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神楽坂かぐらざか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
神楽坂かぐらざか
まちひのと
神楽坂かぐらざか(2017ねん9がつ27にち撮影さつえい
地図北緯ほくい3542ふん09びょう 東経とうけい13944ふん20びょう / 北緯ほくい35.702461 東経とうけい139.739 / 35.702461; 139.739
くに 日本の旗 日本にっぽん
都道府県とどうふけん 東京都の旗 東京とうきょう
特別とくべつ 新宿しんじゅく
地域ちいき 牛込うしごめ地域ちいき
人口じんこう情報じょうほう2023ねんれい5ねん1がつ1にち現在げんざい[1]
 人口じんこう 2,286 にん
 世帯せたいすう 1,408 世帯せたい
面積めんせき[2]
  0.154345225 km²
人口じんこう密度みつど 14810.95 にん/km²
郵便ゆうびん番号ばんごう 162-0825[3]
市外しがい局番きょくばん 03(東京とうきょうMA[4]
ナンバープレート 練馬ねりま
ウィキポータル 日本にっぽんまち
東京都の旗 ウィキポータル 東京とうきょう
ウィキプロジェクト 日本にっぽんまち
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神楽坂かぐらざか牛込うしごめもん 歌川うたがわ広重ひろしげ 1840ねん
幕末ばくまつ牛込うしごめもん外濠そとぼり

神楽坂かぐらざか(かぐらざか)は、東京とうきょう新宿しんじゅく牛込うしごめ地域ちいき南西なんせい位置いちする。早稲田わせだどおにおける大久保おおくぼどお交差点こうさてんから外堀そとぼりどお交差点こうさてんまでのさかである。さか周辺しゅうへん地名ちめいでもあり、神楽坂かぐらざかいち丁目ちょうめからろく丁目ちょうめがある。全域ぜんいき住居じゅうきょ表示ひょうじ実施じっし#町名ちょうめい変遷へんせん参照さんしょう江戸えど時代じだいには、外堀そとぼり設置せっちされていた牛込うしごめもんつうじる交通こうつう要衝ようしょうだった[5]

なお大久保おおくぼどおりとの交差点こうさてんが「坂上さかがみ」、外堀そとぼりどおりとの交差点こうさてんが「坂下さかした[注釈ちゅうしゃく 1]となる。またこの地名ちめい東京とうきょうメトロ東西線とうざいせん神楽坂かぐらざかえき都営とえい大江戸おおえどせん牛込うしごめ神楽坂かぐらざかえきなど駅名えきめいにも使つかわれている。

名称めいしょう由来ゆらい[編集へんしゅう]

神楽坂かぐらざか」の名称めいしょう由来ゆらいについて、『江戸えど名所めいしょ図会ずえ まきよん』(天保てんぽう7ねん)によれば、このさか右側みぎがわ高田たかだあな八幡やはた旅所たびしょがあり、祭礼さいれい神輿しんよとおるときに神楽かぐらそうしたからとも、「若宮わかみや八幡やはたしゃ」の神楽かぐらおとがこのさかまでこえたからともいわれる[5]。 また、「あらためせん江戸えどこころざし」 (原本げんぽんのこっておらず成立せいりつ年代ねんだい不明ふめいだが文政ぶんせい以前いぜんにすでに存在そんざい確認かくにんされている) には、津久戸つくど明神みょうじん元和がんわころ牛込うしごめ移転いてんしたとき神輿しんよおもくてこのさかのぼることができなかったが、神楽かぐらそうすると、容易よういのぼることが出来できたため、このときより「神楽坂かぐらざか」のいたとしるされている。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

神楽坂かぐらざかは、全国ぜんこくてきにもまれ逆転ぎゃくてんしき一方いっぽう通行つうこうとなっており、自動車じどうしゃなどの進行しんこう方向ほうこう午前ごぜん午後ごご逆転ぎゃくてんする[注釈ちゅうしゃく 2]午前ごぜんちゅうは「坂上さかがみ坂下さかした」(早稲田わせだがわから飯田橋いいだばしがわへ)であるが、午後ごごは「坂上さかがみ坂下さかした」となり、通行つうこうするさい注意ちゅうい必要ひつようである。逆転ぎゃくてんしき一方いっぽう通行つうこうとなった背景はいけいに、そのむかし田中たなか角栄かくえい目白台めじろだい自宅じたくから永田町ながたちょう出勤しゅっきんし(午前ごぜん帰宅きたくするさい午後ごご)に便びんはかったからともいわれるが、これはタクシーの運転うんてんしゅによってひろまった都市とし伝説でんせつである[6]実際じっさい理由りゆうとしては、急激きゅうげき交通こうつうりょう増加ぞうか規制きせいもとめるこえがり、その最中さいちゅうとお沿いの陶器とうきてんくるま交通こうつう事故じこ発生はっせい、これがもと規制きせいおこなわれたものの周辺しゅうへんだい渋滞じゅうたい発生はっせいしたことから、1956ねん都心としんから西側にしがわ住宅じゅうたくけた一方いっぽう通行つうこうとなり、1958ねん現在げんざい逆転ぎゃくてんしき一方いっぽう通行つうこうになった[7]

周辺しゅうへん[編集へんしゅう]

神楽坂かぐらざか付近ふきんは、大正たいしょう時代じだい隆盛りゅうせいほこった花街はなまちで、飯田橋いいだばしえきにしたさか右手みぎてのこ花街はなまち特有とくゆう路地ろじは、日本にっぽんでもここにしかないといわれている。また関東大震災かんとうだいしんさい以後いごは、日本橋にほんばし銀座ぎんざ方面ほうめんより商人しょうにん流入りゅうにゅうし、夜店よみせさかんになった。やま銀座ぎんざわれた[8]時期じきはこのときで、はやし芙美子ふみこや、矢田やた津世子つせこ小説しょうせつにも登場とうじょうする。さか沿いには商店しょうてんがいならび、瀬戸物せともの和菓子わがしなどおもわせるおみせ中心ちゅうしんであった。田山たやま花袋かたいは「電車でんしゃがないから、やまんだ人達ひとたちは、大抵たいてい神楽坂かぐらざかとおりへとかけてった」としるしており、都市とし交通こうつうもう整備せいびによって、神楽坂かぐらざかから銀座ぎんざ日本橋にほんばし殷賑いんしんうつってったとかいしている[9]関東大震災かんとうだいしんさい以降いこう新宿しんじゅく急速きゅうそく発展はってんし、「山手やまて銀座ぎんざ」の呼称こしょう新宿しんじゅくうばわれた[10]

2003ねん以後いごとくにチェーンてんやコンビニエンスストアの進出しんしゅつ目立めだち、それとともに、夏目なつめ漱石そうせきとおった田原たはらなどの老舗しにせ急速きゅうそく減少げんしょうしつつある。また周辺しゅうへん住宅じゅうたくがいでも次々つぎつぎにマンションが建設けんせつされており、むかしからの風情ふぜいうしなわれていっている。

表通おもてどおりからいちはいるとしずかな路地ろじがあり、住宅じゅうたくがいのなかにレストランや料亭りょうていなどがおおられる。かつては江戸えど時代じだいしょく山人さんじん明治めいじ尾崎おざき紅葉こうよういずみ鏡花きょうかなどが[11]尾崎おざき紅葉こうよう旧居きゅうきょあと新宿しんじゅく指定してい史跡しせきいずみ鏡花きょうか旧居きゅうきょあと新宿しんじゅく登録とうろく史跡しせきになっている。また、さか周辺しゅうへんには毘沙門天びしゃもんてん善國寺ぜんこくじをはじめ、若宮わかみや八幡やはた赤城あかぎ神社じんじゃなどおおくの寺社じしゃ散在さんざいする。

周辺しゅうへん学校がっこうには、東京理科大学とうきょうりかだいがく法政大学ほうせいだいがくがあり、また、アンスティチュ・フランセ東京とうきょう(きゅう東京とうきょうにちふつ学院がくいん)をはじめとし、フランス関係かんけい機関きかんおおさから、フランスじんをはじめ海外かいがいからのひとうけられる。

坂下さかした飯田橋いいだばしがわ)にあったパラパラ殿堂でんどうといわれたディスコ「ツインスター」(1992ねん開店かいてん)は2003ねん8がつ閉店へいてんし、跡地あとち結婚式けっこんしきじょうけんフランス料理りょうりてん建設けんせつされた。5丁目ちょうめから矢来やらいまちにかけては、著名ちょめいじんなども高級こうきゅう住宅じゅうたくと、一般いっぱん住宅じゅうたく混在こんざいしている。東京とうきょうメトロ東西線とうざいせん神楽坂かぐらざかえきぎ、矢来やらいまちすすむと矢来やらい能楽堂のうがくどうがある。休日きゅうじつには歩行ほこうしゃ天国てんごくになり地元じもと商店しょうてんがいおおくのひとにぎわう。

阿波あわおど[編集へんしゅう]

毎年まいとしなつには神楽坂かぐらざかまつりのメインイベントとして阿波あわおど大会たいかい開催かいさいされる。神楽坂かぐらざかまつりは昭和しょうわ47ねん(1972ねん)に神楽坂かぐらざか商店しょうてんかい中心ちゅうしんとなってはじめられ、阿波あわおど大会たいかいもそのときからおこなわれている。参加さんか団体だんたい神楽坂かぐらざかおどあるき、周辺しゅうへん津久戸つくど小学校しょうがっこうあい小学校しょうがっこうなどの小学校しょうがっこう東京厚生年金病院とうきょうこうせいねんきんびょういん参加さんかする。その参加さんか団体だんたいには、かぐられんだむだんれんなどがある。徳島とくしまけん杉並すぎなみ高円寺こうえんじから参加さんかする団体だんたいもある。

町名ちょうめい変遷へんせん[編集へんしゅう]

1871ねん - 1872ねん - 1879ねん - 1911ねん - 1951ねん - (現行げんこう)
牛込うしごめ神楽じんらくまちいち丁目ちょうめ 神楽じんらくまちいち丁目ちょうめ 神楽坂かぐらざかいち丁目ちょうめ
牛込うしごめ神楽じんらくまち丁目ちょうめ 神楽じんらくまち丁目ちょうめ 神楽坂かぐらざか丁目ちょうめ
牛込うしごめ神楽じんらくまちさん丁目ちょうめ 神楽じんらくまちさん丁目ちょうめ 神楽坂かぐらざかさん丁目ちょうめ
みやまち (一部いちぶ) 上宮かみみやまち 牛込うしごめ上宮かみみやまち 上宮かみみやまち 神楽坂かぐらざかよん丁目ちょうめ
牛込うしごめさかなまち寺地てらち武家ぶけ 牛込うしごめさかなまち さかなまち 神楽坂かぐらざか丁目ちょうめ
牛込うしごめとおる寺町てらまち つう寺町てらまち 神楽坂かぐらざかろく丁目ちょうめ

1947ねんまでは牛込うしごめぞくしていた。

世帯せたいすう人口じんこう[編集へんしゅう]

2023ねんれい5ねん1がつ1にち現在げんざい東京とうきょう発表はっぴょう)の世帯せたいすう人口じんこう以下いかとおりである[1]

ひのと 世帯せたいすう 人口じんこう
神楽坂かぐらざかいち丁目ちょうめ 12世帯せたい 28にん
神楽坂かぐらざか丁目ちょうめ 123世帯せたい 191にん
神楽坂かぐらざかさん丁目ちょうめ 280世帯せたい 416にん
神楽坂かぐらざかよん丁目ちょうめ 98世帯せたい 182にん
神楽坂かぐらざか丁目ちょうめ 373世帯せたい 682にん
神楽坂かぐらざかろく丁目ちょうめ 522世帯せたい 787にん
けい 1,408世帯せたい 2,286にん

人口じんこう変遷へんせん[編集へんしゅう]

国勢調査こくせいちょうさによる人口じんこう推移すいい

人口じんこう推移すいい
とし 人口じんこう
1995ねん平成へいせい7ねん[12]
2,196
2000ねん平成へいせい12ねん[13]
2,128
2005ねん平成へいせい17ねん[14]
2,396
2010ねん平成へいせい22ねん[15]
2,516
2015ねん平成へいせい27ねん[16]
2,454
2020ねんれい2ねん[17]
2,409

世帯せたいすう変遷へんせん[編集へんしゅう]

国勢調査こくせいちょうさによる世帯せたいすう推移すいい

世帯せたいすう推移すいい
とし 世帯せたいすう
1995ねん平成へいせい7ねん[12]
1,096
2000ねん平成へいせい12ねん[13]
1,175
2005ねん平成へいせい17ねん[14]
1,321
2010ねん平成へいせい22ねん[15]
1,508
2015ねん平成へいせい27ねん[16]
1,550
2020ねんれい2ねん[17]
1,577

学区がっく[編集へんしゅう]

区立くりつ小・中学校しょうちゅうがっこうかよ場合ばあい学区がっく以下いかとおりとなる(2018ねん8がつ時点じてん[18]

ひのと 番地ばんち 小学校しょうがっこう 中学校ちゅうがっこう
神楽坂かぐらざかいち丁目ちょうめ 全域ぜんいき 新宿しんじゅく区立くりつ津久戸つくど小学校しょうがっこう 新宿しんじゅく区立くりつ牛込うしごめだいさん中学校ちゅうがっこう
神楽坂かぐらざか丁目ちょうめ 全域ぜんいき
神楽坂かぐらざかさん丁目ちょうめ 全域ぜんいき
神楽坂かぐらざかよん丁目ちょうめ 全域ぜんいき
神楽坂かぐらざか丁目ちょうめ 全域ぜんいき
神楽坂かぐらざかろく丁目ちょうめ 全域ぜんいき

事業じぎょうしょ[編集へんしゅう]

2021ねんれい3ねん現在げんざい経済けいざいセンサス調査ちょうさによる事業じぎょうしょすう従業じゅうぎょう員数いんずう以下いかとおりである[19]

ひのと 事業じぎょうしょすう 従業じゅうぎょう員数いんずう
神楽坂かぐらざかいち丁目ちょうめ 72事業じぎょうしょ 3,102にん
神楽坂かぐらざか丁目ちょうめ 149事業じぎょうしょ 1,406にん
神楽坂かぐらざかさん丁目ちょうめ 245事業じぎょうしょ 1,479にん
神楽坂かぐらざかよん丁目ちょうめ 83事業じぎょうしょ 692にん
神楽坂かぐらざか丁目ちょうめ 82事業じぎょうしょ 581にん
神楽坂かぐらざかろく丁目ちょうめ 204事業じぎょうしょ 1,429にん
けい 835事業じぎょうしょ 8,689にん

事業じぎょうしゃすう変遷へんせん[編集へんしゅう]

経済けいざいセンサスによる事業じぎょうしょすう推移すいい

事業じぎょうしゃすう推移すいい
とし 事業じぎょうしゃすう
2016ねん平成へいせい28ねん[20]
820
2021ねんれい3ねん[19]
835

従業じゅうぎょう員数いんずう変遷へんせん[編集へんしゅう]

経済けいざいセンサスによる従業じゅうぎょう員数いんずう推移すいい

従業じゅうぎょういんすう推移すいい
とし 従業じゅうぎょう員数いんずう
2016ねん平成へいせい28ねん[20]
9,302
2021ねんれい3ねん[19]
8,689

交通こうつう[編集へんしゅう]

その[編集へんしゅう]

日本にっぽん郵便ゆうびん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 坂下さかした交差点こうさてんはかつて牛込うしごめ見附みつけという名称めいしょう交差点こうさてん
  2. ^ 同様どうよう逆転ぎゃくてんしき一方いっぽう通行つうこう都内とないでは杉並すぎなみ荻窪おぎくぼ3丁目ちょうめにも存在そんざいする

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 住民じゅうみん基本きほん台帳だいちょうによる東京とうきょう世帯せたい人口じんこう(まちひのとべつ年齢ねんれいべつ)  れい5ねん1がつ” (CSV). 東京とうきょう (2023ねん4がつ6にち). 2023ねん12月17にち閲覧えつらん。 “(ファイルもとのページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 国勢調査こくせいちょうさまちよろとうべつ境界きょうかいデータセット』(CODH作成さくせい”. CODH. 2024ねん2がつ4にち閲覧えつらん(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 神楽坂かぐらざか郵便ゆうびん番号ばんごう”. 日本にっぽん郵便ゆうびん. 2023ねん11月17にち閲覧えつらん
  4. ^ 市外しがい局番きょくばん一覧いちらん”. 総務そうむしょう. 2019ねん6がつ24にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 江戸えど名所めいしょ図会ずえ 1927, p. 526.
  6. ^ 佐藤さとう健太郎けんたろう国道こくどうしゃ新潮社しんちょうしゃ、2015ねん11月25にち、108ぺーじISBN 978-4-10-339731-1 
  7. ^ 東京とうきょう新聞しんぶん2012ねん6がつ6にち朝刊ちょうかん最終さいしゅうめん東京とうきょうトリビア「時間じかんたい一方いっぽう通行つうこう逆転ぎゃくてん 神楽かぐらざか角栄かくえい伝説でんせつ」』
  8. ^ 『『江戸えど名所めいしょ図会ずえ』でたどる新宿しんじゅく名所めいしょめぐり』新宿しんじゅく歴史れきし博物館はくぶつかん 
  9. ^ 田山たやま花袋かたい東京とうきょうさんじゅうねん』(1917ねん)
  10. ^ 関東大震災かんとうだいしんさい新宿しんじゅく発展はってん新宿しんじゅく区役所くやくしょ
  11. ^ 『『路地ろじうらの80けん 神楽坂かぐらざか』』エフジー武蔵むさし 
  12. ^ a b 平成へいせい7ねん国勢調査こくせいちょうさ調査ちょうさ結果けっか(e-Stat) - 男女だんじょべつ人口じんこうおよ世帯せたいすうまちよろとう”. 総務そうむしょう統計とうけいきょく (2014ねん3がつ28にち). 2019ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  13. ^ a b 平成へいせい12ねん国勢調査こくせいちょうさ調査ちょうさ結果けっか(e-Stat) - 男女だんじょべつ人口じんこうおよ世帯せたいすうまちよろとう”. 総務そうむしょう統計とうけいきょく (2014ねん5がつ30にち). 2019ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  14. ^ a b 平成へいせい17ねん国勢調査こくせいちょうさ調査ちょうさ結果けっか(e-Stat) - 男女だんじょべつ人口じんこうおよ世帯せたいすうまちよろとう”. 総務そうむしょう統計とうけいきょく (2014ねん6がつ27にち). 2019ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  15. ^ a b 平成へいせい22ねん国勢調査こくせいちょうさ調査ちょうさ結果けっか(e-Stat) - 男女だんじょべつ人口じんこうおよ世帯せたいすうまちよろとう”. 総務そうむしょう統計とうけいきょく (2012ねん1がつ20日はつか). 2019ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  16. ^ a b 平成へいせい27ねん国勢調査こくせいちょうさ調査ちょうさ結果けっか(e-Stat) - 男女だんじょべつ人口じんこうおよ世帯せたいすうまちよろとう”. 総務そうむしょう統計とうけいきょく (2017ねん1がつ27にち). 2019ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  17. ^ a b れい2ねん国勢調査こくせいちょうさ調査ちょうさ結果けっか(e-Stat) -男女だんじょべつ人口じんこう外国がいこくじん人口じんこうおよ世帯せたいすうまちよろとう”. 総務そうむしょう統計とうけいきょく (2022ねん2がつ10日とおか). 2022ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  18. ^ 通学つうがく区域くいき”. 新宿しんじゅく (2018ねん8がつ13にち). 2024ねん2がつ4にち閲覧えつらん
  19. ^ a b c 経済けいざいセンサス‐活動かつどう調査ちょうさ / れいねん経済けいざいセンサス‐活動かつどう調査ちょうさ / 事業じぎょうしょかんする集計しゅうけい 産業さんぎょう横断おうだんてき集計しゅうけい 事業じぎょうしょすう従業じゅうぎょうしゃすうまちひのと大字だいじべつ結果けっか”. 総務そうむしょう統計とうけいきょく (2023ねん6がつ27にち). 2023ねん9がつ15にち閲覧えつらん
  20. ^ a b 経済けいざいセンサス‐活動かつどう調査ちょうさ / 平成へいせい28ねん経済けいざいセンサス‐活動かつどう調査ちょうさ / 事業じぎょうしょかんする集計しゅうけい 産業さんぎょう横断おうだんてき集計しゅうけい 都道府県とどうふけんべつ結果けっか”. 総務そうむしょう統計とうけいきょく (2018ねん6がつ28にち). 2019ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  21. ^ 郵便ゆうびん番号ばんごう簿 2022年度ねんどばん” (PDF). 日本にっぽん郵便ゆうびん. 2023ねん10がつ28にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 斎藤さいとうちょうあき へんまきよん てんけん 神楽坂かぐらざか」『江戸えど名所めいしょ図会ずえ』 2かん有朋ありともどう書店しょてん有朋ありともどう文庫ぶんこ〉、1927ねん、522-523,526ぺーじNDLJP:1174144/266 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]