しゃ (妖怪ようかい)

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鳥山とりやま石燕せきえん画図えず百鬼夜行ひゃっきやこう』より「しゃ

しゃ/しゃ(かしゃ)は、悪行あくぎょうかさねたすえんだもの亡骸なきがらうばうとされる日本にっぽん妖怪ようかいである[1][2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

葬式そうしき墓場はかばから死体したいうば妖怪ようかいとされ、伝承でんしょう特定とくていされておらず、全国ぜんこく事例じれいがある[1]正体しょうたいねこ妖怪ようかいとされることがおおく、年老としおいたねこがこの妖怪ようかい変化へんかするともわれ、猫又ねこまた正体しょうたいだともいう[1][3]

昔話むかしばなしねこ檀家だんか」などでもしゃはなしがあり、播磨はりまこくげん兵庫ひょうごけん)でも山崎やまざきまちげん宍粟しさわ牧谷まきやの「しゃばば」にるいばなしがある[2]

しゃから亡骸なきがらまも方法ほうほうとして、山梨やまなしけん西八代にしやつしろぐん上九一色かみくいしきむらげん南都留みなみつるぐん富士ふじ河口湖かわぐちこまち)でしゃむといわれる付近ふきんてらでは、葬式そうしきを2かいけておこない、最初さいしょ葬式そうしきには棺桶かんおけいしめておき、しゃ亡骸なきがらうばわれるのをふせぐこともあったという[4]愛媛えひめけん八幡浜やわたはまでは、かんうえかみくとしゃ亡骸なきがらうばわれずにむという[5]宮崎みやざきけん東臼杵ひがしうすきぐん西郷さいごうむらげん美郷みさとまち)では、出棺しゅっかんまえに「バクにはわせん」または「しゃにはわせん」と2かいとなえるという[6]岡山おかやまけん阿哲あてつぐん熊谷くまがやむらげん新見にいみ)では、みょうはち和楽わらく)をたたくとしゃけられるという[7]

古典こてん登場とうじょうするしゃ[編集へんしゅう]

著者ちょしゃしょう奇異きい雑談ざつだんしゅう』より「越後えちご上田うえだしょうにて、ほうむりのときくもかみなりきたりて死人しにんをとること
茅原かやはらきょときちがやまど漫録』より「魍魎もうりょう(クハシヤ)」
奇異きい雑談ざつだんしゅう』より「越後えちご上田うえだしょうにて、ほうむりのときくもかみなりきたりて死人しにんをとること
越後えちごこく上田うえだおこなわれた葬儀そうぎで、葬送そうそうれつしゃおそわれ、亡骸なきがらうばわれそうになった。ここでのしゃはげしい雷雨らいうとともにあらわれたといい、挿絵さしえでは雷神らいじんのように、トラかわふんどし穿き、かみなりこす太鼓たいこった姿すがたえがかれている(画像がぞう参照さんしょう[8]
しん著聞ちょぶんしゅうだい たかしぎょうへんより「おとほまれ上人しょうにんみずかしゃる」
文明ぶんめい11ねん7がつ2にち増上寺ぞうじょうじおとほまれ上人しょうにんしゃむかえられた。このしゃ地獄じごく使者ししゃではなく極楽浄土ごくらくじょうどからの使者ししゃであり、当人とうにん来世らいせしんじるかどうかにより、しゃ姿すがたちがったものにえるとされている[9][10]
どう だいじゅう かいへんより「しゃるをこしあしただれ壊る」
たけしゅう騎西きさいちかくのみょうねがい寺村てらむら。あるときに、酒屋さかや安兵衛やすべえというおとこきゅうみちし、「しゃる」でさけんでたおれた。家族かぞくけつけたとき、かれはすでに正気しょうきうしなってくちをきくこともできず、寝込ねこんでしまい、10日とおかほどのち下半身かはんしんくさってんでしまったという[11]
どう だいじゅう かいへんより「そうしょくもちゅうおにとる」
松平まつだいら左衛門さえもんという武士ぶし従兄弟いとこ葬式そうしき参列さんれつしていると、雷鳴らいめいとどろき、そらおお黒雲くろくもなかからしゃくまのようなうでして亡骸なきがらうばおうとする。かたなとしたところ、そのうでおそろしい3ほんつめち、ぎんはりのようなおおわれていたという[10][11]
どう だいじゅうよん 殃禍へんより「慳貪けんどん老婆ろうばしゃつかみる」
肥前ひぜん藩主はんしゅ大村おおむら因幡いなばまもるたちが備前びぜん浦辺うらべとおっていると、彼方かなたから黒雲くろくもあらわれ「あらかなしや」と悲鳴ひめいひびき、くもからひとあした。因幡いなばまもる家来けらいたちがきおろすと、それは老婆ろうば死体したいだった。付近ふきん人々ひとびと事情じじょうたずねたところ、この老婆ろうばはひどいケチで周囲しゅういからきらわれていたが、あるとき便所べんじょくといってそとたところ、突然とつぜん黒雲くろくもりてられてしまったのだという。これがにいうしゃという悪魔あくま仕業しわざとされている[10][12]
ちがやまど漫録』より「しゃ
葬儀そうぎちゅう突然とつぜん風雨ふううき、かんばされて亡骸なきがらうしなわれることがあるが、これは地獄じごくからしゃむかえにたものであり、人々ひとびとおそじた。しゃ亡骸なきがらいて、山中さんちゅういわくこともあるという。本書ほんしょではしゃ日本にっぽんとともに中国ちゅうごくにもおおくあるもので、魍魎もうりょうというしし仕業しわざとされており、挿絵さしえでは「魍魎もうりょう」といて「クハシヤ」とみがかれている(画像がぞう参照さんしょう[10][13]
北越ほくえつゆき』より「きただか和尚おしょう
天正てんしょう時代じだい越後えちごこく魚沼うおぬまぐんでの葬儀そうぎで、突風とっぷうとともにたま飛来ひらいしてかんにかぶさった。なかには二又ふたまた巨大きょだいねこがおり、かんうばおうとした。この妖怪ようかい雲洞うんとうあん和尚おしょうきただか呪文じゅもん如意にょいいちげき撃退げきたいされ、きただか袈裟けさは「しゃ落(かしゃおとし)の袈裟けさ」としてのちつたえられた[14]

しゃるいするもの[編集へんしゅう]

しゃ同種どうしゅのもの、またはしゃ別名べつめいかんがえられているものに、以下いかのものがある[1]

岩手いわてけん遠野とおのではキャシャといって、上閉伊かみへいぐん綾織あやおりむらげん遠野とおの)から宮守みやもりむらげんどう)につづとうげかたわらのやまぜんおび巾着きんちゃくけたおんな姿すがたをしたものがんでおり、葬式そうしき棺桶かんおけから死体したいうばい、墓場はかばから死体したいりおこしてべてしまうといわれた。長野ながのけんみなみ御牧みまきむらげん佐久さく)でもキャシャといい、やはり葬列そうれつから死体したいうばうとされた[15]

山形やまがたけんではむかし、ある裕福ゆうふくおとこんだときにカシャねこしゃ)があらわれて亡骸なきがらうばおうとしたが、清源寺せいげんじ和尚おしょうによりはらわれたとつたえられる。そのときのこされた尻尾しっぽとされるものが魔除まよけけとして長谷ながたに観音堂かんのんどう奉納ほうのうされており、毎年まいとし正月しょうがつ公開こうかいされる[16]。このはなしはまんが日本にっぽんむかしばなしで「わた廊下ろうか寄付きふ」のもととされ妖怪ようかいしゃとして登場とうじょうしている。

群馬ぐんまけん甘楽かんらぐん秋畑あきはたむらげん甘楽かんらまち)ではひと死体したいべる怪物かいぶつをテンマルといい、これをふせぐために埋葬まいそうしたうえかごかぶせたという[17]

愛知あいちけん日間賀島ひまかじまでもしゃをマドウクシャといって、ひゃくさいねこ妖怪ようかいすものだという[18]

鹿児島かごしまけん出水しゅっすい地方ちほうではキモトリといって、葬式そうしきのち墓場はかばあらわれたという[3]

考察こうさつ[編集へんしゅう]

わきかさひゃくかいまき』より「くはしや」(かしゃ)

日本にっぽん古来こらいではねこ魔性ましょうぬしとされ、「ねこ死人しにんちかづけてはならない」「棺桶かんおけうえねこえると、棺桶かんおけなか亡骸なきがらがる」といった伝承でんしょうがある。また中世ちゅうせい日本にっぽん説話せつわ物語ものがたりしゅう宇治うじ拾遺しゅうい物語ものがたり』では、獄卒ごくそつ地獄じごく亡者もうじゃめる悪鬼あっき)がさかくるまき、罪人ざいにん亡骸なきがら、もしくはきている罪人ざいにんうばることがかたられている。しゃ伝承でんしょうは、これらのようなねこ死人しにんかんする伝承でんしょう罪人ざいにんうばくるま伝承でんしょうわさった結果けっかまれたものとされる[1]

河童かっぱ人間にんげんおぼれさせてしりる(しりから内臓ないぞうべる)という伝承でんしょうは、このしゃからの影響えいきょうによってしょうじたものとするせつもある[19]。また、中国ちゅうごくには「魍魎もうりょう」という妖怪ようかい伝承でんしょうがあるが、これは死体したいきもこのんでべるといわれることから、日本にっぽんでは死体したいうばしゃ混同こんどうされたとられており[1]前述ぜんじゅつの『ちがやまど漫録』で「魍魎もうりょう」を「クハシヤ」とんでいることにくわえて、根岸ねぎし鎮衛随筆ずいひつみみぶくろまきよんおにぼくこと」では、死体したいうば妖怪ようかいが「魍魎もうりょうといへるものなり」と名乗なの場面ばめんがある[20]

転用てんよう[編集へんしゅう]

経済けいざい状態じょうたい切迫せっぱく意味いみする「くるま」と言葉ことばは、このしゃくるま)によって亡者もうじゃをうけることに由来ゆらいしている[21]

播磨はりま国一くにいちたいでは性格せいかくわる老婆ろうばを、ねこのような老婆ろうばとの意味合いみあいで「しゃばば」とぶと[2]

遊廓ゆうかく遊女ゆうじょたちを監督かんとくする女性じょせいである(やりて)のことを花車きゃしゃ(かしゃ)とぶのもしゃから派生はせいしたものであり、万事ばんじまわおんなであり、牛車うしぐるまうごかすひと意味いみする言葉ことばでもあることが由来ゆらいとされている[3]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f 村上むらかみ健司けんじ編著へんちょ妖怪ようかい事典じてん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2000ねん、103-104ぺーじISBN 978-4-620-31428-0 
  2. ^ a b c 播磨はりままなぶ研究所けんきゅうじょへん播磨はりま民俗みんぞく探訪たんぼう神戸こうべ新聞しんぶん総合そうごう出版しゅっぱんセンター、2005ねん、157-158ぺーじISBN 978-4-3430-0341-6 
  3. ^ a b c 京極きょうごく夏彦なつひこ多田ただ克己かつみ編著へんちょ妖怪ようかいまき国書刊行会こくしょかんこうかい、2000ねん、151ぺーじISBN 978-4-336-04187-6 
  4. ^ 土橋どばしさと. “甲斐かい 通巻つうかん24ごう 精進しょうじん民話みんわ”. 怪異かいい妖怪ようかい伝承でんしょうデータベース. 国際こくさい日本にっぽん文化ぶんか研究けんきゅうセンター. 2008ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  5. ^ 河野こうの正文まさふみ. “愛媛えひめけん 民俗みんぞく下巻げかん だい八章はっしょう だいさんせつさん 衣服いふく”. 怪異かいい妖怪ようかい伝承でんしょうデータベース. 2008ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  6. ^ 河野こうの正文まさふみ. “民俗みんぞく採訪さいほう 通巻つうかん昭和しょうわ38年度ねんどごう 宮崎みやざきけん東臼杵ひがしうすきぐん西郷さいごうむら”. 怪異かいい妖怪ようかい伝承でんしょうデータベース. 2008ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  7. ^ かつらまた三郎さぶろう. “中国ちゅうごく民俗みんぞく研究けんきゅう 1かん3ごう 阿哲あてつぐん熊谷くまがやむら伝説でんせつ”. 怪異かいい妖怪ようかい伝承でんしょうデータベース. 2008ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  8. ^ 高田たかだまもるへんこうちゅう奇異きい雑談ざつだんしゅう」『江戸えど怪談かいだんしゅうじょう岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1989ねん、230-232ぺーじISBN 978-4-00-302571-0 
  9. ^ 神谷かみやよういさむのき ちょしん著聞ちょぶんしゅう」、日本にっぽん随筆ずいひつ大成たいせい編輯へんしゅう へん日本にっぽん随筆ずいひつ大成たいせい』 〈だい2〉5、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1974ねん、289ぺーじISBN 978-4-642-08550-2 
  10. ^ a b c d 京極きょうごく夏彦なつひこ多田ただ克己かつみ編著へんちょ妖怪ようかいまき国書刊行会こくしょかんこうかい、2000ねん、150-151ぺーじISBN 978-4-336-04187-6 
  11. ^ a b しん著聞ちょぶんしゅう」『日本にっぽん随筆ずいひつ大成たいせい』 〈だい2〉5、355-357ぺーじ 
  12. ^ しん著聞ちょぶんしゅう」『日本にっぽん随筆ずいひつ大成たいせい』 〈だい2〉5、399ぺーじ 
  13. ^ 茅原かやはらきょときちがやまど漫録」『日本にっぽん随筆ずいひつ大成たいせい』 〈だい1〉22、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1994ねん、352-353ぺーじISBN 978-4-642-09022-3 
  14. ^ 鈴木すずき牧之ぼくし しる池内いけうちおさむ わけきただか和尚おしょう」『北越ほくえつゆき小学館しょうがくかん地球人ちきゅうじんライブラリー〉、1997ねん、201-202ぺーじISBN 978-4-09-251035-7 
  15. ^ 柳田やなぎだ國男くにお へん綜合そうごう日本にっぽん民俗みんぞく語彙ごいだい1かん平凡社へいぼんしゃ、1955ねん、468ぺーじ 
  16. ^ 山口やまぐちさとし太郎たろう『とうほく妖怪ようかい図鑑ずかん無明むみょうしゃ〈んだんだブックス〉、2003ねん、40-41ぺーじISBN 978-4-89544-344-9 
  17. ^ 妖怪ようかい事典じてん』、236ぺーじ 
  18. ^ 妖怪ようかい事典じてん』、312ぺーじ 
  19. ^ 妖怪ようかいまき』、147ぺーじ 
  20. ^ 根岸ねぎし鎮衛 しる長谷川はせがわつよしこうちゅう へんみみちゅう岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1991ねん、125ぺーじISBN 978-4-00-302612-0 
  21. ^ 多田ただ克己かつみひゃくおに解読かいどく講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ〉、2006ねん、52ぺーじISBN 978-4-06-275484-2