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日吉ひよし二宮にのみや神社じんじゃ

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日吉ひよし二宮にのみや神社じんじゃ
日吉ひよし二宮にのみや神社じんじゃ正面しょうめん
所在地しょざいち 滋賀しがけん高島たかしま新旭しんあさひまち深溝ふかみぞ1460-1
位置いち 北緯ほくい3521ふん24.7びょう 東経とうけい13602ふん58.7びょう / 北緯ほくい35.356861 東経とうけい136.049639 / 35.356861; 136.049639
主祭しゅさいしん 大山おおやま咋神
社格しゃかくひとし きゅう村社そんしゃ
創建そうけん のべ4ねん
本殿ほんでん様式ようしき さんあいだしゃ流造ながれづくり
別名べつめい 二宮にのみや権現ごんげん
深溝ふかみぞ神社じんじゃ
例祭れいさい 5月3にち
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日吉ひよし二宮にのみや神社じんじゃ(ひよしにのみやじんじゃ)は滋賀しがけん高島たかしま新旭しんあさひまち深溝ふかみぞ鎮座ちんざする神社じんじゃである。きゅう村社そんしゃ

祭神さいじん

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かみもん

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歴史れきし

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しゃ僧家そうけつたわる「饗庭あいば文書ぶんしょ」によると、のべ4ねん木津きづそう山門さんもん千僧供せんぞくりょうになったさい勧請かんじょうされたという。おうひさし15ねん氏子うじこ争議そうぎこり、氏子うじことう神社じんじゃ現在げんざい大國たいこく主神しゅしんしゃ二分にぶんし、琵琶湖びわこほとり遷座せんざされた。その江戸えど時代じだい初期しょきまでりょう神社じんじゃ例祭れいさいは、4月はつさる大國たいこく主神しゅしんしゃうえ御前ごぜんさい、4がつ初酉はつとりとう神社じんじゃした御前ごぜんさいしょうし、上郷かみさと田井だい五十川いそがわ上野うえの米井よねい辻澤つじさわもり)と下郷しもごう深溝ふかみぞ霜降しもふり小池こいけ山形やまがた)の共同きょうどうおこなわれていた。遷座せんざのちは、比叡ひえい本荘ほんじょう鎮守ちんじゅとして崇拝すうはいけた。なお、琵琶湖びわこ増水ぞうすいにより度々どど鎮座ちんざうつされている。たからいさお3ねん1451ねん)の「二宮にのみや神田かんだちょう」でのみや敷地しきちは9反歩たんぶあった。鳥羽とばいんより神領しんりょうとして比叡ひえい本荘ほんじょうたまわったとされる。おうなが29ねん1422ねん)の『木津きづそうけんちゅうとばり』にも「二宮にのみや」として記載きさいされている。

社家しゃけ

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室町むろまち時代ときよ土豪どごう饗庭あえばさんぼうのひとり定林ていりんぼう播磨はりま初代しょだいとする定林ていりんぼうしゃ僧家そうけとして奉仕ほうししてきた。定林ていりんぼう明治めいじ神仏しんぶつ分離ぶんりさいして饗庭あえば名乗なのった。現在げんざい大國たいこく主神しゅしんしゃ社家しゃけ神職しんしょくつとめている。

祭事さいじ

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午前ごぜんちゅう祭典さいてんのち午後ごごから神輿しんよ渡御とぎょしきおこなわれる。御旅所おたびしょでは神人しんじん共食ともぐい神事しんじおこなわれるほか、みや名残なごりもうけられる。
  • 5月5にちつぎ日曜日にちようび 境内けいだいしゃ ぎょう神社じんじゃ八幡やはた神社じんじゃ がつさい西宮にしのみやだい神社じんじゃ例祭れいさい なみ えびすさい
  • 6月20にち 小池こいけ愛宕あたご神社じんじゃ はるこうさい
  • 6月30にち 夏越なごし大祓おおはらい
  • 7がつ最終さいしゅう日曜日にちようび かわすそさい西宮にしのみやだい神社じんじゃ境内けいだいしゃ から﨑神しゃ
  • 9月12にちちか日曜日にちようび きゅうがつさい
  • 10月15にち 霜降しもふりさい
  • 11月23にち 新嘗祭にいなめさい
  • 12月上旬じょうじゅん 神宮じんぐう大麻たいま頒布はんぷしき
  • 12月30にち としえつ大祓おおはらい

重要じゅうよう祭礼さいれいは、神職しんしょく巫女ふじょ、5にんみや総代そうだい鬼子おにごははぜんかみどう世話人せわにん代表だいひょう、16にんとし行事ぎょうじおこなわれる。このうちとし行事ぎょうじは、任期にんき4ねんかく年次ねんじ長男ちょうなん」から「四男よつお」とばれる4にん男性だんせい構成こうせいされ、1ねんまえ見習みならい、2ねん見習みならい(ぜんやく)、3ねんほんやく、4ねんいちねん客人きゃくじん、5ねんねん客人きゃくじんぶ。4ねん・5ねんは、「おれい奉公ほうこう」ともばれる。また、とし行事ぎょうじつとめたものみや総代そうだいになることができ、とし行事ぎょうじみや総代そうだい経験けいけんしたもの長老ちょうろう鬼子おにごははぜんかみどう世話人せわにん)になる資格しかくができるというまりがある。なお、長老ちょうろうは13にん定数ていすうとなっている。

さかい内外ないがいしゃ

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境内けいだい末社まっしゃ

  • くだり神社じんじゃ(ぎょうざじんじゃ)
勧請かんじょう年代ねんだい由緒ゆいしょしょうきゅう深溝ふかみぞむら氏神うじがみ祭神さいじん大歳おおとししん天知あまち迦流すいひめしんきゅうかくしゃ現在げんざい本社ほんしゃ境内けいだいうつされているが、跡地あとちには現在げんざいほこらのこり、御旅所おたびしょになっている。1月3にちときぎょうされる事始ことはじめ祈願きがんさいでは、拜殿はいでんまとしゃ神事しんじ水門すいもんでのはらいしきおこなわれる。これはほん神社じんじゃ祭神さいじんである大歳おおとししんかみ)と天知あまち迦流すいひめしんみずかみ)に五穀豊穣ごこくほうじょういの儀式ぎしきである。
  • 八幡やはた神社じんじゃ(はちまんじんじゃ)
勧請かんじょう年代ねんだいしょう日吉ひよし大社たいしゃ宇佐うさみや勧請かんじょうしたという。祭神さいじん応神天皇おうじんてんのうきゅう霜降しもふりむら氏神うじがみ本社ほんしゃは、元々もともときゅう霜降しもふりむら鎮座ちんざし、その跡地あとちにはしゃしるべのこっている。本社ほんしゃきゅう社地しゃちは、現在げんざい正傳せいでんてら西側にしがわにあったとされる、おうなが29ねん木津きづそうけんちゅうとばり』に記載きさいの「野神のがみ」ではないかというせつがある。毎年まいとし1がつ1にちには霜降しもふり区民くみんによる拜賀はいがしきおこなわれるほか、とし2かい湯立ゆだて神事しんじおこなわれる。きゅうかくしゃ

さかいがい末社まっしゃ

  • 日吉ひよし神社じんじゃ(ひよしじんじゃ)
勧請かんじょう年代ねんだいしょう日吉ひよし大社たいしゃ客人きゃくじんみや勧請かんじょうしたという。祭神さいじんきくひめいのちきゅう八幡やはた神社じんじゃみちかいに鎮座ちんざしていた。現在げんざいは、日吉ひよし二宮にのみや神社じんじゃ合祀ごうしされ、しゃしるべのこるのみとなっている。きゅうかくしゃ

さかいがい摂社せっしゃ

  • 西宮にしのみや大神だいじんしゃ(にしのみやおおかみのやしろ)
勧請かんじょう年代ねんだい由緒ゆいしょしょう祭神さいじん事代ことしろ主命しゅうめいきゅう山形やまがたむら氏神うじがみおうなが29ねん木津きづそうけんちゅうとばり』では「えびす」と記載きさいされている。5月5にち例祭れいさいときぎょうされる。登記とうきじょう独立どくりつした法人ほうじんかくになっており、ろくにんしゅという有力ゆうりょく古老ころうにより運営うんえいされる。きゅうかくしゃ
  • から﨑神しゃ(からさきじんじゃ)
勧請かんじょう年代ねんだい不明ふめいである。もと地元じもと有力ゆうりょくしゃやしきないにあったやしきないしゃ起源きげんではないかとつたわっている。また、おうなが29ねん木津きづそうけんちゅうとばり』に記載きさいされている「えびす西宮にしのみやだい神社じんじゃ)」に隣接りんせつするつぼ記載きさいされた「野神のがみ」ではないかというせつもある。祭神さいじんおんな別当べっとういのち(わけすきひめのみこと)。霊験れいけんがあるとのことで西宮にしのみや大神だいじん社内しゃないうつされ、現在げんざいいたっている。7月28にちかわすそさい(かわすそまつり)がときぎょうされ、納涼のうりょうおどりなどでにぎわう。
  • 愛宕あたご神社じんじゃ(あたごじんじゃ)
勧請かんじょう年代ねんだいしょう小池こうじむら成立せいりつしたとき、氏神うじがみとして山城やましろこく愛宕あたご神社じんじゃ勧請かんじょうしたという。祭神さいじんさん霊神れいじんきゅう小池こうじむら氏神うじがみとし2かい愛宕あたごこうさいおこなわれる。

文化財ぶんかざい

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  • 本殿ほんでん
高島たかしま指定してい文化財ぶんかざい
  • 饗庭あえば文書ぶんしょ
きゅうしゃ僧家そうけ饗庭あえばつたわる中世ちゅうせい貴重きちょう古文書こもんじょぐん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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交通こうつう

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  • 高島たかしまコミュニティバス(はーとバス) 「日吉ひよし二宮にのみや神社じんじゃまえ停留所ていりゅうじょ下車げしゃすぐ

周辺しゅうへん

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