鉄腕てつわんアトム (アニメだい1さく)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
鉄腕てつわんアトム > 鉄腕てつわんアトム (アニメだい1さく)
大泉おおいずみアニメゲート設置せっちされている「ねりまアニメ年表ねんぴょう」のいちコマ。

鉄腕てつわんアトム (アニメだい1さく)(てつわんアトム)では手塚てづか治虫おさむ原作げんさく漫画まんが鉄腕てつわんアトム』のアニメだい1さく解説かいせつする。

フジテレビ系列けいれつにて、1963ねん1がつ1にちから1966ねん12月31にちまで放送ほうそうぜん193一部いちぶのぞモノクロ作品さくひん

日本にっぽん最初さいしょ本格ほんかくてきな130ぶん連続れんぞくTVアニメ[注釈ちゅうしゃく 1]日本にっぽんはつ国産こくさんロボットアニメである。

こえ出演しゅつえん[編集へんしゅう]

登場とうじょう人物じんぶつ設定せってい登場とうじょうキャラクター

スタッフ[編集へんしゅう]

主題歌しゅだいか[編集へんしゅう]

娯楽ごらく映画えいが研究けんきゅう佐藤さとう利明としあきはなしによると、高井たかい手塚てづかみずか電話でんわで「3パターンつくって」と依頼いらいがあり、むしプロダクションからかえさいにその最寄もよえき富士見台ふじみだいえきから池袋いけぶくろえきまでの西武せいぶ池袋いけぶくろせんでのやく15ぶんあいだにこのメロディーを作曲さっきょくしたという[1]
谷川たにがわ回想かいそうによると、手塚てづか自身じしんから電話でんわ作詞さくし依頼いらいされたいう[2]谷川たにがわ印税いんぜい自分じぶん計算けいさんすると1おくえんになったが、むしプロがせるがくではないとかんがえた谷川たにがわむしプロに著作ちょさくけんりを提案ていあんし、50まんえんむしプロがったと証言しょうげんしている[2]
アメリカでの放映ほうえいさい英語えいご歌詞かしさきき、それをたフジテレビとまんねんしゃが「うちも日本語にほんご歌詞かし必要ひつようだ」として谷川たにがわ依頼いらいしたという(前述ぜんじゅつ佐藤さとう利明としあきはなしによる)[1]
  • エンディング:「鉄腕てつわんアトム(インスト)」
作曲さっきょく - 高井たかい達雄たつお

オープニング(演出えんしゅつ[編集へんしゅう]

オープニングには、前期ぜんき中期ちゅうき後期こうきの3つのバージョンがる(前期ぜんきは、インスト・うたりの2種類しゅるいあり、インストばんにもバージョンちがいが存在そんざいするがこちらは収録しゅうろくされていない)。内容ないようつぎとおり。

前期ぜんきだい1 - 76
アトムがそらびながら、フランケン、ホットドッグ兵団へいだんなどの悪人あくにんたち退治たいじし、最後さいご地面じめんったところで、画面がめん中央ちゅうおうに「提供ていきょう 明治製菓めいじせいか」のテロップうつされる。なお、インストばんだい1-30までの使用しようとされているが、「恐龍きょうりゅうじん反乱はんらんまきほん放送ほうそう当時とうじ録音ろくおんによればこのころにもべつバージョンのインストばん使用しようされていたようである。
中期ちゅうきだい77 - 139
そらぶアトムが、怪獣かいじゅうおそわれたウランをたすけ、悪人あくにん退治たいじしながら、ウランととも世界せかい各国かっこく上空じょうくうぶ(それをうおちゃみず博士はかせ)。ラストは2人ふたり地面じめんったところで、したくものようなものがあらわれ、それが「提供ていきょう 明治製菓めいじせいか」のテロップとなる。
後期こうきだい140 - だい193だい185のぞく)
雷雲らいうんけたアトムが、飛行機ひこうきわき海上かいじょうスイス未来みらい都市としじゅんそらび、ラストは地面じめんつ。
だい185はこのかい通算つうさん200かいになった記念きねんとして、アニメの制作せいさく風景ふうけいなどで構成こうせい、スタッフをはじめ、担当たんとう声優せいゆう清水しみずマリ(アトムやく)・勝田かつたひさ(おちゃみず博士はかせやく)らがゲスト出演しゅつえんした。

これらのうち後年こうねんさい放送ほうそうなつかしのアニメ特集とくしゅう、さらにビデオソフトばんでは、もっぱら後期こうきバージョンのもの使つかわれている。2002ねん発売はつばいしたDVDでは、前期ぜんき前半ぜんはん前期ぜんき後半こうはん中期ちゅうきのオープニングが映像えいぞうソフトではじめて収録しゅうろくされた。

なお、日本にっぽん映画えいが専門せんもんチャンネルの『手塚てづか治虫おさむアニメシアター』では、だい56のぞぜんはなし後期こうきバージョンで放送ほうそうされた(だい56は、1980ねんにリバイバル上映じょうえいされたときのオープニングを使用しよう)。ただし別枠べつわくで、だい116&だい117中期ちゅうきバージョンで放送ほうそうされた。

NHK BSプレミアムでのさい放送ほうそうは、NHK固有こゆう制約せいやく提供ていきょうテロップになるまえ映像えいぞうまっている。

エンディング(演出えんしゅつ[編集へんしゅう]

エンディング映像えいぞうは2バージョンり、前期ぜんきだい88まで)はアトムの表情ひょうじょうなどで構成こうせいされた静止せいしバージョン、後期こうきだい89以降いこう)は未来みらい都市としうえをアトムとウランが動画どうがバージョンとなっている。双方そうほうとも映像えいぞうには余白よはく部分ぶぶんるが、ほん放送ほうそう当時とうじかくはなしのスタッフやキャストのテロップが合成ごうせいされていた[3]。なお、フィルムの画面がめん楕円だえんているところでは、明治製菓めいじせいかのマークが合成ごうせいされて放送ほうそうされていた。

上記じょうき2バージョンは現在げんざいソフト配信はいしんされているもので確認かくにんすることが出来できるが、「恐龍きょうりゅうじん反乱はんらんまきほん放送ほうそう録音ろくおんした音源おんげんによればエンディングにもうたりの「鉄腕てつわんアトム」が使用しようされていたようであるが、こちらのバージョンは収録しゅうろくされていない。 また上記じょうきとおりこのはなしすうころにもオープニングにインストばん使用しようされていたようでありオープニングとエンディングでどちらがさきうたりにわったのかは不明ふめい

なお『手塚てづか治虫おさむアニメシアター』で放送ほうそうされたさいには、一貫いっかんして後期こうきバージョンを使用しようし、スタッフなどのテロップは合成ごうせいされなかった。そのことかんしてのおことわりは、初期しょきはED放送ほうそうちゅうにテロップされていたが、のち放送ほうそうにブルーバックで表示ひょうじされた[注釈ちゅうしゃく 3]

ほん放送ほうそう当時とうじには女性じょせいナレーターがインストばん[注釈ちゅうしゃく 4]鉄腕てつわんアトム」にわせたかたちおこな次回じかい予告よこくおこなわれていたようであるが、これはいずれのソフトにも配信はいしんにも収録しゅうろくされていない。

視聴しちょうりつ[編集へんしゅう]

  • 初回しょかい視聴しちょうりつ:27.4%
  • 最高さいこう視聴しちょうりつニールセン調しらべ、関東かんとう地区ちく):40.7%(1964ねん8がつ29にち放送ほうそうだい84「イルカ文明ぶんめい」)[4]
  • 最高さいこう視聴しちょうりつビデオリサーチ調しらべ、関東かんとう地区ちく):40.3%(1964ねん3月14にち放送ほうそうだい63人工じんこう氷山ひょうざん」)[5]

かくはなしリスト[編集へんしゅう]

  • 年末ねんまつ特番とくばんであっただい53は、16mmじゅうろくみりフィルムが発見はっけんされたため1998年版ねんばんLD-BOXより収録しゅうろく
  • 外注がいちゅうプロ制作せいさくの、だい34、125、127、139、163、191はフィルムが現存げんそんせず、DVDでは音声おんせいシネテープ映像えいぞう素材そざい(34べいばんビデオ映像えいぞう、125、127、および139場面ばめん写真しゃしんコンテ、163、および191本編ほんぺんネガ)をもと復元ふくげん収録しゅうろくされている。その、125、127はフィルムが発見はっけんされ、Rチャンネルうち手塚てづかプロダクションTVで公開こうかいされた[6]
  • 放映ほうえい期間きかんちゅうの4年間ねんかん全部ぜんぶで193つくられた。それ以外いがいに、製作せいさくわなかったためのリピート放送ほうそう過去かこのエピソードをふたたながすこと)が全部ぜんぶで17かいあった。それらをげておく。
    • 1964ねん1がつ11にち:「しろ惑星わくせいごう
    • 1964ねん4がつ18にち:「ミュータント」
    • 1964ねん5がつ30にち:「ウランちゃん」
    • 1964ねん8がつ8にち:「おも
    • 1964ねん10がつ17にち:「ロボットランド」
    • 1965ねん3がつ20日はつか:「エジプト陰謀いんぼうだん
    • 1965ねん6がつ12にち:「人工じんこう衛星えいせいR-45」
    • 1965ねん6がつ26にち:「マッドマシーン」
    • 1965ねん8がつ7にち:「十字架じゅうじかとう
    • 1966ねん3がつ12にち:「海底かいてい探検たんけん
    • 1966ねん6がつ18にち:「幽霊ゆうれいせん
    • 1966ねん7がつ16にち:「イルカ文明ぶんめい
    • 1966ねん8がつ13にち:「デッドクロス殿下でんか
    • 1966ねん9がつ17にち:「細菌さいきん部隊ぶたい
    • 1966ねん10がつ15にち:「しんかぐやひめ
    • 1966ねん11月12にち:「ロボット競技きょうぎ大会たいかい
    • 1966ねん12がつ10日とおか:「人工じんこう氷山ひょうざん

商品しょうひんけん概念がいねん確立かくりつ[編集へんしゅう]

ほんさく日本にっぽんのキャラクターとしてははじめて商品しょうひんけん概念がいねん確立かくりつした。ほんさく関連かんれん商品しょうひん日本にっぽんのアニメキャラクターではじめて著作ちょさくけん表示ひょうじをつけたとされている[7]ほんさく以前いぜんのキャラクター商品しょうひん海賊版かいぞくばん[注釈ちゅうしゃく 6]当然とうぜんであり、著作ちょさくけんしゃ許諾きょだくもとめることも、使用しようりょう支払しはらうこともほとんどなかった。

手塚てづか治虫おさむほんさくではそれでいいようにかんがえていたが、ディズニー取引とりひきがあったセイカノートがディズニーの許諾きょだく業務ぎょうむのノウハウを手塚てづかおしえたのである[注釈ちゅうしゃく 7][8]。セイカノートのねらいは商品しょうひんけん独占どくせんにあり、商品しょうひんけん取得しゅとくしていない同業どうぎょう他社たしゃ排除はいじょすることにあったのだが、結果けっかとして著作ちょさくけんしゃ使用しようりょうはらわれるようになり、赤字あかじ体質たいしつだったむしプロをすくい、テレビアニメに商業しょうぎょうせいがあることをしめした。

もっとも、『アトム』商品しょうひん市場いちば登場とうじょうしたのは放映ほうえい開始かいしから3ヶ月かげつである。放映ほうえい開始かいし元旦がんたんで、当初とうしょ半年はんとし放映ほうえいわる予定よていだった。つまり3ヶ月かげつで『アトム』の知名度ちめいどげ、のこり3ヶ月かげつ商品しょうひん流通りゅうつうさせる計画けいかくだったことになる。となると「制作せいさく不足ふそく商品しょうひんけん収入しゅうにゅうおぎなう」というよりは「制作せいさく赤字あかじ放映ほうえい終了しゅうりょうまでにできるだけらす」という「まもり」の発想はっそうだったのではないか、とするせつもある[9]

制作せいさく秘話ひわ[編集へんしゅう]

費用ひよう[編集へんしゅう]

当初とうしょ制作せいさくは1たり55まんえんであった」と手塚てづか生前せいぜんいたりかたったりしたことがあちこちに引用いんようされ定説ていせつしてしまっている[10]。しかし、各種かくしゅ資料しりょう当時とうじ関係かんけいしゃ証言しょうげんなどをさい調査ちょうさした津堅つけん信之のぶゆきは、実際じっさいには代理だいりてんより1たり155まんえん支払しはらわれており、放映ほうえい終了しゅうりょうころには300まんえんえていたとしている[11]

もっとも、『ジャングル大帝たいてい』のそう監督かんとくつとめた山本やまもと暎一によると、工業こうぎょう簿記ぼきれて1にち単位たんい制作せいさく管理かんりをした『ジャングル大帝たいてい』にたいして、『アトム』は簿記ぼき管理かんり体制たいせい最終さいしゅうかいまで使つかっておらず、さらに『アトム』では手塚てづか社長しゃちょうによる脚本きゃくほんコンテとうのチェックがおこなわれるやりかただったために「先生せんせいち」(まんがとしてちょう多忙たぼうだった手塚てづかはなかなか時間じかんいてくれなかった)で制作せいさく作業さぎょうまってしまってスタジオがフル稼働かどうできずそのぶん人件じんけんがかさむという悪循環あくじゅんかんつづき、そのためカラー制作せいさくの『大帝たいてい』よりも白黒しろくろの『アトム』のほうがじつ制作せいさくがかかったという。

原作げんさくストック[編集へんしゅう]

放映ほうえい開始かいしにはそれまで10ねん以上いじょう長期ちょうきにわたって月刊げっかん連載れんさいされた漫画まんが原作げんさくのストックがあった。しかし、1つのエピソードを月刊げっかん連載れんさいすう回分かいぶん完結かんけつさせていた原作げんさくたいし、アニメでは原作げんさくの1つのエピソードを毎週まいしゅう放送ほうそうの1回分かいぶん完結かんけつさせたので(例外れいがい前編ぜんぺん後編こうへんけた「史上しじょう最大さいだいのロボット」と「あお騎士きし」だけ)、原作げんさくのストックはたちまち使つかくされてしまった。このため、すでにアニメしたエピソードをアレンジしなおしたり、べつ手塚てづか漫画まんが作品さくひんなどをもとにしたオリジナルなアトムのエピソードが多数たすうめるようになった。

のち映画えいがミクロの決死けっしけん』のもとネタではないかというせつだい88細菌さいきん部隊ぶたい」も、手塚てづか1948ねん発表はっぴょうした漫画まんが吸血きゅうけつだん』がベースである。また、「幽霊ゆうれい製造せいぞう」のようにまったおなじタイトルで2制作せいさくされたエピソードもある。

手塚てづか原作げんさくにはない完全かんぜんにオリジナルなストーリーは、つじ真先まっさきのちにSF作家さっかとなる豊田とよだ有恒ありつねなどが執筆しっぴつした[12]

鉄腕てつわんアトム』の放送ほうそうエピソードに翻案ほんあんされてもちいられた手塚てづか治虫おさむ原作げんさく漫画まんが作品さくひんとしては、以下いかのものがある[13]

  • だい23「ミュータント」 - 『ケン1探偵たんていちょう』の「殺人さつじんアブ事件じけん
  • だい31くろ宇宙うちゅうせん」 - 『ライオンブックス』の「くろい宇宙うちゅうせん
  • だい35人間にんげん牧場ぼくじょう」 - 『人間にんげん牧場ぼくじょう
  • だい36「プイプイきょう」 - 『旋風せんぷうZ』
  • だい56地球ちきゅう防衛ぼうえいたい」 - 『ナンバー7
  • だい58「13のかい神像しんぞう」 - 『ハリケーンZ』の「13のかい神像しんぞう事件じけん
  • だい73「ビッグタイタン」 - 『魔神まじんガロン
  • だい74地底ちてい探検たんけん」 - 『オズマ隊長たいちょう
  • だい80「ヒューマノイドビル」 - 『オズマ隊長たいちょう
  • だい88細菌さいきん部隊ぶたい」 - 『吸血きゅうけつだん』(リメイクばんは『38線上せんじょう怪物かいぶつ』)
  • だい98「ゼオの遺産いさん」 - 『偉大いだいなるゼオ』
  • だい128「インカ帝国ていこくたから」 - 『ボンゴ』

設定せってい[編集へんしゅう]

ほんさくでは、アトムの誕生たんじょう2013ねん4がつ1にちという設定せってい[14]原作げんさくでは2003ねん)。

『アトム』原作げんさくからつづくテーマの1つに人種じんしゅ差別さべつがあるが、それを正面しょうめんからげただい9「ブラックルックスのまき」は米国べいこくでは放映ほうえいされなかった。

製作せいさく環境かんきょう[編集へんしゅう]

製作せいさく環境かんきょうすさまじく、とく放映ほうえい初期しょきかんしては様々さまざま証言しょうげんのこされている[15]。その安定あんていしたかというとそうでもなく、途中とちゅうから参加さんかした富野とみの喜幸よしゆきは「製作せいさく放映ほうえいわないときには以前いぜんのフィルムから使つかえそうな部分ぶぶんをツギハギして1ぶんでっちげた」とのち述懐じゅっかいしている[注釈ちゅうしゃく 8]。これは主要しゅようスタッフが『ジャングル大帝たいてい』に異動いどうし、なか放置ほうちされたためである。一説いっせつにはこのとき富野とみの経験けいけんが、『機動きどう戦士せんしガンダム』の軍艦ぐんかんホワイトベースのプロットのモデルになったとも、このとき富野とみのが「既存きそんのフィルムに最小限さいしょうげん新作しんさくつなわせていち作品さくひんでっちげる」技法ぎほうけた、ともわれている。

だい34「ミドロがぬままき」は、手塚てづか治虫おさむ本人ほんにんからの依頼いらいで、スタジオ・ゼロ作画さくが担当たんとうしたが、担当たんとうしゃ鈴木すずき伸一しんいち石ノ森いしのもり章太郎しょうたろう藤子とうこ不二雄ふじお藤子とうこ・F・不二雄ふじお藤子とうこ不二雄ふじおA)・つのだじろうら)ごとにキャラクターのタッチがことなってしまっていたため、そのむしプロからの発注はっちゅうは2となかった[16]、このかいのフィルムはながらく行方ゆくえ不明ふめいとなっていたが、アメリカで放映ほうえいされたフィルムが発見はっけんされ、日本語にほんごばん音声おんせいテープをわせて2002ねんDVD-BOX発売はつばいされたさいには復元ふくげんされた[17][18]鈴木すずきらは、フィルムが行方ゆくえ不明ふめいになった理由りゆうについて「作画さくがらなかったので手塚てづか破棄はきしたのではないか」とかんがえていたという。それにたいし、当時とうじスタッフの1人ひとりであったりんたろうは「手塚てづか周囲しゅういにとてもつかひとだったので、外部がいぶひとつくってもらったものをててしまうとはかんがえられない」とべている(2002ねん放送ほうそうされたNHKBSの番組ばんぐみのインタビューによる)。

1965ねんからは、むしプロは『鉄腕てつわんアトム』にくわえて『ジャングル大帝たいてい』『W3』の制作せいさく並行へいこうして開始かいしして、きスタッフはこぞって『ジャングル大帝たいてい』に参加さんかした[19]。そのため、手塚てづか治虫おさむ本人ほんにんから旧知きゅうちうしおそうじひきいるピープロ原動げんどう以降いこう外注がいちゅう依頼いらい。1965ねん1がつ23にち放送ほうそうの104悪魔あくま風船ふうせん」から1クールの予定よていが、都合つごう3クールぶんの39ほん外注がいちゅうとなった[20]

このほかにも、TCJから独立どくりつした大西おおにしきよし設立せつりつした大西おおにしプロが、1965ねん9月18にち放送ほうそうの134脱出だっしゅつ作戦さくせん」からつきに1ほんということで制作せいさくった[21]

カラー[編集へんしゅう]

だい56地球ちきゅう防衛ぼうえいたい」のみ試験しけんてきカラー制作せいさくされた。ただし、放送ほうそう自体じたいはモノクロでおこなわれている。このかいは40.3%(ニールセン調しらべ、関東かんとう地区ちく)の視聴しちょうりつ記録きろくした。このエピソードはのちさい編集へんしゅうされて劇場げきじょう公開こうかいもされた(下記かき参照さんしょう)。

放送ほうそうきょく決定けってい[編集へんしゅう]

ほんさく手塚てづかがフジテレビに企画きかくみ、実現じつげんしたと巷間こうかんつたえられるが[22]、フジテレビの別所べっしょ孝治こうじプロデューサーによれば、実際じっさいには当時とうじまんねんしゃ制作せいさく課長かちょうだった穴見あなみかおる仕掛しかじんだったという。むしプロのアニメーターに穴見あなみつまとなる中村なかむら和子かずこ[23]がいたことで手塚てづかかかわりをち、スポンサーに明治製菓めいじせいかげん明治めいじ)をってきてこれを実現じつげんし、このえん穴見あなみむしプロに常務じょうむ待遇たいぐうむかえられることとなったそうである。

アニメ演出えんしゅつ白川しらかわ大作だいさく(フジテレビ幹部かんぶ白川しらかわぶんづくりあに)によると、放送ほうそうきょくまんねんしゃめることになっており、日本にほんテレビまりかけていた。しかしおとうとぶんづくり経由けいゆでアニメ情報じょうほう入手にゅうしゅしたフジテレビさきんじてうごき、フジでの放送ほうそうとなったという[24]

番組ばんぐみ終了しゅうりょう[編集へんしゅう]

最終さいしゅうかい地球ちきゅう最大さいだい冒険ぼうけん」は1966ねん大晦日おおみそか放送ほうそうされた。内容ないよう地球ちきゅうすくうための太陽たいよう活動かつどうおさえる装置そうちせたロケットをアトムがかかえて太陽たいよう突入とつにゅうするというもので、当時とうじ子供こどもたちあたえた影響えいきょうおおきかった。

ちなみに最終さいしゅうかい放映ほうえいされたときはこのとしのプロ野球やきゅう球団きゅうだんであるサンケイアトムズセ・リーグ勝率しょうりつ同率どうりつ5だったという。

視聴しちょうりつはこの時点じてんでも20%を好調こうちょうだったが、終了しゅうりょう輸出ゆしゅつさきのアメリカのテレビがカラー進行しんこうしていてモノクロのほん作品さくひんれなくなったこと、長期ちょうきわた放送ほうそうでアトムの商品しょうひんイメージが限界げんかいたというスポンサーの明治製菓めいじせいか意向いこう理由りゆうであった。終了しゅうりょうはテレビで予告よこくされて、視聴しちょうしゃ母子ぼしからは続行ぞっこう希望きぼうする手紙てがみ殺到さっとうしたという[25]

この最終さいしゅうかい続編ぞくへんとして手塚てづか1967ねん1がつ24にちより執筆しっぴつしたのが、サンケイ新聞しんぶん連載れんさいばん鉄腕てつわんアトム』(単行本たんこうぼんさいに『アトム今昔こんじゃく物語ものがたり』に改名かいめい)である。それとはべつに、1972ねん4がつから小学館しょうがくかん学習がくしゅう雑誌ざっし小学しょうがく年生ねんせい』『小学しょうがくよん年生ねんせい』にべつ設定せってい連載れんさいした[26]

放映ほうえい期間きかんちゅう1965ねん10月16にち放送ほうそうされた『スターせんいち』に、漫画まんが・アニメの登場とうじょう人物じんぶつとしてははじめてアトムがゲスト「出演しゅつえん」し、三木みきにわとりろう司会しかい)・手塚てづか治虫おさむ対談たいだんした。この出演しゅつえんパートはあらたに作画さくがこして制作せいさくされ、完成かんせいにはやく5かげつようした[27]

劇場げきじょうばん[編集へんしゅう]

鉄腕てつわんアトム』劇場げきじょうアニメはいずれも(未完みかんふくめ)テレビアニメだい1さく派生はせい作品さくひんのためほんこう解説かいせつする。

鉄腕てつわんアトム 宇宙うちゅう勇者ゆうしゃ[編集へんしゅう]

1964ねん7がつ26にち日活にっかつけい封切ふうきり日本にっぽんはつのテレビアニメからの劇場げきじょうばんアニメ作品さくひん併映へいえいさくユーゴスラビア児童じどう映画えいがぼくらの冒険ぼうけん旅行りょこう』。

宇宙うちゅう勇者ゆうしゃ』は正式せいしきサブタイトルだが、オープニングではクレジットされていない。

テレビばんだい46だい56上記じょうき)・だい71劇場げきじょうようにブローアップしさい編集へんしゅうした作品さくひん。これらのうちだい56はテレビでは使用しようしなかったカラーばん使用しよう、まただい71一部いちぶがカラーされた。さらにプロローグやつなぎ部分ぶぶんあたらしく作画さくがされた。

当初とうしょ映画えいが名乗なのりをげたのは松竹しょうちくで、むしプロと共同きょうどう制作せいさくする予定よていだった。だが松竹しょうちくでは、業績ぎょうせき不振ふしんから城戸きど四郎しろう社長しゃちょう復帰ふっき上層じょうそうえにともない、製作せいさく方針ほうしん転換てんかん映画えいが断念だんねんした。それをった東宝とうほう日活にっかつむしプロに自主じしゅ制作せいさくすすめ、その結果けっか配給はいきゅうけん日活にっかつ獲得かくとくした[28]

期待きたいされたわりには興行こうぎょう成績せいせきるわず、5にちまえ東映とうえい公開こうかいされたまんがだい行進こうしん(『鉄人てつじん28ごう』『おおかみ少年しょうねんケン』などのブローアップさい編集へんしゅう作品さくひん構成こうせい)にやぶれてしまった。理由りゆう色々いろいろだが、一番いちばんなのは「アクション映画えいが路線ろせんった日活にっかつ上映じょうえいしたため」だとわれる[29]

  • 原作げんさく構成こうせい制作せいさく - 手塚てづか治虫おさむ
  • 脚本きゃくほん - 山本やまもと暎一、はやし重行しげゆき鈴木すずきりょうたけ
  • 演出えんしゅつ - 山本やまもと暎一、はやし重行しげゆき高木たかぎあつし
  • 原画げんが - 山本やまもとしげる瀬山せやま義文よしふみ北野きたの英明ひであき青木あおきしげるおかさこ亘弘のぶひろ田中たなか英二えいじ赤堀あかほり幹治かんじ
  • 動画どうが - 沼本ぬまほん清海きよみ上梨かみなしいち也、正延まさのぶひろしさんもり安夫やすお出崎でさきみつる渡辺わたなべ邦男くにお西牧にしまき秀雄ひでお
  • 美術びじゅつ - 松本まつもとつよしはちむら博也ひろや大脇おおわき章子あきこ半藤はんどう克己かつみ
  • 資料しりょう - 野崎のさき欣宏飯塚いいづか正夫まさお
  • 撮影さつえい - 佐倉さくら紀行のりゆき清水しみずいたるただし広川ひろかわ和行かずゆき
  • 編集へんしゅう - 古川ふるかわ雅士まさし
  • 音楽おんがく - 高井たかい達雄たつお
  • 音楽おんがく構成こうせい - 大野おおの松雄まつお

まぼろし完全かんぜん新作しんさくばん[編集へんしゅう]

1966ねん7がつ上映じょうえいされる『フランケンシュタインの怪獣かいじゅう サンダたいガイラ』の併映へいえいとして、東宝とうほうけいで『鉄腕てつわんアトム ロボット大戦たいせんそう』の公開こうかい予定よていされていた。こちらは、テレビのさい編集へんしゅうばんではなく、フルアニメ完全かんぜん新作しんさくということだったが、監督かんとく坂本さかもと雄作ゆうさく納得なっとくする脚本きゃくほん執筆しっぴつできずにいるうちにスケジュールてき無理むりとなり、実現じつげんにはいたらなかった。代替だいたいさくとしてテレビアニメ『ジャングル大帝たいてい』のブローアップさい編集へんしゅうばん急遽きゅうきょ制作せいさくされた[30]。なお、ぼつとなったストーリーはそのテレビシリーズのだい175、176(「ロボット大戦たいせんそう前後ぜんごへん)として1966ねんの7がつ23、30にち放送ほうそうされた。脚本きゃくほん映画えいが監督かんとくだった坂本さかもと雄作ゆうさく担当たんとう

鉄腕てつわんアトム 地球ちきゅう防衛ぼうえいたい[編集へんしゅう]

1980ねん3がつ20日はつか大映だいえいけい封切ふうきり併映へいえいは、『宇宙うちゅう怪獣かいじゅうガメラ』。

1964ねん公開こうかいの『鉄腕てつわんアトム 宇宙うちゅう勇者ゆうしゃ』から、だい56のみえらばれて上映じょうえい。オープニングは新作しんさくで、このオープニングは、日本にっぽん映画えいが専門せんもんチャンネルで放送ほうそうされただい56使用しよう

評価ひょうか[編集へんしゅう]

原作げんさくしゃ手塚てづか治虫おさむは、科学かがくてき合理ごうり主義しゅぎへの疑問ぎもん警告けいこくをテーマとしていた原作げんさく漫画まんがたいし、アニメばんでは単純たんじゅん科学かがく文明ぶんめい礼賛らいさんとなっており、「アトムが正義せいぎ味方みかたとなってなんらかの悪者わるものたおす」という勧善懲悪かんぜんちょうあくのパターンが定着ていちゃくしたことにたいしてきわめて不満ふまんかんじていた。のちにリメイクする理由りゆうとしている[31][32]

当時とうじのテレビ制作せいさくでは紙芝居かみしばい限界げんかいわれており、東映動画とうえいどうがげん 東映とうえいアニメーション)のスタッフも「ここにきてる連中れんちゅうは、みなうごかすためにきてる」と自負じふしていた[24]大塚おおつか康生やすおら、当時とうじ東映動画とうえいどうが長編ちょうへんアニメーションをがけていた人々ひとびとあいだでは、動画どうがうごきのすくないほんさく評価ひょうかするひと皆無かいむだった。しかしほんさく爆発ばくはつてき人気にんきたことにたいして自分じぶんたちの仕事しごと否定ひていされたような衝撃しょうげきけたという[33]

一方いっぽう前述ぜんじゅつとお実際じっさい納品のうひんさいして支払しはらわれたがくには諸説しょせつあるが、フジテレビはほんさく投入とうにゅうがくたいして莫大ばくだい利益りえきげたといわれている。これがこう日本にっぽんにおけるテレビアニメのだい隆盛りゅうせいんだ反面はんめん、アニメーターのてい賃金ちんぎん労働ろうどう環境かんきょうしたともかたられる[34]。しかし手塚てづかはそれにたい存命ぞんめいちゅうにこう反論はんろんしている[35]

「しかしね、ぼく個人こじん我慢がまんならんのはね、こういうこえがあるんだよ。手塚てづかがあのアトムをとき、べらぼうな安値やすねできめてしまったから、現在げんざいまでテレビアニメは制作せいさくやすくて苦労くろうするんだと。冗談じょうだんじゃないよ。」
「あの時点じてんでの制作せいさくはあれが常識じょうしきなんで、あのばいもふっかけようもんなら、まちがってもスポンサーはアトムをわなかったね。そうしたら、テレビアニメ時代じだいなんて夢物語ゆめものがたりだったろうね。」
「たしかよんじゅうなんまん制作せいさくで、ぼくのしはじゅうまんくらいでしたかね。ところがアトムがべらぼうにあたったんで、アニメ番組ばんぐみはあたるということで、それから半年はんとしほどあとには、アニメものがたちまちバタバタとできたんだ。その制作せいさくは、なんとひゃくまんですよ!つまりそれだけしてもモトがとれておりがくると企業きぎょうんだんだ。それからさきはごらんとおりですよ。現在げんざい制作せいさくひゃくまんえん下限かげんで、ろくななひゃくまんえんぐらいはスポンサーがしますよ」

ほんさくのスタッフでもあるアニメ監督かんとく杉井すぎいギサブローは、従来じゅうらいうごきがおもであったアニメーションを、ストーリーがおもであるアニメというべつものにつくえたことで、今日きょう日本にっぽんアニメのながれをつくった作品さくひんであるとしている[36]

2013ねん4がつにフランス・カンヌでひらかれた国際こくさい番組ばんぐみ見本市みほんいちMIPTVにより、世界せかいのテレビをえた50さくの1つにほんさくえらばれた[37]

鉄腕てつわんアトム大全たいぜん」というLD-BOXが発売はつばいされたさい、22まんえん商品しょうひんが1500セット程度ていどれたとされる[38]

放送ほうそうきょく[編集へんしゅう]

ほん放送ほうそうキーきょく制作せいさくきょくフジテレビだが、この当時とうじフジテレビけいきょく大半たいはん開局かいきょくで、FNS自体じたい構成こうせいだった。フジサンケイグループテレビ局てれびきょく開局かいきょくのエリアへのネットは、日本にほんテレビけいあるいはTBSけい参加さんかきょくおおい。

◎=フジテレビけい、●=日本にほんテレビけい、△=TBSけい、☆=NETテレビ(げんテレビ朝日てれびあさひけい

ネット配信はいしん[編集へんしゅう]

いずれもYouTubeの「手塚てづかプロダクション公式こうしきチャンネル」でおこなわれている・

  • 2013ねん12月19にちよりほんさく冒頭ぼうとうのみが常時じょうじ無料むりょう配信はいしんよく12がつ20日はつかからは劇場げきじょうばん宇宙うちゅう勇者ゆうしゃ』の冒頭ぼうとう常時じょうじ無料むりょう配信はいしんされている。
  • 2022ねん4がつ4にちから同年どうねん6がつ2にちまで、だい1からだい50までを4ほんだい49・50のみ2ほん)まとめての期間きかん限定げんてい無料むりょう配信はいしんおこなわれ、4がつ8にちからは『宇宙うちゅう勇者ゆうしゃ』も6がつ8にちまでの期間きかん限定げんてい無料むりょう配信はいしんおこなわれた。
  • 2022ねん6がつ6にちから同年どうねん8がつ8にちまで、だい51からだい100までの配信はいしんおこなわれた。なおだい56地球ちきゅう防衛ぼうえいたいまき」とだい71地球ちきゅう最後さいごまき」は、OPとEDはテレビばんそのままだが、本編ほんぺんは『宇宙うちゅう勇者ゆうしゃようつくられたカラーばん前者ぜんしゃはオールカラー、後者こうしゃ一部いちぶカラー)を使用しようしている。
  • 2022ねん8がつ1にちから同年どうねん10がつ3にちまで、だい101からだい150までの配信はいしんおこなわれた。ただしだい125だい127だい139欠番けつばんとなる。
  • アニメ開始かいし60周年しゅうねんとなる2023ねん1がつ5にちから3がつまで、だい151から最終さいしゅうかいまでの配信はいしんおこなわれた。
  • 2024ねん1がつ2にちから2がつ28にちまで、だい1 - 50が2022ねん4がつどう形式けいしき配信はいしんされた。2024ねん4がつ4にちからは5月31にちまでの予定よていで、だい51 - 100が2022ねん6がつどう形式けいしき配信はいしんされている。

補足ほそく[編集へんしゅう]

  • 1983ねん2がつ20日はつか)、テレビ放送ほうそう30周年しゅうねん記念きねんしてNHK教育きょういくテレビ放送ほうそうされた特別とくべつ番組ばんぐみ『テレビジョン その時代じだい』(だい7)で、ほんさくだい3火星かせい探検たんけん」(1963ねん1がつ15にち放送ほうそう)が放送ほうそうされた。なお放送ほうそう形態けいたいつぎよう変更へんこうされた。
    1. オープニング映像えいぞうだい3バージョンを使用しよう
    2. OPと本編ほんぺんあいだCMは、「コマーシャル」のカードにえ。
    3. 本編ほんぺん冒頭ぼうとうの「ほし紹介しょうかい」の場面ばめんで、様々さまざまほしざって、スポンサーである明治製菓めいじせいか当時とうじのマーク「旭日きょくじつマーク」がうつされていたが、放送ほうそうではその部分ぶぶんをマスキングでした。
    4. エンディングはカット。
  • 2013ねん7がつ6にち午後ごご9、NHK BSプレミアム「手塚てづか治虫おさむ×石ノ森いしのもり章太郎しょうたろう TV作品さくひん初回しょかい最終さいしゅうかいだい集合しゅうごう!」にて、だい1最終さいしゅうかい放送ほうそうされた。なお、だい1のオープニングと本編ほんぺん後半こうはんにあった「提供ていきょう 明治製菓めいじせいか」の部分ぶぶん削除さくじょして放送ほうそうされた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 単発たんぱつテレビアニメとしてはそれ以前いぜんに『漫画まんがニュース』『もぐらのアバンチュール』『あたらしい動画どうが 3つのはなし』『インスタントヒストリー』『おとぎマンガカレンダー』などが放映ほうえいされている。
  2. ^ だい97–106代役だいやく
  3. ^ これは『ジャングル大帝たいてい』などといった、のノンテロップEDきの手塚てづかアニメでもおこなわれていた。
  4. ^ オープニングに使用しようされたバージョンとはことなるアレンジ
  5. ^ 恐龍きょうりゅうじん反乱はんらん」のほん放送ほうそう録音ろくおんした音源おんげんでは次回じかい予告よこくちゅうとうはなしだい72かい紹介しょうかいされている。実際じっさいはなしすうとはちがいがしょうじているが、後述こうじゅつするさい放送ほうそう回数かいすうふくめたものとられる。
  6. ^ ただし当時とうじ海賊版かいぞくばんという言葉ことばはまだなく、それをまろうといううごきもなかった。海賊版かいぞくばんという言葉ことば誕生たんじょうし、それをまるようになるのは『ウルトラマン』のころからである。
  7. ^ アメリカのキャラクターではすでに商品しょうひんけん概念がいねん確立かくりつしていた。また手塚てづかにとってあこがれのディズニーの手法しゅほうならばと、納得なっとくした。
  8. ^ 富野とみの既存きそんのフィルムをさい編集へんしゅうしたかいだい120『タイム・ハンター』、だい138ながいちにち』、だい163別世界べっせかいへのみち』の3ほん、そのうち163はフィルムが行方ゆくえ不明ふめいでLD・VHSへの収録しゅうろく見送みおくられていたが倉庫そうこ探索たんさく結果けっか仮題かだいの『ミューのたから』のラベルがられたまま保管ほかんされていたこと判明はんめいしたため、ニュープリントのうえDVDには収録しゅうろくされている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 鉄腕てつわんアトム主題歌しゅだいか西武せいぶせん富士見台ふじみだいえきから池袋いけぶくろえきあいだのわずか15分間ふんかんつくられた!”. 文化放送ぶんかほうそう (2023ねん8がつ15にち). 2023ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 吉川よしかわとし (2018ねん1がつ12にち). “『鉄腕てつわんアトム』主題歌しゅだいか作詞さくし谷川たにがわ俊太郎しゅんたろうがギャラかす 「おもって◯◯まんえんったら…」”. ハフィントンポスト. https://www.huffingtonpost.jp/entry/tanikawa_jp_5c5a8f05e4b074bfeb16225b 2019ねん11月27にち閲覧えつらん 
  3. ^ ぼくたちのきな鉄腕てつわんアトム」(宝島社たからじましゃかん) 143ぺーじ 2003ねん
  4. ^ 池田いけだ憲章のりあき高橋たかはし信之のぶゆき『ウルトラマンたい仮面かめんライダー―メガヒーロー こうかげ神話しんわ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1993ねん、234ぺーじISBN 4-16-347170-7
  5. ^ 引田ひきたそうわたるぜん記録きろく テレビ視聴しちょうりつ50ねん戦争せんそう―そのときいちおくにん感動かんどうした』講談社こうだんしゃ、2004ねん、97ぺーじ、221ぺーじISBN 4062122227
  6. ^ 株式会社かぶしきがいしゃインプレス (2024ねん2がつ28にち). “楽天らくてん、「鉄腕てつわんアトム」など手塚てづかプロ作品さくひんを24あいだ無料むりょう配信はいしん”. AV Watch. 2024ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  7. ^ 土屋つちや新太郎しんたろう『キャラクタービジネス その構造こうぞう戦略せんりゃくキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1995ねん
  8. ^ 日本にっぽんライセンシング年鑑ねんかん 1983〜84』商品しょうひんけん資料しりょうセンター, 1983ねん
  9. ^ フレッド・ラッドちょ『アニメが「ANIME」になるまで 鉄腕てつわんアトム、アメリカをく』(NTT出版しゅっぱん、2010ねん収録しゅうろく訳者やくしゃ久美くみかおるによる解説かいせつ
  10. ^ いちれいとして山口やまぐち康男やすお日本にっぽんのアニメちょんふみ世界せかいせいした日本にっぽんアニメの奇跡きせき』(テンブックス、2004ねんISBN 4886960111)p.78。同書どうしょは「1たり75まんえんというせつもあるが、まさしくは55まんえんである」としている。
  11. ^ 津堅つけん信之のぶゆき『アニメ作家さっかとしての手塚てづか治虫おさむ―その軌跡きせき本質ほんしつ』NTT出版しゅっぱん、2007ねん、pp.120-134。
  12. ^ 豊田とよだ有恒ありつね日本にっぽんSFアニメ創世そうせい むしプロ、そしてTBS漫画まんがルーム』TBSブリタニカ、2000ねん、pp.82-86
  13. ^ 手塚てづかプロダクション へん手塚てづか治虫おさむちょんふみ――その素顔すがお業績ぎょうせき秋田あきた書店しょてん、1998ねん8がつ30にち、82ぺーじISBN 4-253-01068-7 
  14. ^ 鉄腕てつわんアトムクラブ』1965ねん3がつごう
  15. ^ 当時とうじのスタッフである山本やまもと暎一著書ちょしょむしプロ興亡こうぼうあんひとし明太めんたい青春せいしゅん』(1989ねん新潮社しんちょうしゃ)がその状況じょうきょう詳述しょうじゅつしている。本書ほんしょはフィクションをぜているが、山本やまもとはあとがきで「仕事しごとかんする部分ぶぶんは、ほとんどが事実じじつ」としるしている。
  16. ^ 藤子とうこ不二雄ふじお二人ふたり少年しょうねん漫画まんがばかりえがいてきた』文春ぶんしゅん文庫ぶんこ、1980ねん、pp.213–215
  17. ^ REVIEW『どろろ』DVD-BOX WEBアニメスタイル
  18. ^ 伊藤いとう秀明ひであき手塚てづか治虫おさむアニメワールド『鉄腕てつわんアトム』モノクロばんDVD-BOX解説かいせつしょ秘密ひみつ」『鉄腕てつわんアトムコンプリートブック』霜月しもづきたかなかつかさ武己たけみ編著へんちょメディアファクトリー、2003ねん、p.107
  19. ^ 富野とみのゆかりゆう増補ぞうほ改訂かいていばん だから、ぼくは』徳間書店とくましょてん アニメージュ文庫ぶんこ、1983ねん、pp.192–132
  20. ^ うしおそうじ『手塚てづか治虫おさむとボク』2007ねんくさおもえしゃ、pp,249–250,254–255
  21. ^ 石黒いしぐろのぼる小原おはら乃梨子のりこ『テレビ・アニメ最前線さいぜんせん わたしせつ・アニメ17ねん大和やまと書房しょぼう、1980ねん、pp.98–99
  22. ^ いろあせぬ「鉄腕てつわんアトム」 そらをこえて ときをこえて 放送ほうそう60ねん(毎日新聞まいにちしんぶん 2023ねん1がつ6にち東京とうきょう夕刊ゆうかん記事きじ
  23. ^ 大塚おおつか康生やすおもりゆうつくえ大塚おおつか康生やすおインタビュー アニメーション縦横無尽じゅうおうむじん実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ、2006ねん、p.116
  24. ^ a b WEBアニメスタイル TOPICS
  25. ^ 鉄腕てつわんアトムがんじゃう おおみそかのよるに 「ころさないで…」のねがいふりり」『毎日新聞まいにちしんぶん』1966ねん12月24にちごうもりはる図説ずせつ鉄腕てつわんアトム』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2003ねん、p.99)
  26. ^ もりはる図説ずせつ鉄腕てつわんアトム』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2003ねん、pp.112–117
  27. ^ 明晩みょうばんの『スターせんいち鉄腕てつわんアトム登場とうじょうみのおや”と対談たいだん 制作せいさく5カ月かげつ苦心くしん」『朝日新聞あさひしんぶん』1965ねん10がつ15にちづけ夕刊ゆうかん、10ぺーじ
  28. ^ 渡辺わたなべやすし渡辺わたなべやすしのアトム外伝がいでん スクリーンでも活躍かつやく」『鉄腕てつわんアトムワールド』ぴあ、1993ねん、p.50。
  29. ^ 渡辺わたなべやすし渡辺わたなべやすしのアトム外伝がいでん スクリーンでも活躍かつやく」『鉄腕てつわんアトムワールド』p.51
  30. ^ 山本やまもと暎一むしプロ興亡こうぼう やす仁明にんみょうふとし青春せいしゅん新潮社しんちょうしゃ、1989ねん、pp.182,206
  31. ^ 手塚てづか治虫おさむ『ぼくはマンガ 手塚てづか治虫おさむ自伝じでん・1』大和やまと書房しょぼう、1979ねん、p.193
  32. ^ 手塚てづか治虫おさむ鉄腕てつわんアトム 基本きほん構想こうそう」『図説ずせつ鉄腕てつわんアトム』もりはる河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2003ねん、pp.125–126
  33. ^ 大塚おおつか康生やすお作画さくがあせまみれ 増補ぞうほ改訂かいていばん徳間書店とくましょてん、2001ねん、pp.102,104
  34. ^ TezukaOsamu.net日本語にほんご、アニメ・映像えいぞうwiki「鉄腕てつわんアトム」
  35. ^ はなし特集とくしゅう」1979ねん7がつごう 瀕死ひんしのアニメーション
  36. ^ 鉄腕てつわんアトムコンプリートブック』霜月しもづきたかなかつかさ武己たけみ編著へんちょメディアファクトリー、2003ねん、p.110、杉井すぎいギサブローへのインタビュー
  37. ^ 朝日新聞あさひしんぶんインターネットばん、2013ねん3がつ28にち
  38. ^ シネフィルDVD(@cinefilDVD)の2016ねん12月8にちのツイート2019ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  39. ^ 北海道新聞ほっかいどうしんぶん』(マイクロフィルムばん) 1963ねん昭和しょうわ38ねん)1がつ - 1967ねん昭和しょうわ42ねん)1がつ、テレビらん
  40. ^ a b 河北かほく新報しんぽう』1964ねん7がつ7にち、1967ねん1がつ3にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  41. ^ 河北かほく新報しんぽう』1964ねん7がつ5にち、1967ねん1がつ8にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  42. ^ 河北かほく新報しんぽう』1964ねん7がつ5にち - 9月29にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  43. ^ 河北かほく新報しんぽう』1966ねん10がつ4にち - 10月25にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  44. ^ 福島ふくしまみんほう』1963ねん1がつ1にち、1966ねん12月31にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  45. ^ 福島ふくしまみんほう』1963ねん4がつ2にち、1967ねん1がつ3にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  46. ^ 福島ふくしまみんほう』1963ねん6がつ1にち、1966ねん12月31にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  47. ^ 北日本きたにっぽん新聞しんぶん』1963ねん3がつ30にちづけ、4がつ6にちづけかく朝刊ちょうかん、テレビらん
  48. ^ 北日本きたにっぽん新聞しんぶん』1966ねん12月31にちづけ、1967ねん1がつ7にちづけかく朝刊ちょうかん、テレビらん。なお、1966ねん12月31にちづけに『おわり』マークはいていなかった。
  49. ^ 富山とやま新聞しんぶん』1964ねん11月3にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  50. ^ 富山とやま新聞しんぶん』1964ねん10がつ1にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  51. ^ 北日本きたにっぽん新聞しんぶん』1967ねん1がつ3にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  52. ^ 北國きたぐに新聞しんぶん』1963ねん4がつ6にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  53. ^ 富山とやま新聞しんぶん』1964ねん11月8にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  54. ^ 北日本きたにっぽん新聞しんぶん』1966ねん1がつ10にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  55. ^ 北國きたぐに新聞しんぶん』1967ねん1がつ1にちづけ朝刊ちょうかん19めん、1がつ2にちのテレビらん
  56. ^ 北國きたぐに新聞しんぶん』1966ねん4がつ9にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  57. ^ 北國きたぐに新聞しんぶん』1964ねん4がつ4にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  58. ^ 北國きたぐに新聞しんぶん』1966ねん12月31にちづけ、1967ねん1がつ7にちづけかく朝刊ちょうかん、テレビらん。なお、1966ねん12月31にちづけに『おわり』マークはいていなかった。
  59. ^ 北日本きたにっぽん新聞しんぶん』1966ねん12月31にち、1967ねん1がつ7にちづけかく朝刊ちょうかん、テレビらん
フジテレビけい 火曜かよう18:15わく
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
鉄腕てつわんアトム
(アニメだい1さく
(1963ねん1がつ – 1963ねん12がつ
まんがでこう!
(→わく交換こうかん
0せんはやと
フジテレビけい 土曜どよう19:00わく
まんがでこう!
(→わく交換こうかん
鉄腕てつわんアトム
(アニメだい1さく
(1964ねん1がつ – 1966ねん12がつ