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石岡いしおか康三やすぞう

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石岡いしおか 康三やすぞう
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 千葉ちばけん長生ちょうせいぐん一宮いちのみやまち
生年月日せいねんがっぴ (1941-04-16) 1941ねん4がつ16にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (2019-10-18) 2019ねん10月18にち(78さいぼつ
身長しんちょう
体重たいじゅう
182 cm
75 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 1964ねん
はつ出場しゅつじょう 1964ねん3がつ21にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 1976ねん9月30にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
コーチれき
  • ヤクルトアトムズ
    ヤクルトスワローズ (1972 - 1973, 1977 - 1992)

石岡いしおか 康三やすぞう(いしおか こうぞう、1941ねん4がつ16にち - 2019ねん10月18にち[1])は、千葉ちばけん長生ちょうせいぐん一宮いちのみやまち[2]出身しゅっしんプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)・コーチ

経歴けいれき

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中学ちゅうがく時代じだい遊撃手ゆうげきしゅとしてプレーし[2]一宮いちのみや商業しょうぎょう高校こうこう卒業そつぎょう1960ねん明治大学めいじだいがく進学しんがく東京とうきょうろく大学だいがく野球やきゅうリーグでは後藤ごとうあきらわれ八木やぎたかし主力しゅりょく投手とうしゅともに、つじけいとバッテリーをみ、2ねん1961ねん春季しゅんきリーグで優勝ゆうしょう経験けいけん同年どうねん全日本ぜんにほん大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいでは準決勝じゅんけっしょう日大にちだいやぶれる。リーグ通算つうさん36試合しあい登板とうばん、10しょう12はい防御ぼうぎょりつ1.78、143だつ三振さんしん記録きろく大学だいがく同期どうき捕手ほしゅ倉島くらしま今朝けさとく外野がいやしゅ三浦みうら和美かずみがいる。

大学だいがく卒業そつぎょう1964ねん国鉄こくてつスワローズ倉島くらしまとも入団にゅうだん本格ほんかく右腕うわん期待きたいされ、同年どうねんジュニアオールスターにも出場しゅつじょうした。シーズン前半ぜんはんから先発せんぱつまれ、7がつには巨人きょじんせんはつ完封かんぷう記録きろくするものの2しょうわる。2ねん1965ねん以降いこう好調こうちょうには先発せんぱつ起用きようされるが長続ながつづきせず低迷ていめい。しかし1968ねんには石戸いしどよんろく河村かわむら保彦やすひことも先発せんぱつはしらとなり、はつの2けた勝利しょうりとなる10しょう10はい記録きろくはじめて規定きてい投球とうきゅうかい(6防御ぼうぎょりつ2.67)にもたっする。1969ねんも10しょうと2ねん連続れんぞくの2けた勝利しょうりげ、1970ねんには開幕かいまく投手とうしゅつとめた。1972ねんからはコーチを兼任けんにんするが、1973ねんは6試合しあい登板とうばんわった[2]選手せんしゅ専任せんにんもどった1974ねんは6しょう5はい8セーブを記録きろくし、このとしから創設そうせつされたカムバックしょう最初さいしょ受賞じゅしょうしゃとなる。1975ねんオフの11月8にちには「東京とうきょうろく大学だいがく野球やきゅう連盟れんめい結成けっせい50周年しゅうねん記念きねん試合しあいプロOB紅白こうはくせん[3]」メンバーに選出せんしゅつされ、早大そうだいOBの荒川あらかわひろし監督かんとくひきいるしろぐん選手せんしゅとして出場しゅつじょうし、1976ねんかぎりで現役げんえき引退いんたい

引退いんたいはヤクルトの一軍いちぐん投手とうしゅコーチ補佐ほさ1977ねん)→ぐん投手とうしゅコーチ(1978ねん1980ねん - 1985ねん)→一軍いちぐん投手とうしゅコーチ(1979ねん1986ねん - 1992ねん)をつとめ、内藤ないとう尚行なおゆき川崎かわさき憲次けんじろうらを指導しどうして1992ねんのリーグ優勝ゆうしょう貢献こうけんぐんコーチ時代じだい荒木あらき大輔だいすけひだりこし退しりぞけるくせ発見はっけんし、キャッチボール、シャドーピッチング、マウンドでのピッチングのすべてをVTRに撮影さつえいし、荒木あらきせた[4]弱点じゃくてんあきらかにして、なおすためにマウンドのうえからげるのではなく、マウンドのやや後方こうほうひくいところからげるという練習れんしゅうほうれて克服こくふくさせようとした[4]

国鉄こくてつスワローズ〜ヤクルトスワローズまで選手せんしゅとして連続れんぞくして在籍ざいせきした唯一ゆいいつ人物じんぶつであり(ほかに福富ふくとみ邦夫くにおがいるが、福富ふくとみ途中とちゅう太平洋たいへいようクラブライオンズ移籍いせきしたのちヤクルトに復帰ふっき)、おなじくヤクルトスワローズで活躍かつやくした石井いしい一久かずひさしたがえおい石岡いしおか石井いしいちち従兄弟いとこ同士どうし)にあたる。

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき

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とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
1964 国鉄こくてつ
サンケイ
アトムズ
ヤクルト
25 5 2 1 0 2 3 -- -- .400 296 73.2 59 5 27 0 1 39 1 0 26 24 2.92 1.17
1965 27 8 0 0 0 0 4 -- -- .000 233 53.0 59 6 18 0 1 39 1 0 29 28 4.75 1.45
1966 33 8 2 1 0 4 4 -- -- .500 376 93.1 67 10 28 1 1 56 0 0 31 22 2.13 1.02
1967 24 6 3 0 1 3 2 -- -- .600 261 59.1 62 10 20 1 2 33 2 0 34 30 4.58 1.38
1968 46 34 6 3 2 10 10 -- -- .500 896 226.0 168 17 59 4 6 169 3 0 76 67 2.67 1.00
1969 38 32 6 0 0 10 16 -- -- .385 878 203.2 202 22 66 2 6 129 4 0 106 82 3.62 1.32
1970 36 21 3 1 1 6 14 -- -- .300 636 155.0 138 17 48 1 4 104 4 0 69 56 3.25 1.20
1971 45 12 5 0 1 8 11 -- -- .421 619 153.2 125 16 52 3 4 98 0 0 57 50 2.92 1.15
1972 29 4 1 0 0 8 3 -- -- .727 331 78.0 64 7 32 3 1 54 3 0 34 33 3.81 1.23
1973 6 0 0 0 0 0 1 -- -- .000 42 8.2 14 1 2 0 0 7 0 0 7 6 6.00 1.85
1974 33 1 0 0 0 6 5 8 -- .545 265 70.1 38 7 25 1 1 48 0 0 19 16 2.06 0.90
1975 26 7 0 0 0 3 4 1 -- .429 244 60.1 54 9 17 1 0 20 0 0 23 22 3.30 1.18
1976 17 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 99 22.2 30 6 5 0 0 10 0 0 14 12 4.70 1.54
通算つうさん:13ねん 385 138 28 6 5 61 78 9 -- .439 5176 1257.2 1080 133 399 17 27 806 18 0 525 448 3.21 1.18
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう
  • 国鉄こくてつ国鉄こくてつスワローズ)は、1965ねん途中とちゅうにサンケイ(サンケイスワローズ)に、1969ねんにアトムズに、1970ねんにヤクルト(ヤクルトアトムズ)に球団きゅうだんめい変更へんこう

記録きろく

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  • はつ登板とうばん:1964ねん3がつ21にちたい読売よみうりジャイアンツ2回戦かいせん後楽園こうらくえん球場きゅうじょう)、6かいうらに4番手ばんて救援きゅうえん登板とうばん完了かんりょう、3かい失点しってん
  • はつ先発せんぱつ登板とうばん:1964ねん3がつ31にちたい阪神はんしんタイガース1回戦かいせん明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょう)、5かい1/3を5失点しってん敗戦はいせん投手とうしゅ
  • はつ勝利しょうりはつ先発せんぱつ勝利しょうりはつ完投かんとう勝利しょうり:1964ねん6がつ24にちたい阪神はんしんタイガース14回戦かいせん東京とうきょうスタジアム)、9かい2失点しってん
  • はつ完封かんぷう:1964ねん7がつ18にちたい読売よみうりジャイアンツ20回戦かいせん後楽園こうらくえん球場きゅうじょう

表彰ひょうしょう

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背番号せばんごう

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  • 26 (1964ねん - 1967ねん
  • 15 (1968ねん - 1976ねん
  • 63 (1977ねん - 1980ねん
  • 66 (1981ねん - 1985ねん
  • 70 (1986ねん - 1992ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ OB NEWS Vol.84” (PDF). 公益社こうえきしゃだん法人ほうじん全国ぜんこく野球やきゅう振興しんこうかい日本にっぽんプロ野球やきゅうOBクラブ) (2019ねん12がつ). 2020ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c プロ野球やきゅう人名じんめい事典じてん 2003(2003ねん日外にちがいアソシエーツ)、40ページ
  3. ^ 昭和しょうわ43ねん~|球場きゅうじょう|明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょう
  4. ^ a b 山際やまぎわ淳司あつし衣笠きぬがさ祥雄よしお 最後さいごのシーズン (角川かどかわ新書しんしょ)』KADOKAWA2018ねん8がつ10日とおかISBN 404082265X、p139。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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