(Translated by https://www.hiragana.jp/)
春は馬車に乗って - Wikipedia コンテンツにスキップ

はる馬車ばしゃって

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
はる馬車ばしゃって
わけだい Spring Riding in a Carriage
作者さくしゃ 横光よこみつ利一としかず
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ女性じょせい1926ねん8がつごう
出版しゅっぱんもと プラトンしゃ
刊本かんぽん情報じょうほう
出版しゅっぱんもと 改造かいぞうしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1927ねん1がつ12にち
装幀そうてい 中川なかがわ一政かずまさ
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
テンプレートを表示ひょうじ

はる馬車ばしゃって』(はるはばしゃにのって)は、横光よこみつ利一としかず短編たんぺん小説しょうせつ作者さくしゃ本人ほんにん体験たいけんをもとに執筆しっぴつされた横光よこみつ代表だいひょうてき作品さくひんひとつである。病身びょうしんくるしむつまと、つま看護かんごするおっととのあい修羅場しゅらばと、そのくるしみののち融和ゆうわ静寂しじま物語ものがたり湘南しょうなん海岸かいがん自然しぜん動植物どうしょくぶつおっと心理しんり描写びょうしゃ映像えいぞうてきしん感覚かんかく文体ぶんたいぜながら、悲運ひうんかれた夫婦ふうふ葛藤かっとう愛情あいじょうが、会話かいわぶん多用たようした淡々たんたんとしたおもむきでえがかれている。はるおとずれる終章しゅうしょうでは、なまとの対比たいひ詩的してき表現ひょうげんされ、あいする亡妻ぼうさいへの鎮魂ちんこんとなっている[1]

1926ねん大正たいしょう15ねん)、雑誌ざっし女性じょせい』8がつごう掲載けいさいされ、翌年よくねん1927ねん昭和しょうわ2ねん)1がつ12にち改造かいぞうしゃより単行本たんこうぼん刊行かんこうされた[2][3][4]文庫ぶんこばん新潮しんちょう文庫ぶんこ岩波いわなみ文庫ぶんこなどから刊行かんこうされている。翻訳ほんやくばんもDennis Keeneやくえいだい:Spring Riding in a Carriage)でおこなわれている。

作品さくひん背景はいけい・モデル

[編集へんしゅう]

作中さくちゅうの「つま」は、横光よこみつ利一としかずと1919ねん大正たいしょう8ねん)にい、1923ねん大正たいしょう12ねん)の関東大震災かんとうだいしんさいの3かげつまえから同居どうきょはじめた小島こじまキミ(同人どうじん仲間なかま小島こじまつとむいもうと)である[5]同居どうきょキミは1925ねん大正たいしょう14ねん)6がつ結核けっかく発病はつびょうし、翌年よくねん1926ねん大正たいしょう15ねん)6がつ24にち逗子ずし湘南しょうなんサナトリウムで23さい生涯しょうがいをとじた。横光よこみつはキミの療養りょうようのため、菊池きくちひろし紹介しょうかい葉山はやま森戸もりといえりていた[1]小島こじまつとむ反対はんたいされ同然どうぜん同居どうきょであったため[注釈ちゅうしゃく 1]2人ふたり戸籍こせきじょう婚姻こんいんしておらず、キミのの1かげつの7がつ8にち入籍にゅうせきをした[5][6]

なお、亡妻ぼうさい題材だいざいにした横光よこみつ小説しょうせつに、『はどこにでもいる』(1926ねん)と『花園はなぞの思想しそう』(1927ねん)があり、「亡妻ぼうさいもの」のさんさくとされている[1][7]。『はどこにでもいる』は、つま没後ぼつごからえがかれている。

あらすじ

[編集へんしゅう]

むねやまいせっているつま寝台しんだいからは、海浜かいひんまつにわダリアいけかめえる。そんなものをながら、いつしかかれおっと)とつま会話かいわ刺々とげとげしくなることがおおくなっていた。かれつま気持きもち転換てんかんさせるためにやわらかな話題わだい選択せんたくしようと苦心くしんしたり、つま好物こうぶつとり臓物ぞうもつってきてなべにしたりした。つまやまい焦燥しょうそうから、おっと執筆しっぴつ仕事しごと別室べっしつはなれることにも駄々だだをこね、原稿げんこう締切しめきりにわれながら生活せいかつささえているかれこまらせた。かつてはまるなめらかだったつま手足てあし日増ひましにたけのようにせてきた。食欲しょくよくり、とり臓物ぞうもつさえもうきもしなくなった。かれうみかられた新鮮しんせんさかな車海老くるまえび縁側えんがわならべてつませた。彼女かのじょは、「あたし、それより聖書せいしょんでほしい」とった。かれペトロのようにさかなったまま不吉ふきつ予感よかんたれた。

つませき発作ほっさともあばれておっとこまらせた。そんなときかれはなぜかつま健康けんこうとき彼女かのじょからあたえられた嫉妬しっとくるしみよりも、むしすうだんやわらかさがあるとおもった。かれはこの新鮮しんせん解釈かいしゃくりすがるよりなく、この解釈かいしゃくおもたびうみながめながら、あはあはとおおきなこえわらった。しかしかれつま看病かんびょう睡眠すいみん不足ふそくつかれ、「もうここらでおれもやられたい」と弱気よわきになってきた。かれはこの難局なんきょくるため、「なお、きことのつもれかし」[注釈ちゅうしゃく 2]と、かえつぶやくのがくせになった。はらこすかたにもがままをつまかれは、「おれもだんだんつかれてた。もうぐ、おれまいるだろう。そうしたら、2人ふたりでここで呑気のんき寝転ねころんでいようじゃないか」とった。するとつまきゅうしずかになり、むしのようなあわれなちいさなこえで、いままでさんざんがままをったことを反省はんせいし、「もうあたし、これでいつんでもいいわ。あたし満足まんぞくよ」と、おっとやすむようにうながした。かれ不覚ふかくにもなみだてきて、つまはらこすりつづけた。

あるくすりいにったときかれ医者いしゃから、もうつまやまい絶望ぜつぼうてきなことをげられた。もうひだりはいがなくなり、みぎもだいぶ侵食しんしょくされているという。かれいえかえっても、なかなかつま部屋へやれなかった。つまおっとかおて、かれいていたことにかんづいてだまって天井てんじょうながめた。かれはそのから機械きかいのようにつまくした。彼女かのじょは、もう遺言ゆいごんいてゆかしたいてあることをおっとげた。やまい終日しゅうじつくるしさのため、しだいにつまはほとんどだまっているようになった。かれ旧約きゅうやく聖書せいしょをいつものようにんでかせた。彼女かのじょはすすりき、自分じぶんほねがどこへくのか、のないほねのことをにしした[注釈ちゅうしゃく 3]

寒風かんぷうり、海面かいめんにはしろして、しだいに海岸かいがんにぎやかになってた。あるかれのところへ知人ちじんからおもいがけなくスイトピー花束はなたばみさきまわってとどけられた。早春そうしゅんおとずれをげる花束はなたば花粉かふんにまみれたささげるようにちながら、かれつま部屋へやはいっていった。「とうとう、はるがやってた」とかれった。「まア、綺麗きれいだわね」とつま頬笑ほほえみながら、おとろえたはなほうした。「これはじつ綺麗きれいじゃないか」とかれった。そして、「どこからたの」とたずねるつまへ、「このはな馬車ばしゃって、うみきしさききにはるきやってたのさ」とこたえた。つまかれから花束はなたばけると両手りょうてむねいっぱいにきしめた。そうして彼女かのじょ花束はなたばなかあおざめたがおめると、恍惚こうこつとしてじた。

作品さくひん評価ひょうか研究けんきゅう

[編集へんしゅう]

様々さまざま葛藤かっとうすえ、おだやかに準備じゅんびをしている夫婦ふうふもとスイトピー花束はなたばとどくという最後さいご場面ばめんについて井上いのうえけんは、「うつくしい幕切まくぎれは、亡妻ぼうさいへのあいめた鎮魂ちんこんと、利一としかず青春せいしゅんへの挽歌ばんかでもあった」とし[1]、「その(横光よこみつの)視座しざ日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがく歴史れきしなかで“結核けっかく文学ぶんがく”をみる場合ばあい芹沢せりざわ光治こうじりょうの『ブルジョア』とならんで一考いっこうすべき課題かだいのこしている」と解説かいせつしている[1]

篠田しのだいちは、「『ナポレオンと田虫たむし』や『はる馬車ばしゃって』のさくめば、ここには横光よこみつ文壇ぶんだん進出しんしゅつをかざった、いわゆる“しん感覚かんかく運動うんどうのめざましい成果せいかることができるが、それは、ほかならぬ、志賀しが文学ぶんがく中核ちゅうかくとする大正たいしょう文学ぶんがく支配しはい勢力せいりょくたいする懸命けんめい反抗はんこうだった」と解説かいせつ[8]、その横光よこみつの「絢爛けんらんたる修辞しゅうじにみちあふれた文章ぶんしょう」や「観念かんねんモザイクくまどられた小説しょうせつ構成こうせい」などは、すでに「志賀しが直哉なおや小説しょうせつ手法しゅほうとはせい反対はんたいのもの」がられるとしている[8]

おもな刊行かんこうほん

[編集へんしゅう]

おもな舞台ぶたい

[編集へんしゅう]

おもなテレビ放送ほうそう

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 2人ふたり同居どうきょには横光よこみつ旧友きゅうゆう佐藤さとう一英いちえい協力きょうりょくがあったという。
  2. ^ きことのなおこのうえもれかしかぎりあるちからさん」。一般いっぱんに、「ねがいわくば、七難しちなん八苦はっくあたたまえ」とべた戦国せんごく武将ぶしょう山中やまなか鹿之助しかのすけうたとしてられている言葉ことばで、陽明学ようめいがくもの熊沢くまさわ蕃山ばんざんさく言葉ことば
  3. ^ この時点じてんでは横光よこみつせきはいっていなかったため。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e しん感覚かんかく時代じだい――国語こくごとの血戦けっせん」(アルバム 1994, pp. 36–47)
  2. ^ 解題かいだい――はる馬車ばしゃって」(全集ぜんしゅう2 1981
  3. ^ りゃく年譜ねんぷ」(アルバム 1994, pp. 104–108)
  4. ^ 主要しゅよう著作ちょさく目録もくろく」(アルバム 1994, p. 111)
  5. ^ a b 日置ひおき俊次しゅんじ注解ちゅうかい――はる馬車ばしゃって」(機械きかい 2003, pp. 322–324)
  6. ^ 保昌やすまさ正夫まさお作品さくひんそくして」(日輪にちりん 1981, pp. 285–299)
  7. ^ 栗坪くりつぼ良樹よしきはる馬車ばしゃって 解説かいせつ」(愉楽ゆらく3 1991
  8. ^ a b 篠田しのだいち解説かいせつ」(機械きかい 2003, pp. 340–347)
  9. ^ 24:53~24:58 乃木坂のぎざか浪漫ろうまん 白石しらいし麻衣まい横光よこみつ利一としかずはる馬車ばしゃって』”. 乃木坂のぎざか46公式こうしきサイト (2012ねん5がつ10日とおか). 2022ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 横光よこみつ利一としかず定本ていほん横光よこみつ利一としかず全集ぜんしゅうだい2かん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1981ねん8がつISBN 978-4309607023 
  • 横光よこみつ利一としかず機械きかいはる馬車ばしゃって』(あらため新潮しんちょう文庫ぶんこ、2003ねん3がつISBN 978-4101002026  初版しょはんは1969ねん8がつ
  • 横光よこみつ利一としかず日輪にちりんはる馬車ばしゃって はちへん岩波いわなみ文庫ぶんこ、1981ねん5がつISBN 978-4003107515 
  • 井上いのうえけん へん新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム43 横光よこみつ利一としかず新潮社しんちょうしゃ、1994ねん8がつISBN 978-4-10-620647-4 
  • 有精ゆうせいどう編集へんしゅう近代きんだい小説しょうせつのなかの家族かぞく有精ゆうせいどう出版しゅっぱん短編たんぺん愉楽ゆらく3〉、1991ねん7がつISBN 978-4640302472 

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]