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ほうはく

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ほうはく(ほうはく、どく: Landgrafえい: landgrave)は、封建ほうけん諸侯しょこうあたえられた称号しょうごうひとつ。

おおくの場合ばあいかみきよしマ帝国まていこくもしくはかつてのその領域りょういきにできたしょ国家こっかで、「伯爵はくしゃく」のわりに、神聖しんせいローマ皇帝こうてい封建ほうけんてき義務ぎむ直接ちょくせつっていたもの使用しようされた称号しょうごうである。その支配しはい領域りょういき公爵こうしゃく司教しきょう宮中きゅうちゅうはくのような中間ちゅうかん権力けんりょくいなりにならずに、時々ときどきおおきく拡大かくだいされた。ていロタリンギアたいして1086ねん以降いこう使用しようされたという最初さいしょ記録きろく以降いこう、この称号しょうごう神聖しんせいマ帝国まていこく時代じだいつうじてびた。かたはく通常つうじょう主権しゅけん行使こうしした。かたはく意思いし決定けっていりょく公爵こうしゃくのそれに相当そうとうした。

そのザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公たいこうこく大公たいこう20世紀せいき初頭しょとうテューリンゲンかたはくねたように、貴族きぞく補助ほじょてき称号しょうごうとして時々ときどき使用しようされたが、だいいち世界せかい大戦たいせんのちには使つかわれなくなった。

中国ちゅうごく

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古代こだい中国ちゅうごくでは諸侯しょこうちょうをいう。れい王制おうせいへんに「千里之外設方伯」とあるように、おうよりせんさとないは「おう畿」とばれ、その外部がいぶを「かた」といった。いんしょう諸国しょこく九州きゅうしゅうにわけ、はちしゅうそれぞれにかたはくいて諸侯しょこうたばねさせたという。はくであり、これはのちの「覇者はしゃ」(諸侯しょこう盟主めいしゅ)へとつながっていく。

ほうはくしょうかんだいしゅうまき刺史ししとう観察かんさつ使などの雅号がごうとして後代こうだいまで使用しようされた。

関連かんれん項目こうもく

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