死 し ぬ権利 けんり (しぬけんり、英語 えいご : Right to die )は、死 し ぬ時期 じき を決定 けってい する権利 けんり 、死 し に様 さま を選 えら ぶ権利 けんり のこと。広義 こうぎ には自発 じはつ 的 てき な積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し 、医師 いし による自殺 じさつ 幇助 ほうじょ 、自殺 じさつ する権利 けんり 、間接 かんせつ 的 てき 安楽 あんらく 死 し を含 ふく み、狭義 きょうぎ には医学 いがく 的 てき 治療 ちりょう の拒絶 きょぜつ ・停止 ていし によって患者 かんじゃ が死 し に至 いた る状態 じょうたい のときに治療 ちりょう を拒否 きょひ ・停止 ていし する権利 けんり を指 さ す。助 たす かる見込 みこ みのない延命 えんめい 措置 そち を中止 ちゅうし して尊厳 そんげん 死 し を求 もと める権利 けんり は患者 かんじゃ の家族 かぞく によっても行使 こうし されうる[ 3] 。死 し ぬ権利 けんり に関連 かんれん して、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の一部 いちぶ 地域 ちいき などではリビング・ウィル (生前 せいぜん の意思 いし )という条件 じょうけん のもとで尊厳 そんげん 死 し を認 みと めた尊厳 そんげん 死 し 法 ほう が制定 せいてい されている一方 いっぽう で、自殺 じさつ 幇助 ほうじょ などの観点 かんてん から様々 さまざま な論議 ろんぎ を呼 よ んでいる[ 3] 。
世界 せかい の安楽 あんらく 死 し の合法 ごうほう 性 せい を色分 いろわ けした地図 ちず 。青色 あおいろ は積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し が合法 ごうほう であること、水色 みずいろ は消極 しょうきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し が合法 ごうほう であること、灰色 はいいろ は積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し が違法 いほう で消極 しょうきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し が法的 ほうてき 規制 きせい されていないこと、赤色 あかいろ は安楽 あんらく 死 し が一律 いちりつ 違法 いほう であることを示 しめ す。
1981年 ねん に世界 せかい 医師 いし 会 かい が出 だ したリスボン宣言 せんげん では、「患者 かんじゃ は尊厳 そんげん のうちに死 し ぬ権利 けんり を持 も っている」として、医師 いし は尊厳 そんげん 死 し という患者 かんじゃ の権利 けんり の一 ひと つを与 あた えるために努力 どりょく するべきであるという旨 むね の主張 しゅちょう がなされた。もっとも、どのようにすれば患者 かんじゃ の尊厳 そんげん が保 たも たれるのかについては触 ふ れられておらず、改定 かいてい 後 ご の宣言 せんげん 文 ぶん も曖昧 あいまい さを伴 ともな うものであり、各国 かっこく それぞれが異 こと なる事情 じじょう を持 も つことも相 あい まって、はっきりとした世界 せかい 的 てき で統一 とういつ 的 てき な見解 けんかい は現 あらわ れていない[ 5] 。
古代 こだい ギリシャ では自殺 じさつ を権利 けんり として認 みと めたとする文献 ぶんけん が見 み られたり、中世 ちゅうせい のキリスト教 きりすときょう (カトリック)の全盛期 ぜんせいき では自殺 じさつ が犯罪 はんざい とされるなど、死 し ぬ権利 けんり を自分 じぶん で実行 じっこう する自殺 じさつ は人間 にんげん の歴史 れきし と共 とも にあったかもしれない。
19世紀 せいき の生物 せいぶつ 学 がく の劇的 げきてき な進展 しんてん を背景 はいけい に、医者 いしゃ の任務 にんむ には苦痛 くつう 緩和 かんわ のみならず生命 せいめい の短縮 たんしゅく も取 と り込 こ むことができると考 かんが えられるようになり、この流 なが れで安楽 あんらく 死 し という発想 はっそう が生 う まれた。
死 し ぬ権利 けんり という言葉 ことば はアドルフ・ヨスト (ドイツ語 ご 版 ばん ) が1895年 ねん に初 はじ めて用 もち いた。法律 ほうりつ 家 か のヨストは著書 ちょしょ 『死 し への権利 けんり 』(Das Recht auf den Tod)で不治 ふじ の病 やまい 人 じん の安楽 あんらく 死 し と精神病 せいしんびょう 患者 かんじゃ の殺害 さつがい を同一 どういつ 視 し し、この中 なか で不治 ふち の肉体 にくたい の病 やまい で悩 なや む患者 かんじゃ には「苦痛 くつう なき死 し 」への権利 けんり を持 も つと主張 しゅちょう した。
1950年代 ねんだい から1960年代 ねんだい にかけてアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の生命 せいめい 倫理 りんり 学 がく を牽引 けんいん したジョセフ・フレッチャー (英語 えいご 版 ばん ) はプロテスタント の立場 たちば から医療 いりょう 技術 ぎじゅつ の進歩 しんぽ や積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し と絡 から めて死 し ぬ権利 けんり を論 ろん じた。
このように死 し ぬ権利 けんり の議論 ぎろん は前々 まえまえ から少 すく なからずされてきたが、フレッチャーの言 い う死 し ぬ権利 けんり とは、積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し と強 つよ く結 むす びついた「自 みずか ら死 し に向 む かう権利 けんり 」とい換 いか えることができ、次 つぎ に述 の べるカレン・クインラン事件 じけん で俎上 そじょう に載 の せられた死 し ぬ権利 けんり とは違 ちが う意味合 いみあ いを有 ゆう していた。
1960年代 ねんだい から1970年代 ねんだい にかけては、情報 じょうほう ・通信 つうしん 機器 きき が急速 きゅうそく に普及 ふきゅう し、公開 こうかい 自殺 じさつ の様子 ようす も大衆 たいしゅう の目 め に届 とど くようになった。1963年 ねん には、ティック・クアン・ドック がベトナム戦争 せんそう に抗議 こうぎ して大使館 たいしかん 前 まえ で焼身 しょうしん 自殺 じさつ 。1970年 ねん 、三島 みしま 由紀夫 ゆきお が自衛隊 じえいたい の前 まえ で公開 こうかい 割腹 かっぷく 自殺 じさつ 。1974年 ねん には、クリスティーン・チュバック が世界 せかい で初 はじ めてテレビの生放送 なまほうそう 中 ちゅう に自殺 じさつ を遂 と げた。死 し ぬ権利 けんり を唱導 しょうどう するヘムロック協会 きょうかい は1982年 ねん に自殺 じさつ マニュアル本 ほん を出版 しゅっぱん し、1991年 ねん にも同様 どうよう の内容 ないよう の『Final Exit 』を出版 しゅっぱん した[ 9] 。ただし、これは自殺 じさつ を煽 あお る悪 あく 趣味 しゅみ の文脈 ぶんみゃく ではなく、苦痛 くつう から解放 かいほう されたい人 ひと たちへの苦 くる しまずに自殺 じさつ する方法 ほうほう 集 しゅう であった。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく ニュージャージー州 しゅう で1975年 ねん 4月 がつ 15日 にち に昏睡 こんすい 状態 じょうたい となったカレン・アン・クインランはニュートン記念 きねん 病院 びょういん の集中 しゅうちゅう 治療 ちりょう 室 しつ に搬送 はんそう され、気管 きかん 切開 せっかい 後 のち に大型 おおがた の人工 じんこう 呼吸 こきゅう 器 き を装着 そうちゃく させる措置 そち がとられた。その約 やく 半年 はんとし 後 ご 、遷延 せんえん 性 せい 植物 しょくぶつ 状態 じょうたい と診断 しんだん された。
家族 かぞく と議論 ぎろん した結果 けっか 、カレンの養父 ようふ は人工 じんこう 呼吸 こきゅう が通常 つうじょう 以上 いじょう の手段 しゅだん であると主張 しゅちょう し、養父 ようふ に後見人 こうけんにん 資格 しかく を認 みと めて人工 じんこう 呼吸 こきゅう 器 き を停止 ていし する権能 けんのう を与 あた えるよう州 しゅう 高等 こうとう 裁判所 さいばんしょ に訴 うった え出 で た。この訴 うった えが退 しりぞ けられると養父 ようふ は州 しゅう 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ へ上告 じょうこく し、1976年 ねん 3月31日 にち に訴 うった えが認 みと められることになる[ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。
判決 はんけつ に先立 さきだ つ1971年 ねん には死 し を選 えら ぶ憲法 けんぽう 上 じょう の権利 けんり がないことがニュージャージー州 しゅう 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ で明示 めいじ されていたが、カレン事件 じけん の裁判 さいばん で注目 ちゅうもく されたのはプライバシー権 けん だった。プライバシー権 けん は自 みずか らの生 せい がどうあるべきかという判断 はんだん のもとで生活 せいかつ することを保障 ほしょう する権利 けんり であり、養父 ようふ 側 がわ はプライバシー権 けん が治療 ちりょう で通常 つうじょう 以上 いじょう の手段 しゅだん の介入 かいにゅう を拒否 きょひ する権利 けんり としても働 はたら きうると主張 しゅちょう し、判決 はんけつ でもプライバシー権 けん の一 いち 形態 けいたい として治療 ちりょう の差 さ し控 ひかえ えと中止 ちゅうし が認 みと められたのである。
この判決 はんけつ をもって、死 し ぬ権利 けんり は「自 みずか ら死 し に向 む かう権利 けんり 」から「自 みずか らのあるべき生 なま に干渉 かんしょう されない権利 けんり 」へと変容 へんよう した。また、この延命 えんめい 治療 ちりょう を中止 ちゅうし する世界 せかい 初 はつ の裁判 さいばん をきっかけにして患者 かんじゃ の自己 じこ 決定 けってい 権 けん を求 もと める動 うご きが高 たか まった。
アメリカ医師 いし 会 かい は1972年 ねん 時点 じてん では患者 かんじゃ や家族 かぞく の自己 じこ 決定 けってい 権 けん を認 みと めながらも、死 し ぬ権利 けんり に基 もと づいて死 し なせることを第一義 だいいちぎ 的 てき に否定 ひてい していたが、1982年 ねん には次 つぎ のように宣言 せんげん している。
人道的 じんどうてき な理由 りゆう によって,十分 じゅうぶん 情報 じょうほう を与 あた えられた上 うえ での同意 どうい があれば,絶 た えがたい苦痛 くつう を軽減 けいげん したり,末期 まっき の患者 かんじゃ を死 し なせる目的 もくてき で治療 ちりょう 措置 そち を停止 ていし したりするために,医療 いりょう 上 じょう 必要 ひつよう とされることを医師 いし は行 おこ なってよい
—アメリカ医師 いし 会 かい 、
死 し ぬ権利 けんり とその実践 じっせん の正当 せいとう 化 か については、1970年代 ねんだい 半 なか ば時点 じてん では否定 ひてい 的 てき ・消極 しょうきょく 的 てき にしか論 ろん じられなかったが、1980年代 ねんだい にかけて積極 せっきょく 的 てき な正当 せいとう 化 か 論 ろん へと展開 てんかい されていった。問題 もんだい の争点 そうてん は延命 えんめい 至上 しじょう 主義 しゅぎ からクオリティ・オブ・ライフ へと代 か わっていき、これを背景 はいけい に欧米 おうべい で誕生 たんじょう したのが、死 し に瀕 ひん した人 ひと に対 たい して積極 せっきょく 的 てき 治療 ちりょう をせず、安 やす らかな最期 さいご を迎 むか えられるように支援 しえん するホスピス である。
生命 せいめい 維持 いじ 技術 ぎじゅつ の進歩 しんぽ により、判断 はんだん 主体 しゅたい が不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき に消滅 しょうめつ していても生命 せいめい 体 たい としての個体 こたい は生 い きているという状況 じょうきょう が生 う まれ、その処遇 しょぐう は誰 だれ が決定 けってい するのかという問題 もんだい が生 しょう じたが、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく ではこの点 てん 1990年 ねん の患者 かんじゃ の自己 じこ 決定 けってい 法 ほう で治療 ちりょう 拒否 きょひ 権 けん の手続 てつづ きが整備 せいび された。同 どう 法 ほう では患者 かんじゃ の病院 びょういん ・施設 しせつ 入所 にゅうしょ 時 じ 、ヘルスケアの判断 はんだん を委任 いにん したい者 もの とリビング・ウィルを書 か き残 のこ した先行 せんこう 指示 しじ 書 しょ を患者 かんじゃ に書 か くよう推奨 すいしょう することが施設 しせつ 側 がわ に義務付 ぎむづ けられている。
末期 まっき 患者 かんじゃ は多 おお くの場合 ばあい 、死 し の直前 ちょくぜん まで死 し の不安 ふあん と耐 た え難 がた い苦痛 くつう に直面 ちょくめん することから、死 し ぬ権利 けんり の実践 じっせん に関 かか わる臨床 りんしょう 的 てき 処置 しょち を消極 しょうきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し に限定 げんてい せず、積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し や医師 いし による自殺 じさつ 幇助 ほうじょ も認 みと めることの是非 ぜひ が問 と われるようになった。
また、安楽 あんらく 死 し の許容 きょよう 範囲 はんい を身体 しんたい 的 てき 苦痛 くつう に限定 げんてい するのではなく、心理 しんり 的 てき 苦痛 くつう も含 ふく まれるべきと主張 しゅちょう する声 こえ も現 あらわ れ始 はじ めた。1991年 ねん にはオランダ の医師 いし が健常 けんじょう とされる患者 かんじゃ の心理 しんり 的 てき 苦痛 くつう を理由 りゆう に致死 ちし 的 てき 薬物 やくぶつ を処方 しょほう することでその患者 かんじゃ の自殺 じさつ を幇助 ほうじょ する事件 じけん が起 お きた。この時期 じき Final Exit や完全 かんぜん 自殺 じさつ マニュアル といった自殺 じさつ のハウツー本 ほん が注目 ちゅうもく され、自殺 じさつ する権利 けんり が論 ろん じられるようにもなった。
死 し ぬ権利 けんり を求 もと める声 こえ は世界 せかい 各地 かくち で広 ひろ がっており、積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し や医師 いし による自殺 じさつ 幇助 ほうじょ を合法 ごうほう 化 か する動 うご きも相次 あいつ いでいる。それとともに対象 たいしょう 者 しゃ が終末 しゅうまつ 期 き の患者 かんじゃ に限 かぎ らず、認知 にんち 症 しょう や精神 せいしん 障害 しょうがい 者 もの などへ拡大 かくだい していったり、死 し ぬ権利 けんり の根底 こんてい にある自己 じこ 決定 けってい の原則 げんそく が形骸 けいがい 化 か するリスクが表面 ひょうめん 化 か しつつあるなど、すべり坂 ざか 現象 げんしょう が重層 じゅうそう 的 てき に起 お こっていると指摘 してき する声 こえ がある。
2023年 ねん 1月 がつ 31日 にち 時点 じてん で、オーストラリア 、オランダ 、カナダ 、コロンビア 、スペイン 、ニュージーランド 、ベルギー 、ルクセンブルク で積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し が合法 ごうほう 化 か されているほか、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の一部 いちぶ 地域 ちいき 、イタリア 、オーストリア 、スイス 、ドイツ で自殺 じさつ 幇助 ほうじょ が認 みと められている[ 18] 。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく ではまず1890年 ねん にボストン で、生涯 しょうがい の終 お わりに達 たっ したと考 かんが えられる激痛 げきつう に苦悩 くのう する病人 びょうにん に対 たい して、苦痛 くつう のない死 し が与 あた えられるよう援助 えんじょ すべきだと主張 しゅちょう する外科 げか 医 い が現 あらわ れ、次 つ いで1903年 ねん にはニューヨーク在住 ざいじゅう の医師 いし らが癌 がん の場合 ばあい における安楽 あんらく 死 し の容認 ようにん を求 もと めた。
1906年 ねん にはオハイオ州 しゅう 議会 ぎかい 、次 つ いでアイオワ州 しゅう 議会 ぎかい で安楽 あんらく 死 し に関 かん する法案 ほうあん が提出 ていしゅつ されたが、いずれも採択 さいたく されるまでに至 いた らなかった。1938年 ねん には安楽 あんらく 死 し 立法 りっぽう 化 か 協会 きょうかい が設立 せつりつ されているが、特 とく に目立 めだ った活動 かつどう はできていなかった。1947年 ねん には同国 どうこく における安楽 あんらく 死 し 問題 もんだい の先駆 さきが けとして、ニューヨーク州 しゅう 議会 ぎかい で安楽 あんらく 死 し 法案 ほうあん が提出 ていしゅつ されるが、この頃 ころ ナチス・ドイツの遺伝 いでん 病 びょう 子孫 しそん 予防 よぼう 法 ほう (1933年 ねん )や安楽 あんらく 死 し 法案 ほうあん (1939年 ねん )の実態 じったい が人口 じんこう に膾炙 かいしゃ していたのが影響 えいきょう してか、安楽 あんらく 死 し 法案 ほうあん は否決 ひけつ されたのである。
しばらく表向 おもてむ きは目立 めだ った動 うご きはなかったが、1960年代 ねんだい 半 なか ばになると公民 こうみん 権 けん 、女性 じょせい の権利 けんり 、囚人 しゅうじん ・精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ の権利 けんり などを希求 ききゅう する動 うご きに従 したが い、自己 じこ 決定 けってい 権 けん に対 たい する法的 ほうてき な関心 かんしん や個人 こじん 主義 しゅぎ ・自立 じりつ 性 せい の尊重 そんちょう に対 たい する哲学 てつがく 的 てき な関心 かんしん が高 たか まり、患者 かんじゃ の人権 じんけん 運動 うんどう が始 はじ まった。その最中 さいちゅう で起 お きたのが1975年 ねん のカレン事件 じけん であり、それまで患者 かんじゃ の死 し ぬ権利 けんり に関 かん する法案 ほうあん が提出 ていしゅつ されても採択 さいたく されることはなかったが、1976年 ねん にカリフォルニア州 しゅう で国内 こくない 初 はつ の死 し ぬ権利 けんり 法 ほう としてカリフォルニア自然 しぜん 死 し 法 ほう が制定 せいてい されると、1977年 ねん 半 なか ばまでにはアーカンソー州 しゅう 、アイダホ州 しゅう 、ネバダ州 しゅう 、ニューメキシコ州 しゅう 、ノースカロライナ州 しゅう 、オレゴン州 しゅう 、テキサス州 しゅう で死 し ぬ権利 けんり の関連 かんれん 法案 ほうあん が通過 つうか し、同年 どうねん 末 まつ 時点 じてん で42州 しゅう で61法案 ほうあん が提出 ていしゅつ された。このうちアーカンソー州 しゅう とニューメキシコ州 しゅう の法律 ほうりつ は健常 けんじょう 者 しゃ が終末 しゅうまつ 期 き 前 まえ でも法的 ほうてき 拘束 こうそく 力 りょく の持 も つ先行 せんこう 指示 しじ 書 しょ を作成 さくせい できる更 さら に先鋭 せんえい 的 てき なものであった。
1990年 ねん にはナンシー・クルーザン事件 じけん (英語 えいご 版 ばん ) をめぐり、ミズーリ州 しゅう 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ は生命 せいめい の神聖 しんせい 性 せい そのものは州 しゅう の権益 けんえき の1つであるとして、交通 こうつう 事故 じこ で植物 しょくぶつ 状態 じょうたい に陥 おちい ったクルーザンから胃 い チューブ を外 はず すよう求 もと めていた両親 りょうしん の訴 うった えを退 しりぞ ける判決 はんけつ を出 だ した。訴 うった えは連邦 れんぽう 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ に持 も ち込 こ まれることになる。
ミズーリ州法 しゅうほう ではリビング・ウィルがない場合 ばあい について、生命 せいめい 維持 いじ 治療 ちりょう の中断 ちゅうだん を望 のぞ む患者 かんじゃ の意思 いし について高度 こうど の「明白 めいはく かつ確信 かくしん を抱 いだ くに足 た る証明 しょうめい 」を要 よう していたが、連邦 れんぽう 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ ではこれが憲法 けんぽう 修正 しゅうせい 第 だい 14条 じょう の適正 てきせい 手続 てつづき 条項 じょうこう に違反 いはん していないかが争 あらそ われた。連邦 れんぽう 最高裁 さいこうさい ではミズーリ州 しゅう 最高裁 さいこうさい の主張 しゅちょう を支持 しじ する少数 しょうすう 意見 いけん はあったが、栄養 えいよう ・水分 すいぶん 補給 ほきゅう の中止 ちゅうし を認 みと めるという判決 はんけつ を下 くだ した。この判決 はんけつ は連邦 れんぽう 最高裁 さいこうさい として初 はじ めて死 し ぬ権利 けんり について判断 はんだん したなどの点 てん から重要 じゅうよう といえる。
最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ が生命 せいめい 維持 いじ 治療 ちりょう にも治療 ちりょう 拒否 きょひ 権 けん が及 およ ぶことを認 みと めたと受 う け止 と められたこの判決 はんけつ は、各州 かくしゅう での法 ほう 整備 せいび を促進 そくしん したと評価 ひょうか され、国内 こくない で尊厳 そんげん 死 し 問題 もんだい が既 すで に解決 かいけつ 済 ずみ であるとの印象 いんしょう を内外 ないがい に与 あた えた。一方 いっぽう で、人工 じんこう 栄養 えいよう や水分 すいぶん 補給 ほきゅう を中断 ちゅうだん することによって引 ひ き起 お こされる死 し も尊厳 そんげん ある死 し と呼 よ べるのかという点 てん にはフォーカスが当 あ てられず、結果 けっか として許 ゆる される尊厳 そんげん 死 し と許 ゆる されざる医師 いし による自殺 じさつ 幇助 ほうじょ の区別 くべつ が問題 もんだい に挙 あ がるようになる。
テリ・シャイボ事件 じけん (英語 えいご 版 ばん ) では改 あらた めて人工 じんこう 栄養 えいよう ・水分 すいぶん 補給 ほきゅう の停止 ていし の是非 ぜひ が問題 もんだい となり、当初 とうしょ はテリという植物 しょくぶつ 状態 じょうたい の女性 じょせい 患者 かんじゃ の尊厳 そんげん 死 し を巡 めぐ る親族 しんぞく 間 あいだ の争 あらそ いが、やがてジョージ・W・ブッシュ 大統領 だいとうりょう や連邦 れんぽう 議会 ぎかい の介入 かいにゅう を招 まね く全米 ぜんべい 規模 きぼ の論争 ろんそう に発展 はってん した。人工 じんこう 栄養 えいよう や水分 すいぶん 補給 ほきゅう を中断 ちゅうだん することによって引 ひ き起 お こされる死 し は尊厳 そんげん ある死 し と言 い えるか、これを疑問 ぎもん 視 し する声 こえ が上 あ がり、世論 せろん の大勢 おおぜい を占 し めるほどではなかったにせよ、尊厳 そんげん 死 し の対象 たいしょう からの人工 じんこう 栄養 えいよう ・水分 すいぶん 補給 ほきゅう の除外 じょがい を試 こころ みる立法 りっぽう の動 うご きがあった。
2018年 ねん 5月、ヨーロッパの実態 じったい (#オランダ など参照 さんしょう )からすべり坂 ざか が懸念 けねん されるとして、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 内科 ないか 医 い 学会 がっかい 倫理 りんり 法務 ほうむ 委員 いいん 会 かい は医師 いし による自殺 じさつ 幇助 ほうじょ に反対 はんたい の立場 たちば を堅持 けんじ すべきであると提言 ていげん した(翌月 よくげつ 否決 ひけつ で委員 いいん 会 かい に差 さ し戻 もど し)。
イギリスでは1873年 ねん に安楽 あんらく 死 し の問題 もんだい を取 と り上 あ げた論文 ろんぶん が発表 はっぴょう されているが、この当時 とうじ の論者 ろんしゃ は学術 がくじゅつ 的 てき な関心 かんしん の対象 たいしょう としてしか見 み ていなかったようである。1907年 ねん にはゴッダードが安楽 あんらく 死 し を提唱 ていしょう し、1935年 ねん 12月10日 にち にはミラードによって安楽 あんらく 死 し の立法 りっぽう 化 か 運動 うんどう を推進 すいしん する任意 にんい 的 てき 安楽 あんらく 死 し 立法 りっぽう 化 か 協会 きょうかい (英語 えいご 版 ばん ) が設立 せつりつ された。
1961年 ねん 成立 せいりつ の自殺 じさつ 法 ほう では自殺 じさつ ・自殺 じさつ 未遂 みすい は合法 ごうほう とされつつ、教唆 きょうさ や幇助 ほうじょ は犯罪 はんざい とされている。
イタリアでは2009年 ねん 前後 ぜんご に植物 しょくぶつ 状態 じょうたい の女性 じょせい の延命 えんめい 治療 ちりょう 中止 ちゅうし を巡 めぐ り尊厳 そんげん 死 し に対 たい する世論 せろん の関心 かんしん が高 たか まったものの、国会 こっかい で議論 ぎろん が続 つづ けられた尊厳 そんげん 死 し 法 ほう は成立 せいりつ しなかった[ 30] 。2017年 ねん 2月 がつ には交通 こうつう 事故 じこ の後遺症 こういしょう からスイスでの安楽 あんらく 死 し を選 えら んだ男性 だんせい の介助 かいじょ 者 しゃ が逮捕 たいほ される事件 じけん が起 お き、再 ふたた び世論 せろん の尊厳 そんげん 死 し に対 たい する関心 かんしん が高 たか まった[ 30] 。結果 けっか として尊厳 そんげん 死 し を認 みと める法律 ほうりつ が同年 どうねん 12月 がつ に制定 せいてい され、翌年 よくねん 1月 がつ 末 まつ に施行 しこう された[ 30] 。
自殺 じさつ 幇助 ほうじょ は犯罪 はんざい とされているが、憲法 けんぽう 裁判所 さいばんしょ は2019年 ねん 、自分 じぶん の意思 いし に基 もと づいた判断 はんだん 能力 のうりょく を持 も ち、耐 た え難 がた い苦痛 くつう を抱 かか える人 ひと に対 たい する自殺 じさつ 幇助 ほうじょ は必 かなら ずしも犯罪 はんざい でないと判断 はんだん しており、2022年 ねん 6月 がつ には初 はじ めて倫理 りんり 委員 いいん 会 かい の承認 しょうにん を得 え た自殺 じさつ 幇助 ほうじょ が行 おこな われた[ 31] 。
ノーザンテリトリー では1988年 ねん に条件 じょうけん 付 つ きで治療 ちりょう の中止 ちゅうし を認 みと める自然 しぜん 死 し 法 ほう が成立 せいりつ しており、1996年 ねん にはオランダと同様 どうよう に既 すで に慣行 かんこう 的 てき に行 おこな われていた安楽 あんらく 死 し の透明 とうめい 化 か を図 はか るため、終末 しゅうまつ 期 き 患者 かんじゃ 権利 けんり 法 ほう (英語 えいご 版 ばん ) を制定 せいてい した。オランダよりも更 さら に踏 ふ み込 こ んで、医師 いし が致死 ちし 性 せい の器具 きぐ ・薬物 やくぶつ を患者 かんじゃ に渡 わた して患者 かんじゃ 自身 じしん が自 じ 死 し するという積極 せっきょく 的 てき な援助 えんじょ 自 じ 死 し まで認 みと められていたが、オーストラリア連邦 れんぽう 議会 ぎかい の決議 けつぎ により同 どう 法 ほう 施行 しこう から約 やく 9か月 げつ 後 ご の1997年 ねん 3月27日 にち に廃止 はいし された[ 注釈 ちゅうしゃく 2] 。
各州 かくしゅう 議会 ぎかい ではその後 ご も安楽 あんらく 死 し 法案 ほうあん が提出 ていしゅつ されたが、議会 ぎかい を通過 つうか しないという状況 じょうきょう が続 つづ いていた。次 つぎ に動 うご きがあったのはビクトリア州 しゅう であり、終末 しゅうまつ 期 き 患者 かんじゃ 権利 けんり 法 ほう から20年 ねん の時 とき を経 へ た2017年 ねん に安楽 あんらく 死 し を認 みと める自発 じはつ 的 てき 幇助 ほうじょ 自 じ 死 し 法 ほう が成立 せいりつ した。内容 ないよう は原則 げんそく として医師 いし による自殺 じさつ 幇助 ほうじょ を、条件 じょうけん 付 つ きで医師 いし による積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し を認 みと める内容 ないよう である。ビクトリア州 しゅう の法案 ほうあん 可決 かけつ を皮切 かわき りに、2019年 ねん に西 にし オーストラリア州 しゅう で、2021年 ねん 3月 がつ にタスマニア州 しゅう で、同年 どうねん 6月 がつ に南 みなみ オーストラリア州 しゅう で、同年 どうねん 9月 がつ にクイーンズランド州 しゅう で、2022年 ねん 5月にニューサウスウェールズ州 しゅう で、同 おな じ趣旨 しゅし の法律 ほうりつ が成立 せいりつ した[ 34] [ 35] [ 注釈 ちゅうしゃく 3] 。
ビクトリア州 しゅう の自発 じはつ 的 てき 幇助 ほうじょ 自 じ 死 し 法 ほう (Voluntary Assisted Dying Act)の名称 めいしょう に関 かん して、大 おお きな社会 しゃかい 的 てき スティグマ があるとして「自殺 じさつ 」という言葉 ことば を用 もち いず、患者 かんじゃ の自己 じこ 決定 けってい ・行動 こうどう よりも医師 いし の役割 やくわり を強調 きょうちょう するとして「医師 いし による幇助 ほうじょ 」という言葉 ことば を用 もち いなかった。以降 いこう の各州 かくしゅう の法案 ほうあん もこれを踏襲 とうしゅう して自発 じはつ 的 てき 幇助 ほうじょ 自 じ 死 し の言葉 ことば を用 もち い、オーストラリアでは安楽 あんらく 死 し を指 さ す言葉 ことば として自発 じはつ 的 てき 幇助 ほうじょ 自 じ 死 し が用 もち いられるようになった。
ビクトリア州 しゅう の法案 ほうあん は委員 いいん 会 かい から提案 ていあん された68項目 こうもく に上 のぼ るセーフガードを満 み たす厳 きび しい法 ほう 規制 きせい が安全 あんぜん 基準 きじゅん として取 と り入 い れられており、法案 ほうあん が成立 せいりつ したのも主 おも に「世界 せかい で最 もっと も保守 ほしゅ 的 てき で最 もっと も安全 あんぜん な安楽 あんらく 死 し 法 ほう 」だからだと報 ほう じられている。
2022年 ねん 時点 じてん で、ノーザンテリトリーとオーストラリア首都 しゅと 特別 とくべつ 地域 ちいき は連邦 れんぽう 法 ほう の安楽 あんらく 死 し の法律 ほうりつ に関 かん する法 ほう (Euthanasia Laws Act 1997 (Cth))により安楽 あんらく 死 し 法 ほう を制定 せいてい する権限 けんげん が剥奪 はくだつ されている。安楽 あんらく 死 し の立法 りっぽう 権限 けんげん を回復 かいふく するための試 こころ みは何 なん 度 ど かなされている。2015年 ねん 12月には問題 もんだい の法律 ほうりつ を廃止 はいし する法案 ほうあん が連邦 れんぽう 上院 じょういん に提出 ていしゅつ されたものの、2018年 ねん 8月 がつ に36対 たい 34の僅差 きんさ で否決 ひけつ され、連邦 れんぽう 議会 ぎかい における安楽 あんらく 死 し の合法 ごうほう 化 か への反対 はんたい 意見 いけん が未 いま だ根強 ねづよ いことを示 しめ す結果 けっか となった。
オーストリアでは刑法 けいほう 77条 じょう で嘱託 しょくたく 殺人 さつじん が、刑法 けいほう 78条 じょう で自殺 じさつ 教唆 きょうさ ・自殺 じさつ 幇助 ほうじょ を禁 きん じられている。このうち78条 じょう について、憲法 けんぽう 裁判所 さいばんしょ は2020年 ねん 12月に、自殺 じさつ 幇助 ほうじょ を禁 きん じる文言 もんごん は違憲 いけん だとして、2022年 ねん 1月 がつ に削除 さくじょ するよう命 めい じている。判決 はんけつ では憲法 けんぽう で保障 ほしょう された個人 こじん の自由 じゆう な自己 じこ 決定 けってい 権 けん には人間 にんげん としての尊厳 そんげん をもって死 し ぬ権利 けんり 、自殺 じさつ 志願 しがん 者 しゃ が第三者 だいさんしゃ の援助 えんじょ を求 もと める権利 けんり も含 ふく まれるとされた。
オランダでは自 みずか ら海 うみ を干拓 かんたく して国土 こくど を作 つく ってきたという歴史 れきし 上 じょう 、国民 こくみん は非常 ひじょう に高 たか い自律 じりつ 意識 いしき を有 ゆう しており、自分 じぶん のことは自分 じぶん で決 き めるという精神 せいしん 的 てき 風土 ふうど が育 はぐく まれていた。従来 じゅうらい から慈悲 じひ 殺 ころせ が慣行 かんこう 的 てき に行 おこな われていたが、法律 ほうりつ や社会 しゃかい 的 てき 合意 ごうい はなく、透明 とうめい 性 せい 確保 かくほ を図 はか る議論 ぎろん がなされ、1993年 ねん の遺体 いたい 処理 しょり 法 ほう 改正 かいせい に繋 つな がった。安楽 あんらく 死 し 処置 しょち を行 おこな った医師 いし が自身 じしん を被疑 ひぎ 者 しゃ として届 とど け出 で る内容 ないよう だが、有罪 ゆうざい になる可能 かのう 性 せい を承知 しょうち した上 うえ で自己 じこ 申告 しんこく する医師 いし は少 すく なく、この不備 ふび を解消 かいしょう するべく2002年 ねん に安楽 あんらく 死 し が合法 ごうほう 化 か されることになった。
要請 ようせい に基 もと づいた生命 せいめい 終結 しゅうけつ と自殺 じさつ 幇助 ほうじょ に関 かん する審査 しんさ 法 ほう が成立 せいりつ したことで、医師 いし は注意深 ちゅういぶか さの要件 ようけん を守 まも り、検死 けんし 医 い にその旨 むね 申告 しんこく するという手順 てじゅん を踏 ふ めば、刑事 けいじ 罰 ばつ の対象 たいしょう から外 はず された。注意深 ちゅういぶか さの要件 ようけん とは、「自発 じはつ 的 てき な、熟慮 じゅくりょ ある、かつ、持続 じぞく 的 てき 要請 ようせい があった」「支配 しはい 的 てき な医療 いりょう 的 てき 知見 ちけん に従 したが って、患者 かんじゃ には見込 みこ みのない、かつ耐 た え難 がた い苦 くる しみが存在 そんざい した」「医師 いし は、少 すく なくとももう一人 ひとり の独立 どくりつ した医師 いし と相談 そうだん した」「生命 せいめい 終焉 しゅうえん 行為 こうい が医療 いりょう 的 てき に注意深 ちゅういぶか く実施 じっし された」の4点 てん である。
同 どう 法 ほう の理由 りゆう 書 しょ は安楽 あんらく 死 し と自殺 じさつ 幇助 ほうじょ について、通常 つうじょう の医療 いりょう 行為 こうい ではなく社会 しゃかい 的 てき に統制 とうせい されるべき行為 こうい だとしており、オランダでは安楽 あんらく 死 し は権利 けんり の行使 こうし という社会 しゃかい 的 てき 行為 こうい と見 み なされていると言 い える。
2012年 ねん には医師 いし と看護 かんご 師 し が車 くるま で患者 かんじゃ の自宅 じたく に出向 でむ く機動 きどう 安楽 あんらく 死 し チーム制度 せいど が始 はじ まり、以来 いらい 精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ や認知 にんち 症 しょう 患者 かんじゃ の安楽 あんらく 死者 ししゃ 数 すう が急増 きゅうぞう している。2016年 ねん 末 すえ には75歳 さい 以上 いじょう の高齢 こうれい 者 しゃ の安楽 あんらく 死 し を認 みと める旨 むね の改正 かいせい 案 あん が議会 ぎかい で提出 ていしゅつ されており、これは否決 ひけつ こそされたものの、2018年 ねん 5月の安楽 あんらく 死 し 行為 こうい 準則 じゅんそく 改正 かいせい により事実 じじつ 上 じょう 解禁 かいきん されたと指摘 してき する声 こえ がある。
カナダでは刑法 けいほう 14条 じょう で嘱託 しょくたく 殺人 さつじん が、刑法 けいほう 241条 じょう bで自殺 じさつ 幇助 ほうじょ が禁 きん じられている。この点 てん について最高裁判所 さいこうさいばんしょ は2015年 ねん 2月 がつ 6日 にち 、「生命 せいめい の終結 しゅうけつ に明確 めいかく に同意 どうい し、重 じゅう 篤 あつし で改善 かいぜん 不能 ふのう な病状 びょうじょう により耐 た え難 がた い持続 じぞく 的 てき な苦 くる しみを持 も つ成人 せいじん 」について、自 みずか らの生命 せいめい を絶 た つ際 さい に医師 いし の援助 えんじょ を受 う ける権利 けんり があると判断 はんだん し、嘱託 しょくたく 殺人 さつじん に関 かん しても条件 じょうけん を満 み たせば法 ほう の範疇 はんちゅう で実施 じっし できるよう道 みち を開 ひら き、2016年 ねん に策定 さくてい された死 し に行 い く際 さい の医学 いがく 的 てき 援助 えんじょ 法 ほう の礎 いしずえ となった。
死 し に行 い く際 さい の医学 いがく 的 てき 援助 えんじょ 法 ほう は改正 かいせい が重 かさ ねられ、2020年 ねん 3月17日 にち からは自然 しぜん 的 てき な死 し が合理 ごうり 的 てき に予見 よけん できない人 ひと でも最低 さいてい 90日 にち 以上 いじょう の適格 てきかく 性 せい 審査 しんさ という追加 ついか 条件 じょうけん を満 み たすことで死 し の援助 えんじょ を受 う けられるようになり、2023年 ねん 3月17日 にち からは精神 せいしん 的 てき 苦痛 くつう で生命 せいめい の終結 しゅうけつ を願 ねが う人 ひと も死 し の援助 えんじょ を受 う けるのに適格 てきかく となる。
コロンビアでは1997年 ねん に安楽 あんらく 死 し 法 ほう が公布 こうふ され、2021年 ねん 7月 がつ までに124人 にん の安楽 あんらく 死 し が実行 じっこう されてきた[ 47] 。しかし、明確 めいかく な規則 きそく は定 さだ められておらず、何 なん 度 ど か規則 きそく を定 さだ める法案 ほうあん が提出 ていしゅつ されてきたものの、いずれも採決 さいけつ に至 いた らず、また実際 じっさい に安楽 あんらく 死 し を行 おこな う医師 いし やキリスト教 きりすときょう 信者 しんじゃ (特 とく にカトリック教徒 きょうと )の多 おお い国民 こくみん による反対 はんたい の声 こえ も根強 ねづよ く、多 おお くの患者 かんじゃ が安楽 あんらく 死 し を断 ことわ られ続 つづ けているのが実情 じつじょう である[ 47] 。
2021年 ねん 7月 がつ 、高等 こうとう 裁判所 さいばんしょ は南米 なんべい で初 はじ めて、末期 まっき 疾患 しっかん の患者 かんじゃ 以外 いがい にも尊厳 そんげん ある死 し の権利 けんり が適用 てきよう されることを認 みと める判断 はんだん を下 くだ した[ 48] 。この判断 はんだん 以降 いこう 、少 すく なくとも3人 にん の末期 まっき 症状 しょうじょう でない患者 かんじゃ が安楽 あんらく 死 し を選択 せんたく している[ 48] 。2022年 ねん 5月には憲法 けんぽう 裁判所 さいばんしょ の票決 ひょうけつ で自殺 じさつ 幇助 ほうじょ を罰 ばっ する刑法 けいほう の条項 じょうこう が廃止 はいし され、医師 いし による自殺 じさつ 幇助 ほうじょ が合法 ごうほう 化 か された[ 49] 。憲法 けんぽう 裁判所 さいばんしょ はこの判決 はんけつ の中 なか で、議会 ぎかい に対 たい して尊厳 そんげん をもって死 し ぬ権利 けんり の法制 ほうせい 化 か を求 もと めている[ 49] 。
スイスでは刑法 けいほう 115条 じょう で自殺 じさつ 幇助 ほうじょ が犯罪 はんざい として規定 きてい されているが、個人 こじん 的 てき な利益 りえき 目的 もくてき でない限 かぎ りは合法 ごうほう であるとして解釈 かいしゃく されている。そのためディグニタス やライフサークルといった自殺 じさつ 幇助 ほうじょ 団体 だんたい が合法 ごうほう 的 てき に活動 かつどう しており、終末 しゅうまつ 期 き でない人 ひと の自殺 じさつ 幇助 ほうじょ もいくらかなされている。
スペインではカトリック教会 きょうかい の影響 えいきょう が大 おお きかったが、時代 じだい の流 なが れで国民 こくみん の信仰 しんこう 離 ばな れが進 すす み、人工 じんこう 妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ や同性 どうせい 婚 こん といった普及 ふきゅう 運動 うんどう も盛 さか んに行 おこな われるようになった[ 51] 。安楽 あんらく 死 し に関 かん しても1998年 ねん に支援 しえん を受 う けて自殺 じさつ した全身 ぜんしん 麻痺 まひ のラモン・サンペドロ という例 れい をはじめ[ 52] 、当事 とうじ 者 しゃ の実態 じったい が話題 わだい を呼 よ んで世論 せろん の圧力 あつりょく が高 たか まっていた[ 53] 。安楽 あんらく 死 し 法 ほう はペドロ・サンチェス 政権 せいけん の優先 ゆうせん 事項 じこう として討議 とうぎ され[ 53] 、2021年 ねん 3月18日 にち に下院 かいん で202対 たい 141で安楽 あんらく 死 し 法 ほう が可決 かけつ [ 52] 、6月25日 にち に施行 しこう された[ 51] 。法律 ほうりつ は末期 まっき 患者 かんじゃ や重傷 じゅうしょう 患者 かんじゃ の苦痛 くつう 緩和 かんわ を理由 りゆう とする医療 いりょう 従事 じゅうじ 者 しゃ による安楽 あんらく 死 し ・自殺 じさつ 幇助 ほうじょ 双方 そうほう を認 みと めるものである[ 53] 。
2021年 ねん 12月、カタルーニャ州 しゅう タラゴナ で3人 にん に発砲 はっぽう して逃走 とうそう していた被疑 ひぎ 者 しゃ が、警察 けいさつ との銃撃 じゅうげき 戦 せん で右 みぎ 脚 あし 切断 せつだん や四肢 しし 麻痺 まひ という重傷 じゅうしょう を負 お う事件 じけん が起 お きた[ 51] 。被疑 ひぎ 者 しゃ は2022年 ねん 6月 がつ になって安楽 あんらく 死 し を申請 しんせい し、その意向 いこう 通 どお りに8月 がつ に安楽 あんらく 死 し が行 おこな われたが、裁判 さいばん 前 まえ ということもあり、刑事 けいじ 事件 じけん の加害 かがい 者 しゃ の死 し ぬ権利 けんり と被害 ひがい 者 しゃ の司法 しほう アクセス権 けん (英語 えいご 版 ばん ) はどちらか優先 ゆうせん されるのかという点 てん で問題 もんだい となった[ 51] 。
1532年 ねん にカール5世 せい により公布 こうふ されたカロリナ刑事 けいじ 法典 ほうてん では自殺 じさつ が犯罪 はんざい とされなかった。自殺 じさつ 幇助 ほうじょ を違法 いほう とする地域 ちいき もあった一方 いっぽう で、18世紀 せいき にフリードリヒ大王 だいおう により合法 ごうほう 化 か され、この流 なが れの中 なか 成立 せいりつ した1872年 ねん のドイツ刑法 けいほう でも自殺 じさつ ・自殺 じさつ 幇助 ほうじょ が犯罪 はんざい でないとされ、自殺 じさつ に対 たい して長 なが い間 あいだ 寛容 かんよう でいた。
しかし、終末 しゅうまつ 期 き の患者 かんじゃ の自殺 じさつ を支援 しえん する活動 かつどう が社会 しゃかい 問題 もんだい 化 か すると、自殺 じさつ 幇助 ほうじょ 団体 だんたい などによる自殺 じさつ 支援 しえん が必要 ひつよう 以上 いじょう に末期 まっき 患者 かんじゃ を自殺 じさつ へ駆 か り立 た てると懸念 けねん され、これまで自殺 じさつ 関与 かんよ は原則 げんそく 罰 ばっ せられなかったところ、2015年 ねん に新設 しんせつ された刑法 けいほう 217条 じょう により一部 いちぶ 処罰 しょばつ 対象 たいしょう とされた[ 55] 。この217条 じょう は予 かね てから刑法 けいほう 学者 がくしゃ から批判 ひはん され、違憲 いけん ではないかとする訴 うった えもなされ、2020年 ねん 2月 がつ 26日 にち には憲法 けんぽう 裁判所 さいばんしょ は217条 じょう が違憲 いけん であるとする判決 はんけつ を下 くだ している[ 55] 。
日本 にっぽん の司法 しほう が安楽 あんらく 死 し について判断 はんだん した事件 じけん は1962年 ねん の山内 やまうち 事件 じけん 、1991年 ねん の東海大学 とうかいだいがく 安楽 あんらく 死 し 事件 じけん 、1998年 ねん の川崎 かわさき 協同 きょうどう 病院 びょういん 事件 じけん などがあるが、どれも有罪 ゆうざい 判決 はんけつ が出 だ されており、安楽 あんらく 死 し を認 みと めることに対 たい しては慎重 しんちょう な立場 たちば がとられている。
ニュージーランドでは2019年 ねん に議会 ぎかい で安楽 あんらく 死 し 法 ほう が可決 かけつ され、2020年 ねん 11月の国民 こくみん 投票 とうひょう でも賛成 さんせい 多数 たすう により、2021年 ねん 11月に施行 しこう される見込 みこ みとなっている[ 57] 。安楽 あんらく 死 し を認 みと める条件 じょうけん は、18歳 さい 以上 いじょう のニュージーランド国民 こくみん または永住 えいじゅう 権 けん 保持 ほじ 者 しゃ であること、余命 よめい 6か月 げつ 未満 みまん の終末 しゅうまつ 期 き に入 はい り、緩和 かんわ 困難 こんなん な苦痛 くつう を抱 かか えていること、自 みずか ら望 のぞ んでいることなどがあり、主治医 しゅじい 、第三者 だいさんしゃ の医師 いし 、保健 ほけん 当局 とうきょく などの確認 かくにん を以 もっ て認 みと められる[ 57] 。
フランスでは安楽 あんらく 死 し 法 ほう は制定 せいてい されていないものの、世論 せろん としては苦 くる しみが続 つづ くよりも緩和 かんわ 鎮静 ちんせい の過度 かど の投与 とうよ による安 やす らかな死 し を望 のぞ みたいという意見 いけん が大勢 おおぜい を占 し めており、結果 けっか として政府 せいふ は2005年 ねん 、消極 しょうきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し (治療 ちりょう の差 さ し控 ひか え)および間接 かんせつ 的 てき 安楽 あんらく 死 し (苦痛 くつう 軽減 けいげん のための過度 かど な鎮静 ちんせい 剤 ざい 投与 とうよ )を認 みと めるレオネッティ法 ほう (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) を成立 せいりつ させている。
成立 せいりつ 後 ご にレオネッティ法 ほう の限界 げんかい や尊厳 そんげん 死 し をめぐる事件 じけん が社会 しゃかい 問題 もんだい 化 か すると、右派 うは の国民 こくみん 運動 うんどう 連合 れんごう と左派 さは の社会党 しゃかいとう からそれぞれレオナッティとアラン・クレス議員 ぎいん が指名 しめい され、4条件 じょうけん を満 み たす限 かぎ りの緩和 かんわ 的 てき 鎮静 ちんせい (消極 しょうきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し )を合法 ごうほう 化 か した2016年 ねん のクレス・レオネッティ法 ほう 成立 せいりつ に至 いた る[ 59] 。この法律 ほうりつ が成立 せいりつ した同年 どうねん 4月 がつ にはフランス国立 こくりつ 緩和 かんわ ケア・終末 しゅうまつ 期 き 研究所 けんきゅうじょ が新設 しんせつ され、終末 しゅうまつ 期 き 医療 いりょう を受 う ける権利 けんり や自己 じこ 決定 けってい 権 けん の啓発 けいはつ 、事前 じぜん 指示 しじ 書 しょ や信任 しんにん 者 しゃ の普及 ふきゅう 、医療 いりょう 現場 げんば での終末 しゅうまつ 期 き 医療 いりょう 支援 しえん 、国内外 こくないがい の情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう ・公開 こうかい について取 と り組 く んでいる[ 59] 。
2022年 ねん には映画 えいが 監督 かんとく のジャン=リュック・ゴダール がスイスで自殺 じさつ 幇助 ほうじょ を受 う けたことを引 ひ き金 がね にして安楽 あんらく 死 し が再 ふたた び議論 ぎろん されるようになり、同年 どうねん 12月 がつ 9日 にち には自殺 じさつ 幇助 ほうじょ の是非 ぜひ について議論 ぎろん する市民 しみん 評議 ひょうぎ 会 かい が開会 かいかい した[ 18] 。世論 せろん は概 おおむ ね積極 せっきょく 的 てき 安楽 あんらく 死 し や自殺 じさつ 幇助 ほうじょ の合法 ごうほう 化 か に賛成 さんせい する傾向 けいこう にある一方 いっぽう で、患者 かんじゃ に死 し を与 あた える使命 しめい はないと反対 はんたい する医師 いし の声 こえ も聞 き かれる[ 60] 。
ベルギーは1990年代 ねんだい 半 なか ばから安楽 あんらく 死 し 法 ほう について議論 ぎろん されていたが、政権 せいけん 与党 よとう の思惑 おもわく などで難航 なんこう していた。1999年 ねん の選挙 せんきょ の結果 けっか として虹 にじ の連立 れんりつ 政権 せいけん が樹立 じゅりつ されると、懸案 けんあん とされた安楽 あんらく 死 し 関連 かんれん 法案 ほうあん が元老 げんろう 院 いん に提出 ていしゅつ され、2001年 ねん に元老 げんろう 院 いん で、2002年 ねん に代議 だいぎ 院 いん でそれぞれ可決 かけつ され、2002年 ねん 9月 がつ に施行 しこう された。
ベルギーの安楽 あんらく 死 し 法 ほう は精神 せいしん 的 てき 苦痛 くつう による安楽 あんらく 死 し の合法 ごうほう 化 か 、自殺 じさつ 幇助 ほうじょ を認 みと めず安楽 あんらく 死 し は必 かなら ず医師 いし によって行 おこな われるべきとしていること、意識 いしき のあるときに書 か かれた事前 じぜん の意思 いし 表明 ひょうめい 書 しょ が認 みと められているという点 てん から特徴 とくちょう づけられる。
2002年 ねん の安楽 あんらく 死 し 法 ほう では未成年 みせいねん 者 しゃ (婚姻 こんいん している16歳 さい 以上 いじょう 除 のぞ く)の安楽 あんらく 死 し を認 みと めていなかったが、制定 せいてい 当時 とうじ から未成年 みせいねん 者 しゃ にも認 みと められるべきではないかとする声 こえ が上 あ がった。2013年 ねん 10月には元老 げんろう 院 いん で未成年 みせいねん 者 しゃ の安楽 あんらく 死 し 関連 かんれん 法案 ほうあん の審議 しんぎ に着手 ちゃくしゅ され、両院 りょういん で審議 しんぎ された結果 けっか 、2014年 ねん 2月 がつ に年齢 ねんれい 制限 せいげん を撤廃 てっぱい した安楽 あんらく 死 し 法 ほう が可決 かけつ され、翌月 よくげつ から施行 しこう された。
未成年 みせいねん 者 しゃ の場合 ばあい 、正常 せいじょう な判断 はんだん 能力 のうりょく があること、苦痛 くつう が激 はげ しく死 し が避 さ けられないほど末期 まっき であることを条件 じょうけん とし、また精神 せいしん 的 てき 苦痛 くつう による安楽 あんらく 死 し が認 みと められておらず、要件 ようけん は成人 せいじん よりも厳 きび しいものだったが、年齢 ねんれい 制限 せいげん を撤廃 てっぱい した安楽 あんらく 死 し 法 ほう は世界 せかい 初 はつ のことであった。一方 いっぽう で、安楽 あんらく 死 し が法定 ほうてい 代理人 だいりにん の意向 いこう で左右 さゆう されるリスクを指摘 してき する声 こえ や、心理 しんり カウンセラーや児童 じどう 心理 しんり 専門 せんもん 家 か が難病 なんびょう で苦 くる しむ子供 こども の意思 いし 表明 ひょうめい を正確 せいかく に判断 はんだん できるのかを疑問 ぎもん 死 し する声 こえ も少 すく なくない。
ポルトガルでは2020年 ねん 2月 がつ に不治 ふじ の病 やまい や重度 じゅうど の身体 しんたい 障害 しょうがい 者 しゃ に対 たい する自殺 じさつ 幇助 ほうじょ を認 みと める法案 ほうあん が議会 ぎかい で可決 かけつ されたが、マルセロ・レベロ・デ・ソウザ 大統領 だいとうりょう はこれに拒否 きょひ 権 けん を行使 こうし した[ 18] 。2022年 ねん 12月にも同様 どうよう の法案 ほうあん は可決 かけつ されたが、翌 よく 2023年 ねん 1月 がつ に文言 もんごん が漠然 ばくぜん としすぎているとして憲法 けんぽう 裁判所 さいばんしょ により議会 ぎかい に差 さ し戻 もど された[ 18] 。
ルクセンブルクは2009年 ねん までの20年間 ねんかん で安楽 あんらく 死 し 法 ほう について議論 ぎろん されていたが、アンリ大公 たいこう による拒否 きょひ 権 けん 行使 こうし などで難航 なんこう し、憲法 けんぽう 改正 かいせい にまで踏 ふ み切 き っている。2009年 ねん に成立 せいりつ した安楽 あんらく 死 し 法 ほう はベルギーの影響 えいきょう を受 う けたものであり、安楽 あんらく 死 し は医者 いしゃ により行 おこな われること、実施 じっし の上 うえ で4つの基本 きほん 条件 じょうけん 、事前 じぜん の7つの手続 てつづき 措置 そち が規定 きてい されている。
^ この判決 はんけつ の結果 けっか 、カレンは同年 どうねん 5月 がつ 15日 にち から段階 だんかい 的 てき に人工 じんこう 呼吸 こきゅう 器 き から離脱 りだつ させられ、5月22日 にち に完全 かんぜん に離脱 りだつ させられたあと、集中 しゅうちゅう 治療 ちりょう 室 しつ から一般 いっぱん 病棟 びょうとう 、次 つ いでナーシングホームへと転院 てんいん し、1985年 ねん 6月 がつ 11日 にち に死亡 しぼう した。人工 じんこう 呼吸 こきゅう 器 き から完全 かんぜん に離脱 りだつ できたということは、ある程度 ていど の呼吸 こきゅう 能力 のうりょく が残存 ざんそん していたために、結局 けっきょく 、人工 じんこう 呼吸 こきゅう 器 き が必要 ひつよう では無 な かったということであり、この裁判 さいばん の争点 そうてん である、「植物 しょくぶつ 状態 じょうたい であり、人工 じんこう 呼吸 こきゅう 器 き なしでは生 い きられない患者 かんじゃ への治療 ちりょう 中止 ちゅうし を認 みと めるか否 ひ か」の前提 ぜんてい である、「人工 じんこう 呼吸 こきゅう 器 き なしでは生 い きられない」状況 じょうきょう ではなかったということになる。しかもカレンは結局 けっきょく 10年 ねん 以上 いじょう 生存 せいぞん しており、人工 じんこう 呼吸 こきゅう 器 き の取 と り外 はず しは認 みと められても、それ以外 いがい の栄養 えいよう などの生命 せいめい 維持 いじ を中断 ちゅうだん することまでは認 みと められなかったということになる。しかしながらこの裁判 さいばん が残 のこ した社会 しゃかい 的 てき 影響 えいきょう は大 おお きかった。
^ 廃止 はいし までに4人 にん の安楽 あんらく 死 し が行 おこな われた。
^ 施行 しこう 日 び はビクトリア州 しゅう で2019年 ねん 6月 がつ 19日 にち 、西 にし オーストラリア州 しゅう で2021年 ねん 7月 がつ 1日 にち 、タスマニア州 しゅう で2022年 ねん 10月 がつ 23日 にち 、クイーンズランド州 しゅう で2023年 ねん 1月 がつ 1日 にち 、南 みなみ オーストラリア州 しゅう で2023年 ねん 1月 がつ 31日 にち 、ニューサウスウェールズ州 しゅう で2023年 ねん 11月28日 にち [ 37] [ 38] [ 35] [ 34] 。