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寺社じしゃりょう

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神領しんりょうから転送てんそう

寺社じしゃりょう(じしゃりょう)とは、かつて日本にっぽんにあった領地りょうち区分くぶんのひとつ。

概要がいよう

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伊勢神宮いせじんぐう神田かんだ

おも寺社じしゃりょうとは、寺社じしゃ維持いじ運営うんえいのために設置せっちされた所領しょりょうのことである。

古代こだいにおいては自前じまえりょう神田かんだ寺田てらだ)にくわえ、律令りつりょう国家こっかによって給付きゅうふされたふう墾田こんでん開発かいはつによって成立せいりつした初期しょき荘園しょうえん寺社じしゃおおきな収入しゅうにゅうげんであった(一部いちぶだい寺院じいんだい神社じんじゃにはみやつこてら神郡かんごおり制度せいどもあった)。ところが、律令制りつりょうせい弛緩しかんとともにふう初期しょき荘園しょうえん機能きのう形骸けいがいした。これにわって平安へいあん時代じだい中期ちゅうき以後いご輸のけんなどを獲得かくとくした寄進きしんけい荘園しょうえん経営けいえい基盤きばんとして現地げんちあずかところ派遣はけんするとともに、現地げんち有力ゆうりょくしゃ農民のうみんそうかん名主なぬし任命にんめいして国衙こくがからの支配しはい対抗たいこうした。

ただし、寺院じいん神社じんじゃでは支配しはい傾向けいこうちがいがあり、寺院じいんでは荘園しょうえん領主りょうしゅとしての権限けんげん複数ふくすうしょく分割ぶんかつされずに一元いちげんてき支配しはいおこなわれるか、寺院じいん本体ほんたいとそこにぞくするいんあいだ分割ぶんかつされ、他者たしゃ参入さんにゅうふせごうとしたが、14世紀せいきになると武士ぶしによる侵略しんりゃくさらされたために、寺院じいん周辺しゅうへん荘園しょうえんにおけるちょくつとむ支配しはい強化きょうかして確実かくじつ地子じし得分とくぶん確保かくほ目指めざすようになった。一方いっぽう神社じんじゃでは社家しゃけ荘園しょうえん分割ぶんかつ支配しはいして安定あんていした収入しゅうにゅう確保かくほはかろうとするが、次第しだい自己じこいえりょうとして私物しぶつして場合ばあいによっては第三者だいさんしゃ譲渡じょうとするれいあらわれた。そこで、外部がいぶからの侵略しんりゃく内部ないぶからの押領をふせぐために各種かくしゅ寺社じしゃ興行こうぎょうほうさだめられたが、効力こうりょくうすかった。

やがて、南北なんぼくあさ戦国せんごく戦乱せんらんによって荘園しょうえんせい崩壊ほうかいすると、おおくの寺社じしゃりょううしなわれ、統一とういつ政権せいけんでは検地けんち強化きょうかによって、一部いちぶ朱印しゅいんまくはん体制たいせいによって保護ほごされるにぎなくなる。

そして、明治めいじ政府せいふ地租ちそ改正かいせいともなう1871ねん明治めいじ4ねん)と1875ねん明治めいじ8ねん)のうえともれいにより境内けいだい以外いがい土地とち没収ぼっしゅうされた。

寺社じしゃりょう完全かんぜん解体かいたいされたのはだい2世界せかい大戦たいせんのアメリカ進駐軍しんちゅうぐんによる農地のうち改革かいかくで、これと檀家だんか制度せいど解体かいたいくわわり大寺おおてらふくおおくの寺院じいん困窮こんきゅうした。

幕末ばくまつ寺社じしゃりょう

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国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんの『きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょうデータベース』に記載きさいされている幕末ばくまつ全国ぜんこく各地かくち寺社じしゃりょうじょふくむ)は以下いかとおり。

あいきゅうであってもここでは1むらとしてかぞえる。

一覧いちらん

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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