羊 ひつじ を放牧 ほうぼく しているルーマニア の羊 ひつじ 飼 か い
フランスのランド県 けん で、竹馬 たけうま にのる羊 ひつじ 飼 か いBerger landais (フランス語 ふらんすご 版 ばん )
羊 ひつじ 飼 か い用 よう の移動 いどう 式 しき の小屋 こや
羊 ひつじ 飼 か い (ひつじかい、英 えい : shepherd, sheepherder )とは、羊 ひつじ を保護 ほご し飼育 しいく し放牧 ほうぼく する労働 ろうどう 者 しゃ である。英語 えいご のシェパード (shepherd) という言葉 ことば は「sheep herder(羊 ひつじ の牧畜 ぼくちく 民 みん )」を縮 ちぢ めて作 つく られたものである。
羊 ひつじ 飼 か いという職業 しょくぎょう は最 もっと も古 ふる い職業 しょくぎょう の一 ひと つで、約 やく 5,000年 ねん 前 まえ のアナトリア半島 はんとう が発祥 はっしょう である。 羊 ひつじ は乳 ちち ・肉 にく 、そして羊毛 ようもう を得 え るため飼育 しいく された。発祥 はっしょう から1,000年 ねん 経過 けいか すると、羊 ひつじ 飼 か いという職業 しょくぎょう はユーラシア 全域 ぜんいき に広 ひろ がった。フランス人 じん 考古 こうこ 学者 がくしゃ アンリ・フライシュは亜 あ 旧石器時代 きゅうせっきじだい のレバノン ベッカー高原 こうげん における遊牧民 ゆうぼくみん の羊 ひつじ 飼 か いが暫定 ざんてい 的 てき に最初 さいしょ の文化 ぶんか の一 ひと つと考 かんが えられるとしている[1] [2] 。
少量 しょうりょう の羊 ひつじ なら、豚 ぶた や鶏 にわとり などのように家畜 かちく として牧場 ぼくじょう で飼 か えるが、大量 たいりょう になると牧草 ぼくそう 地 ち を渡 わた り歩 ある かなければいけなかった。そのため羊 ひつじ 飼 か いの職務 しょくむ には肉食 にくしょく 動物 どうぶつ などから羊 ひつじ を保護 ほご し、羊毛 ようもう を刈 か る時期 じき には市場 いちば に移動 いどう させるなどの仕事 しごと がある。昔 むかし の羊 ひつじ 飼 か いは乳 ちち を搾 しぼ りチーズ を製造 せいぞう した。それらの伝統 でんとう は現在 げんざい でも少数 しょうすう の羊 ひつじ 飼 か いが引 ひ き継 つ いでいる。
多 おお くの社会 しゃかい では、羊 ひつじ 飼 か いは経済 けいざい にかかわる職 しょく で、農民 のうみん とは異 こと なり他人 たにん の羊 ひつじ の面倒 めんどう を見 み て、しばしば賃金 ちんぎん を得 え ていた。その一方 いっぽう 、彼 かれ らは遊牧 ゆうぼく の為 ため に社会 しゃかい から離 はな れて住 す み、子供 こども のいない独身 どくしん 男性 だんせい の仕事 しごと とされた。新 あたら しい羊 ひつじ 飼 か いは外部 がいぶ から募集 ぼしゅう する必要 ひつよう があった。ほとんどの場合 ばあい は土地 とち を引 ひ き継 つ げなかった農民 のうみん の子供 こども たちであった。それ以外 いがい の社会 しゃかい では家族 かぞく を持 も ち、難 むずか しくない仕事 しごと は児童 じどう や少年 しょうねん 、または老人 ろうじん が請負 うけお った。そういった羊 ひつじ 飼 か いは地元 じもと 社会 しゃかい と共 とも にあった。
羊 ひつじ 飼 か いは通常 つうじょう グループで、一 ひと つの大 おお きな群 む れを率 ひき いるか、もしくは各々 おのおの が管理 かんり する群 む れを共同 きょうどう で管理 かんり するかしている。羊 ひつじ 飼 か いは多 おお くの場合 ばあい 、羊 ひつじ と一緒 いっしょ の小屋 こや に住 す み、地域 ちいき 社会 しゃかい から食糧 しょくりょう を得 え ていた。それ以外 いがい の羊 ひつじ 飼 か いは、覆 おお いがあるワゴン に住 す み群 む れと一緒 いっしょ に行動 こうどう していた。
羊 ひつじ 飼 か いは特定 とくてい の地域 ちいき で発展 はってん した。低地 ていち や川 かわ の渓谷 けいこく では、羊 ひつじ を放牧 ほうぼく するより穀物 こくもつ を育 そだ てた方 ほう が圧倒的 あっとうてき に効率 こうりつ 的 てき であった。したがって、羊 ひつじ の飼育 しいく はそれ以外 いがい の山岳 さんがく 地域 ちいき 等 とう に限定 げんてい された。近代 きんだい 以前 いぜん の羊 ひつじ 飼 か いは、このような中東 ちゅうとう 、ギリシャ 、ピレネー山脈 さんみゃく 、カルパチア山脈 さんみゃく 、スコットランド などの地域 ちいき を中心 ちゅうしん に行 おこな われた。
羊 ひつじ 飼 か いの杖 つえ
羊 ひつじ は、家畜 かちく や農業 のうぎょう には適 てき していない山岳 さんがく 地帯 ちたい などに生 は える丈夫 じょうぶ な牧草 ぼくそう を食 た べることができる。そのため、季 き 節 ぶし ごとに山岳 さんがく ルートに沿 そ って、ドロヴァーズロード(英語 えいご : drovers' roads、家畜 かちく 追 お いの道 みち )と言 い われる道 みち が形成 けいせい される。こういった山岳 さんがく の道 みち でバランスを取 と り、捕食 ほしょく 動物 どうぶつ から羊 ひつじ を守 まも る武器 ぶき として、危険 きけん な下草 したくさ を調 しら べるため、多目的 たもくてき にシェパーズ・クルーク(英語 えいご :Shepherd's Crook、羊 ひつじ 飼 か いの杖 つえ )は使 つか われる。
フック は落下 らっか した羊 ひつじ の首 くび や足 あし に引 ひ っ掛 か け、群 む れへの復帰 ふっき を補助 ほじょ するために導入 どうにゅう された。このような理由 りゆう から、困難 こんなん な状況 じょうきょう にある信徒 しんと を助 たす けるシンボルとして、ミトラ教 きょう 父 ちち やキリスト教 きりすときょう の司教 しきょう が持 も つ司教 しきょう 杖 つえ に取 と り入 い れられている[3] 。
斧 おの
東 ひがし ヨーロッパでは、斧 おの と組 く み合 あ わせた羊 ひつじ 飼 か いの斧 おの (英語 えいご 版 ばん ) が使用 しよう される。
スポーツ
棒高跳 ぼうたかと び の起源 きげん は、羊 ひつじ 飼 か いが川 かわ や柵 しがらみ を超 こ える際 さい に杖 つえ を使 つか ったのが始 はじ まりだとされる[4] 。急峻 きゅうしゅん な地形 ちけい を持 も つカナリア諸島 かなりあしょとう では、槍 やり のような杖 つえ を使用 しよう して移動 いどう したり昇 のぼ り降 お りするサルト・デル・パストール (英語 えいご 版 ばん ) (羊 ひつじ 飼 か いのジャンプ)という伝統 でんとう 競技 きょうぎ がある[5] 。
ツタンカーメンの棺 かん が握 にぎ るヘカ と脱穀 だっこく 用 よう の棹 ざお ネケク
エジプト神話 しんわ に登場 とうじょう するオシリス 神 かみ は、片手 かたて にヘカと呼 よ ばれるシェパーズ・クルークを持 も つ[6] 。
キリスト教 きりすときょう では、イエス・キリスト を「善 よ き羊 ひつじ 飼 か い」、信徒 しんと を「ストレイシープ 」と比喩 ひゆ する、シェパーズ・クルークをモチーフとした司教 しきょう 杖 つえ の存在 そんざい など、羊 ひつじ 飼 か いとの関 かか わりが多 おお い。
動植物 どうしょくぶつ についての知識 ちしき が豊富 ほうふ であるため、ルーマニアの羊 ひつじ 飼 か いなどは、治癒 ちゆ 者 しゃ 、魔術 まじゅつ 師 し として尊敬 そんけい を集 あつ めている[7] 。
アルカディアの羊 ひつじ 飼 か い、牧歌 ぼっか 的 てき な環境 かんきょう の羊 ひつじ 飼 か い、トルトナのイタリアの画家 がか チェザーレ・サッカッジの作品 さくひん
俗世 ぞくせ とかけ離 はな れた牧歌 ぼっか 的 てき な環境 かんきょう で生 い きる羊 ひつじ 飼 か いは、アルカディア の住人 じゅうにん という理想 りそう 像 ぞう として頻繁 ひんぱん に芸術 げいじゅつ のテーマとされる。羊 ひつじ 飼 か いを「田舎 いなか 」の象徴 しょうちょう として理想 りそう 化 か した『 パストラル 』(主 おも に羊 ひつじ 飼 か いを主題 しゅだい に置 お いた文学 ぶんがく ・美術 びじゅつ ・音楽 おんがく ・歌劇 かげき などの芸術 げいじゅつ 作品 さくひん 群 ぐん )というジャンルは、テオクリトス の『牧歌 ぼっか 』から始 はじ まり数々 かずかず の名作 めいさく を作 つく ることとなった。
有名 ゆうめい な羊 ひつじ 飼 か い[ 編集 へんしゅう ]
神 かみ