はやし芙美子ふみこ

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はやし 芙美子ふみこ
(はやし ふみこ)
はなのいのち 小説しょうせつはやし芙美子ふみこ』(1958ねん)より
誕生たんじょう はやしフミ子ふみこ
1903ねん12月31にち
日本の旗 日本にっぽん山口やまぐちけん下関しものせき福岡ふくおかけん門司もじ
死没しぼつ (1951-06-28) 1951ねん6月28にち(47さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう新宿しんじゅく下落合しもおちあい
墓地ぼち ばんあきらいん功運寺こううんじ
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 尾道おのみち市立しりつ高等こうとう女学校じょがっこう
活動かつどう期間きかん 1928ねん - 1951ねん
ジャンル 小説しょうせつ随筆ずいひつ
代表だいひょうさくあおたり』(1929ねん詩集ししゅう
放浪ほうろう』(1928ねん - 1930ねん
風琴ふうきんうおまち』(1931ねん
清貧せいひんしょ』(1933ねん
ばんきく』(1948ねん
浮雲うきぐも』(1951ねん
めし』(1951ねん
おも受賞じゅしょうれき 女流じょりゅう文学ぶんがくしゃしょう(1948ねん
デビューさく放浪ほうろう
ウィキポータル 文学ぶんがく
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はやし 芙美子ふみこ(はやし ふみこ、1903ねん明治めいじ36ねん12月31にち - 1951ねん昭和しょうわ26ねん6月28にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ[1][2][3][4]本名ほんなフミコ[5]身長しんちょう140cm少々しょうしょう[6]

幼少ようしょうからの不遇ふぐう半生はんせいつづった自伝じでんてき小説しょうせつ放浪ほうろう』(1928ねん)で一躍いちやく人気にんき作家さっかとなる[1][2][5][7][8]詩情しじょうゆたかな文体ぶんたいで、くら現実げんじつをリアルに描写びょうしゃする作風さくふう[5][9]一貫いっかんして庶民しょみん生活せいかつ共感きょうかんをこめてえが[1][2]流行りゅうこう作家さっかとして明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわけた[3]作品さくひんに『風琴ふうきんうおまち』(1931ねん)、『ばんきく』(1948ねん)、『浮雲うきぐも』(1951ねん)などがある[1][5]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

著書ちょしょ放浪ほうろう1 はやし芙美子ふみこ文庫ぶんこ』のあとがきでは山口やまぐちけん下関しものせきまれ[4]尾道おのみち市立しりつ高等こうとう女学校じょがっこうげん広島ひろしま県立けんりつ尾道おのみちひがし高等こうとう学校がっこうそつ[5][6]複雑ふくざつち、様々さまざま職業しょくぎょう経験けいけんしたのち[6]、『放浪ほうろう』がベストセラーとなり、詩集ししゅうあおたり』や、『風琴ふうきんうおまち』『清貧せいひんしょ』などの自伝じでんてき作品さくひん文名ぶんめいたかめた[9]。その、『牡蠣かき』などの客観きゃっかん小説しょうせつてんじ、戦中せんちゅう大陸たいりく南方なんぽう従軍じゅうぐんして短編たんぺんいだ。戦後せんご新聞しんぶん小説しょうせつ成功せいこうおさめ、短編たんぺんばんきく』や長編ちょうへん浮雲うきぐも』『めし』(絶筆ぜっぴつ)などを旺盛おうせい発表はっぴょう[9]まずしい現実げんじつ描写びょうしゃしながらも、ゆめあかるさをうしなわない独特どくとく作風さくふう人気にんきたが、心臓麻痺しんぞうまひにより急逝きゅうせい[2]

その生涯しょうがいは、「文壇ぶんだん登場とうじょうしたころは『貧乏びんぼうものにする素人しろうと小説しょうせつ』、そのつぎは『たった半年はんとしあいだのパリ滞在たいざいものにするがり小説しょうせつ』、そして、にちちゅう戦争せんそうから太平洋戦争たいへいようせんそうにかけては『軍国ぐんこく主義しゅぎ太鼓たいこふえはやてた政府せいふかか小説しょうせつ』など、いつも批判ひはんまとになってきました。しかし、戦後せんごろく年間ねんかんはちがいました。それは、たたかえさにちのめされた、わたしたち普通ふつう日本人にっぽんじんかなしみを、ただひたすらにきつづけたろく年間ねんかんでした」[10]われるように波瀾万丈はらんばんじょうだった[6]

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

生誕せいたん[編集へんしゅう]

当人とうにんは、まれは下関しものせきい、生年せいねん明治めいじ37ねん誕生たんじょう5月5にちなどともいてかたっていたが、没後ぼつご20ねんあまって、誕生たんじょう門司もじ小森江こもりえげん北九州きたきゅうしゅう門司もじ)とのせつ発表はっぴょうされた[3][4][11][12][13]。(ただし出生しゅっしょうとどけ叔父おじいえげん鹿児島かごしま明治めいじ36ねん12月31にち誕生たんじょうとしてよく1がつている[4][14])。

実父じっぷ宮田みやた麻太郎あさたろうはははキク。麻太郎あさたろう認知にんちしなかったので、むすめは『はやしフミ子ふみこ』として、母方ははかた叔父おじ戸籍こせきはいった。

九州きゅうしゅう各地かくち行商ぎょうしょう[編集へんしゅう]

麻太郎あさたろう下関しものせきりやテキをやってて、1907ねん若松わかまつげん北九州きたきゅうしゅう若松わかまつ)へうつって繁盛はんじょうしたが、浮気うわきして、母子ぼし1910ねん番頭ばんがしら沢井さわい喜三郎きさぶろういえ[5][15]養父ようふはは北九州きたきゅうしゅう炭坑たんこうまち行商ぎょうしょうしてまわり、芙美子ふみこ小学校しょうがっこう長崎ながさき佐世保させぼ下関しものせきわった[5][4]喜三郎きさぶろう下関しものせき古着ふるぎいとなんで小康しょうこうたが1914ねん倒産とうさんし、11さい芙美子ふみこ本籍ほんせき鹿児島かごしまあづけられたのち、旅商たびあきないの両親りょうしんいて山陽さんよう地方ちほう木賃宿きちんやど転々てんてんした[6]

1914(大正たいしょう3ねんねん10がつ(11さい)、石炭せきたん産業さんぎょうさかえていた現在げんざい福岡ふくおかけん直方のうがたうつ[6]。 『放浪ほうろう』の冒頭ぼうとうで、直方ちょくほうでの日々ひび赤裸々せきららしるしている。 <すなした鉄分てつぶんおおみずしたがよれるようなまちであった> <門司もじのように活気かっきあふれるまちでもない。> <長崎ながさきのようにうつくしいまちでもない。> <佐世保させぼのようにおんなのひとがうつくしいまちでもなかった>

尾道おのみち[編集へんしゅう]

1916ねん大正たいしょう5ねん)(13さい)、3にん広島ひろしまけん尾道おのみちえきち、海運かいうん要衝ようしょうとしてさかえた活気かっきある尾道おのみち[2][3][11]以来いらい、19さいまでの多感たかんな6年間ねんかん尾道おのみちくら[5][6][7][16][17]1918ねん尾道おのみちだい尋常じんじょう小学校しょうがっこうげん尾道おのみち市立しりつ土堂つちどう小学校しょうがっこう)を2ねんおくれで卒業そつぎょうした[3][11]

はやし芙美子ふみこ文学ぶんがく放浪ほうろう一節いっせつきざまれ、揮毫きごう尾道おのみちしょう恩師おんし小林こばやし正雄まさお尾道おのみち代表だいひょうする風景ふうけいである。

夕暮ゆうぐれ陸橋りっきょう「うずしおきょう」にもたれてほんみふけっていた芙美子ふみこ旧制きゅうせい中学生ちゅうがくせい岡野おかの軍一ぐんいちがたまらずこえをかけた[6]岡野おかの因島いんのしま荷役にやくせん船主せんしゅミカン栽培さいばい兼業けんぎょうする素封そほう長男ちょうなんで、あこがれの中学生ちゅうがくせいだった岡野おかの出現しゅつげんは、読書どくしょ大人おとなびていた思春期ししゅんき芙美子ふみこのプライドをたかぶらせた[6]男女だんじょ交際こうさい一般いっぱんてきでなかった時代じだい岡野おかの堂々どうどうこいはぐくむ[7][15]1918ねん大正たいしょう7ねん)(15さい)、文才ぶんさいみとめた訓導くんどうすすめと、周囲しゅうい支援しえんもあって[3]尾道おのみち市立しりつ高等こうとう女学校じょがっこうげん広島ひろしま県立けんりつ尾道おのみちひがし高等こうとう学校がっこう)へ進学しんがくした[3]裕福ゆうふく良家りょうけ子女しじょしかかよえなかった女学校じょがっこうに、行商ぎょうしょう生業せいぎょうとするまずしいいえむすめはいることなど、当時とうじぶん不相応ふそうおう愚行ぐこう[6]高等こうとう女学校じょがっこう進学しんがくしたのは、岡野おかのいのれるおんなになり、恋愛れんあい成就じょうじゅさせたいと渇望かつぼうしたのではないかというせつもある[6]人目ひとめをはばかりながら渡船とせんり、向島むこうじま帆布ほぬの工場こうじょう学費がくひかせアルバイトせい[5][6]夏休なつやすみには神戸こうべ女中じょちゅう奉公ほうこうまでした[5][6]岡野おかの両親りょうしん当然とうぜんながら、家柄いえがらのあまりにもちが二人ふたり交際こうさいもう反対はんたいした[6]明治大学めいじだいがく進学しんがくした岡野おかのは、ひたすら結婚けっこんねがっていすがるように上京じょうきょうした芙美子ふみこ同棲どうせいまでしたが、大学だいがく卒業そつぎょうすると、両親りょうしん説得せっとくくっして、あてがわれた縁談えんだん結婚けっこんしてしまう[6]。『放浪ほうろう』のむくわれない悲恋ひれん連鎖れんさは、ここからはじまり、初恋はつこい破局はきょくは、芙美子ふみこを、たされることのない愛欲あいよく飢餓きがとした[6]図書としょしつほんふけり、よる休日きゅうじつはたらいた。女学校じょがっこう教諭きょうゆ文才ぶんさいはぐくんだ。18さいのときから『あきぬま陽子ようこ』の筆名ひつめいで、『山陽さんようにちにち新聞しんぶん』や『備後びんご時事新報じじしんぽう』に短歌たんか投稿とうこう、『こう』『廃園はいえんゆう』『カナリヤのうた』『いのちさけ』が掲載けいさいされ、作家さっかとしてのいしずえきず[3][11]安住あんじゅうとなった[6]尾道おのみちでは親友しんゆうたちにめぐまれ、後年こうねんもしばしば「帰郷ききょう」する[3][6]

東京とうきょう[編集へんしゅう]

1922ねん大正たいしょう11ねん)(19さい)、女学校じょがっこう卒業そつぎょう直後ちょくご遊学ゆうがくちゅう恋人こいびと岡野おかのたよって上京じょうきょう[2][6][15]当時とうじ岡野おかのんでいた小石川こいしかわ雑司ヶ谷ぞうしがやうつ[11]最初さいしょ小説しょうせつ女中じょちゅうとしてやとわれるが、週間しゅうかんひまされる[6]。その銭湯せんとう下足げそくばんしおり絵付えつ内職ないしょくかぶ事務じむいんなどしょく転々てんてん[3][8][15]あいだもなく義父ぎふ実母じつぼ上京じょうきょう道玄坂どうげんざか神楽坂かぐらざか露店ろてんしそれを手伝てつだう。よく1923ねん9月の関東大震災かんとうだいしんさいで、3にんはしばらく尾道おのみち四国しこくけた[11]尋常じんじょう小学校しょうがっこう恩師おんし小林こばやし正雄まさお筆名ひつめいを「芙美子ふみこ」にするようにすすめられ[11]、つけはじめた「うた日記にっき」とだいする日記にっきが『放浪ほうろう』の原型げんけいになった[5][11]大学だいがく卒業そつぎょうした岡野おかの因島いんのしま帰郷ききょうして婚約こんやくした[4][11]初恋はつこいおんなあこがれのたかみへのぼらせ、やがて奈落ならくとした[6]芙美子ふみこは、なりふりかまわぬ文学ぶんがくおにした[6]

1924ねん大正たいしょう13ねん)(20さい)、おやのこしてふたた上京じょうきょう[11]。この時代じだい、たった一人ひとり都会とかい地方ちほう出身しゅっしんしゃかねコネもない女性じょせいられるしょくなどれていた[8]セルロイド人形にんぎょういろりする工場こうじょうでの女工じょこう毛糸けいとてん牛鍋ぎゅうなべカフェ女給じょきゅうなどしょく転々てんてん[3][8][15]おおくのしょくいて微々びびたる給金きゅうきんながらさい底辺ていへんらしをきる[8]。1にちやすめば、宿やどくし、えとわなければならない文字通もじどおりそのらし。マッチしでまゆえがき、木賃宿きちんやどから出撃しゅつげきした[8]。へこたれることがあっても意気軒昂いきけんこうだった[8]童話どうわいては出版しゅっぱんしゃあるき、徐々じょじょ文学ぶんがく社会しゃかいへと近付ちかづいていく[3][11]

ダダイストアナーキスト巣窟そうくつになっていた本駒込ほんこまごめの「みなみ天堂てんどう書房しょぼう」で出会であい、意気投合いきとうごうした平林ひらばやしたいは「芙美子ふみこ初恋はつこいやぶれた痛苦つうくあじわってから、男女だんじょ関係かんけいたりばったりになった」とべている[6]反骨はんこつ精神せいしんかたまった「みなみ天堂てんどう」グループの人々ひとびとは、愛欲あいよくのアナーキストでもあった[6]不倫ふりんいましめるモラルなどないにひとしく、カップルのわせはわり放題ほうだいだった[6]。ここで壺井つぼい繁治しげじ岡本おかもとじゅん高橋たかはし新吉しんきち小野おの十三郎じゅうざぶろうつじじゅんらを[2][11]同棲どうせいしてはわかれることをかえした。のパンフレット『二人ふたり』を、ともたに静栄しずえと3ごうまでした。原稿げんこう雑誌ざっししゃ出版しゅっぱんしゃんでまわり、ときにひろわれた。

1926ねん大正たいしょう15ねん)(23さい)、学生がくせい手塚てづかみどりさとし(まさはる、通称つうしょうりょくびん)[18]内縁ないえん結婚けっこんをし[15]いた[2]みどりさとし実直じっちょくで、つま執筆しっぴつたすけるひとであった。

流行りゅうこう作家さっか[編集へんしゅう]

1928ねん昭和しょうわ3ねん)2がつ(25さい)、長谷川時雨はせがわしぐれ主宰しゅさい女人にょにん芸術げいじゅつ芙美子ふみこきびはたけ』をせ、10月から翌々年よくよくねん10がつまで20かい自伝じでんてき小説しょうせつ放浪ほうろう』を連載れんさいした[2][15]。そのあいだ1929ねん6がつには友人ゆうじん寄金ききんけて、はつ単行本たんこうぼんの、詩集ししゅうあおたり』を自費じひ出版しゅっぱんした。『放浪ほうろう』は好評こうひょうで、1930ねん改造かいぞうしゃ刊行かんこうの『放浪ほうろう』と『ぞく放浪ほうろう』とは、昭和しょうわ恐慌きょうこう世相せそうなかれにれ、芙美子ふみこ一躍いちやく流行りゅうこう作家さっかになった[2][8][11]印税いんぜい中国ちゅうごく一人ひとりたびした。講演こうえんかいなどの国内こくない旅行りょこうえた[11]

1931ねん昭和しょうわ6ねん)(28さい)11月、朝鮮ちょうせんシベリヤ経由けいゆパリ一人ひとりたびした[11]すで満州まんしゅう事変じへんはじまっていた。金銭きんせん余裕よゆうがあればたびて、こうずなたん独行どっこうじなかった。ロンドンにもみ、1932ねん6がつ帰国きこくした。旅先たびさきから紀行きこうぶん雑誌ざっししゃおくつづけた。「共産党きょうさんとうにカンパをやくした」との嫌疑けんぎで、1933ねん中野なかの警察けいさつしょ留置りゅうちされた。

1935ねん昭和しょうわ10ねん)(32さい)の短編たんぺん牡蠣かき』は、私小説ししょうせつてき作風さくふうはなれた本格ほんかくてき小説しょうせつとして、評価ひょうかされた[11]

1937ねん昭和しょうわ12ねん)の南京なんきん攻略こうりゃくせんには、毎日新聞まいにちしんぶん特派とくはいんとして現地げんちおもむいた[19]。1938ねん昭和しょうわ13ねん)の武漢ぶかん作戦さくせんには、内閣ないかく情報じょうほうの『ペン部隊ぶたい役員やくいん選出せんしゅつ女性じょせい作家さっかはやし吉屋よしや信子のぶこ2人ふたりのみ)、同年どうねん9がつ11にち陸軍りくぐんはんだいいちじんの13にんとともに大陸たいりくかった。出発しゅっぱつ東京とうきょうえきおこなわれたセレモニーをけ、途中とちゅう横浜よこはまえきから乗車じょうしゃする気配きくばりをせたが[20]戦地せんちでは同年どうねん10がつ28にち男性だんせいじん尻目しりめ陥落かんらくかんこう一番乗いちばんのりをたした。かんこうへの従軍じゅうぐん同年どうねん10がつ31にち東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶんに「うつくしいまちかんこうはいるの」として掲載けいさいされた[21]ほか、後日ごじつ、『戦線せんせん』、『北岸ほくがん部隊ぶたい』として出版しゅっぱんされた。

おもなぶんぎょう」のこうからうかがえる活発かっぱつ文筆ぶんぴつ活動かつどうつづけながら、1940ねん昭和しょうわ15ねん)5がつからは、全国ぜんこく各地かくちをめぐる「文芸ぶんげい銃後じゅうご運動うんどうだい講演こうえんかい」に参加さんか久米くめ正雄まさお横光よこみつ利一としかずらとともに時局じきょくおうじた熱弁ねつべんをふるった[22]。さらに同年どうねんにはきた満州まんしゅう朝鮮半島ちょうせんはんとうにもかけた。

1941ねん昭和しょうわ16ねん)には、「ついのすみか」となった自宅じたく下落合しもおちあい新築しんちく[11]飛行機ひこうき満州まんしゅう国境こっきょう慰問いもんした。 同年どうねん8がつには情報じょうほうきょくにより風俗ふうぞく壊乱かいらんおそれのある小説しょうせつとして『放浪ほうろう』『泣虫小僧こぞう』などが発売はつばい禁止きんし処分しょぶん当時とうじ対象たいしょう小説しょうせつ題名だいめい秘匿ひとくされていた)をけた[23]

太平洋戦争たいへいようせんそう前期ぜんき1942ねん10月から翌年よくねん5がつまで、陸軍りくぐん報道ほうどう報道ほうどうはんいんとしてシンガポールジャワボルネオ滞在たいざいした。戦局せんきょくまって出版しゅっぱんかい逼塞ひっそくし、1944ねん4がつから、みどりさとし故郷こきょうちか長野ながのけん上林うえばやし温泉おんせんいで角間かくま温泉おんせん疎開そかいした[11]疎開そかいあいだかいりた民家みんか長野ながのけん下高井しもたかいぐん山ノ内やまのうちまち角間かくま)が、はやし芙美子ふみこ文学ぶんがくかん になっている。

下落合しもおちあい自宅じたく空襲くうしゅうまぬかれ、1945ねん昭和しょうわ20ねん)10がつ帰京ききょうした。自由じゆうける時代じだいよろこんだ。用紙ようし事情じじょういかめしかったものの、ひと活字かつじえていて、よく1946ねんから新旧しんきゅう出版しゅっぱんしゃうごはじめた。

かって原稿げんこうみに苦労くろうしたがゆえに、人気にんき作家さっかになってからも執筆しっぴつ依頼いらいことわらなかった芙美子ふみこは、ジャーナリズムに便利べんりだった。きにいた。そのなかに『ばんきく』や『浮雲うきぐも』などの名品めいひんもあった。1948ねん女流じょりゅう文学ぶんがくしゃしょうは『ばんきく』で受賞じゅしょうした。私用しよう講演こうえん取材しゅざいたびしげくした。1950ねん昭和しょうわ25ねん屋久島やくしま旅行りょこうたが、流行りゅうこう作家さっかとしての酷使こくし身体しんたい衰弱すいじゃく[2]1949ねんから1951ねんけては、9ほんなか長編ちょうへん並行へいこうに、新聞しんぶん雑誌ざっし連載れんさいした。

1951ねん6がつ26にち撮影さつえい。このよる容態ようだい急変きゅうへんして急逝きゅうせいした。

1951ねん昭和しょうわ26ねん)、6月27にち夜分やぶん、『主婦しゅふとも』の連載れんさい記事きじのため料亭りょうていを2けんまわり、帰宅きたくくるしみ、よく28にち払暁ふつぎょう心臓麻痺しんぞうまひ急逝きゅうせいした。47さいぼつ数時間すうじかんまえまで取材しゅざいをしていた[3]最後さいごまで作家さっかとしてけた人生じんせいだった[3]。『ジャーナリズムにころされた』と、世間せけんった。

なお、急逝きゅうせい直前ちょくぜん6月24にちには、NHKラジオ生放送なまほうそうわか女性じょせい-ってみたいひとぺーじ」にゲスト出演しゅつえんし、女子大じょしだいせいすうにんたい質疑しつぎ応答おうとうをおこなっている[1]。このなか芙美子ふみこ本人ほんにんが「すでに晩年ばんねんであるとおもい、むだなたまげない」ともかたっていた。この放送ほうそう一部いちぶ当時とうじ番組ばんぐみ広報こうほうようとして映像えいぞう保存ほぞんされており、NHKアーカイブスのサイト「NHK放送ほうそう-わか女性じょせい」で動画どうが公開こうかいされている[1]。(外部がいぶリンク参照さんしょう放送ほうそう音声おんせい録音ろくおん保存ほぞんされ、直近ちょっきんでは2016ねん1がつ26にちにNHKだい1ラジオ、2023ねん12月3にちにはNHK-FM伊集院いじゅういんひかりひゃくねんラヂオ』のなか当時とうじ録音ろくおん放送ほうそうされた。

7がつ1にち自宅じたく告別こくべつしきおこなわれた。近在きんざい市民しみん大勢おおぜい参列さんれつした。葬儀そうぎ委員いいんちょう川端かわばた康成やすなり[ちゅう 1]は、『故人こじんは、文学ぶんがくてき生命せいめいたもつため、たいして、ときにはひどいこともしたのでありますが、しかし、こうさんあいだもすれば、故人こじんはいとなってしまいます。一切いっさい罪悪ざいあく消滅しょうめつさせますから、どうか故人こじんゆるしてもらいたいとおもいます』と弔辞ちょうじなかべた[8][24]芙美子ふみこが、自身じしん優先ゆうせんさせるあまり、作家さっか排斥はいせきしたゆえの「罪悪ざいあく」だといわれる[8]葬儀そうぎには市井しせいのおばちゃんたちが、数多あまたしかけ、大衆たいしゅう作家さっかにとってはそのほう名誉めいよであった[8]

戒名かいみょうは『じゅんとくいん芙蓉ふよう清美きよみ大姉だいし』。ばんあきらいん功運寺こううんじ埋葬まいそうされた。生前せいぜん色紙いろがみなどにこのんで、『はないのちみじかくてくるしきことのみかりき』といた。

1943ねん新生児しんせいじもらけて養子ようしにしたやすしは、1959ねん事故死じこしした。芙美子ふみこささつづけたおっとみどりさとしは、彼女かのじょぶんぎょう整理せいりなが協力きょうりょくして、1989ねん物故ぶっこした。

生涯しょうがい最後さいごの10ねんくらした旧宅きゅうたく新宿しんじゅく区立くりつはやし芙美子ふみこ記念きねんかんになっている[6]

影響えいきょう[編集へんしゅう]

桐野きりの夏生なつきは『放浪ほうろう』を「たいせつなほん」に[8]、「わかひとにぜひんでもらいたい」とすすめている[8]。「近代きんだい女性じょせい孤独こどくおもいできていく姿すがたはやし芙美子ふみこ最初さいしょきました。いま色褪いろあせないし、わたしのテーマにもつうじます」とおな小説しょうせつとしての敬意けいい[9]、2010ねんはやし評伝ひょうでん小説しょうせつ『ナニカアル』を上梓じょうししている[8][9][25]

エピソード[編集へんしゅう]

1948ねん昭和しょうわ23ねん)の『主婦しゅふ生活せいかつ』6がつごうに「はやし芙美子ふみこトマトすき」が紹介しょうかいされている。「6ミリくらいの輪切わぎりにしたもぎたてトマトをバターラードかしたフライパンき、えたところで牛肉ぎゅうにくせ、とおったら醤油じょうゆ甘味あまみりょうれる」としており、戦後せんご3ねんしかっていない当時とうじ配給はいきゅうせい砂糖さとう貴重きちょうひんであり、ズルチンサッカリンなどの人工じんこう甘味あまみりょう代用だいようしたとおもわれる。品種ひんしゅ改良かいりょうした現代げんだいのトマトとちがい、当時とうじのトマトは甘味あまみくわえたほう美味びみだったものか「初夏しょかにはかくべつおいしいものです」とせている。

急逝きゅうせいした翌日よくじつあさ担当たんとう編集へんしゅうしゃ原稿げんこうりに邸宅ていたくおとずれた。お手伝てつだいは逝去せいきょつたえたが、編集へんしゅうしゃりを誤魔化ごまかうそだとおもい、はやし部屋へやんだ。はやし遺体いたい布団ふとんかされてめんぬのがかけられていたが、編集へんしゅうしゃこえをかけてめんぬのがし、ようやくはやしるとおもわず合掌がっしょうしたという[26]

ギャラリー[編集へんしゅう]

おも作品さくひん[編集へんしゅう]

多作たさくで、またわせをえたたん編集へんしゅうており、書誌しょし膨大ぼうだいである[ちゅう 2]

単行本たんこうぼん[編集へんしゅう]

作者さくしゃは、ほとんどの場合ばあい作品さくひんをまず雑誌ざっし掲載けいさいし、その単行本たんこうぼん刊行かんこうしている。その初出しょしゅつ雑誌ざっしめいは、全集ぜんしゅう年譜ねんぷ[31]くわしい。

表題ひょうだいうしろの(れい:S1 あるいは B1 は、「新潮社しんちょうしゃばん全集ぜんしゅう あるいは「ぶんいずみどうばん全集ぜんしゅうだい1かん収録しゅうろく意味いみである。
各行かくこうの / しるしのちは、おも平成へいせいれた再版さいはん新編しんぺんばん刊行かんこうだが、たん編集へんしゅう随筆ずいひつしゅうなど複数ふくすう作品さくひんあつめた著作ちょさく場合ばあいは、正確せいかく記載きさいではない。
  • あおたり』(S1 B1、34へん)、みなみそう書院しょいん(1930ねん)/日本にっぽん図書としょセンター(2002ねんISBN 9784820595595
  • 放浪ほうろう』(『九州きゅうしゅう炭坑たんこうがい放浪ほうろう』を併録へいろく)(S2 B1、小説しょうせつ)、改造かいぞうしゃ、(1930ねん)/ みすず書房しょぼう(2004ねんISBN 9784622080442 / ハルキ文庫ぶんこ(2011ねん
  • ぞく放浪ほうろう』(S2 B1、小説しょうせつ)、改造かいぞうしゃ、(1930ねん)/ 新編しんぺん新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん2002ねん
  • 彼女かのじょ履歴りれき』(S3 B2 風琴ふうきんうおまち、S9 やま教師きょうし、など小説しょうせつ9へん)、改造かいぞうしゃ(1931ねん)/下記かき新潮しんちょう文庫ぶんこ所収しょしゅう
  • 清貧せいひんしょ』(S3 清貧せいひんしょ、B15 瑪瑙めのうばん、S3 屋根裏やねうら椅子いす、S3 耳輪みみわのついたうま、など小説しょうせつ13へん改造かいぞうしゃ(1933ねん)/『風琴ふうきんうおまち清貧せいひんしょ』、新潮しんちょう文庫ぶんこ (2007ねんISBN 9784101061078 所収しょしゅう
  • 面影おもかげ』(S1 68へん)、文学ぶんがくクオタリイしゃ(1933ねん
  • 散文さんぶん日記にっき』(S7 B4 散文さんぶん日記にっき、など随筆ずいひつ13へん)、改造かいぞうしゃ(1934ねん)/東方とうほうしゃ(1956ねん
  • 『泣虫小僧こぞう』(S4 泣虫小僧こぞう、S3 山中さんちゅう歌合うたあわせ、S3田舎いなか言葉ことば、S4 蔓草つるくさはな、など小説しょうせつ12へん)、改造かいぞうしゃ(1935ねん)/フロンティアニセン フロンティア文庫ぶんこ(2005ねんISBN 9784861970627
  • 牡蠣かき』(S1 牡蠣かき、S3 人生じんせい、S4 帯広おびひろまで、S3 あね日記にっき、など小説しょうせつ8へん)、改造かいぞうしゃ(1935ねん)/『風琴ふうきんうおまち清貧せいひんしょ新潮しんちょう文庫ぶんこ (2007ねん所収しょしゅう
  • 野麦のむぎうた』(S5 B3 野麦のむぎうた、S4 鴛鴦えんおう、など小説しょうせつ7へん)、中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ(1936ねん)/尾崎おざき書房しょぼう(1948ねん
  • 文学ぶんがくてき断章だんしょう』(S19 文学ぶんがくてき自叙伝じじょでん、など随筆ずいひつ43へん)、河出かわで書房しょぼう(1936ねん)/角川かどかわ文庫ぶんこ(1956ねん
  • 愛情あいじょうでん』(S10 愛情あいじょうでん、S4いずみ、S5 明暗めいあん、など小説しょうせつ6へん)、美和みわ書房しょぼう(1936ねん)/(1946ねん
  • 愛情あいじょう』(枯葉かれは追憶ついおく葡萄ぶどうきしこいいずみ幸福こうふく愛情あいじょう市立しりつ女学校じょがっこう小説しょうせつ8へんすべてS4)、改造かいぞうしゃ(1936ねん
  • 稲妻いなづま』(S5 B3 稲妻いなづま、B13 蝶々ちょうちょうかん、S4 青春せいしゅん、など小説しょうせつ4へん)、有光ありみつしゃ(1936ねん)/角川かどかわ文庫ぶんこ(1957ねん
  • おんな日記にっき』(S6 B3 小説しょうせつ)、だいいち書房しょぼう(1937ねん)/角川かどかわ文庫ぶんこ(1957ねん
  • はな位置いち』(S7 B4 はな位置いち、S7 B4 浅草あさくさらし、S7 B4 みれん、など小説しょうせつ12へん)、竹村たけむら書房しょぼう(1937ねん
  • 紅葉こうよう懺悔ざんげ』(B4 こい、S3 田舎いなか言葉ことば、など小説しょうせつ3へん)、版画はんがしゃ(1937ねん
  • 氷河ひょうが』(S7 B4 晩春ばんしゅん、S10 B11 あめ、S7 B4 べにえりつばめ、S5 B3 氷河ひょうが、など小説しょうせつ12へん)、竹村たけむら書房しょぼう(1938ねん
  • 月夜つきよ』(S7 B4 杜鵑とけん、S7 B4 黄昏たそがれせき、S7 B4 がつよる、など小説しょうせつ10へん)、竹村たけむら書房しょぼう(1938ねん
  • 戦線せんせん』(従軍じゅうぐん)、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ(1938ねん)/ 新編しんぺん中公ちゅうこう文庫ぶんこ(2006ねん改版かいはん2014ねんISBN 9784122060012
  • 北岸ほくがん部隊ぶたい』(B12、従軍じゅうぐん)、中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ(1939ねん)/ 新編しんぺん中公ちゅうこう文庫ぶんこ(2002ねんISBN 9784122040595
  • 生活せいかつ詩集ししゅう』(S1 詩集ししゅう)、六芸りくげいしゃ(1939ねん
  • なみ濤』(B13 小説しょうせつ)、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ(1939ねん
  • わたし紀行きこう』(紀行きこう28へん)、新潮社しんちょうしゃ(1939ねん
  • 蜜蜂みつばち』(S5 B3 旅館りょかんのバイブル、S7 B5 石鹸せっけん、S7 B3 明暗めいあん、S7 B4 づる、S4 いずみ、S4 帯広おびひろまで、S7 B4 がつよる、S4 枯葉かれは、など小説しょうせつ10へん)、はじめもとしゃ(1939ねん
  • 一人ひとり生涯しょうがい』(S8 B4 小説しょうせつ)、はじめもとしゃ(1940ねん)/創世そうせいしゃ(1953ねん
  • 青春せいしゅん』(S7 B4 青春せいしゅん、など小説しょうせつ13へん)、実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ(1940ねん再版さいはん1948ねん
  • あくたたかえ』(S9 おけ生姜しょうが、S9 あくたたかえ、S8 歯車はぐるま、S9 運命うんめい、S9 大学生だいがくせい、S9 温泉おんせん宿やど、S9 うま文章ぶんしょう、など小説しょうせつ12へん)、中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ(1940ねん
  • 女優じょゆう』(S9 女優じょゆう、S9 しん、など小説しょうせつ11へん)、新潮社しんちょうしゃ(1940ねん)/日本にっぽんしゃ(1946ねん
  • ななつの』(S8 B4 とおみずうみ、など小説しょうせつ2へん)、むらさき出版しゅっぱんしゃ(1940ねん)/東方とうほうしゃ(1955ねん
  • 魚介ぎょかい』(S9 魚介ぎょかい、S9 運命うんめい、S4 愛情あいじょう、など小説しょうせつ8へん)、改造かいぞうしゃ(1940ねん)/新潮社しんちょうしゃ(1950ねん
  • じゅう年間ねんかん』(B11 小説しょうせつ)、新潮社しんちょうしゃ(1941ねん)/創世そうせいしゃ(1953ねん
  • 歴世れきせい』(S9 B5 歴世れきせい、B9 うぐいす、など 小説しょうせつ9へん)、きのえとり書林しょりん(1941ねん
  • はつたび』(B9 はつたび、など小説しょうせつ13へん)、実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ(1941ねん)/東方とうほうしゃ(1955ねん
  • かわ』(S20 小説しょうせつ)、新潮社しんちょうしゃ(1941ねん)/角川かどかわ文庫ぶんこ(1956ねん - 1957ねん
  • あめ』(S9 ふうなかだち、など小説しょうせつ6へん)、実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ(1942ねん
戦後せんご
  • 旅情りょじょううみ』(S10 旅情りょじょううみ、S10 なぐさめ、S10 放牧ほうぼく、S10 吹雪ふぶき、S10 しずみ、S10 フローベルのこい、S10 たび、など小説しょうせつ10へん)、新潮社しんちょうしゃ(1946ねん)/東方とうほうしゃ(1956ねん
  • 『うきくさ』(S10 うきくさ、S10 はし、S9 はつたび、S10 かもめ、など小説しょうせつ8へん)、丹頂たんちょう書房しょぼう(1946ねん)/東方とうほうしゃ(1956ねん
  • 婦人ふじんため日記にっき随筆ずいひつ』(S12 童話どうわ世界せかい、など随筆ずいひつ12へん)、愛育あいいくしゃ(1946ねん
  • 旅館りょかんのバイブル』(S5 B3 旅館りょかんのバイブル、S5 B3 石鹸せっけん、S7 B4 足袋たびうぐいす、など小説しょうせつ8へん)、大阪おおさか新聞しんぶんしゃ(1947ねん
  • 一粒ひとつぶ葡萄ぶどう』(B6 いちつぶ葡萄ぶどう、など小説しょうせつ4へん)、南北なんぼくしょえん(1947ねん
  • 淪落りんらく』(S11 B6 ゆきまち、S11 B6 あひびき、S11 B6 かわ沙魚はぜ、S11 B6 ボルネオダイヤ、など小説しょうせつ6へん)、関東かんとう出版しゅっぱんしゃ(1947ねん
  • 創作そうさくノート』(S12 童話どうわ世界せかい、など随筆ずいひつ20へん)、たけなわとうしゃ(1947ねん
  • 舞姫まいひめ』(S8 舞姫まいひめ、など小説しょうせつ4へん)、尾崎おざき書房しょぼう(1947ねん)/東方とうほうしゃ(1956ねん
  • かり』(S10 ボナアルの黄昏たそがれ、など小説しょうせつ3へん)、扶桑ふそう書房しょぼう(1947ねん
  • ゆめいち』(S11 B6 作家さっか手帳てちょう、S11 B6 ゆめいち、など小説しょうせつ5へん)、世界せかい文学ぶんがくしゃ(1947ねん
  • 巴里ぱり日記にっき』(S8 B4、1936ねん - 1937ねん日記にっき)、東峰とうほう書房しょぼう(1947ねん
  • うずしお』(S16 B6、小説しょうせつ)、新潮社しんちょうしゃ(1948ねん)/新編しんぺん『うずしお盲目もうもく』、講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ(1995ねんISBN 9784061963191 所収しょしゅう
  • くらはな』(S10 くらはな、S7 B13 蝙蝠傘こうもりがさ、S11 B6 幕切まくぎれ、など小説しょうせつ10へん)、文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ(1948ねん
  • 放浪ほうろうだいさん』(S2 B1、小説しょうせつ戦前せんぜん公開こうかいしなかったぶん)、とめおんな書店しょてん(1949ねん)/ ぜんさん岩波いわなみ文庫ぶんこ(2014ねん
  • 女性じょせい神髄しんずい』(S6 B3、小説しょうせつようとくしゃ(1949ねん
  • ばんきく』(S10 吹雪ふぶき、S13 B7 荒野あらのにじ、S13 B7 水仙すいせん、S13 B7 ばんきく小説しょうせつなど11へん)、新潮社しんちょうしゃ(1949)/新編しんぺん講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ(1992ねんISBN 9784061961883
  • だい結婚けっこん』(B13、小説しょうせつ)、主婦しゅふ生活社せいかつしゃ(1949ねん)/東方とうほうしゃ(1955ねん
  • 牛肉ぎゅうにく』(S13 B7 牛肉ぎゅうにく、S17 B9下町したまち、S22 B11 みっつの南瓜かぼちゃ、S47 B9 退屈たいくつしも、S22 B11 うなぎ、S13 B7 ラ・シセーヌ、S13 B7 羽柴はしば秀吉ひでよし、S13 B7 トランク、S13 B7 ほね、など小説しょうせつ11へん)、改造かいぞうしゃ(1949ねん
  • 松葉牡丹まつばぼたん』(S13 B7 松葉牡丹まつばぼたん、S13 B7 白鷺しらさぎ、S17 B9 椰子やし、S13 B7 クロイツエル・ソナタ、小説しょうせつ4へん)、新潮社しんちょうしゃ(1950ねん
  • 槿花きんか』(S22 B12、小説しょうせつ)、実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ(1950ねん
  • よるさる』(S17 B9 からす、S17 B9 ざる、S17 B9 軍歌ぐんか、S22 B11 めかくし鳳凰ほうおう、S17 B9 上田うえだ秋成あきなり、など小説しょうせつ10へん)、新潮社しんちょうしゃ(1950)
  • 茶色ちゃいろ』(S15 B8、小説しょうせつ)、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ(1950ねん)/講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ(1994ねんISBN 9784061962583
  • しん淀君よどぎみ』(B14、小説しょうせつ)、読売新聞社よみうりしんぶんしゃ(1950ねん
  • 『あばれ人妻ひとづま』(S14 B7、小説しょうせつ)、六興ろっこう出版しゅっぱん(1950ねん)/東方とうほうしゃ(1963ねん
  • ふゆ林檎りんご』(S22 B11、小説しょうせつ)、新潮社しんちょうしゃ(1951ねん)/角川かどかわ文庫ぶんこ(1963ねん
  • 絵本えもと猿飛佐助さるとびさすけ』(B14、小説しょうせつ)、新潮社しんちょうしゃ(1951ねん)/講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 大衆たいしゅう文学ぶんがくかん(1996)ISBN 9784062620574
  • 浮雲うきぐも』(S16 B8、小説しょうせつ六興ろっこう出版しゅっぱん(1951ねん)/新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん2003ねんISBN 9784101061030 /角川かどかわ文庫ぶんこ改版かいはん2017ねん中国ちゅうごくやく/りゅうしょうしゅん
没後ぼつご
  • あし』(S17 B9 あし、S17 B9 ふゆうみ、S17 B9 自動車じどうしゃきゃく、S17 B9 浮洲うきす、S17 B9 金糸きんしすずめ、S17 B9 天草灘あまくさなだ、S17 B9 童話どうわ、S11 B6 あぢさゐ、など小説しょうせつ10へん)、新潮社しんちょうしゃ(1951ねん
  • さざなみ』(S17 B9 さざなみ、S17 B9 じょ家族かぞく、S17 B9 きく尾花おばな小説しょうせつ3へん)、中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ(1951ねん)/『おんな家族かぞく角川書店かどかわしょてん(1955ねん
  • めし』(S18 B9 めし、など小説しょうせつ2へん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ(1951ねん)/新版しんぱん新潮しんちょうオンデマンドブックス(2003ねんISBN 9784108652705
  • 晩春ばんしゅん』(S7 B4 青春せいしゅん、など小説しょうせつ8へん)、東方とうほうしゃ(1956ねん
  • 下町したまち』(S17 B9 しつさくらじゅ、など小説しょうせつ5へん)、角川かどかわ文庫ぶんこ(1957ねん
  • 『あいびき』(小説しょうせつ10へん)、東方とうほうしゃ(1957ねん
新編しんぺんでの作品さくひんしゅう

全集ぜんしゅう[編集へんしゅう]

  • はやし芙美子ふみこ全集ぜんしゅうぜん23かん新潮社しんちょうしゃ(1951ねん - 1953ねん
  • はやし芙美子ふみこ全集ぜんしゅうぜん16かんぶんいずみどう出版しゅっぱん(1977ねん

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 太田おおた治子はるこいしはな はやし芙美子ふみこ真実しんじつ筑摩書房ちくましょぼう、2008ねん4がつISBN 978-4480885265
  • 川本かわもと三郎さぶろうはやし芙美子ふみこ昭和しょうわ新書しんしょかん、2003ねん1がつISBN 978-4403210822
  • 桐野きりの夏生なつき『ナニカアル』新潮社しんちょうしゃ、2010ねん2がつISBN 978-4104667031
  • 佐藤さとう公平こうへいはやし芙美子ふみこ実父じっぷへの手紙てがみ』KTC中央ちゅうおう出版しゅっぱん、2001ねん10がつISBN 4877582266
  • 清水しみず英子えいこはやし芙美子ふみこ初恋はつこい尾道おのみち東京とうきょう図書としょ出版しゅっぱんかい、2008ねん5がつISBN 978-4862232472
  • 清水しみず英子えいこはやし芙美子ふみここい作家さっかどう文芸ぶんげいしゃ、2007ねん7がつISBN 978-4286030302
  • 清水しみず英子えいこはやし芙美子ふみこ・ゆきゆきて「放浪ほうろう」』新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1998ねん6がつISBN 4404026226
  • 関川せきかわ夏央なつお女流じょりゅう はやし芙美子ふみこ有吉ありよし佐和子さわこ集英社しゅうえいしゃ、2006ねん9がつISBN 978-4087748185集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ、2009ねん8がつISBN 978-4087464733
  • 高山たかやま京子きょうこはやし芙美子ふみことその時代じだいろんそうしゃ、2010ねん6がつISBN 978-4846010461
  • 竹本たけもとせん万吉まんきち人間にんげんはやし芙美子ふみこ筑摩書房ちくましょぼう、1985ねん10がつISBN 4480821996
  • 土橋どばし義信よしのぶはやし芙美子ふみこでん真実しんじつをもとめて』近文ちかぶみしゃ、1990ねん5がつISBN 4906324444
  • 深川ふかがわけんろう『フミさんのこと はやし芙美子ふみこ尾道おのみち時代じだいけいみずしゃ、1995ねん6がつISBN 4874403492
  • 藤原ふじわら牧子まきこ『『はやし芙美子ふみこ』をたずねるたび鳴滝なるたき書房しょぼう、1999ねん4がつISBN 4-990011252
  • 北海道ほっかいどう文学ぶんがくかん へんはやし芙美子ふみこ北方ほっぽうへのたび北海道ほっかいどう文学ぶんがくかん、2003ねん7がつ[1]
  • 望月もちづき雅彦まさひこはやし芙美子ふみことボルネオとう 南方なんぽう従軍じゅうぐんと『浮雲うきぐも』をめぐって』ヤシのじつブックス、2008ねん7がつISBN 978-4990369316
  • もり英一ひでかずはやし芙美子ふみこ形成けいせい そのなま表現ひょうげん有精ゆうせいどう出版しゅっぱん、1992ねん5がつISBN 4640310293
  • 宮田みやた俊行としゆきはやし芙美子ふみこはなのいのち』のなぞ高城たかぎ書房しょぼう、2005ねん3がつISBN 4887770693
  • 清水しみずただしはやし芙美子ふみこ屋久島やくしま』D文学ぶんがく研究けんきゅうかい、2011ねん4がつISBN 978-4-434-15532-1
  • 日本にっぽん大学だいがく芸術げいじゅつ学部がくぶ図書館としょかん へんはやし芙美子ふみこ芸術げいじゅつ日本にっぽん大学だいがく芸術げいじゅつ学部がくぶ図書館としょかん、2011ねん11月
  • 日本にっぽん大学だいがく芸術げいじゅつ学部がくぶ図書館としょかん へん世界せかいなかはやし芙美子ふみこ日本にっぽん大学だいがく芸術げいじゅつ学部がくぶ図書館としょかん、2013ねん12月
  • 廣畑ひろはた研二けんじはやし芙美子ふみこ全文ぜんぶんぎょうろく 未完みかん放浪ほうろうろんそうしゃ、2019ねん6がつ
  • 宮田みやた俊行としゆきはなふう はやし芙美子ふみこ生涯しょうがい海鳥うみどりしゃ、2020ねん10がつ

メディア・ミックス[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

記念きねんかん[編集へんしゅう]

  • はやし芙美子ふみこ記念きねんかん東京とうきょう新宿しんじゅく
  • おのみちはやし芙美子ふみこ記念きねんかん広島ひろしまけん尾道おのみち
    • 建物たてものはやし芙美子ふみこ尋常じんじょう小学校しょうがっこうから女学校じょがっこうにかけて2ねんはんごしたきゅう宮地みやじ醤油じょうゆてんであり、2023ねんれい5ねん)3がつ17にち文化ぶんか審議しんぎかいは「きゅう宮地みやじ醤油じょうゆてんはなれ(はやし芙美子ふみこ旧居きゅうきょ)」として登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい登録とうろくした[17][32]
  • はやし芙美子ふみこ旧居きゅうきょあと東京とうきょう世田谷せたがや太子堂たいしどう3丁目ちょうめ29)[33] - 案内あんないいたあり

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 芙美子ふみこ戦後せんごもなく1945ねん9がつ8にち康成やすなりあて手紙てがみしていて「これからうそうんはない/いゝものがかけるのハ/うれしいです それだけです/それだけでも きていたいです」といていた。
  2. ^ たとえば、「ぶんいずみどうばんはやし芙美子ふみこ全集ぜんしゅう16かん巻末かんまつの、今川いまがわ英子えいこへん:『著書ちょしょ目録もくろく

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f はやし芙美子ふみこ - NHK人物じんぶつろく
  2. ^ a b c d e f g h i j k はやし芙美子ふみこ』 - コトバンク
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 特集とくしゅう尾道おのみちあいした作家さっか はやし芙美子ふみこ』『尾道おのみちあいした作家さっか はやし芙美子ふみこ』『広報こうほうおのみち』 れい2ねん10がつごう pp.2-5 尾道おのみち
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  5. ^ a b c d e f g h i j k はやし 芙美子ふみこ”. ネットミュージアム兵庫ひょうご文学ぶんがくかん. 兵庫ひょうご県立けんりつ美術館びじゅつかん. 2024ねん4がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん
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  7. ^ a b c たびのふるさとをもとめて 芙美子ふみこ尾道おのみちある”. Blue Signal 2011 vol.137 July. 西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどう. 2024ねん4がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n “【読書どくしょ】 〔大切たいせつほん桐野きりの夏生なつき(作家さっか) ●はやし芙美子ふみこ放浪ほうろうさい底辺ていへんでも意気軒昂いきけんこう ほのえる冷徹れいてつ”. 朝日新聞あさひしんぶん (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ): p. 17. (2008ねん6がつ15にち) 
  9. ^ a b c d e たな秀行ひでゆき (2010ねん3がつ14にち). “【今週こんしゅう本棚ほんだな】 ナニカアル 著者ちょしゃ 桐野きりの夏生なつきさん はやし芙美子ふみこめたこい”. 毎日新聞まいにちしんぶん (毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ): p. 11 
  10. ^ 井上いのうえひさし太鼓たいこたたいてふえふいて』p.174(新潮社しんちょうしゃ、2002ねん没後ぼつごおこなわれた『わたし本棚ほんだな』で男子だんしアナがかた前説ぜんせつ
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r はやし芙美子ふみこ”. 文京ぶんきょうぶらりマップ. 文京ぶんきょう区立くりつ図書館としょかん. 2024ねん4がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  12. ^ 井上いのうえさだくに:『はやし芙美子ふみこ北九州きたきゅうしゅう』、北九州きたきゅうしゅうほう(1972ねん - 1973ねん
  13. ^ 井上いのうえ隆晴たかはる二人ふたり生涯しょうがい』、光風こうふうしゃ書店しょてん(1974ねん
  14. ^ 佐藤さとう公平こうへいはやし芙美子ふみこ実父じっぷへの手紙てがみ」 KTC中央ちゅうおう出版しゅっぱん (2001/10)
  15. ^ a b c d e f g もり恭彦やすひこたびたびして 旅行りょこう広島ひろしま 物書ものかきとして見返みかえしたい…因島いんのしま(いんのしま)(広島ひろしまけん尾道おのみちなんせんれた人間にんげんこえ(こえ)をいたか!こゝは内海うちうみしずかな造船ぞうせんみなとだーはやし芙美子ふみこ放浪ほうろうぞく放浪ほうろう」(1933ねん改造かいぞうしゃばん」『読売新聞よみうりしんぶんオンライン読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、2023–08–27。2024ねん4がつ6にち閲覧えつらんオリジナルの2024ねん4がつ6にち時点じてんにおけるアーカイブ。
  16. ^ 文学ぶんがく周遊しゅうゆう はやし芙美子ふみこ風琴ふうきんうおまち広島ひろしま尾道おのみち「此町は、まつりでもあるらしい、りてみんかやのう」”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ). (2013–09–14). オリジナルの2024ねん4がつ6にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240406004256/https://www.nikkei.com/article/DGKDZO59675600T10C13A9BE0P00/ 2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん 
  17. ^ a b はやし芙美子ふみこ 旧居きゅうきょ」(広島ひろしま尾道おのみち)など くに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい登録とうろく”. TBS NEWS DIG. ジャパン・ニュース・ネットワーク (2023ねん3がつ22にち). 2024ねん4がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん
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  20. ^ 陸軍りくぐんはんだいいちじんじゅうさんにん出発しゅっぱつ中外ちゅうがい商業しょうぎょう新聞しんぶん』(昭和しょうわ13ねん9がつ12にち)『昭和しょうわニュース事典じてんだい7かん 昭和しょうわ14ねん-昭和しょうわ16ねん本編ほんぺんp662 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  21. ^ うつくしいまちかんこうはいるの東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶん』(昭和しょうわ13ねん8がつ25にち)『昭和しょうわニュース事典じてんだい7かん 昭和しょうわ14ねん-昭和しょうわ16ねん本編ほんぺんp663
  22. ^ 浜松はままつ公会堂こうかいどう第一声だいいっせい東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』(昭和しょうわ15ねん5がつ7にち)『昭和しょうわニュース事典じてんだい7かん 昭和しょうわ14ねん-昭和しょうわ16ねん本編ほんぺんp705
  23. ^ 著名ちょめい作家さっか作品さくひんなど大量たいりょう発禁はっきん東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』(昭和しょうわ16ねん8がつ28にち)『昭和しょうわニュース事典じてんだい7かん 昭和しょうわ14ねん-昭和しょうわ16ねん本編ほんぺんp551
  24. ^ 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム34、(1986)p.73
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  26. ^ 文豪ぶんごうたちの噓つきほん』、2023ねん4がつ発行はっこういろどりしゃ文芸ぶんげいいろどりしゃ、P148~149
  27. ^ 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム34、(1986)p.17
  28. ^ 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム34、(1986)p.25
  29. ^ 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム34、(1986)p.27
  30. ^ 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム34、(1986)p.86
  31. ^ ぶんいずみどうばんはやし芙美子ふみこ全集ぜんしゅう だい16かん巻末かんまつ今川いまがわ英子えいこへん
  32. ^ 尾道おのみちのまちづくりにいきおいを 登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざいはやし芙美子ふみこ旧居きゅうきょきゅう村井むらい醫院いいん診療しんりょうとう よろこ関係かんけいしゃ”. 中国ちゅうごく新聞しんぶん. 2023ねん3がつ18にち閲覧えつらん
  33. ^ けやき No.319”. 公益社こうえきしゃだん法人ほうじん世田谷せたがや法人ほうじんかい. 2023ねん3がつ18にち閲覧えつらん

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  • はやし芙美子ふみこ全集ぜんしゅう16かん』、ぶんいずみどう(1977ねん巻末かんまつ今川いまがわ英子えいこ:「年譜ねんぷ」および「著書ちょしょ目録もくろく
  • はやし芙美子ふみこ』、新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム34、新潮社しんちょうしゃ(1986ねんISBN 410620634X
  • 清貧せいひんしょ屋根裏やねうら椅子いす』、講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ(1993ねんISBN 9784061962200 - 巻末かんまつの「作家さっか案内あんない」および「著書ちょしょ目録もくろく

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]