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いわ紀一郎きいちろう

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石津いしづあらしから転送てんそう

いわ 紀一郎きいちろう(ばん きいちろう、1938ねん12月24にち[1] - 2021ねん11月29にち[2][3] )は、日本にっぽん作家さっか、アニメスタッフ。

石津いしづ あらし(いしづ あらし)の筆名ひつめいでも活動かつどう日本にっぽん女優じょゆう声優せいゆう石津いしづあや次女じじょ[4][1]。アニメ美術びじゅつ監督かんとく石津いしづ節子せつこもとつま[5][6][7][8]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

福島ふくしまけんいわきまれ[9]まれたのがあらしよるだったため、網元あみもとだったちちあらし命名めいめいされる[10]演劇えんげき青年せいねん日本にっぽん大学だいがく芸術げいじゅつ学部がくぶ[11]中退ちゅうたい友人ゆうじん劇団げきだんげたが、失敗しっぱい連続れんぞくから野宿のじゅく生活せいかつをするまでにめる[10]。そうした生活せいかつおくなかで「アニメーション映画えいがスタッフ募集ぼしゅう」というむしプロダクション新聞しんぶん広告こうこくつけて、応募おうぼ[12]。アニメについての知識ちしき皆無かいむ社長しゃちょう手塚てづか治虫おさむであることもらずに、映画えいが仕事しごと出来できるとおもって応募おうぼし、1962ねんれにむしプロダクション入社にゅうしゃする[12][13]入社にゅうしゃしてすぐに放送ほうそう開始かいしせまっていた『鉄腕てつわんアトム』の制作せいさく進行しんこう担当たんとうりんたろうが『鉄腕てつわんアトム』だい26演出えんしゅつデビューするさいには石津いしづ手伝てつだい、肩書かたがきが演出えんしゅつ助手じょしゅとなる[14]。1965ねん5がつ1にち放送ほうそうの『鉄腕てつわんアトム』だい117史上しじょう最大さいだいのロボットのまき ()」でアニメ脚本きゃくほんデビュー[15]のち文芸ぶんげい演出えんしゅつ異動いどうした[13]文芸ぶんげい演出えんしゅつ演出えんしゅつ文芸ぶんげい分割ぶんかつしたさい初代しょだい文芸ぶんげい課長かちょうつとめた[16][17][18]豊田とよだ有恒ありつねとはおなどしなかく、豊田とよだがスパイとうたがわれたW3事件じけんでは文芸ぶんげい課長かちょうだった石津いしづのみが唯一ゆいいつ豊田とよだ擁護ようごしてかばった[19]

むしプロの利潤りじゅん追求ついきゅう体制たいせい変更へんこう[20][21]失望しつぼうして1966ねん初秋しょしゅう退社たいしゃ[21]退社たいしゃする時点じてんには『鉄腕てつわんアトム』のチーフ・ディレクターをつとめていた[21][22]。1ねんほどやまい療養りょうよう生活せいかつおくったのち[23]豊田とよだ紹介しょうかい1967ねんに『冒険ぼうけんガボテンとう[24]ふしぎなメルモ[25]などのシナリオライター[26]旺文社おうぶんしゃの『ちゅういち時代じだい』から『ちゅうさん時代じだい』などにジュブナイル発表はっぴょう[27]1974ねん豊田とよだからの依頼いらいによる『宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト』の小説しょうせつ[28]本格ほんかくてき作家さっか活動かつどうはじめる[27]

ハードカバーをて、1975ねん11月ソノラマ文庫ぶんこ創刊そうかん刊行かんこうされた『宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト』は1981ねん時点じてんで43はんはんかさね、レーベルを牽引けんいんするベストセラーとなった[29][30][31]。そのためそのしばらくはSF小説しょうせつ依頼いらい相次あいつ[32]のち日本にっぽんSF作家さっかクラブ会員かいいん[26]どう時期じきには、むしプロ時代じだい結婚けっこんした当時とうじつま石津いしづ節子せつことセツ・アドセンターというスタジオを設立せつりつ[33]石黒いしぐろのぼる矢沢やざわ則夫のりお小森こもりとおる棚橋たなはし一徳かずのりが1969ねん設立せつりつしたジャパン・アート・ビューロー(JAB)には顧問こもんとしてアドバイスした[34]豊田とよだ有恒ありつね設立せつりつした創作そうさく集団しゅうだんパラレル・クリエーションでも無償むしょう顧問こもんつとめた[35]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

あお作家さっか手塚てづか治虫おさむ豊田とよだ有恒ありつね[36]むしプロ勤務きんむ時代じだいのニックネームは「アオちゃん」[13][16]、「アオさん」[37][38]豊田とよだとは「ゆうちゃん」「あらし」と関係かんけいだった[39]

むしプロ美術びじゅつしつにいる川崎かわさき節子せつこ石津いしづ節子せつこ)にれて着流きなが出社しゅっしゃ[40]当時とうじ石津いしづ演出えんしゅつ課長かちょうだった山本やまもと暎一はでかい態度たいどだったとかたっている[17]。『鉄腕てつわんアトム』のだい20では石津いしづがモデルになったキャラクターが石津いしづ博士はかせ名前なまえ登場とうじょうした[41]

ななかいのいえんでいたことから、すがやみつるとは家族かぞくぐるみの親戚しんせきのようないになった[42]。そのすがやとは、石津いしづ原作げんさく、すがやの作画さくが朝日あさひソノラマの『マンガ少年しょうねん増刊ぞうかんごうに、漫画まんがとりよ、びたて!!」(1977ねん臨時りんじ増刊ぞうかんごう「TVアニメの世界せかい」)、「味覚みかくとの遭遇そうぐう」(1978ねん臨時りんじ増刊ぞうかんごう「SFTV・コミック・アニメ・映画えいが世界せかい」)の2ほん掲載けいさいされた。

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

石津いしづ あらし 名義めいぎ[編集へんしゅう]

「キャプテン・シャーク」シリーズ[編集へんしゅう]

  • 宇宙うちゅう海賊かいぞくせんシャーク』(朝日あさひソノラマ) 1976
  • 宇宙うちゅう放浪ほうろうしゃ』(朝日あさひソノラマ) 1977
  • 宇宙うちゅうぼし』(朝日あさひソノラマ) 1978

TVアニメ『鉄腕てつわんアトム』『冒険ぼうけんガボテンとう』、特撮とくさつテレビドラマ『キャプテンウルトラ』などで脚本きゃくほん執筆しっぴつしている放送ほうそうかいもある。

いわ 紀一郎きいちろう 名義めいぎ[編集へんしゅう]

吉宗よしむねかげ御用ごよう」シリーズ[編集へんしゅう]

  • 吉宗よしむねかげ御用ごよう』(徳間書店とくましょてん) 1995 ISBN 4-19-860288-3
  • 吉宗よしむねかげ御用ごよう2 江戸城えどじょう大変たいへん』(徳間書店とくましょてん) 1995 ISBN 4-19-860404-5
  • ろうとら大難だいなん 吉宗よしむねかげ御用ごよう』(徳間書店とくましょてん) 1998 ISBN 4-19-860795-8
  • 陰陽いんようじょう 吉宗よしむねかげ御用ごよう』(ベストセラーズ) 2006 ISBN 4-584-36582-2 - うえ掲『江戸城えどじょう大変たいへん』の増補ぞうほ改訂かいていばん

関連かんれん図書としょ[編集へんしゅう]

  • 『TVアニメ創作そうさく秘話ひわ手塚てづか治虫おさむとアニメをつくった若者わかものたち~』(宮崎みやざきかつ原作げんさく野上のかみ武志たけし作画さくが秋田あきた書店しょてん少年しょうねんチャンピオン・コミックス・エクストラ) 2019.5
インタビューにもとづいたむしプロ時代じだい状況じょうきょうえがいた漫画まんがふくむ。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b すがやみつる (2004ねん12月25にち). “すがやみつるの雑記ざっきちょう石津いしづあらし生誕せいたん記念きねんパーティー”. 2017ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ 井上いのうえ博明ひろあきTwitter 2021ねん11月30にち
  3. ^ すがやみつるTwitter 2021ねん12月6にち
  4. ^ 豊田とよだ有恒ありつね日本にっぽんアニメ誕生たんじょうつとむまこと出版しゅっぱん、2020ねん、まえがき(5)
  5. ^ 皆河みなごゆうとぎ小説しょうせつ手塚てづか学校がっこう2』講談社こうだんしゃ、2009ねん、p.121
  6. ^ 石黒いしぐろのぼる小原おはら乃梨子のりこわたしせつ・アニメ17ねん大和やまと書房しょぼう、1980ねん、p.102
  7. ^ 豊田とよだ有恒ありつね日本にっぽんSFアニメ創世そうせい むしプロ、そしてTBS漫画まんがルーム』TBSブリタニカ、2000ねん、p.136
  8. ^ 豊田とよだ有恒ありつね日本にっぽんアニメ誕生たんじょうつとむまこと出版しゅっぱん、2020ねん、p.91
  9. ^ 石津いしづあらし秘密ひみつ手塚てづか治虫おさむ太陽たいよう企画きかく出版しゅっぱん、1980ねん。カバーの「著者ちょしゃ紹介しょうかい
  10. ^ a b 皆河みなご(2019)、p.31
  11. ^ 執筆しっぴつしゃ紹介しょうかい」『マンガ批評ひひょう大系たいけい別巻べっかん 手塚てづか治虫おさむ宇宙うちゅう竹内たけうちオサム村上むらかみ知彦ともひこへん平凡社へいぼんしゃ、1989ねん、p.271
  12. ^ a b みねとう正行まさゆき (2016ねん5がつ16にち). “わたし手塚てづか治虫おさむ(25)”. Web遊歩ゆうほじん. 2017ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  13. ^ a b c コラム:むしさんぽ だいかい 練馬ねりま富士見台ふじみだいむしプロ界隈かいわい石津いしづあらしさんとあるく!!”. 手塚てづか治虫おさむ公式こうしきWeb (2010ねん). 2017ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  14. ^ 皆河みなご(2009)、p.106、109
  15. ^ 石津いしづあらしむしプロのサムライたち』双葉社ふたばしゃ、1980ねん、p.47
  16. ^ a b みねとう正行まさゆき (2012ねん7がつ30にち). “わたし手塚てづか治虫おさむ(3)”. Web遊歩ゆうほじん. 2017ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  17. ^ a b 山本やまもと暎一『むしプロ興亡こうぼう やす仁明にんみょうふとし青春せいしゅん新潮社しんちょうしゃ、1989ねん、p.134
  18. ^ 石津いしづあらし解説かいせつ」『西遊せいゆう+αあるふぁ豊田とよだ有恒ありつね角川かどかわ文庫ぶんこ、1977ねん、p.286
  19. ^ 豊田とよだ(2000)、p.80、148、162
  20. ^ 山口やまぐち且訓、渡辺わたなべ泰文やすふみ日本にっぽんアニメーション映画えいがゆうぶんしゃ、1977ねん、p.170
  21. ^ a b c 石津いしづあらしむしプロのサムライたち』双葉社ふたばしゃ、1980ねん、p.153
  22. ^ 石黒いしぐろのぼる小原おはら乃梨子のりこ『テレビ・アニメ最前線さいぜんせん わたしせつ・アニメ17ねん大和やまと書房しょぼう、1980ねん、p.102
  23. ^ 石津いしづあらしむしプロのサムライたち』双葉社ふたばしゃ、1980ねん、p.64
  24. ^ 豊田とよだ(2000)、p.216
  25. ^ 石津いしづあらしむしプロのサムライたち』双葉社ふたばしゃ、1980ねん、p.154
  26. ^ a b 石津いしづあらし「さようなら、手塚てづか治虫おさむ先生せんせい」『マンガ批評ひひょう大系たいけい別巻べっかん 手塚てづか治虫おさむ宇宙うちゅう竹内たけうちオサム村上むらかみ知彦ともひこへん平凡社へいぼんしゃ、1989ねん、p.251。初出しょしゅつは『青春せいしゅん読書どくしょ』1989ねん4がつごう
  27. ^ a b 横田よこたじゅんわたる『SFだい辞典じてん角川かどかわ文庫ぶんこ、1986ねん、p.82
  28. ^ 豊田とよだ有恒ありつね『「宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト」の真実しんじつ祥伝社しょうでんしゃ新書しんしょ、2017ねん、p.112
  29. ^ 坂井さかい由人よしと「アニメノベライズの系譜けいふ その前夜ぜんやから、ソノラマ文庫ぶんこ以降いこうへと」『アニメノベライズの世界せかいよういずみしゃ、2006ねん、p.74
  30. ^ アニメ・ノベライズ研究けんきゅう委員いいんかい『このアニメ・ノベライズがすごい!』たけ書房しょぼう、2012ねん、p.10
  31. ^ 国内こくない主要しゅようレーベル編集へんしゅうしゃインタビュー ソノラマ文庫ぶんこ 石井いしいすすむ」『ライトノベル完全かんぜん読本とくほん日経にっけいBPムック、2004ねん、p.49
  32. ^ 石津いしづあらしむしプロのサムライたち』双葉社ふたばしゃ、1980ねん、p.155
  33. ^ 石黒いしぐろ小原おはら(1980)、p.158
  34. ^ 石黒いしぐろ小原おはら(1980)、p.159
  35. ^ 豊田とよだ有恒ありつねわか仲間なかま パラクリの誕生たんじょうはこんなだった……」『SFアドベンチャー』1984ねん4がつごう、pp.106-107
  36. ^ 石津いしづあらしむしプロのサムライたち』双葉社ふたばしゃ、1980ねん、p.19
  37. ^ 石津いしづ(1980)、p.29
  38. ^ つじ真先まっさき『TVアニメあお春記はるき実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ、1996ねん、p.67
  39. ^ 豊田とよだ有恒ありつね日本にっぽんSFアニメ創世そうせい むしプロ、そしてTBS漫画まんがルーム』TBSブリタニカ、2000ねん、p.148
  40. ^ 柴山しばやま達雄たつおむしプロてんやわんや」『むしプロてんやわんや だれらない手塚てづか治虫おさむそうじゅしゃ美術びじゅつ出版しゅっぱん、2009ねん、p.31
  41. ^ 皆河みなご(2009)、p.104
  42. ^ すがやみつる『仮面かめんライダー青春せいしゅん もうひとつの昭和しょうわマンガ』ポット出版しゅっぱん、2011ねん、p.306