玄蕃新田
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さいたま | |
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209 |
UTC+9 ( | |
336-0961[2] | |
048[3] | |
ナンバープレート |
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地理
[さいたま
歴史
[もとは
発足 時 は幕府 領 、その後 一部 が旗本 加藤 氏 の知行 となる[6]。幕末 時点 では足立 郡 玄蕃新田 であった。明治 初年 の『旧 高 旧領 取調 帳 』の記載 によると、代官 大竹 左 馬 太郎 支配 所 が管轄 する幕府 領 と旗本 加藤 酉之助 の知行 であった[8]。- 1868
年 (慶応 4年 )6月19日 -旧 幕府 領 が武蔵 知 県 事 ・山田 政則 (忍 藩士 )の管轄 となる。 - 1869
年 (明治 2年 ) - 1871
年 (明治 4年 )11月13日 -第 1次 府県 統合 により、埼玉 県 の管轄 となる。 - 1879
年 (明治 12年 )3月17日 -郡 区 町村 編制 法 により成立 した北足立 郡 に属 す。郡 役所 は浦和 宿 に設置 。 - 1889
年 (明治 22年 )4月 1日 -町村 制 施行 により、大門 町 ・下野田 村 ・北原 村 ・間宮 村 ・差間 村 と玄蕃新田 が合併 し、大門 村 が成立 [9]。大門 村 の大字 玄蕃新田 となる[6]。 - 1956
年 (昭和 31年 ) 4月 1日 -野田 村 ・戸塚 村 ・大門 村 が合併 し、美園 村 が成立 [9]。同村 の大字 となる。 - 1962
年 (昭和 37年 )5月 1日 -美園 村 のうち、旧 大門 村 のうち差 間 ・行衛 を除 く区域 と旧 野田 村 が浦和 市 に、旧 戸塚 村 と旧 大門 村 のうち差 間 ・行衛 が川口 市 にそれぞれ編入 される[9][10]。浦和 市 の大字 となる。 - 2001
年 (平成 13年 )5月1日 -浦和 市 ・大宮 市 ・与野 市 が合併 し、さいたま市 が発足 。同市 の大字 となる。 - 2003
年 (平成 15年 )4月 1日 - さいたま市 が政令 指定 都市 に移行 し、同市 緑 区 の大字 となる。 - 2017
年 (平成 29年 )2月 18日 -一部 (新田 )が美園 一 丁目 -五 丁目 の各 一部 となる[5]。
小字
[世帯 数 と人口
[2017
77 |
209 |
小・中学校 の学区
[さいたま |
さいたま |
交通
[鉄道
[道路
[施設
[脚注
[- ^ a b “さいたま
市 の人口 ・世帯 (時 系列 結果 )”. さいたま市 (2017年 9月 5日 ). 2017年 9月 20日 閲覧 。 - ^ a b “
郵便 番号 ”.日本 郵便 . 2017年 10月 3日 閲覧 。 - ^ “
市外 局番 の一覧 ”.総務 省 . 2017年 5月 29日 閲覧 。 - ^ 『でっか
字 埼玉 便利 情報 地図 2013年 2版 2刷 』昭文社 、2013年 、106頁 。ISBN 978-4-398-60135-3。 - ^ a b “さいたま
市 区 政 概要 (平成 30年度 版 )” (PDF). さいたま市 . p. 7 (2018年 8月 ). 2019年 1月 27日 閲覧 。 - ^ a b c d 『
角川 日本 地名 大 辞典 11埼玉 県 』 353ページ。 - ^ 『
角川 日本 地名 大 辞典 11埼玉 県 』 457ページ。 - ^ 「
旧 高 旧領 取調 帳 データベース」の検索 結果 も参照 。 - ^ a b c 『わがまち
浦和 』巻末 付録 (ページ番号 なし)。 - ^ 『
角川 日本 地名 大 辞典 11埼玉 県 』 1420ページ。 - ^ “さいたま
市立 小・中学校 通学 区域 一覧 ”. さいたま市 (2017年 8月 23日 ). 2017年 9月 20日 閲覧 。
参考 文献
[- 「
角川 日本 地名 大 辞典 」編纂 委員 会 『角川 日本 地名 大 辞典 11埼玉 県 』角川書店 、1980年 7月 8日 。ISBN 4040011104。 浦和 市 総務 部 市 史 編 さん室 『わがまち浦和 ―地域 別 案内 』浦和 市 、1982年 11月30日 。全国 書誌 番号 :83024476、NCID BN10203371。旧 高 旧領 取調 帳 データベース
関連 項目
[外部 リンク
[- さいたま
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市 緑 区 ガイドマップ - さいたま市