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小川おがわ正洋まさひろ

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おがわ まさひろ

小川おがわ 正洋まさひろ
生誕せいたん (1948-05-15) 1948ねん5月15にち
日本の旗 日本にっぽん千葉ちばけん山武さんぶぐん松尾まつおまち借毛本郷かしけほんごう685番地ばんち
死没しぼつ (2018-11-26) 2018ねん11月26にち(70さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん静岡しずおかけん浜松はままつ
死因しいん 心不全しんふぜん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
民族みんぞく 日本人にっぽんじん
出身しゅっしんこう 明治学院大学めいじがくいんだいがく法学部ほうがくぶ
職業しょくぎょう 政治せいじ活動かつどう
活動かつどう期間きかん 1969ねん – 1970ねん
団体だんたい 民兵みんぺい組織そしきだてかい
肩書かたがだてかいさん期生きせいだい7はん班長はんちょう
敵対てきたいしゃ 反日はんにち主義しゅぎ共産きょうさん主義しゅぎ
罪名ざいめい 三島みしま事件じけんにおける監禁かんきん致傷ちしょう暴力ぼうりょく行為こういとう処罰しょばつかんする法律ほうりつ違反いはん傷害しょうがい職務しょくむ強要きょうよう嘱託しょくたく殺人さつじん
配偶はいぐうしゃ けい映子えいこ
おや 小川おがわたかしちち)、妙子たえこはは
家族かぞく 直哉なおやあに)、きの一郎いちろう長男ちょうなん
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小川おがわ 正洋まさひろ(おがわ まさひろ、1948ねん昭和しょうわ23ねん5月15にち - 2018ねん平成へいせい30ねん11月26にち[1])は、日本にっぽん政治せいじ活動かつどう民族みんぞく主義しゅぎもの三島みしま由紀夫ゆきお結成けっせいした「だてかい」の3期生きせいだい7はん班長はんちょう三島みしま森田もりた必勝ひっしょうともに、憲法けんぽう改正かいせいのための自衛隊じえいたい決起けっきクーデター)をびかける三島みしま事件じけん参加さんかした一員いちいんである[2]

経歴けいれき

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1948ねん昭和しょうわ23ねん)5がつ15にち会社かいしゃいんちちけいはは妙子たえこ次男じなんとして千葉ちばけん山武さんぶぐん松尾まつおまち借毛本郷かしけほんごう685番地ばんち誕生たんじょう[3][2]。3さいじょうあに直哉なおやあねがいた[2][注釈ちゅうしゃく 1]。その一家いっか千葉ちば仁戸名にとなまちげん中央ちゅうおう仁戸名にとなまち)に転居てんきょした[2]

正洋まさひろ子供こどもころ母親ははおやから、木口きぐち小平しょうへい広瀬ひろせ武夫たけお乃木のぎ希典まれすけはなしかされ、一緒いっしょ映画えいが明治天皇めいじてんのうにち戦争せんそう』『てきちゅう横断おうだんさんひゃく』をたことから、日本にっぽん歴史れきし興味きょうみつようになった[5][6]

天皇てんのううやま気持きもちが自然しぜん芽生めばえていた正洋まさひろは、中学ちゅうがく2ねんとき同級生どうきゅうせいが「天皇てんのう税金ぜいきん泥棒どろぼうだ」とったことにはらて、その同級生どうきゅうせいなぐってしまったこともあった[5]高校こうこうときのクラス討議とうぎでも、「憲法けんぽう改正かいせいして(自衛隊じえいたいを)軍隊ぐんたいにすべきだ」という正洋まさひろ意見いけん賛同さんどうするものだれもなく、自衛隊じえいたい必要ひつよう武装ぶそう中立ちゅうりつにすべきという意見いけん多勢たぜいだった[5]

歴史れきし授業じゅぎょうで、教師きょうし江戸えど時代じだい武士ぶし搾取さくしゅしていた時代じだい断定だんていしたことに疑問ぎもんち、教師きょうし議論ぎろんたたかわせたこともあった[7]

にちがくどう――森田もりた必勝ひっしょうとの出会であ

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1967ねん昭和しょうわ42ねん)3がつ千葉ちば県立けんりつ船橋ふなばし高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう、4がつ明治学院大学めいじがくいんだいがく法学部ほうがくぶ進学しんがくした小川おがわ[2]1968ねん昭和しょうわ43ねん)3がつごろに「日本にっぽん学生がくせい同盟どうめい」(にちがくどう)にはいり、5月に八王子はちおうじ大学だいがくセミナーハウスでおこなわれた理論りろん合宿がっしゅく学生がくせい文化ぶんかフォーラム」で、森田もりた必勝ひっしょう早稲田大学わせだだいがく教育きょういく学部がくぶ)としたしくなった[8][5]

その合宿がっしゅくシンポジウムまねかれた三島みしま由紀夫ゆきおが、「右翼うよく理論りろんではなく心情しんじょうだ」とった言葉ことば小川おがわ感動かんどうした[5]。6月には、森田もりたらとともに「全日本ぜんにほん学生がくせい国防こくぼう会議かいぎ」を組織そしき[9]、10月から実家じっかはなれて千葉ちば道場南どうじょうみなみまちアパートひかりそうむようになった[2]

1969ねん昭和しょうわ44ねん)2がつ小川おがわ森田もりたと、田中たなか健一けんいち亜細亜大学あじあだいがく法学部ほうがくぶ)、野田のだ隆史たかし麻布まふじゅう医科いか大学だいがく)、鶴見つるみ友昭ともあき早稲田大学わせだだいがく)、西尾にしお俊一しゅんいち国士舘大学こくしかんだいがく)とともにちがくどう脱退だったいした[10][9]田中たなか下宿げしゅくさきである新宿しんじゅくじゅうしゃ西新宿にししんじゅく4丁目ちょうめ)のアパート小林こばやしそう8ごうしつをたまりにしていた6めいは「じゅうしゃグループ」とばれた[10][9]

この「じゅうしゃグループ」に、森田もりた縁者えんじゃ倉田くらた賢司けんじ立命館大学りつめいかんだいがく1ねん)もくわえた7にんで、政治せいじ結社けっしゃ祖国そこく防衛ぼうえいたい」(三島みしま祖国そこく防衛ぼうえいたいだてかい前身ぜんしん組織そしき〉と同名どうめい)を結成けっせいし、小川おがわふく隊長たいちょうとなった(隊長たいちょう森田もりた[10]

だてかい

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小川おがわ森田もりたからさそわれて、三島みしま由紀夫ゆきお引率いんそつするだい3かい自衛隊じえいたい体験たいけん入隊にゅうたい田中たなか健一けんいちとも参加さんかし、1969ねん昭和しょうわ44ねん)3がつ1にちから29にちまで陸上りくじょう自衛隊富士学校じえいたいふじがっこう滝ヶ原たきがはら駐屯ちゅうとん軍事ぐんじ訓練くんれんけた[9]

三島みしま先生せんせいは、如何いかなるときでも学生がくせい先頭せんとうたれ、訓練くんれんともにうけました。ともどろにまみれ、あせながしてゆきうえをほふくし、その姿すがた感激かんげきせずにはおられませんでした。これは世間せけんでいう三島みしま道楽どうらくでもなんでもない。また、文学ぶんがくしゃとしての三島みしま由紀夫ゆきおでもない。日本にっぽんをこよなくあいしている本当ほんとう日本人にっぽんじんちがいないとおもい、三島みしま先生せんせいこそ信頼しんらい尊敬そんけいできるおかただ、先生せんせいについていけばかなら日本にっぽんのためにはたらけるときがくるだろうとかんがえました。 — 小川おがわ正洋まさひろ裁判さいばん陳述ちんじゅつ[5]

だてかい 3期生きせいとなった小川おがわは、板橋いたばし警察けいさつしょ道場どうじょう皇宮警察こうぐうけいさつすみやすしかん居合いあい剣道けんどう稽古けいこはげみ、5がつごろからはだてかい主要しゅよう精鋭せいえいメンバー「決死けっしたい」の1人ひとりとして、三島みしまから日本にっぽんがたなわたされた[11][12][13]

1970ねん昭和しょうわ45ねん)4がつ10日とおかだい7はん班長はんちょうとなっていた小川おがわは、三島みしまていばれ、最後さいごまで行動こうどうともにする意志いしがあるかを打診だしんされて沈思ちんし黙考もっこうすえ承諾しょうだくした[2][14][15]詳細しょうさい三島みしま事件じけん#三島みしま由紀夫ゆきお自衛隊じえいたい参照さんしょう)。

同年どうねん5がつから、小川おがわ恋人こいびとけい映子えいこ同棲どうせいするようになり、三島みしま事件じけん前日ぜんじつの11月24にち入籍にゅうせきした(けい映子えいこ当時とうじ小川おがわごもっていた[16][2][14][注釈ちゅうしゃく 2]けい映子えいこ小川おがわから事前じぜん決起けっき計画けいかくのことをかされっていたという[16]事件じけん当日とうじつの11月25にち三島みしま森田もりた割腹かっぷく自決じけつしたのち小川おがわは、しょう正義まさよしだい5はん班長はんちょう)、古賀こが浩靖ひろやすだい5はんふく班長はんちょう)とともに、拘束こうそくしていた益田ますだけん東部とうぶ方面ほうめん総監そうかん解放かいほうし、自決じけつさせないよう最後さいごまで護衛ごえいする任務にんむ遂行すいこうした[2]詳細しょうさい三島みしま事件じけん#経緯けいい参照さんしょう)。

三島みしま事件じけん裁判さいばん陳述ちんじゅつ

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自衛隊じえいたい治安ちあん出動しゅつどうするまでの空白くうはくめるのが、だてかい目的もくてきだった。くにがみずからの日本にっぽん文化ぶんか伝統でんとうつたえ、くにまもるのを憲法けんぽう保障ほしょうするのは当然とうぜんである」
三島みしま先生せんせいの『右翼うよく理論りろんでなく心情しんじょうだ』という言葉ことばはとてもうれしいものでした。自分じぶんひとからくらべれば勉強べんきょうりないし、活動かつどう経験けいけんすくない。しかし、日本にっぽんおも気持きもちだけはだれにもけないつもりだ。三島みしま先生せんせいは、如何いかなるときでも学生がくせい先頭せんとうたれ、訓練くんれんともにうけました。ともどろにまみれ、あせながしてゆきうえをほふくし、その姿すがた感激かんげきせずにはおられませんでした。これは世間せけんでいう三島みしま道楽どうらくでもなんでもない。また、文学ぶんがくしゃとしての三島みしま由紀夫ゆきおでもない。(中略ちゅうりゃくだてかい例会れいかいつうじ、先生せんせいは『左翼さよく右翼うよくとのちがいは“天皇てんのう”しかないのだ』とよく説明せつめいされました。『左翼さよくかさ方式ほうしきだが我々われわれちがう。我々われわれはぎりぎりのたたかいをするしかない。後世こうせいしんじても未来みらいしんじるな。未来みらいのための行動こうどうは、文化ぶんか成熟せいじゅく否定ひていするし、伝統でんとう高貴こうき否定ひていする。自分じぶんみずからを、歴史れきし精華せいか具現ぐげんする最後さいごものとせよ。それが神風かみかぜ特攻隊とっこうたい行動こうどう原理げんり“あとにつづものありとしんじず”の思想しそうだ。(中略ちゅうりゃく武士ぶしどうとはぬこととつけたりとは、あさきたらその最後さいごだとおもうことだ。だから歴史れきし精華せいか具現ぐげんするのは自分じぶん最後さいごだとおもうことが、武士ぶしどうなのだ』とおしえてくださいました。(中略ちゅうりゃくわたしたち行動こうどうしたからといって、自衛隊じえいたい蹶起けっきするとはかんがえませんでしたし、なかきゅうわることもあろうはずがありませんが、それでもやらねばならなかったのです」 — 小川おがわ正洋まさひろ裁判さいばん陳述ちんじゅつ[3][5]

三島みしま事件じけん

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1971ねん昭和しょうわ46ねん)に小川おがわ長男ちょうなん誕生たんじょうした[17]1972ねん昭和しょうわ47ねん)4がつ27にち、「だてかい事件じけん裁判さいばんだい18かい最終さいしゅう公判こうはんで、同志どうししょう正義まさよし古賀こが浩靖ひろやすとも小川おがわ懲役ちょうえき4ねん実刑じっけい判決はんけつくだされた[18]罪名ざいめいは「監禁かんきん致傷ちしょう暴力ぼうりょく行為こういとう処罰しょばつせきスル法律ほうりつ違反いはん傷害しょうがい職務しょくむ強要きょうよう嘱託しょくたく殺人さつじん」であった[18]

1974ねん昭和しょうわ49ねん)10がつかり出所しゅっしょ[19][20]刑期けいきえた小川おがわは、故郷こきょう千葉ちばけんくらした[20]。そのつま実家じっかがある静岡しずおかけん浜松はままつ生活せいかつはじめ、衆議院しゅうぎいん議員ぎいんゆえ安倍あべはじめゆうきゅう民社党みんしゃとうきゅう自由党じゆうとう)の秘書ひしょや、きゅう民主党みんしゅとう静岡しずおか県連けんれん事務じむ局長きょくちょうつとめるなどし、浜松はままつやく40年間ねんかんくらした[1]。その小川おがわと40ねんちか親交しんこうのあった男性だんせいによれば、事件じけん小川おがわ三島みしま由紀夫ゆきおつねに「先生せんせい」とんでいたが、事件じけんほとんどのだてかいのメンバーとは交流こうりゅうしておらず、2008ねん平成へいせい20ねんごろから小川おがわ健康けんこうがい体調たいちょうかんばしくなかったという[1]

2018ねん平成へいせい30ねん)11月26にち心不全しんふぜんのため死去しきょ享年きょうねん70さい通夜つや翌日よくじつの28にち葬儀そうぎ告別こくべつしきは29にち午前ごぜん11から静岡しずおかけん浜松はままつちゅうげん中央ちゅうおう)の浜松はままつ葬儀そうぎはまそう会館かいかん浜松はままつみなみにて(喪主もしゅ長男ちょうなんきの一郎いちろう[21][1]

人物じんぶつぞう

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  • 1969ねん昭和しょうわ44ねん)11月3にち国立こくりつ劇場げきじょう屋上おくじょうおこなわれただてかい結成けっせいいち周年しゅうねんパレードでは、白地しろじかぶとあかめたたいはたかかげて行進こうしんした[22][23]
  • 長身ちょうしん口髭くちひげやしていた小川おがわは、「応援おうえんだん」タイプだった[10]規律きりつただしい生活せいかつあこがれていたという[4]
  • 不測ふそく事態じたいそなえていた辞世じせい以下いかのものである[24]
くもをらび しらゆきさやぐ 富士ふじの うたしんぞ もののふみち — 小川おがわ正洋まさひろ
  • 小川おがわ正洋まさひろ面識めんしきのあった作家さっか渥美あつみにょうによれば、小川おがわ印象いんしょうは「温厚おんこうひと」で、「三島みしま事件じけんについてはあまりかたりたがらず、過去かこ封印ふういんしているようにもえた」という[1]。また、小川おがわ浜松はままつで40年間ねんかんほど親交しんこうのあった男性だんせい小川おがわについて、「とてもおだやかだが、かげのあるひと仕事しごと以外いがい交友こうゆう関係かんけいをあまりひろげたがらなかった」とかたっている[1]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ あに直哉なおやは、のちに地方ちほう公務員こうむいんとなった[4]
  2. ^ あに直哉なおや親友しんゆうからけい映子えいこ紹介しょうかいされてったという[4]あに2人ふたり結婚けっこん大学だいがく卒業そつぎょうまでつようにっていた[4]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f 小川おがわ正洋まさひろさん死去しきょだてかい三島みしま事件じけん参加さんか中日新聞ちゅうにちしんぶん、2018ねん11月27にち
  2. ^ a b c d e f g h i 国会こっかい占拠せんきょせよ ■だいかい公判こうはん」(裁判さいばん 1972, pp. 59–82)
  3. ^ a b はるゆきだいいちかい公判こうはん」(裁判さいばん 1972, pp. 20–59)
  4. ^ a b c d 最高さいこうだいじゅうかい公判こうはん」(裁判さいばん 1972, pp. 197–202)
  5. ^ a b c d e f g 「『日本にっぽんがたな武士ぶしたましい』 ■だいななかい公判こうはん」(裁判さいばん 1972, pp. 123–150)
  6. ^ 「『天皇てんのう中心ちゅうしん国家こっかを』■だいじゅうかい公判こうはん」(裁判さいばん 1972, pp. 233–244)
  7. ^ 非常ひじょう連帯れんたいだいじゅうろくかい公判こうはん」(裁判さいばん 1972, pp. 245–270)
  8. ^ だいしょう ノサップ」(彰彦あきひこ 2015, pp. 71–136)
  9. ^ a b c d だいいちしょう あけぼの」(ぐん 2005, pp. 9–80)
  10. ^ a b c d だいさんしょう 惜別せきべつとき」(彰彦あきひこ 2015, pp. 137–198)
  11. ^ 「IV 行動こうどうしゃ――集団しゅうだんというはし」(村松むらまつ 1990, pp. 443–468)
  12. ^ 「VIII とおきん目標もくひょう混淆こんこうのなかで」(山本やまもと 1980, pp. 176–205
  13. ^ 昭和しょうわ44ねん」(にちろく 1996, pp. 365–384)
  14. ^ a b だいななしょう」(あずさ 1996, pp. 233–256)
  15. ^ だいよんしょう そのとき、そしてこれから」(ぐん 2005, pp. 111–188)
  16. ^ a b だいななしょう」(長和おさわ 2023, pp. 176–189)
  17. ^ だいじゅうしょう 35 尽日じんじつは?」(長和おさわ 2023, pp. 227–231)
  18. ^ a b 憂国ゆうこく法理ほうり接点せってんだいじゅうはちかい公判こうはん」(裁判さいばん 1972, pp. 305–318)
  19. ^ 終章しゅうしょう三島みしま事件じけん』か『だてかい事件じけん』か」(保阪ほさか 2001, pp. 303–322)
  20. ^ a b だいよんしょう のこされたものたち」(村田むらた 2015, pp. 161–222)
  21. ^ 三島みしま由紀夫ゆきお研究けんきゅうかいメルマガ通巻つうかんだい1298ごう(2018ねん11月27にち
  22. ^ だいよんしょう 邂逅かいこう、そして離別りべつ」(保阪ほさか 2001, pp. 189–240)
  23. ^ 「IX 絶望ぜつぼうえてなお活路かつろを」(山本やまもと 1980, pp. 206–222
  24. ^ 「『ることはなと……』■だいさんかい公判こうはん」(裁判さいばん 1972, pp. 83–98)

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 安藤あんどうたけし へん三島みしま由紀夫ゆきおにちろく」』未知みちだに、1996ねん4がつNCID BN14429897 
  • 安藤あんどうたけし三島みしま由紀夫ゆきお生涯しょうがい夏目なつめ書房しょぼう、1998ねん9がつISBN 978-4931391390 
  • 井上いのうえゆたかおっとはたていない約束やくそく――三島みしま由紀夫ゆきおのこせしもの』コスモのほん、2006ねん10がつISBN 978-4906380800 
  • 鈴木すずき繪美えみ監修かんしゅう田村たむらつかさぐんのゆくへ――もとだてかい会員かいいんたちのしん軌跡きせきかしわ艪舎、2005ねん11月。ISBN 978-4434070662 
  • 伊達だてそうかつ裁判さいばん記録きろく三島みしま由紀夫ゆきお事件じけん」』講談社こうだんしゃ、1972ねん5がつNCID BN0140450X 
  • 中村なかむら彰彦あきひこ三島みしま事件じけん もう一人ひとり主役しゅやく――烈士れっしばれた森田もりた必勝ひっしょうワック、2015ねん11月。ISBN 978-4898317297  - 初刊しょかんばんは『烈士れっしばれるおとこ――森田もりた必勝ひっしょう物語ものがたり』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2000ねん5がつ文春ぶんしゅん文庫ぶんこ再刊さいかん、2003ねん6がつISBN 978-4163562605ISBN 978-4167567071
  • 長和おさわ由美子ゆみこ手記しゅき 三島みしま由紀夫ゆきおさま わたし森田もりた必勝ひっしょう恋人こいびとでした』秀明ひであき大学だいがく出版しゅっぱんかい、2023ねん6がつISBN 978-4915855474 
  • 平岡ひらおかあずさせがれ三島みしま由紀夫ゆきお文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう文春ぶんしゅん文庫ぶんこ〉、1996ねん11月。ISBN 978-4167162047  - ハードカバーばんは1972ねん5がつ NCID BN04224118雑誌ざっし諸君しょくん!』1971ねん12がつごう-1972ねん4がつごう連載れんさいされたもの。
  • 平岡ひらおかあずさせがれ三島みしま由紀夫ゆきお没後ぼつご)』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1974ねん6がつNCID BN03950861 
  • 福島ふくしまろう再訂さいてい資料しりょう三島みしま由紀夫ゆきお』(増補ぞうほ再訂さいていちょうぶんしゃ、2005ねん9がつISBN 978-4886951809  - 再訂さいてい初版しょはんは1989ねん6がつ ISBN 978-4886950130原本げんぽん初刊しょかんは『資料しりょうそうしゅう三島みしま由紀夫ゆきお』(新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1975ねん6がつNCID BN06124544
  • 保阪ほさかただしやすし三島みしま由紀夫ゆきおだてかい事件じけん角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこ〉、2001ねん4がつISBN 978-4043556021  - ちくま文庫ぶんこ再刊さいかん、2018ねん1がつ。ハードカバーばんは『憂国ゆうこく論理ろんり――三島みしま由紀夫ゆきおだてかい事件じけん』(講談社こうだんしゃ、1980ねん11月)NCID BN0927574X
  • 松浦まつうら芳子よしこ監修かんしゅう松浦まつうらひろしいまよみがえる三島みしま由紀夫ゆきお――自決じけつよりよんじゅうねん高木たかぎ書房しょぼう、2010ねん12月。ISBN 978-4884710866 
  • 村上むらかみ建夫たけおきみたちにはからない――「だてかい」で三島みしま由紀夫ゆきお新潮社しんちょうしゃ、2010ねん10がつISBN 978-4103278511 
  • 村田むらた春樹はるき三島みしま由紀夫ゆきおきた時代じだい――だてかい森田もりた必勝ひっしょうあお林堂はやしどう、2015ねん10がつISBN 978-4792605322 
  • 村松むらまつつよし三島みしま由紀夫ゆきお世界せかい新潮社しんちょうしゃ、1990ねん9がつISBN 978-4103214021  - 新潮しんちょう文庫ぶんこ再刊さいかん、1996ねん10がつ ISBN 978-4101497112
  • 持丸もちまるひろし; 佐藤さとう松男まつお証言しょうげん三島みしま由紀夫ゆきお福田ふくだひさしそん たったいち対決たいけつ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2010ねん10がつISBN 978-4163732503 
  • 森田もりた必勝ひっしょう『わが思想しそう行動こうどう――遺稿いこうしゅう』(新装しんそう日新にっしん報道ほうどう、2002ねん11月。ISBN 978-4817405289  - 初刊しょかんばんは1971ねん NCID BA51175945
  • 山本やまもとしゅんかち三島みしま由紀夫ゆきお憂悶ゆうもん祖国そこく防衛ぼうえい市ケ谷いちがや決起けっきへの道程どうてい真相しんそう日本文芸社にほんぶんげいしゃ、1980ねん6がつNCID BN10688248 
  • 山本やまもとしゅんしょう自衛隊じえいたいかげ部隊ぶたい」――三島みしま由紀夫ゆきおころした真実しんじつ告白こくはく講談社こうだんしゃ、2001ねん6がつISBN 978-4062107815 
  • 三島みしま由紀夫ゆきお決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう38かん 書簡しょかん新潮社しんちょうしゃ、2004ねん3がつISBN 978-4106425783 
  • 佐藤さとう秀明ひであき; 井上いのうえ隆史たかし; 山中やまなか剛史たけし へん決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう42かん 年譜ねんぷ書誌しょし新潮社しんちょうしゃ、2005ねん8がつISBN 978-4106425820 

関連かんれん項目こうもく

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