぎょう生産せいさん奴隷どれい依存いぞんしていなかった古代こだいエジプトメソポタミアのような社会しゃかいでも、家事かじ労働ろうどう従事じゅうじする家内かない奴隷どれい一般いっぱんてきだったのである。しかし中世ちゅうせいになると、すくなくとも西にしヨーロッパにおいて、奴隷どれいせいはあまり一般いっぱんてきではなくなり、それととも家事かじ労働ろうどうについてまわった奴隷どれい身分みぶんという烙印らくいんうすれていく。とく中世ちゅうせいイングランドでは、わか貴族きぞくがより高位こうい貴族きぞく屋敷やしきにおいて行儀ぎょうぎ見習みならいの一環いっかんとして奉公ほうこうするという慣習かんしゅう存在そんざいしていた。清教徒せいきょうと革命かくめいによる社会しゃかい混乱こんらん男性だんせい紳士しんし見習みならいは下火したびとなったが、それ以降いこうも、貴族きぞく女性じょせい自分じぶん身近みぢか侍女じじょ良家りょうけ出身しゅっしんしゃからえらつづけていた[1]

これら奉公人ほうこうにんかならずしも貴族きぞく屋敷やしきのみでられた存在そんざいではない。おおくの奉公人ほうこうにん出身しゅっしんとした、しょう農場のうじょうおもたちの家庭かていにおいても奉公人ほうこうにんたちの姿すがたることができた。生家せいかはなれ、自分じぶんおなじか、より上位じょうい階層かいそうぞくする「家族かぞく」にはいり、独立どくりつ世帯せたいかまえることが可能かのうとなるまでの期間きかんごすという習慣しゅうかんは、当時とうじのイギリス社会しゃかいにおける広範こうはん階層かいそうにおいてられた奉公ほうこう制度せいど一環いっかんであった。なお当時とうじの「家族かぞく」は、家計かけいともにする集団しゅうだん全体ぜんたい意味いみし、血縁けつえんのみならず奉公人ほうこうにんまでもふくんでいたため、社会しゃかいてき高位こういなほど、おおくの奉公人ほうこうにんれることとなり、「家族かぞく」の規模きぼおおきくなった。このようだい家族かぞくでは「家族かぞく全体ぜんたい家父かふちょう支配しはい監督かんとくかれており、奉公人ほうこうにんたちは衣食住いしょくじゅう保障ほしょうされるわりに、「子供こども」に地位ちいにある存在そんざいとして「父親ちちおや」である家長かちょうにほぼ全面ぜんめんてき従属じゅうぞくしていた。なぜなら当時とうじ共同きょうどうたい構成こうせいする単位たんい個人こじんではなく、家長かちょう中心ちゅうしんとした家族かぞくであったため、家長かちょうのみが世帯せたいぬしとして共同きょうどうたいにおける権利けんり主張しゅちょうできたのであり、かれとの関係かんけいければ、奉公人ほうこうにんかぎらず「家族かぞく」の成員せいいん社会しゃかいてきにいかなる発言はつげんけんっていなかった[2]

家族かぞく関係かんけい変化へんか

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従属じゅうぞくてき立場たちばにあったとはいえ、中小ちゅうしょう農場のうじょうぬしたちの世帯せたいにおいては本当ほんとう家族かぞくよう手厚てあつあつかわれることもすくなくなかったようである。しょう農場のうじょうぬしつまであれば奉公人ほうこうにんならんで家事かじおこなうこともめずらしくはなく、奉公人ほうこうにんとの社会しゃかいてき出自しゅつじおおきくはちがわなかったため、しばしば見分みわけがつかないこともあった[3]主人しゅじん奉公人ほうこうにん両者りょうしゃあいだ峻別しゅんべつすすむのは18世紀せいきのことである。産業さんぎょう革命かくめいかこによってしょうじた伝統でんとうてき家族かぞく経済けいざいから消費しょうひしゃ経済けいざいへの転換てんかんは、生産せいさん単位たんいでもあった「家族かぞく」をたんなる消費しょうひへと変化へんかさせた[4]。それにともない、家族かぞく延長えんちょうであった奉公人ほうこうにん共同きょうどうたいからはなされた労働ろうどうしゃである使用人しようにんとしての性質せいしつつよめていく。

主人しゅじんとサーヴァントとの社会しゃかいてき立場たちば乖離かいりべつ要因よういんからも加速かそくされた。農業のうぎょう革命かくめい以降いこう、イギリス農業のうぎょう効率こうりつすすめヨーロッパにおける農業のうぎょう先進せんしんこくとしての地位ちい確立かくりつしていたが、農業のうぎょう生産せいさん増加ぞうか穀物こくもつ価格かかく上昇じょうしょう農場のうじょうぬしたちの経済けいざいりょく確実かくじつ向上こうじょうさせ、18世紀せいきまつまでには料理人りょうりにん複数ふくすう使用人しようにん雇用こようすることを可能かのうにしていた。このことは、かつては家事かじ使用人しようにんならんで家事かじ農作業のうさぎょうおこなっていた農場のうじょうぬしつまたちが家事かじ家業かぎょうからくことを意味いみした[5]使用人しようにんたちをはたらかせつまをあらゆる種類しゅるい労働ろうどうからはなしておくこと家長かちょうたるおっと経済けいざいりょく証明しょうめいとなり、それはやがてリスペクタビリティをしめうえ不可欠ふかけつなこととなっていく。

雇用こようしゃ増加ぞうか

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農場のうじょうぬし複数ふくすう家事かじ使用人しようにん雇用こよう可能かのうになったことと平行へいこうして、家事かじ使用人しようにん雇用こようすることが可能かのうな、潜在せんざいてき主人しゅじんたちが増加ぞうかはじめていた。元々もともと家事かじ使用人しようにん雇用こようしていた人々ひとびとおも地主じぬし貴族きぞく農場のうじょうぬしなど農村のうそんにおける有力ゆうりょくしゃ、いわば農業のうぎょう資本しほんたちであったが、商業しょうぎょう革命かくめい結果けっか商人しょうにん専門せんもんしょくなどちゅうあいだそうばれる人々ひとびと興隆こうりゅうはじめたのである。かれらがあらたなやとぬしとなり家事かじ使用人しようにんかず急速きゅうそく増加ぞうかし、17世紀せいきまでに役人やくにん専門せんもんしょく商人しょうにんなどは男性だんせいくら安価あんか女性じょせい使用人しようにん雇用こようしているようになっていた[6]。そのミドルクラス成長せいちょう足並あしなみをそろえながら、家事かじ使用人しようにんかず増加ぞうか一途いっとをたどり、19世紀せいきすえから20世紀せいき初頭しょとう最盛さいせいむかえる。その背景はいけいにある要因よういんとして、家事かじ使用人しようにん雇用こようが衒示てき消費しょうひさいたるものであったこと、そのために所属しょぞく階級かいきゅう指標しひょうなされていたことがげられる。またイギリス帝国ていこく拡大かくだいともな本国ほんごくにおける深刻しんこく女性じょせい人口じんこう過剰かじょう、そしてなにより選択肢せんたくしとなりうる職業しょくぎょう欠如けつじょげられる。

女性じょせい使用人しようにんへの転換てんかん

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中世ちゅうせいにおいては貴婦人きふじん侍女じじょ洗濯せんたくのぞくと家事かじ使用人しようにんしょくはほぼ男性だんせいによってめられていた[7]。その要因よういんとして中世ちゅうせいまでの使用人しようにんはその根本こんぽんてき性質せいしつにおいて封建ほうけんてき家臣かしんであり、有事ゆうじさいには戦力せんりょくとして做されたこと[8][9]、また伝統でんとうてき家族かぞく経済けいざいにおいてはそもそも女性じょせい現金げんきん収入しゅうにゅうのために正規せいき労働ろうどうりょくとしてはたらきに必要ひつようかったことがげられる。

しかし、この男女だんじょは18世紀せいき後半こうはんさかいおおきく変化へんかする。アメリカ独立どくりつ戦争せんそう戦費せんぴまかなうため、すべての室内しつない男性だんせい使用人しようにんたい課税かぜいおこなわれるよう(使用しよう人税じんぜい)になると、おおくのしょくにおいて男性だんせいわり女性じょせい雇用こようされるようになった[10]。そのにも男性だんせい使用人しようにん賃金ちんぎん高騰こうとうしたうえに、ことあるごとに主人しゅじん来客らいきゃくたいし「心付こころづけ」を要求ようきゅうするなど、「反抗はんこうてきな」態度たいどがしばしば指摘してきされ、そのために、より従順じゅうじゅんあつかいやすいとかんがえられた女性じょせい使用人しようにんてきすとかんがえられたことをわすれてはならない。女性じょせい使用人しようにん先天的せんてんてき性質せいしつ服従ふくじゅう忠誠ちゅうせいむすびつけることうまでもなく「幻想げんそう」であったのだが、産業さんぎょう革命かくめい進展しんてんにともない家事かじ使用人しようにんわる雇用こようまれ、立場たちば向上こうじょうした男性だんせいとはことなり、おな産業さんぎょう革命かくめいにより伝統でんとうてき仕事しごといとつむぎなど)がうしなわれたにもかかわらず、鉱山こうざん周辺しゅうへん新興しんこう工業こうぎょう都市とし以外いがいでは家事かじ使用人しようにんわる雇用こよう存在そんざいしなかったため女性じょせい使用人しようにん男性だんせい使用人しようにんより従順じゅうじゅんにならざるをなかった。

ただ、使用しよう人税じんぜいさかいおおきく減少げんしょうしたものの、男性だんせい依然いぜんとして家事かじ使用人しようにんとして重要じゅうよう役割やくわりめていた。コストのてんでは圧倒的あっとうてき女性じょせい使用人しようにん安価あんかであったが、男性だんせい使用人しようにんはそのたかいコストゆえに衒示てき消費しょうひとしての価値かちたかめたためである。

家事かじ使用人しようにん衰退すいたい

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だいいち世界せかい大戦たいせん人類じんるい史上しじょうはつそう力戦りきせんであり、イギリスも他国たこくれいれず、ぜん国民こくみんぜん産業さんぎょうげて戦争せんそう協力きょうりょくし、家事かじ使用人しようにん例外れいがいではなかった。男性だんせいとく若者わかものたちを給仕きゅうじ従者じゅうしゃなどに従事じゅうじさせていることが批判ひはんされたのにくわえ、愛国心あいこくしんられた雇用こようしゃたちが使用人しようにんたいして従軍じゅうぐんすすめることもしばしばおこなわれた。かれらはイギリスに勝利しょうりをもたらすべく屋敷やしきはなれ、戦場せんじょうあるいは工場こうじょうへと職場しょくばえていった。男性だんせい使用人しようにんのみならず、女性じょせい使用人しようにんにとってもだいいち世界せかい大戦たいせんひとつの転機てんきであった。おおくの男性だんせい人口じんこう軍隊ぐんたい流入りゅうにゅうした結果けっか男性だんせいによってめられていた工場こうじょう労働ろうどうしゃ店員てんいん事務じむいんといったしょく極端きょくたん人手ひとで不足ふそくとなったのである。これらの欠員けついんめるべく、臨時りんじ産業さんぎょうから労働ろうどう資源しげんさい配分はいぶんおこなわれた。女性じょせい労働ろうどう人口じんこうだい部分ぶぶん従事じゅうじし、イギリス国内こくないにおいて最大さいだい職業しょくぎょう人口じんこうほこった“domestic service”がその供給きょうきゅうげんとなったのである。

家事かじ使用人しようにんたちがあらたにしょく戦争せんそう終結しゅうけつ同時どうじ復員ふくいんした男性だんせいによってふたためられることとなるが、家事かじ使用人しようにん以外いがい選択肢せんたくししめされたというてんで、この一時いちじてき解放かいほうおおきな意味いみった。これ以降いこう使用人しようにんたちは以前いぜんからかんじていた不満ふまんやとぬしとの差別さべつ待遇たいぐう私生活しせいかつたいする干渉かんしょう、いつわるともれない労働ろうどうなど)をよりつよ意識いしきするようになる。自由じゆうもとめる家事かじ使用人しようにん従来じゅうらいの「節度せつど」をまもらせようとする雇用こようしゃ軋轢あつれきだい世界せかい大戦たいせんさらつづき、おおくの人々ひとびと家事かじ使用人しようにんではなく、タイピストなどのあたらしい職業しょくぎょう選択せんたくする。戦後せんご社会しゃかい変化へんかで(多人数たにんずうの)家事かじ使用人しようにん雇用こようする生活せいかつ自体じたい過去かこのもの、あるいは特権とっけんてきなものとなるにつれ(20世紀せいきまつ以降いこう王室おうしつ日本にっぽん皇族こうぞくやしきにいるのみ)、かつては中流ちゅうりゅう以上いじょうのすべての世帯せたいられた家事かじ使用人しようにん存在そんざいはごくかぎられた一部いちぶ富裕ふゆうそうにしかられない「貴重きちょうひん」となっていった。

日本にっぽんでの歴史れきし

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日本にっぽんでは大宝たいほう律令りつりょうからはじまる律令制りつりょうせいじん(5以上いじょうあたえられる)が存在そんざいした。また、かん家人かじんおおやけ奴婢ぬひわたし奴婢ぬひのような奴隷どれいかたち存在そんざいした。平安へいあん中期ちゅうきになると、下人げにんところしたがえのような私的してき隷属れいぞくみんあらわれるが南北なんぼくあさ時代じだい自立じりつし、次第しだい年季奉公ねんきぼうこうというかたちになっていく[11][12]

家事かじ使用人しようにんをめぐる言説げんせつ

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ふたつの国民こくみん

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当時とうじのイギリス社会しゃかいにはめるものまずしいもの別々べつべつの「ふたつの国民こくみん」としてとらえるかんがかた存在そんざいしていた。ディズレーリ由来ゆらいするこの言葉ことば単純たんじゅん経済けいざい状態じょうたいのみならず、社会しゃかいてき政治せいじてき位置いちをもふくんだ概念がいねんである。労働ろうどうしゃなか上流じょうりゅう支配しはいするがわとされるがわ家事かじ使用人しようにん存在そんざいはこのどちらにぞくするか、そのことを端的たんてきしめ要素ようそとして理解りかいされていた[13]

リスペクタビリティとスノビズム

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ヴィクトリアあさにおける家事かじ使用人しようにん急増きゅうぞう理解りかいするためにはリスペクタビリティ[注釈ちゅうしゃく 1]とスノビズムについて理解りかいする必要ひつようがある。リスペクタビリティとはイギリスにおける社会しゃかいてき立場たちばしめす「立派りっぱさ」のことであり、家事かじ使用人しようにん雇用こようにみられる衒示てき消費しょうひはリスペクタビリティをしめ手段しゅだんひとつであった。家事かじ使用人しようにん雇用こよう家事かじ労働ろうどうからの解放かいほうしめすことは、下層かそう中流ちゅうりゅう階級かいきゅうにとってかろうじて可能かのうな衒示てき消費しょうひであった。

当時とうじのイギリス社会しゃかいでは、社会しゃかいてきにより上層じょうそうのリスペクタブルである(立派りっぱな)文化ぶんか生活せいかつ様式ようしき模倣もほうすることで、階級かいきゅうてき差別さべつはかるスノビズムとわれる行動こうどうひろおこなわれており、ヴィクトリアあさにおいて未曾有みぞう繁栄はんえいげた中流ちゅうりゅう階級かいきゅうはジェントルマンたちの生活せいかつをこぞって模倣もほうした。今日きょう耐久たいきゅう消費しょうひざいのようにステータス・シンボルとなったそれらは旅行りょこうであったり、馬車ばしゃであったりしたが、なかでももっと一般いっぱんてきであったのが家事かじ使用人しようにんである。上流じょうりゅう階級かいきゅうとはすなわ有閑ゆうかん階級かいきゅうであり、「はたらかない人々ひとびと」であった。上流じょうりゅう階級かいきゅうよう家事かじ使用人しようにん使役しえきすることによって、生活せいかつのための労働ろうどうから解放かいほうされた存在そんざいであることを誇示こじし、リスペクタブルな身分みぶんであることを周囲しゅういしめそうとした。勿論もちろん十分じゅうぶんかず使用人しようにんやとうことが出来でき上層じょうそう中流ちゅうりゅう階級かいきゅう以上いじょう人々ひとびとならともかく、たった一人ひとり使用人しようにんやとうのがやっと、という最下さいかそう中流ちゅうりゅう階級かいきゅう家庭かていであれば、家事かじからの解放かいほうなどのぞむべくもなかった。しかし、かれらは救貧きゅうひんいんから就業しゅうぎょう可能かのう年齢ねんれいの13さいたっしたばかりの少女しょうじょきわめて安価あんかやとれてまで中流ちゅうりゅう階級かいきゅうとしての体面たいめんたもとうとしたのである[14]

パーフェクト・レディ

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完全かんぜん淑女しゅくじょ」、生活せいかつのための労働ろうどう勿論もちろん家事かじ使用しようじんにより家事かじからも解放かいほうされた存在そんざい。ヴィクトリアあさ中流ちゅうりゅう階級かいきゅうにおいてもとめられた偶像ぐうぞうである。どの程度ていど家庭かてい実現じつげんされていたかの目安めやすには、女性じょせい使用人しようにん統括とうかつ職務しょくむとするハウスキーパーの存在そんざいがある程度ていど有効ゆうこうであろう。使用人しようにん管理かんりすら家政かせいゆだねていれば、「完全かんぜん淑女しゅくじょ」として異論いろん余地よちはないとおもわれるからである。しかし、家政かせい雇用こよう可能かのうとなる収入しゅうにゅう一般いっぱんてき中流ちゅうりゅう階級かいきゅうとしてずかしく程度ていどに「リスペクタブル」と做されるさんにん使用人しようにんというラインをおおきく上回うわまわっている[15][16][17][18]。こうした事情じじょうから、中流ちゅうりゅう家庭かていにおいては完全かんぜん労働ろうどうから解放かいほうされること実際じっさいには不可能ふかのうであった。

イギリスにおける家事かじ使用人しようにん状態じょうたい

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仕着しきせと家事かじ使用人しようにん

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家事かじ使用人しようにんとく女性じょせい使用人しようにん特定とくていよそおいで描写びょうしゃされる。一般いっぱんメイドふくとしてられるこの服装ふくそう定着ていちゃくしたのは19世紀せいきになってからのことである。それ以前いぜん女性じょせい家事かじ使用人しようにん既製きせいふく一般いっぱんてきでなく、衣服いふく高価こうかであったため、やとぬし着古きふるしたふくにつけることもおおかった。それで、しばしばやとぬしとも使用人しようにんとも面識めんしき人間にんげんから場合ばあい、どちらがやとぬしであるのかからず混乱こんらんしょうじる場合ばあいがあった。19世紀せいき急速きゅうそく増加ぞうかした中流ちゅうりゅう階級かいきゅうとくにその下層かそうにおいては居振いふい、教養きょうようなどをとっても労働ろうどうしゃ階級かいきゅうぞくする家事かじ使用人しようにんたちとそれほどおおきなはなかったゆえであった。すくなくとも、下層かそう中流ちゅうりゅう階級かいきゅうであれば地主じぬし貴族きぞく労働ろうどうしゃ比較ひかくした場合ばあいあきらかに後者こうしゃとの距離きょりほうみじかかったことは否定ひていできない。そこで、家事かじ使用人しようにん立場たちば明確めいかくにし、やとぬしとの差別さべつはかるために考案こうあんされたのが、仕着しきせ、いわゆる「メイドふく」である[19]

メイドふくには午前ごぜんよう午後ごごよう種類しゅるい存在そんざいし、一般いっぱんられている、くろのドレスにしろいエプロン、しろいキャップという服装ふくそうはフォーマルにわせた午後ごごようのものである。もう一方いっぽう午前ごぜんよう仕着しきせはあわせいかピンクのプリントふくである。どちらの場合ばあい家事かじ使用人しようにんとしての立場たちば明示めいじてきしめすための記号きごうとしての役割やくわりを、作業さぎょうとしての性質せいしつとともにわせっており、カチューシャなどのアクセサリーるい存在そんざいする余地よちはなかった。これらのふく原則げんそくてき家事かじ使用人しようにん自弁じべんとされており、雇用こようさいしてまえもって準備じゅんびすることがもとめられていた。これらのふくを、えもふくめて準備じゅんびするとなるとかなりまとまった金額きんがく必要ひつようとなり、むすめはたらきに労働ろうどうしゃ階級かいきゅう家庭かていにとってはおおきな負担ふたんとなった[20]幸運こううんめぐまれれば慈善じぜんからの援助えんじょけることもできたが、おおくの場合ばあい本人ほんにん見習みならいをねてパートタイムの家事かじ労働ろうどう初期しょき費用ひようまかな必要ひつようがあった。都市としなどでは互助ごじょかいなどによるてを利用りようすることもあった。

男性だんせい使用人しようにん場合ばあい女性じょせい使用人しようにんとはことなり、基本きほんてき仕着しきせはやとぬしによって支給しきゅうされていた。これは中流ちゅうりゅう階級かいきゅうにとって女性じょせい使用人しようにんやとっていて当然とうぜん存在そんざい做されていたのにたいし、男性だんせい使用人しようにん給与きゅうよ高額こうがくであったために中流ちゅうりゅうでも上層じょうそう位置いちする家庭かていでしか雇用こようできず、華美かび仕着しきせによって積極せっきょくてき存在そんざいしめすべきものだったためである。このような男性だんせい使用人しようにんとく従僕じゅうぼくには仕着しきせにくわえ、かみなども支給しきゅうされていた。

待遇たいぐう生活せいかつ

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"below stairs"とは、家事かじ使用人しようにん生活せいかつ端的たんてきあらわ言葉ことばである。「階下かいか」という言葉ことばとおり、家事かじ使用人しようにんおおくの場合ばあい地下ちかしつ生活せいかつをしていた。これにたいし、地上ちじょう生活せいかつするやとぬし一家いっかは“up stairs”とばれた。男性だんせい使用人しようにん女性じょせい使用人しようにん両方りょうほうやとわれている場合ばあい女性じょせい使用人しようにん屋根裏やねうら寝泊ねとまりすることのほうがおおかったにせよ、その待遇たいぐう地下ちかしつ大差たいさなかった。また家事かじ使用人しようにんについて特筆とくひつすべきはその給与きゅうよである。19世紀せいきつうじて家事かじ使用人しようにん給与きゅうよはほとんど変化へんかがなかった。これは当時とうじ経済けいざい成長せいちょうからみて異様いようおもわれる。事実じじつ労働ろうどうしゃ平均へいきん賃金ちんぎんは1850ねんから1900ねんあいだに1.8ばいにまで上昇じょうしょうしている[21]。しばしば紅茶こうちゃ砂糖さとうビールといった嗜好しこうひんについては別途べっと費用ひよう支給しきゅうされることもあったが、それを加味かみしても給与きゅうよけっして十分じゅうぶんとはえなかった。原則げんそくてき食費しょくひ必要ひつようなく、蝋燭ろうそくえさし、客人きゃくじんからのチップなどの、ときには給金きゅうきん匹敵ひってきした職業しょくぎょうじょうの「役得やくとく」があってはじめて家事かじ使用人しようにん生活せいかつしていくことができた。

都市としくらべて農村のうそんでは家事かじくわえて農業のうぎょう酪農らくのうにかりされたり、地主じぬし貴族きぞくして中流ちゅうりゅう家庭かていではもとろうとより酷使こくしされる傾向けいこうがあったりと、地域ちいきやとぬしによってこまかなはあったが、家事かじ使用人しようにん仕事しごとそうじてオーバーワークであった。比較的ひかくてき条件じょうけん貴族きぞく屋敷やしきでさえ、厳密げんみつ時間じかん管理かんり巧妙こうみょう連携れんけい、そして個人こじん奮闘ふんとうがあってはじめて作業さぎょうをこなすことができた[22]てい賃金ちんぎん重労働じゅうろうどうのため、家事かじ使用人しようにんつねによりよい条件じょうけん職場しょくばもとめており、次々つぎつぎ世帯せたいわたあるくこともしばしばであった。

雇用こよう求職きゅうしょく

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中世ちゅうせい奉公人ほうこうにんとはことなり、使用人しようにんやとぬしえら自由じゆうっていたが、反面はんめん仕事しごと自分じぶんさが必要ひつようがあり、しょく紹介しょうかい非常ひじょう重宝ちょうほうされた。とく農村のうそん出身しゅっしんしゃはじめて家事かじ使用人しようにんしょく場合ばあい地域ちいき有力ゆうりょくしゃしかるべき職場しょくば紹介しょうかいすることがおおかった。都市とし出身しゅっしんよりも従順じゅうじゅんでつらい仕事しごとにもよくえるとかんがえられていたため、農村のうそん出身しゅっしんしゃしかるべき紹介しょうかいさえあれば比較的ひかくてき容易よういはたらこうつけることが可能かのうであった。また家族かぞくうわさばなし近隣きんりんひろめないためには可能かのうかぎ遠方えんぽう出身しゅっしんしゃ雇用こようすることのぞましいともかんがえられていた。

有力ゆうりょくしゃ縁故えんこ場合ばあいわって斡旋あっせんおこなったのは小売こうり業者ぎょうしゃであった。様々さまざま家庭かてい出入でいりする商人しょうにんはどの家庭かてい人手ひとでしがっているかをよく認識にんしきしていた。また友人ゆうじん同僚どうりょう紹介しょうかいという手段しゅだん有効ゆうこうであった。雇用こようぬし上司じょうし性格せいかくなど職場しょくば内部ないぶ情報じょうほう事前じぜんくわしくくことができるというてんでこの方法ほうほうすぐれていた。

これといったツテの地方ちほう出身しゅっしんしゃ雇用こよう利用りようした。これはとく農場のうじょうぬし家庭かていやとわれる家事かじ使用人しようにん利用りようされることおお方法ほうほうで、職種しょくしゅあらわほうきやスプーンを使用人しようにんさがひとたちに自分じぶん場所ばしょであった。しかし、この雇用こよう習慣しゅうかん奴隷どれい市場いちば連想れんそうさせることから次第しだい下火したびになっていった[23]わって登場とうじょうしたのが新聞しんぶん広告こうこく斡旋あっせんしょである。これらふたつの手段しゅだんとく都市としにおいて頻繁ひんぱん利用りようされていたが、詐欺さぎなどに利用りようされることもあり、いに紹介しょうかいしてもらうほうこのましいとされていた[24]

最後さいご救貧きゅうひんいん出身しゅっしんしゃには救貧きゅうひんいんからの斡旋あっせんというがあった。救貧きゅうひんいんでは就業しゅうぎょう可能かのう年齢ねんれいになるとすぐに救済きゅうさいり、収容しゅうようしゃはたらきにしたが、女性じょせいであれば選択せんたく余地よちはほとんどく、家事かじ使用人しようにんしょく紹介しょうかいされた。しかし、このような救貧きゅうひんいん出身しゅっしんしゃ給与きゅうよひく反面はんめん高価こうか品物しなものあつかいにはれていないとかんがえられており、彼女かのじょらをやとれたのは中流ちゅうりゅうでも最下さいかそう人々ひとびとがほとんどであった[25]

職業しょくぎょうとしての家事かじ使用人しようにん

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家事かじ使用人しようにんという選択せんたくは20世紀せいき初頭しょとうまでは特別とくべつ技能ぎのうたない女性じょせいにとって最大さいだいの、そしておおくの場合ばあい生計せいけいてるほとんど唯一ゆいいつ手段しゅだんであった。この職業しょくぎょう自由じゆう意志いしもとづく賃金ちんぎん労働ろうどうという近代きんだいてき労働ろうどう条件じょうけんたしてはいたが、おおくの場合ばあいみでの勤務きんむもとめられたうえ明確めいかく勤務きんむ時間じかん規定きてい存在そんざいしなかった。また雇用こようしゃたいして無条件むじょうけんでの服従ふくじゅうもとめられる場合ばあいおおく、そのため、中世ちゅうせいてき奉公人ほうこうにんから現代げんだいてき労働ろうどうしゃ移行いこうするじょうでの過渡かとてき存在そんざいであるとなされる[26]

職種しょくしゅ概要がいよう

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性別せいべつ作業さぎょう内容ないようによりいくつかの職種しょくしゅ分類ぶんるいされる。以下いか代表だいひょうてきなものをげる。

アッパー・サーヴァント(上級じょうきゅう使用人しようにん

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ランド・スチュワード
ぜん使用人しようにんちょう主人しゅじん領地りょうち管理かんりをする役目やくめい、農地のうち賃貸ちんたいし、借地しゃくちりょう徴収ちょうしゅうし、境界きょうかいせん調査ちょうさし、借地しゃくちじんあいだあらそいを調停ちょうていし、領収りょうしゅう支出ししゅつこまかい記録きろく保管ほかんする。屋敷やしきにランド・スチュワードがいない場合ばあいはバトラーが兼任けんにんしていた。
※スチュワードは日本語にほんごやくでは「家令かれいまたは「執事しつじ」と翻訳ほんやくされる場合ばあいおおい。したがって、スチュワード、バトラーども執事しつじにされ、区別くべつ困難こんなん場合ばあいがある。
ハウス・スチュワード
かん管理かんりや、男性だんせい使用人しようにん雇用こよう解雇かいこおこなった。役割やくわりじょう堂々どうどうとした風采ふうさいぬしおおかったらしい。屋敷やしきにハウス・スチュワードがいない場合ばあいはバトラーが兼任けんにんしていた。
バトラー
バトラー参照さんしょう
マスター・オブ・ザ・ホース
厩舎きゅうしゃ責任せきにんしゃ。1825ねんごろにはカントリー・ハウスからほとんど姿すがたした。
レディーズ・メイド
侍女じじょ別名べつめいウェイティング・ウーマン。おんな主人しゅじん寝室しんしつでの世話せわ衣装いしょうえらびや着付きつけ、髪結かみゆいや旅行りょこう準備じゅんびなどすべての事柄ことがら気配きくばりをした。また、おんな主人しゅじんがディナー・パーティーや舞踏ぶとうかい出席しゅっせきするとよるおそくまできてっていなければならなかった。
一般いっぱんてきにレディーズ・メイドはフランスじん女性じょせいいとされ、フランスじんでなくてもフランスじん女性じょせいのような名前なまえ名乗なのらされる場合ばあいもあったらしい。
女性じょせい使用人しようにんなかでも別格べっかく位置付いちづけだった。ただし、おんな主人しゅじん老齢ろうれいになるとしょくうしなうかもしれないという不安ふあんがあった。このしょくくには針仕事はりしごと帽子ぼうしづくりの技能ぎのうようした。特典とくてんとしておんな主人しゅじんのおがりのふくもらうことが出来できた。
ジェントルマン・イン・ウェイティング
侍従じじゅう。レディーズ・メイドの男性だんせいばん。1825ねんごろにはカントリー・ハウスからほとんど姿すがたした。
ハウスキーパー家政かせい婦長ふちょう
ナニー、ガヴァネス、レディーズ・メイドのさんしゃのぞく、台所だいどころ担当たんとうおよすべての女性じょせい使用人しようにん管理かんり統括とうかつした。また食料しょくりょうひん貯蔵ちょぞうしつかぎあずかり管理かんりもしていた。リネンと高価こうか陶器とうき管理かんりまかされており、自分じぶん部屋へやかぎがかかる戸棚とだなとシンクをそなえたちいさな陶器とうき部屋へやとはつながっていた。私室ししつ仕事しごと部屋へやねていた。そこには奥行おくゆきのふかこうたなゆかから天井てんじょうまでとど戸棚とだながあり、保存ほぞん食品しょくひんピクルススパイス極上ごくじょう食品しょくひん菓子かし砂糖さとうビスケットかれていた。尊敬そんけいしるしとして独身どくしんであってもつねに「ミセス」のかんむりきでばれていた。
クラーク・オブ・ザ・キッチン(厨房ちゅうぼうがかり
食糧しょくりょう調達ちょうたつし、肉屋にくや、パン食料しょくりょうひん雑貨ざっか値段ねだん交渉こうしょうする。ハウス・スチュワードがこうした商人しょうにんへの支払しはらいをあてがう手持ても資金しきん支出ししゅつし、注文ちゅうもんはコックから定期ていきてきされた。
ヘッド・シェフ/コック
一般いっぱんには女性じょせいのコックがやとわれていたが、おおきな屋敷やしきには男性だんせいのシェフがいた。男性だんせいのコックは女性じょせいスタッフに技術ぎじゅつおしえるため短期間たんきかんだけ採用さいようされていることもあった。女性じょせい料理人りょうりにんはハウスキーパー同様どうよう独身どくしんであってもつねに「ミセス」の尊称そんしょうきでばれていた。
仕事しごとはそのとお料理人りょうりにん。キッチンの最高さいこう責任せきにんしゃでキッチンメイド、皿洗さらあら女中じょちゅうたち統括とうかつしていた。邸宅ていたくつとめのコックの年収ねんしゅうは19世紀せいきまつで50-70ポンド(やく120まん-168まんえん)だった。
ヘッド・ベイカー
パン職人しょくにん
とう製造せいぞうじん
パティシエ
ヴァレット(従者じゅうしゃ近侍きんじとも)
主人しゅじんさきつねにおきょうし、主人しゅじん服装ふくそう使つかい、履物はきものまでも注意ちゅういした。あさ主人しゅじんこすことから仕事しごとはじまり、主人しゅじんるまで仕事しごとわらなかった。つね主人しゅじん気持きもちを素早すばやさっする必要ひつようがあった。
グルーム・オブ・ザ・チェンバーズ
家具かぐ暖炉だんろまどかぎなどの管理かんりきゃくおくむかえ、部屋へや案内あんない、そしてすべてのレセプション・ルームの責任せきにんしゃとしてすうかい、いくつかの部屋へやまわってととのえていた。フットマンの監督かんとくおこなっていた。
だい規模きぼなカントリー・ハウスにしかいなかった。
屋敷やしきチェンバー部屋へやすべてを管理かんりする役目やくめだったので複数ふくすうがた
チェンバー・メイド
おんな主人しゅじん寝室しんしつ掃除そうじ、ベッド・メイキング、おんな主人しゅじん服装ふくそう世話せわをした。レディーズ・メイドと役割やくわりかさなる部分ぶぶんもある。
ナニー/ナースメイド
貴族きぞく女性じょせい子供こどもんでもむねかたちくずれるから、社交しゃこういそがしいからという理由りゆう母乳ぼにゅうあたえることからした世話せわいたるまでナニーにまかせきりだった。また田舎いなか健康けんこう女性じょせいほうちちだしく、丈夫じょうぶそだつとしてナニーにたよっていた。子供こども乳離ちばなれしたのち面倒めんどうるナニーもいた。子供こども朝食ちょうしょくつくり、子供こども規則正きそくただしい生活せいかつまもらせ、子供こどもにきちんとしゃべらせ、行儀ぎょうぎいをきびしくしつけることがようされた。子持こもちである必要ひつようはなく、独身どくしんわか女性じょせいもナニーの仕事しごとをしていた。子供こどもたち就寝しゅうしんは18:30ごろで、毎日まいにち1あいだほどしか居間いまおやたちにうことができなかった。
ガヴァネス
みの家庭かてい教師きょうし中流ちゅうりゅう階級かいきゅう出身しゅっしん女性じょせいはガヴァネスとコンパニオンしか仕事しごとかったので、ガヴァネスはつね供給きょうきゅう過剰かじょう状態じょうたいだった。
コンパニオン
上流じょうりゅう階級かいきゅう女性じょせいはな相手あいてをする仕事しごと中流ちゅうりゅう階級かいきゅう出身しゅっしん女性じょせいがこのにんいた。ガヴァネスとおなじくつね供給きょうきゅう過剰かじょう状態じょうたいだった。
シャペロン
わか未婚みこん女性じょせい外出がいしゅつするとき、もしくは社交しゃこうじょうときいをした。おおくは年配ねんぱい婦人ふじん社交しゃこう行儀ぎょうぎ作法さほうまもられているかを監督かんとくする目付めつけ
チューター
未成年みせいねんしゃ後見人こうけんにん

ロワー・サーヴァント(下級かきゅう使用人しようにん

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フットマン従僕じゅうぼく
バトラーの直接ちょくせつ配下はいかにいた。仕事しごとは、なつあさ6時半じはんからふゆあさ7からはじまり、よる家族かぞくるまではたらいた。主人しゅじんたちるのがどんなにおそかろうと、あさ勤務きんむ開始かいし時間じかんにはわりはなかった。いそがしいよる一睡いっすい出来できなかったらしい。
仕事しごと内容ないようはランクによってことなり多岐たきにわたる。馬車ばしゃったおんな主人しゅじん世話せわ馬車ばしゃ供回ともまわり(主人しゅじん馬車ばしゃかけるときに、シークレットサービスのようにつねあし伴走ばんそうした)、夜間やかんかりち、ブーツみがき、石炭せきたんはこび、ランプや蝋燭ろうそくての世話せわ、テーブルでの給仕きゅうじ玄関げんかん主人しゅじん一家いっかかえりをち、ベルへの応答おうとうやパーティーの手伝てつだいなどをした。また、主人しゅじんこしたり、衣類いるいにブラシをかけてぞろえておき、夜会やかいふくととのえていつでも主人しゅじんがディナー・パーティーにていけるようにした。午後ごごの4時半じはんには紅茶こうちゃを、午後ごご6には酒類しゅるい用意よういをし、ディナーがわると紳士しんしたち部屋へや整理せいりをし、衣服いふくにブラシをかけ、よる10時半じはんか11には客間きゃくまさけはこんだ。
スチュワード・ルーム・フットマン
家令かれいしつ(ランド・スチュワードの仕事しごと部屋へや)の給仕きゅうじ。スチュワーズ・ボーイ(給仕きゅうじ見習みならい)とおなじだとおもわれる。アッパー・サーヴァントたち食事しょくじとき給仕きゅうじした。
スクールルーム・フットマン
勉強べんきょうしつ従僕じゅうぼく
アンダー・バトラー
ふく執事しつじ執事しつじ助手じょしゅ執事しつじ仕事しごと手伝てつだった。
マスター・オブ・ザ・サーヴァンツ・ホール
サーヴァンツ・ホールの責任せきにんしゃ
ペイジ・ボーイ(小姓こしょう
主人しゅじん雑用ざつようおこなう。
ホール・ポーター
荷物にもつはこびをおこなった。
ホール・ボーイ
キッチン・ポーター
オッド・ジョブ・マン
便利べんりもしくは臨時りんじやといの人間にんげんす。食材しょくざいはこんだり、力仕事ちからしごとふく雑用ざつようをしていた。
セカンド・シェフ
アッパー・サーヴァントであるヘッド・シェフ(コック)の助手じょしゅ
セカンド・ベイカー
アッパー・サーヴァントであるヘッド・ベイカーの助手じょしゅ
ヘッド・キッチンメイド
台所だいどころ女中じょちゅうあたま。キッチンメイドを管理かんり統括とうかつしていた。
ファースト・キッチンメイド
だいいちじょちゅう。コックのした料理りょうり手伝てつだいをする女性じょせい使用人しようにん。ファースト・キッチンメイドの仕事しごと毎朝まいあさ7までにキッチンにはいり、とりつばさあし胴体どうたいくし固定こていする。また、料理りょうり手伝てつだいや様々さまざま料理りょうり下拵したごしらえ、アイスクリーム、ソースをつくり、子供部屋こどもべや食事しょくじ使用人しようにん食事しょくじつくった。年収ねんしゅうは19世紀せいきまつで20-28ポンド(やく48まん-67まん2000えん)だった。
セカンド・キッチンメイド
だい二女じじょちゅう。コックのした料理りょうり手伝てつだいをする女性じょせい使用人しようにんなつあさの6から、ふゆあさの6時半じはんからはたらはじめた。仕事しごと内容ないようは、あさはキッチンテーブルの支度したくからはじまった。テーブルの中央ちゅうおうにある真鍮しんちゅうこなふりこな砂糖さとうえんまでれ、しおれにもしおをしっかり補充ほじゅうし、さらにコックが料理りょうりあわせにしいともおもった場合ばあいにはコックがすぐにれるようになま野菜やさいとハーブのったさら用意よういしなければならなかった。また、コックとヘッド・キッチンメイドが作業さぎょうするためのまないたを2まい、テーブルの両側りょうがわ必要ひつようがあった。そしてまないたわきにはしろぬのき、そのうえにはコックが朝食ちょうしょく調理ちょうりし、けをするために必要ひつようなスプーンとナイフもならべた。使用しようしたスプーンやナイフは食器洗しょっきあらじょういそいで片付かたづけてあらい、コックのスプーンとナイフの一式いっしき食事しょくじ都度つど交換こうかんするかした。
には、小麦粉こむぎこ準備じゅんび、イーストを泡立あわだつまであたためる、パンをそこあさなべあぶらをひいてファースト・キッチンメイドがいつでもパンをけるように準備じゅんび(ファースト・キッチンメイドがいそがしいときわりにパンをいた)、アイスケーブの支度したくうなぎかわはぎ、また焼肉やきにく料理りょうりときは50ポンド(やく22.7kg)もの牛肉ぎゅうにく前肢ぜんしをレンジのはこんだ。
年収ねんしゅうは19世紀せいきまつで14-22ポンド(やく33まん6000-52まん8000えん)だった。
2-3ねんつと屋敷やしきのファースト・キッチンメイドのしょく応募おうぼして昇進しょうしんすることもできた。
サンドリー・ヴェジタブル・メイド(ヴェジタブル・ガール)
野菜やさいがかり女性じょせい使用人しようにん野菜やさいしも準備じゅんびをした。
スカラリー・メイド(皿洗さらあら女中じょちゅう
大抵たいてい場合ばあい女性じょせいはじめて屋敷やしき奉公ほうこうくと、最初さいしょ仕事しごとしたのハウスメイドか皿洗さらあら女中じょちゅうだった。したがって、彼女かのじょたち年齢ねんれいは12-3さいほどだった。
食器洗しょっきあらじょうで、仕事しごと内容ないようはキッチン道具どうぐのこすりあらい、ゆかたなみがきからとり羽根はねむしり、りょうじゅうかわぐといった雑用ざつようまでもこなした。またキッチンメイドのかずすくないとき野菜やさいあら調理ちょうりした。就業しゅうぎょう時間じかんなつあさの6から、ふゆあさの6時半じはんからはたらはじめ、よるは11になってもなべあらっていた。年収ねんしゅうは1880ねんで12-18ポンド(やく28まん8000-43まん2000えん)だった。
こんなに大変たいへん仕事しごとでも労働ろうどうしゃ階級かいきゅうおやたちにとって、結婚けっこんまえむすめ皿洗さらあら女中じょちゅうとしてはたらくことは家事かじおぼえるので花嫁はなよめ修業しゅうぎょうなされていた。
皿洗さらあら女中じょちゅう服装ふくそう胸当むねあてのついたオランダ・エプロンにたくしあげることができるそできのふく生地きじ丈夫じょうぶなオックスフォード)。それにあつくつかブーツをいていた。髪型かみがたんで帽子ぼうしなかおさめていた。
1-1ねんはんにセカンド・キッチンメイドへ昇進しょうしんできる機会きかいがあった。
ヘッド・スティ・ルーム・メイド
食料しょくりょうひん貯蔵ちょぞうしつ責任せきにんしゃ。ハウス・キーパーの仕事しごとたすけ、あてがわれた自分じぶん部屋へや陶器とうきるい保管ほかんした。ハウス・キーパーの部屋へや掃除そうじし、暖炉だんろをつけるために毎朝まいあさ6きた。
スティルーム・メイド
ハウスキーパー(もしくはヘッド・スティ・ルーム・メイド)のしたき、レンジや菓子かし製造せいぞうようのオーブンがある食品しょくひんしつはたらいていた。ここでハウスキーパーとともにジャム、ケーキ、ビスケット、紅茶こうちゃ、コーヒー、清涼飲料水せいりょういんりょうすい屋敷やしきれた果物くだものはな々の砂糖さとうけなどをつくった。
ハウスメイド
一般いっぱん女中じょちゅうともわれている。仕事しごと範囲はんい多岐たきわたり、使用人しようにん食事しょくじ休息きゅうそくをとるサーヴァンツ・ホールで食事しょくじはずをととのえ、ときには主人しゅじんやくつとめた。また、家具かぐみがくなどかん全体ぜんたい清潔せいけつにし、様々さまざま雑用ざつようをこなした。部屋へやがかり食卓しょくたくがかりのメイドはその立場たちばにふさわしい名前なまえつべきものとされていた。本名ほんみょうはどうあれジェーン、メアリ、イーディスといったメイドとしてふさわしい名前なまえ屋敷やしきでは名乗なのった。ハウスメイドのうちいちばん序列じょれつたかい(=さい先任せんにんの)メイドをヘッド・ハウスメイド(メイドちょう)とんでハウスキーパーの代行だいこうになわせることもある。
メイド・オブ・オールワーク(雑役ざつえき
中流ちゅうりゅう以下いかいえやとわれる、家事かじ全般ぜんぱんおこなうメイド。一定いってい以上いじょう規模きぼかんではメイドも職域しょくいきによって分業ぶんぎょうがなされているが、多数たすうのメイドをやと余裕よゆうのない家庭かていでは1~2めいのメイドにあらゆることをさせるのがつねだった。
メイド・オブ・ビトゥイーン
メイド経験けいけんのないとしわか少女しょうじょなどが見習みならいとしてかんはいさいもちいられることがおおかった立場たちば。ビトゥイーン(~と~のあいだ)とは「ハウスメイド」と「キッチンメイド」のあいだという意味いみであり、仕事しごとおぼえるために双方そうほう職務しょくむ兼務けんむした。ふたつの職域しょくいきをこなすため仕事しごとりょう膨大ぼうだいで、見習みならいという立場たちばのため給金きゅうきんやすかった。
パーラー・メイド
食卓しょくたくととのえ、給仕きゅうじおこない、訪問ほうもんしゃ到来とうらいげたりした。
洗濯せんたく女中じょちゅう
そのとお洗濯せんたくがかりたて一家かずや洗濯せんたく要員よういん使用人しようにん衣類いるいあら要員よういんのランクにかれていた。
ミルク・メイド(酪農らくのう
キッチンメイドとほぼおな仕事しごとをこなした。
コーチマン(御者ぎょしゃ
アウトドア・スタッフのなかでは最高さいこうめていた。うまが50-60とうもいるようなおおきなカントリー・ハウスでは2人ふたり御者ぎょしゃがおり、御者ぎょしゃ助手じょしゅであるアンダー・コーチマンがすうにん、その大勢おおぜい馬丁ばていがいた。
アンダー・コーチマン
コーチマンの助手じょしゅ
グルーム(下男げなん
馬小屋うまごや管理かんりっているうま世話せわをする。
ポーター
領地りょうちのゲート・ハウスで入場にゅうじょうしゃをチェックしたり、かぎをかけたりする。
庭師にわし
植物しょくぶつ世話せわ館内かんない装飾そうしょくをした。また訪問ほうもんきゃくをガイドする必要ひつようがあるため、礼儀れいぎただしいマナーをにつけていなければならなかった。
パーク・キーパー
おも領地りょうちない鹿しか世話せわをする。
ゲーム・キーパー
かり規則きそくっていて、違反いはんとがめる審判しんぱん役割やくわりをする。
ランプ・ボーイ/ブーツ・ボーイ
ハンティングよごれたりょう装具そうぐ一式いっしき次回じかい着用ちゃくようするときのために新品しんぴん同様どうようになるまで洗濯せんたくし、手入ていれをした。
ポスティリオン
騎手きしゅうま
ヤード・ボーイ
雑役ざつえきおっと
プロヴィジョン・ボーイ
食糧しょくりょう準備じゅんびがかり
フット・ボーイ
家庭かていよう菜園さいえん管理かんりしゃ
機械きかいこう
こう
電話でんわばん
外線がいせん直接ちょくせつけてぐ。
メッセンジャー
伝令でんれい伝言でんごん手書てがきの書簡しょかん相手あいてさきとどけにったり郵便ゆうびんぶつ発送はっそうをする。
夜警やけい
守衛しゅえい主人しゅじん一家いっか寝静ねしずまったのち夜盗やとう侵入しんにゅうしゃそなえる。
厩舎きゅうしゃ要員よういん
自動車じどうしゃ・ガレージ要員よういん
運転うんてんしゅなど。
体育たいいくしつ・ゴルフコース要員よういん
まど人夫にんぷあたま
まど人夫にんぷ
吟遊ぎんゆう楽人がくじん、トランペットき、鷹匠たかじょう道化師どうけし
いわゆる「芸能人げいのうじん」。祝宴しゅくえん舞台ぶたい活躍かつやくした。

収入しゅうにゅう世帯せたい規模きぼ

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参考さんこうまでにかく階層かいそうごと適正てきせい、あるいは「たけにあった」とされた世帯せたい規模きぼおおまかにしる[27]

中流ちゅうりゅう最下さいかそう(150-200ポンド)
かろうじてざつはたら女中じょちゅう一人ひとり
中流ちゅうりゅう(-500ポンド)
料理人りょうりにん女中じょちゅう子守こもりといった家事かじ必要ひつようさんにん男性だんせい使用人しようにんやとえない。
中流ちゅうりゅう上層じょうそう(-1200ポンド)
実務じつむじょう必要ひつようさんにんくわえ、男性だんせい使用人しようにんである従僕じゅうぼくや、小間使こまづかいといった衒示てき誇示こじ外聞がいぶんてき性格せいかくつよ使用人しようにんやとう。女中じょちゅう複数ふくすうになる場合ばあいもある。
上流じょうりゅうおよび中流ちゅうりゅうさい上層じょうそう(-5000ポンド)
執事しつじ家政かせいといった使用人しようにん管理かんり代行だいこうする上級じょうきゅうしょくくわわる。
さい富裕ふゆうそう
家令かれい外国がいこくじん料理人りょうりにん従者じゅうしゃ洗濯せんたくふくすべての使用人しようにん雇用こよう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ リスペクタビリティ(respectability):世間体せけんてい市民しみんてき価値かちかんなどとやくされる。

出典しゅってん

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  1. ^ ホーン、1975、3ページ
  2. ^ 村岡むらおか川北かわきた、2003、101ページ
  3. ^ Huggett,1977, p8.
  4. ^ 村岡むらおか川北かわきた、106ページ
  5. ^ Huggett, pp.8-10.
  6. ^ Huggett, p.7.
  7. ^ 河村かわむら(1982):155ページ
  8. ^ ホーン,7ページ
  9. ^ ブリッグズ,2004, 167ページ
  10. ^ Huggett, p.21
  11. ^ ぞく日本にっぽん』 、『れいしゅうかい. 平安へいあん政府せいふ 
  12. ^ 下人げにん”. 20200115閲覧えつらん
  13. ^ 河村かわむら、149ページ
  14. ^ Flanders,2004, pp.130-133.
  15. ^ ホーン、85ページ。
  16. ^ 河村かわむら、159ページ。
  17. ^ Huggett, p.54
  18. ^ Beeton,2000, p.16
  19. ^ 河村かわむら、157-159ページ
  20. ^ Huggett, p.58.
  21. ^ Haigh, 1985, p.280。Weekly wages and prices for the average worker 1850-1900のひょうより。このひょうによると1850ねん実質じっしつ給与きゅうよを100とした場合ばあい、1900ねん実質じっしつ給与きゅうよは181とされる。
  22. ^ Sambrook,1999, p99.
  23. ^ May, 1998, p6.
  24. ^ Beeton, p14.
  25. ^ Flanders, pp.130-132
  26. ^ ホーン、180ページ
  27. ^ Beeton, p.16 および Huggett, p.54

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 河村かわむら貞枝さだえ 「ヴィクトリア時代じだい家事かじ使用人しようにん」『路地ろじうらだいえい帝国ていこく』、角山つのやまさかえ川北かわきたみのるへん平凡社へいぼんしゃ、1982ねん
  • A.ブリッグズ 『イングランド社会しゃかい』 今井いまいひろしやく筑摩書房ちくましょぼう、2004ねん
  • P.ホーン 『ヴィクトリアン・サーヴァント』 子安こやす雅博まさひろやくえいたからしゃ、2005ねん
  • 村岡むらおか健次けんじ川北かわきたみのる編著へんちょ 『イギリス近代きんだい [改訂かいていばん] 』ミネルみねるァ書房ぁしょぼう、2003ねん
  • Beeton, Isabella. Book of Household Management. Oxford : Oxford University Press, 2000
  • Flanders, Judith. Inside The Victorian Home. New York : W.W.Norton & Company, 2004
  • Haigh, Christopher ed. The Cambridge Historical Encyclopedia of Great Britain and Ireland. Campridge : Cambridge UP, 1985
  • Huggett, Frank E. Life Below Stairs. London : Book Club Associates, 1977
  • Sambrook, Pamela. The Country House Servant. Gloucestershire : Sutton Publishing, 1999
  • 小林こばやし章夫あきお 『召使めしつかいたちのだいえい帝国ていこく』 よういずみしゃ<新書しんしょ>、2005ねん
  • J.スウィフト 『奴婢ぬひくん』 岩波書店いわなみしょてん<文庫ぶんこ>、1950ねん
  • バンクス夫妻ふさい 『ヴィクトリア時代じだい女性じょせいたち』 河村かわむら貞枝さだえやくそうぶんしゃ歴史れきしがく叢書そうしょ、1980ねん
  • L.ピカード 『18世紀せいきロンドンの私生活しせいかつ』 田代たしろ泰子やすこやく東京書籍とうきょうしょせき、2002ねん
  • K.ヒューズ 『じゅうきゅう世紀せいきイギリスの日常にちじょう生活せいかつ』 上松あげまつ靖夫やすおやく松柏しょうはくしゃ、1999ねん
  • S.マーロウ 『イギリスのある女中じょちゅう生涯しょうがい』 徳岡とくおか孝夫たかおやくくさおもえしゃ、1994ねん
  • E.ロバーツ 『おんなは「何処どこで」はたらいてきたか』 大森おおもり真紀まき奥田おくだ伸子のぶこやくちょ法律文化社ほうりつぶんかしゃ、1990ねん
  • May, Trevor. The Victorian Domestic Servant. Buckinghamshire : Shire Publications, 1998
  • Mayhew, Henry. London Labour and The London Poor, London : Penguin Books, 1985

関連かんれん項目こうもく

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